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  7月31日(金)
昨夜無事池田に戻ってきました。第一印象は”暑い”。沖縄とぜんぜん変わりません。何なんですかねこれは。夜になるとさすがに少し暑さも和らぎましたが暑いことには変わりない。
さて一夜明けて、午前中はバラ園にいって除草作業を少しだけ行いました。昨日参加する人が少なかったので、今日改めて作業することになったというのです。
午前10時頃からまた気温がぐんぐん上がって、お昼過ぎには35度くらい。家の中でも31度ありましたから、これは異常ですね。
妻はこれまでずっとエアコンなしで過ごしてきたと言っておりましたが、今日はさすがにエアコンなしでは沖縄よりひどい。室温を下げるために午後からついにエアコンを入れました。

沖縄にはサボテンの実で「ドラゴンフルーツ」というのがあります。白と赤とがあって、結構人気の果物で、友人宅でもゼリーにしたのものを頂きました。妻の実家にはあちこちにこれが植えてあって、私がいた最初の頃には大きな花をたくさんつけていました。そのときは、まもなく1つ、2つと順に咲くのだろうというくらいにしか思っていなかった。
ところが友人が言うには、この植物は月齢の1日、15日にしか咲かないのだとか。どうやって月の満ち欠けに反応しているのか私にはその原理はさっぱり分かりませんが、それが見事に実証される日がやってきました。それも沖縄を発つ30日の朝です。
昨日は月齢14.1、大潮。朝、母が「外を見てごらんよ」という。外に出てみると、大輪の純白の花があっちにもこっちにもたくさん開いている!!それもいっせいにです。妻が以前これを見て感動したというものうなづける光景でした。




動物の世界でもその生態が月の満ち欠けに関係しているのはよくテレビでも見かけますが、植物の不思議を実感させる光景を間近に見たのは初めてだったので、なかなか感動的でした。
次の写真は、レジ袋をたたむ母。どんな袋でも丁寧にたたんでしまっておくのが習慣らしい。
その下は、上空から見た伊江島と本部半島。




午後から、向こうから送った荷物の整理と庭の手入れ。野菜や果物は妻が出してくれていましたが、私物やお菓子類はそのまま。お土産も含まれているので仕分けが必要です。
庭では、ラベンダーは終わった花を切らなければならないし、野菜には追肥をしなければならないし、やることはいっぱい。これも時間をみてちょっとずつやっていくことにしましょう。



  7月29日(水)
辺野古で、高江でいつも私の頭から離れなかったのは、もし機動隊が無理矢理私を含むデモを排除し始めたとき、私は何と言って抗議するのだろうということでした。
この地に住む人たちは、自然が生活が奪われることに対して心の底から怒っていて、それが自然にコトバとなってあふれ出てくる。島袋文子さんのように、短いコトバでただひと言「私を轢いてから通りなさい」という激しいものもある。若い女の子のようにただ泣きながら行く手をふさぐ行為もある。
抗議の仕方は人それぞれだが、いずれも心の底からの叫びが厳しい対決の際の行為の根底にあるのです。ひるがえって私は??
かなり前のことになりますけれど、私にとって忘れられないあるシーンがあります。私が40代はじめ、まだ教職員組合の下っ端の役員をしていた頃のこと、ある日事務所に右翼団体のメンバーが抗議文をもって現れたのです。そして抗議文を読み上げ始めました。
そのとき、上級役員のF氏は何と言って対応したか。「私たちは日本国憲法と教育基本法に基づいて教育を行っています。あなた方から抗議されるような事実は一切ありません」・・・こう言ってお引き取り願ったのでした。まさしくそれ以外にない的確な対応ですね。しかし、私はそのような対応の入り口にも立っていなかった。どうしよう・・・としか考えられない惨めな気持ちの中にいたのでした。
重大な問題が身に降りかかったときに、どのようなコトバで対応できるのか、それは日頃の本質に迫る感覚の鋭さと、それを言語化する営みが生き生きと行われているのかどうかにかかっているのではないか。辺野古やその周辺の人々の仕事と生活、大浦湾の海底・海中の生き物の姿、海上での人々の営み、そうしたことがらにどれだけ想像力を働かせているのかがいつも問われる。
「標的の村」であれ「戦場ぬ止み」であれ、身体を張ってたたかっている人々から発せられるコトバの豊かさ、重さ、的確さ。それが私には残念ながらいまだにない・・・。
感覚を研ぎ澄まし、そのように行動したい、そのようなコトバを見つけたいと願いながら、実にまだまだほど遠い自分を感じるのです。怒り・悲しみ・願いをコトバに凝縮するときどのような表現になるのか、辺野古や高江で私は深く深く教えられた気がしました。

午後1時。病院への母の送迎を済ませて昼食をとり、一休みしているところ。とにかく暑い。
荷物が持てる範囲に収まっているかどうか確かめ、かろうじて何とかカバンに入ったのでホッとしています。できるだけ軽くしようと思ったのに、なかなかそうもいきません。まあ、何とかなるでしょう。

「安保法制 暴言」でググってみましょう。最新の「暴言」は、あのホリエモン。渋谷ジャックの子連れママのデモに対して「赤ん坊まで猛暑日炎天下のデモに連れてくる馬鹿母。父親は何してる?制止しろよ」のリツイートに「アホですね」といい、「ベビーカーに乗せられいる子供がぐったりしている、子供の命を危険に晒しているのはどっちだ! 」という書き込みには「頭にウジが湧いてるんだね」とかく。「はぁ…お子様達が熱中症や汗疹になっても気にしないのかなぁ?」に対しては「戦争になるくらいなら死んだ方がマシ的な笑」(7/26)、「こんな事言ってる堀江さんが『ウジ』とか言っちゃいますか?へぇー???笑」とくると「蛆虫野郎め」、「堀江さん、ご自分の “心と頭に湧いた蛆虫” の駆除を先にお願いします」と書かれると「消えろ」。
「参加者ですが、お昼時だったでこんな感じで息子も寝てましたよ。普通に暑い日出かける時と同じように」とくれば、「参加すること自体がアホだっていってる。暇人め」。
「自分は他人より頭がいい」「世の中のたいていのことは知っている」と思っているこの手の人物は何を書かれても屁とも思わない(ふりをする)。いかにして効率よく利益をあげるのかが「頭のいい人間」のすべてであって、それゆえ目の前にある脅威(北朝鮮・中国)が問題と見え、それを除去しなければならないと考えるわけですから、安保法制に反対する理由がない。当然「前提が異なる」。ゆえにこのようなデモなどは論外だし、まして暑い日に子連れで街頭に出るなどアホのすること、という認識となる。
「間違った前提知識で活動してるから問題視してる」「お前の100倍考えてるわ」と書いていますから、彼は彼なりの持論があるのでしょう。つまり、彼にとっては一連の書き込みは「暴言」でも何でもないのです。ごく当たり前のことを言っているに過ぎない。ただ、100倍考えている割には、コトバは軽く、低劣で、品がなく、何ものも意味していません。ただ痛いところを突かれると居丈高にもなる。
そもそもふつうの子育て中の母親や庶民とは接点がないのですから、たいていの「反論」にはくじけない(ようにふるまう)。マスメディアから注目されたり、テレビのクイズ番組でちやほやされているうちは、高圧的でしょうけど、ひとたび世間から見放され、圧倒的な世論で包囲されることになれば別。それがこうした方々の最大の脅威なのです。彼らが「アホ」発言すればするほど、政府・自民党とそのとりまきは追い詰められているのだと考え、「アホ」「頭にウジ」はそのままそっくり彼に返上して、安保法制反対の運動をさらに大きく前進させましょう。

PCも片付けてしまうので、沖縄からの発信はこれで終了です。池田町に着いてから再会します。
沖縄でお世話になったみなさん、本当にありがとうございました。お母さんも11月1日のカジマヤーで再会するまで、怪我しないように気をつけて元気で過ごしていてくださいね。



  7月28日(火)
また暑い日の始まり。沖縄はしばらく晴天がつづく予報です。
朝は、池田町の友人からいただいた素麺をゆでて食べました。沖縄ではチャンプルーにしますが、今日は私流。ネギを刻んでめんつゆをぶっかけただけです。母は、これに三枚肉を載せてウチナー風(?)にしていました。
外は航空機の音がうるさい。南城市の海岸をかすめて飛ぶのは通常の国内便で高度があるのでこれはたいしたことはない。大きな音を出して不規則に飛んでいるのは自衛隊か米軍のジェット機なのでしょう。かなりの高度でも大きな音がするのですから、基地周辺ではどんなにうるさいことでしょう。

いよいよ長野へ帰る準備に入っています。長野にはない野菜や果物を買って、義兄がとってくれたバナナといっしょに送ること、帰りの荷物を軽くするために持ってきた身の回りのものを送ってしまうこと。今日の午後にはすべて終えるつもりでいます。
今日の昼は友人が母と私を招待してくれて昼食会です。母とは「毎日食っちゃ寝だねえ」と笑いあっています。母はよく食べてくれるので、まだまだ長生きしそう。本人は「やせの大食いだ」と言っていますが。

さて、参議院での安保関連法案の審議が始まったかと思ったら、またまた礒崎首相補佐官からとんでも発言。次は磯崎さんのおことば。

政府はずっと、必要最小限度という基準で自衛権を見てきた。時代が変わったから、集団的自衛権でも我が国を守るためのものだったら良いんじゃないかと(政府は)提案している。考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。

あれ〜〜、憲法前文および第9条が基準じゃなかったんですかぁ?時代が変わっても現行憲法のもとでは集団的自衛権はダメというのが一貫した政府の方針だったんですよね。

すると磯崎さん、今日になって、発言は報道関係者が「やや短縮して報道した」として「むしろ法的安定性は大事」だと言い始めた。責任は報道陣にあるといわんばかりです。
一昨日の発言から、どうしてこのような言い訳が成立するのか私には全く理解できません。あ、これは私が「誤解」したからでしたね。菅さん。

今日の毎日新聞によると、「公明党の足元で、地方議員や支持母体の創価学会員たちの反発や離反が起きている」のだそう。さもありなん。
池田町でいま署名行動を取り組んでいる仲間の話では、おそるおそる創価学会員の家を訪問したら、創価学会と公明党とは違うんだと言って署名してくれたといいます。いままでは、創価学会内部でじわじわ不満が高まっていたのでしょうが、いよいよ公明党本体に影響が出始めたということでしょうか。これは「平和の党」を自認する公明党それ自身の自己矛盾ですから、この矛盾は深まりこそすれ解消するわけがない。量的な矛盾の増大は必ず質的転換をもたらす。

午前中、母を眼科まで車で送り、私はすぐちかくの「ちんすこう」の製造元で少しだけお土産を買い、また戻って母を迎えに行き、続いて12時から友人Tさん姉弟が催してくれた昼食会に母と共に出かけました。
会場は妻の同級生のやっているモズクソバ専門店。店は本島と奥武島を結ぶ橋のたもとにあり、対岸で泳いだり橋の上から海に飛び込む子どもたちが見えます。
ここは私がまだ20代だった頃、友人に案内してもらって泳いだところで、橋の上から釣りをしたり飛び込んだりは当時からの光景。その友人とは何十年ぶりかの再会で大変懐かしくいろいろと話が弾みました。また妻の友人で我が家にもその昔遊びに来たことのあるGさんご夫妻も参加、沖縄の現状などについても話題が広がり話は尽きません。
お店のあとは奥武島のTさん宅で2次会。いろいろとごちそうになり、あっという間に時間がたってしまいました。








家に戻ってから荷物を整理し、宅急便で送ってしまいました。私が自宅に着くより少し早く荷物が到着することになるはずです。
明日は午前中母を病院に連れて行くことになっているので、午後から帰るための最終チェックです。



  7月27日(月)
沖縄はまた暑い晴天の日がもどってきて、家の中にいると茹で上がってしまいそうです。
義母はデイサービスの日。これまで午後4時ごろまでだったのが、介護保険の「改悪」によって、午後1時頃までに短縮。あとは自分でやれということなのでしょう。新基地やオリンピックスタジアムにつぎ込む大金があるのなら、介護保険の充実に使うべきですね。
今日は義兄が朝から畑の手入れのためにやってきて、庭のバナナがもうそろそろ食べ頃だからと切ってきてくれました。でかい。ところどころ鳥がついばんでいるのを見て、鳥も食べ頃なのをよく知っていると義兄。
庭では、早朝から何匹もの黒いアゲハが飛び交っています。素早いのでなかなか写真には撮れません。そのかわり収穫の時期になっている島トウガラシをどうぞ。




今朝メールチェックをしていたら、東京の友人Sさんから思いがけない写真が送られてきました。
昨日の国会前「総がかり行動」で、偶然Sさんが妻と遭遇したのだとか。そんなこともあるんですね。「猫がダンナにしかこころをひらいてくれなくて・・・とぼやかれてましたよ(^_-)」というコメントも付いていました。それにしても暑そう。お疲れさんでした。


沖縄での生活も残り2日となった今日は、お土産を買いにひめゆりの塔の付近の店に出かけ、その足で何カ所か行ってみたいところを回りました。
お土産は那覇まで行くのはめんどう。ひめゆりの近くはいかにも史跡をダシにしているようでいやなのですが、品揃えは抜群。お酒などもあるので地元にお金を落としてあげようという優しい気持ちで買いにいったのです。
最初にまわったのは、糸数の壕「アブチラガマ」。過去3回ほど来ているのですが、2.3年もすると忘れてしまうことが多いのと、真っ暗闇に身を置いてみることができるのはこの壕くらいですから、今日もふらっとやってきたのでした。
ところが! 最近の壕の体験は、予約が必要だったのです。言われて思い出した。別に慌てて見なければならなくてもいいやと思って来ただけなので、「また来るよ」と外に出ようとすると、「もしガイドが来てくれるというのなら見てもらってもいいですよ」と親切な窓口の女性。結局ガイドが来てくれて、その案内でいっしょに中に入ることになりました。
だいたいは知っていることでしたが、あらためてこの壕の中の闇の深さ、岩だらけの怖さを体験してくることができました。
陸軍病院がさらに糸満に移動することになって、この壕には動けない傷病兵が多数残されます。彼らの多くは放置されるか青酸カリを飲まされるか、いずれにしても後には死があるだけ。
外につながる穴からは米軍が黄燐弾を打ち込んだり、ガソリンを投げ込んで火をつけたとガイドが説明してくれました。そのために吹き飛ばされたブリキ屋根が壕の上に刺さって残っているのが懐中電灯に浮かび上がりました。住民も多数混在していましたが、軍の主力がさらに南部に移動したためかろうじて生き延びることができたのでした。
壕内での写真撮影は禁止。カメラを受付に預けてしまったので、ここでは写真はありません。

続いて、「沖縄ワールド」と道を挟んで向かい合った場所にある「ガンガラーの谷」へ。ここは初めて来るところで先入観一切なし。来てみてびっくり。ものすごい大きな壕が口をあけて、その中がカフェになっているのでした。それに続いて奥に壕の天井が落ちて森になっている谷があり、そこをガンガラーの谷というらしい。そこは例によって予約なしでは入れないことになっているので、とりあえずその大きな洞穴で休息することにしました。
入ってみると、玉泉洞とつながっていたのではないかと思われるようなスケールのでかい洞穴で、大きな鍾乳石がずらり。その下には、したたる水滴をさけるために大きな傘がいくつも広げられて、そこがカフェになっているというわけでした。




この壕は「サキタリ洞」と呼ぶようで、実は発掘が進行中の場所。先に紹介した港川人の直後からの時代を埋める人骨や石器や土器が発見されていて、極めて貴重な遺跡なのだと知りました。
傍らで発掘が行われ、その脇にはパラソルの広がるカフェというのはどうみてもミスマッチですけど、先人たちもそこで生活していたわけでしょうから、この程度なら許されることなのか。鍾乳洞の中がカフェなのは日本広しといえどここだけのように思います。ちなみに、世界ではいくつか有名なケイブカフェがあるらしい。








こうした鍾乳洞が、人類の生存と進化に大きな役割を果たしてきたのではないかと、アイスぜんざいを食べながら考えたことでした。
ここは沖縄以外ではちょっと体験できない異空間。びっくりすること請け合い。ぜひ訪れてみてほしいところですね。



  7月26日(日)
琉球朝日放送は、東京調布市で小型飛行機が住宅地に墜落したというニュースをずっと続けています。
事故に巻き込まれて亡くなった女性がいるという報道もあり、何ともやりきれません。
米軍普天間基地や嘉手納基地を持つ沖縄では、いつも事故と隣り合わせに生活しているわけですから人ごとではありません。
航空機に詳しい元パイロットは、高い気温でエンジン効率が落ちていたことと、小型機の操縦士の技量低下の二つが主な要因ではないかと推測していました。
徹底した原因究明と再発防止の徹底が求められます。調布飛行場のように、住宅密集地にある飛行場についてはとくに飛行場の運用に厳しい条件がいるでしょうし、場合によっては閉鎖も考えるべき時ではないのでしょうか。

曇り空だったために比較的過ごしやすい日になった沖縄。私は午前中から車で那覇に向かいました。バスではなく車にしたのは、日曜日だからそれほど交通量は多くないだろうと予測したからです。
那覇に向かった目的は、桜坂劇場で上映中の「戦場ぬ止(とぅどぅ)み」を観ることでした。
駐車場は劇場指定の「ぎんざ駐車場」。ここは妻がいつも利用している駐車場で、桜坂劇場のすぐ近くなのです。早めに着いたために、まず焼き物の店に行ってコーヒーカップをワンセット購入(壊れたセットの補充です)。続いて劇場内のレストランで簡単な昼食を済ませ、資料をいろいろと見て回りました。
この劇場は、営業用にならないような世界の映画を意欲的に上映したり、カルチャー講座などを行っているところ。沖縄文化の発信地といえるところです。
写真は劇場正面の券売り場のホール。


映画は、「標的の村」の続編ともいえる三上智恵監督作品の第2弾。辺野古新基地建設問題を沖縄住民目線で描いた作品です。
沖縄戦生き残りでキャンプシュワブ前で身体を張って阻止行動を行う島袋文子おばあ、現在は病気闘病中で、つい先日までキャンプシュワブ前での抗議行動のリーダーであった大城ヒロジさん、瀬嵩地区に住み家族ぐるみで基地建設反対行動に粘り強く取り組む渡具知武清さんなど何組かの個人、家族の生き方に焦点をあてながら、「民衆のたたかい」を活写。沖縄の民意に背いて基地建設を続ける政府・防衛局、その前面で住民を排除し続ける海保や機動隊の姿も多面的にとらえ、基地建設の現場で何か起こっているのかを描いていきます。
圧巻は、辺野古の海で繰り広げられる抗議船・カヌー隊とこれを排除しようとする海保「海猿」とのたたかい。よくここまで接近して海保とのやりとりを収録したと驚くばかりです。
大浦湾を守ることがいかに大事なことなのかがしっかり描かれていたし、キャンプシュワブのゲート前での私の知らない激しい抗議活動もリアルにとらえられていて、おそらく初めて見る人には大変なショックな映像ではないかと思われます。
ただ率直にいえば、新基地建設反対という立場に立って、政府・防衛局がいかに民意を無視して基地建設を強行しているのかを強調しようとするあまり、「標的の村」でみられた事実を通して問題を浮き彫りにしていくというドキュメンタリーの手法が後退しているように思われました。また、基地建設反対という圧倒的な民意を土台にしているとはいえ、何が基地を強化させようとする元凶なのか、その費用は誰がどのように負担しようとしているのか、なぜこれほどやり方が強引なのか、そういった根本に潜む問題をえぐり出す鋭さにはちょっと欠けるような気がしました。不十分な私の見方のせいかもしれませんが。
ともあれ、この映画は今日日本で実際に起こっていることをリアルに描いている点で必見。「標的の村」と併せてご覧になることをぜひおすすめいたします。
写真はパンフレットの表紙から。


