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  9月26日(月)
この夏の暑さと、ここしばらくの雨模様で、我が家の周辺に少し変化が現れました。家の中で蚊に刺されるという事態が起こってしまったのです。今日は2カ所も刺されてしまった。
これまで木の陰や草むらにはヤブ蚊はいたけれど家の中には入ってこなかったのです。蚊のいないところって何て過ごしやすいのかと思っていたら、ついに我が家周辺も普通の町になってしまった。
池田町でもいるところにはいるようで、安曇野全体に蚊がいなかったわけではありません。そろそろ蚊取り線香を買ってきて火を付けておかないといけないのかなあと思い始めた次第です。

今日から第192臨時国会がはじまりました。安倍首相の所信表明演説は聞くことは出来ませんでしたが、あとで産経ニュースの全文紹介で読んで見ると、まあ、一体どんな素晴らしい国になるのかというくらいの自画自賛演説。恥ずかしくてこっちの顔が赤らむほどでしたよ。
「同一労働同一賃金を実現します。・・・『非正規』という言葉を、皆さん、この国から一掃しようではありませんか」・・・パチパチパチ。でもね、コトバだけ一掃してもどうしようもないんだけど。
雇用も増えている、実質賃金も上昇に転じている、いいことずくめ・・・何でも世界一にしよう、という話しぶり。そして、「本年、最低賃金を、時給方式となって過去最大の25円引き上げます。1千円を目指し社会全体の所得の底上げを図」るのだそうです。
ん??時給1000円になるのはいつのことなの? というわけで調べてみると、東京の最賃は2016年度、25円引き上げて932円となりました。東京だけをとって見れば1000円はすぐ近くということなのでしょう。
しかし、ですね、全国最低である沖縄の最賃は21円引き上げられ、はじめて700円超えの714円に。これも02年に時給方式になって以来最高の引き上げ額なのだそうです。
ところでアベさん、沖縄で714円が1000円になるのはいつなんですか??簡単のために毎年20円ずつ上がるとしましょう。簡単な1次不等式 714+20x>1000 を解けばいいわけで、これを満たす最小整数は15です。15年も待たなければならないのですよ、みなさん。最高の引き上げ額であったことを考慮すれば、何年待たされるのかわかりませんね。時給700円台の県が38もありますから沖縄だけの問題じゃない。
最賃は即刻全国一律1000円に、出来るだけ近い将来には中小零細企業での負担増への十分な対応を取りつつ1500円に引き上げるべきです(全労連の試算参考)。
ちなみに各都道府県の地域最賃はこちら。ごらんになるとびっくりしますよ。

続いてアベさん、安全保障については、次のように述べました。

日本の外交・安全保障の基軸は、日米同盟。これは不変の原則です。日米の絆を一層強化し、「希望の同盟」として世界の諸課題に共に立ち向かってまいります。
その強い信頼関係の下、抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くします。
北部訓練場、4千ヘクタールの返還を、20年越しで実現させます。沖縄県内の米軍施設の約2割、本土復帰後、最大の返還であります。0.96ヘクタールのヘリパッドを既存の訓練場内に移設することで、その実現が可能となります。もはや先送りは許されません。一つひとつ、確実に結果を出すことによって、沖縄の未来を切り拓いてまいります。


「希望の同盟」という美辞の裏にある彼のもくろみがどのようなものであるのかは、一昨日詳しくみてきました。この言葉を聞けば、沖縄県民ならずとも、アベという人物の本質がはっきりわかる。その場に住んで生活をしている人たちのことなど眼中になく、ただアベにとって「希望」の同盟を死守するために莫大な日本の財政を使って基地を作って「あげる」。それこそが「確実な結果」なのですから。
このことから考えると、憲法であれ、TPPであれ、アベノミクスであれ、アベ首相の今日の所信表明の意味することががどんなものなのか類推は十分可能じゃないんでしょうか。



  9月25日(日)
久しぶりの晴天になり、下界はかなり濃い霧。上の方には有明山が浮かんでいました。
今日は午前8時から集落の一斉道普請があったために、約1時間道路周辺の溝掃除や除草に一汗流しました。
遅い朝食の後、テレビをつけたらちょうど政党討論会がはじまったところで、しばらく聞いていたのですが、憲法のところまでで切ってしまった。自民党の二階さんのあまりにひどい話にうんざり。
午後からは久しぶりに畑に行ってイチゴの後始末。古い畝にはイチゴ以外の雑草がびっしり生えているので、畝のマルチ部分をすべてはがしていかなければなりません。これがまた重労働。それほど気温は高くないのですが、汗が目に入ってしばしば作業を中断させられてしまいます。これが終わらないと次の作物の畝ができないので、あと3,4日はかかりそうです。

庭に「パッションフルーツ」の木が3本植えてあり、かなりの茂みになっているのに、今年は一向に花が咲かないと思っていたら、今頃になってたくさん花をつけ始めました。これからは朝晩涼しい季節になるので、花が咲いたとしても果たして実になるのかどうか。多分ダメでしょうね。
2年前にも一度植えたことがあって、そのときはタイミングよく花が咲いてくれて、人工授粉の結果それなりに実をつけたのですが、今年は今頃花が咲くなんて一体どうなっているのか。ただ、花はとてもきれいなので、咲いてくれれば庭の飾りになりますからうれしい。


今日のNHK政党討論会で自民党の二階幹事長は、面白いことを言っていました。
「これまではアメリカがこう言えば、日本はそのあとについていった。しかし、これからは日本がリーダーシップを発揮する時代だ」なんてね。思わず笑っちゃいました。
TPPの国会承認を急ぐという文脈での発言ですが、これほど人を食った発言もないでしょう。日本がTPPの合意を承認して、アメリカが再交渉を求めたらどうするんですか。絶対に譲らないですかね。そんなこと爪の先ほども考えられません。
「TPP断固反対 ブレない」と言っていた自民党がブレるどころか先頭に立ってTPP推進なんですから、誰も信用するわけがない。
野田さんも、「総理時代に懸念していたことを自民党は全部やっている」なんて言い訳していましたけれど、そうなることは、これまたその当時から指摘されていたこと。何言ってんですかね。
二階幹事長がいくら協定案の内容について「各党が納得のいく情報開示を政府にも求めていきたい」と言ってみても、そもそも「各国はTPP発効から4年間、交渉過程などの公開を禁じられている」(2015.5.9読売)のですから、出てくるのはまたまた海苔弁当(又市幹事長)のような黒塗りペーパーになることは明らかじゃないんですか。

また、憲法についても自民党は「対案を出せ」といい、「70年近くもそのままというのはおかしい、自民党は改憲草案を出しているのだから対案(改憲案)を示すのがスジ」という攻め方をしてきます。
その土俵に乗るわけにはいきません。なぜなら、現行日本国憲法を敵視しそっくり変えたいというのが自民党であって、構図としては現行憲法VS自民党改憲草案というのが今日の姿なのですから。
自民党改憲草案を憲法審査会での協議の前提にすべきではないと野党各党が迫ったのに対して、二階さん「撤回はしない」とかたくなに草案にこだわっていた。それはそうでしょう。「立憲主義を否定し権力を縛るものから国民を縛るものにする」というのがこの自民党改憲案のミソですから、そう簡単には引き下がれない。
議論を聞いていると、矢継ぎ早に「改憲案」をベースにした国民誘導策を打ち出してくることが予想されます。最も国民が抵抗感のないところから順次議論をすすめ、最後には本丸(緊急事態条項)へとすすむんじゃないかな。
気がついたときは、どうしようもない状態になっていたという歴史を繰り返させないためにも、自民改憲案を完全に粉砕し現行憲法を守り抜く覚悟を固めないとダメですね。



  9月23日(金)
米軍横田基地を含む関東の上空は米軍専用空域として使用され、日本の航空機の飛行と安全に重大な影響を与えていることは、かつて詳しく調べました。沖縄の上空はさらに広範囲にわたって米軍に支配されています。
まず、米軍の訓練空域の問題。下の図を見てみましょう(ちょっと大きい図がリンクされています)。


この詳しい説明は下の沖縄県の一覧をご覧下さい。

沖縄米軍の訓練空域(pdf)

ここで確認ですが、あらためて沖縄の米軍基地がどのようになっているのか、これも沖縄県が発表している地図で見ておきます。沖縄がいかに米軍によって陸も海も空も支配されているのかが浮き彫りになってくると思います。


当たり前のことですが、米軍機が飛んでいるのは訓練空域だけではありません。たとえば、普天間基地の周辺では、住宅密集地を米軍機がひっきりなしに低空飛行し騒音被害がひどくなっています。
普天間基地の飛行経路は1996年4月に当時の橋下龍太郎首相とモンデール米駐日大使との間で普天間基地返還合意が行われた際に合意されていましたが、その直後3ヶ月後に、宜野湾市に対して普天間基地の副司令官が、滑走路の東側だけでなく西側にも飛行経路を拡大すると一方的に通告したのです。(図は今年1月26日しんぶん赤旗ウェブ版による回転翼機の飛行状況)


政府を追及した赤嶺議員によると、東側の飛行経路は一部を除いてほぼ基地内に収まるように設定されていたのに、西側は初めから民間地域上空に設定され、しかも自ら設定した経路さえ無視して米軍機が市街地上空を飛び回っているのです。
下の図は沖縄防衛局が2014年に発表した米軍普天間飛行場における米軍機の飛行状況調査結果です。黄色い太線は宜野湾市が付け加えた周回路です。いかに逸脱して飛んでいるのかがわかります。
なお、沖縄防衛局が発表した2013年から一年間の米軍ヘリの航路図はこちらです。




上の図でもう一つ注意しておきたいことがあります。上の図の、中央上部の青い楕円形の部分に注目して下さい。このあたりも米軍基地で、米軍関係者の住宅地になっています。下のgoogleの地図と見比べてみるとよくわかりますが、米軍機は住宅密集地の上を集中的に飛んで、米軍住宅の上空はほとんど飛ぶことがありません。
この実態について説明しているのが、「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」(集英社インターナショナル)を書いた矢部宏治さん。次の対談が参考になります(7分15秒あたり)。できれば最後まで聞いてみてください。大変面白い(怖い話)が沢山出てきますから。


では、空の管制権はどうなっているのか。まず下の図を見てみましょう。


沖縄上空は、嘉手納基地と久米島を中心とする二つの円柱で覆われています。これが「嘉手納ラプコン」と呼ばれる管制空域です。ラプコンとは、rader approach control(レーダー侵入管制)の略。関東には1都8県にまたがる巨大な横田ラプコンが存在します。
沖縄上空のこの空域の管制権限はかつては米軍が持っていましたが、2010年3月31日に日本に「返還」されました。
どう変わったのかを示したものが下の図です。

ちょっと小さくて見づらいので、大きいpdfまたはjpeg画像をご覧下さい。
pdfはこちら、jpeg画像はこちらです。
那覇空港の管制権限が広がったようにみえますが、上の図の注2を見ればわかるように、依然として米側の管制官の「統制」のもとに置かれているのです。
「日米地位協定入門」の前泊博盛さんはこのことについて次のように書いています。

この嘉手納ラプコンは2010年3月末日本へ「返還」され、管理権が日本に移ったことになっています。しかし実態はなにも変わっていません。依然として米軍機優先の管理体制が継続しているからです。あとで似た話が出てきますが、これが「形だけは返還して、手間のかかる作業は日本にやらせるが、大事な権限は手放さない」という、米軍が日本側に「譲歩」するときの典型的なパターンなのです。

嘉手納ラプコンの中には、この説明の最初で見たような米軍の訓練空域や米軍基地そのものがあるわけですから、民間の航空機がどのような制限を受けているのか推して知るべしですね。
実際に、「嘉手納ラプコンの返還が形だけだった」ことを如実に示す事実が2013年に明らかになりました。それを報道する琉球新報の記事は前泊さんの指摘を裏付けています。

