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  11月30日(水)    
数日前に、大阪府での「教育基本条例(案)」について、9条(教員及び職員)まで見てきました。
今日は、そのあとの条文について見てみることにしましょう。

橋下市長とその「腹心」の松井知事の登場で、いよいよ現実味を帯びてきたこの条例案です。
選挙中は、まるでこれに触れなかった「維新の会」ですが、「民意はこの条例案にある」とばかり、このあと当然のように押しつけてくるのでしょう。

さて、第十条は「保護者」について定めています。保護者が学校教育にかかわるのは悪いことではないし、その関わり方によっては重要な役割を果たすことになりますが、条文ではまず次のように書いています。

保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない。
2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。


上の条文中の「学校運営に主体的に参画し」とは、主に次の「学校協議会」への参加を意味します。
第十一条では府立高校に「保護者及び教育関係者(当該学校の教員及び職員を除く)の中から校長が委嘱した委員で構成される学校協議会を設置しなければならない」と定め、その役割を部活動の運営への助言や教科書の推薦に関する協議などとともに、「校長の評価」「教員評価」についての意見交換や提言の権限までも与えているのです。
保護者が学校運営に参加するといっても結局校長が選んだもので学校協議会を構成するわけですから、その実態が「校長親衛隊」になるのは目に見えています。「校長の評価」が議論になるはずもなく、「教員の評価」を行う監視機関になる恐れが大いにあります。一体教育現場にいない者が、たとえば生徒の「評判」や風評のみを手がかりに評価して一体どんな評価を下せるのでしょうか。

続いて第十二条では「教育委員の罷免」について定めています。
「知事は学校目標を定める」というのが第六章の内容でしたが、ここでそれを「規則により定める」とし、教育委員が「目標を実現する責務を果たさない場合」や本来処分しなければならないのにそれをしなかったなどで、「その職務上の義務を果たしていないと認められる場合は罷免事由に該当する」としています。いつでも気に入らない教育委員を追い出すことができるというわけです。
おまけに第十三条では、議会が教育委員会への監視機能を持ち、教育委員会に報告を求めたり、知事に是正をするように求めることができるという役割を持たせています。これらの条項は橋下「維新の会」が「教育委員会」制度をどう見ているのかを端的に示す条項です。
そもそも「教育委員会」は戦後の公選制にしろ、その後改悪された「任命制」にしろ、一般行政からは独立した一部局を構成し、教育委員長は首長と同等の立場で地域に責任を負うように制度化されてきました。これは、首長などの執行部や議会から直接に不当な圧力がかからないようにする教育独自の役割を重視する戦後教育の理念から来ている制度であって、大阪の条例案はこれを真っ向からつき崩そうとするものです。
このように首長や議会から口出しされることになれば、教育の独立性と公平・公正は守られようもありません。しかし、まあ、これこそが橋下「維新の会」のねらいなんですけど。

続いて第四章「校長及び副校長の人事」です。
第十四条では、校長の登用基準は「マネジメント能力(組織を通じて運営方針を有効に実施させる能力)の高さ」にあるのだと規定、そのために、「府教育委員会が指名した外部有識者(産業界、法曹界、労働界、教育界など)による面接を実施し、その結果を尊重しなければならない。」としています。
さらに校長には第十六条で「兼職規制の緩和」を盛り込み、たとえば企業の役員と兼務できるようなシステムを導入しようとしているのです。もはやどこにねらいがあるかは明白でしょう。

そして、いよいよ「第五章 教員の人事」です。
第二節「人事評価」では、悪名高いあの「五段階相対評価」があらわれます。条文を見てみましょう。

第十九条 校長は、授業、生活指導及び学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。
人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
 一 S 五パーセント
 二 A 二十パーセント
 三 B 六十パーセント
 四 C 十パーセント
 五 D 五パーセント
2 教員の評価に当たっては、学校協議会による教員評価の結果も参照しなければならない。
3 府教育委員会は、第一項に定める校長による人事評価の結果を尊重しつつ、学校間の格差にも配慮して、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね第一項に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
5 府教育委員会は、第三項の人事評価の結果を教員及び職員の直近の期末手当及び勤勉手当に適切に反映して、明確な差異が生じるように措置を講じなければならない。


さて、いかがですか学校での生徒への五段階評価がいかに不合理で非教育的か、。今日ではすでにはっきりと決着がついているのに、今度は教員への「五段階相対評価」ですよ。しかも、この比率は誰が決めたんですかねえ。
一世を風靡した成績評価の相対五段階評価とは、「人数が多くなれば成績分布は正規分布に近づく」という迷信(精密機械の誤差分布といっしょくたにしている)に基づいて、偏差値で区分する方法のことです。それでも「科学的なよそおい」のもとに、5…7%、4…24%、3…38%、2…24%、1…7%などと決めたわけで、大阪の区分とはかなり異なりますね。この人事評価がいかにでたらめなものであるかを示す証拠です。
橋下だか誰だか知りませんが、これを考え出した人間は教育のイロハさえわかっていないということです。一事が万事、条例案の非教育性が浮き彫りになってしまいました。こんな評価をされたら、先生たちたまったものではありません。Dなんてつけて欲しくないから(でも必ず誰かにつくのだから)、それこそ必死で校長にいい顔をしようとする。成績(点数)をあげるために血道をあげる。犠牲となって苦しむのは生徒です。そしてその苦しむ生徒の親たちです。
こうしたことをうまくやるのが校長の役割であり、「マネジメント」なのですから、大阪教育の未来像は「真っ暗闇」でしかない。
今回の選挙で橋下に投票した人は、この条文を知らない。まともな感覚の親で、自分の子の担任たちがこのような評価を受け常時上から管理・監視されていると知ってなお支持し続ける人がいるのでしょうか。

そして、さらに恐ろしい条文が次に続きます。「第六章 懲戒・分限処分に関する運用」です。
ここは、さまざまな事例が起こりうることを想定して微に入り細に入り、おそろしく長く数多い規定からなっていて、力の入れようがわかるところです。
要は、「違法行為や非行」を行った教員に対して、戒告から懲戒免職までの懲戒処分を行うことができるとするもので、ホームページでの公開なども定めています。
一例ですが、「日の丸・君が代」問題で異論を持ち、自己の信念に基づいて行動しようとする教員は、当然「職務命令違反」となりますから、1回目で「減給・戒告」、研修の後2回目の違反で「停職」、「五回目の職務命令違反又は同一の職務命令に対する三回目の違反を行った教員等に対する標準的な分限処分は、免職とする」というわけです。大阪の府立高校では(いやいや、これからは大阪市立の義務制、高校でも)、「日本国憲法は学校の外に置いてこい」という事態になるということです。

ちょっと飛ばしますが、「第九章」ではこの条例の「最高規範性」について定めています。

第四十八条 この条例は、府の教育に関する条例のうち最高規範となる条例である。

府の条例の中で最高のものだというのですが、日本国憲法をねじ曲げたり無視したりする橋下「維新の会」にとって、日本国憲法、教育基本法の上にこの条例を置こうとしていることは明白です。
前回も見たように、前文付則で「教育の政治的中立性とは、本来、教育基本法第十四条に規定されているとおり、『特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育』などを行ってはならないとの趣旨であって、教員組織と教育行政に政治が関与できない、すなわち住民が一切の影響力を行使できないということではない」と、教育学者も真っ青な恣意的な解釈を押しつけ、「大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない」と教育の目的を完全に書き換えています。そして、教育基本法第二条に掲げる目標にいくつも「目標」を付け加え、これを「知事の定める教育目標」だというのです。
いまさらという気がしますし、当然と言えば当然なのですが、「日本国憲法」について触れたところはどこにもない。いやはや、読めば読むほど恐ろしい条例案です。

これまで戦後教育がどんどん歪められてきたのを、教師たちが必死で現場から食い止めてきた。それもまだ教育の現場には民主主義の学校としての気風があったからです。その意味で、この条例案は学校現場への「民主主義の死亡宣告」みたいなものですよ。
以上のことも、橋下に投票した人はほとんど知らない。そして「現状を変えたい。改革に期待したい!!」とおっしゃる。大阪府民、市民のみなさん、本当にいいんですか。何度でもいいますよ。本当にこれでいいんですか。
私はいいですよ〜〜。学校が大変なことになれば、繁盛するのは塾なんだし、塾だからこそ困った生徒を何とかしてやりたいと思いますしね・・・。でも、みなさんはホントにそれでいいのかなあ??



  11月29日(火)    
被災地支援について、日赤が災害ボランティア・サポートという事業を行っています。これは、全国で被災地を支援している団体に、支出した分に対して一定の補助を行うというもので、それ自体は全く問題がありません。
ところが、これに応募しようとしてWeb上で手続きを始めてみると、どのように記載すればいいのか戸惑うばかり。
池田町の町民ネットのような団体では、定款とかがあるわけでもなく、それぞれ都合をつけてボランティアをやっているわけですから、ネット名義の預金通帳を作っているわけでもない。そうした団体は全国に無数にあることでしょう。
領収書などはもちろん正確に保存し収支もきちんとしているのは当然なのですが、支援は時間との勝負ですからその処理は迅速でなければなりません。また、対象品目はほとんど書ききれないほどあるわけで、一体それをどのように記載すればいいのか、さっぱりわからない。
そこで問い合わせてみましたら、「ある程度大括りで書いてもよい」ということでしたが、何とも事務的な対応で「やはり日赤か」という実にいやな印象を持ちました。
「1万円以上は領収書のコピーを添付すること」と書いてあっても、ネット上ではできない。おそらく、事務の体制がしっかりした大きな組織以外は、この煩わしさから結局応募を敬遠してしまうようにさせているのではとさえ勘ぐります。サポートするというのなら、もう少し団体を信用して簡単な応募にすべきでしょう。さもなければ、応募の仕組みを複数用意して、事務手続きを簡潔にすべきです。
11月までは無理なので12月10日からの応募に出すことにしますが、そうすれば問題点はもっとはっきりしてくることでしょう。
それはともかくとして、今日は女川に懸案の衣類をヤマト便で発送しました。これでようやく一区切りです。






  11月28日(月)    
先日の琉球新報に、ジョセフ・ナイさんがニューヨークタイムスのディベートで小論を寄せているというニュース(原文はこちら)が掲載されました。
Joseph Samuel Nye, Jrは、「米国の日本政策に通じるリベラリストで知日派」(Wikipedia)だそう(私は決してリベラリストだとは思いませんが)で、信濃毎日新聞でも定期的に寄稿していますから、私も何度かここでとりあげたことがありました。