「安全保障関連法に反対する学生と学者の共同行動」が7月31日に予定されています。このチラシには先日内田樹さんが「さわやかな青年たちといっしょに写真撮った」と語っていた写真が使われていて、なかなかの出来。学生も学者も洗練された活動スタイルを編み出してきていますね。
今日は妻も東京の抗議集会にバスで出かけたと連絡がありました。バスも満員で盛り上がってきているのを感じるとも。



  7月25日(土)
一夜明けて今朝、台風接近の影響で少し風が強くなってきました。台風のヘリにあたるせいか雲はそれほど厚くなく、むしろ明るさを感じます。台風はこのあと奄美方面に向かって北上する可能性があり、今日の午後には最接近、雨も降ってきそうです。
本土の太平洋岸では35度〜38度という高温の予想のようで、これまた大変ですね。沖縄からお見舞い申し上げます。

ただいま正午ですが、午前中空模様はほとんど変わらず。すこし気温が下がって30度を下回っているんじゃないかな。過ごしやすくなっています。雨が降ってもっと気温が下がってくれるとうれしいのですが。
台風が来ると、食っちゃ寝の生活になってしまいます。何にもしなくても腹はへる。二人でテレビをみて過ごしているのですが、飽きると「もう寝るしかないね」となる。そうこうしているうちにまた食事の時間。台風がくると、まったく動かないので太ります。

今日の沖縄2紙は共通して沖縄防衛局の「焦り」を一面トップでとりあげていました。沖縄防衛局包囲行動のあった昨日、まだボーリング調査が終わってもいないのに、調査を終えた部分から工事に入りたいとして、県に本体工事の設計図(護岸部分)を提出したのです。
県がこれを受理し、県との協議を終えれば工事に取りかかれるというわけですが、まず県は翁長知事不在のため受理していません。ところが防衛局は書類を受け取ったことで受理されたとみなし、協議が不調でも工事を強行する構えだといいます。
沖縄タイムスは「昨年の選挙や台風の影響で遅れてきた全体の遅れを取り戻そうと躍起になっている」「手続きとはいえ、一方的な協議開始や着工はそういった(知事と菅官房長官の対話)流れに水を差し、県民の政府への反発をさらに強める結果になりそうだ」と書いています。琉球新報も「部分的な協議書提出をもって事前協議を開始しようとすることで、いち早く本体工事に着工したい政府の前のめりな姿勢があらためて浮き彫りになった」と解説しています。
政府が当初の方針から一転して、部分的であれ本体工事に踏み切ろうとしている背景には、8月にも予想される知事の「埋め立て承認取り消し」を牽制するとともに、既成事実を積み上げたいとする政府・防衛局の思惑がある。しかし、これは思うように工事が進まない「焦り」の現れであると同時に、県民の意志がどうあれ、強引に新基地を作ろうとする彼らなりの作戦でもあるわけで、油断がなりません。

南城市のとなりに八重瀬町(2006年東風平町と具志頭村が合併、人口2万9千人)があり、現在の具志頭(旧具志頭村)に八重瀬町立具志頭歴史民族資料館があります。ここには「港川人」に関する常設の展示場(1F)があって、発掘から現在までの経過や最新の研究成果を見ることができます。
幸い台風の影響もさほどなかったので、夕方ドライブがてら実家から約10分ほど先の具志頭まで行ってきました。資料館の方は、こんな台風の日にと思っていたんじゃないかなあ。誰もいない資料館で、ゆっくり港川人の展示を見学。さらに同時に展示されていた自由民権の父と称される東風平出身の謝花昇展(地階)を見てきました。
縄文人の先祖かとみられていた湊川人も最新の研究ではオーストラリア原住民と同じ形質を持つとの研究もあってやや複雑。それでも隔離された土地と思われる沖縄で2万年以上も前の人類の足跡を見るのは興味深いことです。
歴史民族資料館はかなり広く充実した展示をしており、謝花昇展でも戦前のさまざまな文書、史料を見ることができます。「港川人」「謝花昇」という全国レベルのトピックがあるからということもありますが、しっかりした資料館を運営できる町の実力も大きいものがあると思われたことでした。是非とも一度訪れたい資料館です。

夕食後、ふと気がつくと空が真っ赤に焼けている。ちょっと気がつくのが遅かったせいか、写真ではあまり迫力ありませんね。







  7月24日(金)
早朝、窓を開けて寝ていれば肌寒いくらいの気温。空は雲ひとつなく清々しい青さです。
今朝は午前6時に起床、床を磨いたり片付けをしたりして撤収の準備。朝食後は、荷物をまとめていつでも出発できるようにしました。
午前8時半、すでに太陽は高く昇って、暑さが戻ってきました。これは台風前の熱気なのか。日付変更線を越えてきた台風12号が、当初は関東地方に向かうという予報だったのに、何を迷ったのかまたまた沖縄方面に向かって西進、明日には本島に近づくというのですから、いやになります。
南城市の母も心配しているでしょうから、今夕から一緒に過ごせるのでちょうどよかった。今日のうちに買い物などを済ませておくことにしましょう。

沖縄に到着した日から、私は琉球新報、沖縄タイムスの2紙をコンビニで買っては読んでおりました。読者といっしょに考える素材を豊富に提供し、事実をありのままに伝え、そして民意を尊重して県民の活動を多面的にに報道する、そうした姿勢は2紙ともに共通しています。
翁長知事の政治姿勢については、沖縄タイムスの方がより厳しい目を注いでいるような気がしました。たとえば、菅官房長官とほとんど密室に近い場で懇談を持ったことや、辺野古埋め立て承認の検証委員会報告がたったA4で2ページの概要版しかリリースされず、県が検討してからすべて公開するとしていることなどをあげて、情報提供の不透明さを指摘している点。これらはいずれも「権力を監視する」というジャーナリズムの本質からいえば当然のことでしょう。
報道機関が問題意識をどれほど鋭く持っているか、生起する事象の本質にどれほど深く迫れるか、こうしたことが今日ほど問われる時代はそうはありません。その意味で、沖縄の2紙は全国紙や地方紙の鏡となっていると私には思えます。
沖縄2紙を偏向呼ばわりする諸氏は、サンケイや読売を偏向しているとは決して言わない。なぜならサンケイ・読売と同じ価値観を持ち、それにどっぷりとつかっているからです。仮にそうであっても、異論を受け入れ、議論を深めるのなら全く問題はありません。さまざまな意見はあって当然だし、建設的な議論を通してより認識が深まるからです。
しかし、彼らはそうではない。それとは真逆に、沖縄2紙はサンケイ・読売と同様の新聞になれ、さもなくば潰せと主張しているのです。朝日や毎日も、NHKもそうなれと主張するのです。これは、戦前の報道統制時代でさえなかったことです。論調を自分たちと同じにそろえたい、批判するものは許さないとなれば、これはファシズムそのものではないのでしょうか。彼らはファシズム国家を待望しそれを主張していることになる。
重大なことは、自民党や極右の連中の中に沖縄の2紙は「反日」であり、それは中国の影響下にある人物が編集部を支配しているからだという、お笑いに近いデマをまことしやかに流す連中がいるということです。これには中国の方がたまげていることでしょう。
「ほれ見ろ、翁長知事も中国については何一つ批判しないではないか、翁長は中国の手先なのだ」というのも同じ根っこを持つ。ところが何のことはない、そういう連中が、異論をすべて排除して北朝鮮、中国と同じような言論空間にしたいというのですから、笑うほかないではありませんか。
名護から南城市に向かう途中の与那原付近でこんな宣伝物をみかけましたよ。まさに上のことを地で行くようなフレーズが並んでいますね。辺野古新基地を強力に推進するのが狙いなんですか、やっぱり。はしなくもそう書いちゃったですね、大川隆法さん。


「標的の村」には、取材する報道陣さえも機動隊が暴力的に排除する姿が映し出されています。「中国の手先」論をふりかざす連中は、沖縄の基地建設の現場で何が起こっているのかには興味も関心もないくせに、基地の建設強行を厳しく糾弾・批判する論調には極めて敏感なんですね。にっくき中国をやっつける最前線基地を作ろうというのに何を邪魔するのかという程度の低レベルの認識しか持っていない。
辺野古のゲート前の座り込みの現場には、琉球新報・沖縄タイムスの若い記者が交代で朝から夕方まで詰めていて、米軍基地の動きや県民・応援者の言動をしっかり見守っています。その目で見て、聞いて、感じたことが記事の土台になっている。しかし、「反日」を主張する連中には、これも「反日」行動にしか見えない。歴史に学び、理知的に判断することを拒否する。故に識者はウルトラ右派のこうした一連の言動を「反知性主義」と呼ぶ。
こうした沖縄2紙を「批判」する言説の震源をたどれば、おそらくおもしろいことがいろいろと見えてくるのではないかと私は推測します。たとえばこうした言動をもっぱら職業とするプロ集団が高額の資金で雇われていたり、企業が買収されていたりということだってあり得ない話ではない。
仮にそうだとしても、所詮は「虚偽・ねつ造情報」に頼り、住民からは遠い場所でそれをひねくり回すだけですから、放っておけば表面を覆い尽くす力はもっているものの、結局は「根無し草」に過ぎない。彼らの養分とするものを取り除いてしまえば、もはや生存の余地はないのです。
だが、決して彼らを侮ってはならない。耳障りのいい「しゃべり方」には極めて長けているからです。
普天間高校の生徒がゲート前で「ネットを見ると基地が必要だというような意見や沖縄に対する偏見の方がたくさん見られる」と悔しそうに話していました。まったくその通りなのです。ネットで匿名をよいことに垂れ流されるこうした言動と厳しく対決することも私たちの課題として重視していくべきでしょう。

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家を貸していただいた家主さんがわざわざ玉城から名護まできてくれて、家の中をチェックしてもらい、鍵を返したあと、いろいろ情報交換をしたあと、名護をあとにしました。快く家を提供していただいたUさん、本当にありがとうございました。おかげで快適に過ごすことができました。

さて、名護から南城市に戻る途中、時間もあるので北中城城趾に行こうと思って北中城インターで高速道を降りたのはよかったのですが、ナビにはその場所が入っておらず、ウロウロしたあげく結局あきらめて、一般道を南城市に向かうことになってしまいました。先の宣伝物はその途中で撮ったものです。
玉城の実家には午後2時頃到着したのですが、驚いたことに母はもうデイサービスから帰ってちょうど昼寝し始めたところでした。いつもは午後4時過ぎなので、荷物を降ろして一休みしてからどこかへ出かけようと思っていたのです。
母はとても眠そうだったので起こすのは悪いと思い、荷物を降ろしただけで、そのまま摩文仁に向かいました。
今日向かった先は健児の塔です。これは摩文仁の丘の一角にあり、南部戦跡巡りにも入っているはずですが、到着したときは店も閉まって誰もいない。台風が接近しているので早く店じまいしたのでしょうか。もっとも、ひめゆりの塔と違って健児の塔は全くマイナーな存在ですから・・・。
私自身は3度目くらいになりますか。数年前に友人のガイドで南部戦跡巡りをしたとき以来です。
健児の塔に行く道は途中で3つに分かれていて、そのひとつは「南冥の塔」につながり、もう一つは海まで降り、もう一つは健児の塔につながっています。今日はそれら全部をたどってみました。
南冥の塔は解説の通り、この地で犠牲になった1万2千柱もの名前もわからない兵士や住民の遺骨を収集して埋葬したところです。
周囲は急な崖や石灰石の岩が不規則に壁をつくり、その間にさまざまな木がうっそうと茂っている場所。今でこそ階段が作られて歩きやすくなっていますが、今から70年前は道もない崖っぷち。しかも梅雨の雨で足下はただでさえ滑るのに、艦砲の砲弾や米軍の射撃で命を奪われた人々の死体がいたるところ無数に積み重なっているという地獄絵図だったのでしょう。ここは一人で夕方薄暗くなってから来るべきところですね。
少し戻って2本目の道をどんどん降りていくと、まもなく遠くで波が砕ける海岸に出ます。本土の海岸とは様子が全く違います。ここは珊瑚礁でできた海岸ですから、ごつごつとして尖った岩ばかりで歩けるような場所はまずありません。
ひめゆり部隊の何人かや住民たちは、それでも波に揉まれながら昼は岩にかくれ夜になると東のほうに海岸伝いに逃げていったのでしょう。そんな姿を想像することすら難しい海岸です。
そして最後は健児の塔。沖縄師範男子校の生徒は「鉄血勤皇師範隊」などという仰々しい名前をつけられて戦争にかり出され、生徒・教師あわせて319人が沖縄戦の中で死んでいるのです。












帰って、母と夕食を食べながらテレビを見ていたら、琉球朝日放送が久米島での日本軍による住民殺害についての特集を放送していました。スパイ容疑でたくさんの人が日本軍に殺されているのです。
それを見ていた母が、住民を追い出して壕に陣取った日本軍のことや、この近くでもスパイだとして殺された人がいたことを話し出しました。
「集団自決」に対する軍の関与ばかりではなく、住民虐殺という問題ももっと深く掘り下げてその実相を明らかにしなければならないと思います。戦争では、軍は決して住民の味方にはなり得ないのです。

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ようやく薄暗くなった午後7時半。風は少し強くなってきましたが、雲はなく蒸し暑い。名護ではほとんど蚊はいなかったのに、こっちではさっそくたくさん蚊に食われました。
今夜から明日にかけて台風がかなり接近するというので、またまた要注意。この台風のあとは、台風のたまごも見当たらないので、長野に帰るころは本格的な夏空が広がっていそうですね。



  7月23日(木)
池田にいればバラ園の定例作業日ですが、今日を入れてあと2回失礼します。みなさんよろしく!!
今朝もまたカラスたちに起こされました。5時前から私が寝ている真上の屋根に5、6羽とまって「わー」「かあ〜」「ぎゃー」と鳴きわめくので、また我慢ならず石を投げて追い払いました。
部屋の片付けなどをしていたら、今度は大音量で「みなさん、ラジオ体操の時間です」の放送が。そういえば子どもたちはもう夏休みなんですねえ。公民館に集まってのラジオ体操というのをまだやっているんだ。

朝から汗ばむ気温です。今日は名護でフルに過ごす最後の日。高江に行ってもう少し情報収集をしてこようと考えています。
朝、例の「チョイさんの沖縄日記」を読んでいたら、高江の路側帯のことについて詳しい経過が書かれていました。このチョイさんこと北上田隆さんが私と同じ年で、7年前に沖縄に移住、それ以来沖縄の基地問題に関わって現在は抗議船の船長や法律問題などでいまやたたかいに不可欠の方のようです。
東村高江で監視テントが張られているのは国道70号線沿いの路側帯。ここは米軍の北部訓練場内にあって、もともと米軍基地内ですから、1978年に国は道路および路側帯について県との共同使用を申請し、90年の日米合同委員会で地位協定2条4項aに基づく共同使用を決定して今日に至っています。
ところが、ヘリパッド阻止をかかげる住民の抗議・監視活動が活発になるにつれて、テントの設置が工事の障害になっているとみた政府は、路側帯の共同使用をやめて米軍専用に戻そうとしているのです。
そこで北上田さんは1月6日、日米両政府が県と結んだ共同使用に関する協定書の開示請求を県に行い、県は2月9日に開示を決定しました。ところが開示直前の3月4日になって国は県の開示決定は違法だとして県に開示決定の取り消しを求める訴訟を那覇地裁に起こしたのです。
この間の経緯は、新聞記事を中心に北上田さんが詳しくまとめていますので、是非ご覧ください。この裁判の第1回口頭弁論が那覇地裁で行われたことも記載されています。これは琉球朝日放送も伝えています。
さて、北上田さんも言うように、単なる県道の使用に関する「どうでもいいようなこと」になぜこれほど国が過敏になり県を訴えてでも内容を隠そうとするのか。日米合同委員会での合意内容は、ゴミのようなことまで含めてすべて「秘密」扱いとしておけば、今後情報公開の動きがあってもそれをテコに”すべて”隠し通すことができると踏んでいるのかもしれません。
国が県を訴えるという前代未聞のこの出来事は、当然のことがながら国にとっての「不都合な真実」を隠すための措置であるとともに、抗議活動を封じ込めるための布石でもあるわけで、いかに住民の活動を恐れているかの証左にもなっています。
同時に、政府がアメリカのためにはどんなことでもやるという、ここでも底なしの対米従属構造が現れていると言えます。アメリカのために、住民の「ふつうの生活」を犠牲にすることが当然というのですから、これを売国と言わずに何と言うか。翁長知事の言うように政治の「堕落」そのものです。

さて、午後早くに高江に着きました。はじめは閑散として、シンガーソングライターのKEN子さんのウクレレ伴奏の陽気な歌を聴いて楽しんでいましたが、そのうちバスが2台到着するに及んで、一気に活気にあふれて忙しくなりました。
1台は、沖縄にあるカトリック系の幼稚園の先生たち30人くらいの一行です。3つの園合同らしくシスターが先導、暑くて日よけもままならないテントの中でみんな真剣に説明を聞いていました。
園では普段から沖縄の実情について話しあっているようで極めて関心が高い。初めて高江にきたという方も大勢いたようでした。
もう1台は、小学生の一団。これは京都と茨城の保育所で行っている学童保育のグループで、2年に一度沖縄を訪問しているのだとか。学童保育の担当者は保護者とよく話し合いを重ねているようでした。ただ、小さい子には説明したことのない座り込みの責任者はちょっとたじたじ。そこはKEN子さんがフォローして事なきを得ました。
子どもたちもそれなりに、この高江で何が起こっているのか考えなければならないと感じてくれていたようでした。彼らはこのあと美ら海水族館に行くのだとか。当然お楽しみもたくさんなきゃつまんないですからね。






かえりがけ、さすがに身体にこもった熱を取ろうと、すぐちかくのお店「夢欄(むーらん)」に避難。いつもの「黒糖ぜんざい」を注文してやっと生き返りました。









  7月22日(水)
私が沖縄に持ってきた一台の小型PC。台湾のメーカーASUSのEeePC(Windows7)です。初代のマシンを手放してこれにしたのはもう3年ほども前になってしまいました。重いのと速度が遅いのは仕方がないとして、デスクワークをするにはこれで十分です。
DVDなど周辺機器をいろいろつけて、あとはPocketWiFiで外界と接続。どれひとつを欠いても世界が完結しないわけで、名護にいても常時みなさんとつながっていられるのは、正に(!)このおかげです。
ソフトも一般的なPCにはついているWord,Excelはもちろん、Illustrator,PhotoshopのVer.5、PDFファイルを加工するAcrobatなども備えており、もちろんWeb作成用のソフトも完備しているので、私にとってはいわば作業場のようなもの。
借家にいる間のかなりの時間PCに向かっています。まさか、こんなデジタルライフの日がくるなんて、いまから30年ほど前は思ってもいませんでしたねえ。




