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  12月31日(土)
いよいよ大晦日。例年になく慌ただしい日々でした。家のことが何にもできないまま、ずるずると今日。今日もまたあっという間に過ぎていきそうです。

さて、「安曇野つれづれ日記」のはずが、「安曇野」でもなく「つれづれ」でもないと酷評されて、まる13年。ということは、ここ池田町に来てから5月で13年が過ぎるということです。
飼い猫のハルちゃんも同じくらいの年ですから、人間に換算して×5=65才。三人三様(一人はネコ)に年をとったものです。妻は、「このごろ思い出せないことが多い、ボケがはじまったかしら」というので、「途絶えている日記を書きなさいよ」と話しているところ。
「あなたのようなのと並べられると」というので、「小難しい私のよりそっちの方が絶対よく読まれるに決まっている」と言うと、「正月からまた書こうかしら」と多少その気になったようなので再開してくれるのを期待しています。
私の方も、そろそろリニューアルして「ウチナーときどき安曇野くだくだ日記」とか、「ずるずる日記」とかに名称変更しようかとも。ときには、もうそろそろ書くのをやめようかなという声も頭をかすめているのです。
とはいえ、これだけ続けてくると生活の一部になっている気もするし、何かをアピールしたいときは一方的ではあれ、伝えることはできるし、ブログやフェイスブックで拡散して下さるかたもいるので、それを励みに何とか続けているというのが現状です。このように生活している、考えているという記録ですから、あんまり力まないで行きますかね。といいながら結構「くだくだ」書いてますけどね。

私の場合は、ブログといっても自分で作っているサイトなので、カウンターもない一方通行。一体どれくらいの人が読んでくれているのかもわからない。この13年でサイトからメールを送ってくれた人は5人に満たないので、ブログやフェイスブックなどとは比較にならない。双方向じゃないってことです。
名前こそ大っぴらには掲げていませんが、記事をたどればいたるところで露出していますから、ああ、あいつかというのはすぐわかる。それなりに責任を持って書いているつもりです。
何度でも同じことを繰り返していますが、自分の周りでも、もっとひろく社会全体でも、まともな物言いをするということがものすごく要求されていると思うのです。社会正義に反することは許さないで声を上げること、ものを言うことが、いつにも増して必要な時代になっている。だから、言い続けなければならないとも思います。

戦争前は、いつの時代も「戦争なんて起こりっこない」「どれはどこの話なのか」という空気が満ちていて、人々は日々の生活に追われているのです。何かヘンだと思ったときには、もうすでに歯止めがきかないほどに流されてしまっている。
くい止めるのはいま。戦争にしろ、環境破壊にしろ、ひょっとしたらもう後戻りできないところまで来ているのかもしれない。そのくらいの感覚で現状を見ていく必要がある。そんな気持ちが、まだこの「くだくだ日記」を書き続ける原動力になっています。



  12月30日(金)
糸魚川大火救援の義援金・支援米の募集第2日目が終わりました。予想を上回る大勢の人たちが来てくれたようで、訴えた気持ちが伝わったかとみなさん感激していました。
2日間で100名(スタッフ除く)を超える方々が会場のスペースゼロまで足を運んでくれました。寄せられた募金は28万円強(義援金とあわせて募ったネットワーク運営費を含む)、お米は1120kgにものぼりました。すごいことです。おまけに今日横浜のいとこがわざわざ義援金を送ってくれたのも想定外でした。ありがとね。
会場の都合で、いつまでも米をそこに置いておくわけにはいかないので、年明け早々知人宅に保管してもらい、10日過ぎには糸魚川の救援窓口と連絡をとって、直接届ける予定になっています。
元町長の飲酒運転事故にはじまり、秋の大麻栽培事件、おまけに公民館使用取り消し問題と、芳しくない話が多かった我が池田町ではありますが、何とか年の瀬を、よいニュースで締めくくることができたんじゃないでしょうか。池田町のみなさんの優しい気持ちは別の形でもきっと生かされると思います。
足を運んで下さったみなさま、スタッフの方々には心よりお礼申し上げます。

何とも忙しい年末でした。昨日は、仕事から帰り、糸魚川支援のまとめを聞いて、ようやく年賀状でもと思ったら、年賀状ソフトが言うことを聞いてくれない。
あれこれあれこれやっていましたが、結局埒があかず、もう一台の補助用パソコンにソフトを入れてやり直し。
昨日はソフトを入れるところまでやり、今日はいざと思ったら、今度はWindows10がアップデートとやらで、今度は何と2時間ほどかかってしまったのでした。一体どんなアップデートをしたのか。
もっともほとんど使わないデスクトップ機なので、溜まっていたアップデートを一気にやったのか。もう少し気をきかせてほしいものです。
それで、9時頃からようやく年賀状にかかって11時少し過ぎに全部おわりました。やっと自分の年末が来たという感じになったのが12時ちょっと前。あと今年も1日しかありません。
明日夕方は息子夫婦と孫がやってくるので、それまで大掃除やらおせちの準備やらで、これまた忙しい。それでも、なんとなく気持ちは楽。久しく聞いていなかったネットラジオでモーツアルトを聴きながら、日記の更新をしているところです。



  12月29日(木)
糸魚川大火被災者救援の初日。私は予定があって、午後4時頃まで松本にいたので、全く参加できず。それでも気になるので、電話で様子を聞き、さらに終わってからも皆さんから状況を知らせてもらいました。妻は終日参加してくれていたので、詳しく状況を聞くことができました。
まず概況から言うと、ネットワークのスタッフは6〜7名。スペースゼロで午前10時から午後3時まで受付。新聞折り込みと無線放送での案内のおかげで結構沢山の人がやってきてくれました。
受付名簿で見る限り、お米を持ってきてくれた人が25人、約400〜500キロにのぼり、義援金を寄せてくれた人が17人、合計で約10万円くらいでした。名簿に記載しないで、お金を入れてくれた人もいるようなので、合計では50人以上の人が来てくれたのではないかと思われます。


「よくやってくれた」という人、小銭を沢山袋に詰めて持ってきてくれた人などいろいろ。やはり米どころですから、お米を持ってきた人が多かった。明日もう1日取り組みますから、相当なお米と義援金になるのではないでしょうか。

昨日・今日の新聞各紙は、一昨日の弁護士さんたちの抗議声明や私達の質問書の提出をかなり大きく報道していました。
大きく取り上げていたのは、中日新聞大糸タイムス。中日新聞は、文科省の担当者の社会教育法についての見解として、「特定の政党ばかりに使用を許可してはならないとの趣旨」というコメントを紹介していて興味深い。当然と言えば当然ですが、文科省がこのような見解を出していることは町や教育委員会にとっては打撃でしょう。
なお、信濃毎日新聞市民タイムスも同様の記事を掲載していました。



  12月28日(水)
「和解」とは何か、「明日を拓く、『希望の同盟』」とは何か。「歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国になった」などという安倍首相の「誇らしげ」な顔を見ていると空々しくて気分が悪くなる。
アメリカへの顔とアジア諸国への顔とのツーフェイス。本土向けと沖縄向けのツーフェイス、いやいや、いくつの顔になるのかな。


妻が言うには、今日出掛けた会議で、集まった女性たちが「一日中『あの顔』がテレビに出ていたので嫌になった」と酷評していたのだとか。さもありなん。
胸くその悪くなるようなアメリカに対する媚びは、良識あるアメリカ国民なら見抜いているはず。そんな安倍を支持している国民がたくさんいるこの国の実状も。下は今日のしんぶん赤旗にのった風刺画。沖縄県民ならばこんなお調子屋を許すはずがない。


翁長知事が「埋め立て承認取り消し」を取り下げて、政府は間髪を入れずに工事再開に踏み切った。一連の動きをみていると、やはり日本は法治国家ではないと感じます。
管官房長官は口を開けば「法治国家」だという。都合のいいときには法治を持ち出して、法律など無視しているときはだんまりを決めこむ。
彼らがカネと権力にものを言わせて、まずやることは世論の分断。弱いところから切り崩していくのは権力の常套手段です。これに一丸となって立ち向かっていくのは容易ではありません。
たとえば、承認取り消しを取り消したことに対して、最高裁判決は拘束力はないのだから、もう少し頑張って「撤回まで持ち込んでほしい」という声がある一方で、宜野湾市のように早く普天間を撤去するために辺野古をすすめよという声も出てくる。
そうした声には、議論を重ねて合意点を見いだすしかない。方向は同じ、しかし方法論で食い違うことだってある。諦めないこと、粘り強く話し合うこと、沖縄のたたかいが教えてくれたことはそれだから、必ず乗り越えて新しいうねりをつくりだしてくれることでしょう。


北上田さんのブログによれば、辺野古で何の工事も始まっていないのに海保のボートが10台も出ていたのだそう。陸では機動隊、海では海保がアメリカのガードマンとしてやりたい放題なのです。何の痛痒も感じずに、弾圧などというコトバすらわからないままに、言われたとおりの行動をしている。
抗議するみなさんもギリギリ歯をかみしめながら、海にでているのでしょうね。



  12月27日(火)
今日は、午後2時から自由法曹団が池田町町長宛に公民館使用許可取り消しをめぐって町長室で抗議の声明を手渡し、そのあと記者会見をするというので、それに会わせて役場に。
集まった記者のみなさんは、地元の信濃毎日、市民タイムス、大糸タイムス、中日の各紙と信州テレビ。信州テレビはさっそく今日のニュースで、ほんの短時間でしたが流してくれました。




その後、別室で弁護士のみなさんが記者会見。私たちも後ろでその模様を傍聴しました。
まず、自由法曹団の金枝弁護士(あおぞら法律事務所)が、声明文にそって抗議文の内容を説明。今回の公民館使用取り消し処分が憲法21条1項に違反すること、さらに池田町の行政処分手続き条例13条1項に違反することを明らかにし、自由法曹団長野県支部としてこれに抗議するとのべました。
その内容前文は、公民館問題のコンテンツに収録しましたので、ぜひ原文にあたっていただきたいと思います。ただ、画像としてまとめたのでPDFファイルが15メガ以上あります。ダウンロードする際に気をつけてください。

公民館使用許可取消処分に抗議する声明  自由法曹団長野県支部




弁護士のみなさんは、言論・集会の自由が脅かされる事態には極めて敏感で、過去の事例なども深く研究された上で今日の声明発表に臨んでくださったようで、心強い限りです。

続いて、公民館使用許可を取り消された団体である、我ら「つどい」実行委員会の代表団が、16日に町が文書で示した回答に対して「質問と要求」を池田町と教育委員会に提出しました。
16日以来10日ほどかけて準備したもので、結構長いものになってしまったのですが、私たちの聞きたいことはほぼ網羅しています。
余りに理不尽かつ不当な町のやり方に対して、町民の権利を守るためにも一歩も引けない私たちの態度表明。これにもメディアのみなさんは関心を示してくれて、参加者にいろいろと質問をしていました。明日の新聞でどう報道してくれるか。
町当局は、弁護士とも相談して年が開けてから検討し回答すると返事。長丁場になりそうですが、最後まで頑張らねば。

池田町の「回答」に関する質問と要求  つどい実行委員会


昨日印刷した糸魚川大火被災者救援のチラシ、読売が今日さっそく折り込んでくれたようです。28日と指定していたのに、出来るだけ早くという「気持ち」からだったのでしょうか。募金・物資集めを手伝ってもよいという電話もありました。
ただ、私は明日から3日間、アルバイト。救援の時間と重なるので、みなさんにお任せです。
MNEMOさんの最後の一言、それはちょっと・・・ね。私には、尻を叩いてくれ、さらに私が都合悪くても「任せてくれ」という仲間たちが大勢いますから。一人だったら、何にも出来ないんじゃないかなあ。それに、私にはLove&Peaceのコンサートなど逆立ちしても出来ませんし。それぞれの持ち場でやれることをやる、それだけですよね。



  12月26日(月)
毎日あまりにもパソコンに向かっているので、少々草臥れています。
いま私がやっていることといえば、1つは明日町に提出する「町の『回答』に対する質問と要求」のとりまとめ。要するにみんなから出された意見をまとめて書類にすることです。細かい詰めの作業があるので、結構疲れる。
2つは、糸魚川大火の被災者のみなさんへの支援活動の準備。まあ、今のところはチラシの準備くらいですが。
今日はそのチラシの印刷を公民館で行い、28日に新聞折り込みが出来るように手配してきました。午前中一杯かかった。


年末の29日、30日ですから、皆さん気ぜわしい時期。しかし、年明けになれば救援の意識も薄れるかもしれないし、新しい年に少しでも早く義援金などを届けたいという思いで一致して、年末ぎりぎりにとりくむことにしたのです。
ただ、私は仕事のために義援金、お米集めには全く参加できません。今回は、事務局の担当を代わってMさんにになってもらい、私はもっぱら準備係。会場には妻に出掛けてもらい手伝ってもらうことにしました。
何とかみなさん、来てくれるとうれしいですね。



  12月25日(日)
今日の信濃毎日新聞の一面。

東日本大震災の津波にさらわれ、福島県大熊町でただ一人行方不明になっていた木村紀夫さんの次女汐凪(ゆうな)さん(当時7才)の遺骨の一部が24日までに、自宅跡近くで見つかった。震災から5年9ヶ月・・・・

