bottom

azumino.jpg


  1月31日(木)    
庭の通路を凍るままに放っておいたら、今朝も霜柱が分厚く立ってガタガタの状態。凍っては融け、融けては凍りのくりかえしで、土も相当にくたびれている様子です。


29日から今日までの3日間、妻と一緒にウオーキングをしています。弱った足腰を鍛えようと一念発起、自宅の周辺を散歩しようと決めたのです。さていつまで続くことでしょうか。雨の日は、ウオーキングマシンがあるのでそれで代用できるし・・・。
この3日間は1日約4キロ、小一時間散歩しました。29日と今日は日中だったために終わりにはちょっと汗ばむくらいでしたが、夕方歩いた昨日は頭が痛くなるほどの寒気で、終わりまで汗もかきませんでした。
1ヶ月、2ヶ月と続ければそれなりに効果があるのかどうか。何しろ下半身が80〜90歳くらいの状態ですから、上半身とのバランスをとらないと将来が危ぶまれます。


さて、今日の「しんぶん赤旗」一面トップに、旧日本軍の「慰安婦」問題でアメリカNY州議会が決議をあげたというニュースが載っていました。
この決議は、同州にある公園内に「慰安婦」を賞賛する記念碑が設置されたことを受けたものとされ、「20万人の若い女性が脅迫されて、強制的な軍による売春行為である『慰安婦』に組み入れられた」と書かれているといいます。
日本の靖国派のみなさんはこれを聞いて、目をむいて怒り狂っているのでしょうが、こうした決議が「盟主」であるアメリカであげられること自体日本政府にとっては何とも恥ずかしいことではないのでしょうか。
「従軍慰安婦」はすべて当時の公娼であり軍の関与はないとする日本の右翼的な潮流のみなさんは、旧日本軍の行為が国際的にどう見られているのかには想像力の及ぶはずもなく、また、自己の犯罪的な行為を検証することすらできないわけですから、また繰り返す恐れすらあるというものです。

私はこのニュースを聞きながら、さて、日本においてはこれまで、アメリカの原爆投下や無差別空襲というジェノサイドへの抗議の意志表示をしてきたのだろうかと思うのです。
「戦争を終結させるために」というまことしやかなウソがアメリカでは原爆投下の理由とされ、真実が隠されていることにもっと声をあげていいのではないかとずっと思ってきました。
戦闘員、非戦闘員の区別なく無差別に殺戮した戦争末期のアメリカの行為は、当時の国際法にてらしても合理化できるものではありません。
日本の都道府県の県議会が今回のNY州議会の決議と同じく、アメリカの非道を決議するということがあってもいいのではないか。
これは「慰安婦」問題での報復などというレベルのものでは決してありません。それどころか、アメリカの無差別爆撃や原爆投下を招いた責任の一端は当時の日本の支配層も担っているわけですから、自らの侵略行為とむすびつけて原爆投下問題に切り込まなければならないでしょう。
果たして今日の日本でどれだけの議会がそれを敢然とやり果せるのか。それができたら、日本はもう少しまともになるのではないかと私は思います。



  1月29日(火)    
昨夜は月明かりに北アルプスの稜線が冴え冴えと浮かび上がり、厳冬の季節を実感させてくれました。気温は一頃よりは高めですが、それでも朝は氷漬け。朝出かけるときはまずお湯を車にかけなければなりません。めんどう。

さて、今日29日は私の67回目の誕生日。父が亡くなった歳でもあります。ガンで無ければもっともっと長生きしたであろうに、さぞ無念だったろうと思うと、それより長く生きられるというのは父へのせめてもの手向けかなとも思われ、心して生きなければと改めて念じています。

夜更けに病院の母から電話があり、父が危篤だと知らされ家族全員で車を飛ばしたこと、病院に着くと心臓マッサージの最中。それを傍らで見ながら一瞬血の気が引いて気が遠くなった記憶。それに先だって、ガンの手術直後にコブシくらいもある腫瘍を見せられたこと、口が渇くからと母が水を脱脂綿に含ませて口をすすいでいたこと、文句1つ言わず黙って病魔とたたかっていた父、そして臨終の間際に「もうだめかもしれない」と母に筆談し、最後に「ここはどこだ」と一言もらしたという話を母から聞かされたこと・・・いろいろ思い出します。

それから30年近くもたって、今度は私や妻がいつどんな病あるいは事故でどうなるともしれない歳になったことを、少しずつ考えるようになっています。そのころまだ子どもたちは小学生。彼らの祖父の死を聞いて廊下で泣いていたことを思い返します。その子ども達もちょうど父が亡くなったときの私や妻の年齢となり、孫はその当時の子ども達の歳に。
この一年、いったい何ができたのか、できなかったのかをしっかり問うことも無く、体をいたわることもせず、漠然と生きてきたのではなかったのか。少しばかり今年は深刻に自身の有り様を問うているのです。さりとて、明日からそれほど変わる訳ではないような気もしますが、身体に相当ガタがきているからには、毎日歩いている人や走っている人、身体作りをしている人たちのまねをしたいものだと、妻と話しあったことでした。


昭和天皇が亡くなった年に、雑誌「世界」で井上ひさしさんが一文を書いています。「世界」の例の憲法特集号で今日拾い読みしながら、うんうんとうなずいておりました。
天皇が亡くなったちょうどその日にイギリスにいた井上さんが、海外からその日の日本や天皇の死がどう見られているのかを綴ったものなんですが、日本の中にいて見たり聞いたりしていることとはずいぶん違う受け止め方、見られ方をしていると実感したことがいろんな例をあげて書かれていて実に興味深かった。
私たちは、外からの目ということをあまり考えたことはありません。たとえば、安倍内閣の評価でも、今回のアルジェリアの事件のことでもそうですが、アラブ圏ではどう見られているのか、ヨーロッパ各国ではどう見られているのか、アジア各国ではどうなのか、ともかく私たちには知ったことではないというのが大方の頭の中でしょう。
だいたい日本のジャーナリズムというのが、そう仕向けていますから。また、海外の目をしっかり踏まえた報道ができない(しないのではない)状態が続いていますから、しかたがない面もあります。それでも、海外に行ったことがある人なら、必ず何らかの反応を受け取るはず。
ひるがえって、現在の我が町の現状を見るに、結局狭い枠に閉じこもって、外の自治体がどのように町づくりにとりくんでいるのか、どんな背景、どんな流れ、どんな考えがそこに注がれているのかを知ることができない状態になっています。
たとえば、今度の「社会資本総合整備計画」について、形だけを整え、つじつまだけをあわせて、一体どうしようというのでしょうか。破綻したときの責任は誰もとらないですむ。形は整えているのですから。おそらくこのまま進めば、数年もたたずに隣町の松川村にすべての面で大きく水をあけられ、他市町村からはほとんど相手にもされず、ただ北アルプスの景観だけをたよりにしていると見られることになるでしょう。
それは、単に行政だけの責任ではありません。他人との関わりの深さ、共同体への思い、そして子どもや孫への責任といった一人一人の町民の生き方が問われる問題なのです。人々の思いを乗せなければ、どんな「町づくり」も魂をこめたものにはなりえません。



  1月27日(日)    
センター試験が終わり、高3生の授業がなくなって一週間にかなり余裕がでてきました。そこで、私がいまやっていることは、1つは今から10年ほど前までコツコツとためこんだ膨大な映画のビデオテープを取り出してきては見始めていること。
ここ数日の間に「モンテ・クリスト伯」と「ホロコースト」を見ました。「モンテ・クリスト伯」は2002年のアメリカ映画。言わずと知れたアレクサンドル・デュマの名作の映画化なのですが、私にとっては子どもの頃に聞いたラジオの連続放送劇がいまだに耳から離れず、つい懐かしく見てしまったという次第。
それにしても、子どもの頃の「巌窟王」、「アイバンホー」、「紅孔雀」など次回を待ち遠しくさせる演出が憎らしく、心を躍らせて待っていたものでしたね。
それとは全く対照的に、「ホロコースト=戦争と家族」はまさにその名の通り、ホロコーストの実態を告発した映画。歴史修正主義者たちには観たくもない映画でしょうね。
ユダヤ人一家、ワイス家の運命を軸に、レジスタンスに立ち上がる人々の姿も織り込みながら、同時にナチ親衛隊に加わりユダヤ人虐殺に手を染めていく弁護士エリック・ドルフの姿を通して、ナチの心理状態なども絶妙に描き出しています。各所に目を背けるような写真、実写かと思われるような殺戮シーンなどがあって身の毛がよだつ映画です。
なかなかいい映画を録画したまま、倉庫入りしているので、これからも少しずつ観ていこうと思っているところ。

さて今日は午前注から数時間かけて、懸案になっていた昔々のプリンターの修理に取りかかりました。
といっても、動かなくなったわけではなくて、あまりに長い間使わなかったので、インクの目詰まりを起こしてしまったのです。どれだけヘッドを掃除しても全く印刷ができなくなっていました。
マックの古い機種で文章を作成すると、それを印刷する手段がありません。そこで、古いエプソンのPM200Cというプリンターを今一度使えるようにしようと考えたわけです。

すでにネット上で情報をゲットしていたので、それを参考にプリンターを部分的に解体するという作業です。何しろ、プリンターの分解は初めてなので、わからないことだらけ。でも終わってみたら、意外と簡単でした。
作業はカバー部分を取り外し、ヘッド部分を取り出し、しばらくアルコールに漬けてこびりついたインク滓を溶かして取り除き、再びプリンターに戻すというもの。何度か少しずつ手順を伸ばしていった(少し分解してはまた戻し、次回はもう少しすすめてまた戻し・・・というやりかた)ので、結構楽に作業ができました。
終わってプリントしてみたら、見事に復活。やったね。

