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  12月31日(日)
かつて高校で勤めていたときの卒業生から同窓会の案内が届きました。実に40年ほども前の卒業生からの便りです。
これまで何度も同窓会を開いてきたといいますが、実は私は一度も出席したことがなかった。同窓会は1月2日なので、長野から富山に行かなければならず、どうしようかと迷っていたが結局思い切って出席することにしたのです。
このときの卒業生は、名古屋からこの学校に来て4年目、私が35歳くらいのときでしょうか。1年からずっと持ち上がりで、最後の3年のときには理系クラスで男子36名、女子7名という編成でした。
彼ら彼女ら自身もう50代半ば、会社であれ教員や公務員であれ、管理職や社会のリーダーになっていてもおかしくありません。半分以上は国公立大学に進学し、卒業後はそれぞれ社会的に地位ある立場についているのでしょうから、会ってもすぐには記憶がつながらないだろうな。
しかし、実はこの学年だけば特別で、3年生を迎えてからの1年間、私は学級新聞を発行していた。卒業のときにまとめてプレゼントしたのでした。それだけに普通の学年の担任以上に特別の思い入れがあったのです。
その通信はいま手元にあって、読むとそれなりに記憶が呼び覚まされて昔の教室の様子が浮かんできます。
とはいえ、思い出の常で、彼ら彼女らの姿はあいかわらずその当時のままなんですね。だから、たとえ、その時のことを思い出すにしても、果たして正月に会って記憶がつながるのかどうか。ま、そんなこと心配してもしかたがない。なるようになるでしょう。



  12月30日(土)
午前中松本での仕事を終えて、ちょっとした買い物をして帰宅。朝は相変わらずガチガチに凍り付いていましたが、昼は昨日も今日も良いお天気。日が沈んで間もない西の北アルプス上空には何機ものジェット機と思われる飛行機雲が見えました。わずか10分くらいの間に4機も通り過ぎていきましたよ。
編隊ではないので米軍機や自衛隊機ではないようす。年末の帰省客を乗せてあちこちに向かう飛行機なのでしょうか。


いよいよ今年もあと1日。テレビなどでは一年を振り返る番組や大型お茶の間番組が目白押しですが、この国の将来について真剣に見つめ議論し合うような番組にはついぞお目にかからない。「年忘れ」と銘打って、忘れてしまえばいいとでもいいたいのか。
今年はともかく来年はまちがいなく「改憲」がキーワードとなる年となることは間違いありませんね。安倍の執念から言っても、再来年の政治日程から言っても、国会で発議をするなら来年しかないというのはもはや政界の常識になっていますし。
国会での改憲発議は数の上からいえば可能だが、国民投票が怖いという自民党筋からの話も聞こえてくるこの改憲スケジュール。しかし、本当にそうか。
事情を知る人から見れば、「発議さえすれば国民投票は易々と過半数を取れる」というのがこれまた常識。それは何故なのかを、つまり改憲のシッポから見ておきたいと思うのです。
国民投票は「国民投票法」(「日本国憲法の改正手続に関する法律」2007年5月18日公布、2010年5月18日施行)によって行われます。問題点はいろいろありますが、現在指摘されている最も大きな問題点は2つ。1つは最低投票率制度がないこと。2つはテレビ・ラジオでの有料広告の規制がないこと。
2点目の問題点については、意外と軽視されがちですのでものすごく危険。私はこの国民投票法の最も重大な欠陥であり、それだからこそ自民党がこのように通したのだと思っています。
博報堂に18年在籍した経歴がある本間龍氏は次のように言います。

国民投票では、そういう(公職選挙法のような)ルールはほとんどありません。そのため、資金さえあればテレビCMをどんどん流し、新聞広告を好きなだけ出稿することができます。また広報活動のための寄付金をどこから受けてもいいし、寄付額の上限もありません。経理明細の報告義務すらないのです。・・・
広告費に上限がない制度になっているわけですから、当然、資金が豊富な自民党を中心とする改憲派が有利になります。


というわけです。改憲派のメディア戦略をみくびるととんでもないことになる。つまりは、改憲発議の時点でほぼ勝敗は決するということですから、いかにそれを許さないか。これが来年前半の勝負どころということになるでしょう。
そのためには、一人ひとりが自分の問題として憲法問題をとらえられるようになるかどうか。安倍の狙いがどれほど危険なものであるのかを「情緒的」ではなく、具体的・実証的に、そして歴史的にわかりやすく解明し知らしめていくことでしょうね。
時間の許す限り、そのことをこれから1年の主題にしていきたいと考えているところです。



  12月28日(木)
よく晴れているものの季節風が強い。北アルプスの向こうは吹雪になっていそうなお天気具合です。
私は朝から医者通い。2週間ほど前から脇腹に痛みがあって、ちょっと動くと鈍痛があったものだから、思い切ってかかりつけ医に相談に行ったのです。いろいろな可能性が考えられるが、ともかく一度CTをとっておきましょうというので、1月初めにあづみ病院での検査を予約してもらいました。
その前から慢性鼻炎であづみ病院にかかり、さらにその前には腰痛で整形にかかり、新年は病院通いではじまり病院通いでおわりそうな気配です。

さて、26日の記者会見の内容をまとめていて気がついたのですが、教育長の発言には、あいまいな表現がいろいろあったものの、協議の中で確認してきたこともしっかり発言していたなと感じさせられましたね。26日には「教育長の答弁がどうあれ」というような書き方をしてしまいましたが、その点は訂正しておきましょう。
NHKが26日の全国放送(?)で記者会見の模様を放送し、「NHKウエブニュース」にもちゃんと収録しておいてくれていました。的確に問題を捉え、大事なところはきちんとまとめてくれているのはさすがNHKだと感心しました。
そこで紹介されていたように、今後の公民館運営について「基本的に多くのみなさんに開放できるように(社会教育法の)広い解釈を持っていかなければならない」と述べていたことは重要です。
この点は、すでに8月の説明会時に教育委員会が明らかにしていた立場の再確認ではあれ、記者の皆さんの前で言明したのですから大変な重みを持ちます。
新聞各紙もそれなりに大きな紙面を使って紹介してくれていました。
1年間に及ぶこの「公民館問題」、さいたま市では公民館会報に9条デモに関する俳句を載せようとしたところ、公民館側が政治的中立に反するという理由で掲載を拒否したという事件がありました。裁判で、さいたま市の敗訴となった(どちらも上告)のは記憶に新しいところ。
池田町の水準とは比較にならないくらい低いレベルの市の対応で驚くばかりですが、そんなニュースを見ていると、失点続きの池田町だが、今回の合意でかなり株を上げたのではないかとさえ思えてきます。
ひょっとしたら私たちだけではなく、池田町教育委員会にも「どうしたらうまくやれるでしょうか」と、全国から問い合わせがくるんじゃないでしょうかね。

参考までに、これまでコツコツと記録し続けていた、1年間の記録をここに公開しておきます。これはあくまでまだ実行委員会事務局の一部メンバーの作業ですが、今後いろいろな意見をいれてきちんとしたものに仕上げていく予定です。