それはともかく、琉球タイムスはこの小論の中で、「沖縄の普天間基地を沖縄県内で移設するのは県民に受け入れられる余地はなく、オーストラリアに持って行くのが賢明な選択で、アメリカのオバマ政権の政策にも合致している」という趣旨の発言をしていることに大きな注目を寄せたのです。私もこれには同感です。たまにはナイさんもいいことを言うのかな・・・。
ナイさんは、「オーストラリアへの海兵隊常駐」というオバマ政権の戦略についてこのことを述べているわけですから、ある意味ではきわめて現実的な思考だといえます。
彼に限らず、アメリカ議会の中でも普天間基地の県内たらいまわしに否定的な意見を持つ議員もいるわけで、アメリカ政府やペンタゴン内部での一定の矛盾の表明でもあるわけです。ですから、こうした議会、政府部内の矛盾を大いに突いて、平和な沖縄への前進を勝ち取ることは意味のあることだと私も思います。

ところが一方の日本政府はどうか。沖縄を訪れた玄葉外相は今月16日仲井真知事に「われわれ(政府)の考え方はご承知の通りであり、引き続き理解が得られるように誠心誠意頑張っていきたい」と語り、知事は「そこの点は意見が違う」と応えたことが報道されました。
ことほどさように、アメリカの矛盾などおかまいなく、目は完全にアメリカに寄り、アメリカが普天間から出ていくとでも言えば「是非辺野古にいてくれ」とでもいわんばかりの卑屈さです。ナイさんの意見を読むにつけ、ほとんど思考停止になっている民主党の状態がよくわかります。
共産党の志位さんは「民主党と自民党の違いはもはや虫眼鏡で見てもわからない」と言いましたが、言い得て妙。

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さて、予想通りというべきか、期待を裏切ってというべきか、大阪市長に橋下閣下が当選なさいました。あの満面の笑みがいつまで続くのでしょう。さっそく今日のある新聞が「市役所職員、戦々恐々」などと書いていましたが、市役所職員のみなさんには日本国憲法に基づいて毅然として仕事を遂行して欲しいと願わずにいられません。不当な圧力には、あらゆる正当な手段で対抗すべきです。
選挙結果については、一昨日予測で書きましたから、特別に書くこともないのですが、ただ1つだけ注目しておきたいことがあります。
昨日でしたか、テレビで「橋下候補の当選をどう見るか」という街頭インタビューを映していましたが、そのさいある若者が「橋下に賭けてみたい」という趣旨のコメントをしていました。これが大変印象的でしたね。今日もまた若い女性の「橋下さんなら改革してくれる」というような感想が放送されていました。
閉塞感からの打開を新しい市長に「賭けてみる」「改革が期待できる」という思考は、いかにも短絡的で感覚的。いまの若い人たちにピッタリな表現なのかもしれません。
つまり、おそらく年代、職業などによって、支持のしかたに面白い相関があるのではないかという予想を私は持ちました。若い層ほど橋下支持率が高い。不安定雇用の労働者ほど支持が高いというような。
これは今後出される選管の記録からわかることなのでしょうから、検証は後日の課題として、やはりこの傾向は日本の現在の多くの人々を覆っている感覚と共通するものがあることは間違いないでしょう。大都会に顕著な傾向ではあるにせよ、多かれ少なかれ「地域的な学習や議論」が活発に行われず、さまざまな住民活動がいろいろな層を巻き込んで展開されていない地域では、容易にこうした傾向に左右されていくということです。
しかし一方で、地震・津波に襲われ被災した地域では、こうした橋下のやり方はもはや通用しない。生活を誰が立て直すのか、誰が被災者に寄り添うのかが否応なしにさらされるからです。橋下は東北の被災地では首長にはなれない。
彼の路線がどのように破綻するのかまだ未知のことが多いのですが、住民に寄り添う姿勢がまるでないというただ一点で、おそらく東京よりも崩壊は早いのではないかと私は推測します。



  11月27日(日)    
朝は集落の「花一杯」委員会による今年最後の片付け作業。妻につれられて作業に出かけました。
そのあとは松本文化会館で開かれたシンポジウムに。これはなかなか聞き応えがありました。準備した実行委員会のみなさんに敬意を表します。

最初の基調講演は安斎育郎さん。以前から「ニセ科学」にだまされないようにする啓蒙活動を熱心にしていたことでよく知っていましたが、本格的に著書に接したのは著書「福島原発事故 どうする日本の原発政策」でした。しかしこれを読んだ限りでは、いまいちハギレが悪いという印象をうけていたのですが、今日の基調講演はまるで別人のようで、実にわかりやすい話でした。

講演では、原子力工学と放射線防護学を学んだ学者としての立場から放射線の影響について「理性的に怖がる」ことや、国・県・自治体のとるべき対応策などについてくわしい解説があり、大変勉強になりました。
これらの前提として提起された「平和とは何か」という問いと、それに対する考え方もなかなか新鮮でした。それはあらまし次のようなことです。

かつては「戦争のない状態」でよかったが、今は(「平和学」の立場では)「暴力とそれにつながるものがないこと」だ。では「暴力とはなにか」といえば、「人間の能力の開花を阻んだり妨げたりするあらゆるもの」をいい、それには戦争・殺人などの直接的暴力、飢餓・貧困・差別などの構造的暴力、血液型占いなどの文化的暴力がある。結局平和な世の中とは「ひとりひとりが生き生きと自分の力を発揮できる世の中」ということになる。

講演のあとは、安斎さんと松本市長の菅谷昭さん、信濃毎日新聞主筆の中馬清福さんの3人によるパネルディスカッションでした。ここでは、それぞれの立場から、普段聞けないような重要な話や問題提起があり、深く考えさせられました。特に印象に残ったのは次のような発言です。

【菅谷市長】チェルノブイリで5年あまりあちこちを飛び回って大変な状況を経験した。それから25年経ち現地では様々な健康障害が起こっている。福島の事態の先行する例として注意深く見ていく必要がある。政府は後手後手になっており、意識の低さを世界に露呈している。私たちが政府を動かさないといけない。
日本人の習性(?)として、ものの考え方はとてもいいものをもっているが、一方で「寛大」「人がいい」、悪く言えば「思考中断」「ノー天気」。原発事故が起こってからでは実は遅い。日本の再生にはこうした意識を変革し「当事者意識」を持つことが必要。
チェルノブイリから見えることは、原発が平和、健康、幸福という人間にとって重要な3つを奪うことだ。福島でもそれが起こっている。
福島では、20キロ圏内ではチェルノブイリよりも高濃度の汚染が見られる。長い間人間の住めない状態が続くだろう。政府もそろそろ現実的な対応を取る時期に来ている。

【中馬主筆】平和とは何かという問いには、「新しい暴力=金融の暴力」を付け加える必要がある。これは日本の企業だけの問題ではなく世界の問題でもあり、原発と同じく「誰も止められない」状態を招きかねない。そのような時代に生きているということだ。
安斎さんが原子力学会から村八分のような状態(アカハラ=アカデミックハラスメント)にされていたという話を聞き、少数意見をどのように扱うのかに注意を向けるべきだ。少数意見排除が現在の原発政策を歪めてきた。少数意見を排除し嫌悪感を抱くこうした私たちの「心の中」がいま問われている。


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夕方は、今度は地域公民館活動の一環としての「防災講座」。いやいや朝からなかなか大変な一日でした。


防災講座の講師は元神戸市生田消防署長の奥村儀弘さん。今はNPO法人「神戸の絆2005」の語り部として活躍されている方です。
沢山の内容を多岐にわたって話されたので、ちょっと時間不足というきらいはありましたが、阪神淡路大震災の教訓をくまなく網羅していたので、これまた大変参考になりました。
池田町の滝沢地区の公民館活動の一環として今回2度目の「防災講座」の開催。主催したMさんの言い方では、もし池田で震災があるとすれば東日本よりも阪神・淡路の直下型だろうから、からなずその経験が生きるはずだということ。確かにその通りです。
まず、奥村さんが指摘していたのは、阪神・淡路大震災の3つの教訓。

1.自然災害はいつか必ず起こる。
2.行政ではなく、身近な地域コミュニティがいのちを守る。
3.日頃からやっていない活動はできない。(バケツリレー、緊急時の生活物資調達、震災からの復興など)


次に、阪神・淡路と東日本での震災での死者をみると、東日本が圧倒的に水死が多い(92.2%)であるのに対して、阪神・淡路では圧死が73.0%、焼死者も1割を超えているように両者では際だった違いがあること。直下型では建物や家具の倒壊による死者が激増することが予想されるので、その対策を急ぐ必要があると強調されていました。
同時に、阪神・淡路での死者の年齢は、69歳以上が59%であり、高齢者に犠牲が集中する傾向があることも注目すべきデータでした。
神戸では、厳冬期、早朝の災害であったことから、地震と同時にすべての電気が止まり真っ暗闇になり、電話も不通、市内のガスの80%が停止して、ガス管の破損であちこちでガス漏れが発生。同時多発的に火災が起こったことが写真を交えて生々しく報告されました。
これからの課題としては、まず「防災に減災の思想を取り入れ」て、家庭の地震対策を急ぐこと。それには「住まいの耐震性を知ること(S56年以前の建物は耐震改修が必要)」「家具の配置、固定など住まいを丈夫にする」「寝室を2階にするなどの住まいの工夫」の3つの耐震化が必要であり、さらに、停電対策や断水対策、ガラスの飛散防止、非常持ち出しと貴重品の管理などさまざまな日常的な準備について指摘されました。
阪神淡路では、電気が復旧するまでに7日、電話が15日、水道が73日というように、ライフラインの復旧までに相当な日数を要することから、それまでの地域での「生きる」ためのコミュニティ作りが欠かせないと強調されていました。



  11月26日(土)    
大阪市長選、府知事選のダブル選挙が終わり、あとは明日の投票を待つばかり。大阪のみなさんには、是非とも反「独裁」の底力を見せて欲しいものです。

今日のニュースでは、橋下候補の応援に東京の知事の姿がありました。「独裁にはならない。私が手綱を引くから」だそうです。
予想では橋下優勢となっていますから、おそらく石原と同じで、橋下が勝つんじゃないかという予感を捨てきれない。
まだ態度を決めていない人が多いとはいえ橋下が優位であるというのは、要するに石原を選ぶ東京都民と同様、残念ながら彼の「弁舌」やマスコミの垂れ流す虚像に幻惑されて、何かしてもらえると思う人が多いということなんでしょうね。
橋下の「手法」を「評価する」と答えた人が50%を超えているのですから、どこを見ているのかと言ってみてももはやあまり意味がない。

