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  1月27日(月)
このところ日の経つのが何とも速い。相変わらず「ゴミ」の処理をしたり、知人に頼まれたパソコンを修理したり、今日はまた妻のパソコンをハードもソフトも最新鋭のWindows8デスクトップマシンにしたりと、どちらかというとパソコンに向かっている方が多い毎日。
めずらしいところでは、今から40年以上も前、私が名古屋で勤め始めたとき、1ヶ月分くらいの給料をはたいて買ったレコードプレーヤーを引っ張り出して、これまた大昔のレコードをCDに直す仕事を始めたのです。
Macソフトの定番であるToast(CD Spin Doctor)を使ってiMacに一曲一曲落としていくのです。結構しんどい息の長い作業なので、1日LP一枚が限度。昨日まで森山良子のアルバム2枚をCDに直しましたよ。直したからどうってことないのですが、それなりに懐かしく、たまには聴いてみるのもいいのかも。

ところで、先週の19日(日)に池田町公民館で、例の社会資本総合整備計画の委員会案についての説明会が開かれました。16日の多目的研修センターに続く地域別説明会で、この日は池田町北部の住民を対象にしたものでした。
私は両日とも出席し、16日の内容はすでにこのページでアップしてあります。今日は、19日の内容を紹介することにしましょう。16日は私のメモに基づいて概略を再現したものでしたが、19日の分は「録音」に基づいて原稿起こししたものですから、ほぼ忠実に再現しています。
ここ最近の私の考えで、コメントは一切省略。参加されなかった方々にもどんな内容だったかを知っていただくために、先入観を避ける意味でも事実のみお知らせすることにいたします。

町民説明会 1月19日 池田町公民館



  1月20日(月)
一夜明けてみれば、名護市長選挙結果は4000票余りの大差で稲嶺候補の勝利。まさに圧勝と言っていいでしょう。権力をかさにきての金権まみれの選挙を打ち破った意義は本当に大きい。

大メディア(信濃毎日新聞も含めて)は、稲嶺陣営を「(基地)反対派」とよぶ。しかし、この「反対派」というマスコミの表現は正しいのでしょうか。
「反対派」は別の言い方をすれば基地をつくらせない土地の擁護者の総称であり、今では「派」などという言い方は全く意味をなしていません。下の世論調査の結果を見れば一目瞭然でしょう。

普天間飛行場の返還・移設問題をどう解決すべきかについては県外・国外、無条件閉鎖・撤去を求め、県内移設に反対する意見が計73.5%に達した。辺野古移設の支持は15.9%、辺野古を含めた県内移設支持は22.6%にとどまった。(2013.12.30琉球新報

普天間基地の即時閉鎖・撤去、県内移設に反対する県民が7割以上にも上るのですから、これは全沖縄の民意なのです。だとすれば、わざわざ「派」という言い方は、何らかの意図が込められていると見ざるを得ません。

菅官房長官が今日午前の記者会見で、またまた「ていねいに説明し」「淡々と進める」という沖縄の総意を全く無視した発言をしていました。
安倍政権が沖縄の民意に背く発言を続ければ続けるほど沖縄のそれを許さない意志は固くなり結束も強くなる。
こうなれば、現地で杭1本打たせないたたかいを現地と連帯して続けるとともに、世論を喚起しつつ、年末の知事選挙で伊波さんにもう一度立ってもらって政府自民党の売国政策を完膚なきまでに粉砕するしかありません。



  1月19日(日)
やったね!!名護市長選挙で稲嶺進候補が当選確実に!
社会資本総合整備計画に関する町民説明会のあと午後9時過ぎに家に戻ると、妻が「名護市の結果どうだったかね」と落ち着かない。
すぐにネットで琉球新報、沖縄タイムスを見ると、もう「稲嶺当確」の電子版がでているではありませんか。うれしくて小躍りして喜び合いました。何しろ「飛行機をとって応援にいくかねえ」と話していたほどでしたから。




ゆうべ遅くまでずっと読んでいたのが「瀬長亀治郎回想録」(新日本出版)。
米軍政下での1956年、当時沖縄人民党書記長だった瀬長さんが那覇市長選挙に立候補し、すさまじい反共攻撃に打ち勝って見事に当選を果たすのです。
当選したら当選したで、市長の仕事を始める前から就任妨害・追放の企みが次々とおそいかかります。
まず「民政官」バージャー准将は「重要犯罪を犯した人物を公職につけないようにする市条例の通過」をそそのかす、米軍からの補助金の未執行分打ち切りを通告。琉球銀行は都市計画事業に対する融資の中止と那覇市の預金の凍結を口頭で通知。さらに各種企業が瀬長市政”非協力”を新聞で広告、各種団体や住民一同などがこぞって非協力声明を出すなど「金の力で民主主義を圧殺」しようとしてきます。
このとき、瀬長さんの背中を押したのは何だったのか。彼は次のように書いています。

私を支え、励ましたのはなんといっても11万那覇市民であった。3月30日の晩、久茂地広場でひらかれた初めての「瀬長市政報告市民集会」には、実に5万人を越える市民と県民が参加した。・・・・

その市民集会で瀬長さんは次のように訴えます。

・・・私が当選したら市政がマヒするだろう、税金も納めないだろうと彼らは信じていた。彼らの期待は裏切られて、今年の2月28日現在、一年前とくらべて10%も納税率は上がっている。(拍手)ーー瀬長市政をいじめるから我々が助けるのだとすすんで納税する。
・・・私が不正に対して頭を下げることは、11万那覇市民が頭を下げることであり、それは不正に対する市民の屈服を意味する。私はどんなことがあっても不正には屈服しない。それは11万市民がこのセナガを支えているからであります。


「お金を借りてでも税金を納めなければ」という市民の行列が市役所や首里支所の建物まで500bほど続いた。この光景は感動的であるーーー瀬長さんはこのように書いていました。
その後、瀬長さんは米軍民政府の布令で被選挙権が剥奪され公職を追放されます。しかし、ここに示された瀬長さんの不屈のたたかいと市民の支えとは、現在なお沖縄県民、名護市民に脈々と受け継がれている。今日の稲嶺候補の歴史的な勝利がまさにそのことを物語っているのではないでしょうか。
沖縄県民は札束での誘惑に決して乗らない。屈しない。美しい海を米軍には売らない。自らの道は自らが決める・・・これをはっきり示した今回の選挙結果。安倍政権と仲井真知事へのこれ以上無い痛打となったことでしょう。



  1月18日(土)
どちらの陣営にしろ固唾を飲んで投票の結果に注目する名護市長選がいよいよ明日投票日を迎えます。
末松陣営には仲井真知事が連日応援に入ったというニュースを見るにつけ、一旦転落すればどこまでも転げ落ちるという典型ではないかと思わずにいられません。
これに輪をかけてひどいのが石破の「基地をどこにつくるかは政府が決める」という発言。これは鳥取県米子市での記者会見場で12日に飛び出したもの。