池田町公民館問題 1年間の記録(案)

一連の資料はあまりに膨大なのでここには載せていません。そのかわり、資料番号を付して、ウエブ上で閲覧できるようになっています。



  12月26日(火)
午前10時から公民館問題での共同記者会見。町と教育委員会が昨年末の公民館使用許可取り消し問題で謝罪し「取り消し通知書」を撤回、あわせて合意書を取り交わしたのです。

町・教育委員会の謝罪文
双方の合意書
実行委員会の見解

「通知書」の撤回はあくまで手続き上のミスによるもので、さかのぼって処分を取り消したわけではないというのが教育委員会の言い分なので、記者のみなさんからはこの点を巡って厳しい質問が相次ぎました。
まず、はっきりしておきたいのは、教育委員会が手続き上ではあれ、実行委員会に実害を与えるようなやり方で使用許可を取り消したことについて謝罪し、引責措置も講じて「撤回」したのですから、その点は評価できること。あくまで共通の土台をつくることが今回の目標であったということです。
次に、公民館をめぐる両者(実行委員会と教育委員会)の考え方にはまだ相当な開きがあるということです。これははっきりしています。このことをめぐって協議を続け一致すれば第2弾の合意ができるということになります。今回の重要な点は、「話し合いで溝を埋めることを確認した」ことにあります。

記者からは、事務手続き上の間違いが原因なら、同じ趣旨で公民館の使用を申請したらまた断ることになるのではないのかという質問が出ました。当然です。
昨日の事務レベル協議の中でも「そのような質問は当然出るので、そのときには教育長ちゃんと答えてくださいよ」と釘を刺しておいたのですが、残念なことに教育長はあいまいな答弁に終始してしまいました。
教育長の頭には「安倍内閣打倒」だとか「自公政権はもうごめん」というような見出しのチラシでは公民館の利用目的に合わないという考えが染みついているようで、記者の目から見れば、結局何も変わっていないと見られても当然のところがありました。
しかし、教育長の答弁がどうあれ、文書で確認している中には、今後の立脚点がきちんと書き込まれているのです。新しい地域交流センター建設に向けて社会教育法の見直しをすすめ、その際平成27年の文科省通達を踏まえて柔軟に対応すること、公民館規定も広島市のように分かりやすいものにすることをこれまでの協議で確認してきたのですから、教育長もそう言えばよかったのです。
事務レベルでの協議では、ずいぶん議論が深まり先に進んでいますから、おそらくそう遠くない時期に今日記者の皆さんが懸念した問題も克服されるのではないかと思います。教育委員会の今日のような言い分はこれまでの議論とも異なるし道理がないことは明らかですから。

NHKの記者がテレビカメラを持って来ており、3時のニュースで放送するとのこと。朝日、中日、信濃毎日はじめ、合計6社の記者が来てくれましたから、池田町のみなさんにも次第に問題が知られていくことでしょう。










そのあとは松本で仕事。帰ったのが午後10時を回っていました。明日もまた朝から昼過ぎまで仕事。冬期講習がたてこんでいます。



  12月24日(日)
世の中はクリスマス・イヴ。松本での仕事が休みになったので、午後から妻とビッグバンド「ニュー・スリー・シャープス オーケストラ」の定期演奏会に出かけました。
安曇野地域で演奏活動をしている皆さんの本格的大型バンドで、結成40周年といいますからずいぶん長い歴史を持っています。今日は、ジャズ・ラテン系のナンバーが中心で、クリスマス・コンサートという感じでした。会場は満員。
前にこの会場で同じバンドの演奏を聴いたのは、もう6年も前になります。団員も新しいメンバーが増えたようですが、中心になっている方たちはあれから6歳年を重ねたということですかね。それでも一曲一曲に磨きがかかって聴き応えがありました。
今回の演奏ではジャズよりもどちらかというとパーカッションが活躍するルンバなどラテン系の音楽に生彩があったように思えましたよ。また、安曇野の景色を歌った「早春賦」がラテンミュージックにアレンジされて初披露、楽しむことができました。
前回同様、知人が名司会ぶりを発揮していました。写真はチケットから。


クリスマスといえば、私がまだ小学生だったころ、朝起きると枕元に「小学○年生」などという子ども向けの雑誌と、靴下に入ったお菓子が置いてあったものです。終戦からまだ10年も経っていない頃の話。イヴにとくにケーキを食べるとか、家族で食事を囲むとかということはなく、ただ子どもの私にとっては朝起きたときのプレゼントだけが1年に1度の楽しみだったことを覚えています。
父母は、前もって買ってきたものを隠しておくのが大変だったろうなと、多少物心がついてから思ったものでしたが、小学生の間は欠かさず続けてくれました。
戦争の時期から、養女・養子として、自由のきかない生活を余儀なくされ、とくに父は小学校しか出ていないこともあって、「我が子にだけは辛い思いをさせたくない」という気持ちがその背景にあったと述懐したことがありました。
クリスマスだからどうということは全くなくなってしまった現在ではあっても、そうした父母の思いを気にも留めずに気ままな生活を送ってきた幼少期・少年期を振り返るとき、この時期を迎えると今更ながら父母に済まなかったな、有り難かったなという気持ちにさせられます。



  12月23日(土)
義弟の葬儀についての妻の日記を読んでいると、沖縄という土地に根付いた人々の暮らしの「かたち」について考えさせられます。
妻は第2の故郷となった富山での風習との違いを強調していますが、沖縄では沖縄なりの考え方や人々のつながり方というものがあるのでしょう。
北部では墓も個別につくられ本土並になっているようですが、南部では一族の墓という伝統に縛られており、そのことから派生する葬儀のしきたりということもあるのではないかと想像します。
葬儀はものすごく短時間である割りに、家には1日中近隣、ゆかりの人たちが出入りするというのですから、その対応もハンパではないでしょうね。人付き合いの嫌いな兄が帰ってしまうというのも頷ける面があります。