最後に、普天間基地の管制権から見た辺野古移転の問題について考えて見ます。次は、嘉手納町で行政書士事務所を開設している福地さんの「日本政府の嘘を見抜く」と題した一文の一節です。

現在、沖縄にある3飛行場(那覇、普天間、嘉手納)には航空交通管制圏(飛行場を中心とした約半径9kmの円)がある。那覇空港、嘉手納飛行場の航空交通管制圏は各飛行場を中心とした範囲となっているが、普天間飛行場の航空交通管制圏は那覇・嘉手納両飛行場の航空交通管制圏に重なるために歪な形となっている。
嘉手納飛行場から普天間飛行場までの直線距離は約9キロ。嘉手納飛行場の航空交通管制圏は間違いなく普天間飛行場まで及んでいる。ところが、嘉手納基地所属米軍機は、普天間上空を飛行しない。それは普天間飛行場の航空交通管制圏を避けて飛行しているからにすぎない。その証に、嘉手納・普天間両飛行場の航空交通管制圏の境にあたる宜野湾漁港周辺の住民地域上空では、嘉手納基地所属米軍戦闘機による騒音防止協定違反飛行が日常茶飯事だ。
普天間飛行場が無くなれば、嘉手納基地所属の米軍機は、自らの航空管制権の範囲内である普天間地区上空を飛び交うことになる。嘉手納飛行場周辺住民が昼夜を問わず、24時間曝されている爆音被害が普天間で発生することになる。
普天間飛行場が移設されて一番喜ぶの誰か。それは嘉手納基地の司令官だ。自らの使用できる管制空域が拡大するのだから当然だ。さらに辺野古新基地が完成すれば米海兵隊も大喜び、ということになる。
二つの基地の間で爆音被害に曝されるのは私たち沖縄県民ということになる。


仮に普天間基地がなくなれば、むしろ管制空域が整理されて、米軍機がいっそう我が物顔に空を飛び回るということになる。つまり辺野古新基地ができればそれを中心にさらに空域が増えるわけですから米軍にとっては、基地機能の強化だけではなく「おまけ」まで付いてくるという話なのです。
米軍機の墜落という事態が、どのような背景でどのような歴史の中で起こっているのか、私もいろいろ調べてみて初めて知ったことも多くありました。このままなら、米軍の重大事故は続きます。
これをお読みの皆さまも、ぜひご自身で調べてみてはいかがでしょうか。



  9月22日(木)
夕方から友人とそのお子様を招いて私と4人で池田祭りの前夜祭パーティーをやりました。実はただ食材が沢山あって食べきれなかったので夕食のお手伝いをしてもらったというのが本当のところでした。
まず、沖縄の知人からデカい「キーツマンゴー」が届きました。どのくらいデカいかというと大人の手のひらを目一杯広げたくらい。通常のアップルマンゴーの数倍の体積があるでしょう。しかも色は緑色です。下の写真で、アップルマンゴーなら4つは入りますよ。
昨年沖縄を訪れたときも目にしていましたが、食べるのはこれが初めて。まだほんのちょっと早いかなという感じでしたが、甘みと酸味がほどよくミックスしてとても美味。あっという間になくなってしまいました。
頂くときは集中するもので、マンゴーの直後に今度は女川のTさんから、これまたデカいサンマが。さっそく刺身にして提供しました。ただし、高3の女の子は大好きだと沢山食べてくれましたが、中2の男の子は生魚がダメという。やむなく一尾を塩焼きに。信州ではまず食べられないピチピチのサンマを、何ということでしょう。


午後4時頃から準備にかかって、昨日たくさん作りすぎたカレーと余りご飯を使った特製チャーハン、それに自家製トマトをふんだんに使ったスープ。お子さんは中学生と高校生の育ち盛りでしたので、どちらか一方と思って作っていたのに、両方とも食べてくれてよかった。
作ったものをすべて美味しいと食べてもらえるのは、作った者としては本当に嬉しいことですよね。いろいろとおしゃべりをして楽しいひとときを過ごすことができました。
今日もほとんど一日中雨。明日から2日間池田の八幡社の祭りが行われ、山車を曳いたりお舟を出したりします。今日来てくれた中学生の男の子は山車に乗って笛を吹くのだとか。何とか晴れてほしいものです。

さて、今日は沖縄で米軍戦闘機が墜落するという聞きたくもないニュースが飛び込んできました。嘉手納から飛び立ったAV8Bハリアー戦闘攻撃機1機が、沖縄本島東沖合(辺戸岬東153キロ海域)で墜落。幸い乗組員は無事だったということですが、これが本島での事故だったらどうなっていたか、県民のみなさんは肝を潰すだけではなく、怒り心頭に発しているのではないでしょうか。
この戦闘機は垂直離発着ができるために映画ではよく出てきたりしますが、航続距離が短くさまざまな弱点を抱えていて現在後続機の開発が進められているという曰く付きの機種。




沖縄上空は米軍のためにあるようなものですから、米軍機の事故は必ず起きる。そのことを示したのが今回の墜落事故です。(1999年以降の米軍機事故については朝日新聞がまとめています)
さきほどのニュースでも翁長知事への取材の模様を放送しており、知事は「日常的に米軍基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている県民に大きな不安を与えるもので、大変遺憾だ。原因究明がなされるまで同機種の飛行中止を求め、安全管理の徹底に万全を期すよう強く要請する」とコメントしていました。当然のことです。

下は昨日21日の高江N1地区出入り口周辺。約300名の機動隊員が座り込む200名の住民を強制排除、ダンプ10台が入ったということです。高江で粘り強くたたかっているみなさんに頭が下がります。明日は妻が友人といっしょに高江に出掛けることになっています。
写真は沖縄タイムス・ツイッターより。記事もぜひご覧下さい。





  9月21日(水)
私の住む地域は滝沢七五三掛(しめかけ)といい、バス停には七五三掛とあるので七五三にかけて目出度いというので一時ほんのちょっとだけ話題になったことがありました。今ではそんなことも忘れられたようにのどかな集落です。
そのバス停の直ぐ近くに、いつのころからか彼岸花がたくさん見られるようになりました。今年はとくに花がたくさん咲いて、ちょうど今が見頃。鮮やかに花を広げています。近所の人がモグラ避けにでも植えたんでしょうかね。


彼岸花は全体にアルカロイド毒があるので、あまり好かれない花のようで、ウィキによれば「死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあ」と、これでもかとばかり情けない別名をつけられて・・・果ては「花が燃える炎のようだから持ち帰ると火事になる」なんていうひどい迷信まであったのだとか。これじゃ彼岸花も浮かばれない。
韓国では「白色の花をつける夏水仙は花と葉が同時に出ないことから『葉は花を思い、花は葉を思う』という意味で『相思華』と呼ぶが、同じ特徴をもつ彼岸花も相思花と呼ぶことが多い」のだそうですよ。こっちの方がよほどイメージ豊かでロマンチックでいいですね。

昼過ぎに畑に寄ってきましたが、まだどろんこ状態なので仕事は出来ず。それでも枯れかけていたイチゴの苗を新しいものと取り替え、レタスの苗を追加し、キュウリを収穫して帰ってきました。8月末に植えた第2弾キュウリが、それなりに実をつけてくれているので助かります。
畑での手入れをはさんで、あちこちを回って用足しをしてきました。細々した買い物やら用事やらが溜まっていたのです。
夕方は妻がカレールーを用意してあったので、それを使ってカレー作り。
夏に収穫したジャガイモ、タマネギ、それに夕方掘ってきたニンジンを入れて、トウモロコシも放り込み、牛肉だけは安売りのカレー用の肉を使ってサッサと作っちゃいました。
優に5人分くらい(いやそれ以上かな)出来てしまいました。まあ、余れば冷凍してとっておけばいいのだし。余計にあっても悪いことはない。

富山市議会が底なしの腐敗状況かと思ったら富山県議会に飛び火し、民進富山県連代表を含めて3人の県議が辞職または辞意表明。さらには、山形県議会でも自民会派の1議員が今日辞職したのだそうです。まだまだあとに続く議員がいそうですね。
「遊ぶ金が欲しかった」「悪いという自覚はなかった」「酒が好きなもんですから」・・・とは富山市議の弁だそうです。いったいこれらの議員たちの精神年齢はいくつなの??開いた口がふさがりません。
富山のある一市民がいっていましたけれど、「議員も悪いがそんなのを選んだおらっちゃも半分責任がある」。そうそう、本気で地方自治の2元代表制のありかたを問い直し、住民自治のあり方、議員のあり方を徹底的に問い直してほしいですね。議員も住民もです。
ついでに、マスメディアは国会議員の政党助成金の使途にも鋭いメスをいれてほしいものです。



  9月20日(火) その2
国際NGOの「反差別国際運動」がジュネーブでの国連人権理事会で、沖縄で無数の人権侵害が起こっているという声明を発表したというニュースがありました。日本政府はこれに対して「沖縄での建設作業は地方自治体の同意下で政府の認可を得ており、法手続きにのっとり行われている」と反論したのだそうです。
沖縄の事態をよく知っているNGOのみなさんの目から見れば、日本政府の態度の不真面目さや非人道性は明らかで、日本政府はこの人権侵害の共犯者になっているのもしれません。それほどに、沖縄での人権侵害、権力の横暴はすさまじい。

アマゾンで間違って買ってしまった(購入カゴから削除するつもりが残っていて、本を買うためにボタンを押したら届いてしまった)DVD「来たるべき世界(Things to come)」を午後から観ておりました。
1936年の原作に基づいて映画化されたもので、科学主義と自然主義の対立を中心に人間社会のあり方を問うH.G.ウエルズの近未来SFです。
まあ、観る方もほとんどいないであろう古い映画ですから、ネタバレを承知でかなり詳しく内容を紹介しましょうね。もし万が一観る方がいれば(観るとしたら相当にオタクです)、その方がよく分かるでしょうから。オタクの方は読まないでください。