木村さんは避難先の白馬村から信州の仲間とともに捜索に通い続けていたのだそうです。
海岸近くで瓦礫を捜索していた作業員が9日、小さなぬいぐるみの付いたマフラーの中から遺骨の一部をみつけ、さらに11日になって他の骨も発見され、DNA鑑定の結果汐凪さんと確定されたというのです。
「津波で妻と父親も失った木村さんは、「汐凪さんがここで待っていると信じ、白馬村から毎月自主捜査に通った」「過剰なエネルギーに頼らない暮らしづくりの場に取り組む木村さんを支える長野県内の有志や、福島県内外の仲間も大勢、捜索に参加してきた」信濃毎日はそう書いていました。木村さんは「娘からクリスマスプレゼントを受け取った気がする」と語ったとも。
だが、その場所は今も原発事故による避難区域。当初から十分な捜索ができなかった苛立ちややり場のない憤りも募る、と仲間たちの痛切な声を紹介していました。
ようやく愛娘に再会できた木村さんの心情を思いやって胸に熱いものを感じながら、MNEMOさんが「トーホグマン」で描かれた、修二が津波で流された娘と再会するシーン(第1章「その日」16ページ)を思わず重ねてしまいました。

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ところで、「サステナバブル」(sustainababble)という言葉をご存じだろうか。実は私も初めて聞いた。
サステナブルの間違い?そうじゃないんですね。これは多分、米ワールドウオッチ研究所の造語で、sustainable(持続可能な)にbabble(おしゃべり)をくっつけたもの。
発行が待たれた最新版「地球白書2013-14」の冒頭がこの言葉ではじまっているのです。
「私達は今、『サステナバブル(sustainababble)』の時代を生きている」
ワールドウオッチ研究所の問題意識はこうです。サステナブルという言葉が度をこえて、もともとの意味がほとんど薄れ、「持続可能な車」「持続可能な下着」などという使い方さえメディアに溢れている。「持続可能な」という言葉は「グリーンな」という言葉と同じように曖昧でなんとなく環境によいというイメージしか持たなくなっている。この言葉さえ使えば、永遠に快適な生活が保障されるかのように思い込まされている。
これは、環境問題が生活に浸透してきたという一面を持ってはいるが、サステナバブルの代償は高くつく・・・ワールドウオッチはこのように書き、さらに続けて、次のように指摘します。

環境と気候に関する国際サミットは開かれたが、失敗に終わっている。環境が人類にとって壊滅的な変化をする可能性があるというのに、各国政府は何も行動しないからだ。このような状況で、持続可能な世界を実現するために、現在の行動様式を変革する方法が人類にまだ残されているのだろうか。持続可能な社会の実現は、まだ可能なのだろうか。もしそれができなかったら、持続可能でない社会はいつ、どのように終わるのか。その終焉の渦中、また終焉後、人類はどのように生きていくのだろう。言い方はどうであれ、この厳しい問いを発し続けなければ、自滅の危機にさらされるだろう。
本書は、乱用、誤用されている「持続可能な」という言葉に関して、広く深く議論することを目指している。


もっとも、私はワールドウオッチ研究所のメルマガを通して刊行を知り、特別価格だというので入手したのですが、かつて知っていた翻訳本とは異なってコンパクトサイズになって、字が極端に小さい。だから内容は膨大。メルマガにも次のように書いてありました。

原書が例年の1.5倍ほどの380ページという大部のもので、原文照合あるいはNoteのサイト、さらには関連サイトの検索など、19か月を要しました。
「2013-14年版」ではありますが、日本も世界もますます「強欲な資本主義」が跋扈し、格差は拡大し、野党はイデオロギーを失い、所得再分配が軽視され、「温暖化なんか捏造さ」といった風潮で、本書の内容は、問題提起として、決して色褪せてはおりません。


「野党はイデオロギーを失い」はちょっと違うと思いますけど、この本の問題提起は極めて大事で、議論の素材としては格好のテキストになっていると思います。
北アメリカのイロコイ族には「7代先の世代への影響を考えた上で、物事を決めよ」という教えがあることや、他のアメリカ先住民族に「我々は大地を先祖から譲り受けたのではない。子孫から借りているのだ」という言い伝えがあるということも書いてあって、ハッとさせられる。

この本、到着したばかりなので、読むのはこれから。いやいや相当に時間がかかりますね。それでも読むだけの価値はあるんじゃないかなあ。

今朝の北アルプスはすごい。何が凄いかって? 私の貧困な語彙ではコトバにできません。写真でも伝えられない。ぜひその目でみてほしいなあ。
麓はだいたい海抜600メートルで、常念岳が2857メートル。燕岳が2763メートル。他の山々も2600〜2800メートル級だからその落差2000メートル以上あるんですね。地殻変動のすごさにあらためて感心しています。





  12月24日(土)
今日は午後から松本での子ども塾。前半はお勉強で後半はクリスマス会でした。本当ならもっと沢山の子ども達がいるのですが、おうちでクリスマス会をやっているのか、友達同士でやっているのか、ちょっと少ないのが残念でした。
前半には、中3の1人の子の面接の練習。もうそんな時期になったのかと、つい真剣に対応しました。
クリスマス会は、勉強もそこそこ子どもたちが待っていた時間。短い時間でしたが小学生を中心にビンゴで結構盛り上がりました。様子見に来た信濃毎日の記者さんも仕事といいつつ楽しそうに見守っていてくれました。
「みなさんボランティアなんですか?」と、意外と言いたげな感じの記者さん。「そりゃまあ、何か社会の役にたてたらと」と言ったのは大学の学部・学科も一緒だった一年後輩。「さんざ、悪いことしてきたからね、少しは良いことしないと」と答えたのは私。いずれきちんと取材したいと言っていました。
下の写真は、もともとボケていたのをさらにボケボケにしてあります。悪しからず。でも雰囲気は伝わっているでしょ。


MNEMOさんが、今から4年前のことを記していらっしゃいました。もう4年も前のことになりますか。我が愛車「スバルの軽トラ」はその頃はほとんど新車でしたね。今は相当に使い込んでちょっと・・という感じになっていますが、オイル交換だけはしっかり3000キロ毎にやっており、高品質のものを選んでいるので、エンジンはバッチリ。
転載して頂いた21日の写真は、池田町から県道51号線を北上し、旭町で左折する国道147号線に合流した直後、大町駅入り口の少し手前、大糸線の跨線橋を少しのぼったあたりから撮ったものです。ここからしばらくいくと、国道は148号線(起点は大黒町交差点:信号は一中東)に変わるんですね。
ここから北アルプスが一気に開けて、天気の良い日は蓮華岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、白馬五竜が一望。2600メートルから2800メートルの山々が並ぶ景観は本当に素晴らしい。MNEMOさんにはよくぞ遠路はるばるかよって頂きました。懐かしく思い出しています。

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奥様は今日は無料のクリスマス・ボーリング大会だそうで、ケーキを賭けて戦ってくるのだとか。
出掛ける前に一緒に22日の沖縄の「オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」の録画(琉球新報社)を最初から見ておりました。会場は、名護市役所に隣接する市営の「名護市21世紀の森屋内運動場(21世紀の森体育館)」。
沖縄選出の衆参国会議員が全員出席して短時間だけれども迫力あるあいさつ。ヤンヤの声援、喝采。参加者全員の熱い視線に迎えられて登壇した翁長知事は、例のごとく「ハイサイ、グスーヨー」からはじまる挨拶。何だか吹っ切れて完全に腹を据えたような印象を受けました。それを大歓声・指笛が包み込む。本土の集会には決して見られない光景です。
そのあと登壇した名護市長も、ウチナーグチが多かったので、妻に翻訳文を書いてくれるように頼みました。妻の言うには、「チューウガナビラ(ご機嫌いかがですか)」などという言い回しは南部ではあまりなかったようで、一部分からないところがあるのだそう。妻が分からないんだから分かるはずがない。





  12月23日(金)
一昼夜燃え続けて、ようやく鎮火した糸魚川の火災。焼け跡がライブで映し出される度に、この寒空で焼け出された人たちはどれほど心細く辛い思いをしていることだろうと思います。
糸静線というほどに、池田・大町からみれば糸魚川は日本海への出口にあたるところ、多くの町民・市民にとってはなじみのところです。よく魚を食べに行ったとか、温泉に行ったとかという話がでてきます。
やはりここは、「被災地支援池田町民ネット」の出番かなと思い、メンバーと語らって町民のみなさんから支援物資と義捐金を集める相談をしているところです。明日夕方には具体的な計画ができあがり、年内にもその行動にとりかかれるのではないかと思っています。

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Ospreyとはタカ目の猛禽類の一種である「ミサゴ」を意味するのだそう。見た目はぜんぜんそんな感じじゃないけどね。このOspreyに関して「Osprey Fuan Club」というサイトをみつけた。
Fan clubかと思ったら「u」の一字が多かった。「不安クラブ」なのだ。それはともかく、そのリンクを辿っていったら、12月16日には高江で浄土真宗の僧侶20人が抗議の座りこみを行ったのだといいいます。このお坊さんたちも機動隊によって、例の如く「ごぼう抜き」にされてしまったらしい。機動隊のバチあたりめ。




Fuan Clubさんは「非戦を訴える僧侶が武装警察に弾圧されるとき、機動隊に引きずられて排除されるとき、それは時代の分岐点、時代の呼び声だといってもいい」と書いていた。本当にその通りです。
私自身は、幼いときから祖母が熱心なお東の信者で、念仏「なむあみだぶつ」ときには「なんまんだー」だけではなく正信偈なども聞かされて育ったために、それなりの親近感があります。宗教を信じる者も信じない者も、この世のことについては手をとりあえる。
浄土真宗本願寺派総合研究所は昨年の「平和に関する論点整理」で次のように書いていました。読むと、結構仏教者としてよりも1個の人間としての思想信条にかかわる問題にも触れるだけに「こんな考えもこんな考えもある」という書き方になっていて悩ましそう。まだ検討も道半ばという印象を受けましたが・・・。

仏教は、釈弛の時代から多様で豊かな教えの世界を生み出してきましたが、「平和」はその核心にある考え方であり、理想でもあります

確かにその通りでしょう。しかし、戦前は、この教義の上に「国体」を置いて、それとの整合性をいかにとるかに腐心した歴史的な経緯がある。やはりそのことを忘れずに議論をつづけてほしいものだと思いました。
もちろんですが、この日の僧侶のみなさんの行動には手を合わせてしまいます。



  12月22日(木)
糸魚川での大規模火災のニュース。富山に帰るときによく脇を通っていただけに無関心でいられません。何とか早く鎮火してほしいものです。
池田町でもものすごく強い風が吹き、野菜の霜よけの覆いが飛びそうな勢い。こんなときにどこかで火災が起こればどこまで広がるか予想もできません。
富山で大火があったのは昭和31年の魚津大火。私が小学生のときですが、空が焦げていたというかすかな記憶が。さらに小学生の時には我が家の隣が火事になり、塀を破って家財道具を我が家に運び込んだのを見ていた記憶が鮮明に残っています。

さて、今日は沖縄北部演習場の「過半」を返還すると称する返還式が名護市の万国津梁館で開かれました。
安倍首相は官邸で「返還は基地負担軽減にとどまらず、跡地利用を通じて地域振興に大きく寄与する」と成果を強調した(琉球新報)そうですが、跡地利用をどうしようというのでしょうか。管官房長官も「沖縄の負担軽減」を口にし、翁長知事の欠席を「極めて残念」など発言していましたが、白々しい。
在日米軍専用施設面積の割合は、返還後も70.6%(返還前は74.4%)。沖縄に基地が集中している実態は何も変わっていません。
今一度、米軍資料をひもといて見ましょう。次は今年7月に琉球新報が報じた米海兵隊の「戦略展望2025」の中の記述。

・最大で約51%の使用不可能な北部演習場を日本政府に返還する間に、限られた土地を最大限に活用する訓練場が新たに開発される。
・キャンプ・シュワブについて「すさまじい変化を遂げる」と強調
・嘉手納より南の米軍基地の返還・統合計画については「海兵隊は、次世代の海兵隊員やその家族を支えるための最新で、近代化され、効率的な施設で利益を得るだろう」


沖縄では今日午後6時半から名護市で「オール沖縄会議」による「欠陥機オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」が開かれています(これを書いているのと同時刻)。翁長知事も出席して挨拶したとのこと。いまIWJ_Okinawaに接続して見ています。4200人の参加。名護市長の発言の半分はウチナーグチ。わからん。「われわれは引かない、諦めない」・・喝采、指笛。これはわかった。翁長知事と手をとっての最後のガンバロウ三唱はあの玉城愛さん、それに応える人たちの声援。ものすごい熱気と気迫です。ぜんぜん政府に負けていない。まだ沖縄にいたら、直ぐ近くだったので飛んで行けたのに!!
数日前には嘉手納で米軍機がまた事故った。今度は海軍P8哨戒機。整備作業のために牽引されていた哨戒機が、牽引車と衝突したというのです。米海軍安全センターは最も重大なクラスAとしたのですから、かなりの規模の事故なのでしょう。
Wikiによると、2014年、15年と少なかった米軍機事故が今年になってまた増えてきた。2000年代では沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した2004年がダントツに多い。米軍機の事故は沖縄だけではなく全国の基地周辺で起こっていますから、国民の監視がゆるめばどこでまたどのような重大事故がおこるかわからない。
一旦事故が起これば、あとは地位協定によって、日本側は事故原因の調査もできないのですから、どうしようもありません。
12月19日の防衛省交渉でも、担当者は「オスプレイは墜落時、ヘリモードだったのか、固定翼モードだったのか」という初歩的な質問にも担当者は答えられない。要するに防衛省も米軍の発表を鵜呑みにするしかないのです。