沖縄では、米軍機の墜落や落下物の危険の増大に抗議する集会が29日に普天間市で開かれるとの報道がありました。教員団体を中心とする実行委員会が開催すると書かれていました。傍若無人のアメリカ軍、無能力な日本政府への失望と怒りがますます広がっていることの表れですね。
今年の8月に出版された角川新書に、辺見庸さんと目取真俊さんの対談「沖縄と国家」があります。買った当初は目取真さんの本をそれほど読んだわけではなかったので、途中で放棄してしまいましたが、最近「目の奥の森」「魂込め(まぶいぐみ)」を読んだ上で、改めて読み直してみました。
辺見さん、以前死の淵をさまよったという話を聞いたことがあったので、ほとんど文筆活動を停止しているのかと心配していたのですが、ちょっと安心。相変わらず鋭いあの語り口で対談しているのですが、この本ではほとんど目取真さんの独壇場。しかし、話を聞いて(実際には読んで)いるとどちらがどちらなのか分からなくなりそうでした。
ヤマトゥの改憲反対運動が安保と連動しない偽善性、天皇制に絡め取られていくこの国の精神構造などについての発言を聞いていると、本当にそこまで突き詰めるかと思うほど極限まで突き詰めた思考を披瀝し合っているのですね。
殆どの人はそんなところまでは考えない。突き詰めない。そうすれば結局自分を追い詰め、追い込んでいくことになるから。自分で自分を切ることになるから。だが、この二人はもうとっくに他からも切られ自らも追い込んでいるから恐れるものがない。
第1章が「沖縄から照射されるヤマトゥ」と題されているのも、目取真さん自身の辺野古・高江での厳しいたたかいの裏付けがあってのことです(「土人」発言を浴びせられたのはこの目取真さん)。殆どの「日本人」にとって、本土から沖縄を「眺める」ことはあっても、その逆はない。まして「ヤマトゥを撃つ」などという物騒な発想はしない。ところが、意識的ウチナーンチュの目は、ヤマトゥの想像を遙かに超えて、いや想像すら出来ないほどに厳しいのです。
その目は日本政府だけではなく、私にも、あなたにも向けられているのです。事実、昨年4月に起きた旧海兵隊員による強姦殺人事件に抗議して開かれた集会で、玉城愛さんが放った一言がそれを物語っています。(スピーチはYouTubeで、あるいはこちらで)

安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の「第二の加害者」は、あなたたちです。

私たちはこれにどう返事するのか。
ネット上には、この発言に対してさえ「バカガキ」呼ばわりする反共右翼御用達の御仁が、私と同じ「徒然」を標榜して臆面もなく書き殴っているのを見かけました。歴史と現実を見ることもなく、現地の人々とともにいることもなく、パソコンの前で悪態をついているぶんには痛くも痒くもないのですからね。いい気なもんです。

妻が思いがけず2度も郷里と長野を行き来することになって、今度は私が行く番。来年の2月から3月にかけて名護市に滞在します。昨年は、腰の具合が最悪でしたが、今年はどうなることか。帰ったらすぐにMRIの検査が待っているので、行動は相当に制限されますが、できる限り「沖縄から本土を見る」ことに徹しようと考えています。そのときも、この「沖縄と国家」に何度も戻ることになるのでしょう。



  12月19日(火)
今日、毎月購読している「世界」を取りに町の本屋に寄ったら、「週刊金曜日」の最新号が書架に並んでいました。ひょっとして私のために並べてあるのかなと思いつつ、「櫻井よしこ様の頭の中」という見出しに引かれてつい買ってきてしまった。今日診察の予約のある耳鼻科で待ち時間に読もうと思ったのです。

櫻井さまについての記事はまあ思った通りでしたけれど、その特集記事の1つに保守を自認する「哲学者・文芸評論家の山崎光太郎氏に聞く」というコーナーがありました。
彼の言い分では、櫻井なんてのは保守でも何でもない、井戸端のおばちゃん以下だとなるそうで、本当の保守というのは小林秀雄、三島由紀夫、福田恆存・・・などのような人をいうのだそう。ま、それはともかく、なぜこうも「保守論壇」の劣化が進んでしまったのかと嘆きつつ彼は問うのですね。
「その最も大きな要因は、明らかに読者のレベルそのものが下がっているからでしょう」とバッサリ。
今の会社員も学生も本をきちんと読まないし、結論を先に求めてしまう、「面倒くさいことは書いても売れませんから、読者層と書き手のレベルがつり合っていると言ってよい」と山崎氏は分析します。
左翼の方も、昔の丸山真男、羽仁五郎、日高六郎のような知識人が見当たらず、劣化が著しいと、こうなったら救いようがありませんね。

ネットから情報をあつめ、大学のレポートや論文に使うというのは、コピペという言葉とともにネット時代だからこそできる「うまみ」でしょう。「検索」エンジンの進歩がそれを支えてきたといってもいいでしょうね。
だが、よく考えて見ると、この「検索」こそ実に怪しい側面を持っています。あるキーワードでヒットする上位サイトはその内容が正しく優れているからでないことは誰でも知っています。どうしたら検索エンジンにしっかりひっかかるのか、それさえクリアすればいいのですから。
ちなみに「あづみの」と「つれづれ日記」と書き込んで「けんさく」とやってみましょう。上位はぜ〜〜〜ぶ私のサイトですよ。中身じゃない、10年以上もずっと同じコンテンツで書き続けているんですもんね。検索エンジンさんはもう数限りなく私のサイトを訪問してチェックしてくれている。ついでにグーグルには「つれづれ日記」といっしょに、野党共闘とか共産党、辺野古新基地建設反対なんてのも関連づけてしっかりと蓄積されているハズ。

そうしたネット上の情報の選択基準を定めるのは個人だとしても、それをどう扱うかの教育がちゃんと行われていない社会では、間違った情報、手軽な内容が幅をきかせ野放図に増殖していくのは理の当然ということになります。
では、今日の若者が本当にネットから得た情報が正しいと考え、参考になると思って扱っているのでしょうかね。それはそれとして検証すべきことじゃないのでしょうか。
ネット文化⇒読者の劣化⇒若者の保守化というようなある意味分かりやすい評価の仕方には、私自身は強く違和感を覚えます。じゃどうして、と言われるとその理由をあげることはできませんけれど。
おそらくという限定付きなら、「自由」を隠れ蓑にネットを支配し若者を取り込もうとする何らかの意志が働いているのではないかというのが私の見立て。

インターネットの黎明期からウエブページを閲覧して遊んできたとはいっても、これからの歴史を考えればまだ黎明期どころかほんの出発点に過ぎないのでしょう。その意味では貴重な歴史的体験をしているともいえますが。(日本語で「ネット」「ウエブ」と発音するときに、どうして後ろを揚げるんですかね。特別な意味をもたせているから?・・・蛇足でした)
中学生や高校生に、ネットスケープ・ナビゲーターなんて言っても誰も知らないでしょうね。たった1M程度のソフトを電話回線で夜通し最新版をダウンロードして、それでもダメだったという経験など誰も知らないだろうし。ソフトそれ自体に夢中にさせてくれた古きよき時代があったのであります。なつかしさで涙がこぼれます。
それはともかく、私は、中高生がウエブ・ページとは何で、それは誰がどう作っているのかなどを知り、みずからも作る体験をするなら、インターネットに対する考え方もずいぶん変わるのではないかと思っているのですが・・・どうでしょう。そんなこと言われなくても、もうやり始めてるって?? それなら結構。



  12月18日(月)
朝は相変わらず氷のなかの池田町。日が高くなって、今日は久しぶりに穏やかな晴天になっています。
妻からは、昨日葬儀を終えて、今日は墓に行くのだと連絡がありました。墓と言えば、あの巨大な門中の亀甲墓のことでしょうね。みんなその前に集まってお参りをするのでしょう。
下は2010年5月に妻と一緒に「里帰り」した時の写真。7人兄弟姉妹のうち5人が写っています。左端が先日亡くなった義弟です。まさか、自分が10年も待たずにここに入るなんて想像もしていなかったでしょうに。


