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  12月30日(水)
午後から「町民の会」の今年最後の事務局会議です。署名の到達点を確認し今後のとりくみについて協議します。
池田町で「戦争法廃止」の署名活動を始めたのが12月1日。今年中に500を越えようと決めていたのを、すでに780筆を越えているのですから、ものすごい前進。町民の会に結集するみなさんの奮闘が光ります。

さて、昨日書いた「従軍慰安婦」問題について、安倍首相のフェイスブックをみると、さまざまな書き込みが並んでいます。以下は28日の書き込みから。

・あんな嘘つきでドロボーの朝鮮人の国に一円も出してはだめです。間違った選択をしないで下さい。間違った選択をしたら、安倍総理と自民党の支持者は半分以下になります。私たちの税金をそんなことに使わないで下さい。
・安倍総理、慰安婦問題を巡るこれまでの政権の姿勢を支持していたのですが、本日は完全に幻滅しました。予算からの基金支出は日本政府としての法的責任を認めたことになってしまいましたし・・・
・今回の韓国対応、完全に判断ミスですよ。国民の意志とかなりずれてます。いままでが良かったから本当に残念です、今からでも遅くないです。岸田さんを即刻帰国させて下さい。
・解決済みで突っぱねればいいものを、なぜわざわざ日本から出向いてまで慰安婦問題で動いているのか、本当に理解に苦しみます。
・ お金を出すということは、していないことを証拠もでているのに、沈静化のためにしていると認めるような・・子供たちにそのまま教育になってしまいます。
・日本兵は慰安婦を犯していない。金で雇われた売春婦だけ。 それなのに、日本兵を全て性犯罪者にした安倍総理や安倍政権や自民党には、本当に失望しました。
・安倍総理のおかげで、私の祖父達は世界中から性犯罪者扱いをされてしまった。本当に安倍総理こそ靖国神社で土下座をして欲しい。
・祖父は売春婦に手も出していない。それなのに昨日の外相会談で日本兵は性犯罪者扱いになってる。歴史上、ありもしなかった慰安婦(売春婦)の名誉の為に何故、日本兵全てが世界中で性犯罪者扱いされないといけないのか。他国の証言でも中国と韓国は、そもそも国として存在していないのにだ。
・本当に、失望した。慰安婦問題で軍が関与と、発表しているが、セックススレイブを認めたことと同じで、日本を守るために、戦って行った方々の尊厳を傷つける内容で、容認できません。


もうこれ以上引用するのはやめましょう。結局これらに共通する認識はこうです。

@慰安婦は職業「売春婦」にすぎない。
A日本兵は日本を守るために戦ったのであって、日本兵全てを性犯罪者にすることは許せない。
B「日本軍の性犯罪」などは韓国・中国による歴史の捏造だ。ありもしないことで謝罪する必要はない。

こうした書き込みを見ると、例の稲田朋美自民党政調会長が「百人切り裁判」で披瀝した、「皇軍がそんなことをするはずがない」という「確たる信念」を思い出します。
稲田氏を含むこれらの人たちにとって、目の前にいる、あるいは目の前にいたあの「温厚で誠実」なおじいちゃん、友人、知人たちは皇軍のすぐれた兵士だったのであり、日本のために命を投げ出してたたかった人々であり、軍人の鏡のような人々なのです。だから性犯罪者呼ばわりされる事実もないし、そのような捏造のために人間を貶められることもあり得ない、我慢がならない・・・というわけです。その底流にあるのはまぎれもなく歴史修正主義でありレイシズムです。

「絶対にするはずがない」→「絶対にない」という思い込みの前では、たとえ軍の関与を示す文書が発見(事実発見されている)されても、それは捏造になるのでしょうし、いかなる証言も「ためにするつくり話」となってしまう。
おそらく、南方の戦場でたたかった兵士の過半数が餓死した事実も、終戦に先だって大量の軍関係の文書を焼却し証拠隠滅を図った事実もすべて捨象されて、都合のよいところだけをつぎはぎした「認識」で終始するのではないでしょうか。
この国にとっての不幸は、あの戦争が「侵略戦争」だったという事実を受け入れられない人たちがいまだに数多くいることです。
地域の隅々で、こうした意識なきレイシズムや「大東亜戦争肯定」の気分を払拭するための粘り強いたたかいなくしてこれらの風潮をなくすることはできません。これらとはたたかうしかない。歴史学の積み重ねや証言の積み上げによって、これらの主張にはどれほどの理性的判断も世界史的見地も存在していないことを事実で突き付けていくしかない。
それでもあいかわらず、議論はすれ違い、いわれなき悪罵と偏見、ポピュリズムの政治手法で同じことが蒸し返されていくでしょう。それでも、圧倒的な言論でたたかうしかない。沖縄でそうであるように、理性的で人間的な見地がいずれ多数を占めることは間違いないのですから。

さて、韓国では元「慰安婦」を中心に、今回の政府間合意について国家賠償や正式謝罪がないとして厳しく抗議する動きがあると報じられています。ある意味では安倍政権としての最大限の対応であり決着ですから、それも当然でしょう。
この問題は、この国において上に述べた歴史修正主義の潮流を克服し、アジアでの日本の戦争責任を明確にしたときに初めて解決される問題です。
だが、実際には自民党とそれを支える右翼的な流れの強まりの中で、あの戦争を肯定し、明文改憲をめざした動きが激しくなっているわけですから、まずこれを粉砕することが大切なわけで、そのたたかいなくして元慰安婦の声に応えることはできません。



  12月29日(火)
昨日は今冬一番の冷え込みながら、日が昇ると素晴らしい快晴。しかし、今朝は一転雪景色になってしまいました。気温は昨日にくらべてずいぶん高め。昼過ぎには雲間も出て日差しが暖かい。
今年もあと2日、息子たち夫婦も明日には「里帰り」して、しばらく賑やかになります。


昨日から今日にかけての一番のニュースは、「従軍慰安婦」問題での日韓合意が成立して共同発表が行われたこと。新聞は、好意的ながら、韓国内の世論が2つに割れていることを懸念するな論調が見られたのが特徴でした。
ただ読売新聞は、慰安婦問題の「主たる責任は無論、韓国側にある」として、「韓国は「不可逆的解決」を守れ」と題する社説をかかげていますが、日韓合意の柱の説明が興味深い。

日本は「責任を痛感」し、元慰安婦を支援する新基金に約10億円を拠出して、安倍首相がお詫わびを表明する。両国は「最終的かつ不可逆的な解決」と確認する。
韓国は、ソウルの日本大使館前に設置された、慰安婦を象徴する少女像の撤去に努力する。
これらが合意の柱である。


注意深くこれを読むと、合意前段の政府の責任の内容に全く触れていないことがわかります。すなわち、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」だから「日本政府は責任を痛感」し、「日本国の首相として改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」という肝心の点です。

読売社説は、よほどこの合意が苦々しかったのか、「大切なのは、日韓共同の新基金事業を着実に軌道に乗せるとともに、韓国が将来、再び問題を蒸し返さないようにすることだ」「韓国政府が合意を真剣に履行するつもりなら、まず、合意に反対を唱える国内勢力を説得できるかどうかが問われる」ことを要求しています。
韓国政府が「政府として」問題を蒸し返したり国家賠償などの要求を出すなどは、この合意から見てあり得ないことです。新聞などの韓国世論がどのように今後反応するかは、もちろんフリーハンドですから、さまざまな言論を通じてこの問題をいっそう深めていくことは当然です。
読売新聞は、問題をこじらせた責任のすべては韓国側にあるという立場ですが、問題をこじらせたのは当事者である日本政府の歴史修正主義的歴史観にあることは明白です。むしろ、目をそちらに向けない限り「読売」のような論調はいくらでも出てくる。

日韓の合意は、基本的に「河野談話」の域を出るものではありません。むしろその再確認が中心点なのです。一点だけ新しいことがあるとすれば、それは「政府による10億円の拠出金」です。目新しいことではないけれど、安倍内閣によって「軍の関与」を認め「日本政府の責任」に言及する共同発表が行われたことは評価できるでしょう。
私が今回の合意を読んで感じたことは上のことに加えて次のようなことです。
@軍の関与と日本政府の責任をかたくなに認めようとせず、決着済みとしてきた日本政府がまがりなりにも河野談話を再確認したことの意義。
Aしかし、今後「慰安婦」問題についての史実や歴史的な背景を解明する努力まで封じることは絶対に認められないこと。日韓合意をもとに歴史学的な追求と教育の場での正確な記述がもとめられること。
B今回の合意は、アメリカなどの世界的な批判の中で抗しきれずに行った消極的な対応である点。従って、歴史認識などの問題では依然として根深い歴史修正主義の潮流を形成していること。従って、日本国内での右翼的な潮流に対するたたかいはひきつづき重要です。
Cそして、最も重要なことは、日韓の「懸案」に早く終止符を打って、アメリカのもとで対中国の「戦争法」発動の環境を一刻も早くつくりたい日米韓政府の思惑が一致したこと。この点では、今後の危険な動きには十分注意しなければなりません。



  12月26日(土)
午後から今年最後の「こどもじゅく」。先日クリスマスパーティーをやったので、もう今年の予定はないと思ったのか年末の忙しさからなのか、ちょっと生徒が少なくてスタッフも時間をもて余しぎみでした。
私は、一ヶ月ほど前からの小六の子の担当が続いていて、算数の分数計算をいかに克服するかに全力をあげているため、2時間ほとんど休みなし。ちょっとずつ分かってくるのが嬉しいのか、土曜には必ずきてくれるのであと1,2ヶ月もすれば自分で問題を解決する力をつけてくれることでしょう。
信濃毎日新聞の記者が取材に来ていて、明日あたりの記事にすると言って写真も撮っていきましたから、果たしてどんなことを書いてくれるのか。こうした記事をみて、また訪問してくれる子が増えるといいですね。

あっという間に年の瀬。あと数日となってしまいました。あしたからはちょっとした用事でパソコンに向かえないかもしれないので、今年記事が書けるのは晦日、大晦日くらいになりそうです。
昨日は、またまた妻と魚を買いに先日と同じコースを辿ってきました。今回は正月用になるものがあればいいかなという思いもあったものの、実際に出掛けてみると前回同様ブリは全くなし。フクラギもいない。前回(12月10日)沢山見られたヒラマサも今回は少なめ、ただ太いサバだけは沢山上がっていました。
妻はシメサバが大好きなので、大量に買い込んでクーラーの重いこと。帰ってからさばくのは私の役目、まるまる太った新鮮さサバでしたからできあがりも上々でした。
池田に住んでいると、夏から秋にかけてはほとんど野菜漬けだし、秋もいろいろな山の食材に囲まれて魚とはほとんど縁がありません。冬になると、やはり魚が恋しくなるんですねえ。ただ、富山の市場に行って、遠い地の魚が並んでいるのを見るのはちょっと残念。
というわけで、今回もまた、サバに加えてスズキくん、アオリイカを買って昨日から堪能しています。ま、ほんのしばらくの贅沢・・・です。