なぜこんなアホらしい作業にこだわったかというと、古いマックにしかないあるワープロソフトのファイルを印刷したかったからなのです。そのソフトとは以前も紹介したことのある「ORGAI(鴎外)」です。エディタとしても使えるし、縦書きの原稿用紙対応、しかも原稿用紙の枠も印刷できるという優れものなのです。
このソフトは物書きには愛用され、往年の名作ソフトとして知る人ぞ知るソフトでした。しかも軽快に動いてくれる。懐かしむ人もたくさんいます。
いや〜〜、マックには本当に優れたソフトがたくさんあったのですね。私の願いは、使えるものはいつまでも使おうということ。さっそく妻が原稿を書きたいので使いたいと申し出てきました。よしよし。



  1月26日(土)    
夕方から細かい雪がちらついて寒さが厳しくなっています。風があるので、縁側にも吹き付けて、これまでとは少し様子が違います。今回の低気圧は日本海側沿いを通過したために、南西からの風が送り込まれているからなのでしょうか。

今日はバラの会の定例総会。15人近くが集まって、これからのバラの会の活動について話し合ったり、顧問のEさんからバラの病害虫や消毒の方法などを説明してもらったりしました。
漠然とした知識しかなくて、消毒なども会員の一人に任せきりにしていたので、今年からはみんなの知識も増やし協力して病害虫を減らしていかなければと思わされました。
バラ園の今年の課題は、新しくバラを増やすことより、今までのバラ園や農園を整備・充実させることに力点を置くことです。会員は約20名と発足時の倍になり、オーナー会員も25名を数えるほどになりました。しかし、日常的に作業をしていく実人員はまだまだ不足、力量がたりません。したがって今年の第2の課題は、いかに協力してもらえる人を増やすかということ。いろいろ宣伝も工夫して楽しい活動が展開できるようにしようと話し合いました。
その後は昼食を囲んで大いに語り合い親睦を深めました。
バラの会は実益があり楽しいことが第一。集まっている会員の特技や趣味を生かしながら息の長い活動にしていきたいものです。





  1月24日(木)    
アルジェリアでのテロ攻撃によって、日揮職員の方々10人もの方が犠牲になってしまいました。一時は実名報道を控えてほしいという要望もあったようですが、現在までにすべてのメディアが実名をあげてくわしく報道していました。
犠牲者の方々に心から哀悼の意を表します。なくなられた方々の無念を思うと言葉もありません。
日本人と西欧の人質を狙い撃ちにした観のある今回の事件、周到に準備されたという報道もあり、是非とも全容解明を急いでほしい。
ただ、自民党がこれを好機とばかり「在留邦人の救出」を口実として武装部隊を海外に展開できるようにするための「自衛隊法改正」を持ち出しており、きわめて危険な動きが表面化しています。
在留邦人の保護、警備は現地の警察、軍隊との緊密な連携によって行うのが原則であり、それができないか、安全確保に信頼がおけないような地域には原則として民間人の海外派遣をしないようにすべきでしょう。
情報収集についても、アルジェリアのような地域では普段から有事の際の取り決めをしっかりしておくべきであり、安全確保については2重、3重の措置がとられるべきです。
自衛隊の派遣などは、憲法蹂躙になるだけではなく、逆に日本への敵意を増すだけであり、悪循環に陥ることになります。いったん派遣の実績が作られればあとは際限なくエスカレートすることは目に見えている。自民党の狙う「自衛隊法の改正」などはいかなる理由をつけようとも許してはなりません。

******************************

昨日NHKのニュースで、池田町で百条委員が設置されたことが報道されたと、人づてに聞きました。今日の新聞ではまた各紙がこれに関する記事を大きくとりあげていました。池田町の情けない状況は、県下に知られることとなったわけで、何とも複雑な気持ちです。

町の一部にはあいかわらず、「町長はそんなに悪いことをしたのか、調査するにしても百条委員会は必要あるのか」という擁護論が根強くあることも伺わせていました。私の考えはすでに述べていますから繰り返すことはしませんが、池田町の実態を知るには興味深いことではあります。

信濃毎日新聞
市民タイムス
大糸タイムス

ところで、この防災無線のデジタル化の問題もさることながら、町中再生の事業についてはなおさら、町民にはほとんど知られていません。町の担当者の説明でも、前回の策定委員会で町からの説明に2時間かかったというのですから、おそらく実質的な議論はほとんどなかったのではないでしょうか。
第2回目が今日。前回の策定委員会の議事録などは一切ホームページでも公表されていません。第2回目も含めて速やかに発表すべきです。
町のスケジュールでは2月に広報で知らせるとともに、ホームページでパブリックコメントを募集するというようになっていますが、これではあまりに杜撰。積極的に知ってもらう広報活動もせず、内容も、議論の中身も、町民に知らせないでことを進めようとするのは、どのような理由をつけようが認めがたい。
このような進め方をして、無線デジタル化と同様、あとで何か重大な問題が生じた場合誰がどのように責任をとるのでしょう。町の職員のみなさんは、町長や幹部から指示されたからそのように仕事をしているのだというのかもしれません。しかし、私は、今回の町中再生の事業は、町長だけではなく町の職員の方々すべてが関心をもち、住民と結びついて役場にフィードバックすべき問題なのであり、役場組織そのもののあり方が問われているとみています。
多くの町民がいろんな意見を述べられ、それらを生かしながら計画が練り上げられ、町も町民も納得して物事をすすめるやり方が是非とも求められます。役場がそうした手法に習熟することこそ、住みよい池田町をつくる土台なのではありませんか。
残念ながらこのままでは、池田町の未来は相当に暗いと言わざるを得ません。



  1月23日(水)    
プロ用ソフトのフォトショップ、イラストレーターで名高いAdobeが、認証なしでインストールできるCS2のすべてのソフトをダウンロードできるようにしてくれいます。もちろんシリアルナンバー付き。
友人から聞いたときは「ウソだろう」と思っていたのですが、見てみたらまさにその通り。認証システムが故障したために、ユーザーのためにとられた措置だということですが、巷では色めき立ってまるでお祭り騒ぎ。Adobeの太っ腹を歓迎するコメントやらサイトやらがあふれているのです。そりゃパソコン史始まって以来の快挙?ですからね。
私はMacもWindowsもCS2の正規ライセンスユーザーですからたいしたメリットもないのですが、よくまあこんな措置をとったものだと感心することしきり。Windows版は、7や8で使うことはちょっと苦しいのですが、Vistaくらいまでなら十分実用的。Mac版でも10.5位までなら大丈夫のようです。
単体で購入しても数万円から10万円近くするソフトを、ちょっとした知識のある人なら誰でもダウンロードできるというのも、どうかと私は思いますけど。
ユーザーだけにそうした措置をとるならわかりますが、まるで無防備にさあどうぞというやりかたですから、何か魂胆あるんですかねえ。
もちろんAdobeのサイトでは「不特定多数に向けて無償提供しているものではない」というコメントが発表されています。また、いつでも認証を取り消すことができる措置も講じられる可能性があるとも言われていますから、今後どうなるかは予断をゆるしませんが、1つの試みとしては実に興味深い措置であることはまちがいない。
Adobeアカウントは誰でも取得できる(たぶん申し込みが殺到?)ので、これから新しいバージョンを購入したいという方や、昔のWindowsXPやMacOSX10.4とか10.5を使っている人は試してみるのもいいかもしれません。ただし、自己責任で。
マイクロソフトも2003くらいはユーザーに無償でインストールできる措置をとってみたらいかがでしょうね。ついでに、昔のOSも使えるようにしてもらえるとありがたい。MacOSもお願いします。Appleさん。



  1月22日(火)    
実は、今日の記事として深夜に「八木秀次教授の憲法観」について長々と書いていたのですが、今朝の信濃毎日には池田町の「防災無線業者選定」問題をめぐる記事が載っていたので、急遽差し替えました。八木さんについての記事は、とりあえず別立てにして、リンクをつくりました。
八木秀次の憲法観

            *         *         *

池田町では、防災無線のデジタル化をめぐる業者選定問題で町長の不透明な動きが表面化し、議会でもとりあげられ調査に拘束力を持つ「100条委員会」設置がきまりました。これについての記事が今朝の信濃毎日新聞でとりあげられたのです。


議会での動きは18日にもローカル紙各紙で一斉に取り上げられ、町民の広く知るところとなっています。

信濃毎日新聞 1月18日
大糸タイムス 1月18日
市民タイムス 1月18日

今日の信濃毎日の記事は、各方面から取材して書かれたものなのでしょうが、それぞれに配慮しすぎたためか、初めてこの紙面に接する人は「もとから議会と町長には対立があり、今回もその延長線上の問題で、どっちもどっち」「町長にも言い分があるのだろうから、大げさに取り上げるまでもないのではないか」というような印象を与えてしまうきらいがあり、大変気がかりです。
議会は当然町政運営を厳しくチェックし、問題があれば町民にひろく知らせるとともに、町民の代表としてその問題点を明らかにし町政をただしていく責務があることは当然です。それを「対立」と描くのはどんなものでしょうか。
また、町長擁護の声もあるというのも、これまでの町長選やそれに先立ついろんな出来事をみるにつけても当然のなりゆきでしょう。しかし、その声があるのと、現在直面している問題をどう考えるかとは違います。
はっきりさせておかなければならないのは、あくまで「防災無線のデジタル化にともなう業者選定」問題だけなのであって、それを口実に他の問題で町長を陥れるなどというものではないということです。町長の行政手法についていえば、仮に体験済みであるとしても、今回の選定問題をめぐっての対応が問題なのであって、それ以外を合わせてとりあげることは間違いです。
また、町長は今回の選定について非を認めて謝罪してはいますが、「町民益」を考えてのことだったという釈明は撤回していないことも考慮する必要があります。