生活は苦しく、さきゆきは見えないから、都構想でもなんでもいいから現状をぶち破ってほしいというのが正直な気持ちなのでしょうか。つまり橋下を選ぶのは、彼がいいからというよりも、ショック療法的に何かをしてほしいという庶民の焦りや弱さの反映ということです。それだけ追いつめられているといってもいい。彼はそこにつけこんでいるというにすぎない。そして、彼や「維新の会」に反対する陣営が、まだ本当に困っている人々の願いをすくい取っていないということです。

自殺者が年3万人を超え、子どもや年寄りが毎日のように虐待されて命を奪われる日本に、どんな未来が見通せるのでしょう。農村が崩壊するTPPであっても、それに期待をつなぐ都会のみなさんには、事態が深刻になり自分たちの食料がなくなってはじめて見えてくるものもある。
橋下を選んだときはつけは大変大きい。それは選んだ人だけではなくすべての大阪市民が負わなければならないからです。
もし橋下が当選すれば、大阪の教育や役場が劇的に変わる。その結果、当然のことながら被害を受けるのは子どもたちです。もちろん教師に待っているのは受難の時代。「上を見る」無気力教師が大量に増え、競争に血道をあげたところで、それは橋下を選んだ大阪市民がつくったのでしょ。自己責任ですよ、自己責任。

東北の被災地では、誰が最も被災者に寄り添っていたか、誰が最も敢然とたたかいに立ち上がったか、住民の誰もが見て知っています。もちろん、被害があったからそうなったのではなく、日常的に住民と深く結びつき、生活や営業の相談に乗り、苦楽をともにした時期があればこそ、今まで見えなかった人にもそれは見えてくる。
しかし、でかい事故や災害がおこらないと真の姿が見えてこないというのはあまりにさびしい。しかしそれも人間の歴史なのだから、あきらめちゃいけないと思います。

日本人の中にはかつてファシズムを選んだという自覚はほとんどない。逆にあの当時は誇り高き時代だったというほどの賛美にあふれている異常さ。いまなお戦犯を追いつめているドイツとは大違いです。だから中国や韓国からも見下される。アメリカに至っては日本など相手にさえしていない。
日本のあらゆる政策についてその影はつきまとっているのではありませんか。下からの抵抗闘争に嫌悪感や拒否感を持ちこそすれ、ヨーロッパのように気高く勇気のある英雄的な行動だとはとらえられない。だから、この日本の再生は、甘くありませんね。

日本が橋下のようなファシストにびくともせず、日本国憲法の理念を実現する方向での再生の可能性があるとすれば、人々の生活の苦しみに心を寄せて、生活に寄り添いながら、現代型のファシズムに抵抗する運動を地域の人々とともに作り上げていくしかないのでしょう。
具体的で、人情味にあふれ、不屈で、楽しい・・・そうした「人間的」な闘いが評価されたときに、真に民主的な新しい時代をつくる土台が築かれるのだと思います。



  11月24日(木)    
昨日の朝はすばらしい晴天だったのに、午後から雲がふえはじめ夜にはパラパラ雨が。天気がめまぐるしく変わって、寒くなってきました。山々はすっかり雪に覆われて、一面冬のたたずまいです。




今日はほぼ一日畑で旬の作物の収穫・・・といきたいところでしたが、被災地支援のとりくみのために大幅に収穫が遅れて、落花生はもうほとんど腐りかけ。もっと乾燥していて土が軟らかければ、ずるずると全部でてくるところですが、上の茎・葉が全部枯れているので、実はバラバラ。しかも、土が湿っていたので苦労して1つずつ土から掘り起こしました。
寒冷紗をかけてあった白菜はまあまあ大きくなっていたので、白菜とネギは今日から孫の発表会を見るために娘のところに出かけた妻に持っていってもらいました。
里芋は前よりは少し大きくなってはいたものの、昨年に比べて収穫量はガタ落ち。来年は、友人から聞いた耳寄り情報「逆さ植え」で挑戦してみようと思っています。どんな植え方かは、来年うまくいったら紹介することにしますかね。

そんなこんなで、夕方暗くなるまで畑にいて、帰ったら急に疲れが出てちょっとウトウト。9時から「Doctors」を観て一日終わりです。

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世界11月号で、哲学者の内山節さんが「近代世界の敗北と新しいエネルギー」と題して一文を寄せています。これは、これからのエネルギー問題を考える上で示唆に富む新鮮な問題提起だと思われ興味深く読みました。

内山さんは、まず現代のエネルギーは、科学者に権力を与え、自然は無限だという暗黙の仮説を受容してはじめて成り立ってきたとのべ、つぎのように指摘します。

現在問われているのは、単純な意味でのエネルギー問題の解決ではない。自然は無限に存在するものと仮定し、そのつじつまを「将来の科学」に丸投げしながら、それゆえに専門性に権力を与え、私たちはその受益者でありつづけることを願ってこの構造に自ら従属してしまう、この社会のかたちをどうするかなのである。エネルギー問題は、この課題を含めて考察されなければならない。

「安全神話」にどっぷりと浸かっていた人々(私も含めて)が、いざ事故が起こって放射性物質がばらまかれたとき、放射性物質を含んだガレキを「我が町に持ってこられては困る」となってしまう思考の根源は、やはり原発の推進にしろ管理にしろ、結果は「享受」しながら、実はそのすべてを一部の専門家にすべてをゆだねてきた歴史に由来するのであって、根本から思考の転換を図らない限り、やはりそのつじつまを「将来の科学」に丸投げするほかはなくなるでしょう。(蛇足ながらゴミ問題も同じ構造・・・現代の私たちの生活がそのような姿になり下がっているということです)
福島での事故が、まだどれほども収束しているわけでもなく、内部の様子さえ全くわかっていないのに、「安全」だと言われればそうかと思って再稼働へ道を開く一部の動きも同じレベルです。結局また同じことを繰り返す。
もちろん、科学者の中にも少ないとはいえ、そのようなエネルギーのとらえ方に異を唱えた人たちがいました。在野で原発と放射能の危険性を訴え続けた故高木仁三郎さんや、国民とともに問題をえぐり警鐘をならしつづけた京都大学の小出助教や共産党の吉井英勝衆院議員のような人々こそ、日本のエネルギー問題の解決に必要な人々であると気がつくべきでしょうね。

内山さんは、エネルギー問題は上にのべたような「大きな枠組み」の中で考察すべきだとし、将来の解決の方向について2つのヒントを提供しています。
1つは、エネルギーと共同体の関係、もう一つは専門家と素人との関係についてです。
「かつては、エネルギーは個人のものではなく、共同体のものであったという事実。森林のような木質エネルギー源は共有され、維持・育成・利用まで地域住民の手の中にあったということ。したがって、エネルギー源が巨大なシステムをつくり、個々人がその管理下に置かれるということはなかった」と内山さんは言います。
もちろん、「以前のような状態に戻すべきだと言っているわけではない」と断りつつ、大事なことは、エネルギー問題は実は「これからの社会をどうつくるのかという課題でもある」とのべ、「課題は個人と共同の関係の再構築であり、この関係を主体とする社会づくりであり、それらと結んだエネルギーの生産と管理、利用のローカルな態勢を創造することの中にある」として、次のように続けます。

その地域にあった発電のかたちを、コミュニティの創造、コミュニティの資源管理と結んで考察する、私は発想の軸はそこに置かれなければならないと考えている

コミュニティとは地域の人たちを結ぶ単一の組織のことではないということである。・・・・地域電力やコミュニティ電力も、その地域のひとつのかたちである必要はない。むしろさまざまなコミュニティ電力が積み上がり、それらが結びあっているかたちこそが、コミュニティ電力のかたちである。

コミュニティは、コミュニティの外の人々とも絆をもつことによって力を発揮するという性格を持っている。・・・むしろ課題は、地域やコミュニティに基礎を置きながも、いかに広くネットワークを組むかである。


各地でとりくみがすすむ省水力発電の試みは、こうした文脈のもとで、きわめて重要な位置をもっていると私は考えています。その発電量は取るに足りないという見方もできるでしょう。しかし、これはある意味で「生活の質」そのものを問い直す運動であり、その先にもっと大きな自然エネルギー開発の方向を内包している事業なのであって、日本全国でこれが大きなうねりになれば、今日の巨大電力会社が支配する電力エネルギーのありかたに根本的な変革をせまるものとなることでしょう。

新エネルギーへの地域的な取り組みは、ピークオイルの時代が迫っている以上待ったなし≠フ課題であり、石油付けの産業構造や生活構造そのものをも根本から見直す契機にすべきです。
そうだとすれば、石油と原子力に依存し、その「無限の成長」路線を疑いもなく突き進む「農業の大規模化」とか、特区をつくって企業を呼び込む漁業の「再生」などという方向(TPPを含めて)は、どこへ私たちを連れて行くのか明らかではないでしょうか。
ここ2,3年でコミュニティの再生にむかうのか、その崩壊に突き進むのかかがおそらく決定づけられるのでしょう。
内山さんのこれからの課題の提起は、どちらかといえば電力などのエネルギーを生む地域を中心とした観点です。都会での電力消費のありかた、企業での石油や電力の使い方、そうした問題ももっと深く考えていかないといけないのでしょう。
内山さんの一文を読みながら、いままさに「選択のとき」であるとの思いをいよいよ強くしたのでした。

私たちの前には、近代の構造すべてを問い直す勇気を持たなければ、あらゆることが解決しない時代が存在している。



  11月22日(火)    
火曜日は「バラの会」の作業日。久しぶりにバラ園に作業に出かけました。総勢5人でこじんまりと畑の手入れです。
今日の作業は、先日購入した「アンネのバラ」8本の植え付け。なかなか手に入らなくなっているアンネのバラですが、何とかネットで見つけて注文してあったのを今日畑に持って行って植えたのです。
植え方は今年の春に経験済みなので、みんな慣れたもの。大きな穴を掘り、牛糞、堆肥、腐葉土などの肥料をいれて土と混ぜ、根が直接肥料にさわらないように土を盛った上に苗を植えて土寄せして終わり。穴を掘るのが大変で汗びっしょりになってしまいました。来年の春が楽しみです。
バラ園では、まだいくつものバラたちがきれいな花をつけています。こんな時期までしっかり花を持っているのは不思議なほど。女性達は切り花にして持ち帰っていきました。そういえば、畑の隅では「芝桜」も結構花をつけていました。
ようやくすっきり晴れ上がって、バラ園から見る北アルプスはもう中腹まで真っ白。今朝までの冷え込みでずいぶん積雪があったようでした。