名護、県北部地域の発展を考える選挙だ。基地の場所は政府が決めるものだ。
(仲井真知事の)承認は県知事の専権事項だ。普天間の危険性を一日も早く除去することで、公約違反でもなんでもない。


小野寺防衛相も同様に「地方の選挙だ。仲井真知事から埋め立て承認をいただいたので、着実に(移設を)進めたい」と述べ、地方自治など眼中にないという態度です。
さらに菅官房長官は次のような重大発言をして沖縄県民を逆なで。

仲井真弘多知事が辺野古埋め立ての判断を下した。そこは決定している。
名護市という地方の選挙だ。沖縄県として認めていただいた埋め立て申請の了承に基づき、今後とも工事を含めて進めていきたい。


これに対して琉球新報は「政府・与党発言 専制国家になったのか」と社説で反論。政府が選挙結果を無視する暴論をはき続けていることに強い怒りを表明しました。当然です。

名護市の民意がどうであれ、委細構わずごり押しするという意思表明にほかならない。民意を尊重するのが民主制の根幹だろう。これでは「沖縄には民主主義を適用しない」と宣言するに等しい。
日本はいつから中世の暗黒専制国家になったのか。近代国家だと自認したいのなら、政府は直ちに強権的な姿勢を改めるべきだ。
それにしても政府・与党の言動は国際社会におよそ通用するまい。石破茂自民党幹事長は「基地の場所は政府が決めるものだ」と言い放った。だが石破氏も閣僚も、国連の国際人権規約を読み返した方がいい。


石破幹事長はさらに、16日の名護市での演説で名護市への「500億円基金を立ち上げる」と勇ましく公言したといいいます。しかし、そんな金の出所はないことを政府関係者が認めるというお粗末さ。にもかかわらず最後まで末松陣営は札束で市民に幻想を与え、カネで名護市民をゆさぶる「謀略」的金権選挙しかできない。
沖縄タイムスも「札束で有権者の頬を殴るような露骨な利益誘導だ」「自民党幹事長が国の予算権限を全て取り仕切っているかのような物言いは言語道断」と、その反民主主義の手口を手厳しく批判。
こうした政府・自民・財界あげての基地建設にもし負けるようなことがあれば、とりかえしのつかない禍根を残すことになってしまうでしょう。

さて、さて、このような記事を読むにつけ私は思うのです。
その1つは、世界がこの国をどう見ているのかをもっと知らなくっちゃいけないなということ。
たとえば、仲井真や自民党が「基地、基地」と言っているその足下で、アメリカの知日派「米戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハムレ所長」が「米国外での米軍の長期大規模駐留は住民との摩擦を招くとして『違う方向性がないか再考の必要がある』と述べた」と報道(琉球新報)されているのです。
大メディアを通して北朝鮮や中国の動きばかりが報道されていれば、おそらく何も見えなくなってしまう。特定秘密保護法や次に狙われる共謀罪などでその傾向に一層拍車がかかることになるでしょう。

第2は、ウエブ上での右翼的な言説にもっと反撃し圧倒すべきだということ。
保守の側からのまじめな議論は全く否定しません。しかし、ネットで検索をかければ極右思想、歴史歪曲の虚言・妄言の氾濫にうんざりさせられます。いったいこの国の時代はいつなのかと思わされる現状。
現在の自民党(実際には極右政党になりさがっている)の主張(天皇元首、靖国擁護、過去の戦争肯定、「従軍慰安婦」問題、教科書問題・・)などで、歴史逆行の言説を批判・克服しない限りおそらく「国際社会で名誉ある地位」など得られるはずがありません。
右翼的潮流にとっては、歴史学者の真剣な学術的研究などはどうでもいいので、あくまで「政治的」に利用できるものは何でも利用し、大メディア、書籍その他を利用して都合のよい組み立てができればよいのです。
だとすれば、ネット上では、量と質で圧倒する以外にない。今は簡単に自分の意思を述べられるブログ、ツイッターなどの手段がありますから、可能なかぎり発信の努力をすべきなのです。
「黙っていることは肯定したことと同じ」ーー若い頃たたき込まれた教訓を思い出しつつこれを書いています。



  1月16日(木)
年があらたまるとパソコンソフトの更新ラッシュ。いくつもパソコンがあるので、セキュリティソフトの期限切れが近づくとどれを更新すべきなのかで困ることや、果たしてアップグレードすべきかどうか悩ましい判断をしなければならないことがあります。
基本は使えるものは使う。セキュリティソフトは必要なものだけ安い更新版で、ATOKは最新のものを・・・です。ソフト会社も更新してもらえなければそれで終わりですからDMなどで売り込みに必死。前にもプリンターで書いたように、本体は安くインクは高くが向こうの方針なら、こっちは本体は安くインクも安く。ネットでリサイクルを探しまわる日々です。

塾の勤務替えのために中学生を担当することになりました。昨夜はその第一日。他の町でも教室を展開することになったために生徒が分散して今のところ少ないのですが、久しぶりに授業をしたという実感が持てました。中学2年生の彼ら、彼女らも同じ感覚だったのでは?「時間が長い、疲れた」を連発していましたから。
いままで十分な授業の対応ができなかったためか、学ぶための基本ができていない。テキストやノートの使い方、数学で対象の「意味」をとらえることの大切さ、具体的な考え方などを実例を使って話せば、彼らの学び方は変わってくる。中学生を教えていて楽しいのはそこです。
彼らの家での生活を聞いてみると、女の子は「寝ていることが多い」、男の子はスマホのゲームで相当に(1〜2時間くらい)時間がとられていて、家庭学習の時間が30分とか1時間とか。学校の宿題をサッと済ませる程度にしかなっていないのです。
すぐに改善するとは思われませんけれど、塾で学んだことが学校で威力を発揮してくるなら彼らの学習への意欲はおそらく急速に高まるはず。期待できます。あとはもう少し人数が増えてくれればよい。
2月中旬からは松本で展開する教室で高校生。これにはMNEMOさんも加わる予定なので面白くなりそうです。

午後7時から、策定委員会と町による社会資本総合整備計画に関する「第2回町民説明会」が開かれました。今日は町内2カ所のうち多目的研修センターでの説明会。前回よりはやや低調で、議員の参加を除けば一般参加13名という状況。内容についてはコメントをさけ、私のメモに基づいてその模様を再現してみました。資料は省いてあります。
ただ前提として、今回の事務局からの説明は、昨年末から今年初頭にかけての重大な事情の変更(議会による会染保育園の建て替えの方向、安曇病院への拠出、その他の課題など)については一切考慮外で、それ以前の前提で資料が出されていることに留意することが重要です。