前にも書きましたが、問題点は3つ。これははっきりしています。
第1は、何故に事前(2日前)に一社だけに情報を漏らしたか。
町長は締め切り日を知らなかった、と言っているようですが、これは米国系企業への情報提供を説明していません。しかも外国企業の情報を得るためにアメリカ大使館に電話するというのはどういう経過があってのことなのか。
第2は、庁内で業者選定を行った審査会の答申をあえて無視し、棚上げして米国系企業のモトローラ社にこだわり続け、しかも庁内での説得にも全く耳を貸さなかったのは何故なのか。
この説明で使われているのが町長独特の「町民益」という言葉です。要するに、固定式の防災無線も移動式の消防無線もいっしょにやれば安上がる、だから町民益だという短絡した思考です。
そこには、審査会での詳細な審議も、消防無線とは周波数が異なるためにいっしょにできないことも、念頭にはありません。
もし町長の言うように突っ走っていたら、全く使い物にならない消防無線を発注していたことになり、それこそ大きな被害を与える可能性があったわけで、それこそ町民益を損ねることになったのではないでしょうか。
町長は言葉の使い方を根本的に間違えています。周りの意見も聞かず、自分の思い込みで行政を混乱させるのは町民益を損ねる行為に他なりません。
第3は、総額7億5千万円と見積もった事業計画に対して、3社の見積もりがいずれも3億円にも満たない額であり、その大きな食い違いはどこから生じたのか。これは主として町の行政サイドの問題でしょう。
これらの疑問点を解明していくことは、透明な行政を実現するためには必要なことであり、町長を追い詰めるとか、物事を過大に描いて騒ぎ立てるなどということとは全く次元の異なる事柄です。
たいしたことではないとか、問題がどこにあるのか分からないという言い方で、町長の責任を曖昧にしたりすることは、それこそ町民益を損ねることになるでしょう。事実を冷静に客観的に明らかにし評価することこそ現在の池田町に求められていることです。



  1月21日(月)    
今日は時間がなくて、センター試験の数学UBだけしか見ることができませんでした。解いた感触では、比較的易しい部類に入るのではないでしょうか。ただ、生徒たちにとっては、何しろ時間がなかったと思われます。前から主張しているように、これだけの内容を60分で解かせる意味はどこにあるのか、相変わらず私には疑問です。内容・程度はこのくらいにして、90分与えればかなりの改善になるのにと私は思います。問題を増やしては意味がありませんけれど。

さて、今日は知人が午後からやってきて、有機農業を仲間たちとともにすすめる一つの試みを話してくれました。とりわけ、若い世代の人たちが食と農についての関心を高め、自ら土に生きる道を見いだせるように援助を強めたという知人の話にはいちいち納得させられることが多かった。私も、協力できることがあればいくらでもしたいと伝えました。
我が家の近くには、ゲストハウスを営みつつ、シードバンク運動を手がける方もいるし、隣村にも有機栽培の大豆や小麦を使った「しょうゆづくり」に励む方もいて、今は点在するさまざまな試みがネットワークを通して大きな流れに合流する兆しを感じさせてくれます。
同時に、いまはまだ直接農業には踏み出せていなくとも、問題意識を持つ若い世代はかなりの数にのぼると思われます。問題は、それらの問題意識を吸収し方向を示すことができる舞台、場をいかに作り上げるかにかかっていると思われます。それぞれの主体性を認め合いながら、どの点で一致して流れを太くしていくのか、運動の進め方にもっと習熟することが必要です。
私自身は、たった200坪ほどの借用地でほそぼそと自家菜園をやっている程度でシロウトまるだしすから、貢献もできませんが、それでも、有機無農薬にできるだけ近い形で野菜やイチゴを作りたいという熱意だけは持っています。
「ただ作る」ことから、土作り、肥料や防虫などについての知識をうんと蓄える畑に、今年はちょっぴり近づけるようにしたいものだと思わされました。



  1月20日(日)    
昨日今日とセンター試験が終わりました。問題をまだ見ることができないので、何ともいえませんが、全力を出し切ってくれたことでしょう。結果はあとからついてくる。後は、目前の個別入試にむけて全力を尽くすだけですね。健闘を期待します。

夜のNHKスペシャル「高齢者漂流社会」は、日本の劣悪な社会保障制度のもとでの一断面を描き出していて、身につまされる思いで見ていました。まさに明日は我が身ということですから。
都会といわず農村といわず、貧困から孤立して家さえも失い行き場をなくす高齢者たち。北朝鮮や中国の格差、貧困を描き出すのに忙しい日本の大メディアも、この番組にみならって、多面的に生々しい現実を映し出していかなければならないでしょう。日本の貧困は今日の番組で紹介されていた程度をはるかに超えてしまっているのですから。
神戸では、大震災のあと、孤立死がとうとう1000人を超えたという報道がありました。公営住宅を追い出され、どこにもいけない高齢者も少なくありません。
普通にくらす私たちの誰もが、一歩道を踏み外せば同様の悲劇の主人公になる、きわどい社会をつくりあげてしまったという自覚が、もっともっと必要なのではないでしょうか。

私は今、「日本国憲法」を読み直して、憲法第25条の意味をあらためて考えています。

憲法第25
すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


これは言うまでもなく人権の中核をなす「生存権」を規定したものです。ただ、これはこの条文で単独であるのではなく、第9条とも、第11条、第13条などとも関連し、全体として国の果たすべき任務を厳しく定めているのです。
単に国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を持つだけではなく、国がそれを保障する責務があること、さらに、この国民の権利は単に「最低限度」の生活を営むのではなく、「健康で文化的」と言っていることに注目しなければなりません。

先に紹介した「日本国憲法を生んだ密室の9日間」では、憲法第3章「国民の権利及び義務」の草案がどのような議論の末に誕生したのかの一端を書き留めていて、実に興味深いものがあります。詳しく書く余裕はありませんが、これらの人権条項のいくつかを執筆したベアテ・シロタさんの原案は詳細かつ具体的にして世界の到達点をすべて網羅したような条文でした。
一つだけ例を示せば、現行25条につながるベアテさんの書いた27条は次のようなものでした。

老齢年金、扶養家族手当、未婚の母の手当、事故保険、健康保険、傷害保険、失業保険、生命保険などの十分な社会保障システムは、法律によって与えられる。
国連組織、国際労働機関の基準によって、裁定の基準を満たさなければならない。
女性と子供、恵まれないグループの人々は、特別な保護が与えられる。
国家は、個人の責任や義務を怠ったことによる場合でないかぎり、国民を守る義務がある。


人権に関する条項は、その後も民政局内での激しい議論を経て次第にまとめられ、現行の条文に近いものに仕上げられていきます。しかし、そこには「健康で文化的な・・・」という表現はありません。それが付け加えられるのは、草案が日本の手に渡ってからであり、「そのルーツは、高野岩三郎らの憲法研究会による草案」だったのでした。
マッカーサーに却下されたという松本烝治「憲法改正要綱」には、どう書いてあったのでしょうか。注意しなければならないのは、「大日本帝国憲法」を下敷きにしつつ、いくつかの「改正」を提示しているだけだということです。

第二章 臣民権利義務
八 第二十条中ニ「兵役ノ義務」トアルヲ「公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務」ト改ムルコト
九 第二十八条ノ規定ヲ改メ日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有スルモノトスルコト
十 日本臣民ハ本章各条ニ掲ケタル場合ノ外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナキ旨ノ規定ヲ設クルコト
十一 非常大権ニ関スル第三十一条ノ規定ヲ削除スルコト
十二 軍人ノ特例ニ関スル第三十二条ノ規定ヲ削除スルコト


こうした日本国憲法の成立過程や議論の実態を知れば知るほど、自民党や右翼的「文化人」などの頭の程度がうかがい知れるというものです。大戦後の松本「要綱」レベルとほとんど変わっていないのですから。

私が思うのは、戦後一貫してこの憲法の精神を骨抜きにし、今なお弱め続け、さらには「改憲」にまで持って行こうとする動きと対決するには、今日のテレビで放映されたような現実の告発と同時に、憲法をよりどころとした命を守る闘いを続けることが必要です。そして、日本がいかに先進国の水準から遅れているのかを明らかにすることです。そうすれば、自民党などが「保守」どころか、世界水準から見ても、憲法の水準から見ても全くの逆流であることが明らかになるはずです。

参考までに、自民党の改憲案の「ヤバさ」についての対照表が、ある方の努力で公開されているので紹介しておきましょう。

『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・



  1月18日(金)    
1月も下旬に近づいて、すこしずつあれこれジタバタしなければならなくなっています。塾の仕事は、センター試験が終われば一段落ということになりますから、今週からは週一回だけの大町行き。
下旬には、バラの会の総会を予定しており、その準備を始めています。これから総会議案、会計報告書などの作成で追われます。
次は、案内のニュースです。関心のおありの方も是非ご参加ください。


二つ目は、被災地支援のとりくみ。12月末に代表団が女川での支援活動を行って、その報告を作らなければと思いつつ、なかなか今日まで果たせませんでした。そこで、今日は午後から思い切って時間をとって、一気に作成。現在メンバーのみなさんに見てもらって校正中です。
簡単な会計報告を含め、どんなことをしてきたのか、何がいま問題になっているのかを町民に知ってもらうことはとても大事なことです。当初から一貫してこのことは守ってきましたから、今回もきちんとケジメをつけないといけません。

******************************

さて、先日、役場に行って現在町が進めようとしている「町中再生計画」にかかわる財政資料の一部をもらってきました。専門用語が多くて内容が定かではないものがありますが、町民の側からも役場の仕事に注意を向けておくことが必要です。
私が一番問題とするのは、計画の内容もさることながら、その進め方です。

この計画そのものは町長の2期目の公約で打ち出され、概要が一定程度明らかにされたのは12月議会になってからでした。
庁内では、議会に先立って以前からそれなりに検討が進められたようですが、年末になってから町の主導で20名の委員からなる「池田町社会資本総合整備計画策定委員会」(任期は今年の3月末まで)が設けられ、12月に第1回目の会議がもたれたようです。まもなく第2回の会議が開かれるのでしょうか。町民にはそれもわかりません。
スケジュールによれば、2月に第3回目の委員会をひらき、修正箇所を確認した後、ホームページ上でパブリックコメントを募集することになっています。そして3月上旬の第4回会議で最終答申をまとめて、町に提出するという手順です。あまりに拙速ではありませんか。
町は何か大きな勘違いをしているのではないでしょうか。「計画は自分たちが決めるのだ」という自負心は悪いものではありません。しかし、それも町民と意見交換ができる太いパイプがあってのことです。町民そっちのけの計画は、そもそも計画とはいえません。