暑さが戻ってきたために、昨夜はちょっと寝苦しく、遅くまで本を読んでいたこともあって、今朝はまた朝寝坊。しかも身体が重くて午前中ダラダラしてしまいました。
今日、明日の最高気温は32尾から33度。夜も27,8度ですから、沖縄に来たときと似たような状況になります。名護市にいられるのも今日、明日なので、辺野古・高江にはもう一度行っておきたいと思っているところです。

午後の座り込み行動に間に合うように辺野古にでかけました。青空が広がり暑くなったキャンプシュワブ周辺。基地のフェンスが、米軍の強さではなく、むしろ住民からひたすら自らを守る鎧のように見えてきました。なぜなら外には無防備な住民たちがいるだけなのに、第2ゲート前をALSOKの警備員が立ち通しで守り、中には数台の機動隊車両と機動隊員、情報収集係などが待機し威嚇しているわけですから、よほど住民たちが恐ろしいのではないかと思われます。




私が到着したときにはすでに午後の集会が始まっていて、普天間高校の生徒3人が、夏休みを利用して広島に行くので、その前に初めて辺野古に寄ったのだと話していました。自らの目・耳で事実をつかみ、自分の頭でしっかり考えてきたいと口々に話していたのが印象的でした。
午前中はずいぶんたくさんの人たちがいたようでしたが、午後は島ぐるみ会議の人たちが中心。とくに那覇からのグループがいつも一番多くを占めていたようです。ただ、東京から日帰りでやってきたという二人連れがいました。どの島ぐるみグループも女性パワー全開。歌あり、三線ありのにぎやかな交流が続きました。




その後は、恒例のゲート前でのデモ行進。少しでも立ち止まるとすかさず中の機動隊の車から「道路上で立ち止まる行為は道路交通法違反です。移動しなさい」とアナウンスが。デモ隊は少しもひるむことなく整然と抗議行動を続け、30分ほどでテントにもどりました。






いまはまだ埋め立て工事にはいっている訳ではありませんから、工事車両が頻繁に入ることはありませんが、これからがいよいよ重大段階を迎えます。
機動隊や工事関係者を圧倒できる人数を早朝からどれだけ集結できるかだとテントでの活動を仕切っている大城さんは繰り返し語っていました。

今日の新聞報道によれば、共同通信の世論調査で辺野古中止を求める声が63%を占めたことを大きく報道していました。しかし、その一方で、沖縄に米軍基地が必要とした人が74%にものぼったことが明らかに。自分たちには関係のない遠くの島にある基地であり、基地の実態がよく知られていないことを浮き彫りにするような調査結果です。
なぜ、沖縄に米軍基地が必要なのか、大阪で運動がはじまったように、自分たちの住む地域に米軍基地を引き取ることは考えないのか、かつてのように海兵隊を富士の裾野に移動させたらどうなのか・・・要するに現状維持ということなのです。いままでやってこられたのなら、これからもやっていける。ただそれだけ。それによって、どんな被害や苦しみが基地周辺の人々に襲いかかっているのかは関心の外の問題なのです。
沖縄は怒りの沸点にとうに達している。怒りは、今は日米の政府に向いているけれど、本土から構造的に差別されているという意識は間違いなく広がっているのです。
私は沖縄県民の意識が、普天間、辺野古だけではなく、全基地撤去に向かう日が遠からず来るのではないかと思います。それほど基地は沖縄にとって阻害要因になっている。本土からはそれが見えないのです。いま県民がどんな思いで、遠くからバスに乗りあわせて辺野古に来ているのか。県外からも是非現地に来て、見て、聞いて確かめてみるべきではないでしょうか。



  7月21日(火)
ゆうべは10頃寝て、今朝目が覚めたら9時でした。雨はだいぶ小降りになっていて音も聞こえなかったのと、気温が下がっていたために、よく眠れたのでしょう。
気象情報では、昨日から今朝までに24時間で過去最高の250ミリ以上の雨が降ったところがあると言っていました。北部のダムはこれで満タン状態になったでしょうから、その意味では夏の渇水の心配はほぼなくなったのでは?
今日はまだときどき小雨。午前中は、これまでのまとめをしたり、「子ども科学相談」を聞いたりしながら過ごしています。「月の公転周期と月齢の関係」なんて、中学生の理科の記述問題にぴったりだなあと思いながら・・・。ネコの目のしくみについての質問もおもしろかったなあ。ハルちゃん。
今日の予定はまだ決めていません。まだ一日雨でしょうから、名護市内に行って本屋に寄ったり、お土産を見たりしようかと思っています。

何度も辺野古や高江に通い連帯したつもりで、果たして何ができたのか、これから一体何ができるのか、そんな気持ちにさせられる映画、それが「標的の村」です。
映画ではなく、琉球朝日放送がドキュメンタリーとして放送したテレビ版(47分)を見ただけの感想ですが、コンパクトにまとめられている分印象は余計に強いかもしれません。
伊江島の土地取り上げは米軍自身が強権を発動して、家を焼き払い農作物をブルトーザーでなぎ倒して米軍の土地にしてしまいました。むき出しの土地強奪です。しかし、沖縄では日本政府が米軍の意を汲みその肩代わりをして国民に襲いかかってくる。この構図は、沖縄県民同士を敵対させ分断統治するという意味で米軍直接統治化よりももっと巧妙で汚いやり方の見本だし、日本政府がアメリカの肩代わりをして住民の生活を奪うという点では、自公政権の無能さ・卑屈さと底なしの非人間性を描き出す。現実に高江で住民を排除する防衛局、県警機動隊の姿を見れば、どちらが「人間」を代表しているかわかるというものです。
おそらく、警察職員の中には、ほとんど夜も眠れないような人が出ているのではないかと推測しますね。もし、仕事だからと割り切って平気で住民に襲いかかれる職員がいたとすれば、それはもう人間としての心を失ったゾンビのような存在でしょう。
問題は、これが過去のことではないということ。現実に沖縄の片隅で現実に起こっている現在進行形の事態であるということ。そして日本全国どこででも起こりうる(場合によっては原発のように形を変えて)、いや現に起こっていることであるということ。
かつて伊江島では阿波根さんはカメラとメモ帳で克明に記録をとり後世に伊江島で何が起こり、人々がどうたたかったかを教えました。今は映像、ネットなど瞬時に伝わる媒体があります。縦横に駆使して、起こっていることを多くの人に知らせ、広めなければなりません。また、それらを通して、まやかしの言説を見抜き、ことの本質をえぐり出さなければなりません。

先日、伊江島でタクシーに乗って、私が辺野古や高江に行っていることを告げたとき、そのドライバーがわざわざ「ボランティアで?」と何度も聞きました。「お金をもらって集まっているというデマを流している人がいるみたいだけど、みんなボランティアですよ」というと、納得したような顔をしていました。
今日も高江でも、衆議院選挙で4区で当選した仲里利信さんが、選挙は金を渡して動いてもらうものだと思っておりカンパを集めるということにびっくりしていたという笑い話のような話が話題にでました。
辺野古に集まっているのは「プロ市民」だとか「県外者」だというデマも同じ。行って顔を見ればすぐに分かるとおり、圧倒的に沖縄県民ですよ。しかもフツーの人たち。それらの人たちが県外からの応援を喜んで迎えてくれているのです。
日本を戦争できる国にしたい連中に、まさか「戦争したいなんて考えていないでしょ」というレベルの話は通用しない。彼らが口先でたとえ「平和を守る」と何回言おうが、現実に「やっていること」は軍事基地を治外法権のまま新設・強化することであり、アメリカに思いやり予算をふんだんにくれてやることであり、自衛隊がいつでも海外の戦争地域に行って戦闘できるようにすることなのです。
そのためには、「一部の住民の犠牲はやむをえない」(「標的の村」)という論法。妨害すれば「道路交通法」「威力業務妨害」「刑事特別法」で文句なく犯罪者にしたてあげる。それが現実に進行している事態なのです。
辺野古や高江にいると、全国からどんどん人々がやってきます。見て、聞いて、学んで帰り、それを聞いた人がまたやってくる。海外からもたくさんの人がやってきます。
これをお読みのみなさんも、是非お友達をさそって沖縄ツアーを計画して、辺野古・高江に足を運んでくださいね。

午後からドライブがてら、恩納村の万座毛(まんざもう)に行ってみました。「毛」は原っぱという意味です。多分私たち(私と妻)がまだ20代だった頃、沖縄を一周したときに行ったきり(ひょっとしてもう一度行ったかも)の場所で、ただ断崖絶壁の草むらという印象でした。
今回訪れてみると、草原はきれいに整備され、通路が作られてそれ以外は立ち入り禁止に。観光地のひとつですから、例によって土産物屋が両側に並び、けばけばした服などを一杯に並べていました。
とくにここに来たいというわけではなく、観光地のひとつがどうなっているのかを見てみようというだけだったので通路を一周しただけ。回ってみて驚いたのは、観光客のほとんどが中国人だったこと。たまたまそんな時間帯にぶつかっただけかも知れませんけど、よくこんなところにまで来てくれるものですね。








  7月20日(月)
ただいま午後6時。沖縄中北部は大雨・洪水警報発令中。名護市も午後から猛烈な雨に見舞われています。外出先から逃げ帰って、あとはどこにも出られません。台風のときより凄い。
道路は冠水し、ワイパーをフルにしてもライトをつけても前がよく見えない。帰ってから、蒸し暑いので窓を開けたいのに、それも出来ません。東京をはじめ太平洋側は大変な猛暑だという。天の神様相当にお怒りですね、これは。

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わが池田町で町民へのアピール賛同署名(チラシに名前を載せてもよいという人)が200名を超えたとSさん。スーパーの前で宣伝活動もやったとのこと。お疲れ様でした。8月に入れば私も遅ればせながら活動の輪に加わることができるでしょう。それまでは沖縄で、現地のたたかいの報告を一生懸命やることにしますね。

今日は、頼んでおいたDVD(「標的の村」TV版)を受け取りがてらまず高江に行きました。
私が着いた9時頃はかなり雨が降っていましたが、暫くすると雨もあがり、そろそろ帰ろうかと思っていたらそこへ一台のバスが。私は何も聞かされていなかったので誰だろうと思っていると、降りてきたのは韓国からの若い人たち20人ほど。
どこかの大学の研修か何かだろうかと側にいた人に聞くと、どうも若い世代の人たちを募集して「従軍慰安婦問題」を研究するために日本にやってきた来たグループだという。それにしてはリーダーらしき人は通訳をしている30代と思われる女性だけ。
「従軍慰安婦」の問題なら別の場所の方がよかったかもしれないのに、なぜ辺野古や高江にまで足を伸ばしてくれたのでしょうね。(私には次の予定があったので、それ以上のことを聞く時間がありませんでした)。ともあれ、こうした20代の若い人たちが真剣に歴史に向き合う姿はどの国であっても未来を感じさせます。
私たちとしても、安倍政権やその取り巻きのように、「あれは業者のやったこと」などという無責任なペテン師的虚偽答弁ではなく、彼ら彼女らに正面から向き合い、歴史の修正を許さないための「学び」を深めなければならないと強く思わされたことでした。




続いて向かった先は辺野古安倍(あぶ)にある「カヌチャベイリゾート」内のホテル宴会場。ここで「戦後70年 ストップ辺野古新基地建設!うたごえのつどい」が開かれることになっていたからです。
大浦湾を臨む地にあるこのリゾート施設は、「辺野古の新基地ができるとV字滑走路から飛び立つ戦闘機などがちょうど真上を通過する場所にあたるというので、基地が完成したらここはリゾート地ではなくなってしまうかもしれない」と稲嶺市長が語っていました。ゴルフ場や宿泊施設、ビーチなどを持つこの施設にとっても新基地建設は死活問題ということになるのでしょうね。
めちゃくちゃ広い敷地をもつ施設なので、一人で向かった私には何が何だかさっぱりわからない。いきさつは腹立たしいだけなので省略しますが、会場に到着するまでに相当難儀しました。ついでに帰りは別の理由でもっと難儀しました。

そこに行こうと思った理由は、我が敬愛する音楽家である池辺晋一郎さんが来るとの案内チラシを見たからです。
うたごえの会場はそれほど広くないほとんど平場のホールですし、その前方の低い舞台付近で100人くらいの大編成の合唱団が池辺さんの指揮で歌うのですから「もったいない」。2000人くらい収容の大ホールでも十分通用する合唱団と内容ですよ、これは。
合唱団として参加していたのは、沖縄県下のグループはもちろん、大阪、神戸、愛媛をはじめ全国のうたごえの有志。
歌声以外には、辺野古阻止のためにたたかっている団体からの発言や、池辺晋一郎さん・稲嶺進名護市長・糸数慶子参院議員の鼎談と盛りだくさんのプログラムでした。
会場一杯の参加者は、合唱やうたごえに関わっている人たちが多いとみえて、みんなで歌いましょうとやると、すぐにきれいな合唱になるので、さすがと思いました。
プログラムの中では、沖縄のコーラスを指導している(?)バリトン歌手山田健さんの「えんどうの花」が大変印象的でしたし、池辺さんの指揮する大編成コーラスによる「アメイジング・グレイス」が涙が出るほど感動的。
沖縄の合唱団にとっても、池辺さんに指揮してもらって歌えるというのは特別なことなんだと後から司会者が話していましたっけ。
特別発言では、大学3年で「しまぐるみ会議名護」の共同代表を務めるという玉城愛さんの発言が心を打ちました。沖縄でも若い世代がどんどん育っています。
スペシャル鼎談は、池辺さんのお話をもう少し聞きたかったのに、全体の時間が短く残念でした。発言や鼎談は録音しておいたので、別の機会に紹介できるかもしれません。
最後はいつものように「カチャーシー」で締め。本土でうたごえ運動をやっているみなさんには大変”羨ましい”イベントだったんじゃないかなあ。名護にいる私へのご褒美ですね。








さて、終わって帰ろうとしたら外は横殴りの豪雨。隙をみて、這々の体で逃げ帰ったという次第です。ふう〜〜。
熱帯低気圧にともなう分厚い雨雲が沖縄周辺にずっと居座って、ほんの少しずつ東に移動している模様。明日には回復するのではないかと期待しているのですが・・・。



  7月19日(日)
今朝は7時過ぎから本格的な雨。天気予報によれば、熱帯低気圧が沖縄本島付近にあって、今日は雨が降ったり止んだりということ。ここしばらくまた蒸し暑い夜が続いているので、少し気温がさがってくれればいいのですが。

沖縄での生活の3分の2が過ぎました。家探しはかなり困難な状況ですが、これまで知らなかった沖縄の過去・現在を知り考える機会を得ました。辺野古・高江の現地でのたたかいに実際に何度も参加して状況をネットで発信することができたことや、沖縄の新聞2紙を毎日読んで基地以外の様子も知ることができたことなど、成果はかなりあったように思います。
これからの予定は、24日夕方に南城市に戻り、あとは妻の実家でしばらく母と過ごすこと。名古屋時代の友人たちとも会ったりしてのんびりしようと思っています。玉城城跡や北中城城跡にも行ってきたいし。

先日(13日)辺野古に行ったとき、沖縄キリスト教学院大学の学生たちが大勢「授業の一環として」テントを訪問していたことを書きました。昨日訪れた反戦平和資料館でもらってきた機関誌「花は土に咲く」(第71号)を読んでいたら、この大学には「Team琉球」という学生のサークルがあり、さらに大学には平和研究所があって、このサークルもその研究所に所属して活動してるのだということを知りました。辺野古を訪問して、参加者から聞き取りをしていたのは偶然ではなかたのですね。
4年生(昨年)の知念君は、1年間(留年して?)全国をまわり、「沖縄の犠牲の上にあなたの生活がある。平和とは何ですか」と人々に問いかけ続けているのだという。そして次のように書いています。

今は基地のない平和を想像できない人がほとんどです。戦争のない世界なんてありえないとあきらめる人がほとんどです。私は諦めません。いつか基地のない平和、戦争のない世界が当たり前になるように、願い、行動していきます。・・・
私は未来を憂う一人の若者として、そしていつか親になる一人の人間として、戦争や基地が蔓延る社会を良しとせず、変えていく為に行動します。・・・
あの悲惨な戦争から、戦後の基地による被害から、沖縄が育んできた平和の思想は世界に誇るべきものです。今こそ沖縄から日本だけでなく、世界へ向け警鐘ををならしましょう。


次は沖縄タイムス(2014年5月15日)で紹介された彼の活動です。(「花は土に咲く」第17号より」)

辺野古で私にインタビューしてくれた学生がもし私のブログを読んで(名刺を渡した)くれているなら、私もまた君たちの活動に注目していることをこの場を借りて伝えましょう。インタビューをしてくれた彼は、県外の人たちが基地問題に関心を持ち、たくさん辺野古に来ていることを知って心を動かされたようでしたから。若い世代が、しっかりと育っていることを実感させてくれる記事だと思いました。

安倍内閣の支持率が35%に急落し、不支持が50%を超えたたと毎日新聞。まだ35%もあるんかいなと思ってしまいますが、これから1ヶ月のたたかいで、これを10%台まで落とさないといけません。

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今日はいまから南城市にもどり、夕方まで義母といっしょに過ごします。

玉城の実家に行く途中、考えてみれば玉城城跡はすぐ近く。ついでに行ってみることにしました。
あとからわかったことですが、本当に近い。いままで行かなかったことが不思議でした。
説明板にあるとおり、現在残っているのは上の部分だけ。そう大きな城ではないので一番上まで作り付けられている階段を上ればすぐに到着します。
アマミキヨがつくったという伝説が残るお城。写真で見たとおり、岩をくりぬいた門があって、それをくぐれば「一の郭」。ところが詳しく見ようとした矢先、一天にわかにかき曇り豪雨の気配。あわてて車に駆けもどりました。車に入るやいなや、例の集中豪雨。間一髪でした。というわけで、今日はこの城の雰囲気だけ。


















母は大変元気でした。よかったよかった。24日に移動して、あとは玉城にしばらくいるからね、と伝えて晴れ間を見て名護に戻りました。
道中ずっと雨。とくに石川から名護にかけてがひどく高速も50キロ規制になっていました。
雨が降って気温が2,3度下がったのが何と言ってもうれしい。今晩はしっかり眠れそうです。



  7月18日(土)
ネット環境復活しました。結局3日で2GBオーバーしなければいいので、注意しながらホームページをアップすることにします。
今朝は6時前に大量のカラスに起こされてしまいました。寝ているすぐわきの窓枠にまでとまって「カーカー」と大音量でやるものだからとても寝ていられない。起き出して石を投げてやりました。クソ!
夜中にたくさん雨がふったためか、あのアフリカマイマイがたくさん這い回っています。

今日、辺野古では「座り込み一周年」を記念した「7.18辺野古アクション」が行われるというので、駐車場の心配はあったものの、とにかく出かけることにしました。
案の定いつも車を止めるところは一杯。聞くと、二見入り口に駐車スペースがあって、そこから送迎車を出しているということでしたが、行きはいいとして帰りが心配。行ったり来たりしながら、結局辺野古新ゲートから1キロほど手前の今は使われていないゲート前のわずかなスペースに車をとめて歩くことにしました。
すでにデモは終わっていて、歌や三線の最中。締めはカチャーシーでした。
その後は、午前中のメインイベントの基地包囲行動です。メッセージを書き込んだ傘やプラカードを持って基地フェンスを取り囲むのです。
正確に数えたわけではありませんが、600人から700人はいたでしょうか。沖縄タイムスの報道ではフェンスを取り囲んだのは570人。テントにもまだ残っていましたから600人というところかな。
外から見えるフェンス前はカラフルな人の波で取り囲まれましたから、中の米軍関係者はさぞ肝を冷やしたのではないでしょうか。県警もかなり人を増やして、周りはパトカーや機動隊の車がうろうろ。報道陣もたくさん来ていました。
結局私は、この行動に参加するというより写真を撮るのに忙しく、この模様を皆さんに伝えるために取材に来たという参加の仕方になってしまいました。