  12月21日(水)
今朝は、今冬はじめてと言っていいほどの深い霧。お昼になってもまだ晴れません。こんな日は霧が晴れると決まって素晴らしい快晴なのです。


市民劇場の例会が大町である日なので、当番のサークル会員は劇団の搬入のお手伝い。私も「軽い仕事なら」という妻の誘いに乗って、朝10時前から大町に向かいました。
途中、大町の入り口まで霧が濃くて、車はみんな点灯して走っている。大町に入ると、予想通り完璧な青空。北アルプスがこれまでにないほどくっきり、すっきりと見えました。






今日の出し物は劇団青年座の「横浜短編ホテル」。横浜のとある老舗ホテルを舞台に、時代の流れの中でそれぞれの運命がもつれ合う人間模様を描くショートストーリーの連続。
搬入は、出演者も演出者も総出で行います。それにサークル応援者も混じって約1時間、大型のトラックから資材を運び出して舞台の所定の位置に手際よく置いていくのです。
劇団のみなさんは慣れたもので、あっという間に終わってしまう。ただ、これからが大変で組み立てが待っています。
いつもながら、よくまあこんなに沢山の資材をトラックに詰め込んだと感心してしまいます。
終わった後は、簡単に劇団員と顔合わせをし、記念撮影をして終わり。市民劇場ならではの手作り感一杯の交流です。






沖縄の基地問題について、アメリカで1つの変化が起こっている。たとえば、カリフォルニア州バークレー市。この地の市議会が「沖縄の人々を支援する決議」を全会一致で可決したというニュースが飛び込んできました。
沖縄タイムスによれば、日本時間の16日にこの決議が採択され、オバマ大統領やケリー国務長官、カーター国防長官らにも送付されるとのこと。
沖縄タイムスは決議の内容について次のように紹介しています。

同決議は、米政府を新基地建設計画の当事者と位置付け、環境や人権の分野における米側の責任にも言及。米軍基地が過剰集中する沖縄の歴史的背景を説明した上で、沖縄が20年にわたり新基地建設計画に反対しているにもかかわらず、日米両政府が工事を強行しようとしている現状を指摘。米国防総省や米国海洋哺乳類委員会、米連邦議会に環境保全の再確認など具体的行動を促し、新基地建設計画に反対する沖縄の人々への支援を約束している。

アメリカの国内でこうした動きがあることは心強いことです。
沖縄でも、こうした動きを加速させようと、水口裕子さん、ヘルド比呂子さん(2人のヒロコさん)の呼びかけで著名人ら100人の賛同者がオバマ大統領に公開書簡を送ったというニュースもありました。
そうなれば、全国の「ヒロシ」さんも黙っていられないでしょ。何かアクションを起こさないといけませんね。MNEMOさんどうでしょう。
先に紹介した、元海兵隊員らによるベテランズ・フォー・ピースのメンバーもその後活発に活動しているようで、そのホームページのトップには先日紹介した「テロリストは僕だった〜基地建設反対に立ち上がる元米兵〜」の動画がリンクされ、さらに朝日新聞英語版の「6人の元米兵の高江での座り込み参加」についての記事へのリンクも見られました。

こうしたアメリカでの活発な動きに対して日本の高裁、最高裁の「判決」はいったいどうよ。エリート中のエリート。ずいぶんとお勉強されて、頭もよろしかったのでしょうが、日本の現状、沖縄の実状、庶民の暮らしなどについての認識や判断力となると、からっきしダメというのは一体どういうことなのでしょうか。
ここは何度でも戻って、私たちが勉強しなければならないのは、1957年に東京地裁刑事第13部が下した、現在なお光を放つ「米軍駐留は憲法第9条違反」という伊達判決でしょう。そして、さらに重要なのは最高裁へと跳躍上告してこの判決をひっくり返すためのアメリカ大使館、日本外務省当局の暗躍、その結果として出された有名な「砂川事件最高裁判決」とそれによる「統治行為論」=高度の政治判断には裁判所の違憲審査権は及ばない=です。
この詳しい経過は現在ではすっかり明らかにされており、「検証 法治国家崩壊 砂川判決と日米密約交渉」(創元社)で見ることができます。日米の政府・司法合作の「判決作り」の内幕が、米側の資料によって明らかにされはじめたのは、実に2008年。米側の秘密指定解除のうえで公開された一連の政府文書には、驚くべきことが書かれていた。
それは直接この本でたしかめてもらうとして、その後、日本の法体系はどうなったか。日本国憲法の縛りが消えて安保法体系の方が憲法に基づく国内法体系より上位になってしまった。
これじゃ、最高裁はこと米軍がらみのことになれば手も足もでない。自分が出す判決が過去の確定した判例と正反対のものを出すわけにはいかないので、それを取り繕うには政府の判断を受け入れるしかない。つまり自分では何も考えなくてもいい。いくら頭がよろしい「最高」裁判官でも思考停止、「政府見解のコピペ」に陥るのは時間の問題ですね。
そうすると、どうなるか。そのことを端的に見せてくれたのが、辺野古訴訟那覇高裁判決であったというわけ。
この判決については要旨を沖縄タイムス弁護士の金原さんなどが紹介し、沖縄県が知事公室に裁判のコーナーを設けて紹介、批判については琉球新報沖縄タイムスが書いていますから、そちらに委ねましょう。
なお、昨日の最高裁判決についてのは、沖縄タイムス琉球新報がともに厳しい批判を載せていました。琉球新報は「司法の堕落」というこれ以上無いような表現で批判。
「本土」の国家権力のすべてが寄って集ってこれでもかと沖縄をいじめ差別する構図。翁長知事は、最高裁判決は受け入れるが、「あらゆる手段を使って新基地建設を阻止する」と言明している。
とすれば、私たちは何を??



  12月20日(火)
今年は例年になく寒さの到来が早いのかも。常念岳がこれほど真っ白になるのはめずらしいのではないのかな。
朝まだ陽が当たらないうちに庭の野菜を見ると、霜でみんな縮にあがっています。野沢菜、ホウレンソウ、エンドウ、リーフレタス、イチゴ・・・。
しかし、ひとたび日が昇ると、何事もなかったように伸び伸びとして日差しを楽しんでいるよう。強い。一体この生命力って何なんですかね。下は霜に覆われた野沢菜。その下は11時半頃の葉っぱ。




2.3日前、囲碁ソフトの最新バーション「銀星囲碁17」が届きました。さっそくインストールして2局ほど打ったのですが、途中で勝負を放棄してしまった。私が6子置いてやってみたのですが話にならないというわけ。それもそのはず、アマ8段というのですから。
よく意味がわからないが、「深層学習アルゴリズム」を取り入れたAIなのだそう。もうひとつのソフト「天頂の囲碁」としのぎを削っているようですけど、銀星の方が強い。
もちろんソフトが自動的に自らの「頭」で強くなるわけでは無く、アルゴリズムの改良、過去のプロの棋譜の研究などが土台にあるわけですから、もとはといえば人間の力なのですね。
しかし、一旦アルゴリズムを「身につけ」勝負となれば、人間の及ばない何十万手を「考え」何百手先まで「読む」わけですから、そりゃ考え出した人間だってかなわない。
だが、どこかで落とし穴が必ずある。将棋でも囲碁でも、長年の厳しい勝負と学びの結果、プロは鋭い「カン」でその弱さ、落とし穴を一瞬で見抜く。
アルゴリズムとは、こうなってああなって、だからこうしてああしてという一連の「手順」を意味します。数学でも、たとえば2次方程式や3次方程式の「解の公式」にしろ、最大公約数に関するユークリッドの互除法にしろ、手順さえわかれば答えは出るのですから、アルゴリズムのよい例です。
だが、自然も社会も機械的な見方では分析できない現象がほとんどですから、AIの適用範囲は自ずと限定される。そのことを忘れるととんでもないことになると私は思います。
AIに果たして弁証法的な思考をさせられるか。何百年かかってもまず無理でしょうね。その前に、人間の豊かさ、能力の非限定性の方に目を向けるべきです。子どもたちから発達の機会を奪い、その生活を自然から隔離し、目をスマホやテレビにばかり向けているような今日のあり方では、人間の思考そのものを衰退させていくことになりかねませんから。

今日の沖縄タイムスは、オスプレイが墜落した直後、1人の記者がその連絡を受けてから深夜海に浮かぶ残骸を見つけたときの状況を生々しくルポしています。
深夜だからどこか全く和からない。月明かりをたよりに岩場を見やると、「岩ではない影が一つ」
「『まさか』。黒い影に夢中でシャッターを切り、画像モニターを見た。身震いと怒りが一気に込み上げた」
事実を知ろうと懸命に取材を続ける記者の姿に頭が下がります。このルポを是非読んでみましょう。



  12月19日(月)
オスプレイの墜落現場を見ていると、かつての沖縄国際大学へのヘリ墜落と同様、この国がいかにアメリカに支配され従属国となっているかがわかります。
さんざん「オール沖縄」勢力に悪罵を投げつけているみなさんは、このことに抗議しないのかしら。ネットの無記名の書き込みを見ると実に面白い。「沖縄県民は大喜び」。琉球新報の記事をとりあげて「記事タイトルから、溢れんばかりの喜びを感じ取れますね」「乗員の安否より墜落したことに喜ぶか」「反対を叫んでるおばちゃんがめっちゃ笑顔だった」など。もはや脳みそから全身の神経までが腐っているとしか思えない。

それはともかく、事故現場では、米兵が規制線を張り日本の機動隊が住民を排除し名護市長、翁長知事さえ入れない。海保の事故調査の捜査協力の要請も拒否して、墜落した機体・部品・破片を集めているのですから、翁長知事の言うとおりもはや主権国家ではない。下の4枚は北上田さんの撮った写真です。その下は琉球新報が報じる放射能防護服を着て機体回収を行う米軍。









そしてこともあろうに今日から米軍はオスプレイの飛行を再開したというのです。
琉球新報は、号外を発行して怒りを表明しています。

この怒りは米軍だけではなく、それを容認する日本政府にも向かっている。
稲田防衛相は今日、米側からオスプレイの機械系統や機体構造に問題がないと説明を受けて、「防衛省、自衛隊の知見、そして専門的見地、経験則などから合理性がある」と理解を示したというのです。こっちは頭の先からつま先まで神経ごと骨が抜かれている。この分だと、住民の上に落ちても、まだ安全だと言い張って飛行を許すのでしょうね。
ここまでくれば沖縄タイムスのいうように「県民を愚弄しているというほかない」・・・と言うより、もう言葉すらありませんね。

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池田町による公民館の使用取り消し問題に関連する資料をすべて公開しました。
本来「つどい」実行委員会の構成団体である「町民の会」のホームページで発表すべきなのですが、更新が滞っているため、とりあえずの措置として私のホームページの1コンテンツとして収録しました。「町民の会」のホームページの更新が終わり次第そちらに移す予定です。

池田町公民館使用取り消し問題 資料集



  12月18日(日)
日ロ首脳会談、プーチンさんにいいようにあしらわれてみっともないことこの上ない。ガッカリどころか、欧米との経済制裁の足並みにクサビを打ち込まれたのにね。領土交渉の基本のキから間違っているため、これからの交渉はかえって難しくなるでしょう。どうするんですかね。これで年明け選挙はなくなったとのもっぱらのうわさ。

さて12月16日付けで町から公民館使用取り消し問題での「回答」が示されました。

池田町の回答 公民館使用取り消しについて

全体的な分析と批判は、このあとの実行委員会の会議ですることになっているので、今日は気がついたいくつかの点についてのみ感想程度に触れておくことにします。
同時に、今日の日曜議会での服部議員の質問に対する教育委員会の返答も問題にします。先にこっちの方かな。
ところで、私は腰が痛くてネット中継で議会の様子を見ていましたが、最初はネットが不調で視聴できず。服部議員の質問に答える平林教育長の声がマイクから遠いためにぜんぜん聞こえない。改善をお願いします。

さて、今日の町の答弁で最大の問題は、12月30日に教育委員会が示した「確認事項」についてです。これも紹介しておきましょう。どちらも公文書として発行されているのでここでの公表は全く問題ありません。

教育委員会がつどい実行委員会に示した確認事項

町の説明によれば、この確認書は前日のつどい実行委員会事務局長が教育委員会との打ち合わせの際に発言したものをまとめたものなのだというのです。
ところがこれを送られた当の事務局長はその内容に異議を唱え、たとえば「選挙に関する話題・議論は一切しない」などという約束はしないとして同意を与えず、むしろ翌日にその内容について改めて話し合おうと教育委員会に伝えたのでした。つまりこの時点では双方合意の「確認」ができていたわけではないことに注意を要します。
そこで、昨日の「回答」を見てみましょう。最後の4項目には次のように書かれています。

11月29日の牛越様とのお話の中で、使用許可はしていません。11月30日付け「池田町公民館使用に係わる確認事項」は、11月29日の牛越氏とのお話に基づき間違いのないよう確認をするためのものであります

