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  6月30日(金)
夜8時頃、家の南側を1,2匹のホタルが明滅しながらユ〜ラユラ。雨が小降りになった頃外にでてみると、道路を挟んだ法面の下の用水のあたりに数匹のホタルが。下のホタル水路から抜け出してきたようで、今年はいつもよりその数が多い気がします。
折しも隣の集落では恒例のホタル祭り。ひっきりなしにシャトルバスが家の前を通り過ぎ、ときどき自家用車も道路脇に停めてあります。見に行く機会を逃していますが、何とか晴れ間をみて様子を見てくることにしましょう。

テレビのニュースワイドショーでは、今日も稲田防衛相の違法発言の特集をしきりに流していました。とくに1時間近くにわたった記者会見で、記者からは、「どこをどう読めば『誤解を与えかねない』となるのか、誤解の余地はないではないか」と再三にわたって厳しい追及が続きました。しかし稲田防衛相の口からは本当に耳を疑うようなわけのわからない答弁ばかり。
「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」と言いながらその直後に自覚もなく、周りから言われて慌てて発言を撤回し、記者から何を聞かれても、「発言の真意は自民党をお願いしたいということだ」と強弁して恥じない姿を見せつけられると、安倍政権を1日も早く終わりにさせなければとつくづく思います。
罷免しないのではなく、罷免できないのだというある人のコメントがありましたが、実際そうなのでしょうね。罷免すれば安倍政権はそれでおしまい。完全に見放されるという危機感、恐怖感が支配的なのでしょう。何が何でも時間稼ぎをして罷免だけは避けなければ・・・と。罷免をさせるのはもちろん、安倍政権の政治の私物化、暴走に歯止めをかける直近のチャンスはやはり東京都議選ですね。

さて、沖縄ではあいかわらず1日100台をこえるダンプが洗っていない砕石を運び込み、基地建設を強行し続けています。地元からの報道では、抗議の座り込みを排除する機動隊がかつてなく暴力的になり、いままでは丁寧にごぼう抜きをしていたのに最近は手首をねじったり乱暴に下ろしたりするケースが見られるのだとか。
高江では、完成したはずのヘリパッドの工事が7月1日から再開されるといいます(希少生物の営巣期間終了)。以前、地図入りで何度も紹介したことのある高江のG地区のヘリパッドへの進入路の造成工事に取りかかるのだという。以前は砕石を敷いただけだったために米軍車両の通行に耐えられず、新たに砕石を取り除いて通路を作り直すというわけ。
既成事実を積み重ね、悪行を悪行と思わせない悪慣れを作り出し、やがてはあきらめと無力感を蔓延らせるこの政治手法。この人物たちにしてこの政治手法。あきらめるわけにはいかない、負けるわけにはいきません。



  6月28日(水)
稲田防衛大臣:「しっかりと活躍を自衛隊ができるのも地元の皆様方、そして、都民の皆様方の協力があって初めてしっかりと連携があることが重要だと思っておりますので、防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いをしたい」(27日 東京都板橋区 都議選での自民党公認候補の応援演説)

この発言を聞いていると、稲田さんを防衛大臣にしたのはやっぱりミス・キャストでしたね。安倍さん。どんだけお気に入りだったか知りませんが、稲田さん防衛大臣になったとたんに、自衛隊は何でも自分の言うことをきく身内か子分か、あるいは自分の所有物みたいな感覚になったんじゃないですか。「誤解を招きかねない発言だった」??ウソでしょ。
テレビ朝日のモーニングショーでコメンテーターの玉川さんが怒りながら「誤解は生じようがない」とおっしゃっていましたが、全くその通り。
これは絵に描いたような法律違反行為(公務員の憲法遵守義務違反、公職選挙法違反、自衛隊法違反)であって、失言でもなんでもない。「誤解」なんてコトバはこんなところで使うもんじゃありません。まるで聞いている国民が「誤解」し、「誤解」した方が悪いように聞こえるようじゃありませんか。
この発言は、安倍改憲発言に対して5月末河野統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるなら、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されることになれば非常にありがたいと思う」と発言したことに続くもので、制服組と安倍改憲派の心の内を問わず語りににじみ出させたものともいえるんじゃないでしょうか。河野発言は一自衛官としてもダメだし、稲田さんはもう完全にアウト、「職務を全うする」ことは不可能です。
「私の憲法、法律に対する認識の誤りが招いた発言であり、弁護士失格の発言でありました。陳謝し防衛大臣を辞し、かつ弁護士資格も返上いたします」と言うのが責任の取り方じゃないんですかね。

都議選での公明党による共産党への誹謗・中傷が度を超したものになっていますね。たとえば、公明党ウェブサイト「ニュース」に載せられた「3つのK」という記事。共産党は「汚い」「危険」「北朝鮮」なのだそう。それに輪をかけて、ツイッターで下のようなまとめをして拡散。


さすがにネット上では、「どん引き」「正気とは思えない」「これが国政に議席をもつ政党の公式ツイッター?」などという意見が飛び交うほど物議をかもしています。
それ以後のツイッターなどは本当に正気の沙汰とは思えない。とくに私立高校授業料無償化の「実績」をめぐって、公明党は「共産党の実績横取り」と噛みついているわけですが、まじめに都議会のウオッチャーをやっている方なら事実はどうなのか、おわかりなんじゃないでしょうか。この問題では「ichiro-jeffreyのブログ」の検証記事が参考になります。



  6月27日(火)
午前中ちょっと遅い時間から松本の丸の内病院へ。脊柱管狭窄症の診察を専門家にしてもらうために出掛けたのです。1ヶ月以上も前から予約していて、今日ようやく診察が実現したもの。
結論から言うと、「手術をするほどの症状ではない」ということでした。安心しました。
血流を良くする薬を半年ほど飲み続けていて、最近はかなりハードな畑仕事をしていても、それほど腰痛が苦痛にならなくなっているので、改善されてきているのかなと感じていたところです。
そうはいっても、ときどき我慢できないほどの痛みに襲われることもあるので、注意は怠るわけにはいきませんし、無理は厳禁。
紹介状とともに持っていったMRI画像を見ながら、「画像が2年前のもので、ちょっと古いですねえ。もう一度撮りましょう」となって、7月中旬に画像を、日を改めてもう一度診断をしてもらうことになりました。
「普通に筋トレや運動などをしてもいいですか?」と聞くと、「かまいませんよ」と何の注文も出しませんでしたから、心して運動メニューを考えなければと思いました。

何ヶ月前かまでは、いっそ手術をしてもらって、この痛みから解放されいと思っていたのに、快方に向かっているのかもしれないと思えるとゲンキンなものですね。
帰ってから、昼食のあと畑へ。毎日少しずつ整備していると、暑さもそれほどでもないので無理をせずに草取りなどを行うことができます。
キュウリは日に2〜3本採れるようになり、まもなくトマトが一斉に赤くなりそう。見事に実をつけています。
今日は、残ったニンニクの半分を収穫し、昨日まで植える筈ではなかった「トウモロコシ」の種をまきました。直ぐ近くの畑ですくすく育っているのを見たらつい種を買ってしまったのでした。「植えるならスグですよ!」と念を押されて、スグにまいた次第。
さらにレタスの苗を10本ばかり。畑のキャベツがあと3個ほどになってしまったので、そのあとの食材として植えたものです。きのう1個収穫してきたキャベツ、玉がものすごく硬くて重い。いったいどうなっているのか食べてみないことにはわかりません・・・。
このあと、秋から冬にかけては、白菜、キャベツ、大根、野沢菜などを植えなければならないので、次々と課題が出てきます。やはり畑仕事には春から晩秋まで休む暇がありませんね。



  6月26日(月)
「語るに落ちる」というコトバがありますね。しばらく前にも何かで書いたことがあったような気もするのですが、「問うに落ちず語るに落ちる」を地で行くような発言をしたのが、一昨日の産経新聞主催の講演会での安倍さん。
獣医学部を新設する計画に関して「今治市だけに限定する必要は全くない。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲ある所にはどんどん新設を認めていく」とやっちゃった。
BLOGOSで郷原信郎さんが「自爆」と書いていましたが、それまた言い得て妙。郷原さんは今回の発言の核心は、いままで「自分は関わっていない」「指示したことはない」と関与を否定してきたが、24日の発言で「獣医学部の新設を認めることができる立場にあることを自ら明言し、自分が『その気』になれば、いくらでも増やすことが可能であることを明らかにした」こと、つまり首相の権限を自ら認めたこと(「口出しできるよ」と認めたこと)にあるとのべていました。
岩盤規制などではなくて、獣医師の需給バランスを欠くとの懸念から新設獣医学部が見送られてきた経過も無視し、「どんどん」つくっちゃったら獣医師の世界はいったいどうなるんですかね。石破さんでさえ「なぜ突然表明されたのか。『加計だけ特別に配慮している』と言われたくないからだろう」と苦言を呈する始末です。
安倍総理としては、「岩盤規制を何としても打ち破るために、一校建設を何としてもスピード感をもってすすめたい」と方針を示すだけでいいんです。あとは側近が何のことかを完全に理解して進めてくれます。そりゃ指示も関与もないと言えるでしょうね。何も知らない人に対してなら。
「総理の意向」と部下が言ったとしても「あれはバカな部下が勝手にそう思い込んだだけだ」といえば済む話ですし、萩生田さんも「あれは岩盤規制をスピード感をもって打ち破るという総理の意思」とうそぶけばいいのだし、わざとらしく写真をブログで掲載しながら「加計学園理事長とはおつきあいはありませんでした。あれはたまたまお会いしただけです」と言っておけばいいんですから。忖度なんてもんじゃない。以心伝心。
安倍さんもダンマリを決め込んでいればそれでよかったものを、何をとち狂ったか、いまさらながらのように「全国でどんどん新設を認める」と言ってしまったものだから、逆にこれまで一校にこだわって何としても加計学園に獣医学部を新設しようとしてきた自分を浮き彫りにしちゃいました。