ネット上では、安保関連法成立後も精力的にいろんな集会やシンポジウムが開かれ、重要なものについては全体が録画されて誰でも見られるようになっています。こうしたのを見るにつけ、ネットの利点が実感できてありがたい時代です。もちろん正反対の動画なども多数ありますから選択の眼が問われるのは当然ですが・・・。
さて、さる10月25日には、「学者と学生によるシンポジウム」が開かれ、その内容が第1部、第2部としてアップされています。
署名活動をいっそう前進させるためにも、憲法学者をはじめ、反対運動にかかわった各界各層の人たちがいま何を考え、将来を展望しているのかを知ることは極めて大きな意義があることです。
第1部の冒頭で、司会者の佐藤学さんは次のように述べています。

(戦争法の成立は)戦争しない国から戦争する国へと一歩足を踏み出しこの国の形を大きく変える歴史的な事件でした。その間、私たちは主権者としての声をあげ、新しい民主主義を生み出してきました。この歴史的な意味を各界の方から発言いただく。

非常に大事なことですね。法律が成立したから終わりではありません。「主権者としての声をあげ新しい民主主義を生み出してきた」ことの意味を歴史的にとらえること、そこから今後の運動の展望・道筋をつかみ出すことは運動の前進にとって不可欠なことだからです。
第2部でビデオメッセージを寄せた高橋源一郎明治学院大学教授も冒頭次のように語っていました。

危機の時代ほど、知は武装しなければなりません。あるいは知で武装しなければなりません。
ネガティブな感情、他者を貶めたい欲望、そして無制限の自己肯定が跋扈して社会が劣化していこうとしているいまこそ、私たちは信頼できる知と言葉を作り出さなければなりません。今日集まられた皆さんがその先頭に立たれようとしていることに深い敬意を捧げたいと思います。


自分自身の知力の劣化とたたかい、自分のコトバを紡ぎ出すための土壌にするべく、これらの発言に謙虚に耳を傾けたいと思わされました。

以下は1300人が参加した10月25日の「学者と学生によるシンポジウム」第1部および第2部です。







  12月24日(木)
朝晩の冷え込みもかなり緩んで、ここ2,3日は12月とは思えない暖かさ。外掃除をするのにだんだん着ているものを脱いで、最後にはTシャツ一枚になってしまいました。冬型の気圧配置になりつつあるので、また寒くなるのでしょうか。

ここ数日「スターリン秘史第5巻」を読んでいました。不破さんの筆致は相変わらず淡々と史実を記述しながら、くっきりと本質を浮かび上がらせる小気味よいもので、加えてそこで紹介される衝撃的な内容には今回もまた驚くことばかりです。

第5巻は、ユーゴスラビア解放戦争、コミンテルン解散の虚実、対日戦の集結、東ヨーロッパ制圧と、第2次世界大戦とスターリンとの関わりについて4章にわけて詳述しているのですが、それぞれに直接戦争や交渉などに関わった人物の残した記録、公文書などの第1次資料を駆使していることが特徴です。
スターリン独裁になってからのソ連は、もはや社会主義とはとてもよべない国家体制になっていました。第5巻では、その観点からアジア・太平洋戦争末期のソ連参戦、終戦後のシベリア抑留の知られざる歴史に光を当てているところが注目されます。
戦後史の個別の問題については以前から様々な歴史学者によって解明されてきたことはあるのですが、私たちが目にする「通史」の中ではほとんど触れられてはこなかった問題でしたからこのスターリン秘史の役割は大きなものがあると私には思えました。

あの戦争末期、敗戦が目に見えるまでに追い込まれた日本の支配層は、45年6月9日にソ連に終戦の斡旋を「お願い」する木戸案がまとめ天皇に言上します。その前日には最高戦争指導会議[御前会議]で「本土決戦」の方針を立てたばかりでしたから、戦争指導部内部での矛盾が極限まで達していたことを示しています。
さて、そのソ連に頼む「時局収拾」の条件とは、東郷外相からソ連側に打った電報の中の解説にあるとおり、「帝国政府の意向は、無条件降伏はいかなる場合においても受諾しえないという態度だ。天皇の”大御心”はその事態を避けるため、ソ連の斡旋でいわゆる無条件降伏にあらざる和平をも実現しようというところにある」というものでした。
この電報が届いた翌日に、日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表されたのですから、ソ連に仲介を頼むという見当外れとともに、いかに世界情勢を判断する能力を喪失していたのかがわかります。
こうして対ソ交渉は全くの徒労に終わりますが、重大なことは、その後の対英米和平交渉にのぞむ条件はソ連に仲介を頼む条件とほとんど同じものだったということです。その要項とは何か。不破さんのまとめに従って、以下要点を記します。

1.国体および国土」
(イ)国体の護持は絶対にして、一歩も譲らざること。
(ロ)国土については、なるべく他日の再起に便なることに努むるも、止むを得ざれば固有本土を以て満足す。・・・


この「固有本土」について、「解説」では、譲歩の限度は「沖縄・小笠原、樺太を捨て千島は南半部を保有する程度」だとしていることに最大限の注目を払う必要があるでしょう。

3.陸海空軍軍備
(イ)略
(ロ)海外にある軍隊は現地において復員し、内地に期間せしむることに努むるも、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむることに同意す。
4.賠償およびその他
(イ)賠償として一部の労力を提供することに同意す。
(ロ)条約実施保障のための軍事占領も、やむを得ない時には「一時若干軍隊の駐留を認む。
5.国民生活
(ロ)国土に比し人口の過剰なるに鑑み、これが是正のために必要なる条件の獲得に努む。


最後の「必要なる条件」とは「日本の人口問題を解決するために海外の日本人を現地に土着させる」という虫のいい、現地の実情を全く無視した棄民方針でした。

「賠償としての労力の提供」「海外の日本人の現地土着」という方針が、最後には満州での日本人を置き去りにする根拠となり、さらにはソ連によるシベリア抑留の根拠ともされるのです。
事実、8月26日付けで浅枝繁春大本営参謀 が大本営に提出した文書には次のように書き付けられていたのです。

内地における食糧事情及び思想、経済事情より考うるに既定方針通り大陸方面においては在留邦人および武装解除後の軍人は『ソ』連の庇護下に満鮮に土着せしめて生活を営む如く『ソ』連に依頼するを可とす

ポツダム宣言では、第9条で「日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ」となっているわけですから、ソ連もこれを無視するわけにはいかないのは当然でした。
それゆえ、8月16日にはソ連本国から「軍事捕虜をソ連領土に運ぶことはしない」という通達が送られるのですが、上にような日本側の態度を見たスターリンは、その一週間後の8月24日「50万人の選抜者をシベリアに抑留せよ」という正反対の命令書を出したのでした。
こうした終戦にからむ歴史の流れの中に、「国体護持」のためには国民の命も国土も簡単に捨て去る日本の戦争勢力と、ツァーリ顔負けの専制君主スターリンの暴虐とが絡み合うおぞましい姿が浮き彫りにされてくるのです。

戦後一時期ヨーロッパで強大な力を持っていた各国共産党が惨めに退潮していった背景にスターリンの影がつきまとっているのではないか。北朝鮮や中国で見られる一党独裁のひな形は実はスターリンが作ったものなのではないのか。
「共産主義」の本質的な部分にスターリン主義を生み出す根拠があるのではないかという「議論」は昔からあるものですが、それ故に不破さんのスターリン批判は徹底しています。
今日、未来社会を考える際にマルクスが見直されているという話題も一方ではよく聞きますが、それだけにスターリン主義がマルクスの理論と実践からどれだけかけ離れ巨悪の根源となってきかたを解明することはこれからの運動にとって極めて重大な意味を持ちます。このことに情熱を傾けて解明を続ける不破さんの姿勢には深い共感と感銘を受けます。




  12月22日(火)
先日、沖縄辺野古でさまざまな資料を駆使して政府・防衛局の無法ぶりを暴露している北上田毅さんのことを紹介しました。過去にも何度かブログから画像などを借用していたのですが、やはり無断借用は気が引けます。そこで、メールを差し上げて画像や資料の転載・引用の許可をお願いしたのでした。
これに対して、忙しい活動の日程をぬって丁寧な返事をいただきました。恐る恐る返信を開けてみると「引用先を明示していただければ自由に画像などをお使い下さい」というコトバが。これに気をよくして、今後も辺野古での活動をこの場でも紹介していきたいと思っています。ありがとうございました。

さて、その沖縄では、連日抗議活動を続ける座り込みの皆さんや翁長知事を支える沖縄県民を小躍りさせるようなニュースが昨日飛び込んできました。「『警視庁機動隊は帰任』報告に沸く 辺野古、掘削調査は継続か」(琉球新報
「本庁機動隊が本土に引き上げ、年内は警備をしないとの情報が入った」というニュース、おそらくたちまち県内に広がったことでしょう。
お正月を家で過ごさせてやりたいという菅官房長官の「思いやり」なのか、仕事とはいえ連日「ごぼう抜き」ばかりやらされていて疲れがたまったのか、それは分かりませんが、だいたい本庁の機動隊が出張ってくること自体常軌を逸しています。しかも、豪華なホテルに泊まり込んでいたというのですから、税金の無駄遣いも甚だしい。もう2度と弾圧部隊を派遣させるわけにはいきません。

ところで、20日には全国5つの自治体の議会で、辺野古「容認」意見書が可決されたというニュースがありました。
少なくとも長崎県佐世保市議会、東京都豊島区、新潟県糸魚川市、佐賀県多久市、石垣市の5つだというのです。沖縄で石垣市が入っているのは異様ですね。
内容を見てみましょう。佐世保市議会の意見書は議長を除く32人中28人が賛成し、4人が反対したといいます。琉球新報の記事では、沖縄は「国益を守る上で地政学的に不可欠の存在」として「普天間飛行場の危険性を一刻も早く除去することと、基地負担の軽減が原点だ」と強調していると言いますが、これは政府の言い分と全くうり二つ。
本当に国益を守りたいのであれば、あまりに中国に近い沖縄ではなく、海兵隊の運用に至便な長崎県佐世保市に新基地をつくることの方がよほど理にかなっており、そのように働きかけたらどうだったのでしょうか。
ただ、重要なのはこの意見書を陳情したのは「名護市議会野党会派の礎之会(岸本直也会長)とあけみおの会(吉元義彦会長)」だというのですから、さもありなん。「礎之会」とは名護市議会の自民党など保守系の議員のあつまりで、辺野古賛成の立場で前回名護市長選で稲嶺市長の対立候補を擁立して大差で完敗した団体です。その恨みを全国の議会で晴らそうとでもいうんでしょうかね。
ネット上では、この問題に機敏に反応し、各自治体の動向を含めて分析しているサイトを見つけましたので、紹介しておきましょう。各議会の保守系議員たちがどれほど馬鹿げた意見書を提出しているのかがよくわかります。