すると、次の疑問がわいてきます。いったいこの「確認事項」というのは何のために出されたのか。
「間違いのないように確認をする」?その直ぐ下には「遵守して頂きたい内容」と書いてありませんか?「確認事項」というのは普通、両者連名で「以下のように確認した」とするもんじゃありませんか? それを、「こっちはこんなふうに確認したぜ、守れよな」なんて書いて送りつけたんじゃ確認もクソもないではありませんか。
使用を取り消したいのならばわざわざ確認をする必要はありません。合意を得たいのなら、まずドラフトを送って双方で詰める手続きが必要です。だが「確認事項について」はすでに一方的な公文書。
「つどいで遵守していただきたい内容を明記した」として、あくまで許可する条件の確認の体裁をとっていながら、まだ合意が出来ていないために「使用許可はしていません」と書いている。教育委員会は混乱の極みです。わけがわかりません。
ここではっきりしたことは、
@この「確認事項」は教育委員会が29日の話合いの中で聞き取った一方的な判断を書き記して送りつけただけのものであったということ。
Aお互いが確認し合意したわけでもないものを、あたかも事務局長が発言したものとして追認を要求してきたこと。
B事前の折衝もなく、いきなりわざわざ公文書で出したということ、以上です。
そして翌12月1日に、この確認事項について合意点を探ろうとしていた事務局長のもとに「庁議による公民館使用取り消し」が通知されたというわけです。
合意していないものを「合意事項」だから認めよと迫るこの対応こそ、現在の公民館・教育委員会の対応の杜撰さ、慌てぶりを示している・・・私にはそう見えますよ。
だから、12月1日に代わりの場所を探そうとして福祉会館や総合福祉センターへの問い合わせをした際の、「責任者が庁議に出席しており、公的施設での開催は認められない」という信じがたい違法行為につながってしまった。
平林教育長、私の「財政白書」を買って頂いた手前、丁寧にお願いするのですが、その場にいなかった私のようなフツーの町民にもわかるように、論理的に明晰に説明をして下さいますようにお願いいたします。

政府は、この12月22日、オスプレイパッドが「完成」したとして、政府は北部演習場の返還式典を22日に那覇市内のホテルで実施するのだという。すでに報道されているように、翁長知事も県議会議長もこれには出席しない。
では、オスプレイパッドは完成したのか、あるいは完成間近なのか?実は完成からはほど遠いことが、現場で監視活動を続けている人たちの努力ではっきりしました。
北上田さんのブログでは、工事現場まで出向いて取材し米兵にも抗議したことが記されています。
ゲート前では相変わらず座り込みが果敢に続けられている。オスプレイは墜落したにもかかわらず、伊江島から普天間にまもなく飛ばしたいのだという。どこまで県民を舐めるのか。



  12月16日(金)
今日も朝から寒くて、一面の雪景色。日中も全然気温が上がりませんでした。


私たちの基本的人権というのは、普段は自覚することなく、またいつのまにか与えられたものという気になっている。
しかし、チマチマした出来事の中でそれらが少しずつ崩されて気がついてみたら「どうしてこんなことが」という場合が多いのかもしれない。
沖縄では、さまざまな出来事の中で「いつの間にか」ではなく、ある日一挙に切り崩されていくことがよく見える。たたかわなければ守ることが出来ないもの、それが人権だということも。

警察法は第1条、第2条でその目的と責務を定めています。

(この法律の目的)
第一条  この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。
(警察の責務)
第二条  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2  警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、
その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

その上で、第3条で「宣誓」を行う定めになっているのです。
ところが、沖縄辺野古、高江、オスプレイ墜落現場では全く正反対のことをやっている。国家ぐるみの不正行為と言ってもいい。
全国からかき集められた警察職員が米軍のガードマンとしての役割を果たし、かつその費用を沖縄県警が支払っているというのは許せないのは当然です。
そこで、今年10月17日に沖縄平和市民連絡会は「高江への県外からの機動隊のための燃料代や修繕費を県が支出することは違法・不当」だとして住民監査請求を行ったのでした。

11月22日には陳述が行われ、相手側から天方徹公安委員、重久真毅沖縄県警察本部警備部長らが陳述を行いました(北上田さんの記録によっています。北上田さんは陳述人の1人)。
北上田さんの記録によると、相手方の言い分は次のようなものだったと言います。

「警察が違法行為を確認しながら放置することはできない」
(「それなら違法ダンプトラックを何故、取り締まらないのか!」というヤジが飛んだ)
「警察官が市民らをケガさせたことはない」
(ここでもブーイング)
「警察は政府の一方的立場に汲みしていない」
(「今、警察がやっていることは、防衛局のガードマンだ!」)
「抗議する人たちが集会を開いているため、道路が通行できなくなっている」
(「ウソだろう。我々は、一般車の通行を確保しながら集会を開いている。道路を封鎖しているのは警察だ!」)
「(警察車両と機動隊の列で作った檻に市民らを監禁しているという批判に対して)必要最小限の範囲で安全なところに移動していただいている」


北上田さんの陳述書の冒頭(一部)は次のようなものです。

これらの警察職員は高江周辺において、警察法第2条2項が定める「不偏不当且つ公正中立」を捨て去り、偏(ひとえ)にヘリパッド工事の事業者である沖縄防衛局の便宜を図った行為を続け、ヘリパッド工事に反対する市民の基本的人権(集会の自由、表現の自由、移動の自由)を侵害している。

この監査請求に対して、14日に監査結果が送られてきたといいます。それによれば、4名のうち3名が「監査請求には理由がない」とし、1名が「理由がある」として「合議が整わなかった」(両論併記)というものでした。
北上田さんは、1名の監査委員の毅然とした態度に敬意を表しつつ、これを受けて住民訴訟に入るかどうかを弁護士とも相談すると書いてありました。
小さいことのようだけれど、それを見逃さず住民の権利を主張してたたかうことの大切さを教えてくれています。



  12月15日(木)
オスプレイの墜落から丸1日。そんなことがどこかであったかとでもいうように、カジノ解禁法を国会会期の延長までやって強行可決。続けて今日は日ロ首脳会談。これまた国民だましの玉虫色でお茶を濁して「成果」を誇示するのではないでしょうか。成り行きにはあまり期待できそうにもありません。

今日の夜、子どもじゅくのあと松本から帰る際に、道ばたの温度計がマイナス2度を表示していました。池田では明日朝にはマイナス5度くらいになりそう。月齢15.6のお月様(昨日が満月)に照らされて北アルプスの稜線がぼんやり白く浮き出ていました。ひえびえ・・・ううう。

実は今日は午前と午後2回も池田松本間を往復しました。午後は夕方の子ども塾ですが、午前中は松本協立病院での診察。妻が予約してくれていた整形外科で腰を見てもらったのです。
沖縄から帰って1週間ほとんど家から出ずにおとなしくしていたら少しは痛みも和らいでいるのですが、実際にはそのように感じられるだけ。少し長く歩いたりすれば痛みがぶり返します。
検査したのはレントゲンだけ。MRIもお願いしたいと言ったら、実は少し前に入院した際にすでに腰のあたりまでのMRIが撮られていた。認知症の疑いというので今年初めに撮ったけど頭だけではなかったんだ??
というわけで、レントゲンとMRI画像を見ながら医師が説明してくれました。その結果は「脊柱管狭窄症」でした。第4頸椎から下に2カ所かなり狭くなっているカ所があり、そこが痛みの原因カ所だろうというのです。素人目に見ても相当にひどい。隙間が完全になくなっているではありませんか。
根治するには手術ということも考えられるが、当分薬で改善しないかどうか試しましょうというので、3種類の薬をもらってきました。
ネットで調べると、確かに私の症状にぴったりの記述があります。たとえば、「せぼねと健康.com」によると、「加齢と共に椎体や椎間板、靭帯などが変形すると、脊柱管が狭くなり、中を通っている神経の束を圧迫します。この病気を『腰部脊柱管狭窄症』と言います」だって。それは今日の先生のお話と同じだ。
そして、「ある程度の距離を歩いていると、腰や足がしびれたり痛みで動けなくなるが、イスに座った、前屈みで少し休むと症状が軽くなり、また歩けるようになる。この症状を『間欠性跛行』と言います」・・・まさに私の症状にピッタリではないか。
と、それに続けて、「間欠性跛行の症状が進むと歩くことが出来る距離が短くなり日常生活が困難になっていきます」・・・ガ〜〜ン。
今日の医師の説明では、手術の詳しい説明はもちろんありませんでしたから、ともかくこれ以上悪くしないように姿勢に気を付け、適度な運動をして筋力を落とさないようにしなければ。
またまた「カレイ」!!昔からずっとつきあってきた腰痛ですが、ここまで来るといよいよ勝負どころ(観念のしどころ?)という感じで根本的な解決に向けて何らかの決断をしなければならないのではと、考えているところです。



  12月14日(水)
沖縄県民の恐れていたことがとうとう起こってしまった。名護大浦湾沖でのオスプレイの墜落です。さらに昨夜「不時着機とは別のオスプレイが、普天間飛行場で胴体着陸していた」(共同通信)というのだから驚きです。
墜落した現場付近の集落は「安部(あぶ)」といい、辺野古基地建設反対のカヌー隊が出発していた瀬嵩、汀間からさらに東にすすみ、カヌチャリゾートを過ぎて安部崎を大きく北にカーブするところにあります。


大浦湾を挟んで辺野古崎が見えるところでもある。はじめ「あべ」かと思っていたら読み方は「あぶ」。V字型滑走路が出来れば、この集落の上空は当然戦闘機やオスプレイが低空で飛び回ることになる集落。二見以北10区の住民は当然ながら辺野古新基地建設に反対しオスプレイの配備に反対してきたのでした。

海兵隊のMV22オスプレイが落ちたのは昨夜11時半過ぎ。何人かの安部集落住民が旋回飛行をしながら旋回音が聞こえなくなるところを目撃していたといいます。夜中にオスプレイが低空飛行訓練をして墜落したという事実そのものは許しがたいことですが、さらに重大なことが2つ。
1つ目は、日本政府が、米軍発表をうのみにしてあくまでこれは「不時着」なのだと言い張っていることです。
菅官房長官は「パイロットの意思で着水した」といい、稲田防衛大臣も「オスプレイが不時着水する事案が起き、大変遺憾」「コントロールを失った状況ではなく、自発的にその場に着水したという説明を受けている」と言い張っているのですから一体どういう神経をしているのでしょうか。
機体が真っ二つに折れて散乱している写真は何枚もアップされています。(写真は上が琉球新報、下が共同通信)




琉球新報や沖縄タイムスはまだよく事態がつかめていない早朝には「不時着」という報道をしていたけれど、朝7時以降はすべて「墜落」。翁長知事も「機体が大破している状況から事故は墜落だと認識している」と、県庁を訪れた川田司外務省沖縄担当大使と中嶋浩一郎沖縄防衛局長に怒りの抗議。

琉球放送

2つ目は、米軍の許しがたい態度。共同通信は次のような記事を配信しました。

在沖縄米軍トップがオスプレイ不時着に関し「県民に被害を与えなかった。感謝されるべきだ」と述べた。

このような発言をしたのは在沖米海兵隊トップのニコルソン四軍調整官(中将)。抗議した安慶田副知事に対して「「パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。感謝されるべきだ」と述べたのだそうです(朝日新聞)。この事故は機体の欠陥ではなく、給油中にパイプを切断したことが原因だから問題はないと言いたいらしい。また同記事では「ニコルソン氏はかなり興奮した様子で『(事故を)政治問題にするのか』と言ったという。安慶田副知事は『県民はオスプレイの配備も訓練も認めていない』と述べたが、ニコルソン氏は最後まで怒りが収まらない様子だった」とも。
常識的な判断を持ち合わせていれば、「県民に被害を与えなかったことは不幸中の幸いだったが、こうした事故を引き起こしたことは遺憾であり深く謝罪する」となるはずのもの。しかし、公式な一切の謝罪はない(記者会見では「謝罪」という言葉を使ってはいるが、沖縄県への直接の言及はない=琉球新報)のですから、これはもう沖縄蔑視・植民地意識の最たる現れと言うべきです。この発言ひとつをとっても日本政府としては、断固として抗議しオスプレイの撤退を求めるのが当然でしょう。


政府は「事故原因がわかるまで」という言い方をしています。しかし、過去の事故の例をみればオスプレイは全くの欠陥機であって、全面撤退しかないということがはっきりします。
オスプレイの危険性、配備の政治的背景、その狙いについてきちんと書いたものはいろいろ有るのでしょうが、それを見つけるのが大変。
この際ですから、私の目にとまったいくつかの論考をあげておきましょうね。もちろんほかにもたくさんあります。
1つは県知事選にあたって政治情報サイト「ポリタス」にのった「辺野古新基地とオスプレイ配備の本質とは」。これは沖縄タイムスに転載されていました。

今一つは、ちょっと古い記事になりますが、IWJ Independent Web Journalに載った 元沖縄タイムス論説委員屋良朝博さんの講演です。もとは講演を録画したものでしたが、原稿起こしをして見やすくなっています。オスプレイの根本的な欠陥、配備のねらいなどがたいへんわかりやすく説明されていて、今度の事故を考える際に役に立ちます。
もっと大きな事故を起こさないとわからないような哀れな国なのでしょうか。欠陥オスプレイを沖縄から本土から駆逐するために、声をあげ続けなければ。