改憲発言も読売新聞インタビューだったり、日本会議系の集会であったりというわけで、完全に国会を無視。
憲法の規定に基づいて臨時国会開会を要求する野党に対して、これまた無視。「憲法を無視する首相に憲法を語る資格なし」と糾弾した共産党小池書記局長の発言がずばり本質をついて小気味よかったね。まず東京都議選で自民党・公明党候補者を一人もなくし、共産党を躍進させるってもんじゃないでしょうか。



  6月25日(日)
携帯のアラーム(地震速報)と同時に、数秒の揺れ。横揺れはほとんどなくガタガタガタと来てすぐに収まりました。
今朝は5時頃ハルちゃんに起こされて、しばらく付き合っていましたが、それからまた2度寝、地震で起こされてしまいました。
どうやら岐阜県寄りの方に揺れが広がっているようで、松本から北の方はそれほどでもないようですね。震源に近い木曽町でも、いまのところ被害情報は入っていないといいますが、震源が山間部なので土砂災害の方が心配です。地震の強さの割りにはほとんど被害らしい被害が報告されていないのは本当に何よりです。
ともかく忘れた頃に地震はやってくる。備えを怠らないようにしないといけませんね。
山形、富山、沖縄から家族が心配して電話かけてくれました。ありがとうね。

昨夜半からかなり激しい雨。いまも霧雨が降っています。どうやら、ここしばらくグズグズとした天気が続くようです。
雨になるとハルちゃんはソワソワ。とにかくネズミのことで頭がいっぱいになるらしい。地震のあと、外を覗いてみたら、縁側にネズミの頭とキモが。どうやら今日は遠慮して家の中には持ち込まず、外で食べてしまったようです。雨の日は本当に要注意です。

安倍首相がこの秋の臨時国会で改憲案を憲法審査会に提出すると明言。いよいよ彼の「悲願」にむけて具体的な一歩を踏み出しました。
自民党の党内論議もないままに見切り発車。これだけ森友や加計学園問題で政治の私物化に批判が高まっているにもかかわらず、平気で憲法9条にかかわる改憲案を打ち出してきた背景には、1つには数の奢りと政治の私物化。2つには自分の任期内にやりたいという衝動、3つにはいま打ち出さなければ出す機会を失うという焦燥感がごちゃごちゃになって存在している。
自衛隊を書き込むだけだという説明で国民をだませると踏んでいるのでしょう。しかも、教育の無償化拡大というアメを貼り付けておけば、やりやすいという算段も当然ある。憲法を擁護する陣営にも、自衛隊を書き込むくらいなら大したことはないのではないかという気分を作る意図も透けて見えます。
しかし、アリの一穴どころか、憲法に大穴を開けることになるのは目に見えています。彼らが考えている(報道されている)試案を現行憲法に書き込んで読み上げてみるといい、どれほど異様な姿になるものか。
圧倒的多数の国民は、過去に自民党が言ってきたように「専守防衛」に徹するならまだ自衛隊の存在は認めるというところでおさまっているはず。大災害での復旧支援活動でも貢献していますし。しかし、9条に自衛隊を書き込んだ瞬間に、安保法制、共謀罪法と連動して、海外で縦横に活動(=アメリカとともに戦争に参加)できる存在になってしまうのです。つまり、但し書きによって第2項は完全に死文化させられるのは必定というものでしょう。
彼らの言い分をそのまま信じるとしたらあまりに人が良すぎる。たとえば、「テロ等準備罪」というときに、テロに照準があてられているのではなく、「テロ」なのですから、書き換えた憲法を勝手に拡大解釈することぐらいいとも平気でやってしまう人たちだということを忘れてはなりますまい。
ともあれ、まず選挙ですね。それと並行して、安倍改憲阻止の一大国民運動を起こすことです。日本の進路=一人一人の生存がかかっていますから。



  6月24日(土)
小林麻央さんの訃報。生前のブログについての報道ををテレビで見ながら、病名を宣告されてからの生き方について深く考えさせるものがありました。
妻は、自分だったらおよそ平静ではいられないとよく言うし、私自身だって同じことでしょう。この年になってもです。彼女の場合は、小さな子どもたちを残していく辛さ、無念さは計り知れないものがあります。
弟が若くしてこの世を去ったとき、「お前の分まで生きてやるよ」と私がいい、「そうしてくれ」と弟が返事をしたのが最後の別れとなりました。とはいえ、生きているものは、本来、去りゆくものの身代わりになることも出来なければ、思いや無念を引き受けられるはずもないのです。ただ、自分らしく生きることを通してしか、彼の分まで生きることにはならない。それが生あるものの精一杯の答えになるのだと私は思うのです。

昨日は沖縄慰霊の日。沖縄戦から72年になるのですね。そのとき命を散らした無数の若者たちはその年のまま遺族の胸の中に生き続けています。その思いを受け継ぐということは、悲しみを徒に引きずることではなく、彼らの無念をありのままに受け取ること、そして決して同じような事態を招かないこと、つまり現在の自分が人間として生きうる最善の道を選択するということに尽きるのだと思います。

今日の「政治」の中では、まるでこのことが無視されて正反対の生き方があたかも「大人」であるかのように演じられている。メディアは万人の涙をさそう小林麻央さんの闘病生活やブログについて詳しく書きながら、政治家たちの「生き方」についてはなぜこれほど口を閉ざしているのでしょう。この世界の中で、生きるということの意味、死ぬということの意味をあらためて突き詰めて考えてみたい。

今日こどもじゅくで「日本人なら英語なんて勉強しなくてもいいじゃない」と言い放つ中学生がいました。ずっと英語がわからず苦手意識が高じて逃げ口上として言っているのはわかりつつも、彼女の胸にストンと落ちるような言い方は難しい。
代わりに、一番困っている疑問に答えたら、彼女の顔がパッと明るくなりましたよ。その繰り返しを通してしか、英語を学ぶということの意味は分かってこないんじゃないかなと思った次第。

今日試しにキュウリ農家からいただいた大量のキュウリを持参してみんなに持ってかえってもらいました。いよいよ7月から「こどもじゅく野菜で応援プロジェクト」始動です。うまくいってほしいものです。農家のみなさん、ご協力よろしく!!



  6月22日(木)
1日中雨降りの昨日は久しぶりにゆっくり身体を休めることができました。といっても、ただグータラしていただけですが・・・。
昨日は、午後からしばらく「こどもじゅく野菜応援プロジェクト」で応援してくださる方を募集しに出掛けていました。まだ野菜を安定的に集めるところまではいきませんが、やっているうちにまた輪をひろげることもできるでしょう。
だいたい、このプロジェクトは、無理に野菜を提供してもらうのではなく、余ったもの、余計につくってしまったもの、規格外のものなどを有効活用しようというものですから、やる方も集まった分だけというゆるやかな取り組みになります。
予定の期日に集荷・仕分けをするところがまだうまくいくかどうかわからないところです。いずれにせよ、何とか軌道に乗るように、努力だけはしていきたいと思っているところです。

今日は一転良いお天気に。午前中は恒例のバラの会作業日、雨で濡れたり垂れたりした花殻摘みに汗を流しました。
雨のために折れたり、盛りを過ぎて汚くなった花殻を摘む作業で精一杯。約2時間みっちり作業をして園内はさっぱりしました。おかげで、彩りが少なくなってちょっと寂しくなってしまいました。このあとどんどん花芽が持ち上がってくるので、また賑やかになることでしょう。

安倍政権にとってはマイナスのスパイラルがとまらない。おまけに豊田真由子自民党議員の聞くに堪えない暴言問題まで飛び出して、自民党はてんやわんやの様相です。野党の臨時国会要求に対しても、逃げの一手。
しかし、安倍首相と萩生田などの側近、内閣府、加計学園理事長といった彼らのしたことは厳然としてあるわけですから、時間が経てば経つほど彼らの行状が剥がされていくと危機感を強めているのでしょう。となれば、逃げを許すわけにはいかない。メディアも臆することなく彼らの悪行を身ぐるみ剥がさなければなりませんね。



  6月21日(水)
明け方から、かなり本降りの雨。夜まで1日降り続くのでしょうか。まとまった雨になるのは本当に久しぶりです。
この「雨」を鬱陶しいと思うのか、嬉しい・有り難いと感じるのか、せっかく外出しようとしていたのに全く!と感じるか、外に出なくて済むから有り難いとみるのか・・・それぞれの置かれた位置によって様々です。
飲料水の供給にとっても、農作物の生育にとっても大事だし、また降りすぎれば大災害のもとともなるわけで、つまり人間が生きていくうえでこの雨は「生死のカギを握っている」といっても言い過ぎじゃない。
沖縄で豪雨を降らせ、前線とともに雨雲が北上して現在九州・四国・東海に迫っているわけですが、南の海水温の上昇が続いているために今度どれほどの災害が起こりうるのか予測もできません。
ひょっとしたら、このあと、これまで災害とは縁の無かった地域でもとんでもない種類の災害が起こるのかもしれません。何しろ今日の気温予想では北海道が沖縄よりも高いんですから。雨とは関係ありませんが、高温によって作物の栽培にじわじわと影響が出てきています。生育しにくいとかしやすいということではなく、そもそもこの作物はこの地域では育たなくなってしまったというような。逆に、こんなものが育つようになったということもあるのでしょうね。
農業構造に変化をもたらし、近い将来日本の食糧問題(米の生産、野菜の供給、食糧自給率など)に大きな影響を与えることになるのではないかと心配です。米・野菜の安定供給に近い将来必ず大きな問題が発生するような予感がしてなりません。