勘違いの第1は、計画をつくってから意見を聞けばいいのだという悪しき思い込み。悪い管理型行政の見本みたいなものです。行政にその自覚がないことが一番の問題なのです。
議会での簡単な計画の提示があったあとは、町民にその後のことは何も知らされていないこと。町のホームページでもこの件については経過や情報が一切明らかにされていません。
町長ブログに至っては、読むに堪えない状況です。本当に町民とともに池田町を作っていくのであれば、木曽町町長のように熱くビジョンを語り、計画を語らなければなりません。そして、町民の意見をとことん聞くという姿勢をはっきりさせなければなりません。

勘違いの第2は、計画が国の補助金優先になり、すべてがそれに従属した計画になっていること。町の担当者はそうではないというかもしれません。ではお聞きしますが、この計画が町作りのどのようなビジョンに基づき、町民の声がどのように反映され、町ぐるみで計画を進めるようになっているのでしょうか。
せいぜい答えられるのは、すでに都市計画マスタープランや第5次総合計画の策定のなかで、計画の大要は認知されているという程度。そして、国の予算措置は今後どうなるかわからないから、とにかく急がなければならないということ、その2点しかありません。しかし、それは逆立ちした論理というものです。
公民館建て替え一つにしても、もっと根本から考えるべきもので、福祉会館や創造館、林中の多目的センターとの兼ね合いなどが議論されなければならないのです。ただ古くなったから立て替えればよいということにはなりません。
また、町中の整備をすすめるのであれば、商店街のみなさんの声を十分反映されるものになるべきだし、アップルランドの後の買い物へのニーズにどう答えるかという問題にも同時に答えをだしていかなければなりません。
数日前の町の担当者のお話では、計画は概要をきめて、詳細は今後2,3年かけて決めていくのだという説明がありました。
では、そのような方向を、議会でも広報でも町民にどのように知らせたのでしょうか。「審議会」でもどこまでが今年の計画であり、これからどのように町民参加でことを進めるのか説明があったのでしょうか。また、予算措置や地方債の発行も、単なる概算に過ぎないのでしょうか。だとすれば、計画が膨らんだり、変更したりするとそれらはどうなるのか。疑問だらけといわなければなりません。

私は将来に禍根を残さないように、無謀な計画策定を中断し、いったん白紙にもどしてゼロから議論し直すことを提案します。その際に、町はしっかりした将来ビジョンに位置づけられた計画を示すとともに、それを具体化する日程と、町民参加の手立て、財政計画を示し、数年かけて計画実現のマスタープランを作成することを求めたいと思います。



  1月17日(木)    
MNEMOさんに塾の臨時代行の講師をお願いしてから3ヶ月あまり。19日からのセンター試験を前に、今回が最終回となりました。何度来ていただいたかわからないほどになってしまいました。長い間お疲れ様でした。
もともと、東京の塾でコンビを組んでいたにせよ、それが大町で期せずして実現するなどというのは考えもしなかったことで、奇妙な因縁を感じてしまいます。
我が家を宿泊地としての2日がかりの仕事ですから、妻にもいろいろと世話をかけてしまいました。それでも「いちゃりばちょーでー」の精神で、いろいろやってくれたことには感謝感謝です。この言葉の語源には非武装平和外交の琉球王朝の姿が投影されているという解説もあります。妻は琉球王朝の末裔(?)ですから、その姿勢を受け継いでいるのでしょうか。

MNEMOさんは「厳冬の安曇野に来てマイナス2,3℃は平気になった」と言っていました。私自身も秋口に20℃を下回ると寒さを感じたのに、一時のマイナス10℃以下を体験するとこの頃の気温では暖かさすら感じてしまうのですから不思議ですね。
今日の天気概況では南の沖縄は17℃。妻は「沖縄では寒い寒いと言っているはず」と言っていました。かつて、このくらいになると「北海道並みだね」という会話もあったと記憶していますた。北海道の一部ではマイナス30℃ですから、沖縄との差は比べようもありませんが・・・。やはり冬は沖縄で過ごすに限ります!!

昨日から、アルジェリアでの現地邦人が武装勢力の人質となったという報道が続いています。ニュースでは、人質の解放、死亡などが錯綜して混迷状態にあります。
フランスのマリへの攻撃に抗議するという名目のようですが、無関係な民間人を巻き込むこうした犯行は容認できるものではありません。武装勢力には人質となった人々の安全確保と無条件解放とを強く求めます。

ただ、こうした事件がおこるたびに、日本では自衛隊の海外派兵、武力行使などへの衝動が強まってきます。
日本が武力行使とは縁のない平和友好国であると国際的に明らかにすることこそ自国民の安全を守る最大の保証であるのに、現実主義、力の論理で武力行使の負の連鎖を呼び込む動きには断固としてノーを突きつけなければなりません。


  1月15日(火)    
これまで使っていたFujitsuのノートでメールフォルダを整理しようとしているうちに、トラブルが発生してある期間がすっぽり抜け落ちてしまい、かなり古いメールを最新のものだと思い込んで知人に転送するという、自分でも信じがたい失態を演じてしまいました。
最新のノートパソコンなら処理も速く問題はなかったのでしょうが、これからのパソコン生活を考えてできるだけ省エネで、と節約をしていたことが裏目にでてしまったというのが背景にあります。これに懲りて、しばらくはまたメインマシンをデスクトップに換えることにしました。もちろん、デスクトップマシンの性能はノートとは比べものにならず、キーボードも打ちやすいので仕事ははるかにはかどります。
問題は、電源の消費電力はノートとは比べものにならないくらい大きいので、できるだけ時間を短くすることが必要ですけど・・・。ホームページのブラウズなどはノートでいいのですが、ホームページやメールは失敗が許されないので、メインマシンで行うこととしました。Yさん、びっくりさせてすみませんでした。

大雪から一日たって、道路の雪は除雪もあってほとんど消えかかっていますが、そのほかはまだたくさん。テレビの障害も夕方まで残りました。停電にならなかっただけ助かっています。
下は朝の自宅前の様子です。




今日のニュースの第1は、「爆弾低気圧」による首都圏での降雪と交通麻痺。雪に弱い首都圏の交通網の実態がさらけ出された感じでした。しかも成人式と重なって、女性のみなさんは歩くこともままならず、大変な苦痛を強いられたことでしょうね。
ニュースの第2は安部内閣による13.1兆円もの補正予算案の閣議決定。あわせて、地方公務員の給与水準を国家公務員に合わせて下げるよう求めたことが報道されていました。
この補正予算で、財界・大企業は活気づいているようですが、もともと勤労国民の給与水準は下がりっぱなしですから、かならず破綻せざるをえません。
「賃金水準はおくれて上がる」などというのもまやかしで、消費税の増税がこれに加われば、大企業の儲けは保証されるとしても税収は落ち込み、地方の財政危機はいよいよ深刻になることでしょう。
借金財政で当面の矛盾を乗り切ろうとしても、その付けはあとからもっとひどい形でやってくる。浮かれているうちに、次第に1920年代の終わりから30年代初頭に似た雰囲気に近づいていくのではないのでしょうか。



  1月14日(月)    
大きな低気圧が日本沿岸を通過し、夜明け前にすでに20センチの積雪。早朝降る雪をながめていると、ここは池田なのかと思ってしまいます。
気温は2,3度。暖かい。空からは大きな牡丹雪、ふんわりと積もったでこぼこのある雪面。まるで、生まれ故郷の富山そのものです。
午前中は除雪。びしょびしょになったため、お昼頃風呂に入って、あとはしばらく何をする気力もなし。
お昼を過ぎてもずっと降り続いています。電波障害でテレビもほとんど写らず僻地になっています。こんなときデジタルはあかん。

************************

安倍首相のホームページをのぞくと、Site Menuのトップ「基本政策」に、「外交・教育再生・憲法」へのリンクがあります。
そのリンクをたどって、まず憲法についての、安部さんの見解(2009年)を見てみました。
そこには、なぜ憲法改正が必要と考えるかについての持論が3点にわたって展開されています。これらはあちこちで紹介されてよく知られていることですが、念のためにそのポイントを書いておくことにします。

1.(憲法の成立過程に問題)現行憲法は、連合国による占領時代にGHQのニューディーラーたちによって急ごしらえでつくられ、その草案が日本に押しつけられたものである。
2.(今日の価値観、時代の変化にそぐわない)憲法が制定されて60年が経ち、新しい価値観、課題に対応できていない。環境権、個人のプライバシー保護の権利、自衛軍保持、道州制などを書き込むべきである。
3.(憲法は自分たちの手で書くべきである)憲法は国の基本法であり、日本人自らの手で書き上げていくことで新しい時代が切り拓かれる。


今日は、この「憲法成立過程」について、彼の主張を検証してみたいと思います。
結論からいえば、成立過程なるものは、史実には全く背を向けて、都合のよいところだけを切り貼りし、しかもそれらをゆがめたりねじ曲げたりして、あたかも憲法草案が当時の日本政府の意志を踏みにじって押しつけられたかのように解説したしろものです。まともに歴史を学んだ人ならあきれるか、笑い出すことは間違いない。
安倍さんの論立てについては、リンク先を見てもらうことにして、ここでは次の主張を見てみましょう。

@当時、GHQの命令で日本側は松本烝治国務大臣のもと、起草委員会が草案作りに取り組んでいた。それが毎日新聞にスクープされ、その記事、内容に激怒したマッカーサー司令官がホイットニーに憲法草案を作るように指示した。
A2月12日という短期間の期限は、リンカーンの誕生日に間に合わせるためだった。
B草案作りには憲法学者も入っておらず、国際法に通じた専門家も加わっていなかった。


これらの「俗論」にもならない彼一流のデマゴギーは、憲法の成立過程を詳細に追跡した「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(鈴木昭典 創元社 以下「九日間」と略記)によって、具体的かつ詳細に反論され尽くしています。それをもとに、憲法草案の成立前夜を調べてみることにします。