あるイギリスの町エブリタウンでは戦争近しの文字が溢れている。だが、「戦争なんて起こらんさ、起こったって戦争は進歩をもたらす」「そんないやな話ばかりするもんじゃない」なとど言いながらクリスマスを過ごす人々。
だが、その晩に銃声、サーチライト、爆撃、さらに動員令。1940年のSF映画だけに余りにテンポが速くてついていけませんが、そこはまあSFのいいところかも。
「未知の飛行機が爆撃をして消えた。艦隊が大被害を受け、全国民に武装・動員令」というラジオ放送、そして「国家防衛行動」の発令。
住民に帰宅をよびかける軍隊、混乱する町。「ガスマスクを用意せよ、毒ガス攻撃の可能性あり」の放送。激しい空爆のもとで破壊される町、混乱を極める住民。
戦争は1940年から1960年まで延々と続いて、生き残った人たちの中で敵国によって撒かれた毒ガスで「さまよい病(the wandering sickness=a new feber of mind and body)」が発生。1966年にはほとんどの都会が廃墟と化してしまった。
その後「さまよい病」は治療法不明のまま、中世の黒死病のように世界中に蔓延。ゾンビのようにさまよい見つけ次第射殺される感染者。
ようやく流行も下火になった1970年。今や町の独裁者となったザ・ボス。彼の「見つけ次第射殺する」という方針のおかげで町は救われたと人々は信じている。
そして町の再建に立ち上がる人々。ガソリンも資材もなく運搬はすべて馬。車さえ馬に引かせるエブリタウン。
そんな町に、ある日一機の最新型飛行機が着陸した。降りてきたのは近未来からきたような服装の1人の科学者風の男。エブリタウンの住民に、生き残った機械工や整備士は世界を変えなければならないと説く。そして「われわれの生き残る道は科学の結束力を信じ、友愛に満ちた世界をつくることだ。文明は棄てるべきではない。地中海沿岸ではそのような近代都市を建設中だ」と述べる。
平和の都市ウイングズ・オーバー・ザ・ワールドから来たと称するその男はそのボスに自分は正義(法)の使者だと言うが、ボスもまたオレも正義だと言う。
科学者をとらえ、資源と航空機を求めて再び侵略に乗り出すボス。自国に残ったボロ飛行機を飛べるようにしろと独裁者から命令されるエブリタウンの技術者たち。科学で社会をよくしたいと思っている技術者は捕虜を解放して航空機をつくるために尽くさせようとボスに進言するが、独裁者となったボスは何一つ聞かない。
「実践なくして学問もへったくれもあるか。私が主人で私が国家だ」「大軍の脅威なぞくそ食らえだ」とうそぶくボス。まさしく北朝鮮のボスを見ているような感じです。
直した飛行機で、エブリタウンの技術者は使者の来た町ウイングズ・オーバー・ザ・ワールドへ向かい、使者があぶないと告げる。
独裁国家を倒すために、平和の都市の指導者は「平和のガス」を使うことを決める。そのガスを積んだ巨大な飛行機を使ってエブリタウンに向かう。迎撃するエブリタウンのおんぼろ飛行機。落下傘部隊。このあたり、宮崎駿のナウシカを見ているような感じです。
平和のガスによってボスだけが死亡。それ以外は眠らされることになるのですが、そこはSF。そして新しい世の中の幕開きになります。
時代はどんどんすすみ、最新の科学と技術を導入してすすむ国の再建。最新のテクノロジーと巨大なマシンが駆使される。そして、かつて廃墟だった2036年のエブリタウンは見違えるような近代都市に変貌します。
そのエブリタウンでは、さらなる進歩を求めて月へと旅立つためのスペース砲(ロケットを中に入れて打ち上げる)が建設されていたのだった。しかし、機械化され文明化された社会だが、宇宙探査を含めて過度の文明化に疑問を持つ人間も大勢いた。
そうした意見をもつリーダーの1人はテレビ演説で「進化とは何か?少しは立ち止まって考えてもいいのではないか。今こそスペース砲を破壊せよ」と訴える。この演説を聴いて熱狂する市民。阻止しようと発射台に押し寄せる群衆。
しかしこの町のリーダーの娘・息子である若い二人は未来への夢を信じロケットに乗り込む。ついに発射されるロケット。あとは書きませんが、月へと旅立つ小さな光を見つめる指導者二人の会話は意味深長です。


全編を通して、ウエルズ独特の近未来都市が描かれ、目を見張らされます。映像もさることながら、前半の独裁国家、後半の科学万能社会で交わされる会話は警句に満ちていて面白い。
タイムマシン、透明人間、宇宙戦争など映画化されたものは数知れず、その後の科学や映画に大きな影響を与えたウエルズ。全ての国家に人権の遵守と軍備の非合法化を著作で訴えた彼は、人権思想の面でも大きな足跡をのこしていて、日本国憲法の平和主義の条項制定にも影響を与えたというのですから、実に興味深い人物です。

さてさて、夕方になっても降り続く雨。さらに激しさを増しているようです。



  9月20日(火)
台風が列島南岸を進んで、各地で被害をもたらしています。これまで水害などにあまり縁のなかったところでも河川の増水・氾濫などがあるようで心配です。関東甲信は今晩がピーク。

沖縄県南城市のサキタリ洞で「約2万3千年前の世界最古の釣り針が発見」というニュースが全国紙でも報道されました。琉球新報も詳しく報道。写真を見ると約1.4センチ、返しのない円形のきれいな釣り針です。これくらいあれば結構大きな魚が釣れたのではないですかね。沖縄タイムスも、「今回の発見によって今後、本土でも同様の漁労活動の可能性を視野に入れた研究の深化が促されることになる」と書いていました。(写真は沖縄タイムスより)


サキタリ洞とは南城市前川の「ガンガラーの谷」にある遺跡で、私も数年前に訪問してからよく出掛けているところです。洞窟内に遺跡と同居してカフェがあり、奥に入るには有料のガイドがつくというところ。
この洞窟からはカニや貝、魚の骨などが出土していて旧石器人も結構グルメな暮らしぶりだったのではないかと研究者は推測しているのだとか。現在の高級食材がでてきたからといってグルメだとはいえないと私は思うんですけど、様々な生物を捕獲する手段を作り出した先人の知恵や、こうした残骸が2万年以上も経て見ることができるという方が私には驚異に感じます。

さて、雨が次第に強くなってきました。憂鬱な暗い1日で、どこにも出ることができませんから、こんな日に出来ることを一生懸命やるしかありませんね。
とはいえ、今日は日本共産党の第6回中央委員会が開かれ志位委員長の幹部会報告がネットで配信されるというので、お昼をはさんで約1時間半視聴していました。通信状態が悪くときどき途切れるトラブルがありましたが、何とか終わりまできくことができました。
私のような党外の人間でも、この党の現在の情勢分析や今後の活動の重点を知ることはたいへん重要で、多くの指針を与えてくれていますから、かねてからこの種の報告や提案はネットで見ることにしていました。
今回は、参議院選挙の教訓をうけて今後の党の活動をどのようにすすめるのかを主な内容とし、来年1月15日から4日間の第27回党大会までに特別の月間を設けて強大な党をつくるという提案がされていました。情勢分析では北朝鮮・中国問題に力点を置いてかなり突っ込んだ報告をしていたことが印象的でした。
「国際的な反核・平和の課題では中国はもはや平和と進歩の側ではなく妨害勢力の側に立つに至った」という明確な評価は日本共産党でなければ下せないものです。
考えてみると、ここ2,3年、とくに昨年の戦争法案阻止のたたかい以来参議院選挙を経て、共産党の存在意義は際立っており、安倍政権自身が「民共野合」というコトバを使わなければならないほどになっているのですから、一時期の「共産党を除く」という野党の「野合」のあり方が根本的に変化していることに気がつきます。
最近の東京築地市場移転問題では、ニュースワイドショーで共産党都議がコメンテーターとして登場したり、富山の政務活動費問題でも共産党市議が注目されているというように、かつてない変化が生じているのです。
今日の志位さんの報告を聞いていて、党内民主主義を徹底し、また、これほど詳細に現状を分析し今後の方針を明確に整然と述べられる政党が他にあるのか、国内ではもちろん国際的に見ても注目すべきことではないのかと思わされました。関心のおありの方はぜひ録画(YouTube)でご視聴を。

日本共産党中央委員会報告 幹部会報告



  9月19日(月)
今日は沖縄の義母の誕生日。現在ケガも快復してリハビリ中なので、土日だけ家に連れてきて、今日は施設に連れて行ったよ、とは今朝の妻の情報。台風が沖縄を迂回してはいったもののまだ風が強いのだとか。とにかく暑くて気分が悪くなったと話していました。
沖縄周辺の海水温が異常に高いので気温が下がらないのでしょう。台風があと1,2個沖縄周辺に来てくれると海水が攪拌されて水温も下がるのですけど。痛し痒しですね。

午前中はパラリンピック閉会式をみていました。よく練られた演出と障害を持つ選手たちへの配慮が心地よかった。ブラジルの人たちのおおらかさや明るさが印象的でしたね。人間の持つ可能性の大きさを感じさせてくるこの大会は本当に素晴らしい。
日本のパフォーマンスも一部ありましたが、リオの人たちの前ではクールさより暗さが目立ってしまって残念。演技そのものには意見はありませんけれど、どうして笑顔がないんですかね。障害者が素晴らしい演技を見せることだけでは決して人々の胸を打つことはできないでしょう。東京パラリンピックまでにどんな国にしていくのか、世界中が注目しているはずです。

さて、今日はあの戦争法強行から1年目の日になります。全国では様々なイベント、行動が予定されているのですが、あいにくの天気。
大町、池田、松川など大北地域では大町駅近くに集まって街頭宣伝行動をやろうと決めているのですが、雨ならスタンディング宣伝はちょっと辛い。何とか晴れてほしいものです。

夕方、わずかに雨模様でしたが何とかスタンディングができるようだと判断して大町駅近くの交差点へ。さすがにみんなやる気十分、午後5時には約90名が交差点の四すみに思い思いの宣伝資材を持って立ち、リレートークをしたり一斉に声を上げたりして信号待ちの車両や通行中の人たちに戦争法廃止をアピールしました。雨がひどくならなくてよかった。




その後は、今日予定の市民劇場、イッツフォーリーズのミュージカル「死神」の鑑賞へ。
このミュージカルは三遊亭円朝の古典等落語「死神」に基づいて1971年に今村昌平の手でオペラ化されたもの。1972年に西村晃主演で上演され、2014年に脚本水谷龍二、演出鵜山仁でリメイクされたものです。死神を若く美しい女性にして色恋がらみに仕立てたところがミュージカルのミソ。
死神の指図に従って次々と生き返らせた金持ち連中が実はいかがわしい薬品を開発したり自然を破壊したりして死者を増やすばかり。そのことに気がついたときはすでに遅かった。沢山のロウソクの前のシーンは落語にかなり似ているけれど、そのあとのどんでん返しがオチでひとつの見どころになっているというものです。
年取った葬儀屋は左とん平。うらぶれてとぼけた感じが役柄にピッタリでしたが、ミュージカル役者ではありませんから歌での出番はほとんどなし。
それに比して、死神ロロ役のヒロイン北川理恵が溌剌としてキュート、歌も伸びやかで実によかった。イッツフォーリーズの面々はもちろん歌のプロですから、バンドとの息も合ってさすが場数を踏んだ劇団だと思わされました。
北川理恵は多分9月の公演がイッツフォーリーズとの共演として初めてなのでしょう(それまでは平田愛咲がヒロイン)。彼女のブログでは「9月から来年春にかけてイッツフォーリーズの『死神』に出演いたします!」と書いていましたから。その昔は孫たちが夢中だった「魔法使いプリキュア!」のオープニングソングを歌っていたんですね。そんな子どもっぽさはみじんも感じさせませんでした。確かな歌唱力を持った平田愛咲のロロも観てみたかったけど・・。もしくはミュージカル座のカムイレラの方がよいのかも。
「見上げてごらん夜の星を」を観たのが2年ほど前だったか。この劇団によるもっといろんな舞台を見せて欲しいと思わされたことでした。



  9月18日(日)
今日は朝から1日雨。夜になってもまだ降り続いています。こんな日は当然畑は出来ないし、晴れてもしばらくは土がべたべたですから、3,4日は無理でしょう。
やむなく午前中は読書。午後から家の掃除とクッキングにいそしみました。
木曜日にバラ園の作業の際にいただいた栗をむいて、まず栗ご飯の用意。皮むきは大変で、30個ぐらいの皮をむくのに1時間以上かかってしまいました。明日はおいしい栗ご飯ですよ。
今日は、昨日炊いたご飯が結構あったので、旬の具材をふんだんに使ったチャーハン。20代に名古屋の中華専門店で見て覚えたシンプルな作り方で、私のレパートリーのひとつになっているものです。塩加減もちょうどよくて大変うまかった。
その他にも、まだたくさんあるキュウリとヘチマを使ったあんかけもうまく作れましたよ。雨の日はもうすこしレパートリーを増やすように、レシピを研究しないといけませんね。