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共謀罪法案での異常な強行突破、森友・加計学園での関与など安倍首相の罪状はどんどん積み上がっていますが、これぞ安倍政権というもう一つの実例が琉球新報によって暴露されました。沖縄高江でのオスプレイ・パッド建設費が当初6億1千万円だったものが、実に15倍の94億円に。しかもうち63億円が「警備費」(警備会社への発注)だというのです(6月20日琉球新報)。工事費の増加もめちゃくちゃ。H26年度工事では当初契約が約2億円だったのが、最終的には総工費14億円になったというデタラメぶりですからね。
全国からの機動隊の動員で抗議する人たちを弾圧し、警備会社がそれを下支えする。ノグチゲラの営巣期間は工事が中断されているにもかかわらず、警備会社の社員がゲートを固めて「警備」にあたっているといいます。税金の無駄遣い、悪用以外のなにものでもありませんね。
北上田さんによれば、工期が契約では14ヶ月だったものが、「安倍首相が所信表明演説で年内完成を打ち上げたためにわずか4ヶ月での完成を強いられた結果」だと告発しています。詳細な資料も添付されているので、ごらんください。

翁長知事は、今日辺野古新基地建設工事の差し止めを求め国を提訴することに議決を求める議案を県議会に提案しました。
政治生命をかけて新基地建設を止めるという翁長知事のスタンスからすれば当然ですが、何よりも県民ぐるみの支えが必要。アベのなりふり構わないやり方に国民の怒りが爆発し、支持率の急降下がはじまっている折も折、これは大きな後押しになるでしょう。
今日の昼過ぎには県民広場で約200名が集まって緊急の知事支援集会がひらかれたといいます。その輪をもっと広げていかなければなりませんね。

それはそうと、大阪地検が強制捜査に入った森友学園の籠池前理事長の記者会見が面白かった。
捜査は国策であり「戦前の特高を連想させる」と言ってみたり、「森友疑惑の本筋は今回、容疑になっていない。立件するには安倍総理大臣夫妻を捜査対象にせざるをえないと認識している。大阪地検特捜部の奮起を促したい」と言ったり。安倍昭恵氏を通してシンパシーを抱き信頼していた安倍首相から完全に切って棄てられたのですから、その怒りは計り知れないことでしょう。控えめながら「(安倍首相は)まだまだ未熟な本来の保守ではなかったんだろうね」とも言ってますから。
その教育方針や国税の不正受給などはとんでもないことで絶対に容認できないにしても、国有地の8億円値引きに比べればまだ可愛いとさえ思えてくるのは私だけでしょうか。



  6月20日(火)
今日はいままでで一番暑い日になりました。長野では34度超えだったとか。池田はそれほどでもありませんでしたが、畑で作業をしていたら汗が流れました。
明日は一転して雨の予報。気温も最高で20度といいますから、寒さで震えるようなお天気になるのでしょうか。とにかく雨はしっかり(適度に)降ってほしいものです。

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昨日の池田町議会で、服部議員が3たび昨年12月2日の公民館使用許可取り消し問題について質問しました。質問の要点は次の3つ。
@12月2日の直前に務台衆議院議員の秘書から公民館に問い合わせがあったと新聞などで報道されているが、議員からの問い合わせがあったのかどうか。庁議でもそれは報告されたのかどうか。
A社会教育法第23条は、公民館の運営方針を示している。使用者に対する規定ではない。新聞報道でも学者のコメントとして「池田町の対応は行き過ぎだ」と書かれているが、公民館に対する考えを改める気はないのかどうか。
B「確約書」で「選挙に関する議論はしない」と書かれているが、今後もそのような確約書をとるのかどうか。

第1に、国会議員からの問い合わせについての教育長の答弁は、次の2つに集約されます。
1つは、問い合わせた人の名前や職業を聞いているわけではないので、議員あるいは秘書からの問い合わせがあったかどうかは確認できない。
2つは、誰が問い合わせたかが問題ではなく、住民から問い合わせがあればそれには真摯に対応するということだ。そのために調査をさせてもらった。
また、庁議に報告があったかという点については、教育長も町長も、なかったと答えました。

第2に、公民館の今後の対応については、社会教育法第23条の解釈は従前通りだとしつつ、昨年7月の文科省通達を受けて「この通達をあらためて考慮し」つつ、次のように続けました。

公民館の運営において第23条第1項2号の適用を広義に解釈せず、また特定の政党への支援や有利な条件での提供および特定の政党・選挙候補者への支持をすることなく、すべての政党・候補者等に公平で利用しやすく、かつ社会教育法第20条の目的に沿いながら、「政治」という分野も新池田学問所の塾に取り入れながら、開かれた公民館作りをすることが大切であると考えております。

ここで、「適用を広義に解釈せず」というのは「制限規定を多く設けて使いにくくするようなことはしない」の意味のようです(私からの問い合わせに対する公民館長の返答)。

第3に、「確認書」(議会では「確約書」とのべている)については、先の議会での答弁(事務局長の言われた通りを文面にした)を踏襲しつつも、今回は微妙に見解を変え、「互いにもう少し協議する時間、キャッチボールをする時間があれば、私はそこで許可ということも可能であった」とし、この確認書を全否定されたので取り消しをした。チラシの文面の印象では「偏りがある」と思えたものの「これが決定的な違いだとは思っておりません」と回答しています。「話合いの場を作らなかったということについては非常に反省をするものであります」とものべていました。
もちろんこの最後の点は、もっぱら教育委員会に責任があるのであって、「双方」に問題があったと責任の所在をすり替えることはゆるされません。

なお、服部議員と教育長とのやりとりの全文は以下の通りです。
6月議会での服部議員の質問と教育長の答弁(公民館問題関連部分のみ)

              *    *    *        

さて、今回の教育長の答弁をどのように評価するのか。ここからは私見になります。

1.社会教育法についての従来の解釈はそのまま踏襲している。この点は、公民館使用許可取り消しの最大の根拠とされている点であり、かつ実行委員会との間の最大の対立点である。

教育長は、社会教育法の解釈についてあらためて見解を述べています。それは次のような論理です。
「第23条では公民館の運営方針において、公民館が行ってはならない禁止規定が書かれている」⇒第22条第1項6号では公民館の貸し館業務が定められている⇒
従って、貸し館業務にも第23条が適用され、その結果『利用される方にも禁止規定が適用されることになる』という論法です。
これはいかにも飛躍がありすぎます。この点は過去にも何度も見解を表明してきましたし、社会教育法学者の方々もその論理が誤りだということをコメントしていました。
教育長の答弁では、何故に「利用者」まで社会教育法の規定が適用されるのかの説明は一切ありません。「教育委員会は社会教育法第23条は公民館運営者にも利用者にも同様に適用される条文だ」とのべているに過ぎないのですから。もちろん文科省は一切そのような解釈を公にはしていないし、第一、誰が読んでもそのようには読めないのですから教育長答弁には依然として無理があります。
これまでの説明との整合性を保ち何とかこの矛盾を抜け出すために、文科省の見解を援用して軌道修正をはかろうとしたのが、次の論点です。

2.文科省の通達をあらためて考慮し、社会教育法の解釈をゆるやかに(=広義に解釈せず=制限を厳しく設けない)し、利用しやすい開かれた公民館づくりをする、という新しい見解を表明した。

教育長は、昨年7月の文科省の通達について初めて言及し、次のように答えました。

昨年7月の文科省の通達は、社会教育において若者の政治参加意識の向上、啓発活動の充実に努めていく中で公民館を使用する際には第23条について広く解釈することにより公民館を活用できない状況にならないように第23条の趣旨をあらためて周知したものだと判断をしております。

文法的にやや不鮮明な部分(「広く解釈することにより」がどこに係るのか)があるとはいえ、後から真意を問い合わせた限りでは社会教育法を、「厳しい制約を設けて公民館を利用しづらくするように解釈してはならない」との趣旨だということなので、その限りでは文科省の意図を汲んでの答弁であると理解できます。この点は一歩前進でしょう。教育長も誤解を生まないように答弁書を作成しきっちり読み上げていましたから、事務方ともよく協議されたのではないかと推測されます。
ただし、文科省の見解では、社会教育法第23条が利用者にも適用されるなどという立場ではありませんから、このように見解を述べたとしてもその点の矛盾は引きずったままだということを指摘しないわけにはいきません。
なぜそのようなことになってしまうのか。それが次の第3の論点です。

3.公民館の利用者には、日本国憲法第21条の規定によって「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」が保障され、「検閲」は禁止されています。行政担当者はこのことを最優先に考えるべきです。教育長答弁には、この視点が欠落しています。