敗戦直後日本側では、憲法改正について2つの流れが存在しました。
1つは、1945年10月4日、東久邇内閣の副首相であった近衛文麿がマッカーサー最高司令官を訪問、その際にマッカーサーから指示されたこと(*)を受けて憲法改正作業を内大臣府御用係で行うことを決めます。そして11日には天皇から御用係に任命され本格的に憲法改正作業にとりかかることになります。

* マッカーサーの指示 「第1に憲法は改正を要する。改正して、自由主義的要素を十分取り入れねばならぬ。第2に、議会は反動的である。これを解散しても・・・同じタイプの人間が出てくるだろう。それを避けるためには、選挙権を拡張し婦人参政権と労働者の権利を認めることが必要だ」
                              矢部貞治「近衛文麿」読売新聞社


もう一つの流れは、新しく首相になった幣原首相によるもの。
彼は、10月11日にマッカーサーと会見し、そこで5大指令(婦人解放、労働組合の助長、教育の自由化・民主化、秘密的弾圧機構の廃止、経済機構の民主化)を受け取ります。それをうけて彼は13日、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を設置、内閣としても憲法改正に動き出したのです。
それ以後、年末にかけて、政党・民間団体の手で憲法改正草案が書かれたことはよく知られた事実です。それらは大きく分けて、進歩党、自由党、社会党案のように明治憲法を焼き直したり、化粧直しをしたにすぎないもの、共産党案、高野岩三郎らの憲法研究会要綱のように進歩的な内容のものと2つの流れの草案が発表されました。

GHQがその後政府だけに憲法改定作業を認めたため近衛による改正作業は挫折。一方の憲法問題調査委員会は翌1946年1月4日、いわゆる松本甲案をまとめ、7日に天皇に奏上します。
しかし、これらは全くGHQに報告されずすすめられたのでした。その理由は「あくまでこの改正というのは、自発的に自主的にやることであり、今後もアメリカの意向を伺い打ち合わせる必要はない」(1月26日、高木八尺博士の進言に対する松本大臣の回答 「九日間」)というのんきなもの。天皇の地位をいかに守るかに汲々とし明治憲法の枠組みから一歩も外に出られない彼らの意識をはっきりと示していたのです。松本案は、国内国際世論を背景とした憲法改定をめぐる事態の切迫性、GHQの明確な意志を全く理解しない(できない)姿を示したものでした。
ところが1月中旬頃になってGHQから改正案を示せという細則が入るようになりますが、「松本大臣はこれらの示唆や動きに全く動ぜすマイペースで作業をすすめる。閣議で松本案の審議が始まるのは1月29日になる」(「九日間」)という状態。そして2月1日、毎日新聞による調査委員会の第一次案(日本側は否定)のスクープへとつながっていきます。
占領軍民政局では直ちにこれを英語に翻訳するとともに、正式の草案を同日夕刻に届けさせます。それらの内容がどのようなものであったかは、それを翻訳した民政局のケーディス大佐の証言で明らかです。

A案(甲案)だったかB案(乙案)だったかわすれましたが、(明治憲法の)<天皇は神聖にして侵すべからず>の<神聖>が<至尊>に変わっていただけだったり、<天皇は陸海軍を統帥する>とあった条文が、<天皇は軍を統帥する>と変わっていた程度で、それはひどいものでした。毎日新聞がスクープした草案との間には、小さな違いはあったものの、それほど差はないことが明白でした。・・・翻訳があがった段階でホイットニー将軍に見せたところ、早急にこれを批判した報告書を出せと命令されたのです。

数日後の5日に日本側との仮会談が行われるとの報告を聞いたマッカーサーは、2月1日、ホイットニー准将に対して、「松本案を拒否する詳細な回答書を作成し、その会談において日本政府に手交すること」を命じます。
2月2日には、ホイットニー准将はマッカーサーに上申書「最高司令官への覚え書き」と付属資料を提出します。次がその中で書かれた日本国憲法草案を民政局がつくることになる重要な転機を示す内容です。

私は、憲法改正案が正式に提出される前に彼らに指針を与える力が、我々の受け入れがたい案を彼らが決定してしまってそれを提出するまで待った後、新規書き直しに再出発するよう強制するよりも、戦術としてすぐれていると考えたのです。

「九日間」で筆者の鈴木さんは次のように書いています。

ホイットニーにとって、松本国務大臣ら日本政府の憲法問題調査委員会の頭の固さに、ほとほと困らされた結論がこれであった。

2月3日、ホイットニーは部下のケーディス大佐、ハッシー中佐、ラウエル中佐を呼んで、「最高司令官は、我々民政局に、日本国憲法の草案を書くように」というマッカーサーの命令を伝え、新憲法の骨子となる「マッカーサーノート」を文書で伝え、詳しくその解釈について説明をします。
そして12日の日本側との会談に間に合わせるために、わずか9日間で仕上げることが至上命令とされ、民政局での極秘の作業が開始したのでした。

さて、安倍さんは、この命令が民政局に伝えられたとき、まるで内輪のミーティングで、「なんでそんなに急ぐのですか?」「リンカーンの誕生日に間に合わせるようにしたいのだよ」などと茶飲み話でもしているようなやりとりがあったように描いています。
安倍さんのお話にもう少し耳を傾けてみましょう。次のリンクは、「誇りある日本人として〜今、如何に行動して、何を次世代に伝えてゆくか」〜G1サミット2011レポート〜」。安倍さんは得意満面で見てきたようにこのときの模様を話しています。
http://www.globis.jp/1920-2

「九日間」では、先に紹介したように安倍さんの「お話」とは全く異なった展開が、ケーディス大佐への取材や当時のメモをもとに書かれています。
次は、ケーディス大佐の証言です。

ホイットニー将軍に、草案の締め切りについてたずねたのです。すると、今週中だと言うじゃありませんか。驚きましたね。マッカーサー元帥と将軍自身が目を通す時間が必要だというのが、その理由でした。
ホイットニー将軍はこうも言いました。来週の火曜日、12日に日本側との会議がある。日本側は松本草案を批判した覚え書きを渡されると思っているだろうが、そのときに、我々の考え方はこうだと主張する憲法草案そのものを渡したいのだと、そう言ったのです。驚きましてね。そんなに急がなくはいけないとは思っていませんでしたから。

大変な仕事だと思いましたが、とてもできないとは考えませんでした。民政局が信頼されているという誇りもありましたが、やりがいのある仕事だという緊張感がありました。ワシントンから専門家を呼ぼうという考えは全くありませんでした。


ここには、リンカーンの誕生日などという話しは一切出てきてはいませんし、そもそも軍隊の中でサロンのような会話が交わされるはずもないというのが取材した鈴木さんの見方です。

安倍さんはどこでもこのようにしゃべっているのでしょうが、あらためて彼の見てきたようなウソをちょっとだけ抜粋します。

ホイットニーはこのように命じました。2月12日…、65年前の今日ですね。『2月12日までに草案をつくれ』と命じた。『もうたった4日しかないじゃないか』と、皆びっくりします。『だいたいどうして2月12日なのですか?』と聞きましたところ、ホイットニーは『私が尊敬している大統領はリンカーン大統領である』と。
安倍さんの指摘するこの部分は、ケーディスその他のメンバーの証言、エラマン・メモ(運営委員会エラマン女史による詳細な会議メモ)ではどうなっているか。

(2月4日)民政局の朝鮮部を除くメンバー全員に、ホイットニー将軍の個室の隣にある会議室に集まるように命令が下りたのは午前10時であった。
・・・ホイットニー准将は10分ほどで(マッカーサーノートなどの)話しを終えると、そのまま自室に戻ってしまった。そのあとはケーディス大佐の番だった。きのう深夜までかかって作成した組織図を発表し、担当者を任命すると、仕事の進め方を説明した。このあたりはまったく軍隊の作戦命令の要領だ。
しかし、時間のなさと兵員の少なさ、武器に相当する基礎知識の欠如を考えると無謀な計画に近い。だが、不思議なことに証言者たちは、この無謀さをあまり口にしない。そんなことは言ってはおられない雰囲気だったようだ。


安倍さんのお話の出所はどうやら八木秀次・高崎経済大学助教授らしく、『中央公論』平成17年2月号の特集「国家の基本条件再整備のためにー『日本』を否定した日本国憲法の問題ー」のなかで、同様のことが紹介され「日本人にとって聖なる日は、血塗られた日にされようとしていた」と書かれていたことが、あるサイトに記載されていました。これは調べてみる価値がありそうですね。

民政局では、どのようにして憲法草案を作成していくことになるか。「九日間」では、その模様が数々の証言、資料をもとに詳細に記されています。
安倍さんは「憲法の素人がにわか作りででっち上げた」と言いたいのでしょうが、事実はそれとは正反対で、誠実で真剣な作業が夜を徹して続けられたこと、さらに日本の憲法研究会要綱がいかに生かされたかなどが生き生きと描き出されているのです。
またこの中では、当時の支配層の中には、民主主義の社会システムに全く理解を欠き、人権感覚も西欧から見ると驚くほど遅れていたことが再三にわたって指摘されています。
安倍さんは、当時の支配層の無能を恥ずべきだったのであり、それに業を煮やしたGHQにあたりちらしたところで、当時の支配層と少しも変わらない自らの立ち位置をさらけ出しているだけです。
これらは、直接この本にあたっていただく他はありませんが、重要な点はこの9日間の作業には、日米開戦直後からすでに周到な戦後処理の準備が開始されていたこと、草案に生かされる考え方が国際的に成熟していたことなどが反映されているという点です。明治憲法の復権と戦前回帰をはかりたい安倍さんは、決してこのことに言及することはありません。

「外から与えられた」ことが悪いならなぜわれわれがこういう民主憲法を作り得なかったのかという問題意識が、国民の中から出てこなければならないと、当時から考えていました。
私たち日本の国民は、戦後改革の基本的な原点に絶えず立ちかえって、みずからの手でなし得なかった革命を社会的に達成していく課題を負っていると考えられます。
                       世界1977年6月号 憲法30年の過程と展望
                       憲法学者 小林直樹氏へのインタビュー