午前中のアクションで私はひとまず家に戻ったのですが、朝カラスに起こされて睡眠不足なのと、往復2キロほど歩いたためか、身体に熱がこもって頭が痛くなりしばらく横になっていました。辺野古アクションも体力勝負ですね。

一体辺野古新基地とは何なのか。何度も原点にもどって考えなければなりませんね。言わずもがなですが、普天間基地を撤去する代わりに、その代替基地として辺野古移設が唯一の解決策であるとした1996年の日米特別行動委員会(SACO)での合意に基づく計画の一部です。ただし、このときは「普天間返還と本島東海岸への海上基地建設」が合意内容でした。合意事項全体はこちら
その後、二転三転して、現在の辺野古沖埋め立て案となり、仲井間知事が公約に反して公有水面埋め立てを許可、県民世論はこれを許さず翁長知事の誕生となり、現在埋め立て取り消しに向かって動いているというのが辺野古の現状です。




この辺野古新基地建設問題はいくつもの論点があるでしょうが、今日の沖縄タイムス紙も指摘していたとおり、県の第三者委員会が議論の対象としてあげていた「辺野古移設の合理性」はそのひとつです。
つまり、「普天間基地の危険性の除去」と「辺野古の埋め立て」は結びつかないという根本的問題です。
辺野古で危険性がなくなるのかといえば、住宅密集地でない分、当然それは減るのでしょうが、辺野古周辺にもたくさんの集落があるわけですから、住宅が多い少ないで危険性が除去されたということにはならない。
当然のことながら、代替基地が沖縄県内でなければならないという理由もありません。辺野古が「唯一」である根拠を未だに示しえていないのですから。
このところ日米政府が「唯一」の「根拠」らしいものにしているのは「抑止力としての沖縄における海兵隊のプレゼンス」です。しかし、これこそお膝元の米政府高官自身から沖縄でなければならないという理由はないとの見解が何度も出されているいわく付きの「形式的模範解答」であって、アメリカにしてみれば「マッチョな海兵隊は最高の抑止力」というのは基地をつくってくれる日本政府へのリップサービス以外の何物でもありません。
これまでも書いてきたとおり、安倍政権にとって新基地は日本本土ではなく「沖縄県内でなければならない」のです。ここに、あまりにも深い対米従属(隷属といったほうがいい)構造、および沖縄差別の安倍政治が見て取れます。

もう一つ、よく知られていないのは米軍海兵隊とは何者なのかということ。これは別名「殴り込み部隊」といわれるように、何か紛争があればまず最初に上陸・空挺などの作戦を行う緊急展開部隊であって、アメリカ本国防衛は任務に含まれていません。
尖閣諸島で何かあれば沖縄の海兵隊が自衛隊といっしょに何かしてくれるのではないかという「淡い」期待を持つ人もいないではないでしょうが、そんなことはあり得ない。
第1に、沖縄の海兵隊の規模はあまりに小さい。第2に、装備、機能が分散しているために全く機動的ではない。「オスプレイとヘリの可動翼部隊は普天間、戦闘機や給油機などは岩国、揚陸艦などの船舶は佐世保にいる。陸海空チームが日本各地に分散」しています(AERA 沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実)。要するに「そばにいてくれるだけで安心」ってことにしかならないのです。
第3に、米海兵隊自身にとっても沖縄は手放したくない別天地だということ。日本政府から「いてほしい」と懇願され、多額のお金まで出してくれる。米本国では海兵隊不要論も根強く、いつ首を切られるかわからない。そんな中で、これほど都合のよい基地はないのです。こういう日本政府のあり方を何と言うのか言葉すらみつかりません。



  7月17日(金) 伊江島へ
かねてから行きたいと思っていた伊江島に今日行って参りました。フェリーの時間を見ずに行き当たりばったりに出かけたので、本部港で1時間以上待つことになりましたが、釣りをしている人たちを眺めたり、ガイドブックを読んだりしているうちに時間はすぐに過ぎてくれました。
本部港からは2隻の大型フェリーが一週間交替で運行、わずか30分で伊江島に着いてしまいます。
船に乗り込むやいなや、またあの突然の集中豪雨「カタブイ」です。伊江島に着く頃にはもうすっかり雨も上がっていました。
車で来ようかどうしようか迷ったのですが、結局訳のわからないままあちこち行くのもどうかと思い、現地でタクシーを頼むことにしました。運良く船着き場で待っていたタクシーが一台あって乗り込んだはいいのだけれど、さて、どこに行こう?今日の目的は阿波根昌鴻さんの「ヌチドゥタカラの家」反戦平和資料館に行くことだったのですが、それだけではつまらないと思い、ドライバーにどこに行ったらいいか率直に訪ねました。
女性のドライバーさん、本当に親切で、いくつかの候補を挙げてくれて、その通りに順次案内してもらうことにしました。結局これが正解だった。

立ち寄ったところは資料館の他、そこに行くまでに、@芳魂の塔、A公益質屋跡、Bアハシャガマ、資料館から港にもどる帰りに、Cニィヤティヤガマ、D伊江島土地を守る会団結道場の計6カ所です。


<@ 芳魂の塔>
ここには、沖縄戦の中で伊江島で無くなった人たち(ガマでの「集団自決」者含む)をまつってある場所で、摩文仁の丘にある平和の礎と同様に、名前を刻んだ石版がいくつも立っていました。
伊江島では、沖縄戦のなかで住民の3分の1の1500人が命を落としています。


<A 公益質屋跡>
説明書の通り、沖縄戦当時、米軍の猛攻を受けてほとんどの建物が原型をとどめない状態まで徹底して破壊し尽くされたなか、唯一原型をとどめて残った建物です。無数の砲弾の跡が残っており、平和教育の大事な史跡として保存されているそうです。




<B アハシャガマ>
沖縄戦当時、伊江島でも激しい戦闘が行われました。東洋一といわれる旧日本軍の飛行場があったからです。
その島を守るため、住民の多くが防衛隊員としてかり出され、軍民一体共生共死の思想と米軍の「恐ろしさ」を植え付けられたために、本島と同じように防衛隊員がガマにいた場合は、彼らが持ち込んだ手榴弾で自爆する集団死が起こってしまったのです。




<C ニィヤティヤガマ(千人ガマ)>
海岸にある大きな洞穴。海底が隆起してできた自然洞で、すべて石灰岩でできています。空中に浮かんでいるように見える大きな壁面もあり、1000人も避難していたといわれれば、そうかもしれないと思われるほど大きな洞窟。海からは見えにくいところにあるので、避難に使われ集団死は起こっていません。






<D 伊江島土地を守る会 団結道場>
すぐ目の前は米軍演習場。沖縄戦のあと、住民は慶良間諸島へ強制移住させられ、さらにその後、久志、今帰仁、本部に強制移住させられ、結局島に帰るのを許可されるのはやっと2年後のこと。
住民たちは荒れた土地に小屋をたて土地を耕して生活を立て直そうとするのですが、1955年には米軍が真謝部落の住民に立ち退きを命じ、従わないとみると家を焼き払いブルドーザーで整地、基地を作り始めたのでした。
そこから伊江島の人々の不屈のたたかいがはじまります。住民たちは辛苦に耐えながら阿波根さんらを先頭に土地取り上げに反対するたたかいを続けたのでした。


<E 「ヌチドゥタカラの家」反戦平和資料館>
阿波根さんは1955年当時からカメラを持って歴史的瞬間をいくつもおさえる鋭い現場感覚を持ち、さらに様々な資料をたくさん集める優れた資料収集家でもありました。そして徹底した非暴力の活動家でもあり、学ぶことを何よりも重視しました。
資料館を入るとまず米軍が落とした核模擬爆弾や薬莢、落下傘などが所狭しと展示されていて圧倒されます。狭い展示室には、書籍、全国からの連帯寄せ書き、彼のとった写真、戦後間もない頃の生活必需品、プラカードなどがぎっしりと並べられ、当時のたたかいの息づかいが直に伝わってくるように思えました。そこに書かれたひと言ひと言が重く感銘深く心に響きます。













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11時出発の便で本部港を出て、帰りは午後1時半の便。今日だけ1時と1時半の2便ある(2隻とも運航)というので、遅い方にしたのです。
短時間だったけれど、中身の濃い伊江島めぐりになりました。帰りの船の中はガラガラ。
遠く「カタブイ」の証拠(黒い雲の下だけ雨が降っている)を見つけましたよ。









  7月17日(金)
沖縄にいると、いろんな生物とつきあっていかなければならないことに次第に気がつきます。
古い家なら、必ずいる「ヤモリ」。すばしこいヤツで、この間障子をあけたら子どものヤモリが2,3匹チョロチョロでてきた。捕まえようとしても、とにかく逃げ足が速い。こいつがまた夜になると「キュッキュッ」とよく鳴く。
私はヘビはだめだけれど、トカゲやヤモリは友達のようなものなので、何ともないから苦にならない。今日はどこで鳴くのかなと思って寝ています。
今朝は早起きして庭でタバコを吸っていたら、オッ、久しぶりに珍しいものを見つけた。しかも大量。「アフリカマイマイ」だっけ?でかいカタツムリです。身体を伸ばせばタバコのケースほどもある。暑くなるとどこか草の陰にでも隠れているのでしょう。
うまく料理すれば食べられるんだっけ?もしそうならこれは食べ応えがありそう。オエ〜〜・・・。


WiFiの会社に電話して問い合わせたところ、「端末の使用容量が3日間で2Gを越えると自動的に速度制限がかかってしまう」とのことでした。どうやら昨日夜遅くまで国会周辺の集会の模様をネットで見ていたのがいけなかったらしい。
明後日には解除されるらしいので、あとは国会中継などの動画を見ないでせいぜいホームページのアップ程度にしておけば、今月中は何とかやり過ごせる(月の上限が7GB)とのことでした。とりあえずはよかった。

沖縄にいて、安保法制法案の問題点を考えると、この法案が辺野古での新基地建設とリンクしているがゆえに、よく見えてくることがあります。
なぜリンクしているのか。それは沖縄に海兵隊を置くことが、北朝鮮、および中国の南シナ海での拡張政策をにらんでの「抑止力」になるという説明にはっきりと現れています。安保法案の「抑止力」論を裏付ける機能を持った(と、彼らが信じ込んでいる)基地であるからです。「本土防衛のために頼むから沖縄にいてくれ」というわけです。
そのために、「普天間基地を固定化しないための唯一の解決策」が辺野古移設であるという論法で、普天間基地よりもはるかに高機能(V字滑走路、弾薬庫、強襲揚陸艦の発着など)である新基地を「建設してあげる」(思いやり予算)という”心の広さ”。
沖縄県民に理解してもらえるように「丁寧に説明する」というのも安保法案と同じです。彼らがそれを強行しようとすればするほど、反対は多くなり今や8割の県民が辺野古新基地建設に反対している。それでも、それは政府の考えを県民が理解していないからだというのですから、これまた安保法案と同じ構図ですね。
菅官房長官は口を開けば「法治国家」だという。「仲井真前知事が埋め立て承認をし、政策の継続性・一貫性からいって工事着工に正当性がある」というのです。
翁長県知事は今日「アセスには4つの瑕疵がある」とする報告書を受け取って8月にも埋め立て承認を取り消す見通しだとの報道がありました。正式な手続きを踏んで、埋め立て承認を取り消すとなれば、それに従うのが法治国家です。ところが、彼らにはそれは通用しない。沖縄をアメリカに差し出す放置国家です。すべてが逆さまだからチホウ国家とよんでもいい。
普天間基地とその代替としての辺野古新基地だけが重大問題になっていますが、沖縄では日本の米軍専用基地の74%が集中しているのです。狭い沖縄にこれだけの米軍基地が存在するということがどんなことなのか、これは現地で見聞きしなければ絶対にわからないことです。
県知事を先頭にして、圧倒的な県民世論の後押しで続けられている辺野古新基地建設反対運動に対して、海上では海上保安庁の職員が腕ずくで抗議船を排除し、陸上では県警機動隊が米軍基地と一般道の間に黄色い線を引き、自分たちは米軍基地の中にいて抗議行動を実力で排除する。
沖縄県北部には広大な海兵隊野戦訓練場がありますが、そのへりに位置する東村高江では、集落をとりかこむようにオスプレイパッドの建設が再開されようとしています。訓練場への入り口を封鎖して座り込みテントがあるため、路側帯を米軍専用にしてまで座り込みテントを排除しようと画策している始末。
そのオスプレイは、夜間飛行禁止や飛行ルートの日米とりきめなどなかったかのように違反飛行をくりかえし、いつ事故が起こってもおかしくない危険な状態になっているのです。
こうした出来事を日常的に見せつけられている沖縄県民は、安保法案も新基地も沖縄県民のためのものどころか、県民を犠牲にして戦争準備をすすめるものであることを肌身で感じ取っています。
「抑止力」の正体は、「アメリカの戦争にいつでもどこまでも一緒についていく」ということであって、真の平和への道筋とは正反対のものだということ。沖縄県民が身体を張って伝えようとしているメッセージは、憲法第9条こそが最大の戦争抑止力だといういうことです。



  7月16日(木)
Ymobileの通信量(累積)がかなりオーバーしているため、通信速度が遅く制限されて、ネットにほとんどつながらなくなっているらしい。ひょとして、今後同じように記録をアップできなくなる心配があります。

「相当(国民の)理解が深まった」・・・安倍首相、10日の衆院平和安全法制特別委員会で。
「私も丁寧に説明して(国民の)理解が進んできたと思う。各議員の協力をいただきながら、さらに理解を得られるようにしたい」・・・安倍首相、13日の党役員会で。
「国民の理解が進んでいないのも事実だ。理解が進むように努力を重ねていきたい」・・・安倍首相、15日の衆院平和安全法制特別委員会で。ええっ?
「国民の理解が進んでいるかどうかは世論調査の通りであって、まだ進んでいるとは言えない。あの数字を見て、国民の理解が進んだと言い切る自信はない」・・・石破地方創生大臣、14日の閣議後の記者会見で。


いったいこの人たち何を言っているのか分かっているのでしょうかね。
各種の世論調査結果と内閣不支持が支持を上回った結果を見せつけられて、とうとう「理解がすすんでいない」と認めざるを得なくなった矢先に強行採決ですから、もう支離滅裂です。
自分を支えてくれている(と勝手に思っている)アメリカと軍需産業の(実はどっちも利用されているんだけど)不信を買いたくない、その一心としか見えない安倍首相、何だか最近顔つきが変になってきていません?胃腸の調子も悪くなってきているんじゃないのかしら。

軍需産業は、だいたい国民の暮らしなんてどうなってもいい。儲けさえあがれば後は野となれ山となれですから。事実、佐々木憲昭さんの次の報告を見てみましょう。

日本の軍需産業と戦争法案について

辺野古新基地建設も、こうした見地から見てみる必要がありそうですね。基地をつくって儲けるのは誰なのか??

昨日深夜も続いている若者たちの抗議行動を見ていて、現代の若者だなとほほえましくなりました。ただ、オヤッと思ったのは「No pasaran」(奴らを通すな)というあまりにも懐かしいスローガンを口にしていたこと。
言わずもがなですが、これはスペイン共産党の指導者であったドロレス・イバルリがマドリード包囲戦で叫んだ歴史的スローガンでしたから。このスローガンが時代を超えていま青年たちの口からほとばしることに、実に感慨深いものを感じます。私が年取ったんですかねえ。

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早朝は、久しぶりに「涼しい」という感覚を味わいました。窓を開けて寝ていると寒いくらい。このまま涼しさが続いてほしいと思ったのもつかの間、お日様が昇るとまた暑さが戻ってきました。列島太平洋側の35度〜38度という炎天地獄とは違って、28度〜32度台が一日中続く炎天持続ですから、こっちは慣れてしまえば何とかなるもんです。エアコンなしでも沖縄では耐えられるということをただいま実証実験中。「すぐ逃げ帰るだろう」と笑っていたのは誰だあぁ〜〜。

昨日の委員会での強行採決を受けて、沖縄地元のメディアは当然厳しい論調で暴挙を糾弾しています。次は琉球新報社説の冒頭。

平和国家たる戦後日本の礎が、あっけなく覆された。われわれは新たな「戦前」のただ中にいる。

ところで冒頭の「理解が深まった」という言い方は、それ自身として全く完結していない、従って何ごとも伝えていない言い方です。何に対して、どのように、そしてその結果はどうかについて一切触れていないからです。琉球新報社説の言葉を借りれば「言葉の使い方がおかしい」。
中山石垣市長のように「尖閣諸島を含め日本の周辺海域で紛争が起こった場合、日本だけでは守れない。日米安保強化の上でも(法制化は)必要だ」ということについて「安保法制への国民の理解は深まっている」という認識。
石垣市長にしてこんな程度なんです。尖閣のために何故集団的自衛権が必要なのか、日本が攻撃されてもいないのに、なぜ自衛隊が地球の裏側まで行って他国のために戦争をするのか、納得のいく説明はまるでありません。にもかかわらず「理解が深まった」と言う。
石垣市長が個人的にどのような見解をお持ちであっても、ただ自分の思いが強まっただけのことを「国民の理解が深まった」などと言ってほしくないものです。
国民の一人である私も理解を深めましたよ、中山さん。この法案が違憲の法案で、日本をアメリカと軍事一体化し、戦争国家へと導くものであるという理解が。
「理解が深まった」とすれば、圧倒的な国民の理解は私とよく似たものじゃないでしょうかね。政府自民党は、こんな「理解の深まり方」があることをちゃんとご存じのはずです。だからこそ「今のうち」強行採決なんです。支持率の低下が怖くてならない。
当然のことながら、いつまで経っても、自民党・公明党が描く軍事強国日本という構図に国民が理解を示すはずがないではありませんか。だから「いま分からなくても、何十年後かには理解できる」などと国民を愚弄したアホなことを言う。ますます自縄自縛に陥って、あげくいっそう強権的になる。
さて、ここで彼らの一党独裁を完結するには、百田さんの言うように都合の悪い相手を潰さなければなりません。どんな策でくるのか十分用心しておかないといけません。権力は腐っても権力なのですから。

午後2時10分、衆議院で戦争法案可決。自民、公明、次世代の党が賛成。民主、共産、維新は採決時退席。歴史を汚した日として、しっかり覚えておきましょう。



  7月15日(水)
今日も空はウチナ−!ただ、我が輩は、朝から腰が痛くて、ストレッチをしながら一生懸命伸ばしています。歩こうと思っても暑いし、車の中が快適なのでどうしても運動不足に。やむなく部屋の拭き掃除をしたり、柔軟体操をしたりしながら、様子を見ているところ。
長野にいた頃よりはずいぶんよくなったと思っていたのに、また悪化したかとちょっと心配ですが、せいぜい腰痛体操をしっかりして早く復帰出来るようにします。
ただ、最近は大変よく眠れていて、ついつい朝寝坊してしまいます。このクソ暑いのに気がつきもせず、最近8時起きになってしまいました。反省しています。