  12月13日(火)
さすがに、沖縄から帰って1週間近くたてば寒さにも慣れてきた感じ。昨日はよく晴れて冷え込みが厳しい朝でしたから、北アルプスがくっきりと一望できましたよ。麓まで雪が来ている。朝7時半頃はまだ平野部の半分くらいまでしか日が当たっていません。写真中央の平屋は我が家です。


今朝は少し暖かくなって雨模様。1日ぐずついた日になるのでしょうか。
昨日1ヶ月ぶりに畑に行って様子を見てきたらレタスがそれなりに大きくなっていた。いつも冬野菜の苗を植えるのが半月ほど遅いために、キャベツも白菜もなかなか大きく育ってくれません。まあ、出荷するわけではないので我が家で食べるには十分。今は、キャベツ、白菜、レタス、ホウレンソウ、ダイコン、ニンジン、ネギ、それに秋に収穫したジャガイモなどで食卓が賑わっています。こんなところは田舎ならではのありがたさですね。
沖縄でも野菜は結構高かったですよ。トマトなどはいつでも収穫できるのかと思ったらそうでもない。暑すぎるとかえって不作になるのではと思わされました。
それでもピーマン、オクラ、冬瓜、ニガウリなどは手頃な値段でスーパーに並んでいましたっけ。もっとも私が食べていたのは、刻みサラダのダイコンやキャベツだけ。「住」を確保したあと、一人暮らしでの関心事はやはり「食」ですね。朝昼晩何食べようかといつも考えていましたから。こちらにいて妻が作ってくれるのが日常ならそんなことはついぞ考えないのですが、一人ではそうもいかない。1ヶ月だけという中途半端な生活では、外食などに頼りがちになるので全く不経済です。
今度長期にわたって行くときには、どうしても経済的な生活の仕方を研究しなければと・・・昨年もそう思ったんですけどね。

さて、例の公民館使用不許可問題をめぐって、私の見解をまとめるために別のページを用意し、これまでの資料やまとめをそこに移しました。その際に、若干私自身の法律解釈に対する理解不足があったので手直しをしました。
ただ、町からの回答がいずれ出されるので、それを待ってから私の見解を示したいと思っています。

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今月22日に沖縄米軍北部演習場(一部)の返還式が予定されています。これに翁長知事が出席しないことを明言したというニュースがありました。オスプレイの配備に反対することを公約に掲げて知事になった翁長氏にしてみれば、精一杯の抵抗でしょう。
コメントには辺野古埋め立て承認取り消しを違法とする司法の判断で、包囲されていく沖縄県の苦しい立場が深く刻まれています。コメント全文は「チョイさんの日記」に掲載されていました。
最後に「このような私の思いは、 全国の皆様にも御理解いただけるものと思っております」と結ぶこのコメントには、沖縄だけが置き去りにされていくのではないか、なぜ沖縄だけがこのような理不尽扱いを受けるのかという深い悲しみが読み取れます。
琉球新報は、辺野古裁判での県の敗訴判決確定の見通しについて「民主主義と地方自治を踏みにじるなら、司法の正義は失墜する。歴史に禍根を残す国追随の司法判断が確定しようとしている」、「基地の重圧にあえいできた沖縄の戦後史に思いをはせることもなく、独断と決め付けによる事実誤認が多い判決が無批判に最高裁で確定することは許されない」とする厳しい論調の社説を載せていました。
沖縄タイムス紙も、福岡高裁一審判決について「高裁判決は国の主張をそのままコピペしたようなひどい内容だった」とし、「最高裁は人権の砦(とりで)である。厚木基地騒音訴訟にみられるように米軍がらみでは被害を認めながら根本的な救済策には踏み込まない。これでも主権国家といえるのだろうか」と社説で述べていました。
琉球新報社が「辺野古の海の埋め立てを阻んできた民意の力を再確認し、これからも続く試練に立ち向かう県民の気概を研ぎ澄ましたい」と改めて県民意識を高め、辺野古新基地建設を許さないたたかいへのエールを送っていることには勇気づけられます。

安倍政権が司法と連携してこれほどの強権手法を取ることができるのには、当然それだけの背景があります。その最も大きなものは衆参両議院での自公議席数と50%程度の内閣支持率。加えて主要マスメディアの無視。沖縄と本土の溝は飛び越えられないほどに深い。

沖縄で最近制作されたDVD「いのちの森 高江」を見ました。上映権付きですからどこでも見てもらえます。
高江とはどのような場所なのか、いかに豊かな自然が残っている場所なのかを静かに描き出し、ここにオスプレイパッドを作ることがどれほど愚劣なことなのかを訴える説得力のある記録映画です。
仮に遠く離れた場所に住んでいようが、こうした映像を通してヘリパッド建設の無謀さを理解することができます。これまで作られてきた「標的の村」「戦場ぬ止み」などとともに、多くの人に見てもらいたい映画です。



  12月12日(月)
沖縄タイムス米国特約記者の平安名純代(へいあんな すみよ)さんが、アメリカ・ノースダコタ州の石油パイプラインの建設計画に反対するアメリカ先住民や環境活動家のたたかいを追跡した記事を沖縄タイムス紙上に載せています。
12月4日に「米陸軍省が建設計画の休止を決定した」との知らせを受けて「空にこだまするほどの大きな歓声が巻き起こり、涙を流しながら抱き合って喜ぶ感動的な瞬間を米主要メディアはそれぞれ大きく報じた」と書いていました。
彼女は当然ながら生まれ故郷である沖縄の片隅で起こっている高江ヘリパッド建設反対運動を重ねて見ており、その違いについていろいろと思いを巡らせているのです。
はじめは「スタンディングロック・スー族の闘いは、初めはごく少人数の孤独なもの」であり、「警察当局は、非暴力で抵抗する先住民らに犬をけしかけ、銃をつきつけるなど過剰な武力を行使」だった」が、やがて「バーニー・サンダースやレオナルド・ディカプリオら著名人らが次々と計画の反対を表明。注目度は次第に高まり、11月下旬には約2千人の退役軍人が『人間の盾になろう』と現地入りするなど抗議活動に勢いがついた」のだという。
アメリカでは勝利したが「高江での闘いは見えにくいままだ」。そして「知事の苦しい言い訳は国際社会では通じない。米政府関係者らは『沖縄の代表者も高江ヘリパッドを公認』と解釈し、高江の闘いを応援してきた米国人の間では動揺が広がっている」とも書いている。

「高江のたたかいを見えにくくしているものは何か」という問いにはいろんな答え方があるでしょう。「代表者不在」ということもあれば、本土のマスメディアの沖縄不在もある。「本土の目」から見て地理的に遠いと(感じると)いうことも間違いなくそのひとつの要因でしょう。
しかし、たとえば大阪からは北海道も沖縄(本島)もほぼ同じ距離。東京からは沖縄の方が少し遠いというくらいなのです。


遠く海を隔てているということはあるにせよ、やはり「日本」から長く切り離され米軍統治下にあったという歴史的経緯の方が大きいように思えてならない。つまり沖縄は本土からは「海外」なのです。主要なマスメディアにとってもその抜きがたい意識から依然として抜けきってはいないということです。
沖縄の「構造的差別」とは、そのような積み上げれた、もしくは無視され続けた歴史のうえに、さらに政治的・経済的に(構造的に)作りあげられたものであると言っていいのではないのか。
沖縄が安全保障上の軍事基地の要衝であるとするのは、上の地図をみれば一目瞭然、「本土」から離れ近隣の海外の国々をよく見渡せる場所にあるからです。「本土」には何ら影響は及ばない。アメリカも有事の際にはグァムや米本土に逃れればよいのですから。
だが、沖縄からの視点は全く異なります。それは、沖縄が海外へのアクセスが極めて良好な貿易・観光の要に位置するということです。軍事基地などない方がよほど発展につながる。
この埋めがたい溝をどのように解決するのか。そこに目を向けない限り沖縄は「本土」からますます遠い存在とならざるを得ないでしょう。

そうこうするうちに今日、沖縄辺野古裁判(「『辺野古埋め立て承認の取り消し』は違法」として国が県を訴えていた事案)で、最高裁が弁論を開かず県側の敗訴が確定したとのニュースが流れました。
福岡高裁では、論点のほとんどで国側の主張を認める、およそ司法判断とはいえない雑な組み立てで判断を下しており、結局最高裁もそれを追認したということです。
高裁判決の要旨は、朝日新聞によれば次のようなものでした。

■判決の骨子
 ◆普天間飛行場の被害を除去するには(辺野古の)埋め立てを行うしかない。それにより県全体として基地負担が軽減される
◆埋め立て事業の必要性は極めて高く、それにともなう環境悪化などの不利益を考慮しても、前知事が埋め立てを承認したことは不合理とは言えない
◆埋め立て承認に裁量権の逸脱・乱用はなく、違法とは言えないので、現知事の取り消し処分は違法だ
◆知事は、国の是正指示が出て相当期間が経過しているのに従っておらず、これは不作為で違法に当たる


このいずれもが、沖縄県民のたたかいのなかで崩されてきたものばかりで、こうした論拠によらなければならないのは司法の堕落そのものであり、裁判所が「政府の追認機関」(翁長知事)に成り下がったことを示しています。
司法の反動化は、もはや抜き差しならないところに来ていると感じます。

違法性があると判断されたのは翁長知事の「取り消し」という行為であって、それ以外ではありません。従って知事も県民も合法的なあらゆる手段を使って辺野古に新基地が作れないようなたたかいをくみ上げていくことでしょう。
知事権限には「辺野古埋め立てに必要な海底の岩礁破砕許可の更新に伴う許認可」「工事の設計・工法の変更に伴う知事承認」など、大きなものがあります。最終的には「埋め立て承認の取り消し」ではなく「埋め立て承認の撤回」です。
何と言っても、知事を支えるのは圧倒的な民意であり、本土側からの大きな支援活動でしょう。世論がアベを追い詰めればそれだけ工事は遅れ、不可能となる。これまでのたたかいがこれだけの遅れを作り出してきたのです。
そしてもう一つは、12月ともウワサされる総選挙。アベ政権をどこまで追い詰められるかが勝負です。民進党本部は何とも頼りないけれど、そこは地元で野党統一の機運を高めていくしかない。抜き打ち解散に対応できるだけの構えで議論を加速させることが何としても必要になります。



  12月11日(日)
今朝も、野菜や車の上にうっすらと雪が積もり、空からはゆっくりと小雪が降りてきます。落ちてくるというより、ゆらゆら降りてくる感じ。相変わらず寒い。
ネコのハルちゃんは、私が帰ってからは多少落ち着いたのか、私がパソコンの前で仕事をしていると決まってやってきてモニターとキーボードの間に挟まってドタンと寝てしまう。邪魔だが、下ろそうとすると怒るので仕方がない。エアコンの暖かい風が気持ちいいのでしょうね。




さて、例の公民館の使用不許可事案について、先日くわしい状況を聞き、新聞記事なども調べました。これまでに私なりの見解はまとめたのですが、まもなく役場からの抗議文に対する「回答」が文書で示されるというので、それを待ってから全面的な批判を行おうと思っています。
いまのところ、公民館不許可の不当性・違法性を明らかにするにあたって調べたりまとめたりしておきたい事柄は以上のようなものです。

第1は、当然ながら「町民と政党のつどい」を企画・準備した段階から不許可通知を受けて別の会場で開催せざるを得なくなった当日までの事実経過です。
公民館、町当局の「不許可」の理由がいかに不当なものであるのかを具体的に示す最も重要な点になるからです。
第2は、不許可の最大の根拠となっている「社会教育法第32条」をめぐる解釈の問題。
ここでは@法律の条文そのもの、A憲法・教育基本法の要請と社会教育法のかかわりを明らかにしておかなければなりません。
第3は、政府・文科省の解釈および全国の自治体の「管理・運営規則」にみられる解釈について調べておく必要があります。とくに、全国の自治体の中には公民館規則を大胆に見直しているところが出てきていることが注目されます。
また旧来の公民館としてよりも「地域交流センター」との位置づけで公民館の活性化を探ろうとしている自治体も見られます。
第4は、最近は見られませんが、過去の公民館不使用をめぐる裁判での判例です。司法がどのような判断を下しているのかを詳細にみておくことは、今回の問題を考えるうえでも多くの示唆を与えてくれるでしょう。
第5は、池田町の「公民館使用不許可」の時期、理由、およびその間に示された「誓約書」をめぐる不当性・違法性です。
当然ながら、池田町の「管理運営規則」に照らしても、今回の「取り消し」がきわめて恣意的・政治的であることを明らかにできるでしょう。
また、第1〜第4によって「管理運営規則」の問題点と今回の「取り消し」の不当性がさらに浮き彫りにされるはずです。
最後に、「池田町交流センター」として公民館の移築が進められつつある現在、この施設を町民に真に開かれた社会教育・啓蒙・交流の場にふさわしいものとするために、公民館の在り方への提言をまとめます。



  12月10日(土)
寒い寒い。今日は最高でも5℃だというのだから寒いわけだ。
朝庭をみたら、少しアラレ状の白いものが畑の上に見え、さらに北アルプスからの「こぼれ雪」と思われる白いものがチラチラ。3日経って少しは慣れてきたかと思いますが、外には出たくない。


実は、一昨日富山の「9条ファンクラブ」の事務局長である大先輩のHさんから、月一で発行するニュースレターに沖縄の現状をレポートしてくれないかという依頼があったのです。新年号の巻頭に載せたいというのですからいささか戸惑いましたが引き受けることにして、さっそくその原稿作りにとりかかりました。昨日は、そのために1日とっくみあいをしていたというわけです。