この続きはまた後日。



  1月13日(日)    
昨夜は「フィガロの結婚」に出かけたため、土曜日の高3の授業を今日の午前中に移動。あと1週間後に迫ったセンター試験に備える最後の授業であると同時に、数学の授業をしめくくる日となりました。
とはいえ、特別の感慨があるわけでもなく、彼らも目前の試験の方に気持ちが集中していますから普通と変わらない雰囲気でした。
ここ3か月ほど、センター対策を続けてきたために彼らもそれなりに点が取れるようになり、かなりの成績が期待できそう。試験本番では普段の実力とはまた別の要素も要求されるので、あとは全力を尽くして19日、20日のセンター試験に臨んでほしいものです。

さて、きのうの「フィガロ」のことですが、この日ばかりはあまりひどい格好もまずかろうと、すこしばかりおめかしして出かけました。あまりに早く出発したので、時間はたっぷり。


伊那文化会館の大ホールは広々とした作りで音響も文句なし、両わきの字幕もとても見やすくつくられていてよかった。
ただ、座席がS席とはいえ、舞台からかなり離れていたことと、視力の関係で出演者の表情まできちんと見ることができず残念でした。オペラグラスを持って行くのでした。

こうした歌劇は演出者によってかなり表現が変わるので、とりわけ過去に強い印象を受けた舞台を見ていると、つい比較して見てしまいがちです。従って今回はできるだけ虚心に見てみようと思って舞台に集中することにしました。
フィガロ、スザンナ、伯爵、伯爵夫人はそれぞれすてきなキャストで、歌も演技もすばらしいものでした。しかし、ケルビーノ役は初々しさに欠ける恨みがあり、マルチェッリーナ、バルトロ役の歌唱にも多少問題を感じてちょっぴり惜しかった。
ただ、第3幕、第4幕とフィナーレにつないでいく演出はなかなかのもので飽きさせません。とくに伯爵夫人、スザンナのアリアが秀逸。また、各々が全く異なる内容の歌が1つの合唱で統一されて進行するモーツアルトの音楽の楽しさが、最後の仲直りの合唱では全員の4部合唱がすばらしい感動を与えてくれました。
さすがにモーツアルトの町プラハの国立劇場オペラです。本場の楽しい舞台と劇場管弦楽団の演奏を見聞きすることができて充実した夕べでした。





  1月12日(土)    
今日の信濃毎日新聞では、大阪での体罰による自殺問題について、顧問に聞き取り調査をした詳細を記載しています。やはりというべきか、想像通りの回答です。
顧問は「部を強くするため必要だと思う。体罰で気合いを入れた」「たたくことでよい方向に向く生徒もいた」と体罰を合理化、生徒は顧問の所有物(=モノ)であるかのように考え、人権感覚は皆無だったことを示しています。
今日のテレビでは、生徒たちのこの顧問への評価が別れていたことを紹介した上で、「厳しいが、生徒思いのいい先生だった」という声も紹介していました。生徒の中でも、「厳しさ」の1つの表現として体罰を受け入れる素地があることが伺われます。「たたかれて初めてわかった」式の根性主義が部活という密室空間で温存され続けているのです。

今日のニュースでは、橋本市長は「これは全く行政の手落ちだ」としきりに学校・行政の非を認める発言をしていました。しかし、本人が体罰容認の大本であることは隠したままです。
以下は今日の「しんぶん赤旗」で紹介された、本人の発言録です。これらは、彼自身が当の部活顧問と心情を同じくしていることの証左です。

・口で言ってきかないなら手を出さなきゃしょうがない。
どこまでを教育と見るかは家庭と地域のコンセンサス。
              2008年10月 府と府教育委員会主催の討論会

・もみあげをつまんで引き上げるくらいはいい。
胸ぐらをつかまれたら放り投げるくらいまではオッケー。
蹴られた痛さ、腹をどつかれた痛さが分かれば歯止めになる。
              2012年10月 市の教育振興基本計画有識者会議

・正直僕はクラブ活動の中でビンタをすることは、ありうると思っている。きちっとルール化できていなかったのが問題だ。
・全国大会を目指す桜宮高校の体育科では、保護者も含め、ある程度のところは教育的な指導だという暗黙の共通認識があったのではないか。
にもかかわらず教育委員会が体罰禁止とか、手を上げることは絶対あり得ないという、うわべっ面のスローガンだけで事にあたっていたことが最大の原因。
              2013年1月10日


これでは体罰問題は解決されるはずもありません。

************************

昨日のローカル各紙は、防災無線更新にかかわる企業選定での町長の干渉問題で記事を掲載していました。

1月10日信濃毎日新聞
1月11日信濃毎日新聞
1月11日大糸タイムス
1月11日市民タイムス

これらを読む限りにおいても、いろんな疑問がわいてきます。
たとえば、庁内での再三の進言を無視し、町長はなぜそれほど外資系の企業にこだわったのか。しかも、審査締め切り前にその企業にだけ情報提供をしたのは何故か。
周波数が異なれば電波法の関係から承認が下りないことは業者も担当者もわかっていたはずではないのか。
また、町の概算額とプロポーザルでの見積額が極端に異なっているのはなぜか。額の違いを見れば、町長の言う「競争原理」などという次元のものではないことは明らかです。

ことほどさように、ものごとの進め方が余りにもずさんであり、しかも町長の独断専行が目に余る今回の事態。総務省などの指導を受けて、町長も渋々断念したのでしょうが、その責任はまぬがれません。

今回の町長の言動は、しばらく前の「サポートセンター」問題とうり二つであることに気づかされます。
庁内での審議を無視し、自分の「思い」だけで突っ走っていくあの姿です。
サポートセンター問題では、あくまで自治体独自の問題であり、むしろ予算ゼロにしたい町長の思惑に、事態を知らない人たちも一定の「同情」を寄せる一面がありました。それが問題の本質を曇らせ、事態の重要性を隠してしまったのです。
しかし今回は違います。その構造は全く同じですが、今回は逃げようがなかった。多額の予算がからむ問題であり、国の認可とも関わる問題だけに、町長の無責任ぶりが白日の下にさらされたといえるでしょう。
ついでにいえば、私は、この体質がいま進行中の「街中再生」計画のなかで拡大再生産されはしないかきわめて心配です。

私は、この問題での町長の責任は3つあると思っています。
第1は、特定の業者だけに資料を渡して便宜を図ったことに対する責任。公人としての守秘義務違反、公平、公正の原則違反は重大です。
第2は、庁内での十分な調査・研究、意見収集の杜撰さ。トップとしての責任はまぬがれません。
第3は、庁内での町長自身の立場への無理解。行政のトップにあるまじき独断専行を行ったことに対する責任です。これは町長の専権事項などという問題ではありません。
再三にわたる副町長らの進言にも全く耳をかさず、自己の思惑で行政を混乱させた責任は大きい。果たして、池田町の行政組織が正常に機能しているのかどうか。このことはサポートセンターの際にも指摘したことがありましたが、事態はより深刻にさえなっています。

前にも書きましたが、単に町長の勇み足として免責することがあれば、今後の町政運営でとりかえしのつかない事態も引き起こしかねませんす。議会でも、しっかりとこの問題の本質を明らかにし、責任の所在と再発防止への方向を明らかにして欲しいものです。
その際に、最も重要な観点は、町民参加による行政運営ということです。役場で何でもすべてできると考えたり、町民には知らせるだけでよいと考えたりするところから、思い上がりや逸脱が生じます。
役場の職員のみなさんも、担当課が異なるからと等閑視することなく、自らの問題として役場の改革や町民本意の町づくりを考えていくことが大事なのではないでしょうか。

************************

私事で恐縮ですが、本日は娘とその娘の孫の同時誕生日。おめでとう。書き初めはうまく書けたかな。
下は娘から送られてきた学校提出用の清書。”指導”よろしきを得て、こちらで書いたものより格段に上手。構図といい、勢いといい、まるで私の小学校一年生に書いた「元気な子」を彷彿とさせます。・・・・と、じじ馬鹿ぶり。 





  1月11日(金)    
今度の土曜日、12日には伊那市文化会館で催される「オペラの夕べ」に妻と出かけることになっています。出し物はプラハ国立歌劇団の「フィガロの結婚」です。大枚をはたいてS席を予約しました。
妻が、せっっかく行くのだから、事前に予習しておきたいというので、私が20年近く前に録画していたザルツブルク歌劇場での録画を取り出し、2日間かけて見直しました(妻は初めてです)。
この録画は、モーツアルト没後200年を記念したNHKの企画の1つで、当時いろんな作品が次から次へと紹介されていたのです。

このビデオ前半では、黒縁めがねでまだ若い頃のアンドレ・プレビンがオペラやモーツアルトの音楽を解説。これが実にすばらしいのです。
モーツアルトが当時の貴族社会を如何に見限り皮肉っていたかをいくつかの場面に即して明らかにしています。明晰・流ちょうな英語で見事に解説するばかりでなく、モーツアルトのピアノ協奏曲も自らが弾き振りで紹介しているのです。私自身は何回も何回も聞き直し(見直し)たものでした。
後半は、もちろん長い長い「フィガロ」。3倍速ビデオテープなので、画質はさっぱりよくないのですが、音楽はそれなりで最後まで楽しめます。字幕付きが妻の要求だったので、妻も終わって満足そうでした。

このときの上演では、出演者の中でケルビーノ役が出色。可愛く、ちょこまかとして実に和みます。この歌劇の中では、フィガロがケルビーノの出征にあたって歌うアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」、ケルビーノが奥方を前にして歌う「恋とはどんなものかしら」は実に楽しい。そして最後の大団円の全員の合唱は何時聴いても胸にしみる。
プラハのみなさんは一体どんな舞台を見せてくれるのか今から楽しみです。