話は変わります。
一年越しで協議を続けてきた「池田町公民館使用許可取り消し」問題に、一応の区切りをつける見込みがつきました。
現在、町と教育委員会による「見解(謝罪文)」と、今後の方向についての一致点を記した双方による「合意書」を作成中で、まもなく正式な書類が出来上がる予定です。
正式な合意書を待って、12月26日には町・教委による正式な謝罪、今後についての「合意書」の調印を行い、それに続いて”共同記者会見”を行うという、全国的にも珍しい「中間解決」のやり方を取ることになりました。

振り返ってみると、昨年12月2日以来、抗議、質問書、町・教委との折衝と膨大な時間を費やし、それでも粘り強く一つ一つ問題点を解明し解決していく手法を離さないできたことが、現在に繋がっているのだと思わされます。
町と教育委員会は、昨年の取消処分を行った際に数々の手続き上の不手際や誤りをおかしたことを認めて「取り消し通知書」を撤回するとしました。
しかし、これは手続き上の不備による「通知書」の撤回であって、処分そのものの撤回ではありません。
となると、結局、何も前進がなかったではないかという疑問も生じるのですが、その点については次のように見るということで、実行委員会も町・教育委員会も承認しています。
それは、
@ 取り消し処分の理由にその当時は合理性があると判断したとしても、憲法・社会教育法などについて厳密に認識して判断したわけではなく、その後の協議の中でのやりとりを踏まえれば、法律の解釈にも不十分さがあったこと。
A 昨年12月以前に文科省から出されていた通達に照らしても、政治的な教養の場として公民館を広く開放するという姿勢が必要であること。またそれを踏まえた自治体の事例が存在すること。
B 教育委員会自身が、今回の事案についても「貸し出す」ことを前提にしていたと言明していること、
C それらを踏まえて、「再回答書」で一定の前進的な公民館運営指針を示していること、
などから「教委の認識が昨年12月時点に戻るということには決してならない」ということを双方で確認できたからです。
従って、この「通知書の撤回」を踏まえて、ようやく今後の公民館・地域交流センターのあり方を真剣に議論できる土台ができたということになります。
当然、新しい公民館規則、使用申請書などの運営にかかわる具体的な方策に、「これまでの議論を踏まえた教訓」が生かされなければなりません。その意味では、これからが勝負といっても過言ではないでしょう。
行政運営への住民参加という今日的な実践課題について、この「公民館問題」が1つの生きた事例を与えていると私はとらえています。
町と教育委員会にとっても、ただ住民と対立を深め、法廷闘争などで解決せざるを得ない例も見られる昨今、逆に住民と粘り強く話合いを続けて一致点を見いだすという態度を堅持してきたことは評価されるのではないでしょうか。
もちろん全面解決ではなく、前進への一歩にすぎません。住民自治の精神、憲法の人権保障の見地をどのように具体的に生かすのかが問われており、公民館自体もそのあり方を根本的に見直し、自由で闊達な気風を地域に根付かせるために誠心誠意努力を続けることが求められると私は考えます。

次は、12月15日付け信濃毎日新聞の記事。結果だけしか紹介していないため、経過や意味は伝わりませんが、記者会見を経て再度記事になるでしょうから、それを期待しましょう。
12月15日 信濃毎日新聞



  12月17日(日)
昨日の朝は妻を明科駅まで送って、その足で道の駅池田近くの知人の畑に出かけてネギ掘り。終わってから我が家の畑でさらにネギ掘り。ネギ掘りは、12月23日に「こどもじゅく」と同じ会場で開かれる反貧困ネットアルプス主催「冬のきずな村」で提供するためのもの。そして夕方は演劇の例会。


今日はまた、朝から集落センターの掃除、昼前にスタンディング行動、午後からは仕事で松本へと慌ただしい週末です。その合間をぬって、公民館問題での最終の詰めを行っているところ。

昨夜の妻からの連絡では、那覇に到着してから一度弟の家に行ってきたということでした。すでに家で葬儀をするかのようにきれいに家中が飾り付けられていたといいます。
鹿児島で火葬に付された遺骨が奥さんとひとりっ子の息子に付き添われて一昨日家に戻って、その葬儀は今日2時から津嘉山の葬儀場で行われるのです。元気で出かけていった夫、父親がよもやこんな姿で戻ってくるなんて、おそらく未だに信じられないのではないでしょうか。
こんなとき親鸞上人の「白骨の章」の一節が身にしみてくる。私自身、子どもの頃から折に触れて歌のように聞かされてきた名文句ですから、ふと口をついて出てきてしまいます。
昨夜の演劇の題名が「7人の墓友」とくれば、ますます自分自身の終末について考えざるを得ません。このサイトの1つのコンテンツに「終活」コーナーを設けようかしらとまじめに考え始めている昨日今日です。



  12月14日(木)
世界終末時計は今年の1月で残り2分半でしたから、今現在では残り1分を切ったというのが私の推測。
今朝のニュースショーでも、トランプの支持率が低下し負けるはずがないとされてきたアラバマ州上院補選で共和党が敗北。世論を軍事・対外政策でそらし回復を狙うために北朝鮮政策で危険な道に踏み出すのではないかともっぱらの評論。
ワシントンポスト上では、ジェフリー・ルイスさんが米朝戦争にいたるシナリオを発表したというし、偶発的な事件をきっかけに核戦争に発展する危険はいよいよ高まっているというのは大方の一致する見方でしょう。
ルイスさんの見立てによると、北朝鮮からの第1撃でミサイルが飛んでくるのはどこか。

The targets in South Korea and Japan were largely located in urban areas.・・・In Japan, many U.S. bases were concentrated in and around metropolitan Tokyo ? Yokota and Atsugi air bases, Yokosuka naval base. Marine Corps Air Station Iwakuni, about 20 miles from Hiroshima, was also targeted.

というわけ。
第2撃では、沖縄とグァム、さらに続いてアメリカ本土にICBMを打ち込むのではないかと予測していました。
そんな予測は誰も歓迎しませんし、予測の前提も、兵士の疲弊による北朝鮮側からの韓国民間航空機への攻撃が起こり、トランプが事態を知らないままスマホいじりを続けて今まで通り“LITTLE ROCKET MAN WON’T BE AROUND MUCH LONGER!”(チビのロケットマンはもう長くないだろう)と書き込み、それを金正恩が攻撃の合図と間違って受け止めて攻撃を始めるという、かなり空想的な設定なので、ちょっと・・・と思ってしまいますが。
しかし、ルイスさんの設定はともあれ、世界各地で戦争のシナリオと被害の予測が出始めていることを考えれば、この国の政権党のみなさんの思考停止ぶり、ノーテンキぶりは異常です。

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沖縄でまたまた米軍ヘリがこともあろうに操縦席の窓枠を普天間第2小学校の校庭に落とすというあり得ない事件が発生しました。事前通告のないパラシュート訓練、保育園への米軍ヘリの部品落下など県民無視の米軍の行動・事件があいつでいたさなか。
沖縄では軍事訓練が日増しに強化され、軍用機の整備も兵士の健康管理もおそそかになって、これからどのような事故が発生してもおかしくない状況に至っているということでしょう。下は何年か前に普天間第2小学校前やその周辺に行ったときの写真。すぐ隣は米軍普天間基地です。