現在、私が関心を持って読んでいるのが北朝鮮の実状を書いた本やレポートです。北朝鮮がミサイル開発や発射実験、核兵器の開発と核実験を次々と行っている現状は、日本だけではなく世界の平和にとっての大きな脅威であることは間違いありません。また日本政府が北朝鮮の脅威を口実にして戦争準備の政策に踏み込んでいる以上、北朝鮮の過去・現在をよく知る必要があると思ったからです。
実は私の手元には今から10年ほども前に手に入れてそのまま放置してあった黄長Y(ファンジャンヨブ)著「黄長Y回顧録 金正日への宣戦布告」と続編の「続金正日への宣戦布告 狂犬におびえるな」(どちらも萩原遼訳 文藝春秋)があったのを思いだし、読み始めたのでした。ただいま2冊目の途中。
さらに、最近本屋で見つけた「北朝鮮の人権問題にどう向き合うか」(小川晴久 大月書店)も読みました。
これは小川さんの本で知ったのですが、2014年3月に「北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書」が公表されていて、これには北朝鮮の人権侵害問題が詳細に記載されているのです。
これは外務省のホームページに載せられているので見ることができます。ただし、詳細版は425ページもあるので、全文に目を通すのはちょっと骨が折れます。内容については概略を小川さん本で読んだだけですので、私自身はこれから挑戦してみるつもりです。

黄長Y回顧録(正編)は彼の生い立ちからはじめて、哲学に関心を持ち、朝鮮労働党中央書記室理論書記(副部長待遇)として主体思想を研究、金日成総合大学総長、全人代議長など金日成の側近として働く模様を記述しています。その中で、次第に個人崇拝と個人独裁を強めていく金日成・金正日親子、北朝鮮の人々の生活を犠牲にして自身の利益と支配を強化する戦慄の事実を次々と明らかにしています。
彼自身は、妻子を北に残して亡命を図り、最終的に南朝鮮にたどり着くのですが、たえず暗殺の危険を感じながらも北朝鮮の実態を告発することが自身の贖罪であり使命だとして勇気ある証言に踏み切ったのでした。
一読しただけでは、あまりに悲惨な事実が多いので、いちいちここで取り上げることはできませんが、巻末のインタビューでの次の証言だけは知っておいた方がいいのではないでしょうか。

<萩原> 結局、先生の亡命の大きな動機は、何百万も餓死している、あの現状を見て・・・
<黄> そうです。それと、金正日が戦争を仕掛けようとして。その二つですよ。人民を大量餓死させながら戦争準備にばかり没頭している金正日を見て、もうこれ以上がまんならないと思ったのです。また北の軍部の指導者たちは、南に米軍が居座っている条件のもとでも、戦争をすれば北に確固たる勝算があると言うのです。軍部指導者たちは、いま戦争をしなければ将来戦争することは難しくなるだろうと言って、1日でも早く戦争を起こせばそれだけ有利だと、機会あるたびに主張していました。


小川さんの本では、主として北朝鮮の人権問題に焦点をあて、特に「強制収容所」の存在を重視、これを廃止させるために国際的な連携を強めることが緊急の課題だと強調しています。
人権侵害の実態について、小川さんはまず国連報告をもとに簡潔にその要点をまとめていますが、これだけを読んでさえ背筋が寒くなってしまいます。なぜこんなことが・・・と思わず唸ってしまいますが、黄長Y回顧録と合わせ読むとその背景がくっきりと浮かび上がってくる。
黄さん自身の体験を通して、金正日体制下の北朝鮮は社会主義などとは縁もゆかりもない「全体主義と封建主義が結合した前代未聞の個人独裁体制」であるといい切ります。

金正日は絶対的な独裁者の家庭の中で、どんな統制も受けずに育った。・・・・金正日は幼い頃から王子のようにふるまい、他の子どもたちとの関係もつねに自分を最高権力者の金日成の代理人として思いのままに勝手気ままに行動した。彼は成長するにつれて、自分の思うがままに行動する性癖がいっそう高じ、これが父親の権力をわがものにしようとする欲望へと固まっていったようである。

さて、そうだとすると、その子どもの金正恩は一体どんな人物となるのか。推して知るべしではないでしょうか。

ミサイル、核開発の裏で人々の暮らしはどうなっているのか。
1995年には50万人が餓死、1996年には100万人を超える餓死者が出たことから推測して、食糧事情が変化しなければ毎年100万人が餓死するだろうと黄さんは書いています。
この時期から10数年を経て、根本的に事情は変わったのでしょうか。
「東洋経済」誌の記者は今年6月の記事「北朝鮮の農業に訪れた『劇的ハイテク化』の波」で、一時期の「苦難」は乗り越えたようだし機械化と高度な農業への足がかりはつかんだようだが、食糧難の克服にはほど遠いと指摘しています。軍事優先の独裁体制のもとでは、おそらく90年代後半の飢餓状態をさらに深刻にした状態が作り出されてもおかしくないように私には思えてしかたありません。



  9月16日(金)
今日も昼から夕方まで畑。イチゴの定植とイモ掘り。イモは沖縄に送るためのものです。涼しくなっているとはいえ、体力勝負なのでやはり疲れます。
畑に行ってしばらくしたら妻からケイタイにメール。辺野古公有水面埋立承認の取り消しに対して国が県を訴えていた裁判で「不当判決が出て裁判所前で抗議集会をしている」というものでした。
当初から予想されたとはいえ、司法のあり方が根本から問われる事態ではないでしょうか。抗議集会には1500人が集まっていると琉球新報は伝えていました(妻もその1人)。

下は琉球新報と沖縄タイムスの号外。




判決の骨子は次の通り(時事通信社の配信をもとにまとめたもの)。

@普天間飛行場の被害を除去するには埋め立てを行うしかなく、県全体としては基地負担が軽減される。利益や基地の整理縮小を求める沖縄の民意を考慮したとしても、仲井真弘多前知事の埋め立て承認は違法ではない。従って、翁長知事の承認取り消し処分は違法。
A国防と外交は国が本来行うべき任務で、国の判断に不合理な点がない限り尊重されるべきだ。沖縄の米軍海兵隊を県外に移転できないという国の判断は、現在の世界情勢から合理性がある。辺野古移設以外になく、埋め立てを行う必要性は極めて高い。
B前知事の判断に不合理な点はない。係争処理委には、訴訟ではなく協議で解決するよう求める権限はなく、従う義務もない。

これからわかるように、ほとんど国側の主張をそのまま認めたものです。シロウト目に見ても、全く合理性を欠いた「先に結論ありき」の判決だと私には思えます。
第1に、「県全体として基地負担が軽減される」という判断は沖縄を知らない裁判官の思い込み。新基地が普天間基地の移設ではなく、新機能を満載した全く新しい軍事基地であることをことさら無視しています。裁判官は、普天間基地がそのまま平行移動するとでも思っているのですかね。
また、人口密集地ではないにしても、大浦湾を埋め立てて自然破壊をすすめることについても全く無視。これがどれほどの損失を与えるかについては全く問題にしていないのですから、裁判官の見識を疑わせるに十分です。
また沖縄県民の負担について、宜野湾市の負担が名護市民への負担に転嫁されるだけだということが裁判官にはどうしても理解できないらしい。さらにいえば、沖縄にこれだけの基地が集中していることに少しでも胸が痛むならば、それについての言及があってしかるべきです。
第2に、埋め立て承認を行った仲井眞前知事の行為について、まずそれ自体が前知事の当初の公約にも反し民意にも背く行為であったこと。
事実、直後の知事選で仲井眞の判断は完全に否定されたのでした。その後の選挙でもことごとく仲井眞の埋め立て承認は否定され続けてきました。
辺野古への移設が負担軽減になるという言い方は、司法が沖縄への「構造的差別」者の立場にあることを公然と示したものとしか見えません。
裁判では、仲井眞が一旦判断した以上は、それを覆すことはできないという、これまた形式主義の衣を着せて事実上国の言い分を滑り込ませるという手法をとっているのですから悪質というほかない。民意は全く茅の外です。
第3に、「世界情勢」まで持ち出して、県外に移設することは不可能という結論を導いていますが、世界情勢とは中国や北朝鮮の脅威を指すのでしょうか。中国に近いから沖縄に基地は不可欠と??だとすれば、裁判官は「沖縄海兵隊」の意味が全く分かっていないことを証明したようなものです。
海兵隊は沖縄に置く必要性はほとんどないというのが識者のほとんど一致した見解です。アメリカ政府自身がそのことを認めているのです。それを国際情勢などと知ったかぶりを見せて「辺野古移設しかない」と結論づけるのは、やはり結論が先にあっての判決としかいえないでしょう。
「国際情勢」を云々する裁判官が、「ミサイルが飛んでくる」ような事態をもしも頭に描いているのだとすれば、米軍基地が日本にあろうがなかろうが、そのミサイルは米軍基地がひしめき、しかも原発もない沖縄ではなく、まちがいなく東京もしくは東京近辺の原発であると覚悟した方がいいですよ。とくに最高裁のみなさんは。

判決文を詳細に見なければ、まだわからないところもありますけれど、今日の情報で知りうる限り、裁判官は残念ながら「本土」側=日本政府側の沖縄に対する見方から一歩も外に出るものではないといえます。
そしてさらに重要なのは、司法が独立して十分な分析をおこない、さまざまな立場の人たちの見解を聞いて判断するという司法の役割を投げ捨てていること。これについて太田元知事が判決前に次のように述べていました。

県側は敗訴するだろう。勝ったとしても国は上告する。最高裁での裁判は県にとってより不利になる。司法、立法、行政はいずれも独立してけん制し合うべきだが、日本の司法は行政に従属している。最高裁は過去に統治行為論を持ち出した経緯がある。日米安保条約が憲法より上位にあるという認識だろう。
裁判所は県側の証人を却下している。最初から沖縄の声を聞こうという発想がない。代理署名訴訟の際も証人は却下された。当時は敗訴したが、勝とうが負けようが訴えるべきことは訴えねばならないとの考えだった。


沖縄県民はこの判決に怒ってはいるけれど、結束は一段と強くなるでしょう。
沖縄県も、新基地反対を掲げてたたかっている県民組織も、たとえ「取り消し」訴訟が敗訴確定となった場合には、たとえば「取り消し」ではなく、埋め立て承認そのものの「撤回」に踏み切ることができることを明らかにしています。そうなればさらに裁判闘争が長引く。
翁長知事の「あらゆる方法を駆使して辺野古新基地を阻止する」という不退転の決意は、知事だけではなく沖縄県民自身の決意でもあることを私たちは肝に銘じておく必要がある。
翁長知事はこの判決を受けて当然最高裁に上告するとしたうえで次のように述べています。

地方自治制度を軽視し、県民の気持ちを踏みにじる、あまりにも国に偏った判断だ。政府の追認機関であることが明らかになり大変失望している。
一方では軍事的な面について踏み込んだ判断を行い、他方では自然環境面については一切考慮しないなど、裁判所がこのような偏頗(へんぱ)な判断を行ったことは驚きを禁じ得ない。
大変あぜんとしている。三権分立の意味でも相当禍根を残すと思っている上、こういった一方的な内容の場合には県民のより大きい反発と結束がこれから出てくるのではないか。


県民世論を背負って一歩も引かない知事の決意は感動的ですらある。仲井眞の県民無視の卑屈な態度とは比べようもありません。
沖縄タイムスには、「防衛省関係者は仮に、最高裁判決が出ても知事があらゆる手段を講じ続ければ『判決が出たのに駄々をこねているとして県民の支持は離れていく』と余裕の表情を見せる」という一文がありましたが、もしそうだとすれば、今日の判決と同じく、沖縄県民の決意を見誤った露骨な差別的見方ですから、いずれ防衛省も泣きっ面を見ることになるでしょう。辺野古新基地が、普天間の「代替」などというシロモノではないことが時を経るごとに県民に明らかになっているのですから。
新しいたたかいの始まりとして、沖縄に連帯して本土側からの新基地建設反対の運動を盛り上げていくことが大切になりますね。もちろん戦争法を廃止するたたかいと結合して。