公民館は確かに公民館の目的がありますから、それに反して恣意的な使い方をすることは社会教育法を待たずとも明らかです。
すべてに開かれたといっても、反社会的・差別的な言動を行う集団や暴力的な団体が利用したり、政党でもその政党構成員のたまり場にするような使い方はすべきではありません。
しかし、一般の町民団体が、政党の候補者などを呼んで議論したり政策での他党批判を行ったりすることは、広い意味で政治教育に関する活動であって、奨励されこそすれ抑圧される何らの理由はありません。なぜなら、今日の議会制民主主義においては県政・国政レベルでは主として政党政治が中心であり、町民がどの政党であれ活発な議論を交わすことは議会制民主主義の発展に大いに寄与することだからです。
戦後の公民館活動の原点はまさにこの点にあったと言っても過言ではありません。この原点にもどって、「すべての国民が自主的にものを考え、平和的協力的に行動する習性を養う」(4月25日信濃毎日新聞)ためにこそ公民館の機能は充実され発展させられるべきなのです。

他にも論点はさまざまありますが、教育委員会が「文科省の通達を考慮する」という観点で、実行委員会との協議の姿勢を示したことは一定の評価ができるし、さらに上記の問題をその中で詰めていく手がかりが生まれつつあると私は考えています。



  6月19日(月)
「おくれちゃった」とのメールが昨夜あった娘から今日父の日のプレゼントが届きました。二人とも忘れずにこうして何かを送ってくれるのは、やはり恥ずかし嬉しですね。
今日もまた朝から上天気。沖縄を除いて全国的にカラツユ模様ですが、来週からは梅雨空になりそうな天気予報。今度は一転豪雨ということにならなければいいのですが。
午前、午後と2回にわけて畑に。午前中はタマネギ、ラッキョウの収穫です。昨日農場で体験した際のタマネギよりは小さいものが多かったものの、それでも30キロくらいは収穫できたでしょうか。ラッキョウのうち島ラッキョウの方もずいぶん大きくなって本土ラッキョウと違わないくらいに。


午後からはポンプでの水遣り。相当乾燥しているので、懸命に水をかけても上面だけしかかかっていない。とにかく早く雨が降ってほしいですね。このままでは本当に作物に影響がでてしまいます。
水遣りのあとは、まだ残っていた落花生の苗を植え付けをしました。このあと、タマネギを収穫したあとを耕して次の作物を植える準備。畑は年がら年中忙しい。

加計学園に関する内閣府から文科省へ送った「総理のご意向」などと印した文書がでてきたことで、最終盤の国会で政府は調査が不十分だったことについては「真摯に反省する」などと、「真摯」とか「誠実」とかというコトバを何度か使いましたね。彼らにとっては、このコトバは単なる枕詞に過ぎないし、そう言っておけば反省したことになるというのでしょう。
そして、そのコトバを発した先から高村正彦副総裁からは「野党の一部にあるげすの勘繰り」だとか、山本幸三地方創生担当相からは「(萩生田光一官房副長官の指示を伝えるメールを)作ったのは文科省から出向した方で、陰に隠れて本省にご注進したメールだ」だとか、およそ「真摯」とは対極の愚劣なコトバが口から飛び出している始末。

政治を都合よく運ぶためのコトバには、たとえば「都民ファースト」というネーミングも入りますね。何がファーストなのかさっぱり分かりません。ただ、このように言えば、何か都民のためにしてくれるのじゃないかなあという期待感が醸し出されると考えたか、考えなかったか。今日のニュースでは、豊洲と築地を連動させ、豊洲に移転しつつも築地ブランドを残すという両面作戦になるかもしれないというような話が出ていましたね。
都議選前に全面的な方針を出してしまっては票にならないと判断すれば、何となく期待を持たせて票をかっさらい、そのうち結局豊洲になっちゃった、これは都民の判断だということにしたいのでしょうか。本当に都民第1を考えるのであれば、リケンとキケンの巣窟のような豊洲はきっぱり断念することじゃないのですか。



  6月18日(日)
思いがけず息子から花が届いた。届いてはじめて今日は「父の日」であったことを思い出した。ありがとうね。月並みであまり実質のないコトバだけど「『父らしい』ことは何もしてこなかったのに」・・と思いつつ、アレンジのヒマワリを眺めているところですよ。

午前中は身体がだるくて眠くてぼんやりグダグダして過ごしてしまいました。


11時前にテレビをつけたら野際陽子さんの追悼番組「ドクターズ3スペシャル」を映していました。野際さんが富山県富山市の出身だったことを無くなって初めて気がついた。いや、前に聞いたことがあったのかもしれないけれど、全く意識していなかっただけかも。
しかし、ドクターズのクセのある俳優たちが醸し出す病院の雰囲気がアホらしくも面白く、野際陽子、高島政伸、沢村一樹らの息の合った演技が楽しみでした。ご冥福をお祈りいたします。

ところで、私のお気に入りの俳優はと聞かれれば、高島政伸をあげますかね。この人の演技はいつ見ても脱帽させられます。「ホテル」で見せた底なしに人のいいホテルマン、臨場などの刑事物で見せる全く笑い顔のない冷徹な刑事役、かと思うとドクターズ〜最強の名医〜で見せる性格破壊に近い医者など実に幅広く演じることができんですねえ。感心してしまいます。

今日は昼過ぎから役場近くで10人くらいがあつまって恒例のスタンディング。戦争法・共謀罪の廃止をもとめて30分ほど通行していく車にアピールを行いました。


そのあと、友人からの情報でJA直売所近くの農場でタマネギの収穫体験があったので様子見に行ってきました。家族連れが数組、袋に詰め放題だというので、みなさん懸命に詰め込んでいましたよ。私もそれならというので、20キロに挑戦。詰めすぎて重くなり持てなくなるほどでした。
自分でもタマネギは作っているので別にさらに追加する必要もなかったのですが、タマネギよりもさらに大きな収穫がありました。その農場は知人たちが耕作しているところで、何人も来て収穫体験の世話をしており、出荷できないタマネギやその他の野菜を「こどもじゅく野菜応援プロジェクト」に提供してもらえそうな感触を得たことです。
どのようにそれが可能なのかは今後の課題ですが、こちらから働きかけていけば応えてくれる人たちに出会えるのはうれしいことです。



  6月17日(土)
今日の信濃毎日新聞一面の丸山貢一論説主幹の論説「共謀罪の近未来」は、次の言葉で始まっていました。

共謀罪法を市民はどう見ているのか。インタビュー記事を読んでいて福島県の女子中学生の言葉が目にとまった。
「自由やプライバシーが多少制限されても安全な方がいい」「法律が無くて日本が悪くなるより、自分のことはいいから全体が良くなっていく方がいい」
監視されても国家の保護を受け「安心」を得たいーー。不安にさいなまれる時代の空気なのか。


国民の多数がこのように感じているとは思いたくないけれど、オリンピックもあることだしイギリスやフランスでのテロのようにならないために、必要な法案なのではないのか・・・という意識は決して少なくはないはずです。
この女子中学生の言葉を見ながら、思い出すのはやはり斉藤貴男氏の「安心のファシズム」(岩波新書)です。以前、この本について書いたときに、3.11以後アメリカで「割れ窓理論」、「ゼロ・トレランス」という監視社会の中心理論について触れたことがあったような気がしているのですが・・・。
そこでキーワードとして斉藤氏があげているのは「恐怖」と「安心」。そういえば、テロという恐怖を克服するには、準備段階、計画段階から犯罪集団を監視し未遂のもっと前で犯罪を摘み取る必要がある。それが国民の安心につながる・・・これこそが共謀罪の根幹をなす思想です。
斉藤さんは3.11後のアメリカについて次のように書いた。すでに10数年前の本だが今日のことのように新鮮な響きがあります。

要は軽微な犯罪の予兆段階でも容赦しない、情状酌量の余地も残さない、警察権力による徹底した取り締まり。割れ窓理論とはゼロ・トレランス(寛容ゼロ)と呼ばれる戦略思想と表裏一体であり、監視カメラは警察官の大増員などとともに、そのための重要なアイテムになっていた。

アメリカの動向が日本の警察に影響を及ぼさない筈がない。すでに2002年の警察白書でも「割れ窓理論」が紹介され、その後国民監視の動きを強めてきたことは様々な例で明らかになっているのですから。
「ファシズム、それは自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆の心性ゆえに命脈を保つ」と斉藤さんは書き、それに続けて次のように指摘します。

不安や怯え、恐怖、贖罪意識その他諸々ーー大部分は巧みに誘導された結果だがーーが、より強大な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配される安心を欲し、これ以上のファシズムを招けば、私たちはやがて、確実に裏切られよう。

斉藤さんの視線はもうすでに戦争法や共謀罪をめぐる国会の状況に焦点を合わせていたかに見える。

ところで、斉藤さんの昨年の本に「失われたもの」(みすず書房)があります。
私自身、まだ読んでいないのでこれを取り上げる理由は本来ないのですが、実はこの本の書評を一水会顧問の鈴木邦男さんが書いていて、なかなか面白かった。
鈴木さんは「僕ら凡人には見えないものが斎藤貴男には見えるのだろうか」と書き出しているのですが、私も「安心のファシズム」で同じことを感じていた。・・・あ、いやいや、言いたいのはそのことではなくて、鈴木さんが<日本社会から「失われたもの」とは何だろう・・・と自問し、結果こんなことをつぶやいているのです。