弁護士 金原徹雄さん(wakaben6888)のブログ

署名活動は依然として大きな課題として続いてはいるのですが、外の仕事がほぼ一段落して、これから年賀状や大掃除が待っています。午前中、すこし時間があったので、本当に久しぶりにコンピュータと囲碁対局しました。
6段の「銀星囲碁」には私が5子も置かされているにもかかわらず、過去負け続け。多分私の棋力は初段もないのではないかと思っています。ここ数年「人間」と対局したことがないのですからやむを得ませんね。
先日常会の折に近くの知人と囲碁談義をしていて、それじゃ一度対局しましょうという話になったのでした。あまりに囲碁から離れていては、相手に失礼だろうから、少しずつでも慣らしておかなければと思い立ったという次第。
結果は思いがけず私の圧勝。本気で大石を取りに来るので油断もすきもない。最後のダメを詰めているときに隅をセキに持ち込まれたものの、きわどいところで相手の攻撃をかわすことができました。まあ、たまには頭の体操でこんな勝負もいいもんですね。
ずっとずっと昔に一度書いたことがありましたが、私が囲碁に接したのは名古屋で就職してからの5年間。覚え立てのころは、仲間も多く、みんなで囲碁旅行などもやったことがありました。山の中に行って一日中打ちまくっているのです。
夢中になったのはその頃だけ。あとは余波でちょっとずつやっていた程度ですからたいしたことはありません。
思い返せば、子どもの頃祖母の里ではいつも碁盤が置いてあって囲炉裏の端で祖母の兄の子たちが石を並べていたことや、大学生の頃に、数学科の院生たちがしきりに対局していたのを見ていた記憶がありました。しかし、結局20代になるまで私が石を持つことは全くありませんでしたから、きっかけというのは面白いものですね。「とくかく石を置け」と職場の「囲碁クラブ」に無理矢理、全く強引に引きずり込まれたのがそもそもの始まりでしたから。
弱いながらも、つきあいの楽しみとしてちょっとずつでもやっていくことにしますかね。



  12月21日(月)
午前中は近くの山の中で、バラの会で使う木材の運搬を行いました。植え込みと通路を仕切る木材が、年月の経過で腐食してしまったため、友人に頼んで適当な木材を切り出してもらっていたのです。
約1.5メートルくらいの長さのヒノキ材を70〜80本。かなり太いものもあるので、1本1本の重いこと。生木の重さというのはハンパじゃありませんね。
せっかく植えたヒノキを近くぶどう園にするために全部切ってしまうというので、使えるものはもらおうと受け取りにいったのでした。バラ園での実際の作業は来春になります。

今日の毎日新聞1面トップの見出しは、18才選挙権「政治活動 学校届け出制」。毎日新聞の調べで9県・政令指定市が、高校生が校外で政治活動を行おうとするときに学校に届け出させるかどうか検討しているというものでした。
届け出制を「検討」している自治体には「富山県」の文字も見られました。さもありなんという感じです。届け出制の判断を学校長に委ねるという自治体も北海道、秋田を含め11にのぼります。
識者の声として、近藤孝弘早稲田大学教授は、「学校は校外での生徒の活動に責任を持つことはできず、届け出制自体意味がない。民主主義の理念を損なう」と厳しい見解をよせ、林大介東洋大助教も「休日などに校外で行う政治活動は過程の理解の下で行われるのが原則。届け出制は生徒の主体的な活動を萎縮させ、憲法が定める思想信条の自由に抵触する可能性もある」と指摘しています。全くその通りでしょう。
生徒を管理したい学校は、何か問題が生じて学校の責任が問われることに敏感です。従って、学校の中だけではなく生徒の全生活をとかく掌握し管理したがる。文科省の「腹の内」を忖度して生徒が自主的に校外で活動をすることには臆病になり、さらには規制をすることで問題の発生を極力押さえ込もうとするのです。
平和教育が昔から盛んだった広島では、高校生たちが教師たちとともに原爆の跡を発掘し、その実相を明らかにしようとする郊外活動を活発に行ってきました。沖縄戦の実態を深く学ぼうとしてきた沖縄では、どの県民集会でも高校生の発言が胸を打ちました。長野では多くの高校が沖縄を訪れ、ガマや戦跡を訪問して戦争の悲惨さを学んでいます。そうした具体的な体験を大切にする中で培われる高校生たちの意識は、校外での「政治活動」と聞いて恐れをなす教師たちの意識を遙かに超えたものに到達します。教師たちこそ、自分たちが主権者であるという自覚のもと、今日の政治の問題について多面的にかかわり、政治的感覚を研ぎ澄まさなければならないのではないのでしょうか。

先日、学校での「体罰」が大きな問題になりました。ある中学校で教師が中1の生徒をトイレの個室に連れ込んで約20分にわたって暴行を働いたという事件です。
これについて水谷修さん(夜回り先生で知られる)がテレビの討論で、「これは体罰ではない。暴行事件だ。学校は人権の及ばないところになっていることが問題だ」と手厳しい批判をしていました。「体罰」と見る限り、問題の根深さがいっこうに見えてこない。
教師はとかく生徒が自分の手のひらのうえに乗っていると勘違いしがちです。そしてその腐食した根は広く深く学校現場をむしばんでいるのです。
政治教育の問題でも根っこは同じです。生徒の思想信条の自由を統制すること自体、学校のなかには日本国憲法が存在しないと公言していることと同じなのです。
学校を民主主義の死滅した場としていいのかどうか、この問題は私たちに問題を鋭く投げかけていると私は思います。



  12月20日(日)
今日は幸い朝から雲1つない快晴で、何をするにも気持ちがいい日和となりました。
昨日は、池田としては初めて1センチくらいの積雪があり、朝起きてびっくりしました。この頃は毎朝気温が零下に下がって霜がびっしり。正月が来ないうちから、早く暖かくなってほしいとつい思ってしまいます。




午前中から妻も私もいろいろな予定があり、私としては滅多にない忙しい1日でした。まず午前中は、私の方は公民館分館主催の「しめ縄づくり講習会」に、妻は共産党演説会への出席です。
「しめ縄づくり」は公民館活動の最後のイベント。昨年は主催者の側でしたが、今回は単なる参加者の1人。分館役員のご苦労もわかりますので、せめて最後のイベントぐらいはと思って参加したのです。
昨年同様、沢山の人たちが来ていて公民館はにぎやか。ブルーシートの上で思い思いに稲わらととっくみあいをして、楽しくひとときを過ごしました。
長野では「しめ縄」と言っても、玄関に飾るもの、神棚に飾るものなど形は様々。玄関でも和風、洋風に合わせてまた形も違うので、参加者のつくるものは同一ではありません。
「縄を綯う」という言葉が現在どこまで通用するのか知りませんが、稲作農家のお年寄りにとってはフツウの作業です。若い人は、「なう」と言ったら「ショッピング・ナウ」のような「ナウ」と勘違いするかもしれませんね。
「なう」とは藁を両手で縄に編み上げていくことをいうのですが、一度もやったことのない人にはまず困難な仕事です。今日も結構悪戦苦闘しつつ、ようやく会得して感動、「もっとやりたい」などと言っている若い女性がいましたっけ。
私は子どもの頃から石川県の祖母の実家でよく見慣れており、わらで動物をつくったりして遊んでいましたから懐かしい作業。とはいえ、「しめ縄」となると、昨年のことはすっかり忘れて、また一からやり直しでした。




午後からは、「戦争法に反対する町民の会」の街宣と署名行動。短時間の街頭スタンディング・アクションのあと、近くの団地に一斉に入って署名をお願いしてまわりました。
10名くらいで約1時間歩いて34筆をあつめました。留守の家も多かったのですが、見ず知らずの家を訪問してこれだけ集められたのですから、大成功のうちに入るでしょう。
「町民の会」ではホームページで刻々の署名数を公開しています。昨日まででもう461名分をあつめていましたから、今日でおそらく年内目標の500筆は達成するのではないでしょうか。大幅に目標を上回って新年を迎えたいものです。





  12月18日(金)
今朝は今期一番の冷え込みとか。多分マイナス4,5度になったのではないでしょうか。北アルプスの上空は青く晴れ上がり、真っ白になった峰にはには真冬に見られるような雲がかかって、気品のあるたたずまい。なかなか臨場感まではいきませんが、パノラマ写真で雰囲気だけ紹介しましょうね。それぞれに横が1600pxの画像のリンクをつけておきました。写真で暗がりに光って見える部分は田んぼの氷です。




現在、沖縄辺野古大浦湾沿岸では沖縄防衛局によって工事用の車を通すための仮設道路の工事が進められています。辺野古で連日監視活動をつづける北上田毅さんの報告をもとに、この間の経過を負ってみました。記述の多くの部分は北上田さんのレポートに拠っています。経過の詳細、図面や写真などは下記のブログを見て下さい。

チョイさんの沖縄日記 12月3日、17日

もともと辺野古浜の「工事用仮設道路」は仲井真前知事が任期切れ直前に駆け込みで「設計概要変更申請」を承認したものですが、現在行われている工事は、その図面にもない道路工事。とにかく既成事実を積み上げたい防衛局側が遮二無二埋め立て工事に持ち込もうという無理無法なものです。
防衛局はこの「工事用仮設道路」ではないとする道路を「付替道路」と呼んで「仮設道路ではない。フロートなどを海に浮かべるために鉄板を敷いている。フトンカゴ(網に石材を入れたもの)も置いていない。」「一時的にパネルを設置している」と説明するだけ。
しかし、実際には、仮設道路の延長であって、工法も同じですから防衛局側の言い分は全くの虚偽であって、言い逃れにすらなっていません。北上田さんは次のように指摘しています(写真上は北上田さんのブログより、下は琉球新報・ツイッターより借用しました)。

「付替道路」は、埋立護岸工の施工のための工事用進入路であり、海岸部に栗石を入れた網(根固め用袋材)を並べて造成する工法も「工事用仮設道路」と全く同一である。・・・
防衛局はなんとか年内にでも大浦湾に「捨石」(護岸工の基礎となるゴロゴロとした岩)を投入しようと狙っており、その準備作業が始まっているのだ。しかし、全くの違法工事であるだけではなく、防衛局が繰り返している虚偽説明は許されるものではない。

今回の防衛局の「付替道路」造成工事着手は、公有水面埋立法、赤土等流出防止条例に違反し、さらに文化財保護法上の問題もある。菅官房長官は、いつも「日本は法治国家ですから」と言うが、辺野古新基地建設事業では法令を無視した行為が相次いでいる。





キャンプシュワブ前や会場で抗議活動を続ける沖縄県民と本土や世界中からの連帯の市民たちの様子については、沖縄タイムス辺野古取材班琉球新報辺野古問題取材班のツイッターがリアルタイムで報告してくれています。記者たちの懸命の取材に頭が下がります。