午後からはずっとファンクラブニュースの作成でパソコンに向かいっぱなし。原稿はほぼそろっていたので、午後6時頃までに一気にレイアウトをつくって、テキストを流し込んでしまいました。
今号は、第1面がTPP問題。2〜3面は女川町支援活動についての私のレポートがメイン。第4面は薗部さん連載の「北欧の福祉・教育」。いよいよ佳境に入っています。いずれも読み応え、見応えのある紙面になったと思います。
片田舎の共産党ファンクラブ(後援会)ニュースとしては発行部数も多い(池田町の世帯数の45%くらい)し、レベルも高いと自画自賛しているのですが。それでも「堅い堅い」といつも批判を受け続けています。どうしたらいいんですかねえ。これはもう編集者が変わるしかありませんね。
まあ、「堅い」と言う人に限って「堅い」文章を書くみたいですけど、そう言う人が「やわらかい紙面」をつくって私を納得させてくれたら、私はいつでも編集長を降りますよ、よろしく。そうでなくても辞めたくてしかたがないんです、正直。同じ人間がずっと作り続けるというのは絶対によろしくないですからね。
次は校正段階の今月号です。

日本共産党ファンクラブニュースNo.121号(11月号)1,4面(PDF)
日本共産党ファンクラブニュースNo.121号(11月号)2,3面(PDF)

夕方庭先を見ていたら、剪定し残したラズベリーにまだ実がたくさんついているのを発見、最後の収穫をしました。完熟していて、大きい実はなかなかおいしい。
ジャムにするにはちょっと足りないので、お菓子にでも載せてたべましょうか。色がきれいで、ちょっと食べるのが惜しい・・・。





  11月20日(日)    
ネコの目というのはどうなっているのでしょうかね。赤外線カメラよろしく夜もしっかり見えるようだし、動体視力がとくに発達しているようにも思える。
私がまるで気がつかない小動物の気配や動きがたちどころにわかるようで、今日はすぐ近くにわずかに動いているキジを素早く見つけました。それも小さなうなり声を上げたからわかったようなもので、こんなに近くにキジがいるのに私はずっと気がつかなかったのでした。
ただ、昨年とくらべてあまり雀やネズミを捕まえてこなくなったのは、かなり年をとってきたからなのでしょうか。
(と書いたら、一念発起したのか小さなネズミを捕まえてきて食べてあった・・・)


今日は、朝から町の商工会主催の「商業感謝祭」が開かれました。いろいろな店や団体のブースがつくられて食べ物や小物が売られたり、マグロの解体・即売が行われたり、福引きがあったりする商店街のお祭りです。
今年は、被災地支援ネットワークにも声がかかって、女川から仕入れたサンマ300尾を販売することになりました。
小さなテントの中で、炭火を起こしサンマを焼き、生サンマも販売。雨交じりのあいにくの天気でしたが、そこそこ町の人たちが訪れて、生きのいいサンマを買っていってくれました。
ネットワークのメンバーは代表と私だけ。あとはネットワーク発足以来、仕分けや梱包に大きな力を発揮してくれた女性のボランティアのみなさんが沢山手伝いにきてくれて、スタッフの方が賑やかなサンマ販売となりました。彼女たちの熱意とパワーには本当に頭が下がります。

サンマは1尾100円。私が先日女川に行った際に、大口の取引専門の市場で頼んできたもので、新鮮そのものの産直ですから結構人気が高く、午後2時ごろには完売。向こうが値段を安くして送ってくれたので、赤字分は当初ネットワークで出そうと相談していたのですが、それもかなり縮小され全体としては大変うまくいきました。
これからは、このように被災地と連携をとって、少しでも向こうの産業に役立つようなとりくみも増やしていきたいものです。















  11月18日(金)    
大阪府議会に「大阪維新の会」所属の議員(定数109人中55人)によって提案された「教育基本条例」「職員基本条例」を是非読んでみよう。
私には、ついにここまで来たかというのが率直な印象です。ファシズムはこのように忍び寄るという地域的な実例を見せつつあるといえるでしょう。
それぞれの議員にとってみれば、「ファシズム」などという空恐ろしいコトバも実態も、おそらく想像すらしていないことでしょう。これは自覚的な「独裁」指向者である橋下をのぞいては絶対ともいえる確度でそうです。「まさか」だからファシズムなのです。橋下1人だけがはしゃいでいたところでファシズムには絶対にならない。
「維新の会」の議員を選んだ府民の1人1人にとってもそうでしょう。橋下なら「何かしてくれる」と考えたかどうかはわかりませんが、その「もたらすもの」が、自分の子どもが激烈な競争と管理教育の犠牲者になるなどということはおよそ想定すらしないはずですから。そんなことは考えられもしないから支持し声援を送ったりもする。
「ファシズム」に対抗するには現代版レジスタンス運動=反ファシズム統一戦線(懐かしいコトバだ・・・)しかありません。こうしたレジスタンスのたたかいを通してしか人々は鍛えられないというのも歴史の真実ですから、力を合わせておおいにたたかいましょう。

まず、全国で批判が日増しに高まっている「教育基本条例案」からみてみてみることにします。
これまではどちらかといえば自民党政権によって、国レベルでの早期差別・選別教育がすすめられ教育統制の強化が図られてきたのですが、今度はこれまでとは質的に異なり、地方自治体レベルで憲法・教育基本法無視の強権支配を図ろうとする、いわば草の根的教育支配への第一歩になりつつあるというのがこの条例案の特徴といえます。

前文でまず、教育行政は議会や首長と、教委およびその管理下におかれる学校組織とが「法令に従ってともに役割を担い、協力し、補完し合うことによって初めて理想的に実現されうる」とのべ、冒頭から教育統制の意図をあけすけに述べています。そのうえで、この条例制定の意図を次のように説明します。

教育の政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。・・・教員組織と教育行政に政治が関与できない、すなわち住民が一切の影響力を行使できないということではない。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律では、・・・議会が条例制定を通じて、教育行政に関与し、民意を反映することは、禁じられているどころか、法律上も明らかに予定されているのである。

大阪府における教育の現状は、子どもたちが十分に自己の人格を完成、実現されているとはいい難い状況にある。
大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない。教育行政の主体が過去の教育を引きずり、時宜にかなった教育内容を実現しないとなれば、国際競争から取り残されるのは自明である。


この前文では、憲法・教育基本法で定める「教育」のありかたを、きわめて恣意的で特権的な考え方でとらえていることが明白になっています。
第1は、学校を教育委員会(実は首長)の「管理下」にある被管理組織として位置づけていること。
第2は、首長や議会の思惑通りに教育を支配することを「民」というコトバにすり替えて合理化していること。
第3は、「激化する国際競争(国際社会ではない!)から取り残され」ないような人材を育成するのだと、世界でも物笑いになるような教育の目標をかかげていること。
第4は、教育行政に「政治が関与できる」と恣意的に法令の条文を解釈し、さらにそれを首長の権限であるかのように歪曲、改変していること。

前文につづく長々とした条文は、すべてこうした彼らの思惑を実現するための体制づくりにつながっていきます。

第一章「目的及び基本理念」では、たとえばこうです。

一 個人の自由とともに規範意識を重んじる人材を育てること
二 個人の権利とともに義務を重んじる人材を育てること


2つの教育目標をよく読めば、「規範意識」「義務」に力点があることは明白。
三では、「他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く人材」を育てるとし、自己責任論を正当化しています。
また、5では「我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土愛に溢れる・・人材」をあげ、六では、「激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること」を掲げています。
それだけ聞けば「それもそうだな」と俗受けする可能性が高いかもしれません。しかし、どれをとっても、教育の専門家に聞けば足下に否定されること請け合いの教育理念ばかりです。競争の中に投げ込めば「国際競争」に勝てるとでも思っているのでしょうか。
ここには、仲間を大事にし、いのちを大切にし、自らの力で進路を切り開いていく人間性豊かな子どもを育てる「人格育成」の観点はまるでみられません。それぞれの発達段階に応じて十分な教育を行うという行政の役割も全く顧慮されていません。

「第二章 各教育関係者の役割分担」では、前文をうけて、次のような基本指針を設けています。

選挙を通じて民意を代表する議会及び知事と、教育委員会及び同委員会の管理下におかれる学校組織(学校の教職員を含む。)が、地方教育行政法第二十五条に基づき、適切に役割分担を果たさなければならない。

この「適切な役割分担」とは何か。
第2章、第5条で、「府及び府教育委員会は、小中学校教育の体制が本条例の趣旨を反映したものとなるよう、必要な助言、情報の提供その他の援助を行う」と定め、第6条で、「知事は、府教育委員会との協議を経て、高等学校教育において府立高等学校及び府立特別支援学校が実現すべき目標を設定する」と、知事の教育目標設定権限を定めているのです。
第7条では、情報公開の名の下に小中学校での学力調査テストや独自テストの市町村別、学校別の結果をホームページで公開することまで定義しています。
続いて第8条では、校長の権限として「前条第一項の指針をもとに、学校の具体的かつ定量的な目標を設定したうえ、当該目標の実現に向けて、幅広い裁量を持って学校運営を行う」と定め、第9項では「校長及び副校長は、学校運営を行うに当たり、教員及び職員に対して職務命令を発する権限を有し、教員及び職員はこれに従う義務を負う。」と定めています。

続く第9条「教員及び職員」では、「教員は、自己の崇高な使命を深く自覚するとともに、組織の一員という自覚を持ち、教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長の運営方針にも服さなければならない」とし、第3項で、「職員は、組織の一員として、教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長の運営方針にも服し、学校運営の一翼を担わなければならない」と定めています。

ここまでくると、学校現場は教職員相互の研鑽と対等な立場での協議、合議、協同といった民主主義の場とはおよそ異質の重層的管理機構と化し、支配・被支配の殺伐とした「戦場」と変貌することになるでしょう。首長による教育のファッショ的な支配のもとで、まさしく大阪の教育は死に瀕している。最大の被害者は、このような「教育」を受ける子どもたちに他なりません。
おそらくこれらを起案した人物達は、「憲法を職場の外に置いた」民間企業で競争させられ、勝ち残った人々に違いない。この条文を提案している「維新の会」の議員連中は、「教育」の営みがどのようなものであるかを全く理解できないか、理解しようともしない恐るべき感覚の持ち主(いや感覚麻痺・思考停止した人物達)というほかありません。

条例案では、このあと、教職員の評価や処分などに関する前代未聞の規定がでてきますが、あまりにも長くなるので、これらは日を改めて見てみることにします。

教育って「だまされない人間」を育てることなんだよ、橋下さん。末路はだれかさんと同じ・・・かな??