そうか、「言葉」か。これが一番大きいなと思った。言葉が、今失われ、土足で汚されている。平和と平等を願う心も、自由、人権も初め言葉によって表現される。しかし、これらの言葉に唾をはきかけ、「そんなことよりも日本への愛だ!」「国防だ!」と大声で言いつのる人が出てくる。それが常識的な話だとなる。「日本人だから日本を愛するのは当然だ。いやなら出ていけ!」と叫ぶ。言葉は劣化し、言葉の本来の意味を失っている。今こそ、言葉を取り戻さなくてはいけない。他の人がやらないのなら、俺がやってやる! 斎藤貴男はそう決心しているのだろう。

ここでもまた、今日のとりわけ安倍政権とその手下、とりまき連中によって「言葉」がずたずたにされ、物事を定義することすら意味をなさなくなっている現状が的確に捉えられています。
森友、加計学園問題、戦争法、共謀罪をめぐる国会審議での安倍政権の罪は、その内容ややり方もさることながら、鈴木さんの言うとおり「言葉」を死に追いやったことにある。「言葉」を本来あるべき位置から引きずり下ろし、切り刻み、焼き尽くした罪・・・それはまさしく万死に値する。私にはそう思えてなりません。



  6月16日(金)
今日は午後から妻のおすすめで松本あがたの森文化会館で「校庭に東風吹いて」の上映会にでかけました。
場面緘黙に苦しむ少女、貧困のために問題行動を起こす少年に真剣にひたむきに向き合う小学校教師の奮闘を描きます。予告編はこちら。


小学3年の子どもたちの実に自然な演技が見事で心を打たれます。それに比して沢口靖子が演じる担任教師が「完璧」で美し過ぎて、教師のあり方という点では評価の分かれるところでしょうね。最後のシーンの「つくり過ぎ」も気になりました。
これから見る方もいるでしょうからあまり内容や評価は語るわけにはいきませんが、涙を誘うシーンは随所にあって見る人の心に「さわやかな東風」が吹くこと請け合いです。ぜひご覧になってください。

加計学園問題での安倍首相関与を疑わせる文科省、内閣府のおざなりの調査をして幕引きを測ろうとする安倍内閣・自民党。昨日から今日にかけてはっきりしたことをつぶさに見れば、あまりに重大な内容をいくつもはらんでいます。もはやここで一つ一つあげて批判する気にもなりません。
安倍内閣不信任案に賛成する日本共産党志位委員長の討論が本質をズバリ突いていて、これに尽きると思われました。安倍内閣を選挙で引きずり下ろすこと。そのためになし得るすべてのことをやるということでしょうね。それしかありません。

ところで、梅雨前線が沖縄を通って停滞しているために、沖縄では数日前恐ろしいほどの豪雨になったと報道されていました。
今日の北上田毅さんのブログおよび琉球新報によると、その豪雨のために東村高江のヘリパッド建設現場から赤土が大量に流出。防衛局が慌てて県に説明に回ったところ、県は「たいしたことがない自然災害だから報告書を出してくれ」という程度のおざなりな対応だったというのです。
北上田さんは、「この事故は決して単なる自然災害ではなく、防衛局の赤土等流出防止条例違反行為にも起因していることが判明した」とのべ、「赤土流出等防止条例の許可の範囲を大きく逸脱した防衛局の違法行為」とくわしくその実態を告発しています。
手抜き工事のためにヘリパッド法面が崩落して赤土が流出する恐れが昨年から指摘されていましたが、今回はそれとは異なるとはいえ条例を無視してヘリパッド用の土砂を大規模に掘り起こしたために起こったものであり、決して自然災害ではありません。
大浦湾でも、海全体が赤く染まり汚濁防止膜が何の働きもしていないことが判明しています。
沖縄「本土復帰」以来、開発によって海は限りなく汚され、サンゴなどの自然環境に甚大な被害を与えてきたことは周知の事実。それに加えて、基地があるが故の今回のような人災も多発しているのです。翁長知事が貴重な自然を保護するという政治姿勢を明確にしているのであれば、県はあいまいな態度を取らず、条例違反を咎め違法工事の中止をもとめるとともに、詳細な再発防止計画を提出させるべきではないのでしょうか。



  6月14日(水)
英語で「共謀」のことをconspiracyっていうのは以前(もう数年前)「A Conspirasy of Decency:The Rescue Of The Danish Jews During World War II」で出てきましたから知ってはいたのですが、そのときはこんな使い方あるのかという感じで奇異にも感じながら読んでいました。
ヨハンナ比較文化研究所という名のブログでは、「訳者は序文のなかで『品位のある共同謀議』と訳されているが、『良識ある謀略』とか『善意の陰謀』というニュアンスもあり、conspiracy という否定的な用語とdecencyという肯定的な単語の組み合わせがデンマーク人の行なったしたたかな抵抗を想像させるタイトルとなっている」と書いていましたっけ。
こんな「共謀」なら大歓迎なんですけどね。自民、公明、維新の共謀は最悪。

国会で法相不信任決議案に反対する公明党議員が「金田法相は真摯に誠実に答弁している」と弁護しているのを聞いて、思わず吹き出してしまいました。本気でこんな弁護しているとしたらオツムの程度を疑ってしまいますね。
何しろ、法相自身がこの法案についてよくわかっていないんじゃないかという珍場面がいくつもありましたものね。参議院に移ってからも主な答弁は自分では行わない。強引に刑事局長の出席を与党が多数決で決めました。
5月9日には、民進党小川議員から質問されても「今の質問、もう1度だけお願いしたい。非常に(話すのが)早かったもんですから」と聞いてはみたが、小川議員から「時間がないので」とスルーされた話、さらに5月30日には思い切って手を挙げたものの隣にいた安倍首相がブロックした有名な話など、枚挙にいとまなし。


この共謀罪法案が「中間報告」を行い委員会採決をショートカットして本会議で採決という乱暴なやりかたを取ろうとして徹夜の攻防が続いているとニュースは報じていました。NHKは相も変わらず「『共謀罪』の構成要件を改めて『テロ等準備罪』を新設する法案」と呼んで客観性を装っていますが、まるでその本質にはとどかない報道。
国会でまだ十分審議されていない問題に、たとえばなぜ横領罪があって業務上横領罪は含まれないのか、公職選挙法、政治資金規正法、政党助成法が除かれているのはいかなる理由なのか。会社法でなぜ株式会社の役員・従業員による収賄罪が外されているのか・・・などがあります。国民に分かるようには説明されていません。
京大法科対学院教授の高山佳奈子さんは「共謀罪の何が問題か」(岩波ブックレット)の中で、「政治家や警察、財界の一部の人に有利になっているように見えます・・・与党の動機に対する疑問がふくらんできます」と書いています。
「オリンピックのため」というものウソ、「国際組織犯罪防止条約の締結のため」というのもウソ、「テロ対策」というのもウソだとすれば、「組織的犯罪集団」「計画」「実行準備行為」それぞれの無限定性から導かれることはただ1つ、「一般人も対象になり得る」ということです。組織犯罪やテロ犯罪とは無関係な行為が警察の恣意的な捜査対象となり、人が集まっただけで容疑者とされてしまう危険性が生まれるということです。市民団体、労働組合、政党、そして沖縄の基地建設反対つぶし・・・政権に都合の悪い活動を弾圧するにはこれほど便利な道具は他にはありません。
「平成の治安維持法」と呼んでもよいこの共謀罪法案。一反成立すれば戦前の治安維持法と同じくその適用範囲と量刑とを変えていくことは容易に推測されることです。
この法案の責任者として、安倍晋三、金田勝年法務大臣、菅官房長官、政党として自民党、公明党、日本維新の会をしっかり記憶にとどめておきましょう。いずれ歴史書で日本の運命を戦争と国民弾圧の方向へ変えた人物や政党として記述されるでしょうから。将来において、弁解の余地は一切ありません。

国会前では若者たちの共謀罪反対の声が響いています。肉球新党の旗も見られます。ガンバレ!!

本日深夜、電子窓口を通して、次のようなメールを政府に送りました。

「テロ等準備罪」と偽りの名前をつけた法案は、いかなる意味でも国民に納得のいく説明はされていません。「共謀罪」法案を廃案とするよう強く求めます。
また、加計学園問題について、国会で明らかにされた文書について、文科省だけではなく内閣府も調査する必要があります。また前川喜平氏の証人喚問を求めます。




  6月13日(火)
お昼頃から長野県庁へ。ニッセイ財団のいきいきシニア活動顕彰にバラ愛好会が応募し採用されたもので、その授与式があったのです。
ニッセイの文化・社会活動支援事業としては日生劇場などが有名ですが、メセナ以外にも地域の青少年活動に力点をおいており、最近ではシニアの活動にも援助の手をさしのべているのです。
財団から長野県副知事に目録が贈呈され、副知事から各団体にさらに贈呈書が渡されるという、とにかく念入りなセレモニーでした。なぜ副知事が?という疑問については、財団が資金援助をしようにも誰にどのようにとなるとわからないので、県から推薦してもらった団体を審査するという形にしたからという説明がありました。
池田バラ愛好会の活動を紹介する中で、遊休農地の活用について農地法の縛りが1つのネックになっているという話をしたら、中島恵理副知事が、「何かいい知恵がないかどうか農政部とも相談してみる、また国に対して働きかけをすることもできる。また連絡する」と言ってくれました。
県の助成金の申請にあたって、農地法が問題だったので、つい話してしまったのですが、環境省で長く仕事をされた中島氏の発言ですから、何か良い智恵を出していただけるのではないかと思います。