そのうち、おもしろい記述がいくつかありましたので紹介。

・12月17日午後1時55分。朝から海上作業の監視活動をしている市民らの船に海上保安庁のゴムボートが近づき「本日は風も強いので、温かい格好で抗議を続けてください」。市民らは「はーい」と応えました。
・12月16日午前9時10分、キャンプ・シュワブゲート前にはサンタクロースが来ています。安倍首相は「悪い子だからプレゼントはあげない」そうです。
・12月8日午後0時45分、抗議船の船長が「きょうはジョン・レノンが暗殺された日です」と語り、マイクをスマホに近付けました。辺野古沖に「イマジン」が流れています
・12月8日午前10時、名護市辺野古沖で続く作業に対して、市民が船のマイクを握りました。警戒船のせりふをまね、「こちらはジュゴンの生息区域です。速やかに退去してください。ご理解とご協力をお願いします」と呼び掛けました。




  12月17日(木)
この国には、「思いやり予算」という何とも形容のしようのない異様な予算があります。
この世界に類のない予算がスタートしたのは1978年のこと。75年に「日米安保協議委員会」の設置が合意され、日米間の協議の末に78年にはじめて「日米防衛協力指針(ガイドライン)」が策定されるのですが、そのガイドラインとセットにしてこの予算もスタートしたのでした。
当時の防衛庁長官であった金丸信が在日米軍基地で働く日本人従業員の給料の一部(福利厚生費:62億円)を「思いやりの立場で対処すべき」として日本側の負担としたことは余りにも有名です。
これ以後、「日米地位協定の枠を超える法的根拠のない負担」がどんどん膨らみ、90年代以降になると「米軍施設の水光熱費、家族住宅・娯楽・保養施設、日本人従業員の基本給とともに貸与される制服や備品」までもが思いやり予算に計上されていることが判明し、大きな批判が起きました。
現在では、日本側が支出する在日米軍駐留経費を「思いやり予算」と総称することが多いようですが、実際にはそれ以外にも多額の関連予算が支出されています。
以下はWikipediaの記述ですが、その主な出典は防衛省の下の一覧です(年度が違うため額には相違がある)。また思いやり予算の推移は東京新聞。

基地周辺対策費・施設の借料など 1,808億円
沖縄に関する特別行動委員会(SACO)[5]関係費 120億円
米軍再編関係費 890億円
提供普通財産上試算(土地の賃料) 1,660億円(防衛省の予算外、25年度資産)
基地交付金 384億円(防衛省の予算外、25年度予算)




この思いやり予算は、民主党政権時の2011年度から「特別協定」の期間を3年から5年間に伸ばし、「現行水準(10年度予算で1881億円)を支払い続けることを決定」(Wiki)したのでした。

今年度は5年間の最終年度にあたるため、16日に今後5年間の「思いやり予算」の新しい協定が締結されたのです。結果は、11〜15年度より133億円増の総額約9465億円。沖縄タイムスは見出しで「在日米軍思いやり予算、米側に押し切られ133億円増額」と報じていました。
この思いやり予算を含む在日米軍経費は過去最高額の7278億円になったことは今月7日にとりあげましたが、上の防衛省・自衛隊関係以外にも基地交付金などを含む多額の予算が使われていることを示しています。下の表は6日付けの「しんぶん赤旗」によるもの。


琉球新報は今年1月の社説で、「軍事的に不要な海兵隊が居座り続ける理由は二つ」あるとして、その1つにこの「思いやり予算」をあげています。国の借金が1000兆円を越えるというのに本来払うべきではないものに何故これほどまでに手厚く払い続けるのかと厳しく指弾していましたが当然すぎる指摘でしょう。ちなみにもう一つの理由は「在日米軍を日本に引き留めておくため」。「お金いくらでもあげます。基地もつくってあげます。お願いだからここにいてね、ね」ってなもんかね。そりゃ居心地がいいわ。
付け加えると、まやかし「軽減」つき消費税大増税が何のために行われるのか、よく見えてくるというものではありませんか。



  12月16日(水)
昨日から、友人に貸してあるWindows8パソコンが不調だというので、引き取ってきて7にダウングレードしていました。
ソフトを入れるよりセキュリティ・パッチなどのアップデートの方にはるかに時間がかかってしまい、何とか使えるようになったのは今日の夕方。
街中で廃屋を借りてお店を開いている友人は、私同様それほど豊かな生活をしているわけではないはずなので、できるだけ便宜を図ろうと、過去にため込んでいた「財産」で使えるものは使ってもらおうということで、無償提供していたパソコンなのです。
パソコン自体は別の友人からもらい受けたもので、故障したパーツを入れ直し、機能強化したものですからまだまだ現役です。使ってもらえればパソコンも喜ぶでしょうから。
機械は使っていれば必ず壊れる。壊れたら直せばいいのですが、パソコンは精密機械ですから一筋縄ではいきません。私のメインマシンも、先日DVDドライブから煙が出て、取り替えてからDVDの音が出なくなってしまい未だに原因不明。解決していません。こんなこともしょっちゅうですからね。
ただ、修理依頼があって、あれこれやっているとシロウトながらにでも少しずつ分かってくることもあるんですね。分解して組み直してみるとパソコンのことが多少は分かってきますから、昔ほどのめり込むことはなくなってはきましたが、時々は思い出したようにとっくみあいをやっているという次第です。

雑誌「世界」1月号に、元宜野湾市長の伊波洋一さんが「軍事戦略の中の沖縄」という小論を載せています。この論文後半には「沖縄を戦場とするエアシー・バトル構想」という節があり、そこにはアメリカの対中国戦略の驚くべき実態が詳細に紹介されています。
大まかに結論から言えば、アメリカの対中戦略は2012年「エアシーバトル構想」として打ち出され具体化にはまだ課題が多いものの、日本列島全体が戦場として想定されているということが大きな特徴。
しかし、これには当然ながら米国防総省内部でも批判が大きく、それに代わって「オフショア・バランシング」「オフショア・コントロール戦略」という考えが台頭しつつある。これはアメリカの代わりに中国に隣接する米国の同盟国に軍事的な役割を果たさせようとする戦略で、ここでも日本に対して沖縄を含む南西諸島を戦場として差し出して協力するように求めているというのです。

まず始めに、アメリカの「エアシー・バトル構想」とはどんなものか、伊波さんの説明を紹介します。

アメリカは中国軍がミサイルで在日米軍基地を先制攻撃する兆候を捉えて、米軍機をグアムなどに退避させる。中国のミサイル攻撃で在日米軍基地や自衛隊基地は破壊される。その後、アメリカは東日本の基地から空軍とミサイル防衛部隊を送りこんで西日本の制空権を回復していく。琉球列島まで制空権を回復してから琉球列島の複数の滑走路を使用して戦闘に入り、中国軍機を損耗させて長期戦に入る。

まさか!!と目を疑うような内容ではありませんか。伊波さんは「明らかにエアシー・バトルは日本にとって戦争を防ぐための『抑止力』ではない。極めて危険な戦略であるが、この戦略のもとで日本政府が協力していることは間違いがない」と述べています。
なお、この戦略については、海上自衛隊幹部学校が2011年に創刊した「論文集 『海幹校戦略研究』」に詳細に研究・解説や翻訳が載せられていて、伊波さんの「独断」的見解ではないことがわかります。
伊波さんが紹介しているこの戦略の概要は、次の論文に詳しく述べられています。

第1巻第2号(通巻第2号)「統合エアシー・バトル構想の背景と目的」(2011年12月)

なお、2011年5月号には「エアシーバトルの背景」、2012年5月号には「アメリカ流非対称戦争」、2012年12月号には「AirSea Battleと対中抑止の理論的分析」などの論文があります。これらはいずれも先の海自幹部学校のサイトで自由に閲覧することができます。

これらについては、米軍中枢部の率直な対中戦略だろうと思われますが、当然のこととして余りにも手前勝手なアメリカの一方的な戦略であり、世界の目や経済の損失などを全く度外視した暴論であることは誰の目にも明らかです。
アメリカとしては、ここまで考えているのだぞというポーズを取りつつ、先に紹介した「オフショア・コントロール戦略」を前面に押しだして、アメリカの戦略を立て直しつつあると見た方がいいでしょう。
Wikiによれば、「オフショア」とは、岸(shore)から離(off)れ海に流れる風、つまり「陸風」のこと。反対語は、「海風」を意味するオンショア。転じて陸から離れた沖合や、本拠の外の海外のことをさす・・・ということです。つまり、アメリカ本土からは影響のない中国周辺部で同盟国を総動員して中国封じ込めをやろうというものです。
具体的には、@南西諸島を中国艦船の太平洋への通過を阻止する盾にするために、奄美大島、沖縄本島、宮古、石垣、与那国の各島に自衛隊基地を新設し、公海上の中国艦船を攻撃できる地対艦ミサイル部隊を配備。
Aそれらのミサイル部隊への中国軍の上陸攻撃を想定して有事即応部隊を配備する。また航空機の攻撃を想定し、地対空ミサイル部隊を配備する。
B宮古では強固な地下ミサイル司令部を建設。各島での自衛隊基地の場所も剪定しており、4〜5年内には完成の予定。南西諸島の島々ではゲリラ戦のような戦争が繰り広げられることが想定されている。

この「オフショア・コントロール戦略」の特徴は、中国のインフラを破壊しないこと、つまり中国本土の攻撃は想定しておらず、米中全面戦争や核戦争にエスカレートさせないことであるとされていることです。ここでは南西諸島で戦闘が行われても米軍が投入されることはなく、自衛隊の「水陸機動団」がその役割を果たすとされていること。アメリカの戦争目的は、敵対行為を終了させ、戦争開始前の境界線に回帰させることだというのですから、結局アメリカ本土も米軍自体も何ら痛まない、これまた誠に「身勝手な戦略」となっています。
こうしたアメリカの戦略に対して、ASEAN諸国の平和共同体づくりとはまるで正反対に、日本を戦場に差しだそうというのが昨今のアベ政権の姿なのです。
伊波さんは次のようにのべて論考を締めくくっています。これをお読みの皆さまは、どのように受け取られたでしょうか。

(ASEAN諸国とは対照的に)日本では長く続く日米安保体制によってアメリカに従うことしか考えられない政治家や官僚が国の舵取りをしており、アメリカが日本の国土を戦場にしようとしていることすら気づいていないのが現実である。



  12月12日(土)
午後から松本での「こどもじゅく」に参加。今日は後半がクリスマス会の予定なので、いっしょに勉強する時間は1時間だけでした。前回から来ている小6の子が算数の分数計算や単位の換算に苦手意識があるというので、今日もそのお相手。
どの子もそうなのですが、ある部分に困難がある場合は、突然その部分だけがわからなくなるわけでは決してありません。計算の手続きに問題がある場合は、大抵の場合その意味が全く分かっていない場合が多いので、その意味をきちんと理解できる説明が不可欠です。その上で、計算を正確に処理できる能力をつけていくこと。
何かやってあげているという自己満足ではなく、子どもたちの目線で系統的につまづきが克服できるようにプログラムを考えないといけないなと強く思わされています。