こうして長野に来てみると、環境はまるで違って沖縄のことは別世界のように思えることもありますが、実は隣の町で起きていることと何ら変わりがない。実際に沖縄に出かけてみるとその感を強くします。
その距離を永遠の彼方のことのようにしているのは生活環境ではありません。いかにも外の世界のことであるように見せるマスメディア、ネット上のデマの数々、そして何より安倍政権の言論戦略にある。
事実、辺野古・高江の直ぐ近くである名護市の私の住んでいた場所は、実に静かで穏やかな古い集落です。機動隊が500名もいるなんて気配はどこにもない。平穏な暮らしの連続なのですから。しかし、隣でこんなことが起こっていると常に目を向けさせてくれるのは、琉球新報と沖縄タイムスの2紙、琉球朝日放送などのTV局、連日現地からレポートをネットで届けてくれる記者のみなさんの獅子奮迅の努力があるからなのです。それだからこそ安倍政権とその取り巻きにとっては、彼らは憎い憎い存在なのでしょう。
残念ながら、「本土」ではメディアの垂れ流し情報に打ち勝つ「情報戦」では、足下にも及んでいない。だからこそ、市民のための市民による情報の提供がどうしても必要です。そのための工夫も大いにやらなければならない。
ネットではひと頃よりもネトウヨのデマや無責任な書き込みに対抗する言論が増えてきました。しかし、なお足りない。SNSなども大事だし有効な使い方をもっと研究すべきなのでしょうが、言論の場としてのネットの使い方で彼らを凌駕する必要がある。そこでの情報発信をもっともっと旺盛にやることが求められていると強く思います。
それに成功するなら、沖縄は私たちの隣町であり、そこで起こっていることは私たちに深く関係のある出来事としてとらえることができるようになるはずです。
11月中旬に南部戦跡や高江・辺野古にご一緒した高野さんから「沖縄の記事が気になるこの頃です」というご挨拶をいただきました。そうなんですね。一度現地に行って、工事現場のデタラメさ、機動隊の理不尽な行動を見聞きすれば、沖縄は我がこととしてその身体の中に入ってきます。沖縄の自然にふれ戦争の爪痕を見聞きすれば、いま住んでいる場所と地続きであることがわかります。
これをお読みのみなさまも、都合がつく限り沖縄におでかけください。もちろんその際には、ご一緒できるようにいたしますから。沖縄から本土を照射するという体験はきっとご自身の心の何かを動かしてくれるはずです。



  12月8日(木)
昨夜、無事池田に戻ってきました。
今日は朝から良いお天気で、北アルプスはもうすっかり冬の装い。雪で完全に覆われていました。


名古屋ではそれほどでもなかったのに、家について次第に寒さが身に染みてくるようになり、明け方は零度くらいになったのか寒いこと寒いこと。20度くらいの温度差はかなり体にこたえます。
日が昇って日差しが届く頃にはようやくポカポカしてきたので、ちょっと落ち着きましたが・・・。
飼い猫のハルちゃんは、びっくりした様子もなく、すぐに膝の上に来ました。どうも最近甘えん坊になっているらしく、とにかく膝の上にいないと安心できないらしい。メシか膝上かどちらかでひっきりなしにニャーニャーと要求します。食べ過ぎて、ちょっとメタボになったのではないかな。
今日は朝早くから蓄電池の点検作業で約一時間おつきあいをし、そのあと荷物が着いたのでその整理、午後早くから例の公民館問題での打ち合わせ。小型のパソコンのデータをデスクトップに移して写真の整理などをしてたらそれだけで一日が過ぎてしまいました。
腰の痛みは相変わらずなので、妻の勧めに従って12月15日に診察を受けることにして予約も。
一昨日からは移動だけで終わったので、その間の写真をいくつか載せておくことにします。
まず最初は、名護で家の前に止まった一羽の小鳥。何という鳥でしょうね。
続いて、前とおんなじ格好でおなじみのネコとツーショット。さらに朝から庭仕事に来ていた義兄夫妻がシークワーサーの収穫と選定作業の様子、たわわに実ったミカン、最後は那覇空港の自衛隊の戦闘機。そういえば、南城市の上空もひっきりなしに飛んでいました。














  12月6日(火)
沖縄での最後の夜になりました。お昼過ぎに南城市に戻ってすぐに施設に行って母と面会してきました。。
相変わらず元気で、「ここにいれば大丈夫だから」と言われ、帰り際に窓から手を振って見送ってくれ、何だかこっちの方が励まされたような気分に。
その後は車の返却。妻のいとこのIさんに迎えにきてもらい再び実家に。夕方6時頃から、二人でレストランに食事に行って7時に帰宅。ようやく落ち着きました。
今日はとにかく早く寝て、明日の移動に備えます。



  12月5日(月)
昨夜から今朝にかけて大雨。午前中も断続的に小雨が降って、気温もだいぶ下がりました。
今朝は高江に行こうと思っていたのですが、昨夜から公民館問題をめぐっていろいろ調べ物をしていたり、批判文を書いていたりしていたらずいぶん寝るのが遅くなってしまい、そのうえ大雨だったので、高江に行くのを怯んでしまいました。午前中も引き続きその仕事。おかげで目の焦点が狂って、遠くのものが見えづらくなってしまいました。

まるまる沖縄にいられるのは今日と明日のみ。明日は南城市に戻ってちょっと母のもとに寄ったあと、荷物を発送し車を返却しなければなりません。
名護で借りている家は、もうすっかり片付けも終わって、引き払うのみ。今日の午後からはゆっくり休んで美味しいものでも食べにいくことにしましょう。

池田では、「つどい」実行委員会の仲間が、町と教育委員会に対して公民館使用不許可に抗議して申し入れをすることになっています。私自身、この間のできごとについてはノータッチだったのですが、実行委員会のメンバーでもあり準備にかかわったこともあって当然ながら当事者の一人です。私なりの立場で、今回の背景や問題点を洗い出し、今後の公民館運営に直言をしなければならないと考えています。
この問題は、言論・表現の自由、集会・結社の自由などに関して放置するわけにはいかない重大な問題がいくつも重なり合っているからです。
昨日は友人が町当局が実行委員会に要求した「確認書」なるもののコピーを送ってくれました。この文書の内容は町が公民館の使用を不許可としたために、日の目をみることは実際にはありませんでしたが、これを公式文書として出した事実は変わるものではなく、今後とも追及のひとつの焦点となることは避けられません。
内容については、別途批判文の中で記載する予定なので、今日は詳しくは書きません。

さて、今日の琉球新報は、米軍北部訓練場で麻薬取引を摘発するための海兵隊の訓練を行っているという事実を暴露し、日米安保できめられた使用目的を逸脱もしくはこれに反しているのではないかと指摘していました。
要するに訓練ならば何でもありということです。日本政府はというと、いちいち詳しい訓練内容などは承知していないと全く無責任な態度。
名護から1時間ほどで北部訓練場。20分ほどで辺野古新基地。しかし私のいる集落は静かで人一人いないような雰囲気の静けさ。何だか不思議な感覚にとらわれてしまいます。このまま長野に帰れば完全に沖縄とは切り離された生活が待っています。そのような生活と意識の間隙、ずれをどうやって埋めていくのか。
ある意味特別な関係を持っている私だからできる本土と沖縄の架け橋をかけ続けるために、これまた誰もができるわけではない沖縄からのレポートを出し続けなければならないと思わされています。

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夕方放送されたテレ朝系列で放映された「テロリストは僕だった〜基地建設反対に立ち上がった元米兵たち〜」は出色のドキュメンタリー番組でした(制作は「標的の村」の琉球朝日放送)。沖縄・本土を問わずすべての人にみてもらいたかった。
イラク戦争、アフガン戦争などに従軍した元米兵で組織する国際平和団体「ベテランズ・フォー・ピース」のメンバーの一人、マイク・ヘインズ氏に密着して、過去の戦争の傷跡と沖縄での座り込みへの参加の模様を追ったものです。
元米兵の一人は「米兵以外は人間ではない」と証言し、マイクさんも「18才の頃は軍隊の中で完全に洗脳されていた」と言う。そして、「テロリスが潜伏していると、毎日のように一般家庭などへの襲撃を繰り返した。民家のドアを爆弾で破壊し、突入すると、そこに居るのは一般人ばかりで、住民を壁に叩きつけ、子供は泣き叫び、恐怖で失禁する。そんな蛮行を繰り返し。その叫び声が忘れられない。人々にとってのテロは僕らだった」と苦しげに述懐する。
ベテランズ・フォー・ピースは全世界から集まった会員(約4500人)の大会で沖縄への連帯の行動を満場の拍手で採択します。そしてマイク氏を含む数名を辺野古・高江に派遣するのです。彼らは沖縄県民とともに座り込み、機動隊に排除されながらも「No New Base!」と叫び続ける。
このダイジェスト版(30分番組)「テレメンタリー2016」は下のサイトで見ることができます。見逃した方はこれだけでも価値があります。

テレメンタリー2016 テロリストは僕だった〜基地建設反対に立ち上がった元米兵たち〜



  12月4日(日)
午後2時半頃名護に着いて机をみたら、やっぱりWifiを忘れていた。しかも電源を入れっぱなしだったので、電池が空っぽ。しばらく充電しなければ使えないので、その間昨日から今日のことをメモっておきます。

まず書かなければならないのは今日の異常な暑さ。最高27℃だとか。ちょうど今日は那覇マラソンの日で、本土からの出場者は大変ではないかと解説者がコメントしていました。
12月というのに真夏日ですよ。母でさえ「暑いね」というくらいですからどうかしています。
午前中は、妻のいとこや友人が来てくれていたので、友人のために裏庭のシークヮーサーをいっしょに取っていたら、それだけで汗びっしょり。帰ってから、シャワーを浴びて洗濯して、ようやく落ち着きました。
友人の話ではやはり異常気象だという。海水温が高いので南風が吹くとなかなか気温が下がらない。
母は、今朝もゆっくり寝て8時頃起床。これから寒くなるからと、分厚い服などをたくさん出して袋に詰めていました。施設に行ってからはそれに全部名前を書いてあげて準備万端。いろんなことに気がつくので驚いています。
「また来るね。今度は100才のお祝いの準備しなくちゃね」と言ったら「そうね」と笑っておりました。施設からの帰りがけ、窓から手を振って見送ってくれました。
あんまり暑いので、帰りがけのサービスエリアでマンゴーソフトを一つ。








さて、メールチェックだけ先にしたら、2日の「つどい」の会場である公民館の使用拒否の「庁議」について、明日抗議を行うというので抗議文の案文が届いていました。どうやら各社の記者のみなさんも来るみたいですから、是非とも理不尽な決定について大いに知らしめてほしいものです。
私のもとには情報が不足しているため、まだ細かい点まで含めた批判を述べることができませんが、教育委員会が今回のことから教訓を汲ん、町民の政治的な教養を高めるために公民館をオープンな議論の場として町民に開放すべきだという点だけは要求しておきましょう。



  12月3日(土) その2
今日は比較的穏やかなお天気。相変わらず気温が高い。体感で22℃〜25℃くらいかな。私はいまだにTシャツ一枚で過ごしています。日が沈んでも気温はさほど落ちないので、室内ではやはりTシャツ。
名護を出る直前、すぐ近くの畑で何か植えている方(以前野菜をもらった)がいたのでご挨拶。何をしているのかと聞くと、チンゲンサイを植えているのだという。これからちゃんと育つんですからね。
ところが、スーパーではトマトやキュウリが意外と高いのです。トマトなどはあまりつくっていないんですかね。それとも他の野菜が多いのであまり売れないということなのか。

午後2時過ぎ、母のいる施設に行くとお昼寝の最中。ぐっすり寝ていたので起こすには忍びないと出直すことにしました。向かったのはすぐ近くにあるガンガラーの谷。約10分ほどで着きます。サンゴで焙煎したというコーヒーを頼んで約30分ほど休憩。3時過ぎに施設に行くともう起きてみんなと一緒にいました。私の顔を見て「もう帰ったかと思った」と母。
途中、JAのお店に寄って母のお買い物におつきあいしました。黒糖とボンタン飴が大好きで、店によるといつも買うのです。このボンタン飴って私も結構好きです。ただ沖縄産じゃないですよね。

家に着くと、例の根ネコが待っていてスリスリ。心なしか体格がよくなっているように見えました。相変わらず馴れ馴れしい。今日はかなりきつく叱ったので家に中には入ってきませんでした。
夕闇が迫る頃、バナナの葉の上には三日月と金星が並んできれいに見えました。これまたピンぼけカメラでその雰囲気のみご紹介。




夕食は、代わり映えしない「素麺チャンプルー」。しかし母の食欲は旺盛で、「外にあるバナナ2本ほど取ってきて」といい、ペロリ。さらに妻が池田町から送ってくれた干し柿を一つ、これもペロリ。箸を持ってくると言っても、いいよと言いながら小型ナイフで器用に切ってナイフごと口に運んでいました。とても97才とは思えない。

南城市に着いてから気がついたのですが、ポケットWifiを持ってくるのを忘れてしまった。メールチェックも何もできない!近くでWifiスポットを探そうとすれば出来ないわけではありませんが、母が一緒では自由もきかず、結局明日名護に戻るまでネットはお休み。
午後7時半、母が「もう寝る」と寝室へ。以前は9時頃まで普通に起きていたのに、前回もそうでしたが、やけに寝るのが早い。
私は、昨夜に続いて「鬼平」最終回を見てから寝ることに。