  9月15日(木)
朝、妻から一枚の写真が届きました。白い大きなドラゴンフルーツの花です。今日は一輪だけ咲いていたのだそうです。
そうか、今日は満月だった。昨年、沖縄から帰る日の朝に沢山の花をつけていたあの花。満月か新月の日に咲くということを昨年初めて知りました。この関係、何なんですかねえ。
ちなみに、月齢と関係があるのかないのか実際に調べた人がいて、強い相関は見られなかったという調査結果を公表しているサイトがありました。私の体験では、満月・新月の夜に咲くというのはホントウです。
妻の話では、今日15日の月は旧暦8月15日、つまり中秋の名月というので、このジューグヤーには沖縄ではあずき餅(フチャギ)を仏壇にお供えする習慣があるのだとか。義兄は昨日お供えしていったといいます。
沖縄ではこの日、首里城で「中秋の宴」が催され琉球舞踊が披露されると何かで読んだことがあります。沖縄では昔からの風習が今もしっかりと息づいているのですね。






このお餅「フチャギ」は、富山の「ささげ餅(ささぎ餅)とも」とほとんど同じ。塩味であるのも同じ。違うのは沖縄は小豆であるのに対して富山は小豆よりほんの少し大きく煮ても割れない「ささげ(ささぎ)」である点だけ。どこかのサイトで、ささげ餅は「北陸(石川・富山)にしかない」などと書いてありましたが、そんなことはありません。
黒作りといい、フチャギといい、食品では北陸と沖縄は実に深い縁があるのです。
下は富山のささげ餅。下はささぎ?ふちゃぎ?どっちでしょう、と言われても私にはほとんど区別がつきません。


沖縄東村高江では、ヘリパッドG、H地区への重機搬入のために、自衛隊の大型ヘリが投入されたというニュースが先日ありました。しかも県道をまたいで。13日には大型重機を運ぶためにCH47も使われたと報じられました。
陸上自衛隊特殊部隊を使って搬入するというのは、佐道明広中京大教授によれば「異例中の異例で通常任務の拡大だ」とのこと。佐道氏は琉球新報紙上で「米国との約束ばかりを優先し、強引に工事を進める政府の手法は、自衛隊を使わざるを得ないほど工事に対する県民の反対が根強いことを世界に伝えるもので、自ら安全保障環境を危うくしている」と厳しく批判していました。
翁長知事も13日、「事前に十分な説明がなく(法的)根拠も示されていない。容認できない」と批判、県民の意思を踏みにじる行為に沖縄中で憤激が高まっているというのが現在の状況です。

一昨日の妻からの連絡によると、辺野古に行ってみたが10数名ほどしかおらず、みんな高江に行っているようだということでした。人数が少なかったのでスピーチをさせられて困ったと話していました。
実際、裁判中のためにいま辺野古は小康状態、防衛省・警察も総力を高江に注ぎ込んでいる状況で、高江では今日も資材を運ぶダンプを入れるために生活道路を封鎖したり座り込みの人たちを強制排除したりと、相変わらずのやりたい放題。米軍のためなら何でもやってあげますという政府の対応です。
下の写真は、県道で工事車両を通さないための抗議行動。次が自衛隊の大型ヘリ。ロシア製「カモフ」(以上、北上田さんの写真)。最後が自衛隊のCH47(沖縄タイムス)。









  9月14日(水)
「こどもじゅく」に来ている学生の1人から公務員試験用の推理の問題を聞かれて、土曜日には時間がなかったので今日の午前中しばらく解答を作成して送信しました。上・中級の公務委員試験ともなると結構ややこしい判断推理や数滴推理の問題が出るらしい。
そういえば公立中高一貫校でも最近は「頭の使い方」を見るため??にこうした問題を出すことが流行していようで、受験生はきっと頭をかかえているのではないでしょうか。
ある条件が与えられてそれを満たす答えを選ぶだけですが、短時間で推理するというのは私にはどうもクイズっぽくて好きになれず、見ただけで拒否反応を起こしてしまいます。このような問題にサッと答えを出せるのが「頭の回転が速い」ということなのでしょうか。もしそうなら私は絶対に落第ですね。

一段落して、お昼前から畑へ。ようやく雨が上がったので、マルチをかけてイチゴを定植することと、キャベツや白菜の野菜苗を植え付け虫除けカバー(不織布)をかける仕事が中心。何も考えずひたすら身体を動かしている方が性に合っている。
夕方4時過ぎまで延々とやっていたらさすがに疲れました。ただ、気温はさほど高くなかったのが救い。イチゴの苗は雑草のためにあまり大きくなっておらず、うまく着くかどうか。明日は午前中はバラ、夕方は「こどもじゅく」なので作業はなし。あさってまた続きをしなければなりません。家の周りが大変なことになっているけれど、順番は畑が先。
作業の前に、ニンニク、ラッキョウの玉と野沢菜、ホウレンソウの種を買い、覆い用の不織布も購入。この高いこと。これまでは、畑の持ち主の方にもらったものを何気なく使っていたのですが、こんなに高価なものならもっと大事に使うんだったと痛く反省。苗や種、肥料、資材などで相当に費用がかさみます。農業も楽じゃないですね。

さて、と。富山市議会での不祥事の広がりと市役所をとりまく抗議の模様が全国ニュースになっていました。とんでもないことになっているようですね。こりゃ自民、民進会派の10人ぐらい議員辞職するんじゃないですか。補選が行われるとも報道されていましたから、多額の税金を使うことになります。富山市議の一部の方々の公人としてのモラルが完全にマヒしています。

富山市議会は今年の4月に議員定数を現行の40から38に変更。6月には議員報酬を10万円アップして月額70万円にお手盛り。「全国47の中核市の中で金沢市、大阪府東大阪市と並んで最高額となる」(日経新聞)ために共産・社民他市民の批判が高かったのです。
現在の富山市の広さをご覧下さい。富山県を3等分した真ん中が富山市です。いかに広いかわかりますね。広域行政、中央直結をうたい文句にどんどん周りの自治体をのみ込み、膨らんでいった結果がこのようなありさま。今では富山市民の顔など少しも見えない自治体となってしまっているのです。Wikiによると「一つの市町村が県に占める面積の割合としては全国一」なのだそうです。
議員たちも市民からまったく見えない存在となってしまい、市民を見下す自分たちの「特権」意識だけが突出していったのでしょう。ちょっとぐらいお金を流用してもどうってことはない、我々は議員なんだという調子です。
何を隠そう、私自身、生まれも育ちも富山市ですから、県民性・市民性についてはよくわかります。みなさん、粘り強く、努力家ですね。郷土として、もちろんそれなりに愛着もあるし、懐かしい沢山の思い出もある。
しかし一面、イナカなのに新しもの好きで、目は東京に向かっている。進取の精神とはちょっと違うんですね。昔からの「保守王国」で、議論よりも根回し。政治は夜作られるというような感じ・・・かな。ちょっと言いすぎでしょうかね。ま、富山を離れてからもうずいぶんになるので、ここ20年くらいのことはわからないんですけど。

ところで、富山市議のみなさんと同じような手口(白紙領収書)を使って政治資金を動かしていたお方が中央にいらっしゃる。今をときめく稲田朋美防衛大臣です。これをスクープしたのは「しんぶん赤旗日曜版」。リテラの記事はこちら女性自身の記事も。
あくどい手口は、富山市議も真っ青じゃないかと思う一方で、むしろ稲田大臣や他の大臣たちの行状を参考にして同じことをおやりになったのかもしれないとも。「大臣たちもやってるしぃ〜〜」。いやいや富山弁だった。「大臣たちもやっとんねか〜〜、なんでオラっちゃらだけが・・・」。
稲田女史の行いについてはマスメディアはほとんど沈黙。たとえば赤旗がスクープ記事を出したのはSMAPが解散を発表した日で、すべてのニュースはこっちに引っ張られたのでしたよ。
今は北朝鮮の坊やのご乱心のために、是非ともご活躍願わなければならないお方なのでしょうし、安倍シンゾー氏の厚い信任のもとで将来の首相候補とさえ言われているお方だから、さわっちゃいけないと各社の幹部の方たちは夜の会合で釘を刺されているのでしょうかね。



  9月12日(月)
周りは稲刈りモード一色。あちこちでコンバインが動いています。

胃の調子は完全によくなりました。ただもう少し無理せず、食事療法をして体調を整えるつもり。
今日は午前中から曇りで午後には雨になるという予報だったので、朝から畑に行きましたが、何が何が、カンカン照りで暑いこと。午前中2時間ほど耕耘機で耕したり畝を作ったりしていたら汗みどろとなり、完全にノックアウトされてお昼前に一旦引き上げることにしました。
体力が落ちているところに加えて、この暑さですから、これまた無理ができません。お昼はちょっと長めに休憩をとって、午後からまた畑に行きます。
というのも、早く畝をつくってしまわないと、雨のあとマルチが張れない。いま作っている畝は、第1に「イチゴ」の定植用。第2に、白菜、キャベツなど秋野菜用、第3に、ダイコンのため。
さらにイチゴの定植が終わったら、イチゴの畑をニンニク、タマネギ、ラッキョウなどの植え付け用に転換しなければなりません。よって、相当に急がなければならないというわけです。
とにかく、旬のうまいものを食べたければ、それだけ苦労がいるということ。大きなトラクターを持っているわけでもないので、分かっていてもなかなか辛い労働です。

午後1時半頃再び畑へ。午前中につくった畝にダイコンの種をまき、さらに1時間ほど畝作りをしていたら、3時少し前から雨が。いやに早く雨になってしまいました。雨の中、何とか4本の畝を作ることができてよかった。これで、雨が上がったらマルチできます。

帰ってシャワーを浴びて、ニュースを見ていたら懐かしい富山弁が聞こえてきました。・・・と思ったら、例の富山市議会議員の政務活動費の不正使用が他の議員にも広がって、てんやわんやになっているのでした。
現在のところは”まだ”3人のようですが、まだまだ広がるかもしれないとのこと。一体自民党「富山」市議の議員のみなさんのモラルはどうなっているんでしょう。
私に言わせれば、田舎のおっさんたちのような方々が、「市議」の職権にあぐらをかいて、あたかも何でもできるような錯角に陥っていたんじゃないでしょうか。
このくらいどうってことはない、他の同僚議員もやっていることだから・・・という気安さ=実は完全な倫理観の欠如=が支配的になっていたのでしょうね。何ともお粗末で恥ずかしい話です。

私の住む衆議院長野2区の自民党の議員さんは務台俊介氏。この8月に安倍内閣の内閣府政務官兼復興大臣政務官におなりになり、9月1日、台風10号に伴う豪雨被害を受けた岩手県岩泉町視察に喜び勇んでお出かけになったのはいいけれど、革靴を履いていったために同行者におんぶされて水たまりを渡ったことが明るみに出て、ひんしゅくを買ったというニュースが話題になりました。
これまた何ともお粗末で恥ずかしいニュースですが、この務台氏、今年3月にも東京での待機児童の解消問題について、「東京を便利にするとますます東京に来て子育てしようとなる。ある程度、東京に行くとコストがかかり不便だとしない限りダメだ」と発言して、大きな波紋を広げひんしゅくを買ったばかり。
先の参議院選挙では「共産党の街宣車がSealdsの街宣車と同じ! やはり、Sealdsは共産党の偽装でしたか」というツイートを書き込んだり、杉尾ひでや氏に直接「落下傘より健太さん」と言い寄ったり「長野県では県内出身者以外が国政に出たことがない。この気高い地域を代表する人として(杉尾氏は)認めない」などと口走ったり、その品性のなさは地元でも有名。彼のおかげで自民党が票を減らしたという人もいるほどですから。
今度の衆議院選挙では、このようなお方をまたまた選んじゃ、地元の恥でしょう。