明科まで車で行き、そこから篠ノ井線で長野まで。今日は空気が冷たくて、またまた背広を取り出して着ていきましたよ。身についていないので肩が凝ってしまいました。
明科に着いたら、まもなく雨。池田に向かう途中からかなり激しくなり、まとまった雨になったようでした。
晴れ続きに、わずかな時間でもこうして雨が降ってくれるのは本当に有り難い。昨日は残りのイモを植え、あちこちで芽をだしていたミニトマトを植え替えたばかりなので、タイミングもよくラッキーな雨でした。



  6月12日(月) その2
現在の安倍政治の手法は「フレンド・ファースト」であり「始めに・・・ありき」だとメディアでも書かれるまでになっている。森友・加計学園問題はまさにそれであり、その構図の類似性から安倍一派の思惑が容易に見て取れるようになってきましたね。
東京では豊洲移転問題が焦点なのだが、依然として小池知事は判断を留保。これまた歴代の自民党都政による「豊洲ありき」の利権政治のもたらしたものではないのか。
沖縄では辺野古新基地建設がK9護岸の建設着工で重大段階に入っています。「辺野古が唯一の選択肢」という対米公約に沖縄県民の意思は踏みにじられ通し。目が庶民ではなく権力維持と利権に向いている逆転政治をどこかで断ち切らなければ、市民の生活も権利もどんどん切り詰められていくでしょう。

辺野古で進められている工事について、もと土木技術者の北上田毅さん(チョイさん)は先日のブログで、K9護岸工事の違法性について詳細に分析しています。
そこで挙げられているのは、次の4点(詳細はブログをごらんください)。

1.岩礁破砕許可が切れたままでの工事強行(沖縄県漁業調整規則違反)
2.埋立承認願書の「設計の概要」の施行順序を変更したが、設計概要変更申請を行っていない(公有水面埋立法違反)
3.実施設計、環境保全対策の事前協議を行っていない(埋立承認の際の留意事項違反)
4.環境保全対策変更の知事承認を得ていない---サンゴ類の移植・移築も未実施(同)

「延長316m、天端幅8mのK9という護岸の北側一部の建設だけで必要な石材の総量は約3万?、石材の搬入だけで約9千台もの大型ダンプトラックが必要になり、毎日100台のダンプトラックを入れたとしても、休みなしで3ヶ月を要する」と北上田さんは書いています。
政府、防衛局は、「業業権は消滅したので知事の岩礁破砕許可は必要ない」「(実施設計などの)事前協議は県の同意を得ることまで求められていない」などと言い募ってこれらの違法性については何らまともに答えることなく工事を強行。
キャンプシュワブ前では連日抗議行動が続けられていて、工事の遅れへの焦りが募るにつれて弾圧も強まり緊迫の度合いを深めています。沖縄タイムス琉球新報のそれぞれの取材班による刻々の現地報道(ツイッター)や有志による「辺野古ゲート前通信」がその模様を伝えてくれていて、日本中その気になればどこにいても状況をつかむことができます。

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ケント・ギルバートといえば、超右翼的な論客として右派論壇でモテモテのアメリカ人。「日本人よりも日本の歴史と政情に精通」(「本書の内容」より)しているのだそうですが、最近の彼の書いたものに「米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体」(角川新書)があります。帯によれば、30万部突破、ベストセラーなのだそうです。
一読して、アベの喜びそうな本だなという感想しか持ちませんが、沖縄に関しては看過できない記述がいくつもあります。
20ページに「国内秩序を乱す勢力はかなりいます(「かなり」に強調点がふってある)」という記述がまず出てきます。
その例証として2016年6月19日に那覇で開かれた米軍属の女性暴行殺害事件抗議集会をあげるのですね。要するに、この集会(彼は「自称・県民大会」と書く)は沖縄県民よりも「県民以外が多数参加」していたと、産経新聞の記事をもとにまるで本土からの参加者が多数であったかのようにえがき、集会の様子は「毛沢東時代、北京の天安門広場で見られた光景にそっくりでした」と冷笑。
続けて、次のように書いているのです。

名護市の辺野古周辺での米軍普天間基地の移設反対運動の現場では、ハングル文字や中国の漢字(簡体字)、英語で書かれた横断幕が掲げられています。それぞれは大規模な反対運動ではありませんが、海外の支援も受けた国内秩序を乱す勢力が日本にいることは確実です。・・・
このように、「平和とはほど遠い状態」が日本の現実なのです。


おやおや、博識の弁護士さんかと思えば、そこいらのデマを振りまく連中と何ら変わらない認識しか持っていないことをはしなくも露呈。国内秩序をどう乱しているのかについての例証は一切なくて「確実です」って断言するんですからね、乱暴を通り越しています。こんなのを「印象操作」・・・いやいや「デマ宣伝」って言うんじゃなかったでしたか?
だが、注意したいのは、「国内秩序を乱す勢力」という表現です。テロリストと彼は書きたかったのではないかと思いやってしまうのですが、日本の権力者に共通した見方であることは間違いないでしょう。共謀罪のねらいがここにあるというのは理由のないことではありません。
さて、そのあとの64ページでは、中国が「中華帝国」を目指していかに膨張を続けているかを延々と書いた後、例によって次のような解説が続きます。

かつての中華帝国の版図に加えて、海も支配するとなれば、歴史上どの王朝よりも強大な中華帝国の誕生です。日本は尖閣諸島はおろか、沖縄本島まで奪われ、貿易立国の基盤である航行の自由すら制限されることになるでしょう。

しかし、その直後に、「在日米軍基地が沖縄に集中した唯一の理由は、アジアの同盟国を守るために、地政学上有利な位置に沖縄がある」といい、中国は負ける可能性が圧倒的に高い米中戦争へと発展する戦争をわざわざ仕掛けるとは思いません」と書く始末。
あれ??「沖縄が奪われる」とすぐ前にセンセーショナルに書いたことはここではきれいさっぱり忘れてしまっているようですよ。
ここでも、産経や日本の右派学者などの受け売りで「情勢分析」をしているつもりなのでしょうが、学歴・経歴を誇るケントさんにしてはこんな程度では困ったものですね。そしてこんな程度のお人を重宝する日本の右派の方々も哀れ。今日の深刻な沖縄問題を沖縄の歴史や人々の暮らしの底辺から照射することは一切出来なくなっていることを逆に証明されているようなものですからね。

極めつけは、終章「私の愛する日本を守り抜くために」で、「マスコミが報じない沖縄の『暴動』」という節をたてて、「ニュース女子」報道にからめて、一定の批判的な態度をとるかにみせかけながら次のように書いていることです。

現地に行けば反対派がやりたい放題のことをやっていると、すぐわかるはずです。・・・沖縄はアジア全体の安全保障・平和維持のために必要不可欠な拠点であり、沖縄の問題は国際社会の問題なのです。その拠点が平気で違法行為を行う反対派によってアラされている。こうした米軍基地への反対行動は、どの国の利益になるのか。何度も繰り返しますが、中国や北朝鮮の国益にほかなりません。・・・
私は反基地運動の資金の出所が中国だということを、米軍筋から聞いていますし、公安調査庁が発行する「内外情報の回顧と展望」にも・・・中国の関与が明記されています。
高江には大阪府警と警視庁の機動隊が応援に行っていました。活動家たちが沖縄県警の機動隊員を脅していたからです。・・・


なんだ、米軍情報機関と日本の公安情報ですか。アホらし。挙げれば切りがありませんが、この方の頭の中はこの国の沖縄ヘイトのみなさんと同じで沖縄の基地反対を行っているのは県民から遊離し中国から資金援助された暴力的「プロ市民」という図式で固まってしまっているようです。もはや言うべき言葉を知りません。
沖縄問題は別として、ケントさんはこの本で日本国憲法第9条に対して憎悪と悪罵の限りをつくしているのですが、「あんたにだけは言われたくないよ」と言いたくなってしまいます。アメリカ人弁護士が70数年前までの戦争を「大東亜戦争」と書く異様さもさることながら、沖縄の問題への態度を見れば、あとは推して知るべしではないでしょうか。



  6月12日(月)
大学2年生の夏だったでしょうか、中学の演劇部の同窓会を友人宅(書店)の屋上でひらくことになって、5,6人が集まりました。別にダンスパーティーをやろうというわけではありませんでしたが、ダンス曲の入った一枚のLDを買って行ったのです。その中にBilly Vaughnが編曲した曲が入っていて、それ以来忘れられない曲となってしまった。それが下の「Melody of Love」。いつか書いたことがありましたっけ。
いま聞けば、何とも甘ったるい曲ですけれど、多感な青年であった当時の私には、そのパーティーに唯一人来てはくれなかった人のことと共に、切ないような苦しいような夏の夜がよみがえってくるのです。
どうしてこんなことを書き始めたかって?たまたま昔のマックを起動して、レコードからリッピングした曲をiTunesで聞いていたら、この曲が目についたというわけ。特段の理由があったわけではありません。
他の人には取るに足らないような曲であっても、当人にはそうではないものって、いくらでもありますよね。思いだそうと意識しなくても、曲を聴くだけでその前後の暮らしや感情がよみがえることもあるのです。思わず感傷にひたってしまうときだってある。・・・ま、ほんの一瞬なんですけどね。
下は、ビリーボーンによるオリジナル、その下がコニーフランシス(高校生の頃、彼女の「泣き節」が好きでした)によるLyrics Version。しばし若き頃にタイムスリップしてみることに・・・。