全然脈絡がないんだけど、女川で高野さんがふとつぶやいたコトバを今思い出した。
「原発って文化を生み出さないんだよな。原発文化なんて聞いたことないべ?」
たしかに。原発推進文化祭とか、原発をテーマにした絵画展なんて古今東西聞いたことないですよね。なんでいまこんなこと思い出したんだろう・・・。



  11月17日(木)    
オーストラリア議会でのオバマ大統領の演説が話題になっています。

以下は「米大統領『アジア太平洋が最優先』安全保障の軸足移す」と題したAsahi.comの記事。

オバマ米大統領は17日、オーストラリアの首都キャンベラの同国議会で、アジア太平洋政策の重要演説を行った。
アフガニスタンとイラクからの米軍撤退を踏まえ、今後の安全保障政策でアジア太平洋地域を「最優先」に位置づけると宣言し、地域の秩序作りを主導する決意を表明した。
大統領は、米国は「太平洋国家であり、ここにとどまる」と強調した。
財政難で国防費の大幅削減を迫られる中、経済の浮沈を握るアジア太平洋では影響力を維持・向上させる姿勢を明確にした。台頭する中国を軍事面で牽制(けんせい)する意味合いもある。アフガン、イラクの二つの戦争に軸足を置いてきた米国の安保政策に転換点を刻んだ。


次はYomiuriOnlineの記事。

オバマ米大統領は17日、豪議会でアジア太平洋政策に関する包括的演説を行った。
大統領は、「アジアでのプレゼンス(存在)と任務は政権の最優先課題だ」と述べ、地域での経済・外交・安全保障上の役割を長期にわたって拡大していく方策を探るよう、国務、国防長官ら政権の国家安全保障チームに指示したことを明らかにした。
大統領は「安全保障は平和と安定の礎だ」と述べ、「(米国は)国防予算を削減しているが、アジア太平洋が影響を受けることはない」と強調した。
さらに、中国の軍事的影響力が強まる南シナ海問題を念頭に「商業と航行の自由が損なわれてはならない」と指摘した。


スピーチの中でとくに関心が集まっているのは、asahi系TVで放映されていた通り、次のくだりでしょう。
引用はnews.com.auから。その見出しも「America is 'all in' on the Pacific - Obama」

"So let there be no doubt, in the Asia Pacific, in the 21st century, the United States of America is all in,"
"And here is what this region must know. As we end today's wars, I have directed my national security team to make our presence and missions in the Asia-Pacific a top priority."


News.com.auの記事によると、次のようなくだりがあることに気がつきます。

Mr Obama said Asia - as the world's fastest growing region representing half the global economy - was critical to "creating jobs and opportunity for the American people".

新聞やテレビは、アメリカの安全保障政策をイラクやアフガンからアジアに軸足を移す宣言だと見る見方が主流ですが、実際には、窮地に陥る自国の経済を「立て直す」ために、軍事を前面に押し出しながら経済的にアジアで主導権を握ろうとする国内向けの政策であることは見え見え。
すでにアメリカの安保政策は2010年5月に決定されており、クリントン国務長官も米外交専門誌「フォーリン・ポリシー」11月号で次のように述べているのです。(原文はこちら

アジア地域の課題に対処するには、より地理的に分散し、作戦面で弾力性があり、政治的に持続可能な米国の軍事態勢が必要である。

クリントン国務長官の言う、「At a time when the region is building a more mature security and economic architecture to promote stability and prosperity, U.S. commitment there is essential.」 「we need to press forward and renew our leadership」という路線こそオバマ演説の核心であり、アジア・太平洋地域の軍事・政治・経済面での盟主としてのアメリカを押し出したものといえます。
つまり、軍事力で中国を牽制しながら、成長著しいアジアをアメリカ主導で取り込み、輸出産業へのてこ入れや国内で高まる失業問題の解消を図ろうとする経済(輸出)戦略であるということ。とりわけ、TPPと連動させて、いっそう効果的にその環境作りをすすめようとするものですから危険はますます大きい。

ところが、たとえば毎日新聞は社説で、次のようにのべて、最大限の賛辞を送っています。

野田首相の発言は、そうしたオバマ政権の戦略と歩調を合わせようというものだ。地域大国として台頭するインドと日米の3カ国対話の年内開催が検討されていることも、同じ文脈の中で理解できる。
太平洋国家としての米国の指導力と関与を抜きに、この地域の安全と繁栄はない。中国の経済力・軍事力の増大を考えると、日本が日米連携で自由かつ開放的な地域秩序を率先して構築するのは国益にかなう。


社説では、「ただし、これは中国排除や封じ込めではない。中国も積極的に関与する、透明で公正な地域づくりの作業である」と但し書きをつけてはいるものの、飾りにすぎないことは文脈から明らか。

琉球新報は、「この(クリントン国務長官の)主張通りに物事が進めば、過重負担の沖縄から、米軍基地が日本各地に分散移転していくに違いない。注意深く読み込む必要はあるが、この論文には沖縄に有利な構想が含まれる」と書いています。しかし、オバマ大統領は先の演説で、「米国の国防費削減はアジア太平洋地域には影響しない」と述べているのですから、米支配層に一定の矛盾があることは明らかであるにせよ、そう簡単には沖縄の基地を手放すことはありません。しかも、対中国を意識した新戦略である以上、アジアでの緊張感をいっそう高める危険も内包しており、日本がそうした戦略にますます深く組み込まれていく方向を示唆してもいるのです。
そうした新しい方向や一定の矛盾にもかかわらず、日本がアメリカのこうした「新戦略」に無批判に乗っかり、普天間の辺野古への移設に固執し、アメリカの戦略や要求を丸呑みしてTPPにのめり込む愚かさはますます明らかになっているということです。

イタリアの服飾関係の企業グループ「ベネトン」の刺激的な広告のようになればいいんですけどね。


さまざまな「ありえない」キスシーンもたくさん。ベネトンのサイトまたはこちらです。

私と名前が一字違いの方のサイトにベネトンの広告について説明があり参考になります。



  11月16日(水)    
午後からすっきり晴れ上がって、北アルプスの山々がきれいに見えました。我が家のまわりはもうほとんど冬景色です。




女川から帰って以来、それほど疲れているという感じではないのに、外に出て畑仕事をしたり家の片付けをしたりという身体を動かす仕事が億劫になって、ずるずると日が過ぎていきました。これも疲れのひとつなのかもしれませんね。あと2,3日はかかりそうです。

ずっと前から私の問題意識のひとつに、この国での意識構造に占める戦前との連続性というのがありましたが、それに加えて、意識構造の対米従属性をつけくわえなければなりません。
もちろんこれは今に始まったことではなく、エネルギーや経済面、軍事面での従属は戦後のアメリカの戦略そのものであったし、日本の財界がアメリカに従属することで支配構造を立て直してきたという問題がありました。しかし、TPPをめぐってアメリカべったりの醜態をさらしている昨今の民主党の尻振り状態は見てはいられないほどです。

さて、このような状態をもたらしている背景と要因は何なのか。端的にいえば、今日の支配構造の中での彼らの生い立ちとそこで培われた意識がそうさせているということなのでしょう。
しかし、それだけではありません。中国や朝鮮に対する敵意丸出しの右翼的な論調を拡散しながら、その一方で全く自覚もなくアメリカに取り込まれているわけです。
とはいえ、問題は支配する側だけにあるわけではありません。戦前の「鬼畜米英」から一転、戦後の「鬼畜中韓」みたいな論調を、国内の一部ではあれ受け入れているのは他ならない「国民」なのですから、根は極めて深い。橋下の大阪都構想や「教育基本条例案」などについての論調も同様です。

以前にも紹介したことのある「だまされることの責任」(佐高信×魚住昭、高文研)のなかで、魚住さんがある新聞社の「組織」のありようについて次のように述べていました。

(組織の上からの指示にあらがえないとわかったとき)自分が今までに持ってきた「私」とか「個」みたいなものが、組織に過剰同調することによって溶けていく。・・・「社畜」になっていく危機感です。
「個」が溶けて周囲に過剰同調していく、その方が、僕を含めて日本人にとっては居心地がいいんですね。なかでも最も居心地がいいのが、組織あるいは集団の一番上と精神的につながっちゃうことなんですよ。・・・伊丹の言った「だまされる」構造というのは、そういうことなんではないかと思います。
「私」を周囲に過剰同調させ、溶かしてしまうことによって、集団の価値体系と同化してしまう。・・・だから「顔を取り戻せ、言葉を取り戻せ、文体を取り戻せ、恥を取り戻せ」という辺見さんの言葉が胸に突き刺さるんですよ。


伊丹万作さんが私の生まれた年に「映画春秋」に書いた一文、「戦争責任者の問題」をいま一度、「戦争責任」を「TPP」「教育基本条例」などのいろんな言葉に置き換えて読んでみたい。



  11月15日(火)    
昨日から冷え込みが強くなり、北アルプスもかなり南まで白く冠雪。いよいよ冬がそこまでやってきていると感じます。暖かい日が続いていたのでなおのこと、身体がついていかないので風邪には注意しないといけませんね。

夕方、久しぶりに温泉にでかけました。いつもの穂高温泉郷に行ったのですが、時間もおそかったせいか広い温泉にひとりだけ。昼間ひとりなら外の景色も見えるし気分は最高なのですが、夜だだっ広い温泉にひとりというのは、贅沢を通り越して気味がわるい。湯は適温でゆったりできるのがせめてもの救いでした。

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今日の昼過ぎからは、被災地支援ネットワークの「報告会&ご苦労さん会」。ネットワークメンバー27名が参加し、写真で支援活動の様子を見たり、こもごも支援に参加しての感想などを話しながら、有意義なひとときを過ごしました。
次は、事務局から参加者のみなさんに報告した今回の活動の「まとめ」の文書です。
          報告1ページ       報告2ページ

今日の懇親会の席上でも話がでていたように、相談して方針を決め、みんなで実行してそれを随時報告、問題点を十分吟味し、さらに次の行動にむすびつけていく、その折々での「情報の共有」がいかに大切であるかが本当に大切だと思いました。
私自身が事務局を担当して心がけた第1のポイントはこの点でしたから、基本的にこれが貫かれたことは貴重な経験でした。
毎日物資を集めていたときに、昨日の活動をまとめた「日報」をボランティアの方たちがよく読んでくれていて、来られなかった日の分まで欲しいと言って持って行ってくれたのです。
「心を合わせる」には、それだけの材料と手立てが必要なんですね。
私が書くと、かなり細かいことまで書いてしまうので、「細かすぎる」という意見もないわけではありませんでしたが、荒くてわかりにくいより、細かくても整理されていた方がいいだろうというのが私のスタンス。
「情報の共有」による一致団結は、多少の困難も良い方向に事態を打開する最も大きな力となります。今回の支援活動の教訓の最大のものかもしれません。