第2回町民説明会(多目的研修センター)会議メモ



  1月15日(水)
昨日昼前我が家を訪れたバラの会の友人とパソコン修理で訪れた若い友人(どちらも女性)。私がパソコンの修理をしている間、そのお二人と妻がある話題で盛り上がっている。何と「シルバー川柳」のことでした。
先日、本屋に寄った折に妻が勝ってきた3冊の「シルバー川柳」特集をひろげて、しばし笑いの渦でしたね。思わず笑い転げる「傑作」が並んでいるので楽しい。

 あの世ではお友達よと妻が言い
           藤本 明久(男性/石川県/64歳/広告事務所自営)
 延命は不要と書いて医者通い
           安永 賣市 光(70歳/男性/宮城県/無職)
 お迎へと言うなよケアの送迎車
           安永 富男(男/福岡県/84歳/無職)
 「先寝るぞ」「安らかにね」と返す妻
           朝倉 道子(女/埼玉県/71歳/主婦)
 改札を通れずよく見りゃ診察券
           津田 博子(46歳/女性/千葉県/主婦)
 誕生日ローソク吹いて立ちくらみ
           今津  茂(男性/大阪府/63歳/会社員)
 ひ孫の名読めない書けない聞きとれない
           松本 俊彦(男/京都府/48歳/会社員)
 本性が出ると言うからボケられぬ
           阿部  浩(男/神奈川県/53歳/会社員)
 メイドカフェ?冥土もカフェがあるんかえ?
           竹村 友子(女/三重県/36歳/パート)

他にも「胸騒ぎ恋かと思えば狭心症」とか「同窓会挨拶交わしてよろけ合う」などというのもあったような。まったく笑う前に身につまされる。
こんな調子で過去の川柳をあつめて「シルバー川柳カルタ」をつくったらいかがでしょう。老人ホームやシニア大学などでカルタ大会をやる。超高齢化時代、絶対にウケると思うんだけどなあ。正月に家族がそろったときにやってもよい。
もっとも孫にフダを読んでもらって、「は〜〜い」とやっている自分は想像したくありませんけど。
というわけで、私も一句。

 「オレ作る」「ワカメ切らずにどう食べる」
 「加齢です」言われて帰ればカレー待つ
 絨毯の模様押さえるカルタ取り

イマイチだなあ・・・。
ま、それはともかく、笑い飛ばしてしたたかに長生きするのが一番ですね。

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正月あけに私も「老い」とたたかいながら一仕事。池田町の「老い」と向き合っていた次第。
この町の資料集めのひとつとして、池田町の人口の変遷と財政(とくに収入)の推移をしらべて表にまとめていたのです。
住民課の窓口の方にはお世話になりましたが、同時に町のデータの収集、処理にも大きな問題があることがわかり、住民課でもちょっとあわてていたのではないでしょうか。
それはともかく、実態を正確にとらえ、それに基づいて対策をとることが必要なのですが、こうしたデータが十分に町民に周知徹底されずにいることが問題なのではないかと思わされました。

まとめたものは次の通りです。

池田町の人口と財政

1ページ目と2ページ目には次の表を載せてあります。




表1はここ20年ほどの年代別人口の動きです。出生者数はじりじりと下がってはいるものの低位安定という状況で、これはちょっと意外。ですから、人口全体の割合では0歳から9歳までは少しずつ減少。これにくらべて20代が目立て減少し、30代がやや増加傾向。40代、50代が減って60代以降が大きく増加していることがわかります。50歳を境にちょうど人口が2分されているというのが現在の池田町の実像です。
先日の市民タイムスには、近隣町村の人口がどうなっているのかについての記事が掲載されました。資料の一部としても載せてあります。
この町村の人口問題は、全国的に共通する流れや課題があることは当然ですが、それまでの行政や町村民の活動がどうであったのかも当然ながら反映しています。
その点で、池田町を眺めてみたときにどのようなことが明らかになるのか。私にはこの点を明らかにし得ず、十分な対策を講じることができないままに推移してきたことが現状につながっていると見えます。

たとえば、若者定住住宅を建てる場合、建てることが先にあって誰がどのようにそこに住むかは「自然発生性」に任せている。ハコモノの場合は、建てることが優先されて理由は後付けになっている。順序がすべてあべこべなのです。
行政は各年代の推移をどのように分析し、どのような対策を講じているのでしょうか。また、転入・転出について年代ごとにどのような問題なり課題なりがあると把握しているのでしょうか。議会でこのような議論があったのでしょうか。
福祉課では毎年くわしい資料をつくり、健康面での分析を行っています。どのような病気があり、何が問題なのかを詳細に把握しているから対策もとりやすい。長寿の町の一端はこうした福祉関係で働く職員の努力に支えられている。
しかし、行政はタテの世界ですから課題に応じて横断的に対策を講じることができません。
一例を挙げましょう。池田町の転入者が多いのは、1つには景観に惹かれて移住する人がいるからです。
観光協会・観光推進本部では数年前から情報を発信し、いろいろなイベントにとりくみ、認知度を上げるのに「やっきに」なってきました。
移住者がそれに連動しているとは思えませんが、長い目で見れば大きな効果はあるはずです。しかし、その困難な作業を担う部署はあまりにイベント依存になり、働きづめに働いて身をすり減らしている状態と私には見受けられます。本来観光協会は町とは異なり商工業の振興とも密接に関係がありますが、その仕事が十分にできないまま、ウオーキングイベントに追われるという状態が長い間続いてきました。
私は観光協会職員の賃金は同年齢の役場職員の2倍くらいあってもおかしくないと思っているのですが、現状はどうなのでしょう。他市町村であれば役場職員が行うべき仕事も代行しているのですから、町からの補助を抜本的にひきあげ、現状にふさわしい職員数と活動にすべきではないのでしょうか。
池田町では、観光と移住というのは切っても切れない関係にあるのです。だとすれば、そのように位置づけて農山村留学や農山村宿泊、農業体験などの政策と結んで新しい地域振興の道筋が生まれるのです。そうした関連ではじめて町に対する魅力が生まれ、定着へとつながる。将来への発展性を秘めたこうした部署にこそお金をかけなければならないということです。
さらに、農業問題では後継者育成がまったなしです。しかし、この点でもJAまかせであったり、圃場整備だけの行政に陥っていないのか。民間の農業者団体と協力して育成の仕組みを構築することはその気さえあればできるはずです。
若者定住は、家を建てればできるのではなく、こうした農業への「しくみ」をつくり若者を誘導することにお金を使うことが求められる。ここでも順序があべこべなのです。

