今日はいままでで一番暑い日になりました。長野では34度超えだったとか。池田はそれほどでもありませんでしたが、畑で作業をしていたら汗が流れました。
明日は一転して雨の予報。気温も最高で20度といいますから、寒さで震えるようなお天気になるのでしょうか。とにかく雨はしっかり(適度に)降ってほしいものです。
******************************昨日の池田町議会で、服部議員が3たび昨年12月2日の公民館使用許可取り消し問題について質問しました。質問の要点は次の3つ。
@12月2日の直前に務台衆議院議員の秘書から公民館に問い合わせがあったと新聞などで報道されているが、議員からの問い合わせがあったのかどうか。庁議でもそれは報告されたのかどうか。
A社会教育法第23条は、公民館の運営方針を示している。使用者に対する規定ではない。新聞報道でも学者のコメントとして「池田町の対応は行き過ぎだ」と書かれているが、公民館に対する考えを改める気はないのかどうか。
B「確約書」で「選挙に関する議論はしない」と書かれているが、今後もそのような確約書をとるのかどうか。
第1に、国会議員からの問い合わせについての教育長の答弁は、次の2つに集約されます。
1つは、問い合わせた人の名前や職業を聞いているわけではないので、議員あるいは秘書からの問い合わせがあったかどうかは確認できない。
2つは、誰が問い合わせたかが問題ではなく、住民から問い合わせがあればそれには真摯に対応するということだ。そのために調査をさせてもらった。
また、庁議に報告があったかという点については、教育長も町長も、なかったと答えました。
第2に、公民館の今後の対応については、社会教育法第23条の解釈は従前通りだとしつつ、昨年7月の文科省通達を受けて「この通達をあらためて考慮し」つつ、次のように続けました。
公民館の運営において第23条第1項2号の適用を広義に解釈せず、また特定の政党への支援や有利な条件での提供および特定の政党・選挙候補者への支持をすることなく、すべての政党・候補者等に公平で利用しやすく、かつ社会教育法第20条の目的に沿いながら、「政治」という分野も新池田学問所の塾に取り入れながら、開かれた公民館作りをすることが大切であると考えております。ここで、「適用を広義に解釈せず」というのは「制限規定を多く設けて使いにくくするようなことはしない」の意味のようです(私からの問い合わせに対する公民館長の返答)。
第3に、「確認書」(議会では「確約書」とのべている)については、先の議会での答弁(事務局長の言われた通りを文面にした)を踏襲しつつも、今回は微妙に見解を変え、「互いにもう少し協議する時間、キャッチボールをする時間があれば、私はそこで許可ということも可能であった」とし、この確認書を全否定されたので取り消しをした。チラシの文面の印象では「偏りがある」と思えたものの「これが決定的な違いだとは思っておりません」と回答しています。「話合いの場を作らなかったということについては非常に反省をするものであります」とものべていました。
もちろんこの最後の点は、もっぱら教育委員会に責任があるのであって、「双方」に問題があったと責任の所在をすり替えることはゆるされません。
なお、服部議員と教育長とのやりとりの全文は以下の通りです。
6月議会での服部議員の質問と教育長の答弁(公民館問題関連部分のみ)
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さて、今回の教育長の答弁をどのように評価するのか。ここからは私見になります。
1.社会教育法についての従来の解釈はそのまま踏襲している。この点は、公民館使用許可取り消しの最大の根拠とされている点であり、かつ実行委員会との間の最大の対立点である。教育長は、社会教育法の解釈についてあらためて見解を述べています。それは次のような論理です。
「第23条では公民館の運営方針において、公民館が行ってはならない禁止規定が書かれている」⇒第22条第1項6号では公民館の貸し館業務が定められている⇒
従って、貸し館業務にも第23条が適用され、その結果『利用される方にも禁止規定が適用されることになる』という論法です。
これはいかにも飛躍がありすぎます。この点は過去にも何度も見解を表明してきましたし、社会教育法学者の方々もその論理が誤りだということをコメントしていました。
教育長の答弁では、何故に「利用者」まで社会教育法の規定が適用されるのかの説明は一切ありません。「教育委員会は社会教育法第23条は公民館運営者にも利用者にも同様に適用される条文だ」とのべているに過ぎないのですから。もちろん文科省は一切そのような解釈を公にはしていないし、第一、誰が読んでもそのようには読めないのですから教育長答弁には依然として無理があります。
これまでの説明との整合性を保ち何とかこの矛盾を抜け出すために、文科省の見解を援用して軌道修正をはかろうとしたのが、次の論点です。
2.文科省の通達をあらためて考慮し、社会教育法の解釈をゆるやかに(=広義に解釈せず=制限を厳しく設けない)し、利用しやすい開かれた公民館づくりをする、という新しい見解を表明した。教育長は、昨年7月の文科省の通達について初めて言及し、次のように答えました。
昨年7月の文科省の通達は、社会教育において若者の政治参加意識の向上、啓発活動の充実に努めていく中で公民館を使用する際には第23条について広く解釈することにより公民館を活用できない状況にならないように第23条の趣旨をあらためて周知したものだと判断をしております。文法的にやや不鮮明な部分(「広く解釈することにより」がどこに係るのか)があるとはいえ、後から真意を問い合わせた限りでは社会教育法を、「厳しい制約を設けて公民館を利用しづらくするように解釈してはならない」との趣旨だということなので、その限りでは文科省の意図を汲んでの答弁であると理解できます。この点は一歩前進でしょう。教育長も誤解を生まないように答弁書を作成しきっちり読み上げていましたから、事務方ともよく協議されたのではないかと推測されます。
ただし、文科省の見解では、社会教育法第23条が利用者にも適用されるなどという立場ではありませんから、このように見解を述べたとしてもその点の矛盾は引きずったままだということを指摘しないわけにはいきません。
なぜそのようなことになってしまうのか。それが次の第3の論点です。
3.公民館の利用者には、日本国憲法第21条の規定によって「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」が保障され、「検閲」は禁止されています。行政担当者はこのことを最優先に考えるべきです。教育長答弁には、この視点が欠落しています。公民館は確かに公民館の目的がありますから、それに反して恣意的な使い方をすることは社会教育法を待たずとも明らかです。
すべてに開かれたといっても、反社会的・差別的な言動を行う集団や暴力的な団体が利用したり、政党でもその政党構成員のたまり場にするような使い方はすべきではありません。
しかし、一般の町民団体が、政党の候補者などを呼んで議論したり政策での他党批判を行ったりすることは、広い意味で政治教育に関する活動であって、奨励されこそすれ抑圧される何らの理由はありません。なぜなら、今日の議会制民主主義においては県政・国政レベルでは主として政党政治が中心であり、町民がどの政党であれ活発な議論を交わすことは議会制民主主義の発展に大いに寄与することだからです。
戦後の公民館活動の原点はまさにこの点にあったと言っても過言ではありません。この原点にもどって、「すべての国民が自主的にものを考え、平和的協力的に行動する習性を養う」(
4月25日信濃毎日新聞)ためにこそ公民館の機能は充実され発展させられるべきなのです。
他にも論点はさまざまありますが、教育委員会が「文科省の通達を考慮する」という観点で、実行委員会との協議の姿勢を示したことは一定の評価ができるし、さらに上記の問題をその中で詰めていく手がかりが生まれつつあると私は考えています。