一方、東京では、築地市場の移転先の豊洲市場で土壌汚染対策として行うはずであった4.5メートルの盛り土が実際には行われず、建物の下は空洞になっており水が溜まっているというとんでもない事実が発覚。共産党東京都議団が写真付きで発表しました。
今日の昼の民放ニュースバラエティ番組はもっぱらこの話題と北朝鮮の核開発の問題で持ちきり。
情報の透明性、監督責任と責任の所在、業者との癒着の有無などいったいどうなっているのか。東京都政はもうめちゃくちゃですね。東京オリンピックどころではないんじゃないの?世界の笑いものです。



  9月11日(日)
サンマを三匹食べたのが悪かったのか、次の日から胃の調子がおかしくなり、昨日も今日も午前中ずっと横になっていました。情けない。
気持ちが悪いとか激しく痛むとかという症状はないので、胃もたれなのでしょう。おいしいものが一杯あるのに横目で見てなければならないのはちょっと辛いものがありますが、しばらくの辛抱。
昨日は午後から「こどもじゅく」。そのあとアルバイトで遅かったのでパソコンに迎えず、今日は午後2時頃までベッドで横になり、とにかく安静にしていました。さすがに、寝てばかりだと余計に胃の調子も悪くなるようだったので、午後5時頃まで畑に行って汗を流して、夕方は雑炊だけ。だいぶよくなった気がしています。
ただ、いつも午前中に痛みが強いので、明日の様子をみて、あまりよくないようなら医者に行ってくるつもり。多分大丈夫でしょう。

さて、今日はあの9.11から15年、3.11から5年半になる日なんですね。
弁護士の井桁大介さんが、「世界」10月号で、アメリカのテロ監視政策と日本の監視政策との違いについてちょっと気になることを書いていらっしゃいました。

アメリカはスノーデン事件によって、アメリカNSA(国家安全保障局)による大規模監視、ニューヨーク市警によるムスリムの監視が暴露され、議会と大統領がPCLOBという独立行政機関にNSAの監視プログラムの検証を指示したのです。
この報告に基づいて政府・議会は電話通信の監視操作を禁止する内容を盛り込んだ法改正を行うのですが、そこには曲がりなりもテロ対策に透明性を保とうとする姿勢が見られたとして、井桁さんは次のように書いています。

監視のプログラムが明らかにされるや否や、議会や政府が第三者の専門家に検証を指示する。専門家は監視のプログラムを個別に切り出して、その有効性や人権侵害の恐れなどを具体的に検証し、その報告内容をつぶさに公表する。議会や政府は検証結果を受け法改正などに結びつける。この一連の流れこそ、ポスト・スノーデンの時代を象徴するものである。

NSAの監視行動と並んで、ニューヨーク州など3つの州が、秘密裏にムスリム個人、学生団体、商店、モスクなどを対象とした監視操作を実施していたのです。この事実に対し、AP通信がそれを暴露すると、さまざまな人権NGOが訴訟を提起。結局アメリカ連邦高裁は、ニュージャージー州の事件について憲法違反の疑いが濃いとして1審の判決を破棄して審理を差し戻したのでした。
その後、ニューヨークの事件については市警察自身が監視捜査の違憲性を認めて、以後ムスリムであることのみを理由とした監視操作を行わないことを内容とする和解に応じたというのです。

一方の日本ではどうか。2010年10月にネット上に流出した「警視庁国際テロ捜査情報流出事件」というのがありました。この流出データによって、日本の警察がアメリカの捜査機関と協力して、日本に居住するすべてのイスラム教徒を監視していることがあきらかにされたのでした。
ウィキは次のように書いています。

この流出により、外事警察が日本国内のイスラム教徒を“テロリスト予備軍、イスラム原理主義者と接触の可能性あり”、イスラム・コミュニティを“テロのインフラ”視していたことも明らかになった。

一人一人のムスリムについて、氏名・住所・年齢・国籍などにくわえて、よく行くモスク、渡航歴などの個人情報も忌諱されたファイルが作成されていたことも明らかにされたのです。
さて、このアメリカと相似形の事態に対して、情報が流出した被害者17名が、東京都と国を相手取って国家賠償訴訟を提起しました。
ところが驚くなかれ、日本の裁判所の判断はアメリカとは全く正反対。「モスクを監視しなければテロを予防できない」との判断を示し、東京高裁、最高裁もこれを是認したのです。このため、日本ではその後ムスリムであることのみを理由にしてムスリム監視が許されることになってしまったのでした。

私自身はこれまで、アメリカは監視天国でどんな操作も許されるような目で見ていたし、日本ではそんなことはないだろうといい加減に見ていたのですが、その認識はひっくり返ってしまいました。甚だしい認識不足ですね。
弁護士の井桁さんは、「日本はポスト・スノーデンの時代の潮流から取り残されてしまったのだ」と手厳しく批判しています。「これでは、警察に対する不信感が醸成され、さらに日本政府に対するムスリム社会、国際機関、諸外国からの不信をくい止めることができない」とも。
日本政府や警察の対応は、その後の機密保護法の制定でも分かるとおり、情報の透明化など眼中にないかのように、ますます秘密主義・人権抑圧の色彩を強め、テロを防止するどころか政府・警察の恣意的な判断で新しい犯罪が生み出される素地が広がってさえいるのです。
社会に蔓延する「人権意識の希薄さ」、これこそ今日の日本社会を特徴付けるものだと思わないわけにはいきません。



  9月9日(土) その2
海の幸、山の幸が勢揃い。こりゃ一人でどうするか。誰か来ればごちそうするのに。
まず女川の秋刀魚。今日の午後、友人が女川から直送してもらったものですよ。すぐに刺身、塩焼きにして3尾ペロリ。庭のナスを漬け物にして、夕食にはこれで十分。食後は富山の妹が送ってくれた梨「豊水」、近くの農園で直売している葡萄、我が家の庭にはでっかい「あけび」・・・いよいよ秋ですねえ。何とも贅沢です。










  9月9日(金)
富山には大川寺(だいせんじ)遊園地という場所があって、子どもの頃学校からスキーに行ったり家族で花見に行ったりしたところ。
小学6年生のとき、このスキー場にあった第2スキー場(初心者向け)ではなく、上級者向けの一番上から直滑降で滑り降りたことがありました。もちろん転けて天地がひっくりかえった。幼くして人生を知ってしまったのでした。
さらに、小学生のころ家族で花見に行ったときのことです。桜の木の下で真っ赤な顔をした大の男達が酒瓶を持って殴り合いをやっていた。それをみた父が「あれがズンドコだ」と言ったのをはっきりと思い出します。それほどに懐かしい懐かしい場所なのです。その遊園地、今はどうなっているかって?それはこちら

さて、1960年代にアングラ演劇四天王のひとりと言われた劇作家の寺山修司という男がいました。といっても、当時私はまったく関心もなく名前だけは聞いていたという優良模範国民的青年だったわけですけど、ひとつだけ私に印象的な詩を残してくれました。「さよならだけが人生ならば」という歌です。この詩をカルメンマキが歌った。
ハーフで髪が長くミステリアスな容貌のカルメンマキは、寺山修司に見いだされ劇団に入団、その後「時には母のない子のように」でブレーク。
その寺山さん、カルメンマキのために、ヘンな歌をつくっているんですね。「だいせんじがけだらなよさ」。
「ええっ?大川寺が毛だらけなのよ?あのだだっ広い広場が?」と、私などは早とちりしてしまうのですが、これは寺山修司の「おまじない」なのだそう。逆さに読んでください。

話を元に戻して、この「さよならだけが人生ならば」について、寺山の詩とカルメンマキの歌にはひとつだけ違いがあるのです。カルメンマキはそのまま歌ったんじゃないんですね。
詩と歌は次のようなものです。この歌、youtubeで探しても出てきません。あったのですが、仕様変更で今は見られないということなのでしょうか。だから貴重な音源。こっそり紹介します。

カルメンマキ さよならだけが人生ならば (作曲 田中未知 編曲 山屋清)

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば 人生なんか いりません。

おわかりですね。カルメンマキの歌には最後のフレーズがありません。問いかけだけで終わっている。なぜそうしたのか、これはむしろ寺山の秘書・マネージャーであり多彩な才能を持っていた作曲家の田中未知の手腕によるものではないかと私には思えます。ちなみに田中未知には「質問」という問いかけだけの作品があるといいます。「質問」ねえ、う〜〜んと唸ってしまいました。
ところで、この寺山の歌詞、これは唐の詩人于武陵の「勧酒」を妙訳した井伏鱒二への寺山流のアンサーソングなのだと、あるサイトで書かれていました。あるいはそうだったのかもしれませんが、アンサーになっているのかなと私は思いますよ。
それにしても、「いやいや私飲めませんので・・・」は通用しない世界だなあ。ゲコゲコ。

人生は別離の悲哀、悔恨、慟哭に満ちている。「分かれるために出会うのかも知れない」などと昔からよく言われていましたからね。
でも私は思うのです。別離の瞬間には「『サヨナラ』だけが人生だ」と思わず叫ぶのだろう。しかし、時間の癒やしを経て、人恋しさが募り、新しい出会いの予感がする頃には「さよならだけが人生ならば・・・」と思い始める。いや、そんなことはないんだ・・・って。
そして、予感が現実のものとなりはじめたとき、この出会いが私の人生なのかもしれない、巡り会うために私は生きているんじゃないか、そう思い始める。
サヨナラの予感を心の奥底に秘めながら、サヨナラの時はあるかもしれないが、だからこそこの出会いを高め、慈しみ、最高に生きるのだ、と心密かに決意する。
もちろん別れには父母や大事な連れ合い、あるいは愛しい我が子との別れだってある。でもそうした場合でも、心の中に生きていると私たちは思い定める。
「サヨナラダケガジンセイダ」と断定してしまえば後はない。これって人生を達観というより人生にお別れするときの文句ではないのか。99.9999%は2度と会えないかもしれないけれど、ほんのわずかの確率で会えることがあるかもしれない、ひょとしたらあの世で・・・などと人は考え、我と我が身を励まし後押しする。
別れがあるからこの人生は愛おしい。狂おしいほど哀しい。だからこそ思い出を含めてすべてが素晴らしい。そして美しい。
先の寺山の詩は、カルメンマキに出会って「サヨナラだけの人生なら、そんなものは要らん」と言いたくなったんですかねえ。前の沢山のフレーズの問いかけを全て最後の一行に凝縮するために使った。私には青臭いなあとしか思えない。せめて最後を「わたしの人生何だろう」くらいで止めておけばよかったのに。
しかし、田中未知+カルメンマキは違った。そこをばっさり削ってしまったのです。全く意味が変わりますもんね。「問いかけこそ人生なのよ」とばかり切々と歌うから、この歌は心に響くんじゃないかなあ。



  9月8日(木)
台風による雨の心配のため、今日のバラ園作業はお休み。そのおかげでパラリンピック開会式の模様を幾分か長く見ることができました。
中でも感動的だったのは親子がカンガルーのようにくっついてゆっくりゆっくり歩いてオリンピック期を運ぶところや、聖火リレー。障害があるなしにかかわらず、一人の人間としての尊厳を守り、助け合うことをみんなのものにしていきたいという心意気にあふれる開会式だったと思われました。

午後から雨が本格的になってきました。夕方には「北アルプス市民劇場(演劇鑑賞会)」の臨時総会が予定されているので、あまりひどくならなければいいのだがとちょっと心配。
妻が市民劇場の幹事をしており、こちらにいれば当然執行部側として出席しなければならないのですが、今回は参加できず。直前の幹事会で、議長を誰にするのかという話があって妻が自分がいないからと私を議長に推薦したのだという。それはスジが違うではないかと言ってみても後の祭り。
何故臨時総会なのかといえば、会員の減少に対応するためと今後の会の発展をはかるために一定の会費値上げが幹事会から提案されることになっているのです。
よりによって誰もが認めたくない会費値上げの議長なんて貧乏くじだよなと思いつつも、ここは仕方がないかと今日出席することにしたのでした。
普段は、会の運営は妻をはじめとする幹事、運営サークルの代表にまかせて私はもっぱら観賞するだけで、会のことはほとんど考えることもなく過ごしてきたのですが、今回はそうもいかない。まして値上げとなればそれなりそれぞれに負担がかかりますから問題も大きい。