これ以外にも論じることはいろいろあるとは思いますが、先入観にとらわれず議論を重ねることが大事でしょうから、とりあえず今日はこのくらいにしておきましょう。
出生数、死亡者数、転入・転出のデータも合わせて参考にしていただきたいと思います。



  1月14日(火)
昨日の全国高校サッカー選手権で富山第一高校が初の優勝を飾りましたね。息子の出身校でもあるので密かに応援していた次第でした。
私は用事があって一部しか見られませんでしたが、ずっと見ていた妻が「勝ってしまった」と喜びをかみしめたような言い方で報告に来たのでびっくり。2−0を延長まで持ち込んでひっくり返したんですからね。
各地から選手を集める星稜と異なって、富山第一はほとんどが地元勢。いずれにしても北陸同士の決勝というのがなかなかよい。地元ではおおいに盛り上がったことでしょう。

話は変わりますが、ネット上での大新聞ウエブ版は日本であれ海外であれ、次第に会員登録制を取るところが増えつつあるように思われます。それゆえ、私のメールボックスには朝日、毎日、ニューヨークタイムスなどの案内が毎日来てふくれあがっています。ただ、ネット上ののweb版はどこでも登録さえすれば無料で読めるのがほとんどなので、それほど苦にはなりませんけれど。

今朝届いたその朝日デジタル・ニュースメールによれば、沖縄の名護市長選挙の初盤情勢は「現職優勢」とのこと。沖縄タイムスでも朝日と共同での世論調査のようで、全く同じ記事が掲載されていました。
何の保証もない空約束で辺野古新基地建設を容認した自民と仲井真知事に対する県民の怒りはすさまじい。知事への支持率に至っては、申請を承認する前(12月中旬)と比べてに支持率が57%(不支持14%)から24%(不支持51%)と完全に逆転。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設については、「反対が64%で賛成の19%を大きく上回った」と同紙は報じていました。
ただ、選挙だけはみずものですから、終盤まで決して気を緩めず、カネと権力にものを言わせる政治にキッパリとノーを突きつける必要があります。昨日も、雨模様の寒い1日を駆け回った稲嶺候補。その奮闘を全力で応援したい。



  1月12日(日)
今日は娘とその子のダブル誕生日。40歳の大台になった、ということは、まさしく「あれから40年 」。ふたりともおめでとうね。
名古屋から里帰りする際に車の後部座席に段ボールを置いて、その中に寝かせて運転していたことや、子ども達を母に預け、さらに家を建ててからは近くの方に面倒をみてもらって共働きしていたことなど、いろいろ思い出します。

さて、今朝もマイナス5〜10度くらいの寒さで、外のすべてが凍り付いています。北アルプスは朝焼けに染まって美しい。感度のよくないカメラでは全容を紹介できないのが残念です。次の写真は2日前の朝の光景。陰影がはっきりしてこれまでにない壮観さでした。(1600×794の拡大画像をリンクしました)


いよいよ名護市長選挙の火ぶたが切って落とされました。沖縄をアメリカに売り渡さないために、美しい海をそのままにするために、そして住民の安全と暮らしをまもるために、絶対に負けられない選挙です。
奇しくも今日の信濃毎日新聞は、一面トップで、(沖縄の)日本返還直前1960年代に「沖縄で生物兵器実験」を行っていた事実を暴露(共同通信による)していました。
1950年代、銃剣とブルトーザーで住民から暴力的に土地を奪い、広大な基地群をつくってきたアメリカは、当然のように核兵器、毒ガス兵器を持ち込み沖縄の土地を荒らしてきたのですから驚くほどのことでもありません。米軍にとって日本を含むアジアは戦争での勝利品であり、支配すべき土地であり、さらに人種として下等な人間の住む土地ですから、人を殺めようが傷つけようがお構いなし、何でもありの支配体制を敷いてきたのです(土地強奪の歴史は、瀬長亀次郎「民族の悲劇」にくわしい)。
信濃毎日新聞の「解説」でも、米軍が「いもち病菌」を水田に散布、稲に被害を与える実験を行っていたことを明らかにしつつ、「思いのままに沖縄を軍事利用」していたと書いています。そして、まとめとして「住民より外国の軍隊の事情が優先される異常な状況は本質的に変わっていない」と結んでいます。

安倍首相が靖国神社参拝を強行し、中国・韓国からだけではなく欧米諸国からも厳しい批判の声が高まっていることに、「いや、あれは『不戦の誓い』をしたのだ」との言い訳をしていますが、靖国神社の何たるかを知っているアジア、欧米諸国は決して「だまされない」。
私は、海外からの批判があることよりも、国内で首相が靖国神社に参拝することを当然視したり、暗黙のうちに許容したり、問題視しない風潮が強まっていることの方が危険だと思っています。
戦争で亡くなった英霊を追悼することのどこに問題があるのか、これは内心の問題であり他人からとやかく言われる筋合いはない、という個人の問題と、それが靖国神社であって千鳥ヶ淵戦没者墓苑ではないという社会的問題とが何の脈絡もなく、むしろ思考停止状態で「接合」される。
戦後の国際秩序とは「無関係」「無批判」に戦前の国体の精神土壌が地続きで受け継がれ、いまなお精神の深部に内包されていることをいまさらながら痛感しているのです。
だとすれば、海外への侵略さえ、外国からの圧力でやむなく行った自存自衛の行為だという論理が現実に戦争行為として復活しても一向におかしくない。かつてのさまざまなスローガンが、今では「積極的平和主義」と変わっているだけなんですから。ということは、沖縄に対する「本土」の差別的意識も、結局は受け継がれているということになりますね。

蛇足ですが、上で紹介した戦前のスローガン、いやいや、面白いですね。日本人捨てたもんじゃない。○○新聞社の「聖戦だ 己殺して国生かせ」なんてのは今も社屋に掲げてあるんじゃないかしら??