「学者の会」のアピール賛同署名がついに1万人を突破しましたね。それに比して一般市民の署名が少ないのが気にかかりますが・・・。
それはともかく、サイトの脇に随時更新されるツイッターの書き込みが大変おもしろい。最近は、内田樹さんがしきりに自らの行動を発信。上野千鶴子さんと初めてツーショットを撮ったとか、会の事務局からの指示で自民党に要請行動に行ったのだが「『自民党には武闘派を』という佐藤学先生の人選だったのでしょうか」とか、学生と共同行動をする際のフライヤーの写真を撮ったなどと書いていて愉快です。学者先生の奮闘がめざましい。それだけ学問・研究の自由が侵されるという危険に対する危機感が鋭いのだと思います。

我が家のある長野県池田町でも、「町民のみなさんへのアピール」への賛同を求める署名行動が続けられていて、その様子が「てるりん」さんのブログに紹介されています
彼女は、対話した内容を実に正確にしっかり覚えていて再現してくれるので、かつての町なか懇談会の活動でも大いに助けられました。今回も彼女の活動が全体を牽引してくれるのではないかと期待しています・・・が、まだ完全復帰にいたらない身体だし、お連れあいのこともあるので体調管理には十分気をつけてくださいね。
今日も国会前では様々な行動が行われているはずですが、夜の国会正門前の大集会や、SEALDs主催「戦争法案強行採決に反対する国会前緊急抗議行動」は、現場から「遊軍カメラ」「固定カメラ」での中継が見られるようです。
那覇でも集会・デモ行進が行われますが、私は午後から辺野古の座り込みテントに出かけ、ストレッチをしながら座り込んできます。

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今日のキャンプシュワブ前のテントには那覇をはじめとする島ぐるみ会議のメンバーに加え、東京三鷹から大城市議を先頭に23人が参加、さらに全国各地からの応援者も交え150人くらいが集結しました。
安保法案が強行可決された直後とあって集会は怒りと今後のたたかいの決意にあふれるものとなりました。
久しぶりに参加したというダグラス・ラミスさんは基地をとりまくフェンスの本質について語りだしました。たとえば大地震が来て基地に逃げ込みたくてもできない。ミサイルが飛んできて、あげくカッターを取り出して、イメージとしてこのフェンスを簡単に越えられるものにする方法を考えようと訴えていました。
写真のように、2万人のワイヤーカッターによる(あくまでイメージ:実際にフェンスを傷つけることは当然法律に触れる)フェンスの無力化(想像)行動を提起。同時に、フェンスを「脱フェンス(つまり入り口)にする21の方法」を記載した用紙を配布し、最後に「すべての基地の周りで、少人数でもいいから『このまま基地建設を続行すれば全基地が撤去の対象になるぞ』という意思表示をすべきだ」と提案していました。




その後は、いくつかの団体や個人の意見表明や歌などがあって、午後3時過ぎからフェンス前のデモ行進。午後4時に行動を終了しました。




次は少々おまけ的ですが、島ぐるみ那覇のメンバーの一人が、沖縄の歴史に触れて話してくれたことに興味を引かれたので紹介を。
玉城城趾(写真下)に見られる穴の形は「ゴホウラ(護宝螺)貝」(写真次:「南西諸島貝殻学入門」より)に似せて作られたと言われる。ゴホウラ貝は「太陽の巻貝」という意味であって、古代には「水平線を昇って来る太陽は、海底に棲む巻貝から生まれた」とする考え方があったらしい。琉球はこの頃から平和に生きる人々であって、それが現在につながっている。沖縄の歴史にもっと関心をもちたい。ざっとそんな話でした
弥生時代の遺跡からは琉球でしかとれないこの貝でつくった装飾品が出土しているし、さらには前方後円墳の形状の元にもなったという説もあるようで、今度玉城にもどったときにはしっかり見て来なければと思わせられたことでした。




国会前のLive映像は、WiFi電波が弱く切れ切れ。午後7時過ぎにはすでに2万5千人以上が集まり、さらに霞ヶ関方面からどんどん人が増えているということです。若者たちが束になって立ち上がるというのはやはり心強い。
公明党は、もともと看板にすぎなかった「平和の党」がついに「戦争の党」になっちゃった。もう再起不能でしょうね。
日本共産党の志位委員長がかけつけ演説。若い皆さんが「そうだ」コールで応えています。「安倍政権こそ日本の最大のリスクです」。続いて吉田社民党委員長。ようやく4チャンネル安定してきた。

琉球新報論説委員長が社説で次のように書いている。

県民にとって脅威となっているのは安保法案であり、聞く耳を持たぬ安倍政権である

そうだ、そうだ。

安倍政権にとっての外交は米国の意に沿うこととしか見えない。安保法案しかり、名護市辺野古への新基地建設しかりである。米国の軍事費削減が目的なのは明らかだ。

そうだ、そうだ。

安倍政権が法案成立に固執するならば、選挙で信を問うべきである。

全くその通り!



  7月14日(火)
台風の影響もようやくなくなり、今日は朝から真夏の太陽が照りつけています。暑くなりそうです。


昨日、土砂搬入規制の条例を県議会が可決したことは昨日も書きましたが、今朝の報道によると、昨日午後に開かれた官邸での菅官房長官の記者会見の席上、時事通信のS記者がとんでもない私見を交えて質問したというニュースがありました(録画では終わり頃にその部分やりとりが)。
今度は、権力をチェックすべき報道関係の記者の側から、権力をけしかける明白な沖縄差別発言を口にするのですから、あきれてものが言えません。
問題になっているやりとりの部分だけ、抜き出してみましょう。

時事通信鈴木:関連なんですが、当の沖縄が、簡単に言えば、それ(注:那覇空港第2滑走路工事)を反故にするということはないんですけれど、工期短縮を難しくするような決断をしたということについては、だったらもう国としても、ある意味見限ってもいいような気がするんですけれど、そのへんいかがですか。

菅:いいや、私は沖縄の発展にとってここは極めて大事だというふうに思います。当時私は仲井間知事に前倒しするについて、沖縄県も最大協力してくださいと、まあそういうことが前提のうえで、5年と10ヶ月にした経緯があります。そうしたこともふまえて、いまの沖縄県についてそこは大事だろうと思います。

鈴木:確認というか関連ですが、はからずも仲井真県知事との間では最大限協力する約束があったにもかかわらず、協力しないという決断をしたわけですね、沖縄県が。だったらもう、そんな連中は放っておいてもいいと思うんですけど、どうですか。

菅:沖縄の発展というのは日本の発展にとっても大事だというふうに思っていますので、そこはできる限り沖縄県と話をしながらすすめていきたいというふうに思っています。


この条例が、辺野古埋め立てだけではなく、那覇空港の第2滑走路建設やそのほかの事業に対しても影響があることは以前から新聞紙上でも詳しく報道されてきたことです。

7月8日の沖縄タイムスによれば、この条例可決について防衛省幹部は次のようにのべたと伝えています。

那覇空港を遅らせてでも本気で辺野古を止める気なのか。県の真意がわからない。
県外土砂規制条例案には罰則がない。ダメだと言われても埋め立て承認を得ているのだから土砂投入にためらいはない。


この問題を見る場合には、ひとつには当然辺野古への大量の土砂搬入問題がありますが、その前に自然の生態系へのあまりにも無神経なこれまでの開発への当然の総括があるということです。
沖縄返還後の大規模な開発のためにどれだけの貴重な自然が破壊されてきたかを見ればそれは明らかでしょう。
次に、この条例は、資材搬入の90日前までに特定外来生物の混入防止対策を届け出るように事業者に義務づけ、県が専門家の意見を踏まえて審査、必要に応じて立ち入り検査や搬入中止の勧告を行うというもの。
その限りで、極めて正当な内容の条例といえます。ただ、この条例の成立にもう少し慎重な手続きが求められたという意見にも聞くべきものは当然ありますが。

政府・防衛省も時事通信の記者のように腹の中で思っていても、表立っていうわけにはいかない。そのかわり、彼らは黙って実力で土砂搬入、基地建設をする「実力」を持っています。彼らが最も恐れるのは、沖縄の民意をことごとく踏みにじって工事を強行した際に起こる世論の怒り、支持率の低下、全国的な民意の離反なのです。
今回の時事通信の記者は、ものの見事に政府や防衛省の「腹の中」に入って、あたかも世論を代表するかのように権力にすり寄るのですから、記者の風上にもおけない。さすがに菅官房長官は「正論」でこれをかわしました。
このような記者の発言が報道の側から出てくること自体、沖縄差別がいかに根深いかを示すものですし、前にも指摘した、ある部分だけを切り貼りして事実を作り替える典型ともなっていることに注意が必要です。

今日はこれからまた玉城にもどって、義母の様子を見てくるつもり。

義母の家に行く途中、親戚にマンゴーを送ろうといつもの「軽便かりゆし」に寄ってみたところ、この前よりさらに店一杯に並んでいて驚いた。傷物もかなりでていたので台風の影響で落果したものも安く出していたのではないかと思われました。しかも全体に安い。マンゴーのたたき売りの観すらあり、ちょっと悲哀を感じるところも。
家に着いたときはまだ義兄が畑から戻っておらず、母が一人で遅い昼食をとっていました。ほどなく帰ってきた兄、上半身水をかぶったように汗まみれで、さぞ重労働をしてきたのだろうと思われました。きび畑での台風の後始末は想像を絶する作業なのでしょう。
それでも、私のために冷たい飲み物を買ってきてくれて、その後すぐに浦添の自宅に戻っていきました。お疲れ様でした。
母は次の台風12号が心配でならない様子で、私に「来てくれないかねえと思っていたところだ」と言っていました。12号は沖縄には向かってこないから、今度は心配ないよと言っても、なかなか信じられない様子。「もしまた台風が来るようなら、こっちに戻ってくるからね」と言い含めて何とか安心してもらいました。今後の進路次第では、影響がないとはいえないので、風雨が強くなるようであればまた玉城に戻るつもりです。


この11号はかなりの勢力で北上しつつあるらしく、本州全体に大きな影響が出そうな感じなので心配です。進路予想の精度も上がってきていて、九州と四国の間あたりに強い勢力のまま上陸し列島を横断する恐れがあり、厳重な警戒が必要です。
このあとさらに台風12号が控えていて、韓国、ヨーロッパ予想ではいずれも7月23日頃「関東に上陸」ということになっているのだとか。

さて、明日にも委員会採決に踏み切るのではないかと言われている戦争法案、政府は審議も説明も尽くしたような言い方をして合理化しようとしていますが、全く国民を愚弄するものです。
私としては、ささやかな抵抗ですが、電子政府窓口(e-Gov)を通して、次のメールを送信しました。

安全保障関連法案についてひと言申し上げます。
8割の国民が説明不十分であるとし、さらに圧倒的多数の憲法学者が違憲であると警告している法案の強行採決は断じて認められません。
憲法違反である法案をどのように理屈をつけて説明されようが、その本質には変わりはありません。直ちに廃案とされることを求めます。


万が一強行採決に踏み切ることがあれば、この次の選挙で彼らにはすべて落ちてもらうしかありません。



  7月13日(月)
玉城の妻の実家が台風被害でバナナやミカンなどの木が折れてひどかったということは、まだ風が吹き荒れている頃に書いていましたが、その始末記を義兄が書いていました。何も手伝うこともできず申し訳ない気持ちがいっぱい。
その義兄が、昨日のブログで、「解釈はそれぞれだと思いますが、個人的には賛同する個所も多い」との一文を添えつつ、「京大有志の声明書」を紹介していました。
私もすぐにそのサイト(正式には「自由と平和のための京大有志の会」)を訪問し、声明書本文、ツイッターによる反響などをつぶさに見ました。
義兄にならって、まずその声明の紹介を。

   声明書

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

                           自由と平和のための京大有志の会

「有志の会」は、その設立の目的を次のように書いています。

「安保法制」、言論への威圧発言、大学への君が代、日の丸の強制、等、この間の安倍政権による平和の破壊、学問の愚弄、憲法の蹂躙を止めさせ、新時代の自由と平和を創造する。

戦前、「滝川事件」に直面して、学問の自由と大学の自治を守るために立ち上がったように、教職員・学生からなるこうした組織が、権力に抵抗し新しい時代を生み出す力になることはまちがいありません。
この会は、さっそく「7.14 緊急シンポジウム 学者の会×SEALDs KANSAI」を企画し、さらに9月1日(8月の間違い?)に「安保法制」反対の集会を開くことも予告しています。
最近の政府・自民党の目に余る大学への干渉・圧力に直面して、全国の大学でも多かれ少なかれこうした動きは活発になっています。大学人の力を合わせて学問研究の自由を守るたたかいをさらに発展させてほしいものです。

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今日は午前中「辺野古」、午後「高江」と、いつかと同じパターンで行動しました。
辺野古に着くと、沖縄キリスト教学院大学の学生20人くらいが担当教師(外国人)に引率されて来ており、これから参加者へのインタビューを行う直前でした。
授業の一環として聞き取りに来ているとはいえ、座り込みの現場に来て「辺野古の現状をどう思うか」とか「なぜこのような活動をしているのか」を聞くことはなかなかできないこと。ほとんどが沖縄出身の青年たちのようでしたから、辺野古の現実を自らの生き方と重ねてとらえるまたとない機会になったのではないでしょうか。
私にも聞き取りがあったので、県外に向けて辺野古の状況を発信していること、現地のたたかいが県外の人たちをも励ましていること、関心が次第に高まっていることなどに触れて、政府、米軍関係者の沖縄差別・軍事基地化の実態を一日も早くなくさなければならないと考えていると話しました。

その後は恒例の米軍キャンプ前でのデモ行進。12時を回って一区切りついていったん休憩となったころを見計らって帰ろうとしていたら、那覇市から「島ぐるみ」のメンバーが大型バスで20人ほど到着したところでした。午前中は本部(もとぶ)町からも同じように来ていたようですから、各地の「島ぐるみ会議」が続々と代表を送り出していることがよくわかります。
状況説明の中で、座り込みのリーダーは、「埋め立ての本工事がいつはじまってもおかしくない状況にあり、そうなればいかに工事を阻止するのかが重要になる。そのための決定的な条件は人であること。いかにたくさんの人をここに集結するかがポイントなので、その点を考慮した対策を立てなければならない」と強調。もちろん物理的に阻止行動をしても排除されて終わりですから、そのような排除行動ができないほどの人々がいつも結集している状況がつくれるかどうか、ということのようでした。
県議会では、県外からの土砂の搬入を規制する条例が可決され、11月1日から施行されること。当然辺野古の工事に影響を与えるわけですから、政府の新基地建設の動きはますます常軌を逸したものになってくる恐れがあります。








午後は、まず近くのそば屋で「二見ソバ」をたべ、東村の道の駅でちょっと仮眠。そのため、高江についたのが午後2時半過ぎになりました。それから午後5時過ぎまで高江のテントで、集まったみなさんといろいろと情報交換をしました。
午前中は団体を含めて60人ほどが来て盛り上がったと担当のOさん。午後はそれほどでもなく10人程度があたらしく訪問してくれていました。
3時過ぎにはフランスの青年とイタリアの女性の若い二人連れが、東京の友達の紹介だと言ってやってきました。彼女の方はイタリア語、フランス語、英語、それに日本語を少々、彼はフランス語と英語というように、二人とも語学は実に堪能。沖縄出身の一人が英語で高江の現状を説明し、何人かもそれに加わってなごやかに会話がはずみました。
そこに集まった人たちは口々に「ジャパニーズ・オンリー」としか言わない。すると彼女曰く「日本語と沖縄語と両方話せるじゃない」。確かに。
高江でも、未着工オスプレイパッドの新規工事がいつ始まってもおかしくない状況であるため、特別天然記念物「ノグチゲラ」の営巣期間が終わった7月以降は24時間監視体制を組み、今日も2,3人車に泊まり込むのだということでした。




今日は、曇り空でしたが何とか雨が落ちないでもってくれたのでよかった。
帰りがけ、コーヒー豆を切らしたので、いつもの「HIRO」に寄って、豆をひいてもらいました。そこには2年前にいた犬とニワトリが前と全く同じように遊んでいて、しばらく私もいっしょに戯れていました。



今日は母の祥月命日。心のなかで手を合わせ、しばしの間、過去の記録などを見ておりました。



  7月12日(日)
台風の余波がまだ続いています。朝、例によって突然強烈な雨風が襲ってきて、窓をあけて寝ていた私を直撃。あわてて飛び起きて、拭き掃除をするはめに。
これは、台風9号の強風圏の南端がまだ沖縄にかかっているためですが、これに続いて11号の進路が気になるところです。
お天気情報を知りたくていろいろ調べていたら・・・何しろ暇なもんですから・・・NHKのサイトに「NHK女子倶楽部」(略してN-jyo)というのがあることを知りました。
トップ画面には「NHKの女子アナウンサーやキャスター、気象予報士、最新台風情報まで幅広く紹介します」、とある。最初の方はどうでもいいので、実はこのサイト、どうやらNHKの気象予報士の情報サイトをかねているらしい。台風の進路について、米軍をはじめ海外の気象予報の情報を集めてやたら詳しいのです。何なんですかねえ、これは。この詳しさは!!
前置きはそのくらいにして台風11号の進路、どの情報機関もまもなくほぼ90度向きを変えて九州方面に向かうというのです。上空の風の動き、高層天気図、過去の台風の動きなどを勘案して予想を立てるのでしょうが、ともかく沖縄からは少し離れたところを通ることを知って一安心(九州のみなさん、すみません!)。
次の「萌えキャラお天気ギャル」つき天気予報はいかがですか。「あ〜〜っ、Mooさん沖縄での一人暮らしで、とうとう壊れてしまった!!」と見る向きもあるのかな??いつも、固いことばかり書いているって言われるものですから、つい・・・。


このイラストを見ながら思い出すのは、イラスト専門学校に進学した(今はもう卒業して仕事についているはず)教え子の女の子が、かつて「自分の書きたい絵がかかせてもらえず、このような萌えキャラをいつも要求される」とふと漏らしていたことです。
これを書いた方も、きっとそうした会社(NHKではありません)の方針で「書かされた」口ではないのかなと思って載せた次第です。違っていたらごめんなさい。
海外では、こんなのは絶対と言っていいほどないことでしょうね。日本人の精神年齢はやっぱり12才だということを証明する絵の一つにされそうです。

ただいま午後1時半。午前中辺野古近くの二見、豊原地区を訪れて空き家情報を集めていました。座り込みテントにも寄るつもりでしたが、雨や汗の対策をせずに出てしまったので、今日は参加せずあちこちまわっただけ。
空き家情報の話は後ですることにして、昼食をとるために家に戻ってほどなく、これまでの晴天が一転して真っ黒な雲が押し寄せ、あっという間にスコール。降り方がハンパではありません。台風前後からこの雨の降り方には、ほとほと参ってしまいます。

さて、家探しの件ですが、まず辺野古から南に下がったところに豊原という集落があるのですが、そこの区長さんに会って話を聞きました。ここではあまり耳寄りな話はなし。
続いて、先日も訪れた二見地区のはずれで農作業をしている男性に、何か情報はないかと聞きました。沖縄の人たちは本当に親切に丁寧に対応してくれますね。
両親の面倒を一人でみながら、ウコンやカボチャを作って生計を立てているというこの方は、昔からの地域の様子をよく知っていて、この空き家の誰それがどうなって、いまどこに住んでいるとか、家の中がどうなっているのかなど、大変詳しい。
この男性の広い畑のすぐ脇にはかなり古い空き家が2軒あるのですが、相当に荒れていて、かなり手を入れないと住むことはできません。一応頭に入れておいて、その大家さんに話を聞くために後日また訪問することにしました。
別れ際に、収穫したばかりの「赤瓜」を「ウリ物じゃないから」「熟れた方は煮物に、若い方はそのまま食べるといいよ」と言いながら3個もくれました。感謝感謝です。