さて、そのあとは4つのグループに分かれてテーブルを囲んでクリスマス会。といっても、そんなに派手なことをやるわけではなく、お茶・お菓子をつまみながら、みんなでクイズ大会、ビンゴ大会をやる程度。
集まってみると、こんなに沢山子どもたちがいたっけというくらいたくさん子ども来てくれていてよかった。ときどきは、こんなイベントもやって、楽しくよくわかる「こどもじゅく」をつくっていけたらいいですね。
写真はビンゴ大会で初めてのビンゴが3人もいたのでジャンケンで順位を決めているところ。


消費税増税にかかわる「軽減税率」の決着は、やはりというべきか、予想通りの展開でしたね。二階さんが思わず「財源どうすんのよ」と苦言を呈したというくらいですから、参議院選挙目当てであるのは余りに明白。
自公は勿論ですが、メディアの報道ぶりも異常。あたかも「減税」ででもあるかのようなはしゃぎぶりではありませんか。公明党は、公約が全面的に実現したと、鬼の首でもとったように宣伝するのでしょう。冗談はよしてくれといいたいですね。
消費税「本体」は8%から10%になるのですよ。しかも圧倒的な商品取引やサービスにおいてです。「軽減税率」は、5.4兆円の税収のうち1兆円。それ以外は10%に引き上げられます。
そして、あろうことか、軽減税率の財源にあてるとして、社会保障関連の低所得者対策としての制度設計である「総合合算制度」をとりやめて、その財源4000億円を転用するというのです。消費税は社会保障の財源作りと言いながら、社会保障を削る。一方で、大企業の減税はやめるとは口が裂けても言わない。
庶民は当然「買い控え」で生活を防衛せざるを得ない。困るのは小売り店でしょう。教育の行き届いた労働者が現場からいなくなり、非正規・不安定な労働者が現場でやみくもに働かされ、そしてものを買うにもお金がない。現在の国民の姿を端的に描写すればこうなる。
だから、間違いなく大きな政治的・経済的破綻がやってきます。直ぐかもう少し後かは別としても。



  12月11日(金)
昨夜から雨。今日もずっと雨模様で、午後からかなり強い風も出てきました。低気圧が日本の南岸を通っているので、明日からは一時的に冬型の気圧配置になりそうです。昨年の今頃は積雪もあった記憶があるのですが、今年は異例の暖かさ。とんでもない気象状況にならなければいいのですが。

昨日町から私の健康診断(肺がんCT検診)の結果が届いたのを、先に妻がみて心配そうに私に見せました。それには、「浸潤の影が見えるが、さしあたり精密検査の必要はありません」と書いてありました。昨年までは「結節」という表現でしたからちょっと危険度のレベルが上がったのか。
そりゃまあ、50年近くも喫煙の習慣があれば、何か起こっても不思議ではありません。何度かやめる機会があったのですが、いまだに悪臭じゃなかった悪習を断てないのは何と言っても「意志の弱さ」でしょうかね。
そうした折も折、消費税の「軽減税率」を公明党に配慮して拡大するその財源を「たばこ税の引き上げ」での穴埋めしようという考えがあるというニュースが流れましたね。ところが、与党内には、たばこ料金を値上げすると、たばこ離れが進んでかえって税収が減るから問題があるという意見がでたのだとか。あまりにご都合主義、消費者蔑視のやり方ではありませんか。
こうしたやりとりを聞きながら、何だかようやく踏ん切りがついたような気になりました。
政府が、本気で喫煙者の健康を考えてたばこをやめさせたいのなら、どんなことがあろうと「超高価な嗜好品」としてしまえばいいのです。こんな連中のために税収を増やしてやることはないだろう・・・そう思いましたね。
これまで何だかんだと理由をつけながら喫煙を「楽しんで」この年まできた以上、もはややめてどれほどの利益があるのかはわかりませんが、問題は何と言っても現在「たしなむ」に見合う収入がないこと。もし何かあればたちまち貧困のどん底に落ち込むだろうということは明らかです。きっぱりと習慣を断った身近な人たちにならって、そろそろ足を洗うとしますか。
以前、「禁煙日記」なるものをつけたことがあったのですが、1年半ほどでまた元に戻った。今度は別に公言する必要もなく、ただ自分自身の問題として向き合う必要があるのだと思っています。首尾良くいけばいずれ報告できるかもしれません。



  12月10日(木)
1960年代から70年代にかけて、本土に働きに出ていた沖縄出身者にとって、特異の目で見られたり差別的な言動を受けたりということがありました。
妻に聞くと「英語を話しているのではないか」と言われたこともあったとか。「普通に日本語話せるんだね」と言われた沖縄出身者も1人や2人ではない。
勢い仕事や友人関係では、出身地を話す必要がなければできるだけ隠していたいと思う人もいたのではないかと思います。
戦前から出稼ぎに来ていた沖縄出身者が戦後もある地域に集中しスラム化していった「沖縄部落」があったのは大阪大正区。ここでは住民はひたすら沖縄出身であることを隠し通したといいます。(大阪市立大学 水内俊雄先生の論文)。おそらく言葉と名前の問題が大きい。
沖縄出身の歌手、芸能人、ゴルフ選手、スポーツ選手などが多数現れるにいたって、庶民レベルでは表面上はほとんど昔のような「誤解」や「差別」はなくなってきたかに見えます。
しかし、よくよく見てみれば、辺野古新基地建設問題1つとっても、政府の「構造的差別」を是認する世論も無視できないでしょう。つまり、意識するしないにかかわらず、沖縄と本土との間に線を引いているという問題がある。だから、沖縄から本土を見れば、こちらでは見えないことが見えてくるのです。

昨夜、妻と一緒に沖縄の漫才を見ておりました。「ウチナーンチュ発見会話メドレー」では、沖縄出身であることを隠そうとする相方に、もう一方がすかさずツッコミを入れて沖縄出身であることを暴露するやりとりが面白くて妻は吹き出し通しでした。
しかし考えて見れば、こんなことで笑いをとるのは哀しいことですけど、それを笑い飛ばすウチナーンチュのたくましさの方が勝っているのかな。
下はお笑い芸人「ゆうりきやー」の「沖縄人度チェック」。それに続けて「ウチナーンチュ発見会話メドレー」が見られます。何度見ても可笑しい。



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やっぱり富山の魚が食べたくなって、久しぶりに時間のできた妻とともに黒部生地港の「魚の駅」に買い出しに出かけました。曇り空ながらあまり寒くはなく、車も順調に進んで、池田に戻ったのが午後5時半頃。
残念ながらお目当てのブリは水揚げがなく、フクラギ(ハマチ)も午前中に売り切れてなし。富山湾ではいまヒラマサがよくとれているらしく、大きいのからちいさいのまで沢山並んでいました。サバも沢山上がっていて、店のお兄さんは「これは昨日とれたなんてもんじゃないよ。朝100匹以上買っていった人がいたよ」と鼻息が荒い。結局、ヒラマサ、朝どれの大きなサバ、アオリイカ、ナマコをクーラー一杯詰め込んで帰ってきたという次第。
もちろん夜はヒラマサの刺身。しかしナマコは固くて歯が折れそうだった。
写真は「魚の駅」の前で。





  12月9日(水)
毎日のよう霜がおり、夕方から夜にかけてものすごく冷え込んでいます。昼はそこそこ暖かいのですが・・・・。




安倍政治を象徴する茶番劇がいくつも見られるようになっています。
その1つは消費税10%引き上げに伴う「軽減税率」をめぐる自公の「攻防」。一部のマスコミ(8日の報道ステーションなど)で伝えられている通り「落としどころ」は見え見え。それを「軽減税率与党協議は平行線 ぎりぎりの調整」(NHK NEWweb)などと書いてもらえば、自民にも公明にも参議院選挙での言い訳が立つことになりますから、できるだけ対立が深刻であるように演出する必要がある。
だいたい「平和の党」を自称してきた公明党が、安保関連法案では「ぎりぎりの攻防」などはどこにもなく、むしろ先導役をつとめ、さらに10%に反対するのではなく「軽減税率」を選挙公約の目玉にするという庶民泣かせの役割を果たしてきたわけですから、どれだけ「攻防」を演出されようが、そんなことに騙されるわけにはいきません。
同時に見ておかなければならないのは、仮に軽減税率を導入したとして、その事務手続きの煩雑さから軽減税率の取りやめも私は時間の問題だと思います。そうしなければ、大企業減税の穴埋めができませんから。

茶番の第2は沖縄。佐喜真普天間市長が普天間基地(返還後の)跡地にディズニーリゾートの誘致をしたいから協力してほしいと政府に要請したという話。これに対して、菅官房長官は「非常に夢のある話だ。政府として全力で誘致実現に取り組むことを誓いたい」と諸手を挙げて賛成の応援歌。
来年1月24日投開票の宜野湾市長選挙で次第に劣勢に立たされてきている現職を何としても勝たせなければならない官邸サイドの焦りが見え見えです。
ディズニーといえば、大人もこどもも喜ぶとでも思っているのでしょうか。狭い沖縄において釣り合いのとれた地域作りを進める上では、市長のスタンドプレイより、住民の声を十分に生かした行政こそが求められるはず。釣り合いのとれた地域振興策にとって、ディズニーに来てほしいという合意ができるのであれば、それはそれで1つの解決策でしょう。
しかし、今回の「要請」のように、選挙での利益誘導ともいえるやりとりは、辺野古3地区への交付金とも相まって、茶番を通り越して醜悪ですらある。沖縄県民をどこまで愚弄するのかと私は思いますね。


  12月8日(火)
今年、我が家の庭に、沢山のエンドウを植えました。ひと畝にはスナップエンドウ、もうひと畝には絹さやエンドウです。
例年春に種をまいたので余りうまくいかなかったのに懲りて、今年は秋に種まき。いま沢山の芽が出て来春には嫌ほど食べられそう。
このエンドウを見ていたら、ふと7月カヌチャリゾートでの音楽祭で山田健さんが歌った「エンドウの花」が思い浮かんでしまいました。ちなみに「エンドウ」の花言葉は「必ず来るしあわせ」だそう。
ところでこの歌、沖縄の歌で、妻も小さい頃からよく知っているという歌らしいんですが、私から見るととても不思議な歌詞をもっているのです。