右上は、バラの会会員が届けてくれた花カゴ。まだバラ園で咲いているものです。その心意気が嬉しかったですね。
写真下は、報告のあと懇親会にうつり、お茶で乾杯する一同。





  11月14日(月)    
昨日の午後、知人に誘われて地域のバンド「New Three Sharps Orchestra」の40周年記念演奏会に出かけました。バンドメンバーの1人は被災地支援のリーダーでもあるのですが、私などは音楽に疎いと思われてしまったか、お誘いもかからず、別のルートから前日になってお知らせを頂いたのでした(と、ちょっと僻んでいる)。
このバンドのホームページによると、次のように沿革が書かれています。

1971年(昭和46年)に池田町で生まれ、今年で40年目、節目の年となります。
当初5人ほどの小編成で始まったバンドですが、現在は19名の大所帯となり、・・・週1〜2回の練習を行っています。
北は大町から南は松本まで、それぞれの仕事の後集まり、夜遅くまで練習しています。


なかなか本格的な大編成バンドで、ジャズからポップス、ラテンまで幅広く演奏活動を行っている地域密着型のユニークな存在。私自身は、存在は知っていても演奏活動自体は初めてでした。
演奏会のプログラムは、第1部がスウィングジャズ、第2部がコンガ奏者のパラダイス山元さんをゲストとしたラテンナンバー。なつかしい曲目に、楽しいひとときを過ごすことができました。
仕事のかたわら、練習に集まるのも容易ではないはずなのに、よくここまでの高いレベルで演奏活動を持続させていると感心することしきり。会場の豊科公民館には開演前から長い行列ができ、600〜700人でほぼ満席。人気の高さを伺わせました。
司会は我が被災地支援のリーダーでもある矢口みのるさん。自分の仕事や議員活動、それに被災地支援などいろんなことをやってのバンド活動ですから、やせるヒマがないのでしょう。これからもぜひ良い音楽を地域に届けるために尽くして欲しいものです。

さて、話は一転。女川でのことにもどります。
いろいろネットを見ていたら、先日NHKで放送されたスペシャル番組がなぜか見出しがハングルのサイト?で公開されていた。3.11大地震によって関東から東北にかけて発生した「液状化現象」についての検証番組です。
安曇野でも平野部を中心に大規模な液状化が起こりうると警告されているので注意深く見ておりましたら、女川での多数の鉄筋ビルの倒壊には液状化現象が深く関わっていることがわかり、津波のときは「高いビルに避難すればよい」という避難の仕方が根底から問われていると報告されていました。
液状化現象は、単にビルの倒壊だけではなく、コンビナートの破壊、住宅やインフラの破壊などさまざまな災害を引き起こすわけで、海に面したところだけではなく内陸部でも十分対策を講ずる必要があるはずです。

折しも昨日の大糸タイムスではダム事故についてのルポを載せていました。


最悪の事態を想定すれば、ダム決壊あるいは土砂の流入による大量の放水は津波と同じ役割をするわけで、液状化とダム事故の複合災害が大町市から池田町にかけて考えられるということになります。
「M8.0でもダムは大丈夫」ではなく、小さくても可能性があるのであれば、あらゆる事態を想定して対策を講ずる、これが自治体の役割だし、地域での防災の観点でなければならないでしょう。

参考までに、次の映像はマリンパル屋上から撮影した女川が津波にのみ込まれる歴史的映像。原さん決死の撮影だったことがわかります。ただただ恐ろしいの一語に尽きます。たとえどんなに見たくなくても、やはりここに戻らなければならないのだと思います。

Yomiuri Online 映像ニュース



  11月13日(日)    
午後8時頃高野さんから電話が入り、投票率99%以上で高野さん第2位(566票)当選、阿部律子さん第3位(539票)当選と伝えてくれました。2人合わせて前回の合計とほぼ同じ1100票ですよ。すごい!!やりましたね。よかった、よかった。
4年前の選挙では高野さんが664票でトップ。阿部さんが443.622票ですから、得票としては今回は前回と同じですが、中身が全く違います。
つまり、高野さんを支持してくれた方々を160人も津波被害で失い、県外に出てしまっている人もかなりの数に上るという状況下でしたから、どんなに見積もっても350〜400票が基礎票だったわけです。被災直後、彼は「自分の家が無くなってしまったより支持者を失ったことが辛い」と嘆いていました。亡くなった支持者の方々の無念をすべて掬って、高野さんは見事に当選を果たしたことになります。
阿部さんも、被災者に対する献身的な活動を続けてきたことが有権者に浸透したとはいえ、やはり手探りの選挙でしたが、前回より100票近く伸ばしています。見事というほかありませんね。応援したかいがあります。
直ちにとりくむことが山のようにあるのでしょうが、一日くらいはゆっくり休んで体力をつけて下さいね。

その後のニュースで、最終票が高野博さん567票、阿部律子さん540票で、高野さんのトップとの差はわずか7票。2人を合わせた得票率は前回の15.19%から大きく前進して22.14%に達したことがわかりました。どれほど町民の共産党候補への信頼と期待が高かったかがわかりますね。
県議選でも石巻・牡鹿選挙区で共産党の三浦さんが第3位で見事初当選。自民、民主の現職を落としてです。被災地塩釜でも定数2のところ天下みゆきさんが第2位で当選。宮城県全体では前回の2議席から4議席へと倍増する躍進。被災地の復興と女川原発反対の大きな力になることは間違いありません。

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さて、以下は午前中に書いていたものですが、直すのもめんどうなので、そのままにしておきました。

昨夜で女川町議選、宮城県議選が終了、今日が投票日です。県議選と合わせた町議選だったので、期間も通常より長い9日間。高野さん、お疲れ様でした。最終日には「練り歩き」をやるといっていましたから、町民に囲まれさぞ圧巻だったろうと推測しています。ようやく私が行った6日から10日までの様子を公開することができますね。メモをとっていたので、そのまま紹介します。



11月6日(日)第1日。
さっそく高野さんの街頭演説カーに同乗させてもらって、状況把握にでかけました。
石巻に設置された仮設住宅前3カ所で演説。
「冬の寒さの対策をとらせなければならない。このままではとても冬の寒さをしのげる建て方ではない。選挙後は議会で町の復興の計画を進行することになるが、町民の声をもとに住宅建設や町の計画実現をはかることが必要だ。原発は5機のうち4機まで非常用電源が止まった。一歩間違えば福島と同じになったわけで、原発の危険を叫んできたことが現実のものになってしまった。原発をなくすためにも高野を町議会に押し上げてほしい」
暗くなってからの演説であったせいか、はじめは誰も聞いていないように見えましたが、20戸くらい連なった長屋状の仮設住宅のいくつかから住民が出てきて熱心に聞き始めました。
次の仮設でも同じ。いろんな地域から入居しているために周りの目を気にしているという話も聞きましたが、「がんばってね」「応援してっからね」という声があちこちからかかりました。
さすがに40年のキャリア。しかし、400人の支持者のうち、160人が亡くなったために、選挙はマイナスからの出発です。しかも応援もほとんど期待できない選挙ですから、高野さんは「はじめて選挙に出たときみたい」と感想をもらしていました。
あしたは、選挙カーの運転手のようです。8時出発、夜7時過ぎまでの活動が待っています。
夜は石巻のOさん宅で留めてもらいました。

11月7日(月)第2日。
仮設住宅前で高野さんがマイクを持って演説を始めると、きまって何人かが家から出てきて演説をきいてくれます。世話役活動を続けてきた長い長い歴史が、1人1人の気持ちに伝わっていることが実感されます。
とりわけ、狭く不自由な仮設住宅暮らしを強いられている人々にとって、高野さんの議会での努力がどれほどありがたいか痛いほどわかります。しかし、女川も地縁血縁がらみで表には支持を出せない人も多いと知らされました。これまで全くつながりのなかった人に新しい支持を広げなければならないわけですから大変です。
高野さんの選挙の仕方は、10箇所以上での個人演説会とのべ100箇所近くの街頭での演説。
今日は2カ所で個人演説会。うち一カ所は20人、次は11人の参加でした。




次第に集まる人が増えてきているといいます。個人演説会がすべて終わる頃には百数十人が(9日現在111名)が直接個人演説会に足を運んでくれることになるでしょう。
話のあと懇談に移ると、きまって次々と出されるのが仮設住宅の作りの貧弱さ。「隙間から風が入り込む」とか、「向こうの光が見える」、「きしみが激しい」、「入居してすぐなのにもう老朽化している」とかという信じられないような話ばかり。直ちに行政に改善を求めていくという高野さんの決意に一同深くうなずいていました。そこで聞いた要望のうち、すぐに改善すべき項目は直ちに町に申し入れるというのが高野さんの流儀です。


浜で「ほたての耳つり」をしている漁師さんたち十数人の中で懇談している中で、その1人が「こうして漁が再開できるのはうれしいが、原発で何か起こればそれで終わりだっぺ」という声があったということ。豊かな海を原発で汚されたくないという漁師たちの痛切な思いが伝わってきます。


高野さんの話は具体的で住民に寄り添う立場が鮮明。住民の方も絶大な信頼を寄せていることがわかります。最初の頃は共産党というだけでそっぽを向かれる時期が続いたということ。それを1つ1つ道理を尽くして打ち破ってきたわけですから、こうしたつながりをつくってきた高野さんご夫妻の努力は並大抵のことではなかったでしょう。議員の活動とはすべからくこのようであってほしいという典型だろうと思います。

夜は事務所で1人残留。十月の支援のときはみんなでごろ寝をしていましたが、今日は1人。午後九時すぎ、津波で流され静まりかえった周りはまさに異空間です。今日は早く寝て、明日は早起きをして散歩することにしますか。

11月8日(火)第3日。


午前中はフリーだったので、針の浜で世話になったKさん宅におじゃましてご両親と話をしてきました。
父親はちょうど仕事のために山に入り重機のそばで立っていたときのこと、この世のものとも思われない揺れに襲われ、杉の花粉が地震の縦揺れのためかノコギリのように何度か木立の上に立ち上るのを目撃したと話していました。
選挙の話になって「高野さんは神様みたいな人だ」というのには驚いた。帰ってから「とうとう神様になったね」と冗談めかして言うと、隣にいた人が「それじゃ奥さんは仏さんだね」とますます調子にのって大笑い。
その後、最近店をはじめた魚市場に飛び入りし、寿司を買いながら池田で予定しているイベントのサンマの仕入れについて情報を得てきました。そこでは最近昼食時に寿司も出しており特上で1600円。なかなか良心的にやっているように見えました。大口の卸が専門だという主人は、いろんなところから支援をもらってありがたいと話していました。