  12月3日(土)
今朝早朝、友人の書き込みで「『12.2 池田 町民と政党のつどい』町内外から75名が参加しあたたかい雰囲気で無事終了」したことを知りました。つどいの成功をめざして奮闘されたみなさん、本当にお疲れ様でした。沖縄より大きな拍手をお送りいたします。
詳しいことは全くわかりませんが、直前の公民館使用禁止という妨害を乗り越えて、見事成功したことだけははっきりしていますね。そして、このことを通して権力側がいかに「野党共闘」を恐れているかをはっきりと示したと言えるでしょう。
市民が自分たちの生活の向上を願い平和で安全な世の中を願って自発的に行動することは、市民として全く健全な当たり前の権利行使であり、奨励されはしても妨害されたり萎縮させられたりするいわれはどこにもありません。
道理がどちらにあるのかはすでに明白ですが、そうはおもわない方々も実際にはたくさんいるわけで、一つ一つ事実で示して乗り越えていくしかありません。これらのことは、姿は異なっても辺野古や高江で起きている問題と同根です。全国でも同様のことが無数に起きていますね。
「野党共闘」を何としても成し遂げて、安倍政権に目に物を見せてやりましょう。

さて、昨夕名護市街の公民館にでかけて小学1,2年の子どもたちとお勉強。これで名護での私の予定はすべて終了しました。
午後から南城市に向かい、母と明日の昼間でいっしょに過ごした後、日曜の夜にはもう一度名護に戻って片付けをするつもりでいました。しかし、もう荷物の発送は終わったし、せいぜい掃除をしてきれいにするだけですので、月曜日の午前中にはもう一度高江に行ってこようかなと思っています。状況を見ながらあとわずかの沖縄生活を有意義に過ごしたいと考えているところです。

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毎日新聞web版が昨日、特集ワイドとして「続報真相『土人発言』をかばう、この国の空気とは」と題する記事を載せました。
政府までが土人発言を容認し差別を助長するようなこのくにの「空気」とは一体何なのかと問い、その深層を探ろうとする意欲的なものでした。
そこには、詩人山之口貘さんの詩の一節が紹介されていました。

38年の詩集の一編「会話」には、上京後、放浪を続ける詩人が、思いを寄せる喫茶店の女性に「お国は?」と問われ「ずっと向こう」「南方」「亜熱帯」とはぐらかした時の気持ちが描かれている。

 <……アネッタイ! と女は言った……この僕のように 日本語の通じる日本人が 即(すなわ)ち亜熱帯に生れた僕らなんだと僕はおもうんだが 酋長(しゅうちょう)だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのように 世間の偏見達が眺めるあの僕の国か!>

「故郷は沖縄」と言えないのは当時、酋長や土人といった偏見と同列に故郷が語られていたからだ。詩人には「土人」は「普通に使われる言葉」には聞こえていなかった。


以前も紹介したことのある「ゆうりきやー」の沖縄漫才「ウチナーンチュ発見会話メドレー」あるいは、「沖縄人度チェック」の笑しさの背後には、この「差別」が間違いなくある。それが分かっていて笑い飛ばしているたくましさ。可笑しさと悲しさの同居。私でさえその深いところには入り込めない。
ただ、沖縄の若い世代は、あるいはこんなことは明確には意識していないのかもしれませんが、本土からの発言や米兵などの犯罪に直面して気づかされざるを得なくなっている。
反面、私自身の中にも「差別」は隠されてあるのかもしれないのです。
このような「分断と差別」を超えるには、まず本土人にとっては「沖縄から本土を見る」、沖縄人にとっては「本土から沖縄を見る」という「転回の視点」がどうしても必要なのですね。

全国紙をみていても、すべての都道府県でやはり沖縄は別世界です。たとえば、それぞれの地方にはローカル紙があります。しかし、紙面構成は全国紙とさして変わらない。
沖縄はどうか。地元2紙のスタイルは、当然ながらどの都道府県の新聞とも異なります。「『戦後』は始まってすらいない」(目取真俊)沖縄の現実を反映すればそうなるということであって、「左翼の新聞」だからではさらさらない。
沖縄の2紙を潰せと言った例の政治家たちは、沖縄の現実を全くみていないか見ようともしていないということを別のコトバで表現したに過ぎません。
もちろん、沖縄では市民のみなさんはごくごく普通に過ごしており、本土と何ら変わるところはありません。イオン系列のスーパーに行けば家族連れが一杯いるし、マック、モスに入ればマニュアル通りの接待が待っているし、中高生はスマホに夢中。観光地は中国人で一杯というのも似たようなものでしょう。
しかし、中北部へ行けば、そこは基地と隣り合わせで騒音に苦しみ、女の子は一人では出歩けないという現実が待っている。平和な本土並みの生活が送れるのではないかという淡い期待は潰えて、米軍が居座る現実は多くの沖縄県民にとっては耐えがたい苦しみになって覆い被さっているのです。
沖縄本島でも南部と中北部での違いはあるし、石垣・八重山と本島との違いも当然あります。それゆえ、沖縄にいても「意識」を研ぎ澄ませることの大切さは言うまでもありません。

しかし、とあらためて考えてみるのです。沖縄には豊かな自然と文化がある。自己完結しているとさえ私には見えるのです。この強みは、いくら本土に隷属させようする力が強まったところで、奪い取ることのできない沖縄だけのもの。翁長さんをはじめ、沖縄の歴史と文化を守ろうとする人たちが「アイデンティティ」と呼ぶのはそれです。そのことにどれだけ思いを馳せることができるのか。そして、民衆の側からウチナーとヤマトという壁を壊す人間的な力をどれほど蓄えることができるのか。



  12月2日(金) その2
今朝目が覚めたら朝8時だった。よく寝たように思うが、まだ眠たい。
朝から掃除・洗濯。まとめてやろうとすると、結構手間ひまかかります。機動隊のみなさんのようにホテルに泊まっているわけじゃありませんからね。さらに、明日・あさっては南城市に戻るので、今日は大きなものを荷造りして発送する準備です。さっそく段ボールを探しにいかないと。
といいつつ、腰が痛くなる前に机に座ってつい休憩。こちらではネット新聞やメールチェック、ブログのアップ以外は容量オーバーを恐れてほとんどWIFI接続をしていないので、家にいる間はほとんど無音状態。テレビもずっと遠くにあるのでほとんど見ない。
いままではいろいろと本を読んだり記録をつけたりしていたので、時間の経つのも速かったのですが、ちょっと暇になってみると音のないのもさみしいもの。とうわけで、パソコンに入っていたいくつかの古い音源を探し出してBGMとして流しながらこれを書いているというわけです。
Andre Previn指揮ロイヤルフィルのチャイコフスキー、シンフォニーNo6の第1楽章テーマはあまりにも有名ですね。ロマンチックで物憂げで哀切の情感にあふれたメロディー。こんなのは誰だって卒業式の証書授与のバックにはふつう流しませんね。でも当時の私たちは、これしかないと思われたのです。同僚と二人でそのテーマだけ「それっ!オン、はい、ここまで」と何度も録音した記憶、それを定時制の卒業式に流したときの様子、そうした情景が浮かび上がるのです。そう、今から40数年前の名古屋での出来事、私がまだ教師になりたての頃です。
いっしょに録音したシンペイさん元気にしてるかなあ。あの頃の生徒たち、今頃何してるのでしょうか。私と5,6才しか違わないからもう60才も超えていますよね、いいおじいさん、おばあさんです。私の頭にはあの頃と同じ若い顔しか浮かびませんが・・・。

さて、ちょうど正午。ほとんどの荷物を詰めて、ちょっと気が早いけれど発送してしまいました。あとは本当に身の回りの必要なものだけ。帰りの荷物はうんと軽くなりそうです。例の肥料用のサンゴ砂20キロも何とか箱に詰めて送ることができたので安心。送料がかさみましたけど・・・。

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え、池田町?例のあの元町長の?? 最近は何、大麻栽培で20何人も捕まったって?? さらに公民館の使用禁止?? いったい、この町どうなってんの?・・・・実際、東京のあるお方に言われてしまいましたよ。返す言葉がございませんでした。

いよいよ今日は、池田町で「戦争法に反対する池田町民の会」などの団体でつくる実行委員会主催の「政党と町民のつどい」の日です。
民進党、共産党、社民党、みどりの党の4党代表をかこんで、この国の政治のあり方を問い、野党共闘をどのようにつくりあげるかを真剣に話し合う場として、1ヶ月以上前から準備してきたものです。
現在の政治状況は、安倍内閣が憲法に違反する安保法制の具体化として南スーダンへの新任務を付与した自衛隊員を派遣、沖縄では県民の意志を踏みにじって辺野古・高江での新基地建設に突進、TPP、原発再稼働でも民意に背を向けていることは同じ。つまり、日本国憲法の精神を生かすのか殺すのかの対決となっているということです。
もちろん生かそうというのは野党の側です。内田樹さんと姜尚中さんの対談では、自民党が憲法を変えようという「革命」(もちろんファシズムの指向)政党となり、野党はむしろ真の意味での「保守」政党となっているのではないかと指摘していましたが、一見するとそのような構図です。
そのような状況下で、地域から政治の風を起こし、市民本位の政治をどうつくるかを深く検討することは、まともな政治の姿でしょう。

こうした活発な政治論議を好ましく思わない人たちいる。憲法を変えて「自民党改憲草案」のような社会を望む人たちです。そこで展望されるのは、言論の自由も、政治活動の自由も「公益」(何が公益かは政権党が決める)に反するものは一切許さないとする言論ファシズムの社会でしかありません。これは私が言うのではなく、大多数の憲法学者が指摘することです。
その先鞭をつけたのが、先の「公民館使用不許可」という愚かな決定です。
行政サイドは、よほど暴力的に秩序を変革しようとか、偏狭なナショナリズムでヘイトスピーチをやるなどのことは別として、町民の政治的な分野での公民館利用が出来る条件をつくることが何よりの仕事なのです。政治活動を狭めるのではなく保障すること。戦後まもなくの公民館は、むしろそうした活発な政治論議の中心であったはずです。
「公正・中立」とは、公民館側の立場をさし、町民の政治的活動が一部の団体だけにかたよらないように常に気を配り配慮することをいうのであって、使用する団体に「公正・中立」を求めることではありません。
当然ながら、一定の政治的見解をもつ団体が使用することもあり、むしろそれが当然のことです。政権党に批判的な人たちが使用することも自由なら、反対に政権党を支持する人たちが議論を交わすことも当然あることでしょう。それを同時に公平に保障するのが公民館の「公正・中立」な立場です。それが当たり前の姿です。
それに対して使用する側に「公正・中立」を求めるなら、それは事実上政治的な活動(研究・討論でも)は一切行ってはならないということを意味します。もしそうだというのなら、池田町の町民で「公正・中立」であるお方を紹介してほしいものです。それこそ「公正・中立」の(誰が判断するのか知りませんが)の人間だけしか公民館を使ってはならないという結論になりませんか。
社会教育の場、町民交流の場としての公民館のあるべき姿をはき違えているというのはそのような意味です。
問題が大きくなれば司法の場で決着をつけることも可能でしょうね。
まして今回の場合は、政権政党の現職政治家の圧力によって、使用許可を出したものを前日になって取り消す(しかも「庁議」で)という前代未聞のやり方を取ったわけですから大問題です。
町ぐるみで公民館のあるべき姿をねじまげたばかりか、「使用する団体が自民党に出席を要請していないから偏っている」という愚にもつかない理由を弄して介入した某政治家の圧力を受けて使用許可を取り消したのですから(公式にはそうだとは認めないでしょうけど)、おそらく池田町の歴史に汚点をつけた出来事として記憶に残るでしょう。
ここまでは、あくまで一般的な見解であって、具体的に生起した事象を時系列的に追っているわけではありません。先にも書いたように、具体的な問題については後にまた書くこととしましょう。

つどいを準備なさっているみなさま、場所は変わっても、つどいの中身が変わるわけではありません。いっそう決意を固めて実りある集会として成功させてくださいますように、遠くから応援しております!!