えんどうの花
作詞:金城栄治 作曲:宮良長包

えんどうの花の 咲く頃は
幼い時を 思い出す
家の軒端に 巣をくって
暮れ方かえった あのつばめ

えんどうの花の 咲く頃は
冷たい風が ふきました
妹おぶって 暮れ方に
苺を取りに 行った山

今朝はつめたい 風が吹き
つばめが一羽 飛んでいる
えんどうの畑は 寒けれど
わたしゃ一人で 帰りましょう


とても沖縄、しかも宮古・八重山の歌とは思えない歌詞じゃありません?懐かしさとともにさみしい孤独感を漂わせています。
そもそも、エンドウは酸性土の沖縄にはあまり適さない作物なのに、歌詞にはツバメが飛んで、エンドウやイチゴが出てきて、さらにそのイチゴを山に取りに行く・・・さらに冷たい風が吹いている・・・。
ツバメ、エンドウ、イチゴ、北風などが出てくるこの歌詞は、安曇野だったらとてもしっくりきますよね。厳冬期があり、待ちに待った春にはイチゴの苗が眠りから覚めて大きくなり始め、木イチゴも実をつけ、エンドウが実を大きくさせ、そしてツバメが営巣を始める・・・そんな光景はなじみ深いものですから。でも、多分沖縄のみなさんにしてみるとものすごい違和感があるのではないのでしょうか。やはりこれは作詞者のある「心象風景」なのか、思い出の中の風景なのか。
作詞者の金城栄治さんは宮古島市西里に生まれ、28才という若さで亡くなっているのです。この歌の由来について、いろいろ調べていたら、ある方のブログにそのいきさつが記されているのを見つけました。
アルカリ土壌の宮古ではエンドウも新しい作物として作付けされていたのではないかと、このブログの作者は想像していますが、果たしてどうでしょうか。
ブログでは、この歌詞のもつ意味について、「宮古島新聞ホームページ」よりの引用が紹介されています。孫引きになりますが、その部分を抜き出しておきましょう。

「えんどうの花」は私にとっては、先生(新里尋常高等小学校に赴任した金城栄治さんはまもなく宮古教員養成所へ、国語教師として転勤へ転勤となり、子どもたちと別れなければならなくなった)への思慕の歌となった。えんどうの花の咲く頃に、ツバメとか、イチゴとか季節的にあわない風物が、ちりばめられた歌詞であるが、それは、去った「新里」に対する総合的情緒の表現だと思っている。ツバメは先生自身でもあり、イチゴ、えんどうの花などは、新里でめぐりあった季節感の象徴であろう。
「妹をおぶって暮れ方に、イチゴをとりにいった山」を歌う時、貧しい農村の中で育つ少年少女の私たちに寄せられた愛情の表現ではなかったかと思う。くじけるな、けなげに育て、と念じながら旅のツバメは、冷たい風の吹く朝、飛び去った。


いずれにせよ、バリトンやソプラノで情感たっぷりの歌もいいし、三線に合わせてしみじみと歌うもよし。そして、沖縄でなくても、たとえばこの安曇野でも、じみじみと心に響くいい歌だと思います。
この歌の作曲者は沖縄を代表する音楽家(石垣島出身)の宮良長包。彼を主人公とした映画がつくられていたんですね。すでに2006年に封切られているらしいのですが、この映画のサイトがありました。そこには予告編も。石垣ではこの歌愛されているんですねえ。
というわけで、いくつかをYoutubeから。上は沖縄出身のソプラノ歌手、宮良多鶴子さんの歌、次は、石垣島での宮良長包音楽祭のフィナーレ。下は大城友弥、国吉なおみの石垣島でのコンサートから。それにしても山田さんのバリトンホントにいかったなあ〜〜。









  12月7日(月)
1日違いでこうも天気が変わるかというような、穏やかでうらうらとした小春日和の1日。遠く爺ヶ岳、鹿島槍、白馬三山が真っ白に雪化粧して、空の青と鮮やかなコントラストを見せてくれていました。


沖縄辺野古新基地建設現場となっているキャンプシュワブ周辺では、粘り強い抗議行動が毎日行われていて、先日は山城さんをふくむ3名が拘束され、山城さんは釈放されたがまだ2人は拘留中だといいます。
警視庁機動隊百数十名が現地に派遣されて弾圧に励んでおり、あまりに暴力的なやり方に沖縄県警機動隊のメンバーも思わず制止するくらいだと現地からの報告は伝えています。
6日の「しんぶん赤旗」は一面トップで在日米軍経費が過去最高の7278億円に達し、そのうち辺野古抗議弾圧に1日約1200万円も計上してることを伝えています。海上での警戒船の契約金、工事車両入り口を警備する民間警備会社の契約金などで、2015年度の契約は43億円、1日あたりにすると1200万円となるというわけです。
海保や機動隊が国家権力の弾圧最前線部隊として辺野古で日夜「活躍」していることは、「本土」ではほとんど知られていません。知られないどころか、工事を妨害するものを排除するのは当然とでもいいたげな取材姿勢です。
もと琉球朝日放送のキャスターで現在ジャーナリスト・映画監督として全国を飛び回る三上智恵さんは自身のブログで「本土」のメディアの「姿勢」を鋭く告発しています(第34回「警視庁機動隊VS沖縄県民の闘い」)。

さて、その沖縄ではこの14日に「オール沖縄会議」が設立される予定です。これまで全県を網羅する統一組織が存在せず、各地の島ぐるみ会議のようにたたかいが分散していたのを、統一して「力強い運動で目標(新基地建設反対・オスプレイ撤去など)を達成」することが結成の意義だといいます。
共同代表には呉屋守将金秀グループ会長、高里鈴代島ぐるみ会議共同代表、稲嶺進名護市長などが名を連ね、各政党やさまざまな団体が加わって、いわばオール沖縄統一戦線の結成。
昨年6月に結成された「島ぐるみ会議」を土台に政党・団体・個人を含む広範な人々(平和・市民団体、県政与党の政党・会派、企業の計22団体が幹事会を構成、今後地域団体も幹事会に入る予定=以上「沖縄タイムス」)からなる組織です。
翁長知事を裁判に引きずり出した国には、ただ強権を用いていいなりにさせようという意図があるだけで一片の道理もない。何しろ、何故辺野古なのかという点でそもそも理由になっていないからです。
妻の机の前には「不屈館」で入手したファイルが貼り付けられ、それには瀬長さんの「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」という一文が書かれています。亀さんの言葉がいま沖縄で現実のものとして広がっていることを実感します。



  12月6日(日)
バラの会の今年最後の作業「堆肥作り」を行いました。先週木曜日の予定だったのですが、雨のために今日に延期。幸い天候にも恵まれて無事終了しました。
まず大峰高原まで軽トラ4台と乗用車1台で行って枯れ葉集め。大峰にはケヤキ、クヌギなどの木が沢山あるので落ち葉もハンパじゃない。今年は女性陣も加わって、あっという間に軽トラ4台とも一杯に。
続いてバラ園に戻って、しばらく前に購入していた牛糞、ぬかなどと一緒に枯れ葉を混ぜ込む作業。これが結構きつい。一間四方の堆肥囲いにどんどん詰め込みました。さらに余った牛糞は囲いの横で枯れ葉とまぜて大きな山にしてブルーシートをかけて保管。都合ふた山の堆肥ができあがりました。1年もするといい堆肥ができあがります。
全ての作業を終えたのが11時半。何度もやっている作業なので要領はわかっていて、10人の協力で素早く終えることができました。堆肥作りはバラ園の運営上どうしてもやっておかなければならないことなので、無事終わってホッとしています。
作業のあとはみんなで豚汁を囲んでおしゃべり会。結構寒くなってはいましたが、寒さも忘れて小一時間四方山話に花が咲きました。(下の写真、全員写真のみ大きい画像のリンクがあります)
みなさん、本当にお疲れ様でした。














  12月5日(土)
昨日紹介したのは坂本龍一さんと沖縄女性4人組「うないぐみ」とのコラボによる「弥勒世果報(みるく・ゆがふ)」という曲です。今年の夏に完成していたらしいのですが、今日まで何気なく見過ごしてきたのかなあ、ついぞ知らずにいました。
昨夜、妻にヤマトグチに直してほしいとたのんだところ、妻も首をかしげるところもあって、その後あれこれ二人で調べて何とか「翻訳」してみました。
この曲の歌詞は著作権のためでしょうかダウンロードできませんので、ヤマトグチのみ紹介しておきましょう。ただ、なかなかニュアンスを伝えきれないところがあるし、あるいは間違っているところもあるかもしれませんので、沖縄のお兄様、監修をよろしく。
画像での歌詞はあちこちで紹介されているし、昨日のミュージックビデオにも流れているので照らし合わせてご覧になれるはず。

弥勒世果報(みるく・ゆがふ)

海の美しさ 青い海の美しさ
私達の島の永遠の宝、永遠の宝

空の深さ 碧い空の深さ
私達の沖縄 いつまでも いつまでも

花の美しさ 鳥のさえずる声の清らかさ
美しい島の想いを知らせよう 想いを知らせよう

人々の心の広さ 心持ちの豊かさ
人々の心根の優しさは大切な命 大切な命

神々の宿る島 沖縄だから
世界のしあわせも守って下さい 守って下さい

波の想い 太陽と風の想い
戦争の世の苦しみを知らせよう 知らせよう

忘れようとしても忘れられない 戦争の世の苦しみ
子供たちに語っていこう 語っていこう

星の光 私達の地球(ほし)の光
しあわせな世の中を願っていこう 願っていこう

何も無い島だけど
平和への思いは 深いのだよ 深いのだよ

人の命は天からの恵み
長生きして 命は宝 命は宝

この地球(ほし)の姿 昔から変わることがない
変わるものは人々のこころ 人のこころ

人と人との争いはすてて
世界の平和を心から想い 歌って願おう
語って願おう 歌って願おう


もともとは、9.11のあと、アメリカが大量破壊兵器があるという虚偽の理由でイラクに攻め入る様をみて「もっと頭を冷やそうよ」という気持ちを込めて坂本さんが作曲したというundercooledという曲。本人のピアノだけの曲もあります。
古謝さんからこの曲に歌詞をつけたいという申し出があったことや、坂本さん自身の闘病をへて「みるくゆがふ」が出来上がるまでのこと、この曲をチャリティー曲として必要経費以外はすべて辺野古基金に寄付するということなどに触れた彼のコメントも読むことができます。
それにしても、沖縄をイメージして作曲したわけでもなかったでしょうに、「うないぐみ」が三線を弾いて歌うと、沖縄の昔からの古謡ででもあるかのように響くのは坂本さんの楽曲の豊かさゆえなのでしょうか。それとも彼のイメージに響き合う沖縄の感性の深さなのでしょうか。不思議です。



  12月4日(金) その2






  12月4日(金)
今日の毎日新聞から。まず一面トップは「『女性登用30%』政府断念」
政府が2003年に設定し、平成12年衆議院選挙で自民が政権公約に掲げていた女性の「30%目標達成」が全く進んでいないことから、20年度末までに「現実的な数値目標」に改めるのだそう。毎日新聞は、男女の平等度を示すジェンダーギャップ指数が145カ国中101位というデータも示していますから、この日本の現状は相当ひどいことがわかりますね。
公務員や市町村職員、民間企業の課長級などもそうでしょうけれど、自民党の地方議員のみなさんに占める女性議員の数こそ、彼らがいかに女性の社会進出に対して遅れた感覚しか持っていないか、ものの見事に示していると思いますよ。
総務相の発表では、都道府県議会で自民議員の女性比率はわずか3.0%ですよ。ほとんどいないってことですね。民主が12.7%、公明が8.7%、これに対して共産は驚くなかれ51.8%です。
また地方議員でも自民は6%にすぎません。共産は5割には達していないけれどそれでも35.2%で各政党中最高です。どの政党が言行不一致または一致なのか、自民党の「女性登用」という看板の偽りをもっと暴いていいんじゃないですかね。