ついでにもうひとつ、都議選挙で自民が桝添推薦に動いていることについて、 自民党東京都連の掲示板が「炎上」に近い状態になっていると、今日の「しんぶん赤旗」が伝えていました。実際見てみると、これまた面白い。(ひょっとしたら近く閉鎖されてしまうんじゃないかしら・・・)

・舛添氏といい、宇都宮氏といい...『何という顔ぶれか?』と耳を疑ったのは言うまでもありません。・・・最も応援出来なおかつ支持出来る候補者は、田母神氏以外にあり得ないと確信した次第です。
・自民を支持してきましたが、今回ばかりは残念ですが舛添には入れられないです。
・除名した舛添を支持するなんて言語道断田母神さんに詫びを入れて支持すれば自民党を見直しただろうに・・・・。よりによって朝鮮人で反日の舛添を支持するとは・・日本人はもう『嫌韓』『嫌帰化人』『嫌在日朝鮮人』であり、この流れは止まらない。
・都知事は都にいる日本人のための政治をする人を選ぶべきです。反日・左翼(宇都宮・細川)・在日朝鮮2世(舛添)は不要です!!!。
・理念の全く違う舛添を支援して、田母神氏を推せないのは、公明党に遠慮しているからだろ?早く連立を解消しろ!
・真っ当な人は田母神氏のみ。
・自民党はなぜ田母神さんを公認ししないのですか?他の候補では無理です。日本人の誇りを取り戻し強い国にするには、田母神さんしかいません!自民党しっかり国民の声を取り上げてください。
・日本、東京を良くしてくれる人は田母神さんです!桝添氏なんてお話にもならない!!!自民党は気でも狂いましたか??
・外添氏は、かつて一度も日本のためになる言動をしたことのない人物。 選挙には、絶対に勝たねばならないが、国益を裏切る実績を持つ人物を支持するのは、本末転倒だ。田母神氏の方が、国益にとってよっぽど明確な主張をしていると思う。


こんなのばっかり。自民党も劣化して久しいと思っていたら、自民党・公明党を支持する東京都民も相当にひどいということがよくわかります。もちろん東京都民のほんの一握りでしょうから、東京都民は決してそうではないことをしっかり見せてほしいものですね。
ちなみに、田母神様の三橋経済動向塾(1月9日)のご講演をメモを取りつつ聞いてみました。書くものよりしゃべる方がよほどお上手です。航空自衛隊のもと最高幹部だけあって、軍事に関しては確かに聞かせるものをもっていらっしゃる。中国や韓国から「無理難題」をつきつけられいらついている大方の皆さんはこのような話し方をされると「やっぱりスゴイ!」と溜飲を下げるのでしょうね。
しかし、あらゆるものが軍事に結びついて行かざるを得ないのですから、危険極まりない。都知事に立候補となれば、有権者としてもただ「右翼」と決めつけるのではなく、その主張をよく分析しておくことは大切なことです。



  1月10日(金)
今日友人宅に年賀に行った折、たまたま見せてもらったローカル情報紙に「バラの会」の記事が載っているのを見つけました。
11月に取材があって、載せるときには連絡すると約束していたはずなのに、いつの間にか載せているなんてルール違反。しかも、12月も末になってバラ園のニュースを載せるのも時期外れでちょっとピンぼけですよね。
「問合せがあったの?」と友人に聞いても、「ぜんぜん。時期が時期だし・・」という返事でした。そりゃそうですね。
それでも、写真はなかなかいい。みんな楽しそうだし、会の雰囲気をよく伝えていますから、許してあげよう。


バラの会は3月末まで一応お休み。ただ、その間に総会とバラの選定作業を予定しています。本格的に作業を開始するのは4月から。
昨年末に、開墾した遊休農地(契約してある土地)にたくさんの菜の花を植えたので、4月にはきれいに咲きそろうことでしょう。6月初旬にはもうバラが咲き始めるので、6月10日前後から「バラ祭り」。それまで束の間のお休みです。



  1月9日(木)
にわかにあわただしくなってきた東京都知事選挙。司直の手で選挙違反を視野に捜査が行われている猪瀬さんに替わる人物としては宇都宮健児さんしかいないでしょう。
本来弁護士といえば日本国憲法の立場で人々の人権を守るべき職業ですから、頭に「人権派」などとつくはずもないのです。しかし大阪方面にはそうでないお方もいらっしゃるので、勢い頭書きが必要になってくるのでしょう。「人権派」とつけなければいけないのであれば、その筆頭は何と言っても宇都宮さんですから。
ところで、さる「論文」をアパ・グループの懸賞論文募集に応募し最優秀賞をお取りになった、あの田母神様が都知事選に立候補されるという報道があり、さもありなんと思った次第。ごていねいに、石原慎太郎様も立候補の記者会見に同席され「東京を守るためにね、1つ深いご理解と強いご支援を、田母神さんに賜りたい」とあいさつされたとか。災害支援といったところで、自衛隊の出動の機会をつくるだけの話で、結局ウルトラ・ナショナリストの艘結集を画策しようとされるおつもりか。

桝添氏の出馬に至ってはまったくのマユツバで、かつて自民から割って出たことも「水に流して」手をとりあい、「都民のために」ご出馬されるということなのでしょうか。いったい選挙をどう心得ているのでしょうね。
そろそろ東京都民も「AKB総選挙」並のレベルから目をさまして、将来の東京都のあるべき姿を見据え、さらには一人にとりの生活に根ざした判断をしなければいけないのではないでしょうか。



  1月8日(水)
夜に入って雨が雪に変わり、大町で数センチ、池田町でも1,2センチの積雪。明日までに数センチは積もるのかもしれません。ただ、現在は湿気を含んだ重たい雪ですから、北陸とそう変わりません。明日の午後からは冬型の気圧配置が強まって、日本海沿いに大雪との情報がでていました。あまり寒くなって欲しくないですね。

ところで、アメリカを中心とした著名な文化人、ジャーナリスト、作家など蒼々たるメンバーが「辺野古への新基地建設反対、普天間基地の閉鎖」を求める声明を発表したというニュースが今日の琉球新報に載りました。
声明のプレスリリースでは、沖縄の現在の状態を簡潔だがきわめて的確に述べ、辺野古への新基地建設を厳しく断罪していました。短い声明文ですので、まず、次の全文をぜひお読みいただきたいと思います。

世界の識者と文化人による、沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明(邦文)

声明では、沖縄がアメリカの「軍事植民地」とされていることや、仲井間知事の今回の「裏切り」が日本政府による経済振興という「エサ」で釣り上げられたものであること、これが決して沖縄県民の民意ではないことを指摘し、辺野古が「稀に見る生物多様性を抱え、絶滅の危機にある海洋哺乳動物、ジュゴンが棲息する地域」であることにも言及しています。

声明文はまた、日本による併合から沖縄戦の実態、戦後アメリカの軍事基地として痛苦の歴史を刻んできたことを紹介しながら、沖縄県民がそれらに抗い現在なお不屈のたたかいを続けていることに連帯を表明、最後に次のように述べているのです。

私たちは、沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持します。辺野古の海兵隊基地建設は中止すべきであり、普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです。

簡潔だが沖縄県民に寄り添う気持ちにあふれたこの声明は、基地のない平和な沖縄をめざす県民を限りなく励ますことでしょうし、宜野湾市長選の勝利を目指して奮闘する稲嶺候補と支持者をどれだけ鼓舞するかわかりません。