百田氏、自民党の若手議員、それにネットにあふれる右翼的な書き込みなどの手合いを見ていると、2012年の池田町町長選挙でまかれた謀略ビラのことが頭をよぎってしまいます。
事情は2012年6月18日、19日の私の記述をご覧いただくことにして、私がいいたいのは、経過はすべて文書化され閲覧でき、自らの頭で判断できる材料があるにもかかわらず、経過を恣意的にゆがめ、正反対に描き出し、それをもって相手陣営を貶めることをもっぱら専門にする輩がいるという哀れむべき事実です。
都合のよい部分だけを切り貼りし、ものごとを正反対に描き出すことに何ら痛みも感じない。むしろ、その切り貼りした正反対のことがらだけを根拠として行動に移すという、およそ常識のある人間なら決して出来ないことも平気で出来てしまう種類の人々がいるという事実。
ふつうの善良な人々であれば、仮に間違った情報であれ、誰かからまことしやかに「見てきたように」言われれば、ほとんど疑わないのではないでしょうか。その善意を逆用して謀略がたやすく行われるという現実を直視しなければなりません。
普天間第2小学校移転を巡る問題にしろ、普天間基地の成り立ちにしろ、辺野古の新基地建設にしろ、もっと大きな規模でそうした「謀略」が組織的に行われていると考えることは単なる憶測ではありますまい。
池田町の場合は、相手があまりにも幼稚で意図が見え見えだったために、粉砕するのはそれほど難しいことではありませんでしたけれど、規模が県や全国レベルとなるとそう簡単ではない。
当事者がその意識を持ち、たえず経過を公開しながら透明性を確保し、誰にでも等しく判断できる材料を蓄積していくことがそうした「謀略」を防ぐ最大の保証です。それが保証されなければ、その隙をついて彼らは必ず「謀略」をしかけてきます。しかも、大衆受けするやり方を心得ていますから、なおさらやっかいです。

さて、今日は無為に過ごした時間が長かった。まあ、思い通りにいかない日もあるものです。



  7月11日(土)
今朝の名護は、薄茶色のどんよりした雲に覆われ、時々強い突風が吹きまくっています。まだ台風の余波を残して、大変蒸し暑い。
実は夕べから今朝にかけて、ある発見がありました。それは、室内でも場所によってWiFiの電波が届くところがあるということです。電波はかなり弱いのですが、かろうじてネットに接続できる状態になることがあります。ラッキーでした。

朝それで新聞を読んでいたら、大浦湾のオイルフェンス(フロート)が、瀬嵩の海岸まで押し流されていることを知りました。大浦湾までここから20分ぐらいですから、さっそく見に行ってくることにしました。
いつものレストランを過ぎてまもなく、黄色いフロートが見えてきました。そこにはすでにNHKなど2社のカメラマンが来てビデオに収めているところでした。
近寄ってみると、ひしゃげたソーセージのような黄色い浮き具が端をテトラに絡ませ、そのままず〜〜と連なって大浦湾のかなたへ。よく見ようと身を乗り出すと、強風と、それに乗って打ち寄せる波のしぶきとで今にも吹き飛ばされそう。メガネもカメラもすぐに曇ってしまいます。口の中が塩辛い。
そこに来ていた環境監視団のメンバーと思われる方が報道関係者にしている話を立ち聞きしていたら、「防衛局は沖縄での台風の威力について全くわかっていない」「アンカーが付いているから、間違いなくフロートに引きずられて珊瑚は破壊されている」と話していました。海底はさぞひどいことになっているのではないかと思われました。
沖縄タイムスは、環境監視等委員会が事前に回収するよう防衛局に助言していたのに従わなかったと伝えていました。
以下、強風に吹き飛ばされそうになりながら何枚か証拠写真をとってきたので紹介しておきます。










「めーごーさー」とはウチナーグチで「げんこつ」のこと、「めーごーさーするぞ」とは「お仕置きするぞ」というくらいの意味だそうですよ。安倍さん、防衛局、米軍のみなさん、気をつけなさい。何しろ「スーパー」ですからね。

この記事をアップしようとして家に戻ったら、まもなく横殴りの雨が。これじゃ外に出られません。

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今日の沖縄2紙(琉球新報、沖縄タイムス)は、仲井真前知事が下した辺野古埋め立て承認を検討してきた県の第3者委員会が、承認には「瑕疵があった」とする検討結果をまとめ、月内に知事に報告書を提出することが明らかになったことを大見出して伝えていました。
琉球新報は、委員会関係者の話として、@辺野古へのオスプレイ配備がアセスの評価書提出段階になって初めて記載されたことや、現在の普天間基地でもオスプレイの飛行運用に関する日米合意が守られていないことから米側の環境保全策の実効性に疑問があること、A新基地建設計画が珊瑚やウミガメなどの生態系や海流の変化など自然環境に与える影響の評価やそれに対する保全策が適正でないことを「瑕疵」の根拠にあげています。
一方、沖縄タイムスは、@普天間基地の代替施設を建設する事業に合理性がないこと(具体的には「防衛局」のいいなりに県外への移設が一切考慮されず、さらに仲井真前知事自らが普天間の県外移設を主張し「地元の理解を得られない辺野古移設は不可能」と言っていたことなど)、A生態系の変化や騒音に対する環境保全措置が不十分であること、B生物多様性基本法や他の国や県の法律・条例などとの調整が不十分であること、などが論点になるだろうとの見通しを書いていました。
一方、防衛省は「手続きは適正だった」と述べて、もし知事が埋め立て承認を取り消した場合は、国交省に不服審査請求を出して、それを無効化使用という算段であることはすでに報道されているとおり。

辺野古新基地を作るかどうかは安倍内閣にとって、米政権への忠誠度をはかる第1の条件であり、さらに戦争法案を具体化するための第1歩ともなっているわけですから、それは死にものぐるいで建設を強行してくるでしょう。
そうなれば、安倍応援団も大挙してウソとデマでたたかいを分断しようとする。
突撃部隊のNO.1はなんと言っても「サンケイ」さんでしょうね。それを使ってペラペラと「自説」を垂れ流しているのが百田さんであり、自民党の若手と称される安倍親衛隊。
たとえば日刊スパ掲載のこの記事はいかがでしょう。
百田さんは、数千万円ももらって六本木の高級マンションで暮らす軍用地主がよほどうらやましいのか、こうした地主が「ゴロゴロいる」のが実態で、米軍に寄生して利益をむさぼっていると思い込んでいらっしゃるらしい。
今日の両紙は、政府が軍用料について答弁書(照屋議員への)を閣議決定したことを伝え、その実態を明らかにしています。
琉球新報によれば、全地主3897人のうち、1000万円以上受け取っている地主は全体の2.1%で81人。500〜1000万円が6.2%の243人、途中省略して100〜200万円が21.1%で821人、100万円未満が52.8%で2056人。さて、百田さん、この中であなたと気脈を通じ普天間基地にしがみつきたい地主さんはいったいどれくらいいるのでしょうね。

月刊スパの彼の主張をここでちょっと見てみましょうか。

実質的な地権者は7.9%しかいないとされる大地主のほうで、この中には年収何千万円で東京の超高級マンションとかに住んでいる人がゴロゴロいるというのが現実なんです。
二紙は、反基地、反安保という自らの政治的メッセージばかりを沖縄の人たちに押し付けてきた、中国べったりの左翼機関紙。自分たちのイデオロギーに叶えば、シロでもクロと書くやり方は、沖縄の反基地運動家とまったく同じですよ。
実は、基地のすぐ脇にある普天間第二小学校は、あまりに危険なので校舎の移転話が出たこともあったんですが、なんと反基地闘争をしている人たちが移設反対を訴えた。彼らは「基地をなくさないと子供が危ない」と言いたいがために、この移転話を潰したんです。これでは子供たちを反基地闘争の道具に使っていると言われても仕方ない……。


おやおや、沖縄の反基地活動家は何千、何万人といるんですが、彼にはそれらはみんな中国の手先で、シロをクロといいくるめる方々に見えるらしい。何という頭の構造でしょう。
話の前半は完全に破綻していますが、普天間第2小学校の移転問題はどうか。
いろいろ調べてみると、もともとのネタは2010年1月9日産経新聞掲載の宮本雅史記者の記事であるらしい。もう一人は当時市議だった安次富修前衆院議員。ネット上には、小学校の移設が切実な問題となったが「普天間基地に反対するプロ活動化によって、子どもたちが人質にされ、移設計画が潰された」という書き込みがあふれていますが、震源地はいずれもこれ。
私には、事実経過を知るすべも時間もありませんから、ひとつだけそれらを判断する材料を提供してくれているサイトを紹介しておきましょう。
立場はまるで異なるお人のようだし、そもそも見出しにギョッとしますから、はじめはいかがわしいかも、と思ったのですが、読んでみると意外にまじめに詳細に事実を歴史的に検証しているので好感が持てました。例の宮本記者の記事も掲載されています。

草莽崛起〜阿蘇地☆曳人のブログ(「日本」を屠る決意) 自虐史観の葬送のために!
普天間第二小学校移転問題

3回に分かれていますので、第1回からリンクをたどってください。
私にすれば、活動家が自分たちのイデオロギーを通すために、子どもたちを犠牲に移転に反対したという<伝聞>をまともに受け取ってネットで拡散すること自体不思議でしようがありません。

いずれにしても、この手のプロパガンダは、増えこそすれ絶対に減りはしませんから、相手にしないという手もありますが、事実は事実として反論し潰していく努力は絶対に必要だと私は思います。
ネット上では、まだまだその努力が足りない。



  7月10日(金)
沖縄はいまだ台風の中心が本島南部を過ぎて石垣にむかっている最中。成長途中の台風らしくまだ強風が吹き荒れています。なにしろ長い。
ここ南城市では最大瞬間風速50b。夕べ12時前に停電してまだ続いています。沖縄電気では明るくなって風雨が収まったら復旧にかかるということなので、電気が届くのはいつのことか。南部では何万戸かが停電、けが人も出ているとの情報がありました。
私と母は午前5時半、明るくなると同時に起きて、いま居間にいます。が、室内は暗くて何にもできない。電気がなくてはテレビも見られず、二人で「こうなったら寝るしかないね」と話しています。
午前6時、玄関前でタバコを吸っていたら、琉球新報がこの風雨をついて新聞を届けてくれました。さすがですね。庭をみると、植木鉢は倒れ、バナナの木は見るも無惨に倒れ、他の木がいったいどうなっているのか。風が強すぎて外には出られず、様子を確かめることもできません。
デイサービスも今日は休み。7時前には、簡単に朝食も済ませました。次の映像は今朝の庭先の様子です。3時過ぎまで暴風が続くと沖縄タイムス。

7月10日午前6時半の庭先の様子(mp4 6.12M)

ただいま午前11時。台風の勢いが衰えません。


電気がいつ復旧するか全く見当もつきません。電子機器のバッテリー切れが心配・・・。

午後3時頃、ようやく空が明るくなって少し風雨が収まってきたので、名護へ帰ることにしました。
途中南城市玉城周辺は信号機も消え、稲嶺交差点付近でようやく回復。高速道は西原=北中城間が通行止め、アホなナビのおかげで西原を降りた後、何度かまた西原に戻るという回り道をしながら、一般道を何とか北中城までたどりついて、そこからまた高速にのって、6時前に名護の「我が家」へ。途中、沖縄市あたりから急に風雨が強くなり、傘も差せない状態で難儀しました。午後6時現在まだ風雨の強い状態が続いています。
あらゆるものが湿っぽくベタベタしています。夏の間、沖縄ではカラッとしたさわやかなお天気は臨む望むべくもないのでしょうかね。何ともしつこい大きな台風です。明日には何とか回復してほしいものです。
台風がやってきて唯一よかったことは気温が少し下がったこと。現在27度〜28度くらいでしょうか。湿度が高いので蒸し暑いことには変わりありませんが・・・。
「我が家」でコーヒーをたててようやく落ち着きました。しばらくは引きこもりです。



  7月9日(木)
午後5時、沖縄はただいま暴風雨の真っ最中。猛烈な雨と風が吹き荒れています。

名護から南城市玉城に帰りました。当山の家に着くと母は早い食事中。元気そうでした。
途中中部ではかなり雨が降っていましたが、南部はそれほどではありません。風は中部も南部も同じくらい強く、車を降りると道路の砂利、木くずがたたきつけるように襲いかかってきて痛かった。
11時頃から沖縄本島が暴風圏に入り、これから明日朝にかけて相当に雨風が強くなるはずです。名護でもそうでしたが、農作物にすべてネットをかぶせて、被害が及ばないようにしていました。南部ではマンゴー農家が懸命の収穫と暴風対策。慣れているとはいえ大変な作業でしょうね。
実家では、大きな天ぷらバナナの木が倒れてしまったようで、そのままになっていました。明日まで庭の木々に被害がないといいのですが。




昨日から今日にかけての大きなニュースは高成長を続けた中国のバブル経済崩壊のきざし。これはEUが押しつけた緊縮財政をギリシャが拒否したこととあわせて、日本経済にとっても無縁ではありません。
外国投資家よって買い支えられていた株高が崩れたとき、年金の相当部分の運用は株に向けられているのですから、何かあったときの後始末はどうするのでしょう。多分誰も責任をとるわけでもなく、「株は上がるときも下がるときもある」とうそぶくのでしょうね。
川内原発の再稼働が秒読み段階に。燃料棒を挿入し始めていよいよ稼働したあと、大地震が起こって重大事故に発展したらこれまたどう落とし前をつけるのか。
これだって「安全を厳格に確認しながら手続きを進めてきたことには問題はなかった。ただ地震が大きすぎて、その点は想定外だった」と誰も責任をとらないのでしょう。ことほどさように無責任体制はあらゆる分野に浸透し、日本を根本からむしばんでいく。
官僚たちはしたり顔で時の政権をも支配するほどの力をもって日本の根幹を動かしていると思い上がっているに違いない。その証拠に国策として推進してきた原発が大事故を起こして誰が責任をとったのか。TPP、労働者派遣法・・・みんなおんなじ構造なのです。

そして、戦争法案。安倍さんが出演するネット番組に「カフェスタ特番」というのがあるらしい。そこで「(安保法案は)備えであり抑止力になる」と家庭の戸締まりや町内会の協力にたとえて強調しているのだとか。
この法案が通れば本当に「抑止力」が働いて、海外の国が日本を侵略することを思いとどまるんでしょうか。
沖縄にいてこの言葉を考えると本土では見えないことが見えてくるような気がします。
たとえば中国や北朝鮮が、沖縄に米軍がいて「抑止力」としてがんばっているから、尖閣などを取りに来ることはないのかどうか。
無いという根拠は全くない。なぜならすでに何回となく起こっている領海侵犯がそれを示しています。中国がその気になればいくらでもできることだということです。その際中国が武力行使を行う必要はない。そのとき米軍は日本の問題として傍観することはすでに明らかにされているとおりです。
ただ中国は経済的理由からその愚をさけているだけです。アメリカとも経済的理由から関係を悪化させたくないだけ。とすれば、このケースの場合「抑止力」機能は全く働いていないことに気がつくでしょう。「抑止力」というのは単に口実にすぎず、アメリカの戦略基地として沖縄が利用されているにすぎないということになります。
次のケース。中国が経済的悪化というリスクを覚悟して、尖閣を取りに来たとしてみましょう。日米安保が発動されて地域紛争になったとする。被害を受けるのはどこなのか。そうですね。大変な目に遭うのは沖縄であって、本土ではないのです。
この場合は、あの大戦の場合と同じように沖縄を犠牲にして本土を守るという構造になってしまう。日米が一体となって常に戦争体制にあるということになれば、中国は事を構えざるを得なくなる。地域紛争のリスクはいっそう高まり、この場合も「抑止力」機能は働かず、沖縄を防波堤として軍事的対決の方へ傾斜していくことは明らかです。

ここで、昨日辺野古で取った動画を紹介しておきます。カメラでの映像を加工しているのですが、それでもサイズが大きいのでダウンロードに時間がかかるかもしれません。

辺野古キャンプ前での抗議行動(1)
辺野古キャンプ前での抗議行動(2)
辺野古キャンプ前での抗議行動(3)

午後2時、次第に風が強くなってはきたものの、ずっと家に閉じこもっているのも疲れる、というわけで近くのひめゆり資料館へ行くことにしました。以前一度いった記憶はあるのですが、どうも特急で見回っただけだったからあまり印象が残っていない。今日は台風真っ最中ということもあり、多分入場者も少ないだろうからと出かけたのでした。
途中「軽便かりゆし」(直売所)に寄ってみて驚いた。店中「マンゴー」であふれているではありませんか。贈答用、家庭用問わず・・・壮観です。思わず2個入り家庭用を買い求めてしまいました。お母さんとまるごと食べようという算段です。写真手前が贈答用、男性の向こうが家庭用。


資料館も、ゆっくり見て回り、映像や手記などをゆっくり読み込んでいると、沖縄戦末期の女学生たちの言語を絶する生活が浮かび上がってきます。
「ひめゆりの塔」は沖縄戦の犠牲、南部戦跡の象徴として注目され、あまりに観光地化されたために、ここに行けば沖縄戦の悲惨さが分かったような気になるという「安易さ」が漂っています。ひめゆり学徒だけが沖縄戦の犠牲者ではないわけで、当時たくさんあった男子校、女子校それぞれの生徒の生きた証も当然沖縄戦史に刻まれるべきです。
そうはいえ、沖縄師範、第1高女の生徒たちもまたその一翼にあったわけで、それはそれとしてしっかり心に刻み込むべきだろう・・・そう思ったのでした。
誰もいない碑の正面に立って手を合わせ、館内に入ると旅行予定に組み込まれていたらしい男女や若い女性たちが10数人、展示に見入っていました。
沖縄戦体験者は年々減っていくばかり。それでも彼女らのたくさんの証言が、文書だけではなく映像としてしっかり残され、次世代へのかけがえのないメッセージとなっていることは心強いことです。摩文仁の祈念館とともに、時間をとってじっくり見学したい場所です。



岐路についた午後4時頃は、もう店もシャッターを降ろし台風に備えていました。
母の言うには、台風の神様は「女」なのだそうです。お〜〜こわ。



  7月8日(水)
ジャーナリストの大谷昭宏さんは、7日付けの沖縄タイムスで「新聞への弾圧 戦前以上」と題して、次のように発言しています。

自民党本部という場所で、報道に圧力をかけ愚かな会合が開かれた。怒りを通り越し、悲しい。・・・
政権政党の、安倍晋三首相の取り巻きとされる国会議員の感覚に、許しがたいものを感じる。・・・
今回の発言をした国会議員たちは、自分たちが戦前の軍部以上におそろしいことを言っていることに、気づいているのだろうか。


自民党国会議員は、地元や身内の会議ではつい心の中がそのまま出てくるようで、基本的人権や社会的自由の概念が彼らからほとんど失われてしまっていることを思い知らされます。
場所は長野県。7月4日に「日本会議長野中信支部」が開いた集会で、務台俊介衆議院議員(長野2区)が次のようにあいさつしたといいます(7月6日付け「しんぶん赤旗」)。