  6月11日(日)
土日もバラ園が賑わうのではないかと予想して、それぞれ担当を決めてバラ園に詰めました。今日の午前中の当番は私とあとひとりの会員。
今日は朝からひんやりとして空気の澄んだ好天。北アルプスもこれまでにないほど美しく輝いていました。もちろん満開のバラは、昨日の雨に濡れてひときわ美しかった。
来客は期待したほどではありませんでしたが、それでも午前中は20〜30人ほどが訪れ、ゆったりと園内を楽しんでいました。大町からはベトナムから出身という若い企業研修生が二人、知人に付き添われてやってきて、バラの前でしきりに自撮りをしながらはしゃいでいましたっけ。こうした場所へは初めてのようで、きれいに咲いた薔薇に感動した様子でした。




さて、かねてから少しずつ準備していた「野菜応援プロジェクト」を7月から実施することにしました。私を中心としてこどもじゅくスタッフがとりくむ初めての実験的プロジェクトです。
昨日、こどもじゅくの担当者とも相談し、木曜日または土曜日の学習日に池田から野菜を運んで子ども達または保護者に持っていってもらうということにしました。こちらとしては池田で野菜を提供してもらえる人を登録し、回収または届けてもらって私が運ぶというシステム。
田舎では、夏野菜はとれ始めると沢山とれすぎて、処分してしまうことがままあります。そうしたまだ十分食べられる新鮮な野菜を集めて、子どもたちにたっぷり食べてもらい元気に勉強してもらおうというのがこの取り組みの趣旨。
今日、その案内チラシを作りました。6月に1回実験的にやってみて、7月から本格実施ということにしようと考えています。お天気や、回収作業などで、すべての回でうまくいくとは限りませんが、何とか続けられたらと思っています。
野菜を提供していただける方、協力していただける方、ぜひご連絡くださるとうれしいです。

表 案内チラシ(pdf)
裏 こどもじゅく紹介(pdf)




  6月10日(土)
いま高校で、いわゆる理系を選択する生徒の割合はどうなっているのでしょうか。かつて高校に勤めていたとき、高1、高2の頃にはまだ理系志望だった生徒が続々と文系に変わって高3での比率は文系6対理系4もしくは7対3くらいまでになったのではなかったでしょうか。理数科文系というわけのわからないコースまでつくらざるをえませんでしたから。
かつては「理系」でも入試科目が数学Vを課さない大学も多かったとはいえ、数学・物理・化学を高3までに入試レベルに持っていくとなると、それは大変。いきおい、理系離れが加速することになってきました。
現在のカリキュラムでは理系コースを選択する生徒が増えるとはとても思えません。数学でいえば、「受験数学」の問題そのものは基本的には昔も今もぜんぜん変わっていないのに、数学Vになると雑多な詰め込み。これじゃ生徒が可哀想です。
その昔、私が受験生だった頃はベクトル・行列・複素数平面などはなく代数・幾何・解析という分類でまだ「戦前」の色彩を色濃く残していました。カタカナの参考書がまだ存在したくらいですから。いまでは想像もつきません。
幾何ではユークリッド幾何全盛、あとは微積中心でしたから、ある意味でシンプル、別の意味では古色蒼然。それゆえ、私が大学に進学してから現代数学との乖離にびっくり仰天させられその差を埋めるのに大変だったことを思い出します。
いま、生徒たちに課された数学の問題を見ると、私がかつて解いていた問題と大差ないのに驚きます。たとえば、ある単元が復活するとそれに対応する何十年も前の大学入試問題が「復活」し、若い教師を悩ませることになります。
今年度から高校生たちと数学Vを勉強しているのですが、先ほども書いたように塾でも数学Vを扱うことはほとんどなかったので、私にとっては10年ぶりくらい。科目の編制・組み替えが行われているので一見雑多に見えます。本当にこれで日本の高校生の学力を「国際水準」に高める教材になるのでしょうか。
認知障害になりつつある私としては、かつてのようにはいきませんが、一たん数学の世界に入り込めば時間を忘れてしまいます。多分だれかに教えるという機会はこれが最後になるのでしょうね。晴れれば畑、雨なら数学という生活も粋なものかな。



  6月9日(金)
今日はロックの日?どこかで盛大にイベントでも行われているのでしょうか。
私と妻は、終日畑でイモの苗を植える仕事。欲張って、あまりにも沢山の苗を買ってしまったので、畝を作っても作っても植えきれない。大変なことになっています。
落花生も120株のうち植えたのは80株ほど。これも近くどこかに植えなければなりません。畑の面積を2倍にしたはよかったけれど、耕す必要があるし石は除かなければ成らないし、肥料はいるし、いざ植えるとなるとたくさん肥料はいるし、初期投資はばかになりません。
肥料も自前で作ることができればいいのですが、いまのところそうもいかず、結構出費を強いられています。
とはいえ、おかげで現在はキャベツ、スナックエンドウ、大根菜、新タマネギ、ラッキョウなどが毎日食卓にのり、ようやく小さいキュウリがとれ始めましたよ。
気候のせいなのか、ナス、ゴーヤーなどの生育が悪く、モロヘイヤの苗は伸びなくて花が咲いてしまいアウト。トマトやキュウリはそれなりに元気にすくすく生育しているのに、なかなか伸び悩んでいるものもあって、今年はどうもヘンです。

バラ祭りが終わって、ようやく家の周辺の片付けに手をつけることが出来るようになり、今日はベランダの掃除。黄砂などの影響で砂だらけだったのを、水をかけてきれいに洗い流し、ゴミを片付け何とか見られるようにしました。まだ西側の庭は手つかず。少しずつ片付けていくつもりです。きれい好きなお隣さん、さぞキッタナ〜と思っていたことでしょうね。
夕方一風呂浴びて、北アルプスを見たら、有明山噴火??と見紛うような雲がたなびいていましたよ。明日も暑くなるのでしょうか。


加計学園をめぐり、「総理の意向」などと記載された文書の存在について、政府はついに世論の批判に抗しきれず再調査するのだそう。その一方で「文書の存在と内容が正しいかは別」と煙幕を張って、世論の怒りの火の手に油を注ぐ始末。この政権、末期症状どころじゃありませんね。完全に壊れています。



  6月8日(木)
沖縄県翁長知事が、辺野古新基地建設における岩礁破砕行為の「差し止め訴訟を提起する」との方針を7日に明らかにしたと琉球新報、沖縄タイムスが報じました。
その理由の第1は、政府・防衛局が県の岩礁破砕許可が3月末に切れたあとも新たに許可を得ることなく、違法に工事を続けていることです。
防衛局は、「現場海域の漁業権が消滅したとして、県の岩礁破砕許可を得る必要はなくなった」「許可申請する意思はない」と開き直っており、管官房長官も「政府は全く問題ないという立場だ」として違法工事を追認。工事推進に強権発動も辞さない構えです。
キャンプシュワブ前では市民による座り込み抗議がつづき、海上でも毎日ボート、カヌー隊が抗議行動を展開していますが、機動隊の排除行動はここに来て極めて高圧的・暴力的になってきているのが特徴。
私が抗議行動に参加していた昨年11月ころの高江では、機動隊も有無をいわさずに排除してきたのは事実ですが、その際に「一人で歩けますか。歩いて下さい」と声をかけ、それでも動かないとなると3,4人がかりでごぼう抜きし、路肩に運んで丁寧に下ろす「ゆとり」があった。他県から派遣された若い機動隊員でもです。
しかし、連日数十台〜100台のダンプが入るキャンプシュワブ前では、静かに下ろすのではなく「投げつける」ように排除しているというのです。
ある女性が排除されたところに別の男性が「投げつける」ように放り出され、下敷きになった女性が頭を打ち「頭蓋骨骨折」「急性硬膜下血腫」「外傷性くも膜下血腫」「脳挫傷」の診断を受ける大けがを負わされた。被害者の夫が生々しい証言をしています。それでも沖縄県警は「通常の警備行動」だと強弁している始末。
「チョイさん」の日記によれば、相変わらず違法ダンプが土砂を運んでいるのに警察はそれを黙認、その工事車両の前に車が出たというだけで住民を「道路交通法違反」で逮捕するという本末転倒の横暴がまかり通っています。

沖縄の現実は、本土のマスメディアからはほとんど消えてしまい、テレビを見ている人たちは政治問題と言えば「加計学園」か共謀罪法案だけのように錯覚させられている。沖縄でさえ、負けることがわかっている裁判を今更やってもしかたがないという「あきらめ」気分が出るほどに、権力の情報操作は功を奏しているように見えます。
さて、本当にこれでいいのか。あのアメリカでさえトランプを窮地に立たせているのに、この国ときたら何とも「寛容」じゃありませんか?加計学園問題ひとつとっても安倍政権がぶっ飛ぶほどの大問題なのに、政府は押し切れると踏んでいるのです。国民を支配できているという自信がそうさせるのか、自分たち以外の人間が目に入らないのか、舐めきっているのか、それはわかりませんが、とにかく結局のところひどい目に遭うのは一人一人の住民です。
いま沖縄で起こっていることに、少しでも目を向けてみましょう。共謀罪法案の審議ぶりを見てみましょう。非日常が日常となり、いつのまにかそれすら忘れられていくような歴史をつくってはならないと私は思います。