これをお読みのみなさんも驚かれたのではないかと思いますが、署名している方々のなんと多彩な顔ぶれであることか!世界の良心ともいえる方々が沖縄の現状に胸を痛め、日米両政府と沖縄県知事に抗議声明を発するというのは前代未聞のことです。
辺野古への新基地建設がそれだけ世界の平和にとって大きな脅威となっており、国際的にも戦争と平和の結節点になっているという証しでもあるということですね。



  1月7日(火)
安倍さんの「もの言い」をどう表現したらいいのか考えあぐねていたところ、作家の北原みのりさんが実にピッタシの表現で納得させてくれました。今日の信濃毎日新聞4面に載ったインタビューです。
ちょっと聞いてみましょう。

「おまえのことは守る。だから俺を愛してくれ。全てお前のためなんだから」。これって本当にドメスティックバイオレンス(DV)をする男が言うことと同じ。もう笑っちゃうぐらい。安倍首相と安倍政権のことです。

「愛国」って男尊女卑と結びついているんです。男が戦い守る側で、守られる側の女は二流の国民。「女性の活用」とか言って何だか変だと思っていたけど、安倍さんの言う国のかたちができれば、男尊女卑は揺るがない。その中だったら、安心して「女性の活用」って言えるなって。
私は絶対に憲法9条は変えちゃいけないと思っているんです。自分たちの首を絞めることになる。秘密保護法もそう。


「いやだ、いやだ」というのを「お前が理解するまで話し合おう。これはお前と家族のためだ」と言い募り、あげくカネと力でねじ伏せるっていうのは、まぎれもなくDV、パワハラのたぐいです。女性の見方は本当にスルドい。さすがです。
彼女はこのあと、「それでも『これは彼が私を守るために決めたことなの』というファンタジーを抱く人がいる」として、安倍さんを支える「愛国運動」をする女性たちを取材しているのだという。「政治が彼らの気持ちをいやして扇動している。もう恐ろしくて」という実感を述懐する彼女。

前にも紹介したエミー・ワーナーさんの著書「ユダヤ人を救え」の第7章「コペンハーゲンの騒擾」では、デンマークに残らざるを得なかったユダヤ人たちがどうやって身を守ったのか、コペンハーゲンの市民達がどのようにユダヤ人を守ったのかが記録されています。
この章の冒頭には、ある少女を巡る逸話がかなり長く紹介されているのですが、あくまでそれは「ふつう」のデンマーク人たちの品位ある行為(the decency of many "ordinary" Danes)としてなのだとワーナーさんは書いています。次は要約です。

母の病気のためにコペンハーゲンに残った16歳の少女ハンナ・クロトシンスキはゲシュタポによる逮捕の危険が迫っていることを知り、地下組織の手づるで、ある療養所を紹介され移されます。そのあと母方の祖父母のもとに身をよせ、そこでデンマーク警察からクリステンセンという名の新しい身分証明書と配給カードを受け取るのです。警察も彼女たちを守るたたかいを続けていたのです。(その後警察官達はすべてゲシュタポと警察にとってかわった予備警察によって逮捕されてしまいます)
彼女は、市役所の学校管理課に行ってこれまで通っていた学校に通えるようにたのみます。そのとき、学校行政の責任者は次のように告げます。「このハンナ・クロトシンスキという女子生徒を外しましょう。彼女は学校から転出します。そしてハネ・クリステンセンという新しい女子生徒が転入します」。翌日学校に行った彼女に、その手をとってクラスに連れて行った校長はかつての級友達に告げるのです。「こちらが新しい生徒です。ハンナ・クロトシンスキはいなくなり、ハネ・クリステンセンが入ってきて彼女の席に着きます」。
ドイツに占領されていた間ずっと学校に通い続けた彼女に対して、隣人・先生・級友・その親たち・・・何百人もが事実を知っていても密告する人は誰一人としていなかった・・・

この人間としてのありかた、ふるまい。実にMNEMOさんが「トーホグマン」第2章「因縁」のはじめの部分で引用している宮沢賢治の「アメニモマケズ」のこころと同じではないのか。
賢治は「サウイフモノニワタシハナリタイ」と書いたとおり「アリタイ」ではなく「ナリタイ」とまことに控えめでした。しかし、デンマークの人たちは身についた感覚として自然に、普通にそうしたのです。そのありかた、振る舞いが私にはまぶしい。
the decency of many "ordinary" Japaneseといえる大切なものが日々蝕まれ、削り取られ、別のものに置き換えられようとしているこの頃。毎日の生活のなかで、何が人間として”あたりまえ””ふつう”の行為なのかを友人たち、地域の人々のなかで確認し合うことが大切なのだなと改めて考えさせられています。



  1月6日(月)
安倍さんの著書「新しい国へ(美しい国へ完全版)」には次のようなくだりがあります。

安倍家のルーツは長門市、かつての油谷町です。そこには棚田があります。日本海に面していて、水を張っているときは、ひとつひとつの棚田に月が映り、遠くの漁り火が映り、それは息をのむほど美しい。
棚田は労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかしこの美しい棚田があってこそ、私の故郷なのです。そして、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います。市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のあり方を考えていきたいと思います。(246ページ、増補最終章 美しい国へ)

地域社会が壊れつつあるといわれて久しい。
<あなたはこの土地に帰属しているのだから、この場所はあなたの一部でもあるのです。この場所をきれいにするということは、とりもなおさず、あなたの一部を高めていくことにもなるのですよ>
若者達が、自分たちが生まれ育った国を自然に愛する気持ちを持つようになるには、教育の現場や地域で、まずは、郷土愛をはぐくむことが必要だ。国に対する帰属意識はその延長線上で醸成されるのではないのだろうか。(98ページ、第3章ナショナリズムとは何か)


長々と引用したのは、この麗しい国日本にはやはり沖縄は含まれていないということを例証したかったからです。
もし、「息を飲むほど美しい」風景に沖縄も入るのであれば、さらにそれよりも何倍も美しい辺野古の海を守ろうという方向が必然的に出てくるからです。辺野古の海を埋め立て基地を作ることは誰が考えても先祖伝来の土地を米軍に売り渡すことですから、「美ら海があってこその辺野古」とは両立しません。
だから、彼の「美しい国」には沖縄は入らない。同様の論理で福島も入らない。これから決めるという放射性物質の地中処分場の候補地も入らない。入るのはせいぜいこのお方の選挙区ぐらいのものでしょうか。

辺野古の海(公有水面)を埋め立てるのに防衛省沖縄防衛局は次のような土砂の量を試算しているといいます。

公有水面埋め立て 約 160ヘクタール
埋め立てに用いる土量は約 2,100 万立方b
埋立費2310億円
埋め立ての土砂のうち、辺野古ダム周辺からの 200 万立方bのほか、飛行場事業個域のうち会存陸向部の整地で発生する土砂 200 万立方b程度を有効利用する。差し引いた 1,700 万立方b程度の土砂の調達は現段階(3月)では確定してない。