一面記事には「英シリア領空爆 IS掃討、下院可決受け」というのもあった。
一昨日から下院での長時間にわたる審議の模様がテレビで流されていました。長いすにぎゅうぎゅう詰めで座って真剣に議論する様子は、討論の帰結は別として、首相の熱意あるしゃべり方、議員の真剣なまなざし、どれをとっても形にはこだわらない「成熟した議会」という雰囲気を醸し出していました。言論の府を自覚している国だから日本のようにアホな乱闘なんてあり得ないでしょうね。
ただ、空爆を認めるという結論は、3.11直後のアメリカを彷彿とさせるものでいただけない。フランス、アメリカ、ドイツ、ロシア、トルコなどに続いてイギリスが空爆に加わったことで、いっそう事態を複雑にし世界各地でのISの跳梁を許すことにつながりかねません。

5面の総合面には、小さく「『防災訓練にオスプレイを』防衛相 自治体によびかけ」なる記事が載っていた。中谷大臣が「MV22オスプレイは緊急時や災害に活用できる。各自治体にオスプレイが参加する形で防災訓練を」と述べたというのです。
米側の発表では、今年5月のハワイでの着陸事故は「操縦士の判断ミスで構造的欠陥ではない」ということらしいけれど、判断ミスが起こるほどの構造をしているってことじゃないんでしょうか。
沖縄県東村高江では、もともとのヘリパッドをオスプレイ用に一回り広げ、離着陸時の高温排熱に絶えられるような構造に変えていると現地で聞きましたが、構造上の重大問題(オートローテーション機能がない、乱気流に弱いなど)を一切考慮せず、しかも沖縄県の島ぐるみ会議の「建白書」の精神を一顧だにせず、防災訓練に平然とオスプレイを参加させようとする日本政府の底なしの対米隷従。絶対に認めるわけにはいきませんね。

3面には「金言」というコーナーがあって、西川恵客員編集委員が「過激思想は共通課題」と題する一文を寄せていました。
その中で次のような一節があります。

思想・教義の過激化はイスラムの専売特許のように語られる昨今だが、我々自身も経験したことだ。70年代、共産主義運動は日本や独、伊では「赤軍」など過激派組織の武力闘争に発展。・・・
共産主義運思想の変質と逸脱を見てきた目には、イスラムの過激化もさほど不思議ではない。・・・思想・教義の過激化はイスラム固有のものではなく、非イスラム世界も抱える課題である。


さて、この指摘のどこに問題があるのか、その通りではないか、と思われる方が多いのでは?
では、お聞きしますが、70年代の共産主義運動というのはいったいどういうものだったのですか。その運動の何が「過激化」して「赤軍」などの武力闘争に「発展」したのですか。「思想・教義の過激化」が現在の日本においてどのように進行し課題になっているのですか?
筆者には申し訳ありませんが、前回も書いたように60年代末から70年代にかけて「一世を風靡」したといわれる過激派暴力学生の狂気とも思える乱暴狼藉行為は、いくら「共産主義」「革命」などを標榜したとしてもそに実質は何ら社会主義・共産主義運動とは関係がありません。
このお方は、たとえば「連合赤軍事件」などが日本における共産主義運動の「発展」だと見做していらっしゃるのでしょうか。だとすれば「見識が皮相」という程度に軽く済ませるわけにはいきません。
当時は「全共闘」などの「日常性の拒否」「主体性の確立」などという言辞を評価する「評論家」がいなかったわけではありませんが、いまだにこの手の俗論がこの社会にはびこっているのを見聞きするのは情けない。ただ、若い世代はそんな俗論に影響を受けてはいませんね。この国会前での青年たちの行動を間近で見たり聞いたりしていればはっきりしますから。
「思想・教義の過激化」などという筆者はISなどの他に、いったいどのような現象を見、何を聞いているのかと思ってしまいます。日本での事例として、まさか沖縄辺野古で新基地建設反対を訴え身体を張ってたたかう人々を指しているわけではありますまい。



  12月3日(木)
7月に沖縄にでかけたとき、妻の実家のすぐ近くにガンガラーの谷がありその入り口にはサキタリ洞という鍾乳洞があって、そこで新しい人類学上の発見が相次いでいるという「思いがけない」出会いについて書いたことがありました。
琉球列島では、日本列島の縄文時代に相当する旧石器時代後期から貝塚時代前期の約1万年が古人骨の空白期になっていて、それを埋める発掘が待たれていたのが、このサキタリ洞穴での人骨発見でその空白が埋まると同時に、日本人の起源についての研究が大きく前進するのではないかと期待されているというのです。
サキタリ洞穴をめぐる発見については、1つは今年1月の日本経済新聞が詳しく伝え、さらに沖縄県立博物館の山崎主任学芸員は発見の模様を紹介、沖縄歴史研究家の大城將保さんは山崎学芸員のサキタリ洞内で開催された特別講演会を聞いての感想を記しています。
このサキタリ洞人の研究は緒に就いたばかりですから、港川人の不思議と相まってまだ何ともいえない部分があるようですが、研究が加速することは間違いないようです。

日本人の起源についての埴原和郎東大名誉教授らが1991年唱えた「2重構造説」では、東南アジア起源の縄文人が住んでいた日本列島に、北東アジア系の新モンゴロイドである渡来弥生人が流入して徐々に混血、現代の日本人が形成されたとされています。
その後のDNAを用いた研究では、「縄文人は列島に一様に分布していた」という考えが退けられ、「縄文人には起源の異なる様々なタイプの人達がいた」ことが次第に明らかにされてきたというのです。これをテーマにしたのが2010年放送の「『私たちはどこから来たのか』〜日本列島人の起源に迫る〜NHKハイビジョン特集」でした。

そもそも私自らが生粋の弥生系であると信じて疑わないわけですが、妻は逆に生粋の琉球人。私のルーツが朝鮮半島から大陸だとすれば、一体妻のルーツはどこなのか。どうやら最近の研究は、私自身が素朴に考えてきた縄文人と弥生人の出自、関係、進化などについての考えが”いい加減”だったということが次第に分かってきて、いたく反省させられていたところでした。
と思っていた矢先、11月の間に3回にわたって篠田謙一・国立科学博物館人類研究部長の研究の概要がしんぶん赤旗「科学欄」に掲載されたのでした。これはうんと参考になりました。MNEMOさんの「トーホグマン」でしばしば現れるミトコンドリアDNAのタイプ別グループ=ハプログループが篠田さんの研究の切り口になっています。(したがて「トーホグマン」を読む際の大きな助けになりますね)。
何度もこの記事を読み返してみて、何となくわかったような気にはなりましたが、実際のところはまだまだ曖昧模糊。

何となく分かったというのは、
@後期旧石器時代には主として3つのルートから日本人の祖先が日本列島に入ってきて、それほど混じり合わずにそれぞれの地域で新しいタイプに変化していったこと。
A渡来系弥生人がやってくる前にも、大陸からの流入があったこと。
B「本土日本」では、弥生以降の時代を通して在来の縄文系と渡来弥生人の混血が進んだ。
Cアイヌの人々は縄文人にはない(本土、琉球に見られない)ハプログループを持っている。これは北海道の地域集団が沿海州の先住民と共通の祖先(同じハプログループを持つ)から出発したことを示している。
D琉球人は明らかに南方起源である。旧石器時代には、琉球を経て北上した人たちは日本列島にも広く分布していたことがわかっている・・・ということぐらいかな・・・。
妻のルーツは分かってきたけれど、さて私のルーツはどこなのか。弥生人が縄文人を駆逐した純粋弥生ではなくて、仲良く(かどうかは知らないが)混血しつつも弥生系の素質を多く伝えてきた祖先を持っているということか。MNEMOさんは、私のマユを見て、いささか縄文系も混じっているとおっしゃるのだが・・・。ちょっとツバをつけてみた。
それはともかく、篠田先生や他の先生の本を読んでもっと勉強してみようかなという気にさせられたことでした。ちなみに、しんぶん赤旗の記事は以下の通り。「番外編」最後に書かれた篠田さんの言葉は深く心を打ちます。


DNAから見えた日本人の起源 <上>


DNAから見えた日本人の起源 <下>

       DNAから見えた日本人の起源 <番外編>



  12月2日(水) その2
今日、福岡高裁那覇支部で国(国土交通大臣)を原告、沖縄県(翁長知事)を被告とする代執行訴訟の第1回口頭弁論が行われました。
夕方のテレビ朝日では県庁前を出発する翁長知事と多くの県民の姿を写し出し、翁長知事の主張を紹介しながら、「翁長知事は裁判長と言うより国民全体に訴えていた」との琉球朝日放送の記者のレポートを報道していました。
これに対して、菅官房長官のあの「蛙の面に何とか」のごとき例の調子での「前知事から承認をいただいており、何ら瑕疵はない。日本は法治国家ですから」と記者会見。沖縄県が「瑕疵」としてあげたいくつかの指摘には一切答えることなく、ただ「沖縄県は違法」をくりかえし強権を発動するやりかたは、翁長知事でなくとも「銃剣とブルドーザー」を彷彿とさせるものです。
琉球新報は号外で、翁長知事の主張の要点を伝えていました。
一体国が県を訴えるという構図が沖縄以外であり得るのだろうか。メディアがほとんど詳細を伝えない中で、いつの間にか新基地が出来上がってアメリカに差しだされる、それも「本土」では起こりえないことでしょう。
それゆえ、沖縄県民は本土政府による「構造的差別」とよび、沖縄メディアもまたその世論に寄り添って主張を展開しているのです。
号外まで出して知事の弁論を伝える沖縄2紙を、本土の右翼的な人々は「かたよっている」「一方的な主張だ」「潰してしまえ」と目の敵にする。私に言わせれば、本気でそんな言説をまき散らすのであれば、普天間基地のすぐわきに引っ越して沖縄の2紙を少なくとも1年間購読し、つぶさに周辺住民と語り合ってからにするべきですね。もっとも身も心も「日本会議」的な心情で占められているのなら、どだい無理な注文ですが。
沖縄タイムス紙上には、「沖縄の『岐路』」トークセッション―過去の歴史的社会事象から沖縄の未来を考える―という記事が載っていました。沖縄タイムス余儀記者は、この沖縄2紙たたきへの現地からの反論として、「日本の0.6%の国土しかない沖縄に米軍施設占用面積の74%が集中している」ことに「この圧倒的な基地負担の不均衡がある中で地元のメディアとして基地問題を取り上げざるを得ないことは当然」とのべ、「数十万部の媒体が継続発刊できるっていうのは、一方的な主張を押し付けるようなPR紙とか機関紙的な報道では絶対にできません。沖縄の民意に寄り添ってしか私たちは新聞を出せないという背景があります」と語っていました。百田某氏の主張するような新聞がもしあれば、「恐らく1カ月は発刊持たないんじゃないでしょうか」とも。
にもかかわらず、この手の暴言や、新基地反対運動を誹謗中傷する暴言が絶えないのは、その根源に基地建設で儲ける企業、アメリカと癒着した軍需産業などを土壌とした右翼的な太い流れが依然として存在するからです。意図的に職業的にそうした暴言を吐き続けることが、「そちら側」から要請される。だから、それらは決して理性的・分析的な言論には絶対にならない。
そうしたものを背景として沖縄差別が日々拡大再生産されていく。たとえば兵庫県洲本市の小松茂市議の沖縄タイムス公式フェイスブックへの暴言書き込みのようなことが起こるのです。
キャンプシュワブ前での座り込みを機動隊が排除する際に一人の男性の肋骨が折れた可能性があるという同紙の報道に、「あの鉄板の入った頑丈な靴で、思いっきりけとばせばいいんだよっ」とコメントしたのだとか。議長経験者ともあろう議員が「本土」側のある意味「正直な非常識さと無教養さ」をさらけ出したともいえる事例です。