もともと、この種の演劇鑑賞運動にしろ音楽鑑賞運動にしろ、戦後間もなくのころから急速に全国で広がり、自主的な文化運動としての地歩を固めてきたのです。しかし、年月を経て当時の労演・労音などという組織はとっくの昔に姿を消し(一部名称を残しているところはある)、演劇については演劇鑑賞会というサークルを土台とした活動に変わって、それでも地道に続けられてきました。
従って、それを支えている人たちは昔からこの運動に関わってきた高齢者が多く、跡継ぎがいないことや鑑賞人口の減少のために困難に直面し組織の縮小、廃止のやむなきに至ったところもたくさんあります。
北アルプス市民劇場も、ここ最近は会員の減少に直面して、これからどのように会を運営するのかという根本的な問題にぶち当たっているというわけです。
詳しくは知りませんが、全国ではこうした困難を全会員の努力で克服し活性化しているところがあるとも聞きます。
まず、確認すべきことは、いまこれだけの組織を維持し、よい演劇を楽しみたいという層が確実に存在しているということです。
次に、なぜ商業演劇ではないこうした自主的な鑑賞運動が求められているのか、この運動を通して私たちが目指すものは何なのかを今一度明確にしておくことが必要です。原点に戻るということです。つまり、この活動の意義がおろそかにされ、単に受け身の鑑賞だけのものになってしまえば、組織の低迷・衰退は時間の問題です。
一人一人の会員がこうした本質に関わる問題意識をどれだけ持っているのか、サークルにどれだけ自主的・自発的に関わっているのかをしっかり振り返ってみて、今日の日本の文化を地域から作りあげていく一翼を担う組織であることを自覚することが何より大事なのではないでしょうか。
値上げはしないに越したことはありませんが、値上げをするしないが直接の問題ではないということ。上記の意義を踏まえ、今日の会の現状を冷静に見れば、どうするのがよいのかは自ずと見えてくるのではないでしょうか。以上、議長としては会議の場で意見は発言できませんので、ここに記しておくことにしました。

夜の食事を台湾料理店「美華」でたべて、帰宅したのが10時頃。無事議長の任を果たし、幹事会提出の月300円値上げ提案を多数の拍手で可決しました。
予想通り、値上げに慎重な意見も沢山でたものの、この貴重な文化運動の火を絶やすわけにはいかないという積極的な意見も多く出て、7時半から8時50分近くまでぎりぎりの討論が続けられ、最終的には挙手による賛否という方法ではなく、納得しての合意という形で収めることができたというわけです。ふ〜〜疲れた。幹事会さん、議長をねぎらって欲しいなあ。酒というわけにはいかないから、コーヒーでもいいよ。

政治関連の話はもう腹一杯なので今日はアップルのiPhoneのニュースを切り口に経済の話題を。
アップル社は日本向け製品を意識して防水とお財布ケイタイの機能を載せた新型iPhone7を発売したのだとか。まあ、若い人には嬉しいニュースかもしれません。
ただ、レガシーマックのユーザーとしては、隔世の感があるだけ。ヨダレを垂らして見ているだけです。
ニュースでは、日本向けの製品を初めて出したなどと解説していましたが、これはちょっと違うのでは??スマホではありませんが、以前パワーブック2400Cという小型ノートパソコンを発売したことがありました。これが初めての日本向け製品。
新しもの好きの私は、かつてこれも入手し、中身を最高のものに取り替えて結構長く使っておりました。しかし、クリックボタンがヒゲ状で使いづらくアップル社では「失敗作」と見做されていたようで(Wiki)、「二度とターゲットを地域限定としたモデルが開発されることはない」と言われていたのだそうですよ。
iPhoneではそんな失敗もないと踏んだのかどうか、何しろ日本ユーザーは高くても質がよいものを購入するのだというのがその開発理由だそうで、発売に踏み切ったのだとか。そりゃ中国でも東南アジアでも2割から3割りのユーザーしかおらず、日本だけが6割強のユーザーを持っているのですから。
実は、3ヶ月ほど前に私も妻もケイタイを買い換えました。できるだけ安く、使い買っても悪くなく、かといってスマホで何でも済ませるということはあり得ないので、形はケイタイ、中身はスマホという中途半端なものにしたのです。電話、メールくらいならこれで十分。とにかくサーバーをレンタルして光回線をつけて、でかいデスクトップPCを使っていれば、スマホにかけるお金など出てくるはずもありません。

この頃本当に実感するのですが、政府も財界も、庶民は「魅力的」な製品やソフトを開発すれば自動的に消費者は食いついてくると思っているのでしょうか。それがなければ困るという人は当然の選択肢にはなっても、今や多数を占める高齢者にとってはまるで夢の話。消費者を愚弄するのもいい加減にしろといいたいですね。日本経済は、間違いなく破綻する。私はこのことに確信をもっております。

今日の「しんぶん赤旗」には気になるデータがいくつも紹介されていました。まず第1は、実質可処分所得の推移です。第2次安倍内閣発足時と比べたもの。

2011年8月〜2012年7月とくらべてそれ以後の一年間の実質可処分所得が大幅に下がっていることがわかります。リンク先にはこの記事を載せておきました。その解説でも分かるとおり、明らかに賃金の伸び悩み、年金給付額の削減、物価の上昇などで生活が苦しくなっていることが一目瞭然です。
第2は、いわゆるアベノミクスで経済はどうなったかということに関連する資料。

日銀による「異次元金融緩和」の開始から3年半を経て、物価上昇率は2016年7月でマイナス0.5%、個人消費は2年連続で前年割れし、さらに国内総生産は4〜6月期実質で前期比0.0%の横ばい。企業の設備投資もマイナスで、銀行の貸し出しも年2%程度しか増えていません。日銀の異次元緩和の結果、日銀は最大の国債保有者(340兆円)で、名目GDPの7割近くにものぼるというのです。タコが自分の足を食べて生き延びているようなもの。ついにはたこ足を食い尽くしてしまうときがくるのではないでしょうか。
銀行の貸し出し金がほとんど増えてはいませんが、貸し出していないわけではありません。中小企業向けには11年3月期の70.28%から68.17%に減少し、その分を地方自治体向けに変えて、こっちは6年連続で増加。過去最大になっているのです。
下の資料をごらんください。「借りるなら今のうちだよ」とばかり、確実に回収できるところへはどんどん貸し出して、自治体を借金まみれにしようというのでしょうか。
アベノミクスはもうデタラメ。要するに庶民はカネがないから買い物ができない。それでもiPhoneなどを販売して売れ行きはよくても海外企業にお金がいってしまう。若者は生活必需品だからスマホは持つけれど、それ以外には結婚もできなければ子どもも作れない。高齢者は、一人の年金じゃやっていけないから、生活防衛にこれつとめる。わずか月300円値上げといえど、庶民にとっては大変なことなどですよ。日本経済はどんな大きなカタストローフに行き着くのでしょうか。恐ろしい事態が引き起こされようとしている・・・そんな予感がいよいよ大きくなってきました。


だいたい雨の降り方ひとつをみても、気候変動の大きさはもう異様としかいいようがない。気候も経済もとなれば、生活はいったいどうなる??福島第1原発の廃炉費用を他の電力会社や新規参入の電力会社にも負担させ、つまるところ庶民につけをまわす。北朝鮮の弾道ミサイル3発を同時に落とせないから、落とすための軍備を増やす。北朝鮮はそれを上回る軍備を持ち、日本はついに核を持つ。
異常が異常でなくなったらそれが正常となるのか??異常が正常となり、正常が異常となる・・・狂気の世界ですね、これは。いつか来た道よりタチが悪い。



  9月7日(水)
今朝9時過ぎに明科駅を発った妻が、台風の影響をほとんど受けることなく那覇空港に到着したという連絡がありました。飛行機が相当に揺れるのではないかと心配していたのですが、全く問題なかったとのこと。むしろ那覇空港で結構待たされたと話していました。とりあえず、よかった。
池田も時々は小雨が降る程度で、まだ本格的な影響はありません。ただ、列島のあちこちで集中豪雨的に雨が降っているところがあり、くわえて地震も発生して、気分が滅入ってしまいます。
午後から畑に出て、土を起こしたり耕耘機を動かしたりしていると、やはり暑い。湿度がハンパではないので、汗が目に入って拭いている時間の方が長いほど。

MNEMOさんは11月17日のライブで、「SUBTLY(バンド名)のラストナンバーをBee GeesのMy Worldにしようと思っている」と書かれていました。ビージーズという名前は、名前だけはどこかで聞いたことはあっても、私には遠い遠い存在でしたから、どんな曲だったかとYouTubeを検索。とてもリリカルで、思わず私の青春時代を思い起こしてしまいました。それもそのはず、1972年の曲なのだそうですね。私が名古屋でちょうど「7年目の手紙」を書いていた頃ですか。
ライブが感動の舞台となることを心から願っていますね。私は11月17日頃は多分沖縄だと思いますが・・・。

My world is our world
And this world is your world
And your world is my world
And my world is your world is mine
とか、
I've been crying
I'm lonely
What do I do to have you stay
I've needed you
To cry on
I've written you nearly ev'ry day

上の部分は、私にも忘れがたい思い出とともに心に響いてくる歌詞です。

歌ついでに、私が今から20年ほど前のこと、Filippa Giordanoの「Va' Pensiero」に心惹かれたことがありました。これはヴェルディの歌劇「Nabucco」の中で歌われる合唱曲で、今ではイタリアの第2国歌ともそれ以上とも言われて慕われている曲。YouTubeを検索すれば、それこそいやほど出てきます。
この曲は旧約聖書に基づく歌劇の第3幕第2場でバビロニアに侵略され抑圧されたヘブライ人たちがユーフラテス河畔で祖国への想いを込めて歌うということのようで、イタリアとはまるで縁のないお話ですが、イタリア人のベルディによるその旋律が素晴らしいこと、その歌詞が祖国への想いという普遍的な意味を込めて書かれていることなどから、たちまち様々な歌い手によって広まったものです。
「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って(Va, pensiero)」というこの歌の出だしは次のようなもの。全文はこちらが参考になります。

行け、我が想いよ、金色の翼に乗って
行け、斜面に、丘に憩いつつ
そこでは薫っている。暖かく柔かい
故国の甘いそよ風が!