2008年にはすでに防衛局が「鹿児島など九州を中心とした県外や中国など国外からの採取を含めて検討を始めている」(琉球新報2008.1.29 夕刊)との報道もあり、さらに不足に備えて「ダム堆積土、建設残土、リサイクル材など、供給しきれなくなった場合に検討していきたい」(防衛省「調達調査業務報告書」2010年)と有害物質・植物混入の可能性が高い海外からの土砂輸入も示唆したとも報じられているのです。
昨日の「しんぶん赤旗」では、「総量2100万立方bの土砂は、10トントラックに積むと350万台分。その車両を数珠つなぎに一列に並べると那覇から札幌まで6往復分になる」と報じられていました。

そこで、安倍総理に謹んでご提案申し上げます。
なにとぞ、山口の米軍岩国基地と反対側、日本海に面した長門市の沖合を広大に埋め立て新基地を建設されますように。
なに、その理由を述べよと?
それは総理ご自身が一番よくご存じではありませんか。言うまでもなく北朝鮮、中国に近いことです。彼の地に何か動きがあれば即座に対応できます。沖縄などよりもはるかに至便の地ではありませんか。
第2に、米軍岩国基地と連動して直ちに有事即応態勢をがとれ、かつ機敏な前方展開・後方支援が可能であるということ。
第3に、埋め立ての土砂は背後の山々を崩すか、もしくは近隣の市町村から造作なく安価に入手出来るではありませんか。沖縄に本土から運んだり産廃を利用したり海外から購入したりするなどという愚をおかすことはありません。
第4は、言うまでもなく安倍総理の本籍地、ルーツの地であるということです。それゆえ、反対運動が根強くアメリカ当局すら懸念するような辺野古沖などよりも、地の利・人の利どれをとっても最高の場所であると確信する次第です。
さて、この提案が実現された暁には、「憂国・愛国」に萌える(!)全国民こぞって感涙にむせび狂喜乱舞・欣喜雀躍すること相違ございません。もしもこのような大義ある事業に異議を唱える不逞の輩、非国民がいたとしてもそこは総理のお膝元、「美しい国」への決意を披瀝されれば忽ちにして雲散霧消! 間違いございません。
そしてまた「新しい国へ」で披瀝されたご高説は即実践されなければあまりに「モ・ッ・タ・イ・ナ・イ」(滝川さんのフリで)ではありませんか。
かくなる上は、山口県への新基地建設をご決断されますよう、伏してお願い申し上げるものです。



  1月5日(日)
正月ボケだった私も今日が仕事始め。今日明日と高校生のみなさんのお勉強のお手伝いです。
昨年暮れから、膨大なゴミを片付けていると書きましたが、2日から時間をみてずっと続けているのです。
まず処理しなければいけないのが、昔のパソコンソフトを収録したCDの数々です。10数年にわたってため込んできた1000枚を越えるCD-ROMの1枚1枚をチェックして本当に必要なものだけを残すという作業。ほとんどがマック用のもの。
パソコンソフトだけは1年経つごとに古くなるわけですから、15年も経てばもう完全なゴミです。もっとも、懐かしい伝説のソフトもあるので、MacOS8やOS9、OSX10.4をまだ持っている私としては、それに対応する重要なソフトだけは持っておきたいという「願望」もあって、作業はいきおい難航しているという次第。
これが終わったら次はこれまた1000本くらいあるビデオの処分。ただ捨てるのはもったいないので、見ていないものはこの1年しっかり見てビデオデッキごと処分する予定。まず手始めに昨日はブルガリア映画「炎のマリア」を観ました。
さらに古くなったパソコン関係の本や雑誌の処分も待っていますから、本当に1年がかりの大仕事になります。

今日の「しんぶん赤旗」の誌面には、党旗びらきでの共産党志位委員長の「あいさつ」が載っていました。ここで述べられている現在の日本の政治・経済などの動きに対する見方は、これが共産党の見解だと言わなければ多くの国民にそのまま「そうだ」と受け入れられるものではないのだろうかと思って読みました。真剣さが他党とは桁違いに違う。
ちなみに、主な政党の年頭のあいさつや録画をみてみました。見てがっかりというのが感想です。
安倍自民党総裁は、「経済政策の大転換、TPP交渉への参加、震災復興の立て直し」「オリンピック・パラリンピックの誘致」「消費税」「NSC(国家安全保障会議)と国家安全保障戦略、防衛大綱見直し」などを「『決断』と『行動』の365日」などの「成果」を自画自賛、まだ道半ばである「強い日本」を取り戻す戦いを続けるのだと「決意」を述べ、さらに「積極的平和主義」を旗印に、改憲への意欲を表明していました。
これほど、国家主義と大企業擁護を臆面もなく表明した首相も内閣もありません。
公明党は、声のメッセージだけでしたが、その中で「安倍首相自ら活発な外交を展開し日本の存在感を高め、日本の安全に資する外交を重ねてきた」などと手放しで安倍政権を評価、あろうことかこの方向への「国民の健全な理解を得るために説明責任を果たす」のだそうです。
民主党は、先の選挙での惨敗が相当にこたえているらしく、「国民の皆さまの民主党に対する信頼は回復していないということを実感いたしました」といじけていました。ではどうするのか。「そのためには今年も地域を回ることです」だそうです。
「自公政権との対決に全力を挙げる」と言ってみたところで、ことごとく国民を裏切り続けてきたことへの反省も何もなしにどうやって「国民の声に耳を傾ける」というのでしょう。秘密保護法についても「法律の抜本的な見直し」を口にするだけ。これでは国民からますます見放されることになるだけです。
社民党は、新党首が、それなりにスジの通った立場を表明していました。しかし、地域では抜きがたい「反共」体質によって、自民、公明などと手を組むことの多いこの政党の本質は「口先」の勇ましさと全く異なることを多くの国民は知ってしまっているのではないのですか。相変わらず政党助成金と労働組合への一党支持の押しつけに頼り、地域での地道な活動に背を向け続けてきたことへの真摯な反省抜きに「運動の輪」など広がるわけがありません。
維新の会、みんなの党は新年のメッセージはなし。ただ、橋下徹後援会の「新年懇親パーティ」で「維新の会に石原、平沼さんが加わったことによって間違いなく強くなった」「共産党や社民党は別。あんなのは放っておけばいい」といい、「既存の政党ではできないことをやっていくのが維新の会」「民意が必要。こんなに選挙が多い日本で、独裁者が生まれる-わけがない。選挙で落としてしまえばいいのですから」などと言いたい放題。
平沼さんが年頭の挨拶で、冒頭「皇室の弥栄と日本国国運の隆昌を祈念申し上げます」とのべ、アベノミクスを全面的に支持、さらには改憲への露骨な意欲を示した「あいさつ」を載せるなど自民党以上に右翼的な立場であることを表明しているわけですから、維新の会が「日本を変える」というとき、橋下共同代表の饒舌にもかかわらずどちらを向くのかは明白ではないのでしょうか。
もう一度、共産党志位委員長の「あいさつ」に立ち返れば、庶民のくらしと平和な世の中を求める人々の願いに、どの政党がまともに向き合っているのか、これまた明白だと私は思います。