ところで、宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園への米軍部品落下に関連して、保育園に「自作自演だろう」とか「米軍は落としていないと言っている」「(落下の衝撃で壊れず)よっぽど丈夫なトタン屋根なんですね」「でっち上げて、よくそんな暇があるな」という嫌がらせの電話やメールがあった(電話だけで10件)ことが現地のメディア(琉球新報、沖縄タイムス)で報じられました。
県内からなのか県外なのかは定かではありませんが、今日の日本社会のゆがみをモロに反映した問題です。論理的で理性的な判断にもとづく批判ではなく、もはや議論の成立しようもないデマの投げつけ、一方的な言説の拡散です。
このやり方は、沖縄で言えば「辺野古基地建設反対派は金をもらって参加している」とか「北朝鮮・中国の工作員」とかという例の自称小説家の言い方と全く同じ。
ジャーナリストの安田浩一さんは沖縄タイムス紙上で「この1、2年で沖縄に対する日本社会の言説が底抜けしたと感じる」とのべ、次のように書いていることはまさに正鵠を射ています。

この風潮は東日本大震災の被災者や生活保護受給者、在日外国人にも及ぶ。マイノリティーが被害や当然の権利を訴えるたびに一部のグループから直接・間接の攻撃が加えられ、社会問題が「なかった」ことにされようとする。分かりやすい「敵」をつくり、たたくことが娯楽にすらなっており、非常に腹立たしい。

脈絡のない言い方、中身のないコトバで本質論議をさけ、結局は何も質問に答えない、答えることができない安倍やトランプと全く同じということですね。安倍はこれまで何度「真摯」というコトバを口にしたのでしょうか。
だからこそ、言論のあり方、議論の仕方についての「まともさ」にもっと敏感にならなければならないし、実践しなければならないと痛感します。



  12月13日(水)
昨日まで公民館問題で最後の詰めの作業をしていたために時間が取られてしまいました。
明けて今日、朝いつものようにメールチェックをしていたら、妻の弟(7人兄弟姉妹の末っ子)が不慮の事故で亡くなったという衝撃の連絡が。にわかには信じらず、妻にもどう告げたらいいのか分からないほどでしたが、妻も最初は冗談だろうと言ったほど。兄からの連絡をプリントアウトして見せてようやく納得してもらったという状態でした。
職場の人たちと鹿児島に出かけていた際の事故だったようで、奥さんとお子さんがそちらに向かっているのだと書いてありました。そのため、現在のところ葬儀などについては未定。そうはいっても週末から来週にかけて葬儀の予定もはいることになるでしょうから、何はともあれ妻が郷里に帰る準備だけはしておこうとなって、航空券を予約しました。
ところが急な話なので、名古屋からの飛行機は満席で、かろうじて土曜日に確保することができて、結局来週の木曜日まで短期間郷里に滞在することになりました。
私はこちらのいろいろな予定を外すことができないので、葬儀には妻のみ出席。私は来年2月7日から3月5日まで、すでに沖縄行きを決めて飛行機の予約も済んでいるので、その際に弔問してこようと考えています。

妻の弟とは一昨年の母の「カジマヤー」でいっしょだったのが最後。かなり前にはバーベキューに招待されたり、実家に来たりして話し込んだりしたことはありましたが、最近はほとんど交流がなかっただけに、もう少し話もしておくのだったと残念でなりません。妻にはカジマヤーで踊ったりスピーチをしたりしていた弟の写真、7年前の法事の際の写真(下の写真など)を持って行って、私からの弔意を伝えてもらうことにしました。









  12月9日(土)
昨夜は猛烈に冷え込んで、辺りはすべて氷漬け。零下5〜8度という感じです。
幸い雪は、昨日夕方に集中的に降っただけで済んだので、それはそれでよかったものの、降った雪が凍り付いて道行く車は「バリバリ」音を立てて走っています。朝のうちの走行は気を付けないといけません。
下は午前7時の我が家の周辺。




昨夜のうちに車の雪を払っておいたので、8時ごろからすぐに米・野菜の積み込みを行うことができました。予想通り軽トラの荷台が一杯に。9時過ぎに妻といっしょに松本に向かいました。
松本周辺はほんの少し雪があった程度で道は乾燥して問題なし。10時過ぎから三々五々集まってくれたお母さんや子どもたち、スタッフとともに段ボール箱に詰め込む作業。
予約してくれた保護者は15人でしたが、会場を借りている病院で働いている方たちの中で欲しいという人たちもいて、大量の野菜も無事すべて分けることができました。大学生のスタッフにも少しお裾分け。
米、野菜を提供して下さった方々に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。みなさん喜んで持ちかえっていただくことができました。
昼近くには、こどもじゅくを応援してくれている教会の牧師さんたちが大量の焼きたてパンを運んで来てくれました。スタッフの一部は野菜分けとは別に豚汁作り。昼頃から手伝いに集まってくれた子ども、保護者、スタッフみんなでパンと豚汁で仲良く昼食。すっかりお腹がいっぱいになりました。
もちろんこの日は午後からいつものようにお勉強。3時半頃まで机に向かいました。








  12月8日(金)
夕方まだ明るいうちから本格的な雪。午後6時過ぎまでに10センチほど積もりました。午後7時ごろには雲も晴れて星空が。
明朝は沢山の野菜を運ばなければならないので、軽トラに水をかけて雪を融かしました。しかし水をかける先から窓が氷つき、明日の朝が思いやられます。

ところで今日のニュースで、防衛省が来年度予算に長距離巡航ミサイル関連予算を盛り込むと発表しました。
小野寺防衛相は「敵基地攻撃を目的としたものではなく、専守防衛に反するものではない」と言いますが、誰が見ても敵基地攻撃能力の保持でしょう。こんな詭弁を許しておけば、たとえば核兵器を保有しても専守防衛に反するものではないという論理になってしまいます。
北朝鮮の脅威を最大の口実として、このような軍事力強化と9条改憲とをパッケージに一気に押し通そうというのですから、本当に危険極まりない。

奇しくも今日は12月8日。太平洋戦争に突入した日です。
「大本営発表」と聞けば、当時のことを多少でも知る人にとっては権力者の大言壮語と虚偽報道の代名詞のようになっています。しかし、大本営とは何であったのか、その発表とはどのようなものであったのかを知る人は今ではもう少なくなっているのではないでしょうか。
戦後生まれの私は「大本営発表」を直接聞いたはずもありませんが、当時の模様の映画あるいは録音で聞いたことは何度もありましたから、その放送の果たした役割については何度も考えさせられてきました。
当時、「国策遂行」の基礎となる一般宣伝の計画、実施、政府内の事務の連絡・調整を担当していた内閣情報部が、1940年に内閣情報局となり陸海軍省をはじめ政府内の各省庁の情報、言論統制検閲関係をすべて統括し言論界を統制する中心となります。しかし、それから1年後の日米開戦時から発表の中心が陸海軍の報道部に移り、初めは陸軍部、海軍部別々に発表、しかし、1942年1月からは「大本営発表」とだけになります。