午後からは車の運転手として個人演説会場や街頭での演説に出かけました。
石巻市にも女川町の仮設が何カ所か建てられています。そこではたくさんのお年寄りが駆けつけてくれ、会話しながらの説明にいちいちうなずいていました。


寒い中暗くなってからの街頭演説でも、わざわざ外に出てきて「がんばって、応援してっから」と手を振ったり握手を求めたりする人が絶えません。どれほど彼が信頼され頼りにされているかを目の当たりにして、ジンとくるものがあります。石巻から県議選に出ている三浦さんも同じように、町の人たちが待ちかねたように集まってくるという話も聞きました。
多くの支持者が亡くなっても、それに倍する支持者を作り出していく彼の活動こそ日本共産党の姿なのだと思わないわけにはいかない。何とかして高位当選を果たし、東電や高野さんの追い落としにかかっている勢力に一矢を報いてほしいものです。

11月9日(水)第4日。
「本当に困っているときにニンジン一本、大根一本を届けてくれたのは高野さん。これがどんなにうれしかったか。どの党だからではない」。その一言がこの選挙のすべてを物語っているような気がします。
浜に行ったときに、働いているほとんどの人が高野さんのまわりに集まってきて懇談がはじまる。それはある意味では驚異的な光景です。もちろん長い長い年月をかけて築いてきた信頼関係なのでしょうが、高野さんに言わせると「ただ頭を下げていただけだ」ということになる。


「高野さんは、ずっとまえから人の話に耳を傾けてくれる。話を聞いてすぐ行動に移してくれる。他の町議はそうではない」という人もいたし、今日も仮設住宅を回っていると、高野さんが来たというだけで寒い中外に出て歓迎し励ましてくれる。それはほとんど親しい身内感覚、いやそれ以上かもしれません。だから、応援に来た誰もが逆に励まされて帰ることになります。


ちなみに2枚目の写真は浜に建てられていた津波の碑。昭和8年3月3日三陸地震・津波を記念する碑です。それには「大地震のあとには津波が来る。地震が来たら津波に用心」とありました。
3枚目は、浜で「ほたての耳釣り」をする地元のみなさん。ほたての稚貝をつるすための準備です。






早くに建てられた仮設住宅では、結露がすごいという。「窓はもちろん鉄板の壁面にも露がついて、布団さえぬらしてしまう。朝の仕事はまず結露を始末することだ」という話も聞きました。
個人演説会では「風呂の追い炊きができないので、はじめに入る人は45度くらいにして入る」とか「3.11の午前中に山へ逃げる避難階段ができあがって、それで命拾いした」「港に船が入ってこないと女川はだめになる。大きい会社を1つでも2つでもつくってほしい」などの意見も。


おそらく仮設住宅に入っている3,4割の人から頼りにされているのではないかと思われるほど。当選はもちろん、圧倒的な支持で当選を勝ち取るのではないかと思われました。
しかし、当然のことながら油断は禁物。他候補は「高野は大丈夫」を常套手段にして票をかすめとるわけですから、気をひきしめて最終盤をたたかわなければなりません。
町民はこの震災で誰が何をしたかを一番よく見ている。自分のことはさておいて、町民のために身を粉にして奔走した人が高野夫妻であり、阿部律子だったことを見抜いている。前回までと異なっているのはその点。隠れた支持がどれほどあるかわからないほどです。
だから、選挙はまさしく日常活動の結節点、集約点なのです。全国に高野さんの教訓を伝えなければならないでしょう。

今日でミッションは無事完了。あしたはサンマの予約をして帰途につきます。
夜は高野さんの「新居」(3階建て仮設住宅の3階)に招かれて夕食をごちそうになりました。サンマの刺身がうまかった。ごちそうさまでした。
最後になってようやく仮設住宅に入れたわけで、そのくつろぎの気持ちはひとしおでしょう。一階建てプレハブとは異なって結構頑丈にできていて、外観はちょっとしたアパート。中もそれなりにつくってはありましたが、狭さやしつらえの悪さなどはこれからだんだんはっきりしてくることでしょう。
ともかくぐっすり足をのばして休めるわけですから、選挙戦の疲れをとってほしいと願っています。



11月10日(木)第5日。
いつものように朝早く起きて、事務所の掃除、朝食、後片付け。その後帰り支度をしました。7時過ぎには高野さんが事務所にやってきて、8時には選挙カーで街頭演説に。
「吉報を待っています」と挨拶をして、私は帰途につきました。







  11月12日(土)    
今夜の塾のこと、1人の高3の生徒が数学T/Aのセンター実物テスト(2009年度過去問)ではじめて満点をとりました。嬉しくて興奮冷めやらぬ顔で「全国一なんだね」という。「そうだよ、額に入れて飾っておきなさいね」と私。
センター試験で満点を取るのは私でも難しい。「ひょっとして先生に勝った?」というので、「今回はいっしょだったよ」というとがっかりしたような顔をしていました。
センター試験は、せめて毎年このくらい素直な問題であってほしいものです。ただし、この子は数学U/Bでは満点にははるかに及ばなかった。でも、8割超えは時間の問題でしょう。がんばりなさいね。

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ところで、昨日、今日とたて続けにfacebookからお知らせメールが届くようになりました。送り主を調べてみると、当然のことながら知らない女性。文面の書き出しは次のとおりでした。

いきなりメッセージをしてしまってごめんなさい!
どうしてもお話したいことがあってメッセージを送りました。
facebook内ではちょっと話づらいことなので、直接メールが出来ればと思います。


何じゃこれは。「メッセージをする」なんて日本語あったかしら。
1回目は、もう少し巧妙な言い回しだったので、興味半分で「手口」を知りたいと思い、用件だけ聞くことにしました。すると、送り主はある有名女性タレントのマネージャだという。
「そのタレントが精神的に参っていて、facebookの外で話を聞いてほしい」という返事が直ちにきました。
「facebookの外で」というところがミソ。「マネージャーがこうした相談をするのも事務所にバレそうで、すぐにメールも使えなくしなければならない」とも書いていましたから、自分が何者かがばれないようにしているのでしょう。結構な念の入れようです。そして、「あとは直接そのタレントと連絡をとってほしい」と、有名タレント役の別の人間にバトンタッチ。ここまでくると意図が見え見えですよね。
どこかの貸し部屋で何台もパソコンを並べ、他人のアカウントを盗んで数人の男が若い女になりすましてfacebookであまり友人のなさそうなのを見つけてはメールを書き送っている姿が見えます。「オレオレ詐欺」のやりかたといっしょ。
ただ、手口はきわめて巧妙で、なぜ相手が自分なのかなどと思わせず、このメールが怪しいと思ったならすぐに削除してくれていいなどと書きつつ、件の「タレント」へと誘うのですから、こうした手口を知らないとついその気になってしまうかも。

facebookは実名で交流するサイトですから、私もちょっと色気≠出しすぎたかもしれませんが、その段階でメールを削除。
ところが、翌日違うメンバーからまた同様の趣旨のメールが来たではありませんか。しかもほとんど同じ文面で。全く懲りないグループのようですよ。私はこの段階でfacebookのアカウント(ログインする権利)を停止してしまいました。私の写真、物欲しそうな顔をしてましたかねえ。少なくともヒマそうには見えたのでしょう。
全文を知りたい方はこちらまたはこちらのサイトへ。「facebook 詐欺メール」で検索すればいくつも出てきますよ。

結局のところ、こうした詐欺メールのねらいは、上のサイトでも指摘しているとおり、おそらく私のようなヒマなオジ(イ)サンを「かわいい女の子」のさそいの網に引っかけて、身ぐるみ剥いでやろうということなのでしょう。結局ある有料サイトへ誘導して自動的に課金させる詐欺であることは間違いなさそう。早く摘発してほしいものです。
ともあれ、余り使われていないアカウントが盗用されている可能性も高いので、facebookの管理に相当問題がありそうな気がします。ご用心、ご用心。



  11月11日(金)    
「TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入る」と「事前協議」であるかのように印象づけながら、実際にはTPPへ前のめりの姿勢を鮮明にした今日の野田首相の会見。
asahi.comは「首相が事前協議を強調したのは、民主党内の反対派に配慮した面もある」などと「反対派への配慮」でこのような表現をとったと見ていますが、国民的な反対のうねりをうけてそう表現しなければ参加に持ち込めないと踏んだだけで、こんな表現は欺瞞以外の何ものでもありません。民主党内の「反対派」がこれをもって「勝利だ」などと考えるとすれば、それもまた国民を愚弄するものでしかないでしょう。
日本がTPPに加わるとすれば、参加国の中で日本とアメリカだけでGDPの9割を占めるわけですから、どこに向かって「開国」するかは明らかでしょう。
アメリカは農産物の輸出国、ニュージーランドもオーストラリアも牛肉や乳製品の輸出国。工業製品はすでに関税はほとんどありませんから、結局アメリカの要求を丸呑みするほかありません。アメリカは、農業生産物だけではなく、医薬品や医療保険などの「非関税障壁」も当然強烈に要求してくるでしょう。唯々諾々と対日要求に従う与党政権ですから「これほど御しやすい国もない」とアメリカは思っていることでしょう。

国レベルでのこの体たらく、地方に目を転ずれば大阪市での橋下のおおはしゃぎ。富山弁ではこれを「ずこいきり」という。
10年経たずして、この国は荒廃し尽くし再起不能になるのでしょう。土地は荒れ、全国が地盤沈下、そのときは一体誰がその責任を取るのでしょうね。
TPPに賛成している全国のみなさん、橋下に投票するかもしれない大阪のみなさん、10年たたずして、またあの「想定外」ですか?「そんなはずではなかった」とつぶやくのですか。あのKOIZUMIで懲りたんじゃなかったんですか。そんな話もういい加減にしません?