  1月2日(木)
昨夜突然、テレビのテロップで「大北地域に大雪警報」とでてたまげた。元日からとても暖かい日和になっていたし、今朝もそれほど気温が下がっていなかったから、とても冬型の気圧配置とは思われませんでしたから。
案の定、今朝起きてみたら雪はなし。ちょっとだけ「こぼれ雪」が舞っている程度で、池田上空から東は晴れ間が広がっていました。
いっしょに外にでたハルちゃんから、新年のご挨拶です。ちょっとあっち向いていますけど。




31日から息子夫婦が来ていて賑やかなのですが、ハルちゃんは結構なじんでいるみたいで、昔のように隠れたりしなくなりました。むしろ、息子が足を伸ばしているとその上にのぼって長くなって寝そべり、息子の方がびっくりしていました。


息子の方は孫も今年は2年生。娘は店(美容院)が忙しくて今年の正月は来ることができませんでしたが、こっちの孫は上が中学2年生。小学1年の夏に「合宿」と称して一週間こちらに一人で寝泊まりしていたのが昨日のようなのに。子どもの大きくなるのは早いものですね。まあ、こっちが年をとったということか。

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東京の友人からの年頭にあたってのメールに、大晦日の「紅白」についてのコメントがありました。
「あまちゃん」総出演の「潮騒のメモリーズ」と「地元に帰ろう」に込められた特別な意味、ドリカムの陸前高田からのライブ、福山雅治の「誕生日には真っ白な百合を」、三輪明宏「ふるさとの空の下で」など、それぞれに歌の力を感じたとありました。
実は、いつもはほとんど見たことのない私も昨年末はかなり見ておりまして、AKB48などのグループばかりがパフォーマンスを披露する舞台にいささかうんざりしたなか、異彩を放っていたのはやはり「あまちゃん」番外編だったのでは?宮藤官九郎の台本によるという特別番外編は、ずっと番組を見てきた者にとっては涙がでるほどうれしい場面の連続だったでしょうね。
私には、それ以外によかったのは、ドリカムと丸山明宏かな。三輪とは書かずに丸山と書いたのは、あの「金髪」を脱いで歌う姿はやはり丸山であって三輪ではない。「ヨイトマケ」のB面のこの歌は私が高校生か大学生の頃だったか、何度も聴いて諳んじていた歌でしたから 今回の身振り過剰な歌い方はどうにも気に入らない。それはともかく、この国にはこれくらいの歌手しかいないのかしらと思わせる番組が「紅白」であることはまちがいない。
実は、そのあとの故郷の言葉で歌う「全日本なまりうたトーナメント」の方がはるかに面白かった。紅白に出ている若いアイドルたちよりはるかに上手く情感込めて歌い込んでいましたから。

友人から借りた「SAMURAGOCHI Sonata Requiem Yeoleum Son」(佐村河内 守、ピアノソナタ第1番、第2番 ピアノ:ソン・ヨルム)をこれから聴いてみようと思っています。かなりの大作だし、佐村河内さんがある意味命がけで作曲したものですから、そう気安く聴くわけにはいかないだろうと思って、しばらく机の前にそのままにしてあったもの。
うんと内面的な第1番と、外向きでわりと聞きやすいという第2番だそうで、モーツアルトやショパンを聞き慣れた耳にはどう響くか分かりませんが、とにかく試聴してみることにしましょう。
昨年の3月でしたか、「交響曲第1番」を主題にした彼の作曲の姿を描いた番組(NHKスペシャル「魂の旋律」)がありましたが、壮絶な作曲の現場を見る機会がありました。今年まず聴かなければと思っているのがこの「交響曲第1番」。なかなか虚心になれないので、こうした曲に向かい合えなかったのが残念でしたが、これからそんな時間をつくるのも大切なことですからね。



  1月1日(水)
新しい年を迎えました。みなさまに新年のご挨拶を申し上げます。
昨年ご不幸のあった方々も大勢いらっしゃいますし、仮設住宅や避難先で不自由な生活を余儀なくされている被災地の方々も沢山いらっしゃいます。
それでも一年は巡り、暦のうえで新しい年を刻んでいくのですから、気持ちを切り替えて新たな日々に向き合いたいと思っているところです。

朝早く起きてみると強い風。しかし9時頃にはそれもおさまって穏やかな日和になっています。ただ、西の空は厚い雲で覆われているので、北陸の方は雪模様になっているだろうと、つい先日訪れた富山の空を思い出しています。
さて、年頭にあたって強く思うのは、「9条改憲」とそれにつながる策動を絶対に認めてはならないということ。すでに「NSC設置法」や「特定秘密保護法」という「有事立法」を次々と成立させ、環境整備をすすめている安倍政権ですから、「悲願」である9条改憲までがむしゃらに暴走する危険がいよいよ高まっていると見なければなりません。
政党配置も野党のほとんどが補完勢力。選挙制度の問題があるとはいえ、この国の「民意」の一面を反映していることは間違いありません。であれば、私自身がその「民意」の一員である以上、今まで以上の「責任」が生じていることも事実。その「責任」をどう果たすかが問われる一年になるだろうと思わずにはいられません。
しかし、それは決して大げさなことでも、深刻につきつめることでもありません。簡単にいえば、多くの人々が「知恵を出し合い、力を合わせる」ことに尽きます。「語りあい、ともに楽しく行動する」ことです。
過去に私たちが「被災地支援」や「バラの会」で実践してきたような活動を、さらに別の分野でも大きく広げることができれば、地域から多少は現状を変えることができるでしょう。気負わず無理せず、やれる範囲で一歩ずつやることが大切なのですね。

妻の母は現在94歳。それでも一人で身の回りのことをしているのですからすごいことです。そうはいっても、介護が必要になる時期は切迫していますから、私たちもその役割を果たさなくてはいけません。
今年後半には、妻は再びしばらく郷里にもどることになるでしょうし、私も短期間ですが沖縄に行こうと思っています。
昨年後半にいろいろ書いてきたように、この国の現在ある姿の縮図が沖縄に描かれている。アメリカの軍事植民地とされ(実は日本全土がそうなのですが)ている地域をそのままにしてこの国の未来はありません。その意味でも、今年は沖縄の問題を軸に据えて、いろいろと考えていきたいと思っています。




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