きょう集まりの皆さんは、この問題(安保法案)に深い造詣があるが、残念ながらごく少数だ。一般的には、この問題に近づくと危ないみたいに思っている。おまけに、地元のマスコミが、とんでもないキャンペーンをしている。どこかの政党の機関紙のような報道ぶり。

名指しこそしていませんが、地元のマスコミとは「信濃毎日新聞」であり、どこかの政党とは「しんぶん赤旗」のことでしょう。
このお方は「どこかの政党」といえば有権者はビビって後ずさりでもするかのように錯覚なさっているのだろうし、「どこかの政党の機関紙のような報道ぶり」とは、信濃毎日が国家機密保護法や安保法案に厳しい論陣を張っていることを指すのでしょう。私からみれば、信濃毎日はこの問題に費やす紙面はさほど大きくないし、国会周辺での抗議活動や大きな集会などはほとんど記事にしてきませんでしたから、それなりに批判的に見てきていました。
それでもこの議員さんにとっては、安保法制関連法案を廃案にするしかないという論調は「共産党」としか見えないわけで、その時点ですでに彼の頭は思考停止状態に陥っています。
きっと、大多数の憲法学者も、弁護士も共産党の影響のもとにあるとでも言いたいのでしょうか。
きっとすべて「真っ赤っか」に見えてしまうのでしょうね。「恐怖や不安(長野では戦争法案に反対の世論が高まっている)にとりつかれると何でも赤く見えてしまう」・・・このような前時代的感覚をもった国会議員が、私の住む長野で議員をしていらっしゃること自体、信じがたいことです。
沖縄2紙に対して、形式的ではあっても安倍首相も菅官房長官も謝罪したわけですから、当然それを知っているはずの彼の罪深さは議員辞職に値します。もしまだ議員を続けるのであれば、次の選挙では確実に落選していただきましょう。その意味でも地元での「戦争法案反対」の取り組みを強化しなければなりませんね。

辺野古ではキャンプシュワブ前での座り込みが6日1周年を迎え、集まる人々も次第に人数も厚みも増しています。昨日の琉球新報は「これからが本番」として抗議活動を続ける何人かの県民の声を紹介していました。
国際的にも注目度が高まり、海外のさまざまなメディアが取材に訪れていることは前にも書きました。
5日付けのニューヨークタイムスは辺野古移設が「膠着状態」にあり、基地建設反対が増えていることを伝えています。
ところが当の自民党の国会議員は、さきの務台議員と同様、いやそれ以上に悪質な言動が続いているんですねえ。驚きます。
今度は例の集会に参加して沖縄のメディアが「左翼勢力に完全に乗っ取られている」と発言した長尾敬自民党参議院議員が、4日のツイッターで辺野古の運動について「反社会的」と書き込んでいたことが暴露された。どうやら彼を「励ます」ネトウヨグループの書き込みに意を強くしているらしいのです。米軍のフェンスに横断幕などを取り付けたのをとりあげ、すべてそうなのだと敷衍して「反社会的」と呼んでいるらしい。どうですかこの鬼の首でもとったような下劣なツイッターの書き方。
自民党議員の中には、こんなやつらと一蓮托生にしてほしくないと悲鳴を上げていらっしゃる方も少ないとはいえ存在するのでは?もしそうなら声をあげるべきでしょう。
何ともお粗末で低レベルの話ばっかり。本当にこのようなノーミソの故障してしまった方々はすべて選挙で一掃しましょうね。

空はこれまでとはかわらず晴れと雨が同居。晴れてセミの声がうるさいくらいなのい、いつ不意に集中豪雨になってもおかしくない状態です。とにかく、ものすごく気温が上がっています。
辺野古に向かう途中、波も遠くの珊瑚礁で砕けて白く飛び散っています。
3つもそろって進んできているので、お互いに引っ張り合っているのか、9号の方は明日後半から影響が出るようで、風も次第に強くなってきています。
辺野古では、いつもより少し人数が多い感じで、私が到着したとき(10時半頃)には、まだ交流・学習会の最中でした。沖縄各地の島ぐるみ会議のメンバー、団体の代表、本土からの応援者などが次々マイクをもって活動を交流するのです。
今日は11時半頃に那覇の島ぐるみ会議のメンバーがバスで到着予定ということだったのですが、遅れていたため一足早くキャンプシュワブ・ゲート前でいつもの通り抗議行動。
少しでも立ち止まってシュプレヒコールをすると、例の調子で「立ち止まると危険ですからすぐに移動しなさい」の警告が。さらに、米軍車両が出ようとするときに、その隙間が空いていないと、キャンプの中にいた県警機動隊が駆けつけてきて、出入り口を広く確保しようとして抗議しているメンバーともみ合いになります。もちろん物理的に抵抗してけが人を出すようなことはしませんから、機動隊も今のところは出入り口が確保されればそれ以上のことはしない。
しかし、機動隊が米軍基地の中にいて、私たちの写真や動画をとったり、強制的に排除する役割を負わされているという構図はいかにもアメリカ従属国ならではの異様な光景です。












ここには日米の国家権力と直接対峙する最前線の姿があります。ただし悲壮なんて雰囲気はまるでありません。気迫をこめ、楽しく息長くたたかう民衆の姿そのものですね。
今日の沖縄タイムスは、一周年(今日で367日目)を迎えたゲート前での抗議行動について、わざわざ社説をかかげ、「新たな民衆運動に成長」したとその意義を強調しています。
「辺野古の現場で繰り広げられているのは民主主義に基づくまっとうな抵抗運動だ」・・・県民に寄り添う姿勢を堅持した沖縄2紙だからこそ、軍政下から今日まで生き残った。「民衆とともにある」・・・これが自民党が潰したくてしかたがない現地新聞の心意気です。



  7月7日(火)
午前6時起床。ストレッチをしたあと、床の拭き掃除。これも運動になります。そのあとは、タオルケット、タオル、下着などすべて洗濯。とにかく汗ですべてがベタベタするので、洗濯ばかりしています。
朝食を終わって午前7時半。青空を雲がいくつも固まって通っていく台風接近の空模様。日差しは強く、今日の予想最高気温は33度。夜は室温でも30度くらいですから、昼夜の差がほとんどありません。風はそれなりに部屋に入ってくるので、日に当たりさえしなければ、それなりにしのぐことができます。この一週間でだいぶ慣れてきましたよ。
出かけるまでまだちょっと時間があるので、どんなところでどのように生活しているのか紹介しておきましょうか。正面の写真は前にアップしましたから、まず部屋の中。
1枚目は、私がほとんどの時間を過ごすキッチンです。東西南と風が通るので一番すごしやすいのです。しかも大きなテーブルがあるので、作業も食事もすべてここで済ませることができます。
2枚目はキッチンに続く部屋。となりが仏壇がある部屋。その向こうがお座敷(沖縄風にいえば一番座)、一番向こうは玄関とリビング。テレビがありますが、あまりに暑いのでほとんどテレビは見ません。
それに平行して西側に風呂、トイレ、物置などがあります。結構広いお屋敷ですよ。
3枚目がキッチンから外にでた物置のある空間。ここにあった物置のひとつが台風でどこかに飛ばされたという曰く付きの場所です。洗濯物は一応干せるのですが、波板に大きな穴があいていて風雨のときは全く用を足しません。
4枚目。そこからぐるっと裏へ回ると、かなり広い場所があって、昔は菜園になっていたようです。いまは草がどんどん生えるので、オーナーは月に一度来て家の手入れや草刈りをしているのだとか。草刈り機が2台もおいてありました。








家具もたくさんあって、生活するには全く不自由しません。炊飯器、レンジ、冷蔵庫、携帯用IH、ガスレンジその他使えるものはたくさんあるのですが、今のところ自分で自炊するところまではいかず(時間がない)、勢い電子レンジと冷蔵庫、携帯用ガスレンジのみ利用させてもらっています。
だいたい朝はサンドイッチ(パンにいろんなものをはさむだけ)、Aコープで買ってきた総菜、およびコーヒーです。昨日家にかえるとお隣さんが庭に植えてあった植物(名前がわからない)を取って、「ちょっと固いけど食べる?」というので、サラダ用にいただきました。したがって今朝はそれがサンドイッチの材料に。・・・というわけです。

9時過ぎ予定通り家を出て、まず屋我地大橋を通って屋我地島へ、そこからさらに古宇利島に行き一周。ここまでは何年か前に来たことがあるので、地元の人が釣りをしていた場所も懐かしく訪問してきました。
写真は古宇利島手前のカフェで。人相の悪いのは相変わらずです。






2つの島ではたいして見るべきものもなく、ほとんど通り過ぎただけでした。
屋我地島には今帰仁側からも橋が架かっていて、対岸に行く前にレストランで「鯛汁」980円を注文。サラダは取り放題というお店で「豪勢」に昼食です。「豪勢」ですよ、アベぴょん。あんたとはケタが2つほど違います。
一昨日今帰仁城跡の文化センターで、源為朝の碑が運天港にあるらしいということを聞きつけて、とにかく行ってみることにしたのです。
運天港近くで宅配の店を見つけて場所を訪ねると、昼食中のお兄さん、口の周りに一杯芋サラダをつけたまま、「ああ、あれはトンネルのあっちを右にあがったところ」と教えてくれた。
これはラッキーと、短いトンネルをくぐって右へ行こうとしたら、そこは急な下り坂で車は通れそうもない。案内もない。となりにいたお母さんらしき人が「左じゃなかったっけ」と言っていたことを思いだし、少し車をすすめると、あったあった。知らない人なら絶対に気がつかないような案内掲示(白い矢印の掲示)が目にとまりました。
しかし、しかしですね、ここは為朝公にはいささか申し訳ないほどの荒れよう。ここしばらく誰も通ったことのないような細い道(けもの道か?)でかろうじて道だと分かる。ハブでも出てきそうな道をおそるおそる進むと、向こうに高い碑が見えてきました。確かに「源為朝公上陸之趾」とある。その横には「元帥伯爵東郷平八郎書」と書いてありました。さすが達筆。










かなりの高台にあり、運天港の周辺が一望できる景勝地です。本部半島の付け根にあたるこの地に、はるばると逃れてきたというのですかね。そのあと、彼はいったいどうなったのでしょう。
もともとこの為朝伝説というのは、保元の乱で破れて伊豆大島に流され、「追討を受け自害した」(Wiki)とされている人物。
同じWikiでは、

一方、琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、このとき追討を逃れて現在の沖縄県に渡り、その子が琉球王家の始祖舜天になったといわれる、伝説的な人物でもある。

とされており、このあたりは沖縄では広く知られていることです。
ただ、琉球王国の始祖の親にしては、運天の碑の扱いはお粗末すぎますね。もっとも、この伝説を鬼の首でもとったように「ほれ見ろ」という「憂国」の輩がいるので困りものです。
そんなことを言っている暇に、この碑のまわりの掃除や道の草刈りでもしたら?

運天港からぐるりと海洋博公園の方角に向かい、とりあえず「備瀬ふくぎ並木」に。ここには、防風林として作られたという木立(樹齢は250年〜300年)がず〜〜と続く、沖縄では珍しい並木道があるのです。近くにビーチがあることもあって、観光客がひっきりなしに訪問していました。
私はちょっとだけ気分を味わっただけで、早々に車に戻りました。とにかく外の暑いこと。
西表島での牛車のように、牛がひく車でのんびりふくぎ並木を行くというサービスもありましたが、昔から水牛を家畜としていたのならともかく、観光に何でも使えばいいというものじゃないですよね。


そのあたりから、周りは「リゾート地」一色になり、そこを訪れる目的は全くありませんでしたから、あとは本部を一周して名護へ。
名護にもどったところで、共同センターに寄って辺野古、高江の情報を集めました。
家探しをしていることを覚えていてくれた事務所の人が、「辺野古には空き家がたくさんありますよ。むかし米兵相手に商売していた店とか・・・」だそうです。ついでに「カヌーの練習を週一回やろうと思っているから、いっしょにやりませんか。フロートを越えるんじゃなくて、その手前で平和的に抗議する部隊をつくりたい」とも。私がいよいよカヌーデビューですか。私も海保に劣らず人相悪いからちょうど釣り合うか。
そのあと、すぐ近くのガストにもぐり込みました。フライドポテトとドリンクバーで2時間ほど粘って、今日のネットでの仕事をすませています。



  7月6日(月)
一昨日夜の各党党首討論会(NHK)を聞いていたら、自民・公明は結局言い古された同じ事しかいわない。高村(自民党副総裁)なんて最低ですね。
志位さんの追及に、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんですか。脅威は現実のものとなっているんですよ」と言った調子。砂川判決とそれに基づく72年政府見解を集団的自衛権行使容認の根拠として「国際情勢の根本的変化」をあげるのは相変わらず。
看過できないのは、NHK自身があたかもそうした読み替えが可能であるかのように解説していることです。どのように「国際情勢が根本的に変化」したのか、その具体的根拠を問うことはせず、抽象的な北朝鮮と中国の軍事的脅威をことさらに強調するだけでは、まんまと政府自民党の思惑にのってしまうというものです。。
「日米同盟」こそがその脅威への「抑止力」であるといいつつ、アメリカに追随することしか頭にない自民・公明の思考停止ぶりは国会論戦を通じて際立ってきています。

さて、こうした国会情勢に対して、新聞はまだしもマスメディアの中心を占めるTV各局の対応はどうか。テレビでは社説などというものはありませんから、彼らの情勢把握の度合いを知るのは番組の構成、あるいはニュースキャスターの対応くらいしかありません。
たとえば昨日・今日のテレビ欄を見てみましょう。戦争法案が国会で重大な段階を迎えているなどという雰囲気は皆無。幸せでノー天気な番組であふれていませんか。ニュース以外にせめてひとつぐらい時事問題をとりあげた特別番組を組んで、問題の所在を国民に知らせるというのはメディアとしての最低限の義務ではないのでしょうか。
沖縄の2紙ではほとんど全紙面をあげて、言論弾圧、戦争法案、新基地建設問題をとりあげ、問題の所在や現実に何が起こっているのかを追及し、かつ沖縄戦をはじめとするあの戦争時の記憶を後世に残す努力をつづけています。
テレビの場合はそれとは比べようも無いのかもしれませんが、いずれ必ず「あのときテレビは何をしていたのか」と問われる局面が来る。それもそう遠からず。私にはそう思えて仕方がありません。
さて、そのとき主要なメディアはどのように答えるのでしょうか。「民放はスポンサーがあっての民放であり、局独自では一方に荷担するような番組は作れません」とでも答えるのか。それじゃ、木原自民党旧青年部長の思惑をすすんで取り込んだのとおんなじですよね。

今日は10時頃から行動を開始し、名護の北海岸を大宜味に向かう間の集落でいくつかの公民館を訪ね、家探しをしていることを告げて協力依頼してきました。
ここでも返事はおんなじで、仏壇があるから空き家があってもほとんど貸さないという話。こればかりはどうしようもありませんから、こっちも根気根気で続けるしかありません。そのうち思いがけない人と出会うこともあるかも知れないし。

そのあとは東村高江に向かいました。東村に入ったところで食事をし(毎日のように沖縄そばをたべている)、食後の一服というのでコーヒーを飲みに「たちがあ」というペンション&カフェに初めて立ち寄りました。
客は誰もおらずマスターが一人で椅子にかけてくつろいでいるところでした。かなりこだわりの店のようで、庭も広く、主人の木工作品という椅子などがならべてありました。「おもしろいからすぐ下に行ってみたら」というので、何があるのかと庭から続く道を下ってみると、そこは「天空のテラス」。崖っぷちに突き出た広いテラスが作られていて、下の渓谷や海が見渡せるのでした。滝も見えるというのですが、それらしいものは見えましたが定かではなかった。
どうやってこのテラスを支えているのか上からは全く分からない。高所恐怖症なら完全にアウト。そうでなくても結構スリルを味わえる場所であることは間違いなありません。
戻ってマスターにどうやって作ったのか聞くと「命がけだった」とだけ答えて笑っていた。そりゃま、そうでしょうね。
ペンションにはリピーターがほとんどで、年に1度は庭でコンサートなどもやっているとか。沖縄にもいろんな方がいらっしゃいます。






そこからさらに30分ほどいくと、東村高江。テントでは月曜日の担当のOさんご夫妻のほか、10数人が「ゆんたく」の最中でした。
私は午後4時頃まで3時間ほどいましたが、その間にも周辺の自治体や本土からの応援者が次々と訪れ、いろいろ話をしていると時間経つのも忘れてしまいます。
辺野古の海でカヌーで抗議行動を行っている若い二人連れが来ていて、カヌーでの抗議行動の様子を聞くことができました。
一人は先日海保のボートが頭の上に乗っかってきて、運良く近くの人が気づいたからよかったものの、あわや大けが(スクリューに巻き込まれる)という状態だったということ。
海保指揮官の中には、台船にカヌーが近づいてはじめて拘束をはじめるのもいるけれど、中にはフロートを越えるとすぐに暴力的に排除するのもいる。海保への抗議活動とカヌーでの抗議とを交互にやっているという感じだと感想を述べていました。海保の中にはいやいややらされているというものいるのではないかという感想も。
常時20人ぐらいが抗議船とともに海にでているそうですが、台風接近で調査も休みとなるだろうから、しばらくは抗議活動も休みになるだろうとのこと。粘り強い抗議活動に頭がさがります。


高江からの帰り道から雨が降り始め、家に着いたとたんに土砂降りです。台風の影響でしょうか。雨の降り方がハンパじゃない。
沖縄では、こっちは土砂降りなのに、となりは晴れていて比較的短時間で雨が止む、それを繰り返す、という雨の降り方を「かたぶい(片降り?)」というのだそうですが、まさしくそれ。ただ、夕方になってからは本格的な雨になりつつあります。これで少しは涼しくなってくれたらいいのですが。南部のきび畑はどうなのでしょうか。

このあと台風9号が8日から9日にかけて沖縄本島にかなり接近しそう。どこでも台風対策をとりつつあります。向かいの畑のおじさんも、昨日一日かけて作物に覆いをかけていましたし、辺野古でもテントの撤去とか整理などをしているようでした。こちらでも雨戸を閉めたり、外に飛ぶものが内容にするなど、気をつけなればなりません。
明日は晴れていれば屋我地島から古宇利島に行き、本部を一周してこようと思っています。ただこれもお天気次第。8日夕方から9日一杯は、南城市の母が台風で心細いでしょうから、戻っていっしょに過ごすつもりです。