私が思うのは、イタリアの文化的な深さ。誰もが親しみ、心から祖国を思い、人々への慈しみを感じられるものを作り出してきたということ。それも支配者ではなく庶民の立場に立って作られている。
私はイタリアにくらべて日本が特別に遅れているなどとは少しも思いません。ただ、最近の日本の「文化状況」はあまりに「おとな」とは縁遠い。他国の文化を批判的に取り入れながら母国の文化をいっそう高めようとする術を失いつつあるんじゃないでしょうか。雑な言い方ですけど。
現在は常に過去になります。歴史になるのですから、イタリアで言えばVa, pensieroを今から作り出していけばいいと私は思うんです。ただそれには、まず教育の現場や家庭でそうした文化を生み出す土台が是非とも必要です。それを成し遂げる力は存在するのですから。もっとも、当分は難しいと思いますけどね。

はじめは、私が最初に耳にしたFilippa Giordanoの「Va' Pensiero」、次が歌劇の舞台そのものの収録。最後が今は亡きテノール歌手パバロッティとイタリアのシンガーソングライターZuccheroという奇想天外な組み合わせによる歌。ちなみにズッケロとは砂糖という意味だそう。パバロッティの横にエレキを持ったズッケロが並んで唸り節を聞かせてくれる。ホントにズッコケロになりそうですが、これがすごい。










  9月6日(火)
明日の朝から妻は沖縄へ。約1ヶ月間の里帰りです。
ところが、台風13号が現在沖縄の西を北上中で、明日には奄美の北へと進ので、直接沖縄には影響はないようですが、今度は出発地点の中部国際空港に向かっているので午後の便はどう影響を受けるのかちょっと心配。今のところ運休という情報はないので、台風を避けて飛んでいくのだろうと推測しているところ。何とか無事に飛んでほしいものです。

さて、商業新聞では多分ほとんど報道されなかったのではないかと思いますが、この1日から3日までマレーシアのクアラルンプールで「アジア政党国際会議(ICAPP)」が開かれており、最終日の3日に第9回総会が開かれ「クアラルンプール宣言」が採択されました。
2014年スリランカで開かれた第8回総会にはそれまで参加していた自民党が欠席、同時に脱退届まで出したという話が話題をよびました。今年参加した日本の政党は日本共産党以外にはなかったのではないでしょうか。民進党は代表選で忙しいし。
この総会での宣言をめぐって、中国共産党から「総会の民主的運営を乱暴に踏みにじる」干渉があったことが「しんぶん赤旗」で報じられ、共産党は部分的保留を表明。時事通信は「日中の共産党が応酬=『核兵器禁止』宣言文めぐり」と報じていました。
前日の起草委員会で中国共産党を含めて合意された宣言案が、中国共産党の干渉によって総会閉会式直前に一部が削除され、それが採択されるという過去に例をみない不正常な運営が行われてしまったのでした。
興味を引くのは、日本共産党が「去2回のICAPP総会で中国も賛成し、全会一致で賛成」した「核兵器禁止条約のすみやかな国際交渉開始」と主張したのに対して、中国側代表が「過去のことは知らない。こういう文章(日本共産党の修正案)を入れることは、侵略国の日本がまるで被害国のように宣伝されてしまう」と述べたという点と、「あなたは覇権主義だ。自分たちの意見を押し付けている」と述べた点。
にもかかわらず、その後は中国側も日本共産党の修正案を飲んで全会一致での宣言草案ができあがったのでした。それが総会閉会式当日になって突然「中国本土からの指示(ICAPP事務局長)」によってそれが覆されたというのです。
日本共産党と中国共産党のやりとりは、どちらに分があるかは一目瞭然で、起草委員会に参加した他国の党からも批判があがったと「しんぶん赤旗」は報じていました。
こうした中国側の大国主義丸出しの意見の押しつけは、現在の中国共産党の立場を極めてよく表していると私には思えます。「人は自分に似せてしか相手を見ることができない」とは私のコトバですけど、「あなたは覇権主義だ」という中国側の言い方はまさにそれ。
今日の中国共産党を特徴付けるとすれば、大国主義・覇権主義としか言いようのないものです。

さて、中国側と道理を尽くして議論できる政党が他にあったのかどうか。これは極めて興味あることがらです。日本共産党は、たとえ相手がどのような党であろうがものを言うべきときは節度を守って言える政党だということがこの会議の運営でよく示されたと私には思えます。
文化大革命以降中国共産党からの乱暴な干渉に遭って両党関係が断絶し、長い期間を経て中国側から過去の非を認める発言があって、1998年関係が修復されました。その後2005年(東京)、2006年(北京)、2009年(北京)と3回にわたって日中共産党の理論会談が開かれたのでした。
第3回理論会談の報告集が「激動の世界はどこに向かうか」というタイトルで出版されています。報告者は不破哲三さん。
これを読むと、この頃まで中国共産党は市場経済政策の行く末に極めて大きな関心を払っており、世界の経済的危機の進化の中で「中国のリスクとチャレンジ」、資本主義と社会主義の相互依存の深まりにおける「社会主義国の利益追求と弊害の回避策」などについて日本共産党に真剣な質問をしていたのです。
おそらくそれ以後、中国共産党は市場経済の行き詰まり、党内の官僚主義の跋扈や人民解放軍の強大化などの中で、次第に大国主義的な傾向を強め、党としてよりも国家として覇権主義の対外政策を強めてきており、日中の理論会談の素地は失われつつあるのではないかと思われます。
ただ、中国共産党が日本共産党の理論水準の高さは認めざるを得ないことは過去の会議でも明白で、国としての対応と党としての対応は必ずしも一致はしません。国際的な問題で、不正常な状態を作り出している中国に同じ共産党として本質的な問題提起が出来る政党がこの国にあるというこの事実は極めて大きい。先の報告集を読んでいて、そのことをさらに強く認識させられています。



  9月4日(日)
妻はまたまた「健康友の会」の会議で明日までお出かけ。私はハルちゃんとお留守番です。
朝晩は結構涼しく、一面黄金色の絨毯となった田んぼにたくさんのトンボが飛んで、いよいよ秋です。

昨日は朝から二人で富山に出掛けました。まず向かったのは呉羽の長岡墓地。母と弟の墓参りです。昨年は弟の13回忌で、今年になって近くの身内だけで法要を済ませたという連絡を受けていたので、せめて墓参りだけはと思い立ったのでした。
昨日は昼前から特別に暑い日になって、車から外に出ると熱風が吹き寄せてきます。台風の影響でフェーン現象になっていたのでしょうか。
その後は近くの義妹の家により、仏壇に手を合わせ、姪の子ども達の顔を見たり近況を話し合ったりしてしばらく過ごし、遅くならないうちに帰ってきました。




今日の午後畑にいたら、西の空が黒くなってどうやら、またあの「かたぶい」。安曇野も沖縄並みになってきました。柱状の雨が次第に北に迫ってきて、突然畑でも降り出した。あわてて農具を片付けて家に戻ると、そこはまだ雨が降っていない。
程なくしてザーザー降り出し、20分ほどでまたお日様が出てきました。多分虹が出ているのだろうと思って表に出てみると、低いところにくっきりと虹が。どうやら大気が不安定になっているようで雷鳴もとどろき、ハルちゃんは例によって自分で戸棚の戸をあけて避難。雨が上がったら今度はネズミ探しに出掛けました。







  9月2日(金)
沖縄に派遣されている警視庁や他の県警機動隊員がどこに泊まっているのか?今日の「しんぶん赤旗」は一面トップで、機動隊員が「国費」で名護市の高級リゾートホテルに宿泊していること、さらに高江を警備する民間警備会社(辺野古キャンプシュワブ前を警備しているのはALSOK)との契約金が8億円にのぼることを明らかにしていました。


名護市の高級リゾートといえば、当然カヌチャベイリゾートホテル。ヒマなこの時期はタイムセールで4人1室朝食つき最低8500円となっていました。普通に泊まればツインでも一泊1万5千円〜2万円くらいはするでしょう。
大浦湾と辺野古岬を見下ろす高台にある広大な敷地で、南国の気分を満喫できる豪華な施設群。ジャグジーでゆっくり1日の弾圧の疲れを癒やしおいしい料理で明日に備える・・・災害派遣の自衛隊員のみなさんは、野営し自炊しているのですよ。
抗議行動に参加する沖縄住民も、車の中で泊まったり自家用車やバスで遠くから駆けつけたりと苦労しながら、それでもやむにやまれずに辺野古に高江に通っているのです。こんな馬鹿げたことを許せますか。
機動隊員がカヌチャに宿泊していること自体は、私が昨年7月に辺野古や高江に行ったとき、すでにわかっていました。その後も、日刊ゲンダイ(11/6)週刊金曜日(12/3)週刊プレイボーイしんぶん赤旗などが相次いで告発していたことでした。
下の写真は昨年11月の週刊プレイボーイの記事。引用は阿修羅さん


今回明らかになったのは、警察自体がこの機動隊派遣を「国費」で行っていると明らかにしたことです。国費となれば、当然安倍内閣の要請によるものということになります。要するにアベさん、多額の国費を投入して機動隊員をリゾートホテルに宿泊させながら弾圧にこれつとめているということ。言語道断。はらわたが煮えくりかえるとはこのことです。
朝日、読売、毎日、サンケイ、その他全国紙を自認する新聞、NHKをはじめ全国ネットを持っている報道機関は、一面トップ、ゴールデンタイムの放映で報道してもよい話ではないのですか。

明日は弟の13回忌と久しぶりの母の墓参り。富山に日帰りで出掛けます。



  9月1日(木)
台風が去って夜の気温が急激に下がり、昨夜ははじめて”寒い”と感じました。いつもは暑い暑いと言っているものだから、妻に「毛布出してくれない?」と頼んだら、笑いながら「いよいよか」とからかわれてしまった。そりゃ寒いときは寒いものです。
今日の日中は一転して、戸外は快晴で暑いこと。午前中のバラの会の作業も結構汗でびっしょりになってしまいました。

夕方は松本での「こどもじゅく」。会場も松本協立病院の好意で恒常的に使えるようになって、週1回(昨年まで隔週だった)の勉強会が定着し、このところ通ってくる子どもの数がたいへん増えてきました。それ自体喜ばしいことですが、今度はスタッフが対応しきれなくなってしまう恐れがあります。
中学生になると、大体数学とか英語とかに苦手意識を持つ子が多いので、いきおい私などの出番が増えてくる。ただ、部活などで毎週は通ってはこられない子も何人かはいるので、継続的な面倒をみるという点でかなり苦慮する場面があります。
通うのに便利な場所があり、スタッフも安定して対応出来る体制が取れればいいのですが、予算面ではなかなかそうはうまくいかない。こうした運動にもっともっと自治体などの援助が必要だと思われます。

9時少しまえに帰ったら妻が録画してあった番組を見ていた。そのひとつは沖縄の「空白の1年」。沖縄がいかに米軍占領下に置かれかを跡づけた番組で、戦後すぐの時期には陸軍ではなく米軍政府が、米軍の早期撤退を前提として自治政府を展望した施策を打ち出していたことを初めて知りました。しかし、その後本国の指示でマッカーサー率いる米陸軍が恒常的な軍事基地化をめざして占領政策をとりはじめ、軍政府のもくろみが挫折、それから県民の苦難の道がはじまったことを丁寧に辿っていました。先に紹介した「カメジロー」の記録とともに、沖縄問題を知る上では貴重な映像です。
それに続けて観たのは同じくNHKの「記憶の回廊」。どういうわけか富山を舞台に認知症の徘徊老人とそれをめぐる家族の苦悩について、さまざまなケースを紹介していました。
番組を観ながら、妻は「どうも私が先に認知症になるんじゃないかな」という。誰でも同じように感じているんじゃないでしょうかね。私も「番組でも富山を報道の舞台に取り上げていたし、富山出身がそうなる率が高いんじゃないかねえ。ま、早い者勝ちだよ」と受け流す。
近い将来「70歳以上の5人に1人が認知症」という予測があるそうですから、2割という確率はかなり高い。頭を使っていたから認知症にならないとか、外に出ないから認知症になるとかという単純なものじゃない。認知障害にも本当にさまざまな現れがあるのですから、この番組で誰かが話していたように、社会が「認知」し、家族のみに負担をかけなくて済むような環境をつくることが大事でしょう。
しかし、政府のやっていること、やろうとしていることは、それとは真逆。施設にはますます入りづらくし、結局「在宅介護」=家族の強調=に問題を収斂させるような考え方を次々と打ち出す。
介護保険にしても国保にしても「制度を維持する」という点を金科玉条にして、高負担・低福祉政策をとる自民党の政治のもとでは、高齢者は長生きできません。認知症になることが何か犯罪でも犯したかのような空気が醸成される、そんな恐れさえを感じます。




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