さて、1941年12月8日午前6時、大本営発表の第1号が出されます。その内容はよく知られたとおり、次の文面でした。

大本営陸海軍部発表(昭和16年12月8日午前6時)
帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり


発表は陸軍省記者クラブで行われ、午前6時ちょうどに、つめかけた記者たちの前で陸軍省報道部長の大平秀雄大佐が読み上げたとされています。(以上、「大本営発表の真相史」富永謙吉)
国民には午前7時の臨時ニュースで知らされることになりますが、「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」というものだったようです。
当時の新聞がどのように報じていたかも上記の本に紹介されていますので、ちょっと抜き書きしてみましょう。

ああ、この一瞬、戦わんかな時至る。永久に忘れ得ぬこの名句、その長さは僅か三十字の短文であるが、正に敵性国家群の心臓部にドカンと叩きつけた切り札である。

今日の信濃毎日新聞のコラムでも、当時の国民がこの臨時ニュースを聞いてどれほど胸躍らせたかが紹介されています。それほどに大政翼賛体制を形作った教育と言論統制、社会統制の「効果」はすさまじかったということでしょう。
元外務省国際情報局長の孫崎さんは「日米開戦の正体」(祥伝社)の終わりで、「最終章を書いていながら、まだ筆を置けない」として、無謀な太平洋戦争に突入していき無残な敗戦、甚大な人的・物的被害をもたらしたあの戦争の教訓について、「最後に教訓を一点挙げるとすれば、『発言すべきことを発言できる』、それを確保する社会を維持していくことだ と書いています。そして、「『自分が正しいことを述べる』ことで制裁を受ける時代」に入ってしまったことを深く憂いながら、どうしたら「正しいことを述べる」社会を復活・維持できるかを皆で考えようと結んでいます。
まだ人間一人の寿命にも満たない過去の時代なのだから、パソコンを駆使すればすぐにでも見られる映像などをたぐり寄せ、わずかな時間でも今日につなげて考えることは決して無駄なことではないはずです。



  12月7日(木)
今日は朝から文句なしの快晴。予定通りのメンバーがバラ園に集結し、軽トラ3台ずつの二手に分かれて落ち葉集めに出かけました。
私のグループは、昨日下見をしてきた我が家の裏手から東山を登って向こう側に行く道の道路脇。ところどころに落ち葉の吹きだまりが出来て、1箇所で3台の軽トラに十分な量の落ち葉を集めることが出来ました。


1時間もかからずにバラ園に戻って、今度はすでに仕入れていた牛糞とまぜて堆肥箱に詰め込む作業。これは結構大変な労力のいる仕事なので、両方のグループが戻ってから全員で汗を流してせっせと箱を満杯にしました。
今日は総勢13名。よく集まってくれて効率よく作業ができたために何とか時間内に終えて、あとは昼食。おにぎりと豚汁でお腹を満たし、柔らかい日差しのもとで今年最後の作業を終えました。みなさんお疲れ様でした!!




帰ってから夕方にかけて、9日の「こどもじゅく」のための準備。サツマイモ、ニンジンを洗って渇かしたり、沢山寄せてもらったお米を3キロずつ分けて袋に詰める仕事。
お米は、3キロの袋で35個もできましたから、ざっと110キロもあったことになります。
それ以外に、今日持ってきてもらった大根、ネギなどを合わせると、ものすごい量の野菜が集まりました。明日もうすこし準備をして、あさっての朝運び込むことになります。沢山取りに来てくれると嬉しいのですが。

昨日から今日にかけてのニュースで、いくつか看過できない問題が。1つはトランプによる「エルサレムをイスラエルの首都と宣言」した暴挙。パレスチナ問題の平和的な解決に完全に逆行し、再び暴力の連鎖を引き起こす愚行です。
2つ目は、沖縄での事件。宜野湾市野嵩にある保育園に米軍機のものと思われる部品が落下した事件です。周辺では米軍ヘリやオスプレイが飛び回っていたといいますから、一歩間違えば子ども達に取り返しのつかない被害を与えていたかもしれないのです。
辺野古新基地建設にからんで、日本政府は完全に米軍のいいなり。看過できないのは、山城議長に対して検察側は懲役2年6カ月を求刑したというのです。軽犯罪にもならないような鉄条網の切断という事件に対して、「被告人らの犯行は主義主張を違法な手段で実現しようとしていて、法治国家においては到底正当化できず、強い非難を免れない」「それぞれの犯行を指揮・主導した首謀者であり、共犯者の中でも一番重い非難が妥当。再犯のおそれも高い」というのですから、本末転倒というべきでしょう。
沖縄県民の世論に背を向け、自然を破壊し、単にアメリカのためにのみ無法なやり方で基地建設を強行しているのは日本政府であり、この求刑文はそっくりそのまま対象を「安倍晋三」としてお返しするのが最も妥当ではないのでしょうか。
これに「本土」の極右のみなさんが飛びついて、沖縄への差別的言動を強めていることもひとつの特徴。事実と道理で、こうしためちゃくちゃな「言論」を打ち破っていかなければなりません。「本土」側から、徹底した批判を集中すべきです。



  12月6日(水)
パソコンを閉じて寝ようと思った瞬間、ゴーッと音をたてて大地が揺れた。ほとんど前触れなく家全体がギシギシと不気味な音をたてている。P波はほとんどなくていきなりS波だったので、これは近い。
幸い停電もなく、とくに家具が倒れたり落ちたりするようなこともなかったので、すぐにテレビをつけて情報収集。地震の直後に「大地震です」という無線放送が入り、携帯が鳴った。順序が逆になってしまいました。
長野県中部が震源、池田町は周辺の市町村と同様に震度4。松本市、上田市、安曇野市、千曲市などで震度4ですから結構広い範囲で強い揺れが観測されたことになります。
情報によれば、震源は北緯36.4度、東経138度でしたから、マップで調べると池田町から東約10キロほどにある篠ノ井線西条駅の近く、長野自動車道の真下10キロということになるらしい。
最近、地震の勉強会をやったばかりですから、みなさん「来たぁ〜〜」と思ったんじゃないかなあ。やはり日頃からの準備を整えておかないといけないと、私を含め今回は本気で思わされたことでしょうね。とにかく地震は怖い。

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明日は午前中バラの会の堆肥作り。計画では例年通り大峰高原まで行き落ち葉を集めてくることになっていたのですが、今日下見に行ってみると一面の雪。5センチくらいですからそれほど大雪というわけではありませんが、雪をかき分けて枯れ葉を集めるというのも骨の折れることだし、雪をたくさん積んで帰らなければならないので、大峰はパス。明日集まってから場所を検討することにしました。
バラ園に戻ってからは、すでに購入してある牛糞とまぜて堆肥箱に詰め込む作業があります。これはまた牛糞まみれの作業になるので、いつも大変。明日は晴れの予報なので、作業自体はスムーズに行くのではないかと期待しています。