  7月5日(日)
身体がちょっと重いので、8時頃まで横になってぐうたらしていました。
朝6時頃、なんだかバラバラという音がして起こされた。まもなくザーとものすごい音をたてて雨が。久しぶりの雨ですが、振り方がまたものすごい。誰かが言ったようにスコール(実際は知りませんが)並の集中豪雨です。
ただ、これは通り雨で、雲の塊が去ればそれで終わり。ザーときてパッと上がる。そしてしばらくするとまた来るという調子。
これですこそ涼しくなるかなと思ったのが大間違い、雲が晴れると真夏の太陽がギラギラと照って、前よりもっと暑い空気が(湿気をいっぱい吸って)室内になだれ込んで来ます。
以前、池田町で住み始めたとき、稲の間を吹き渡る風、遠くの北アルプス、おいしい食べ物などを並べて「これが安曇野生活ってものね」とつぶやいたことがありましたが、今度は「あ〜〜、これが沖縄生活ね」です。
これは決して不満ではありません。こうした環境の中で、暑さをしのぐ「すべ」(赤瓦の建物など)を編みだし、気候を利用した作物をつくり、たくましく生きてきた沖縄の皆さんの生活のことを考え、これまであまり経験することがなかったこちらでの夏を体験しての感想です。
義兄のようにきび畑で過酷な労働をしたり、太陽の下で建設などの作業をしなければならない方々にとっては、この程度の感想などはまだ甘い考えかもしれませんね。とはいえ、これまでの「現代的生活」にどっぷりとつかり、利便性のみを追いかけ、快適な環境を手に入れたと錯覚している私などの過去の生活がいかにももろいものであるのかを思い知らされる機会を与えてくれていることは事実なのです。
たとえば、「快適だと錯覚している」安曇野ぐらしが、もし土台からそれが崩れたならば(たとえば電気などが途絶えたら)、冬の過酷さは沖縄の暑さの比ではないでしょう。
沖縄では、クーラーなどなくても人々はちゃんと生活しているのです。長野で、もし暖房がなかったなら、クーラーや灯油がなかったなら、その生活は思うだけで身震いします。

さて、今日は日曜日。1日から4日まで、結構急いでいろんなことをやってきたので、今日は私も安息日。洗濯をしたり掃除をしたりしておりましたが、ただ家でのんべんだらりも能の無いことなので、前に通過しただけの今帰仁城周辺を散策してくることにしましょう。暑くなければ釣りもやりたいんだけど。釣り道具屋をのぞいてみることにしますか。

名護市のお隣は今帰仁村。私が逗留している親川からは北に細い道をすすめばすぐに海岸に出て、そこから本部半島をぐるっとまわって30〜40分で今帰仁城跡に着くことができます。
途中早めの食事をしようと入った店が「ダチョウランド」付属の食堂。沖縄そばを注文してしばらくすると、常連のおじいさん、それにダチョウや山羊を飼育しているランドのご主人が入ってきて、おかみさんを交えていろんな話に花が咲きました。
住むところを探しているんだという話をすると、あそこのおばあさん子どもはたくさんいるのに、一人だけしか世話する人がおらず結局施設に入って、今は空き家になっているよ、すごい屋敷だよなどという情報が。まずはいろんな人とお友達になることが大事だと思って、今日のところは聞き置くことに。
参考までに、店においてあるダチョウの卵を見て「いくら?」と聞くと1個6000円だとか。ゲゲゲ、卵焼きが数十人分できますね。


結構その食堂で長居をしてしまって、1時近くに目的地の今帰仁城跡へ。日曜にもかかわらず、結構空いていた感じでした。
入場券を買って、中に入ろうとしたそのとき、朝と同じようにスコール状態の雨が。中に入ってからでなくてよかった。
雨が晴れるのをまって、いよいよ城趾の中へ。全国のお店の方々と同様、こちらでも商魂たくましい。暑くて水分がほしい場所を心得ていて、下のような看板が。さっそく福の神様となり、「さときびズース」を注文しましたよ。むさ苦しいオジイが来たからか、1杯しか注文しなかったからなのか、あんまり愛想がよくなかったなあ。


俯瞰図や説明図を見ると、城壁で囲まれたこのグスクは相当にでかい。
本丸に向かって一直線に伸びる石積みの階段を汗を流しながらのぼると海を望んでなかなかよい景色。北山(三山のひとつ)の要衝として築かれた城の意味がよくわかります。
だ〜れも写真を撮ってくれる人もなく、寂しくタイマーをかけて証拠写真を何枚か撮りました。これは遺影ではありません。






引き上げる頃には、Tシャツが汗なのか雨なのかわからないようなグショグショ状態に。またまた商魂たくましいお嬢さんに「黒糖ぜんざい」を注文し、えらく冷房の効いた休憩室に入って一息入れました。暑くなったり寒くなったりで何だか身体がぐったりです。


本当は、古宇利島に寄ってきたかったのですが、また後の楽しみということにして、早々に岐路につきました。
安息日の散策のつもりが、いつもより疲れてしまった。





  7月4日(土)
こちらは雨が降らない。スコールのように降る場所もあるというのですが、全体に高温状態が続いて、とくに南部のきび畑は大変な状態らしい。義兄がブログで毎日のように「干ばつ」状態の畑について書いています。
台風はまだ遠くにあるのに、ここ2日ほどかなり風が強く、ヤンバルではトンボが低く飛んでいました。しかし、雨は降りそうで降らない。
台風といえば、お隣さんとの会話で、昨年今私が借りている家の納屋が吹き飛ばされ、10bほど向こうまで飛ばされたと話していました。今度の台風には、風はいらないから雨だけ持ってきてほしいものです。

昨日の沖縄の新聞2紙は共通して、自民青年部の議員と百田の「沖縄の新聞をつぶせ」という発言や、普天間基地周辺の住民への中傷、それに慰霊の日の参加者を「動員」だったと発言した問題を重視、県議会での抗議決議、2紙の共同会見の模様を大きく報道していました。
たまたま口がすべったとか、休憩の合間の戯れ言などと言って済ませることができないのは当然で、沖縄にしてみればまさしく「県民侮辱」そのものです。また2紙にすれば「言論弾圧」ですから、「極めて危険」な動きだとして激しく糾弾しているのも当然です。
また、今日の琉球新報は、沖縄県内41市町村の首長に対して安保法案に対する態度を聞いた結果を紹介していました。法案に対して今国会での成立に「反対する」が回答者の約70%の23人、憲法違反とした首長が20人。とくに注目されるのが、法案が成立した場合沖縄が戦争に巻き込まれる可能性はどうかとの設問に、これまた19人(回答者の57.6%)が「高くなる」と答えたことを紹介していたことです。琉球新報は、県民の危機感を反映したものと分析していました。
政府与党は、中央公聴会を13日にも開いて、16日にも衆議院で法案採決を狙うというのですから、沖縄県民がどのような声を上げようが、全く聞く耳はない。このような政府がもたらす日本の未来はろくなもんじゃないという実感がますますしてきますね。

アブラゼミが、南城市でもここ名護市でも、うるさいくらい鳴いています。池田ではアブラゼミの鳴き声はトンときかかないのに、こちらには何と多いこと。子どもの頃の夏を思い出します。
セミに起こされたからなのか暑いからなのかわからず、ともかく今日も午前6時起床。食事をしたり洗濯をしたりしているうちに、もう8時です。雲が広がってあまり風がないので蒸し暑い。

今日は予定通り、南城市に戻って一日義母と過ごしています。
目的のひとつは、近くのJAスーパーで今日明日開かれている「マンゴー祭り」に行くことでした。午前10時頃にはすでに駐車場は満車。構内をぐるぐる3回ほどまわって、ようやく隙間を見つけて駐車。マンゴーが山と積まれたテントに行って、何箱か買い求めました。そのあとスーパーの前で休んでいたら、どこかのおばあが話しかけてくるのですが、ウチナーグチなのでさっぱりわからない。どうやら南部でもマンゴー農家が増えているようで、今回の祭りもその成果だというわけ。
午後からは奥武島の魚屋にいき、スクガラスを買い求めました。カラスグヮともいい、沖縄独特の小魚の塩辛のことです。冷や奴豆腐に載せて食べると実にうまいのです。
夕食のおかずに刺身とモズクを買って今夜は早めの夕食です。

写真は、義兄が畑で取ってきたという形がイチジクのような「レンブ?」。さっぱりした味で、サラダにもできると母は言っていました。前にも見たことがあるような・・・。







  7月3日(金)
午前6時起床。昨日買っておいたおにぎりセットと野菜スティックサラダを朝食にして、コーヒーをいれてゆっくり。何となく時間の経つのが遅い感じがします。理由は、ネット環境がないことですね、明らかに。
8時半頃から行動を開始し、まだ挨拶を済ませていなかったお隣さんにご挨拶。
外に出ると、すぐ近くの畑から収穫物を抱えて帰る途中の男性とばったり。立ち話をしていたら取り立てのゴーヤをくれました。あまりに大きいので、「じゃ遠慮なく」とひとつだけ受け取ると、「ホイ」ともう一つ手渡してくれました。
畑に入って奥さんの方にもご挨拶したら、今度は「こんなのどう?」とキュウリをひとつ。見たこともない茶色い瓜のような野菜に驚いていたら「煮付けにしたらおいしいよ」と気さくに話しかけてくれました。こんなみなさんと早く馴染みになれるといいですね。
後からわかったのですが、これは「モーウィ(赤毛瓜)」というのだそう。レシピはこちら。直売所やスーパーにたくさん並んでいたので、さらにびっくり。

そのあと、すぐ近くの公民館に行き、区長さんに会って家探しをしている事情を話し協力依頼をしました。「仏壇があるから、なかなかむずかしいねえ」と、ここでも同じような返事。名刺だけ手渡してきました。
その後は、名護中心街に向かう途中、今度はマックに寄ってネットチェック。これから辺野古キャンプシュワブ前の座り込み現場に行ってきます。

名護東道路を通れば30分くらいでキャンプシュワブ前に着きます。途中で大浦湾が一望できるのですが、4列で張り巡らされたフロートがずいぶん広がっており、抗議船と思われる船や海保の船があちこちに見えました。
キャンプ前に到着したのは午前10時過ぎ。各地の島ぐるみ会議のメンバーがバスなどで参加していてすでに100人くらいが座り込んでいました。
ほどなく米軍キャンプ前に移動してデモやシュプレヒコールで辺野古新基地反対の意思表示。県警機動隊の車が3月のときと同じように停まっていて、シュプレヒコールをあげ始めると「危険ですから道路上で立ち止まらないでください」「通行の妨げになるので、すぐに移動しなさい」などと、かなり威圧的な声で叫び始める。誰も通らない歩道上で、どんな危険があるのか、誰の妨げになるのか、さっぱりわからないマニュアル通りの「警告」をシュプレヒコールの声がかき消して、約30分ぐらいで抗議活動は終了。一同はテントに戻って昼休みです。
テント前では、琉球新報の記者(辺野古取材班)が交代で取材に来ていたし、最近はヨーロッパのテレビ局がよく来るという話もありました。「あなた方が何をやっているのか、世界中の人々が注目して見ている」とリーダーの男性。海外の記者は、日本の治外法権的な基地の態様と、こうした抗議行動が何日も続けられていることに一様に驚きの表情を浮かべるのだとか。さもありなんです。
テントの向こう側では、機動隊のみなさんが米軍のために、こちらにカメラを向けて「証拠」の収集に余念がありませんでした。黒づくめのお方は鼻の穴しかわかりませんが、とにかくこのような連中が我々を監視しているのだという証拠を、全国のみなさんにお届けしておきます。










昼休みを区切りに、続いて東村高江に向かいました。途中昼食のつもりが、あまりの暑さに「ミルク黒糖ぜんざい」(実は小倉かき氷)で済ませ、4月にも訪れたコーヒーショップに寄って豆を買い、3時近くに高江に到着しました。今日の高江はことのほか遠かった。暑さのせいなんでしょうかね。
こちらでは10人ほどが、思い思いに寝そべったり、会話したりして、一見所在なさそうな様子。
午前中は30人くらいだったそうで、テントを預かっている人たちは、業者や防衛局の関係者がいつどのように偵察に来たり、不意打ちを食らわせるかわからないので、とても緊張していると話していました。
写真で車やテントが映っている場所は、まだ着工していない4つのヘリパッドの工事車両の出入り口。ここを封鎖して工事ができないようにしているのですが、最近このゲート前の県道路側帯を米軍基地の一部として専有化する方向で動き出しており、とにかくこの”邪魔な”テントや車も強制排除してしまいたいのです。
ノグチゲラの営巣期間が終わったので、いつ工事に入るかわからない状態になっており、いざというときのために人を集めたり、情報発信したりすることが急がれると話していました。
米軍への思いやり予算は一日あたりにすると5億円。お金で足りなくて、土地も、水も、貴重な自然もアメリカにくれてやる気前のよさ。これを「売国奴」と言わずして何を言うのでしょうね。
高江のみなさんのたたかいを支援する人たちは増えてはいるものの、まだまだ人が足りない。米軍、日本政府が恐れているのは、こうした無法な基地建設が全国に知れ渡り、抗議行動があちこちで巻き起こることです。
帰りがけ、山原の植生の豊かさに目を奪われながら、あちこちによって買い物をして、午後6時過ぎ家につきました。






外にでると汗にまみれるので、帰ってからシャワーを浴びて洗濯するのが日課に。これから、モスバーガーに行って涼みながら、今日の分をアップします。



  7月2日(木)
義母は月、水、金とデイサービスに出かけるので、今日午前中はいっしょに過ごせます。昨夜の話では、デイサービス以外の日は7時頃起きると言っていたのに、今朝は6時頃起きて新聞を読んでいました。
私は、2時頃一度目が覚め、水分補給をしてから上半身裸になって何も掛けずに寝ました。夜でも室温30度、湿度80%という条件を一度体験すれば、たいていのことは出来るように思えてきますね。
7時前には簡単な朝食をつくり、また一緒に食べました。少量だけど、何でもよく食べるのが健康の秘訣か。目も耳もいいので、よく会話ができます。

昨夜のニュースで、与党が法案の審議時間80時間を一応クリアできるので7月中旬にも委員会採決に持ち込むという腹づもりを固めたことが報じられました。
200人以上の憲法学者、8000人近くの科学者、歴代の内閣法制局長官らが声をあげ、憲法違反と断じているこの法案が、いったい如何なる根拠と正当性を持つのか。安倍内閣は砂川判決など見当外れの「根拠」を口にするだけで、まともな説明をすることができない。これもまた「丁寧に説明する」などと言いながら、結局は愚にもつかない「説明」を繰り返すだけで、ただ時間がたったからと「審議は尽くされた」というのですから、あまりにもお粗末な政治状況です。
国民を欺いても、彼らは「戦争国家」を作りたいのだと私には思えます。その「戦争国家」には「国民の生命・財産を守る」などという観点は皆無。ただ軍事産業とそれに群がる利権集団の利益、多国籍企業の利益、国家権力の構造(政治屋の利益)をいかに守るかということしか念頭にない。このことははっきりさせておかなければなりません。
そうでなければ、8割の県民が反対している辺野古への新基地をいかなる強権を発動してもつくる彼らの論理を説明することができません。そしてまた、全国の原発を再稼働させる説明もつきません。

今朝の琉球新報は一面トップで、一連の報道圧力問題や昨日の大西自民党議員が「報道機関を懲らしめる」と発言した問題で「公明代表に陳謝」したことを報じていました。だいたい陳謝する相手が違うでしょう。社説では、大西議員らウソを流した連中は辞職しかないと厳しく断罪。安倍さんが自民党総裁として彼らに責任を負えないのなら、自らも潔く辞任(総辞職)すべきです。

午前中、義母から昔話をいろいろ聞いていました。ただ「そんな話思い出したくもないよ」となるので、何かの弾みで話が聞けるだけ。
お昼に近づくにつれて、気温がさらにあがり風もかなり強くなってきました。友人の話では、梅雨明けも異常に早く、その後は高温続きで雨も降らない。「異常気象だね」だそうです。
庭は、4月に来たときよりははるかに彩りが加わり、アゲハが何羽も飛び交っていました。シークヮーサーの木には、今朝羽化したと思われるアゲハがぶら下がっていましたよ。








予定通り、午後1時玉城を出発して、名護市にあるUさんの別荘に向かいました。そこはUさんのご両親が住んでいらっしゃった建物で、兄弟たちが沖縄を訪問するときなどのためにとってあるということで、私のあとすぐに何人かが入ることになっているのです。
高速からほとんど直通の名護東道路という新しい道路ができたこともあって、約1時間で目的地に到着しました。さすがに名護市親川は古い住宅が多く、入り組んだ住宅地の一角にその家はありました。
さっそく中を案内してもらったところ、ご両親が住んでいたときとほとんど同じ状態で、月に1度は手入れに来ているというだけあって、いろんなものがそろっており、日常生活には何の心配もいらないほどでした。
ただ、エアコンは当然のこととしてありませんので、窓を開け放し扇風機をつけてまたもや上半身裸で過ごすことに。多少は外から見えますが、どうってことはありません。
ただひとつだけ難点は、WiFiが圏外であること。これは想定外でした。従ってブログをアップするには、名護市に行ってやるしかありません。ガクッ。




少し休んでからあたりの探検をかねて、名護市共同センターに向かいました。ここは、本土から辺野古新基地反対のたたかいの応援に来る人や情報発信の基地で、千葉、神奈川などから応援に来た人がパソコンに向かって情報発信している最中でした。
私はセンター責任者のNさんと30分ほど懇談、家探しをしている事情を話して、それが新基地反対のベースキャンプとしての意味を持つことも説明して、協力を依頼しました。
親切に応対していただいたものの、基地建設をめぐる情勢は極めて緊迫した状態であるだけに、皆さんは多忙を極め、別荘探しは思い通りにいくかどうか全くわかりません。
翁長知事が埋め立て承認の取り消しを今月半ばに行うことはほぼ確実ですから、それを前後して沖縄はひとつの節目を迎えることは確実。知事を先頭にした県民総ぐるみのたたかいが、戦争法案阻止と結んで沖縄で力強く発展すれば、それは全国のたたかいと呼応し巨大な力になるはず。センターはそうした意気込みでいっぱいでした。
当面、新基地建設反対の現地座り込みの人々をいかに分厚くするかが焦点だとUさんは話していました。私も時間をみて、キャンプシュワブ前に出かけることにしましょう。



  7月1日(水)
無事沖縄の妻の実家に到着しました。那覇空港に着いたときには、それほど暑いという感覚はなかったのですが、それが大間違い。クーラーの効いた車から外に出るとメガネが曇って外が見えない。モノを取ろうとちょっとかがむだけで汗が噴き出す。夕方になるとその度合いがますます激しくなってきました。沖縄の古い家ではクーラーなんて無い。これが当たり前の気候なのですから、もう慣れっこなんでしょうね。

那覇空港について、待っていたレンタカーの会社のバスに乗り込むと2組しかいないのに、すぐに出発。15分ほど先にある会社に行き、予約通り月極で車を借りました。以前妻が借りたものと同じ韓国車。普通乗用車でなかなか乗り心地もいいのに、結構安いのです。
途中のスーパーで夕食の買い物をして南城市の実家に着いたのが午後7時。母は膝や腰が痛いと言いながらも何とか元気でいてくれました。
まだ食事前だというので、すぐに簡単な夕食を作って一緒に食べ、息継ぐ暇もなく、近くの農協スーパーのベランダで、明日から家を借りる大家さんUさんと落ち合ってご挨拶。明日午後1時に待ち合わせをして名護市に向かう手はずを決めました。
すぐに折り返して家に戻ったのが8時半ごろ。ようやく落ち着きました。


縁側で外をみると、今日は満月?雲間から明るい月が見えました。あれはホタル?飛んでいる小さな光をみつけたが明滅しない。それもそのはず飛行機でした。風があるので、外にいると何とか過ごせるのですが、部屋の中は30度近くあるので、さて今晩が大変です。慣れるまでは、我慢、我慢。

いかがですか。もはやリアルタイムで沖縄のことがホームページにアップできます。このちっちゃなWiFiデバイスのおかげで、外にいても電波の届く限りは状況を報告することができます。
写真は那覇空港近くの道で見かけた街路樹。






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