仕事から帰って、録画してあった「八重の桜」を見て、さて一服と凍えるような縁側に出てふと見ると・・・・。誰かに見られているような気配。
一瞬、背筋が凍り付くように感じたそのわけは・・・、下の写真中央をどうぞ。闇夜に浮かぶ白い顔。妻に見てみなさいよと言ったら・・・「ホントだ、こわ〜い」と言って引っ込んでしまいました。


凍り付くような夜、ますます凍り付くような雪のいたずらでした。



  1月10日(木)    
息子・娘の家族が帰り、昨日から来ていたMNEMOさんが今朝帰り、ようやく正月気分も抜けて、少しは身体をうごかさなければと思い始めています。その矢先、このブログを読んでくれているある友人から、しばらく更新が途絶えていると連絡があって、ちょっぴり反省。

今朝の信濃毎日新聞の社会面(27面)には、気になる2つの記事が並んで載せられていました。
1つは町の防災無線をデジタルにするための企業選定について、池田町町長が事前の審査会で企業が決定済みだったのに、それを別の会社にするために再検討するよう庁内で指示をしたというもの。結果は総務省信越総合通信局(長野市)の指摘で撤回、やり直しを断念したと書かれていました。

町長が選定(プロポーザル方式)のやり直しを指示したのは「消防無線も同時にデジタル化すれば、経費節減につながり町民益になると考えた」ためとされています。
信濃毎日の問題点の指摘は2つあります。
第1は、審査が終わってからあたかも横やりを入れる形で変更を指示するのは「契約の透明性が確保できない」(新潟大・田村秀教授)「契約の公平性に欠ける」(国土交通省建設業課)という点。
第2は、12月議会で予算化されている防災無線で使う周波数帯と消防の無線の周波数帯とは異なり、今回町長がもくろんだ「米国系企業の方式では防災無線の免許が出せない」(総務省)という点。
つまり、契約決定に至る手続きの不公正・不透明という点と、事前の調査がずさんで免許がおりない防災無線を作った可能性があるという点。いずれも町民としては無視できない内容です。
おそらく議会でも当然問題とされるでしょうが、単に町長の「善意の行き過ぎ」などというレベルにとどめるのではなく、こうしたことがなぜ引き起こされたのか、これに対する町の行政責任とその所在はどこにあるのかをしっかり掘り下げ、再発を防ぐ努力を町も議会も行って欲しいものです。

もう一つの記事は、大阪の市立高校のバスケット部で起きた体罰を背景とした生徒の自殺問題です。
学校は報道陣の質問に「体罰が絶えない状態にあった」と体罰の常態化、密室化を認める発言があったと伝えています。運動部でまたしてもこの手の体罰とその悲惨な結末が明らかになったわけで、学校の深部にその病巣が根深く巣くっていることを示す事件です。学校と顧問に追い込まれていく生徒の苦悩を思いやると本当にいたたまれません。

今から25年ほども前になります。私が勤務していたある学校での職員会議のやりとりをいまだに思い出します。
担任していたあるクラスの生徒が顧問から継続的に体罰を受けていたことを私は察知していました。
刃向かえば顧問すら相手にならないほどの体格の大きな生徒でしたが、彼の場合はやはりその運動部が好きだったことと、学校の対面を汚したくないという思い、それに刃向かえばどうなるかをよく知っていたために、じっと耐えていたのです。そのようにしていた同じ部活の生徒は他にもいたことも知っていました。
しかし、それは今回と同じで絶対に誰からも見えない場所で体罰が行われていたので、証言以外に証拠がありません。実に巧妙です。
私は、ある日の職員会議で体罰がふるわれているという実態を告発し、再発を防ぐ手だてをとるべきだと発言しました。
それに対して、何人もの「運動部の顧問」から、「そのようなことを言っているから生徒になめられるのだ」「愛の鞭だ」「言ってわからないときは、時として身体で教えなければならなくなることがある」という「反論」が起こったのです。私に同意して体罰を即時辞めるべきだときっぱりと主張する教師はいませんでした。

私はそのクラスを担任するときに、開口一番「私は体罰は行わない」と宣言したのでした。そのときの生徒の声は「ラッキー」というもの。「んなわけないだろう」という顔で聞いていました。おそらく先輩から、どのような学校でも体罰はあると聞いていたからなのでしょう。
確かに、次から次への万引き、暴力事件で警察沙汰になる生徒が続出、私も毎日のように家庭訪問をしたり、生徒との面談で追われていました。
屈強な男子ばかりのそのクラスにはボスともいえる生徒が何人かいて、とくに私の手を煩わせました。授業も成立するかどうかの瀬戸際で、生徒の竹刀を奪ってそれを持って授業したこともありました。「うるさい」と私が机を竹刀でたたくと、「そっちの方がよっぽどうるさい」とすかさず声が返ってくるそんなクラスです。
その生徒と気持ちが通うようになったのは、1つは私が腕相撲で彼らに絶対に負けなかったこと(私も当時結構若かった)。腕っぷしは結構強いと悟ったのでしょう。ちょっと私を見る目が変わってきました。
しかし、それはあまりたいしたことではありません。腕っぷしが強くないと太刀打ちできないことになってしまいます。一番の手がかりは、彼らが警察沙汰になった(馬鹿なヤツらですから、すぐに警察に捕まる)ときに、本当に親身に毎日のように家庭訪問し彼の味方になって「前科」がつかないように奮闘したことです。少しずつ信頼関係を築いていくことができたと思われました。その彼らが所属する部活の顧問から体罰を受けていたのです。
その翌年私はその学校を去ったので後のことはわかりません。ただ、体罰問題の根深さは、単に一人一人の教師の資質にだけではなく、日本の学校=とくに運動部に未だに残る旧日本軍を起源とする先輩後輩の関係に見られる封建的な残りかすや”人権感覚の低さ”に大きな問題が潜んでいると思われてなりません。何しろ「先輩」には敬語を使っても教師にはため口ですもんね。あきれます。
成績至上主義の部活動では、「子どもの権利条約」などはどこ吹く風、あたかも子どもたちは顧問の私物であるかのように扱われ、「指導と被指導」の絶対的な関係が保たれているのです。もちろんこの関係ではまともな教育的「指導」などが行われているはずもありません。
同時に生徒は、このような関係が当たり前と思いこみ、それが連綿ととぎれることなく「受け継がれて」いるのです。

新聞報道では、学校の秘密体質だとか、密室での行き過ぎという言い方はあってもこうした点まで掘り下げて書かれることはまずありません。
体罰をなくする大前提は次のようなものでしょう。
まず、学校教育は、学校の責任において生徒の人間形成を全面的に保障するカリキュラムを実行することです。教育目的を自民党の言うような「徳目」にしてそれを教え込むのだとか、管理を強化するとかではなく、ますます問題を深化させるだけです。
その認識の上に立って、生徒の教育権・人権を軸に据えた学校づくりに教育委員会も学校も真剣に目を向け実行に踏み出すべきであること、そして、教師の待遇を改善し、授業や生活指導への時間的余裕をきちんと保障することです。
その上で、部活動については、そのあり方に根本的なメスを入れることです。この点は前にも書いたことがあるのでくりかえしません。

体罰問題を考えるのであれば、そこまで踏み込んで、系統的に現在の日本の教育をむしばんでいる病巣をえぐりだしてほしいものだと思います。



  1月5日(土)    
昨日の冷え込みは大変でした。仕事に行こうとして夕方5時ころ外にでたら、車は氷漬け。ワイパーが窓にへばりついているので、溶かそうとフロントガラスにお湯をかけたら、そのままお湯が氷に。やむなくしばらく暖気運転をして出かけた次第。
帰りの寒さもハンパではありませんでした。松本でマイナス9度でしたから、大町や池田ではマイナス10度以下だったのでしょう。
今朝も同様の寒さでしたが、日が高くなるにつれて次第に暖かくなり、昼過ぎにはおだやかな空模様に。今日帰る息子夫婦の孫と居残りの娘の下の孫とは朝からまたはしゃぎ回っています。飼い猫のハルちゃんもようやく慣れたのか、夜は息子の布団に潜り込むくらいになりました。

********************************

新年も数日が過ぎ、この国の改憲派・靖国派は先の総選挙での自民党の「躍進」に意を強くしたのでしょう、動きが活発になっています。

産経新聞の今日の社説は、「村山談話」を見直し「安部談話」を発表するとした先の安部首相の表明を受けて、その先兵の役割をいよいよ鮮明にしています。こうした主張が公の新聞紙上で臆面もなく打ち出されること自体、この国の中に潜む後進性をあからさまに示したものといえます。
なぜなら、そこにはあの戦争でアジア諸国民に与えた苦痛や被害への何らの反省も批判もなく、日本軍の侵略行為への全面的な免罪を土台としているからです。次の記述を見てみましょう。

「植民地支配と侵略」への「お詫(わ)びの気持ち」を強調した村山富市首相談話は政府の対中、対韓外交を萎縮させ、度重なる謝罪や非常識な賠償要求の要因ともなってきた。
謝罪外交を断ち切り、外交を立て直す上で、談話の見直しは不可欠な作業といえる。国家観にもかかわる正しい歴史認識を明確に示そうとする安倍氏の積極的判断を評価したい。


一体産経新聞は、日本の「外交」をどのように立て直すというのでしょうか。そこには、石原慎太郎の言う「核兵器」すら念頭においた軍事力、および日米安保を盾にした日米同盟の強化による力の対応しかないことは明らかです。それがどのような外交破綻をもたらすかについては、いささかの想像力も持っていない。
「力がないからなめられる」「謝ってばかりいるから足下を見られる」式の短絡した被害妄想思考が彼らの大きな特徴です。過去を正しく認識し、その深い理解と反省から未来を指向するという現代社会では当たり前の行動が彼らにはできない。
他人の家に押し入り強盗行為を働きながら、逮捕され、「いや、あれは自存自衛の行為なのだ。他人の家を解放するために押し入ったのだ」「謝ってばかりいれば舐められる。非常識な賠償請求を突きつけられる」と言うのと同じようなもの。これはもう単なる開き直りの論理です。
よく調べてみれば、安部首相の言動につながる潮流の動きは「慰安婦」問題だけではなく、沖縄戦での軍による「集団自決」強制問題、南京事件問題すべてに共通していることに気がつきます。全く同じ論理、つまりあの戦争が侵略戦争であったことや日本軍の侵略性を完全に否定することにあります。アウシュビッツ否定派と全く同じ歴史改ざんの系譜といえるでしょう。
そしてまた面白いことに、彼らは「日本民族は古来天皇をいただく優秀な民族である」という虚構に依拠する点でも心情的・思想的基盤を共有しているのです。