さらに土曜日には、松本で子ども塾応援野菜フェア。主として池田町から米や野菜を運び、じゅくに通ってくれている子ども達の親を対象にたくさんの野菜を持っていってもらおうという初の試みです。
米や野菜が結構たくさん集まっているので、あとはどれだけの方が来てくれるのか。野菜も高くなっている時期ですから、役立ってくれるといいのですが。




  12月5日(火)
センター試験に代わる大学入試共通テストの試行調査が行われその問題が公開されました。結果速報によれば、全国で高校2年生以上のべ17万人(実数で6万名余)が受験したと報告されています。
入試試験制度の改革は「『高校・大学において何をどのように学び何ができるようになるのか』を明確にしながらそれぞれの教育の充実を図る」とともに、高大接続を効果的にはかるために実施するのだとされています。
入試センターは「高校生にとっての試行調査の意義」として、「深い理解を伴った知識や思考力、判断力、表現力を問うことをより重視」しているとして、自分の力を試してほしいと述べています。

数学に限ってしか評価できませんが、作問のねらいである「思考力・判断力・表現力」はそれなりに問題に反映され、これまでの「知識量、計算力」といった出題とは様相を異にするものになっています。出題者の努力は並大抵のものではないと思われますが、そのために勢い「力が入りすぎ」て受験生にはずいぶんと苦しい問題だったのではないかと想像されます。
何を隠そう、私も昨日から時間を見て数学TA、UBの両方を試して見たところ、時間が足りない。ところどころによほど深く考えないとつまづくような落とし穴はあるにはあるのですが、そのようなところこそ時間を一定程度かけて考え抜くことが求められると思わされました。

数学TAで70分、UBで60分という時間設定は、このレベルの出題とする限りは全く不適切です。せめて数学TA、UBともに90分とすることを提案します。
短い時間で素早く本質を見抜き、素早く計算し正解にたどり着く・・・それだけを目指しているのなら、このような試験は何の意味もありませんね。そんな人間だけを求めているのなら別ですが。「深い理解」と時間にはほとんど相関関係はないのです。
受験生よりははるかに経験のある私でさえ時間いっぱいかまたは時間オーバーになるような問題では、一体何を目指そうとしているのかわかりません。ただ、受験生を苦しめるだけとなれば、彼らは共通テストをさけて私立に流れることも大いにあり得るのですから、大学教員のレベルを高校生に押しつけてはなりません。
問題自体は大変面白い意欲的なものなので、それだけに時間には十分配慮して欲しいと強く要望します。
大学側は出題する側。だとすれば、解答する側は高校生ではなく全国の高校の教員であるべきです。教師がまずこの手の試行テストを受けてその「実体験」から改革への提言を行うべきですね。そのことを強く主張します。

TAがやたら力作ぞろいで、問題のボリュームがハンパじゃない。受験生はこれを見ただけでゾッとしたんじゃないかなあ。いずれも実際の事象に題材をとっているので、読み込むにこれまた時間がかかる。
日頃のいい加減な学習ではおそらく半分以上の受験生は全く歯がたたないのではないかと思われます。「高校の授業のあり方も相当な改変が求められる」という一部新聞の評価もうなづけます。
しかし、現在のようなカリキュラムで果たして対応できるのかどうか。考えさせるといいながら、「何をどのように」となると、現在の教育と共通テストの求めるものとではあまりに落差がありすぎるからです。この方向で改革するのは決して悪いことではないにしても、学校側にも相当な力量が求められることになるのは間違いない。

一方で、UBの一部に手抜きが見られます。UBでは第一問の[1][2][4]は相当にやさしく[4]などは1分もかからない。それに比べて選択第3問(数列)はよく作り込まれてた問題で、TAの出題の仕方と共通するもので、なかなか面白い。ただし難しい。数列の後半の正答率が20%程度になっているのもうなづけます。

これから試行を重ねて、よりよいやり方に改めて行くことになるのでしょうが、大学側の努力だけではなく高校の現場でも大胆に改革をはかれるように積極的な提言を出していくべきですね。「思考力」といいながら、ただ生徒を苦しめるような改革にはすべきではありません。

ここまでは数学に限った話ですが、たとえば社会とくに歴史はどんな問題になるのでしょうね。思考力は批判力が無くては育ちません。歴史修正主義が跋扈し、歴史の改竄を平気でやるような人物が大学に大きな顔をしているようでは大学入試も思いやられます。出題にあたっては公平に批判的見地を失わず、「そんたく」など絶対にないようにしてほしいものですね。



  12月4日(月)
一昨日から昨日にかけて開かれていた共産党第3回中央委員会総会で、志位委員長は安倍内閣の9条改憲の動きに対して「安倍9条改憲反対の一点での空前の国民的大運動をよびかける」として、その先頭に立つ決意を語りました。
そのたたかいの意義は「安倍内閣による憲法9条改定許さないたたかいは、文字通り日本の命運を左右する歴史的闘争」であり、「草の根のたたかいと共闘が、たたかいを勝利に導く要」だというのです。
私自身は、その位置づけと今日の日本での意義は全くその通りだと思います。そのうえで、あえて言えば「空前の国民的大運動」とはいったい何を指すのか、それはどのように可能なのか、コトバだけが踊っているのではないかという疑問を禁じ得ません。
一昨年の安保法制反対の国民的な大運動が起こったとき、「総がかり行動」実行委員会は全国2000万人署名を訴えました。これに呼応して池田町でも「戦争法に反対する池田町民の会」を中心に署名推進委員会を組織し、3000筆を越える署名を集め実行委員会に届けました。それでも全国ではこの署名の到達点は2000万には届かなかったのです。
このとりくみを振り返って、署名活動だけが先行してここまでの到達点が得られたわけではありませんでした。くみ取るべき教訓は、どのように安倍改憲の危険性を知らせ町民の意識を変え、署名活動として意志を結集していくのかの緻密な計画が必要だということです。
残念ながら、安倍政権と日本会議の熱心さに比べて、それに対峙する市民運動・政党の側の「執念・熱気」は、私自身を含めて余りに乏しい。まず、この闘いの歴史的意義、安倍の狙いの本質を心底とらえきることが大事なのでしょう。
これまでにない創意工夫もいるし、数多くの心ある人々との結びつきを深め、運動への賛同を求めていくことが必要になります。
私自身、あれこれ考えてはいるものの、なかなか足を前に踏み出せないでいる。もどかしい思いで、形だけ前にでても何も生み出すことはできないことは明らかです。
まず安倍改憲の巧妙さ、つまり「単なる条文の追加にすぎない」というやり口の「敷居の低さ」をどう見て、どのように対抗軸をたてるのかをクリアしなければなりません。北朝鮮の好戦性、中国の大国主義がことさらに強調して宣伝されているこの国において、憲法を含め一定の防衛体制を整えることの重要性という意味においては、安倍改憲を一撃で潰すなどということはまず不可能だからです。安倍の狙いが、自衛隊の認知にあるなどというレベルで対抗できるはずもありません。
日本会議系の巧妙で大規模な宣伝が繰り広げられば、容易になびく空気は醸成されつつあるのですから、なおさら事態は複雑で重大。それに打ち勝つには、地域のすみずみで、この問題の本質がどこにあるのかを学び、議論し、住民の中での関心を広げていく以外にないのではないか。