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昨夜女川から無事帰ってきました。初日は雨でしたが、その後は良い天気に恵まれて、しっかり任務を遂行することができました。といってもぜんぜんたいしたことではなくて、選挙カーの運転手をしていただけ。
現地ではまだ選挙中なのでくわしいことは書けませんが、候補者と有権者の結びつきの強さ、信頼感の強さにただただ感激していました。地域での議員の活動の1つの理想的な姿を彼はつくってきたのですね。候補者と被災者との交流の中で、何度も目頭が熱くなりました。
くわしく書きたいのですが、選挙に支障があると困りますので、当選後にくわしくお知らせすることにしましょう。


私が不在の間に、池田のネットワークのみなさんは乾燥させておいた衣類をすべてきれいに梱包してくれました。
Mさんからいただいたメールでは、参加者は10名。女性用、男性用、子ども用、ハンガーなどと分類して梱包し、全部で19箱になったとのこと。本当にお疲れ様でした。
約束通り、選挙が終わり場所が確保できたなら、さっそく送ることにしましょう。ぜひ、地元のみなさんやボランティアのみなさんの助けを借りて、青空バザーをひらいてください。よろしく。



  11月4日(金)    
大使館勤務の夫とともにタイにいる姪っ子の様子(水害)が心配で実家に電話したら、「住んでいるところは全く心配ない」ということだったので一安心しました。その後、彼女からブログへの招待メールが届いたのでさっそく見てみると、確かにテレビで放送されているようなこともなく、子どもたちはハロウィンを楽しんでいるようでした。
ブログによると、日系のスーパーでも一時買い占めがあったりしたようですが今は落ち着いているとのこと。しかし、水がバンコクに迫るにつれて全学校が10月末から11月6日まで臨時閉鎖されたり、他の地域では停電がずっと続いていたりしているそうで、情報収集を的確にしていくことが必要だとも書いてありました。ともかく無事でよかった。早く水害が収束することを願っていますね。
下の写真は、ハロウィンで仮装したの上の子(左)とお友達。いやはや可愛いこと。大きくなったものだ。


さて、今日は朝からまたスペースゼロにでかけて、今度は女川から持ち帰った大量の衣類を乾燥させるためにスペース一杯に梱包を解いて並べる作業に汗を流しました。
雨のために沢山の衣類を女川の人に渡せないまま残ってしまい、しかもごちゃごちゃになってしまったために、どうしてももう一度乾燥・再梱包の作業が必要になっていたのです。
今日も沢山の女性の方が応援に駆けつけてくれ、数の力で午前中には完全に目途をつけることができました。もはや、ネットワークメンバーとボランティアなどという区別をする必要もなく、すべてネットワークメンバーとして対等に対応していくべきだという思いを強くしました。
このあと、10日午後には乾燥を待って再梱包、女川への発送という手順になります。

午後からは、今回の支援活動の報告チラシを印刷しました。印刷したチラシはB4裏表4000枚。さすがに長時間かかりくたびれました。これは月曜日に信濃毎日新聞および読売新聞に折り込まれます。
私たちのネットワークの力量は、活動の報告をキチンと行うことで遺憾なく発揮されているといえるでしょう。たいていはやりっ放しということが多いのですが、支援物資や義援金をたくさん提供してもらった以上、何らかの方法で町民に結果を返していくことは何をおいても必要なことだと私は思います。




ちらし表(pdf)
ちらし裏(pdf)

女川では、ただいま町議会議員選挙、県議会議員選挙、町長選挙というトリプル選挙の真っ最中。友人の高野さんが10期目の町議挑戦で奮闘中です。本人からのたっての要望もあって、あさってから女川に出かけて応援をすることにしました。
この前は「池田町民ネットワーク」という団体の事務局長としてでかけたわけですから、高野さんに橋渡しのお願いをすることはあっても選挙とは全く関係なく、こちらの団体として主体的かつ公平・公正に女川町民に接するという態度を貫いてきました。その甲斐あってか、昨夜友人から「女川の役場の職員が、『池田町からの支援は量といい公平さといい、大変素晴らしいものだった』と話していた」という連絡がありました。このように評価してもらえることはとても嬉しいことだし、ネットワークメンバーの懸命の奮闘が報われたと思います。

しかし、今度は友人高野博であると同時に、日本共産党候補高野博の応援です。私自身、前の行動とはそれこそ厳密に区別し、ネットワークの行動と混同しないように気をつけながら、彼の応援をしてこようと思っています。
彼が40年にわたって女川原発の危険を一貫して訴えつづけ、しかも数々の実績を積んできたことは、単に女川だけの誇りではありません。今度の震災で危機一髪だった女川原発をどうするか、これが今度の大きな争点の1つであることはまちがいがない。その意味では高野さんは町にとって必要不可欠の人物なのです。
そして、もう一つは町の再建をどのようにすすめるのか。これも彼をおいて語れる人はいないでしょう。財界・企業に媚びをうり、県民・町民に背をむけた県政のもとですからなおのこと、自治体を町民のよりどころとするには彼をおいて他にはいません。
しかし、選挙はなかなか厳しい。それも支持者の多くを津波で失い、ほとんどゼロから出発しなければならないからです。そして前回16だった定数が今回は12。電力会社関係や他の政党からの高野大丈夫論やさまざまな反共攻撃が予想されます。
被災者支援に誰が一番熱心だったか、誰が徹頭徹尾住民の立場にたって原発と闘いを続けてきたか、心ある住民ならはっきりとわかる選挙です。高野最高点当選をかちとることで、それらへのキッパリとした回答としなければならないでしょう。



  11月3日(木)    
テレビ朝日系夜9時からの「ドクターズ最強の名医」がなかなか面白い。「天才医師」が主人公という設定はありふれたものですが、そのキャラクターがユニークで、人が変わるとはどのようなことなのか、どのような条件が必要なのかをわかりやすく見せてくれるし、医者にとっての診断や手術の技術は、それだけでは意味をもたないことを教えてくれるという意味で見応えがあります。「悪役」が板についた感のある高嶋政伸の演技がさえていて、次を楽しみにさせてくれます。あの「ホテルマン」の頃のにこやかなキャラクターからは想像すらできないすごみがあって、良い役者になったなあと実感させますね。

さて、テレビの世界はともかく現実の世界は、ギリシャの「追加支援を受け入れるかどうかを問う国民投票」の行方を固唾を飲んで見守るきわどい展開に。12月4日に実施されるこの国民投票は、国内で高まる国民負担への反発を回避し、国民の判断で「ユーロ圏にとどまる」選択を迫るものになっているものの、全く予断を許さない情勢です。
もし仮に否決されれば、玉突きのように欧州での経済・金融危機から世界恐慌に発展する危険を内包していますから、深刻な事態が懸念されます。
思い出すのは、今から20年以上も前のこと、ギリシャを旅行したことがありました。アメリカがてこ入れした軍事独裁が崩壊したあとで、左派のアンドレアス・パパンドレウが首相の頃。イタリアやフランス、ドイツにくらべて、街並みが雑然として貧しさを感じさせていることに強い違和感を感じたものでした。街を走っている車はほとんどがトヨタ、ニッサンなどの日本車であったことも驚きでした。2010年に統計操作による巨額の財政赤字隠しが発覚したことで、金融危機が発生したことは記憶に新しい。
G20に参加した我がドジョウ閣下、ギリシャ情勢で欧米首脳があたふたしてさっぱり影が薄く、ギリシャ情勢によってはいっそうの円高が想定されるけれども果たして出番があるのかどうか。

国内ではにわかにTPPでNHKなどが賛成派・反対派をあつめての討論会などを始めています。「参加しないことにはいいも悪いもない」みたいな論調でTPPへ無批判に入り込んでいこうとしているのですから、ある人の言い分じゃないけど「賛成派は責任をどうとるつもりなのか!」。
中野剛志さんあたりなら、「ぜ〜んぶ自己責任の新自由主義だから、だれも責任とらなくていい。やばいですねえ」となるのかな。
日本農業が壊滅的になろうが、それは国内の政策の失敗であって、TPPに参加したからではないと賛成論者は言い逃れようとするのでしょう。
TPPに日本が加われれば日米だけでGDPの9割を占めることから、結局日本がアメリカの意のままにされるというきわめて切迫した事態が進行しているにも関わらず、「アメリカははじめは日本が入ってくるなどと想定していなかった」などとして、アメリカの意図を免罪する論調さえあります。
気になるのは、賛成派のどの論調にも「経済主権」「食料主権」という最も肝心な点を顧慮する姿勢が全くないこと。とりわけ自国の農業をほとんど壊滅させる危険を持つTPPを、一部の輸出関連企業のもうけのために投げ捨てることほど愚かなことはありません。
さきの中野さんの言葉をかりれば次のようになる。さあ、1%の可能性があるなら、やっぱり行動に移すしかありません。

TPP推進論者のほうがお化けなんですね(笑)。きっと妖怪人間ですよ。「早く植民地になりたい!」(爆笑)。
ねえ。笑い事じゃないんだけどさ。笑っちゃいますよね。今そういう状況なんです。
でもねえこれ本当に笑うしかなくて。もう、ハッキリ言って、TPPはもう99%手遅れですね。1%ぐらいは逆転のチャンスはありますけども。まあ、ほぼ手遅れなんですよ。もう交渉参加ありきで、1年前から、えー進んでるわけです。




  11月1日(火)    
濃霧の中で明けた今日、11月1日。霧の深い日は、上天気と相場が決まっているので、霧が流れていくのを待っていたら午後9時頃にはすっかりきれいな山が見え、さわやかな秋晴れになりました。
今日は、1ヶ月ぶりくらいになるのでしょうか、本当に久しぶりにバラ園の手入れに出かけました。朝早くから今日夕方開くネットワーク事務局会議の議案を準備していたために遅れて、10時半頃にバラ園に。すでに3人の女性がいつものように草取りをしていました。
日当たりがいいせいか、まだあちこちでバラが美しい花を咲かせています。太陽に向かってバラ園を眺めると、バラの葉がキラキラ輝いてとても印象的でした。その中の女性たちもまた素敵に輝いていましたよ。
東京から月に2回くらいずつ池田町にサイクリングに来ているとご夫婦がバラ園近くで休んでいて、「素晴らしいところですねえ」とため息混じり。そりゃそうですよ。このバラ園は日本でも類のないくらいの最高水準のロケーションにあるのですから。今日はまた特別に安曇平とその背後の北アルプスが美しい日でしたし。

これから冬に向けてはいよいよ来年度の植え付けの準備にとりかからなければなりません。バラの会の代表としては、今後の運営の流れを決めてみんなにはかり、一つ一つ的確に園の整備を進めていくことが求められます。被災地支援が一区切りしたうえは、こちらの方にそろそろ重点を移して、2年目のバラ園が池田町でそれなりに評価され、見に来てもらえるようにしましょう。
今日のバラ園の様子をごらんください。一番下はこのバラ園のシンボル「アンネのバラ」です。

























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