沖縄ではこれから県が国を訴え裁判闘争がはじまろうとしています。どれだけ「本土」側の世論を作りうるのか、戦争法廃止署名とともにこれからが正念場です。



  12月2日(水)
今朝も雲ひとつない晴天。霧がないせいかすっきりと晴れ渡っています。朝霜は相変わらず。霜でシュンと項垂れた野菜たちは日があたるにつれてまたシャンと背伸びして、何と寒さに強いことか。とくにアブラナ科の大根や小松菜、ヒユ科のホウレンソウ、マメ科のエンドウなどは霜など何のその。何故かバラ科のイチゴも寒さがなければ来年しっかりとした苗にならないという不思議な植物。これらは根をしっかり張って春になると大きな株を形成するのです。
反面、トマトやキュウリの夏野菜はひとたび霜にあたればそれで一巻の終わり。細胞のでき方が全く違うのでしょうね。わずか数千人がアフリカを出て今日の人類の爆発的増加のもととなったという説が有力なこの人間社会でも、ひょっとしたら寒さについて遺伝子レベルで似たようなことが起こっているのかも。

妻は女性団体の新婦人の忘年会(?)で朝からお出かけ。私は妻を送り出したあと、あまりに良い天気なので、ドライブで糸魚川にでもでかけて魚を買ってこようかと思い立ったのですが、車の前まで来て思いとどまった。
え〜、行き帰りのガソリン代は?魚の代金に昼食代を入れれば一体いくらになるのか?家にじっとしていれば一銭も使わずに済むのに・・・などと何ともいじけた気持ちになって、車の前からスゴスゴと家に引き返したという次第。アベちゃん、毎日料亭で何食べてんの?我々のこんな気持ち絶対にわかんねえだろうなあ。

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AERA最新号に野党3党首(民主、共産、維新)座談会が載っていると新聞で読んで、早速入手して読んでみました。これまでネット上で伝えられている範囲を超える内容ではありませんでしたが、むしろこのような雑誌で共産党が提唱する「国民連合政府」が話題になり座談会が組まれることの方が意味があると私には思えました。
この鼎談を読んで、一連の国会前、国会内での党首間の「信頼関係」がこの3人にはかなりしっかりと出来上がっていることは確認できます。話し合いを誠実に続け、それぞれの政党内でこれから真剣で深い議論をしてほしいもの。私たちとしては、地域から「統一」を求める運動を盛り上げることこそが大事なのだと思わされます。

ところで、このAERA、「国会前の風景から新しい社会運動を見る」と題して、何故か「新左翼の歴史と現在」という妙な特集をやっているのです。著者は「教育ジャーナリスト」と称する小林哲夫氏。この方がどのような人かは全く知識はありませんが、経歴では「朝日新聞出版『大学ランキング』の編集を担当(95年~)」と何かに出ていましたから、朝日新聞系列でお仕事をされていた方であることは間違いない。
この記事を読むと、8月末から9月半ばまでの国会前の集会やデモから彼は何故か「新左翼」の動向が気になったようなのです。
「2015年夏の国会前では、もはや歴史の後方に追いやられたと思われた『新左翼』に出会えた」と書いていますから。そして次の見開きのページでは「戦後70年社会運動の歴史」として1952年「血のメーデー」、60年安保闘争「全学連国会突入」、66年〜「全共闘」、などほとんど「暴力」的な事件を写真で追いかけているのです。
「武装闘争した理由」などと見出しまでつけて、60年代から70年代にかけての「新左翼」が何故に暴力に訴えたのかという「分析」を行っています。そして、最後の見出しは「3.11から8.30へ」。その最後には「国会前には、新しい社会運動の萌芽が見られる」と書いて稿を閉じています。
これを読むと、「若い人は知らないだろうが、昔は学生運動や労働運動を担っていた青年たちは武装闘争に訴えてでも社会を変えようとした。そうした過激な側面はあったが、市民はそうした反戦運動の歴史を受け継いでたたかい続けてきたのだ。それが形は違うけれど今日の国会前での運動につながっている」といいたいらしい。
「60年安保から55年ぶり、全共闘から45年ぶりに集会に参加したシニアは、彼らの時代の学生運動の記憶を想起している。さまざまな立場の人が世代を超えて揃った」と書いていることからわかるように、この著者の主たる記憶は「全共闘」であり、現在までの国会前でのたたかいの記憶は何もなく、突如「戦争法国会」につながる。
私に言わせれば、これは朝日ジャーナルを想起させるようなAERAのヤラセ記事。他の記事のレベルすら落としてしまうようなものです。
そもそも、この間の社会運動を何故に「暴力」を軸に見なければならないのか、その説明は一切ないのです。だとすれば、これは著者の一種の時代錯誤の「感慨」でしかない。
第一、1960年代終わりから70年代初めの学生運動を「全共闘」でくくるのは全くの誤りです。東京の一部ではそのような現象はあったかも知れないけれど、多数の大学ではまともな学生運動が主流だったからです。
私が大学3年生だったのは1967年。当時私が在籍した東北大学はすべての学部で自治会活動が民主的に運営され、自治会連合がつくられて職員組合や学生協の職員たちとも共同して大学改革に取り組んでいました。
私は理学部の自治会委員に選ばれたことがありましたが、学生大会を開くこと自体大変で、いかに過半数の学生に出席してもらい成立させるか苦闘した記憶があります。一部の学生が勝手に自治会を名乗り、正規の学生大会を開くことのなく暴力的な極左行動を行うなどとは縁もゆかりもない自治会活動だったのです。それゆえ、団結すれば強力な実力を発揮する。それを示したのが大学始まって以来の全学ストライキ闘争でした。
かつてこのブログでも書いたとおり、中にはトロツキー主義者もいましたが、大学では全く相手にもされず、ただ難解なチラシを配っては息巻いていた程度。
彼らから見れば、私たちの民主的なやりかたは、まどろっこしく軟弱なもので、とても闘争などとはいえないと写ったことでしょうね。彼らは「多数者革命」というたたかい方の本質を全く理解できなかったのです。なにしろこうしたふつうの感覚の持ち主は代々木スターリニストになってしまうのですから。
当時、「全共闘」の中心を担っていた極左集団(中核、革マルなど)の本質について私たちは十分すぎるほど理解しており、そのようなやり方で社会の仕組みが変革できるわけもなく、むしろ有害きわまりない勢力だという考えを持っていました。事実、彼らのほとんどは運動から脱落したり展望を失って転向したりして、全く社会的な運動からは消えていったのです。
私がこのような「全共闘」批判を書くのは、一部のセクト集団を相手にしているのであって、そうした風潮に影響を受けた学生たちを指すわけではありませんし、それらに影響を受けた市民運動をさして、それを否定しているわけでもありません。
「全共闘」運動に関わった同世代の方からは、オレはそんなことはなかったぞ、大いに情熱を燃やしてたたかいぬいたとおっしゃる方が、あるいは存在するのかもしれません。確かに、そうした渦中にあっても、思索を続けて社会的な貢献をされている多くの人々が存在することもまた事実ですから。
おそらくその方であっても、このAERAの記事の一面性については納得されるに違いない。「全共闘」は一部の学生の舞台ではあったかもしれないけれど、当時の社会現象を括るほどのものであったわけでは決してなかったということです。ジャーナリストを名乗る以上は、もう少し多面的で生産的な社会分析をなさったらいかがなものでしょうか。



  12月1日(火)
振り返れば、延々書き継いでとうとう丸12年目。その最後の月を迎えてしまいました。来年になれば干支が一回りして新しい12年の始まり。私自身古希を迎える節目の年ということになります。
長く書けばいいってものでもありませんけれど、自分の生活の記録としてはなかなか貴重なものになっているのかなと思い、筆(キーボード)の進まぬときも多々あるけれど、もうちょっとは続けてみようかという気になっています。

さて、今日夕方には「戦争法に反対する池田町民の会」の「署名推進会議」を予定しています。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」がよびかけてすでに全国で始まっている戦争法廃止全国2000万署名を地域でどのように取り組むかを意思統一する会議です。
池田町民2割の2000名署名となれば、単に「やりましょう」ではとうてい達成できなことは明らか。そこで特別の体制をとり、推進本部を立ち上げて意識的・計画的に署名遂行に全力を挙げようとあいなった次第。実質的責任者は私が名乗りをあげました。
幸い、池田町では政党・民主団体などの強い力があるし、過去に築いてきた人々の連帯の輪があります。そうした力に依拠して行動をうまく配置していけば必ず達成できるはずです。
問題は、いかにこの署名の意義をそれぞれの生活や考えに引き寄せてとらえるのか、そしていかに多くの推進協力者を組織できるかにかかっているということです。
人間の世界ですからお互いに信頼関係がなければ何事も進まない。たえず意義を訴え、寒い中でも地域にでて署名をお願いする以外に進める道はありません。何しろ、この署名を取り組む期間は厳冬期を挟んでいるのですから。
ホームページ上や、フェイスブック・ツイッターでお互いに連携をとり励まし合いながら進めていくことにしましょう。


午後6時半からの署名推進会議には20名近くが参加して、熱心にこれからの署名の取り組みについて意見交換しました。集まった人が100名の署名を集めれば達成できるんだ、という意見も。
代表のMさんが挨拶で述べたように、確かに安倍内閣の支持率は以前からみると上昇し、国民の中では「戦争法」が国会で強行採決されたあの怒りも熱気もどこかに行ったように見受けられる空気がないわけではありません。
とはいえ、それはアベちゃんが望むとおりのことなのだろうか。メディアの大方が、もう過ぎたことという扱いをし、テレビなどでも「いつかそんなことがあったか」というような扱いをしていれば、そのように「空気」は作られる。だからこそ、意識的に自覚的に、この「空気」感の危うさ、彼らの思惑の危険性を指摘し続ける人々の存在が大きいのだと私は思います。
気負わず、さりとて悲壮感に陥ることもなく、一人でも多くの仲間をつくることができたらうれしいというくらいのつもりで、じっくり取り組んでいきましょう。







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