産経社説は、3日付のニューヨークタイムス社説がよほど気にさわったらしく、安部首相を擁護し激励しながら次のように書いています。

3日付の米紙ニューヨーク・タイムズ社説は「歴史を否定する新たな試み」と安倍氏を酷評した。だが、明確な根拠もなしに「右翼民族主義者」などと決めつけることこそおかしいというべきだ。
米国内の「安倍たたき」については「危険な右翼とする日本メディアの見立てを輸入したもの」と反論する知日派も少なくない。
安倍氏は無理解や偏見にひるまずに、国益を損なう歴史認識や事実の誤りを正し、理解を求める外交努力を続けてもらいたい。


安部首相がウルトラ右翼である明確な根拠はいくらでもある。国内・国外でひろがる批判に謙虚に耳を傾けようとせず、それらを「無理解や偏見」と言ってみたところで、歴史を修正・偽造していくものに未来はありません。

村山談話
河野談話
2012年11月4日付 米ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」への「歴史事実委員会」による意見広告およびその批判
2013年1月3日付けニューヨークタイムス
2007年6月14日付 ワシントンポストに掲載された全面広告「The Facts」およびその和訳



  1月4日(金)    
昨日の信濃毎日にある人物の訃報が載りました。その人は知る人ぞ知る「ベアテ・シロタ・ゴードン」さん。かつて、「日本の青空」で彼女の活躍の一端を描いていたことが思い出されました。
そして今日の同紙のコラムでは、わずか22歳で日本国憲法の男女平等条項の起草に関わった彼女の死を悼み、人柄と業績が紹介されていました。一文を次のように締めくくった今日のコラムの筆者には惜しみない拍手を送りたい。

(憲法)24条は日本女性の心を知り尽くしたベアテさんが代弁したものだろう。戦争放棄をうたった9条を「戦争が生んだ真珠」と語っていた。改憲論が台頭している。亡き後も、彼女の証言に耳を傾けたい。

この記事を検索していたら、例の2チャンネルで彼女の死をあしざまに罵るさまざま悪口雑言の数々が目に入りました。この手の書き込みはすべて無責任な「名無し」投稿であって、「言葉の暴力」そのものですから、相手にするほうがどうかしているとも思いますが、野放しにしておく手もないでしょう。
たとえば、歴史的速報@2チャンネルなどはその最たるものです(URLを見れば、これは2チャンネルをもとにした2チャン系ブログですね)。
その書き込みは悪質、執拗、下品、低劣・・・まあ、どんな形容も当たらないほどですし、私が推測するに「職業的」ですらあります。彼らの「主張」はほとんど「ネットウヨク」に属することがそれを証明しているでしょう。こうした右翼的な潮流に抗して、日本国憲法のなりたちやその今日的意義を広めることが今年のひとつの重要な課題であるのは間違いない。

改憲論者が「GFQによる押しつけ憲法」というとき、そこには当時の支配層がいかに旧憲法の体制とイデオロギーに固執し、民主主義と基本的人権、平和主義に無能であったかには目を向けることができない。むしろ戦後の価値を否定し、戦前に引き戻すことに血道をあげていると言っても過言ではないでしょう。これは共通しています。だからそのことに全く触れられず、ただ押しつけられたと言うほかはないのです。
安倍首相にして、「戦後レジームからの脱却」というとき、彼の頭には現行憲法への敵視だけが存在し、戦後の日本の枠組みでは最も根底的なサ体制と日米安保体制からの「脱却」などは論外なのです。彼の論理の破綻を示す最も大きな点です。
敗戦時に「ポツダム宣言」を無条件で受け入れざるを得なかったのは何故なのか。何故日本全土にまだ米軍基地が我が物顔で存在し、とりわけ沖縄に過酷な現実が押しつけられているのか。戦後レジームからの脱却と言うならば、それこそが解決されなければならないはずですから。

すでに憲法施行から66年が過ぎようとしている今日、ベアテさんの死去の報に接して、日本国憲法の制定過程、それに先立つ日本の支配層の国体護持の策謀などをあらためて検証し、その教訓を今日に生かさなければならないと思わされています。



  1月3日(木)    
娘、息子夫婦が家族連れでやってきて、夕べから今朝にかけては大賑わい。お正月らしい活気に満ちています。
娘の方の孫は二人。上の子は今年から中1生になります。小学一年の時に「合宿」と称して、夏に一人でここに宿泊して「お勉強」をした子ですが、5年以上もたてばすっかりお姉さんになって、落ち着きすら感じさせます。それに比べて下の子は「いたずら坊主」で、ちょこちょこと動き回って落ち着きがない。
それでも、今日どういう風の吹き回しか、両親が富山に帰る間際に「一人で残る」と言い張ったのは不思議。息子の孫が一年違いなので、気があったらしくそれが大きな引き金になったようです。
土曜日にはまた迎えに来るという約束で両親も納得、朝大げさに別れを惜しんでいました。多分親元を離れて過ごすのは初めてかもしれないので、どうなることか。今はまだ、一日中二人で遊びほうけています。
その一方の息子の孫は女の子。来年から小学生なので、今日は妻が「ランドセル」を買ってプレゼント。
しばらく見ない間に、人見知りもなくなってしっかりしてきた印象。それでも、子ども同士となれば、はしゃぎ回って楽しそうです。




さて、一方の私は今日が仕事始め。高校3年生の生徒たちとしばらくぶりで会って、3時間授業をしてきました。センター試験まであと2週間ちょっと。最後の追い込みというには余りにも時間がありませんけれど、精一杯のことはしなければなりません。

夕方から冷え込みが強くなり、仕事を終える6時には大町でも道路が真っ白になるほど雪が降っていました。富山に着いた娘の話では富山はかなり降っているそうです。今のところ池田ではそれほどでもないので、明日まで積もらなければいいのですが。



  1月1日(火)    
この日記を書き始めたのは2004年の1月ですから、いよいよ10年目に入ります。
今年の半ばには少し中断があったものの、年月には中断なく生活の断片や思うことの種々を書きつづってきました。読み返してみると、赤面することもしばしばですが、反面、そのときの出来事が昨日のことのように思い起こされて、記録することの意味が実に大きいのだと思わされます。

この記録でもっともよかったと思われることは、私と妻の記録とが同時並行ですすんでいることです。いっしょに生活していれば、面と向かってそれほど会話をすることもないわけで、書いているほどにはお互いをわかっているわけではありません。だから、かつてはそれがさまざまな誤解やら理解不足につながったのでした。今はこうした記録自体が発声なき「会話」の主要な中身を形作っているわけで、それがお互いの深い理解につながっていると感じるのです。

夫婦でなくとも、お互いの心の内、頭の中を知り、会話を重ね議論し、高めあうことはとても重要です。ブログやホームページは、その意味でなくてはならない存在になっているといえるでしょう。
問題は、それをどう使うかにかかっています。いくら技術がすすみ、パソコンやスマホ、タブレットが多機能になろうが、肝心のコミュニケーションの中身がともなわなくては意味がありませんね。見てくれよりも頑なに「書くこと」に私がこだわっているのはそのためです。

* * * * * * * *  * * * *

ティル・バスティアンは「アウシュビッツと<アウシュビッツの嘘>」の最終章「私は何も知らなかった・・・」で、ナチスの犯罪に直接荷担したSSやゲシュタポ以外に、当時の大衆が「『総統』と自己を同一視し」「犯罪をほのめかす動きを追究することなく、少なくとも疑わしいことや怪しげなことに目を伏せることにあった。さらに彼らはこれに荷担するか、少なくとも流れに身を任せていた」とのべ、事実がつきつけられると「我々は何も知らなかったのだ」「命令に従っただけだ」という正当化の論法を持ち出すことについて、これがいかに後ろ向きの自己欺瞞であるかを強烈に批判しています。そして、次のように続けます。

「どんな犠牲を払っても」秩序と一体化するという伝統は、ドイツにおいては相変わらず健在である。それはいまなお恐ろしい結果をもたらし、当然ながら外国からの不安げな視線にさらされている。

現在の日本の状況と恐ろしいほど酷似していると思われませんか?アウシュビッツを経験してなお、そうした気分が蔓延する下地には何があるのでしょうか。

現在の日本では、何気なく過ぎていく毎日の中で、いつのまにか自分自身の頭の中がメディアのまき散らすウソや誇張、一面的な報道に染められて、その枠の中でしか物事を考えられなくさせられていきます。批判よりも従順と思考停止が支配的になりつつある。
情報操作によって自己のアイデンティティが安部や石原などの言動とシンクロさせられているにもかかわらず、自発的にそうなのだと思いこむ。個人のアイデンティティが破壊されるのではなく、一体化し服従することで自己のアイデンティティを確認しようとする。支配者の大衆操作とはまさにそれに尽きるといえます。
そうしてみると、「アイデンティティと服従とのこうした悪循環が打破されないかぎり、アウシュビッツは依然として災いの予兆であり続け、プリモ・レヴィが言うように、差し迫った危険は決してなくならない」というティル・バスティアンの警告は、今日の日本に向けて発せられているようにさえ思えます。アウシュビッツを南京大虐殺、沖縄での軍命による強制集団死、あるいは原発や日米安保と置き換えてみてもそのまま文意が通ずるのです。

歴史の偽造を許さず、過去から学び未来への道を確かなものにすること。少しでもそのことにつながる生き方ができれば、一回だけの人生をまともに生きたといえるのではないか・・・とまあ、小難しいことを考えて新年を迎えました。




top