  12月2日(金)
沖縄のコトバについて書いていたのは誰だったかなあ・・・と考えつつ、ああ、あの「迫りくる沖縄危機」の恵隆之介だったといま思い出した。
ウチナーグチ(沖縄方言)を残そうという最近の活発な官民挙げての活動をやり玉にあげて、この方は次のように主張します。

語彙の少なさはつまり、文化の後退を意味します。沖縄が廃藩置県以降、高度な現代社会に追いついたのは、標準語の普及と、その豊富な語彙に助けられたからです。標準語が広まったことによって、私たちの文化レベルは劇的に向上しました。そのことを翁長氏はわかっていないし、理解しようともしません。
高度に発達した社会を、沖縄方言だけで支えることは不可能です。それなのに翁長氏は、あらゆるシーンでこの沖縄方言を強制的に使わせようとしています。県民から語彙を奪い、思考する力を奪う。もはや独裁政治といえます。


その例として、このお方は「徐行」という用語をウチナーグチで書こうとしたら「よーんなーぐわぁ あっかしみそうりよう」(ゆっくりすすんでください)となって、車を運転などしていればかえって危険ではないかと。
私はこれを読んで笑ってしまいました。何を勘違いして、とんでもない説を書き殴っているのか、本当にお笑い草とはこのことです。
今日「子ども塾」に来ていた小学1年と2年の子は、いっしょうけんめいに漢字の書き取りの練習や足し算・引き算の宿題にとりくんでいました。けなげに勉強している子たちの実態を知ろうともせずに愚論を垂れ流しているのがこのお方です。
「標準語を身につけ、語彙豊富」なこのお方のお書きになる文章が、なぜこのように非論理的で非科学的、非実証的なのでしょうか。同じレベルで並ぶとすれば、元航空自衛隊幹部のあのお方しかいない。もてはやされるのは支配する側にとって利用価値があるからだけの話でしょうに。
方言指導というのは、全国的な統一言語を教えることとは全く次元の異なることです。
沖縄では、戦後「方言札」に見られるように、方言撲滅運動に教育現場を駆り立てた苦い経験をもっている。日常生活のすべてを方言で統一するなどというバカげたことを翁長氏が考えているのだというデマを流すほどにこのお方の頭は「翁長=中国」でこり固まっているのです。
この人によると、沖縄には「日本という国家に虐げられているという被害妄想、かつての琉球王国として独立したらもっとよい生活ができるという幻想」があるのだそう。「かつての琉球王国ではいい暮らしをしていたのは支配者ファミリーだけで住民は地獄の苦しみにあえいでいた」、「琉球王国というのは、原始共産主義体制の国家」だったというのです。
ここまでくると、アホかいなと思ってしまいます。まず現在の琉球独立論を「琉球王国復活論」にすり替えていますね。次に、原始共産主義とは北朝鮮のような仕組みだというに至って、社会科学的知識のかけらもないことをはしなくも露呈。
こんなことを延々と書いた本が、体制側のお墨付きをもらって堂々と本屋に並んでいる異常を私は深く憂えるものですが、そんなことをいくら言ってもはじまらない。具体的に論破していくほかありません。

同じ本屋の片隅に、ブックレット風の「月刊琉球」(琉球館)という薄い本が目にとまり買い求めました。そこには非常に短いものですが、琉球大学・沖縄国際大学などの講師をつとめる沖縄言語研究家の仲間恵子さんの「ことばの意味とその背景」という一文がありました。
琉球につたわる古くからの言語が、土地の生活様式、気候風土と密接にかかわって磨かれたものであり、それを共感をもって伝えることが琉球語の独自性をたもちつづけることにつながると書かれていました。
その例としてはじめにとりあげられていたのが、このブログでも何度も取り上げたことのある「カタブイ」。このコトバには、地域の気候風土の情報、土地の経験則が込められている。コトバが失われれば、その情報も消えてしまう・・・そう彼女は指摘します。

「カタブイ」と言われる気象現象は短時間にさっと降る雨のことを指す。海洋に点在する島に雨雲が沸き立つとそのまま島にも海にも降り注いで雨は止む。急な雲の発達は狭い範囲に激しい雨をもたらす。
 カタブエー ンマヌ シー ワキユン
 片降りは 馬の 背を 分ける


仲間さんは、このコトバは生活様式が変わった今もこれから先も、土地の気候を特徴づける「人の知恵・土地の情報」として使われ続けるだろうと書いていました。
仲間さんの一文は、沖縄の歴史、民俗によりそい、それを大事にしながら生活感覚を磨いていこうと促すものですから、とても印象深く読むことができました。全体を紹介できないのが残念です。



  12月1日(木) その2
夕方「子ども塾」から帰ろうとした午後6時過ぎから急に風雨が強まって、小さい台風並の嵐になってきました。東北・北海道では低気圧の発達で、明日には大荒れの天気とか。明日には晴れてほしいものです。
今日は午前中、ドライブがてら本部半島を一周してきました。場合によっては伊江島にも寄りたいと思っていたのですが、港の駐車場は超満員。どこにも車をとめるスペースはありません。こんなにたくさんの人が毎日伊江島に行っているのですかね。昨年はそうでもなかったですが。
本部半島は約1時間で一周できます。名護の市街地から海岸沿いを右回りにすすみ、瀬底島にちょっと寄って、今帰仁からまた名護へ。瀬底島の近くではダイビングを楽しんでいる若い人の姿も見えましたよ。気温は長野の夏の終わりくらいの感じですからね。


子ども塾から帰ろうと面に出たら、長野のある新聞社の記者から電話が。私が沖縄にいるということは知らないで掛けたようでした。
明日池田町で開く「政党と市民のつどい」の会場として借りていた池田町公民館から「使用不許可」が庁議で決まったことへの問い合わせでした。
某衆議院議員の横やりで、前日になって不許可を通知するなどという池田町教育委員会の非常識も問題ですが、何よりも「公平・中立」の意味をはき違えて、広い意味での町民の政治的啓蒙・学習活動に公民館を使わせないという判断に私は唖然としました。
しかし、いかんせん沖縄からでは十分事態を把握することもできず、コメントすることもできないので、その旨伝えて電話を切りました。
事務局メンバーからの情報を聞く限りでは、言論の自由と公民館が果たすべき社会的な役割に照らして重大な問題をはらんでいると思えたことだけは事実です。
これについては、帰ってくわしく話を聞いた上で見解をまとめ、必要な批判を行うとともに内外に発表したいと考えています。

今日の琉球新報は社説で、今回の沖縄平和運動センターなどへの強制捜査と逮捕は不当な弾圧であり、基地建設に警察が荷担しているとして、厳しい論陣を張っていました。
多くの弁護士や専門家が、強制捜査の必要性は乏しく「表現の自由、政治活動の抑圧」と見ていることにも言及、県民は加害者ではなく被害者だと訴えていました。
琉球新報が今日から一面トップで連載を始めた「SACOの虚構」も注目記事です。今日は第1回として、北部訓練場の部分返還について書いていました。
SACO合意からの歴史を簡単に振り返りつつ、「その本質に迫る」というのがこのシリーズのねらいです。
すべて代替施設などの条件がついた「返還」の本当のねらいは、古くなった軍用基地の廃棄・更新と今日の戦略に即応した新型装備の獲得にあることは明白。このことにどこまで具体的に迫れるか注目されます。



  12月1日(木)
沖縄で12月を迎えるというのは初めて。残念ながらまたまた雨で外はややひんやりしますが、室内は23〜24℃。このまま池田に戻ったら、しばらくはまともに外に出られないかもしれませんね。
予報では今日一日雨のようで、明日には回復する見込み。全国的には低気圧の通過で大荒れになるのではとお天気姉さん。沖縄本島は最低22℃〜最高25℃という予報でした。12月とはとても思えない。

沖縄生活もあと一週間となりました。そろそろ帰る支度にかからないといけません。私の予定は、今日明日は無名塾(名護の子ども塾)のお手伝い。そのあと土日は母と実家で過ごし、日曜に名護にもどって後片付けをし、6日に南城市で荷物の発送、レンタカーの返還。7日夜に池田帰着ということになります。

OPECが8年ぶりに減産で合意というニュースがありました。やれやれまたガソリン価格が高騰ですね。アメリカのシェールオイルとの競合で、しばらく様子見だった中東原油も、安値過ぎてこのままじゃやっていけないと考えたのか。世界経済にこれからどんな影響がでてくるのでしょうか。

昨日の新聞には共同通信の配信で、労組ナショナルセンターの連合が「目の前の勝利のみを目的とした共闘は国民の理解を得られない」として、民進党が共産党と連携を強化することをけん制した(これは素案で正式発表は12月22日)との報道がありました。「次期衆院選を巡る両党関係に影響を与える可能性がある」とも。
ほぼ素案通りになるのでしょうね。「連合」は1970年代から労働組合運動の反共右翼再編の本命として登場し、現代版「産業報国会」とも言われてきた組織ですから、驚くにはあたりません。むしろ、連合のこうした妨害を乗り越えて、市民の力が政党の「統一」を作り上げてきたのですから、むしろ犬の遠吠えに近い印象を受けます。
要は民進党が共産党と組むことはまかりならないというだけの話。「(共産党は)民進党などの民主主義政党とは根本的に異なり、選挙戦で連携することはあり得ない」と考えようが考えまいが、地方レベルでは香川での候補者統一に見られるように、民進党の側が共産党の綱領もよく検討して共産党が民主主義を守る政党であることを確信して共闘を可能にしているのです。
大企業お抱えの連合とすれば、こうした全国的な動きは腹に据えかねるような出来事ですね。また、原発推進を掲げる電力関係の大労組を抱える連合ですから、反原発、反TPPなどは絶対に認められない。この時点ですでに実際にすすんでいる共闘の動きやそれを支える市民の意識とは大きくかけ離れてしまっています。
「国民の理解が得られない」のではなくて、単に連合執行部の思惑が国民から乖離しているだけの話。こうした連合の見解に民進党が振り回されるとすれば、それは民進党自身の衰退・消滅への第一歩となることは当然でしょう。連合執行部にはそれが理解できない。いや理解しようともしないのでしょうね。
いまや連合傘下の労組は労働者全体から見れば圧倒的に少数で、かつ大企業がその中心ですから、彼らの言い分が中小企業の労働組合や、いまや多数を占める未組織の勤労者の気分、要求といかにかけ離れているか、彼ら自身わからなくなっているのではないでしょうか。そしてその足下を自ら掘り崩している。
どんなに「連合」が嘆こうが叫ぼうが、「野党共闘」を求める声は衰えることはありません。地域では、民進党といえど共闘しなければ落ちるのは見えていますから、市民の声に耳を傾けざるを得ない。どれだけ、真剣に誠実にそれに向き合うことができるのか、それが問われているのだと思います。

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沖縄高江の座り込み市民逮捕のニュース。現地新聞は「権力の暴走」として、識者の見解を次々と紹介しています。ただ、このニュース、あくまで沖縄のローカルニュースなのですね。

沖大准教授(憲法学)の高良沙哉さんは「これから抵抗運動に参加しようと意欲を持っている人たちの動きを封じる目的」があると指摘、「『沖縄に対しては、何をやってもよい』という権力の暴走は、『土人』発言と共通する差別意識が潜んでいるのではないか」とのべていました。そして「高江での露骨な暴力的弾圧に加えて、辺野古でも弾圧する糸口を探す。表現の自由など、憲法上の人権を無視し、民意を無視して権力が暴走するこの国はもはや法治国家と言えない」と手厳しく批判。

沖縄近現代史家の伊佐眞一さんは、「島ぐるみ」のバスで高江に行った際に「2/3が初めて高江を訪れる人だった」、「建設に反対の気持ちがあり、これから現場に行ってみたいと思う人にとって精神的に非常に重荷になると感じた」と書いていました。
政治的には、翁長知事の微妙な揺れを指摘しつつ「オール沖縄にくさびを打ち込むこと」にその狙いがあり、本丸の辺野古新基地建設の推進に向け「基地反対の運動を逡巡させる一つの方法」だと続けて、権力は平和運動の原動力がどこにあるのかをよく見ており、その拠点を標的にしたといえると分析していました。(以上、琉球新報)

専修大教授の山田健太さんは、「辺野古関連の家宅捜索や逮捕が続いた当日も、テレビでは歌手の覚せい剤再逮捕と五輪会場選定のニュースばかりだった」として、これらのニュースは本土にはまるで伝わっていないとのべ、「公権力の行使が社会全体として『なかったこと』として過ぎ去ることは大変危険だ」と書いていました。
また「度重なる逮捕と長期拘留は、反対運動を反社会的行為と印象付ける効果も生みかねない」として、「これらが『反対の声』の未然抑え込みならば、市民的自由が保障された民主的な社会としての最低条件が失われつつあるということで、極めて深刻な事態だ」と憂慮していました。

最後に、沖縄人権協会事務局長の永吉盛元さんは、「今回は運動自体をつぶそうという意図も感じさせる」とまず指摘。市民の権利として非暴力で抵抗する市民に対して、法律を必要以上に「厳密に」適用して犯罪行為をつくることは、どっちもどっちという空気を生むとのべて、「それは危険だ。抵抗を引き起こしたのは国に理由がある。国民、県民は厳しく批判的な目で見なければならない」と強調していました。(下の2つは沖縄タイムス)

弾圧というのは、単に機動隊員が抵抗する市民を強制的に排除することにあるわけではありません。そうした行動をビデオにとっておいて、どんなささいなことも逮捕の口実とする可能性がある。それを待っているのです。どうしたら抵抗を最小限に抑え込めるか、どうしたら萎縮させられるか上層部は日々作戦を練っているのでしょう。(下は抗議する住民にビデオカメラを向ける沖縄県警 11/15)


昨日も午後からの集会である女性が「怖くなって自分で立って逃げてしまった」と率直に語ったと琉球新報ツイッターが報じていましたが、その通りで、大勢の機動隊が一斉に取り囲んで排除にかかる瞬間というのは誰だって恐怖を感じます。名護から現地に行こうと誘っても、かなりの女性は「怖いから」と断るのだそう。逮捕となれば、比較にならないくらいの「萎縮効果」があります。そこが警察権力のねらい。
それでもN1前の抗議行動では、ひょとしたら女性の参加者の方が多いのかも。決してめげてはいません。とくに年配のおばさんたちは強い。恐れ入ります。
今後も防衛局・警察はどのような作戦をとってくるのかは分かりませんが、それを許さない社会的反撃の輪をつくる以外にありませんね。




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