「空前」とは「いままでに例をみない」ということでそれをさらに強めれば「空前絶後」となる。共産党も思い切ったコトバを使ったものです。
運動の主人公は国民であり共産党はそれを支えともにたたかう勢力なのだという共産党の姿勢は一貫しています。採択された中央委員会の決意を、様々なレベルの組織で具体化し、どのように地域で訴えてくれるのか私自身は大いに注目しているところです。



  12月3日(日)
松本で仕事をした帰り、空を見上げるときれいな満月が浮かんで、北アルプスの峰を白く照らし出していました。
今朝は多分マイナス5度くらいあったんじゃないかな。いつにない霜の降り方で、外に出してあったレタス、大根が凍ってしまっていました。これからは、安曇野の夜は冷凍庫。肉などを保存するには戸外に限ります。

今日の午前中から午後にかけて、妻は再び「チョロギ」の収穫のお手伝いに出かけました。私は午後から仕事で出かけなければならなかったので、午前中はゆっくり家の掃除などをして過ごしました。
その合間に、昔の音楽ファイルを整理していたら、たままたある曲を見つけた。Filippa Jiordanoの「Casta Diva 」です。結構メジャーな歌曲(アリア)ですから、ご存じの方も多いのではとは思いますが、ヴィンチェンツォ・ベッリーニのオペラ「ノルマ(Norma)」中の有名なアリアなんですね。
フィリッパのは、全くオペラらしくないフィリッパ節とでもいったらいいような歌い方なんですが、聞いていて実に気持ちがいい。
Casta Divaは日本語では「清らかな女神よ」となっていて、「清らかな女神よ、あなたの銀色に輝く光で・・・どうぞ 地上に熱く燃えている火種を 鎮めてください、荒ぶる気配 猛々しい興奮を 和らげてください、地上に平和の安らぎを そそぎ込んでください、天を治める あなたの優しさで この地球を 包み込んでください」と、まあ神に祈る歌なんですが、こんな私でも女神にそう頼みたくなるような美しい旋律です。
まずMonica Zanettinの歌で正調「Casta Diva」を聞き、次にフィリッパの歌声で聞き比べてみましょうか。実は数え切れないくらいのソプラノ歌手がこの曲を歌っていて、YouTubeでもよりどりみどり。有名どころではマリア・カラスとかルネ・フレミングとか・・・。Carmen Giannattasioの歌声もとてもいい。しかし、ここでは私にとっての歌声で。




私がこのベッリーニの曲に触れたのは、ずいぶん昔のことで、芳賀詔八郎さんが歌詞をつけた「閉じ込められた小鳥」という日本語の歌だったのです。芳賀さんの歌詞では以前紹介したこともある「哀しみのソレアード」があります。
歌は、これまた知る人ぞ知る太田真季。さきに歌詞を紹介しておきましょうね。

作曲 ベルリーニ
歌詞 芳賀詔八郎
編曲 赤堀文雄
閉じ込められた小鳥

1 空高く 飛び立つ
  小鳥見つめて
  あなたは遠い
  愛の星に 住むという
  私はひとり 落ち葉舞う
  牢獄の窓辺に たたずみ
  あなたを想う
  二人がすごした
  愛の季節 去り
  禁じられた おきてに
  あなたは帰らず

2 空を飛ぶ 鳥たち
  伝えて 翼にのせて
  ああ 愛しています
  遠く離れていたとても
  私はひとり 落ち葉舞う
  牢獄の窓辺に たたずみ
  あなたを想う
  壁に描いた
  牢獄の小鳥たちも
  今こそ飛びたて
  あなたのもとへ


囚人となって牢獄に閉じ込められながら、愛を交わした人のことを想って切々と気持ちを歌うという内容。多分、信念を曲げずに囚われ、今もなおその気持ちを胸に熱くたぎらせながらも、いつ終わるともしれない牢獄の生活の中で、支えはやはり心から愛するあの人なのだという・・・・これはもうオペラのCasta Divaなんていう神様のお話ではありません。
ひょっとしたら、牢獄とはそれと同じ意味を持って私を封じ込めているある空間や関係のたとえなのかもしれませんが・・・。

太田真己子「閉じ込められた小鳥」(mp3)

私の気持ちを掴んだのは実はこっちの方で、もと歌があったことを知ったのはそのあとのこと。だから、私にとってはあくまでこっちが本家なんですね。情感たっぷりに歌い上げる太田真己子の歌声は、若い私のハートをしっかりととらえたのでした。
誰かがひとつの曲を耳にして、その胸に響くかどうかというのは、ホントに微妙なタイミングというか心の波打ち方というか、それに左右されるのでしょうね。



  12月2日(土)
12月に入ってしまいました。このサイトの更新をしようと過去の日記の月別一覧を見たら丁度14年分が埋まったところ。数年たったころはまだそんなものかと思っていたらもうこんなになるのですね。
「あっという間」という言い方は適切ではありません。とにかくいろんなことがありましたから。「1から出直し」の人生記録ですし私だけの記録ではないので、それなりに意味があるのではないかと考えています。

昨日から今日にかけては比較的良いお天気で、予定もなかったので久しぶりに畑に出て農作業。汗はかかないのですが、来年のための土起こしがメインなので結構重労働です。しばらく身体を動かしていなかったので、あまり遅い時間までは作業できず、だいたい2時頃引き上げてきました。
今日は妻も出て、もっぱら土から掘り出した大きな石を1箇所に移動する仕事。私も大変なら妻もまた大変で、いつまでこんな石掘り起こしが続くのかと思うとうんざりです。

あとの時間は、サブマシンの高速化作業。メインマシンの記憶ドライブはSSDなので処理はすこぶる速いのに比べ、サブマシンはHDDなので、OSの起動からソフトの起動までの遅いことこの上ない。待てど暮らせど起動完了しないので、イライラが募ってついにサブマシンも起動ドライブをSSDに換装しようと思い立ったというわけです。
しかし、OSはDVDでは持っていないし新しく買うのももったいないので、今使っているドライブそそっくりSSDにクローン化しようと考えました。しかし、現在システムが入っているドライブは1テラバイト、SSDは512ギガバイトですから、多分ドライブの容量が合わない。
そこで、システムの入っているボリュームを縮小して半分くらいのパーティションに。これなら大丈夫だろうと、Acronis True Imageというソフトを使ってSSDにクローンを作りました。
手続きは至って簡単で、思いのほか速くきれいにシステムを移すことができたので満足。その後、メインマシンから諸々のフォルダ、ファイルを移行してほぼ同じ環境を作ることができました。
さて、起動してみると、想像通り速い速い、あっという間に起動してしまいます。約10分の1位・・・・いやもっと速いかも・・・の速さ。SSDも今ではずいぶん求めやすくなっているので、技術の進歩には凄いものがありますね。
そうこうしているうちに、12月も2日が過ぎてしまいました・・・トホホです。




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