  6月7日(水)
バラ祭りが終わってからも、一昨日、昨日とそれぞれ100人〜200人の人たちがひっきりなしにバラ園を訪問。
会員は当日の疲れで、時間のある人は出てほしいとはいってうまく時間がとれず、バラ園に隣接するロッジ経営の会員にしわよせが。何とかしてほしいという電話で私が駆けつけるというまずい対応になってしまいました。
問題は駐車場。訪問する人は、駐車場もトイレも完備して案内があるものとばかり思ってくるのでしょう。こちらは、祭り当日は丁寧に対応しても、終われば最低限の案内はするけれど、あとは自己責任でという対応なので、どうしてもすれ違いが起こる。トラブルがあれば近隣の住民に迷惑をかけることになるし、数日は会員の持ち回りで対応をすることが必要かなと思わされています。
さらに、遠くから来てくれる人ばかりではなく、近くの高齢者・介護施設からの訪問も問題。昨日は、車椅子のまま乗れる大型の送迎車4台が一挙に来たものだから、一時園内は車椅子であふれたように。もちろんこうした施設からの訪問は歓迎しているので、それはそれでいいのですが、他の訪問客の車が多いと問題が生じます。いずれにせよ、開園当初には想像も出来なかったようなことが次々と起こってくるので、こうした施設の運営の難しさを痛感させられているところです。




世の中には、とにかくいろんな人間がいる。だから面白いといえば確かにそうなのでしょうが、それではすまない場面が政治の世界ではいろいろと現れる。
ヘンなエリート意識と「オレがオレが」の意識過剰で、しかも「優等生」で過ごしてきた輩が政治の世界に入ると、それよりも上手がいれば媚び、逆にそうでないと見れば徹底的に打ち砕こうとする。
最近の例では維新の足立康史衆院議員。彼の相手を攻撃するときの口癖は「ボケ、あほ、キチガイ」。沖縄で「土人」発言をした機動隊員を連想させますが、彼の場合はまずこの言葉で相手を威嚇し、さらに自分に都合のよい過激な言動で脈絡なく攻撃を続ける。
2016年4月7日、衆議院総務委員会での「民進党はあほじゃないか。あほです。あほ」発言は有名ですが、最近では反共の旗手気取りで「そして、いよいよ最後の『ジャンプ』は共産党批判ですね」と述べるまでになっています。「馬場伸幸幹事長からも『もう民進党はいいから、共産党をやろう』と言われてるんですよ」なのだそうです。
事実、新潟の米山知事が厳しく批判しているように、5月31日の衆議院外務委員会で、「共産党と協力関係にある民進党も、公安の調査対象にして欲しい」旨の発言をしたというのですから恐ろしい。
2015年3月25日の衆議院厚生労働委員会の質疑で「私の事務所は私設秘書を抱えてます。残業代は払っていません」「(残業代請求に)ふざけるなと思う」(Wiki)と述べていたことなどを見ても、議員としての見識はゼロ。それよりも”口撃”のきたなさを評価されて議員にしてもらったのではないかと勘ぐりたくなります。
トランプと同じで、(政権党の「仲間」に守られて)ウソも大声でいえば通るという実感が、ますますこうした態度を増長させているのでしょう。
有権者の中にも、この種の発言に幻惑され、「自分の思いを代弁している」と錯覚し、喝采を叫ぶ向きがないわけではない。これまたトランプ現象と同じです。
学校教育の現場での経験からいえば、「受験体制」に絡め取られ、点数がよく学歴がよいことを人間的に上だと勘違いし、他人を見下す態度を身につけいくことは、いくらでもありうることです。一般的には、社会の中でどう処するべきかを学習していくのが普通なのですが、「お友だち」や「先輩」の中にどっぷりつかっていると、先例にならってどんどん増長し歯止めがきかなくなる。そうなるともはや人格破壊としかいいようのないレベルに達してしまいます。
この種の人物を構成員として重宝している日本維新という政党がどのようなものであるのかを逆に証明しているともいえます。



  6月5日(月)
何とも慌ただしく過ぎていったこの数日。昨日ようやくバラ祭り全日程を終えることができました。
片付けを終えて簡単なミーティングを行い一人一人から感想を話してもらった限りでは、今年のバラ祭りが花の咲き具合といい、園内の整備といい、過去に例のないほど見事なできばえだったとまとめることができます。
「見事さ」の要因は、何よりもバラの勢いがよく花がバラ祭りに合わせてピッタリ咲きそろったこと。そのため、例年なら花がら摘みで忙しい会員も、それほどの作業量もなく園内で訪問客の対応が出来ました。
今年は「助成金事業」の工事もあって例年より1ヶ月早く3月から準備に取りかかったこともあり、周回路の整備、チップ敷き、アーチの作成、苗の植え替えなどが祭りに合わせてすべて完了したことも要因の1つ。
第3に、町との話合いの結果、シルバーの方々に除草を手伝ってもらい、テントなどの運搬も観光協会が協力してくれ、さらに町から町長、副町長をはじめ何人もの方々がバラ園を訪問、私たちの成果を直に見てもらえたこと、などがあげられるでしょう。
もちろん天候に恵まれたという条件も大きなものがありました。さらに、リピーターの多さも実感。遠くからはるばるやってきてくれた方々が本当に多かった。近くに住む人も、こんな「穴場」があったなんて知らなかったという声も。
今日も、祭り当日の混雑を避けて沢山の人が来てくれていました。すぐ近くに住むというタクシーの運転手は、客を案内するなら是非立ち寄ってみるべきだという家族の情報をもとにやってきてみたが、「なるほどすごい、これから是非案内コースに入れる」と話していたし、松本に住むご夫婦(奥さんが車椅子)は、「車椅子可」という案内にあったので来てみたがよかったと話し、ゆっくり時間をとってランチタイムを楽しんでいました。

一方、課題ももちろん沢山見えてきました。何よりも、実動会員が少なくなっていること。とくに男性会員は駐車場係に終日追われ、女性会員は販売・テント対応に追われてろくに休憩も取れない始末。この問題は深刻で、今後のバラ園運営に暗雲を投げかけるものとなっています。
この実動人員の問題は、こうしたボランティアによるバラ園の日常的・持続的運営にとって死活問題ですし、多くの民間団体にとっても共通するもので、活路をどのように見いだすのか、真剣な議論が必要だと痛感させられました。










さて、いま国会で焦点になっている「加計学園」問題。NHKの調査で、文科省専門教育課から発信されたメールが同省の他課の職員のパソコンに保存、共有フォルダーにも保存されていたことが現職職員の証言で明らかになったと報じていました。
安倍が口頭で「加計学園に獣医学部を」という示唆を行い、部下がその意を汲んで忖度行政をやったとしても、安倍は「指示などは断じてしていない」と言い張れば関与などは証明のしようがない。しかし、周辺の「事実」を積み上げていけば、その構図は必ず全容を表す。
文部行政の元トップが明確に、これ以上ないほどの正確さで証言しているものを、管官房長官が色をなして個人攻撃を行っている様は異様・愚劣で、逆に首相の関与を証明しているようなものです。
「モリ」で幕引きをはかるはずだったものが「カケ」で再燃し安倍政権を追い詰めているこの構図。安倍政権による政治の私物化ここに極まれりという感があります。
あるものをないとするのは、沖縄でいえば集団自決への軍の関与、日本軍性奴隷制度を巡っても軍の直接の指示・管理を示す文書、核持ち込みを巡る密約文書が「存在しない」とする、この国の権力者の伝統的お家芸。とはいえ、今日のやりとりはEメールという電子文書ですから、確認しようとすればいくらでもできるのです。だから「再調査はしない」とやっきになっているのでしょう。
安倍とその取り巻きの政治では、必ず身内感覚による依存・従属の関係が出来あがりますから、一たんほころびが出来ればその度合いもまた大きい。裂け目が広がりボロがどんどん出てきているというのが今日の政治状況じゃないのでしょうか。安倍に最も近いといわれる政治ジャーナリスト山口敬之氏による準強姦疑惑と操作つぶしへの政権の関与疑惑もそうですね。
野党の存在意義は、それを暴き、ほころびを広げ、ウソを誰の目に見える形で晒すこと、その上で、こうした政治の私物化を根本から変える道筋を示すことでしょう。
共謀罪については、「テロ対策」という大義名分そのものが崩れ、治安立法の意図をいよいよ明瞭にしているのですから、もはや廃案しかありません。
日刊ゲンダイは、今日のニュースで、北海道と首都圏の2つの世論調査をもとに「安倍内閣支持率急落の衝撃 “消極的支持層”’ついにソッポ」と書いていましたね。支持率がどうあろうと、こんなめちゃくちゃな政治に起こらない方がおかしい。
安倍政治を終わらせる。これは現在の日本の政治の緊急かつ最大の課題であるといえるでしょう。



  6月3日(土)
よく晴れた朝。今日は予想通り早くから多くの人たちがバラ園を訪問してくれました。その数ざっと800名。昨年ほどではありませんでしたが、駐車場もあわや一杯になりそうな瞬間も。時折強い風が吹き、気温もかなり低いという不安定な天気ながら、何とか晴れの状態が続いてくれて、終日バラ園は大賑わいでした。
明日の安曇野ハーフマラソンの応援(?)のために静岡からやってきたという方や、東京から朝4時に出て安曇野豊科美術館のバラ園と我がバラ園を見るためにわざわざやってきてくれた家族連れと、びっくりするほど遠くからの客があったのでこっちがたまげてしまいました。バラの好きな方って本当に沢山いるのですね。
今回のバラ祭りは過去のどの回よりもバラのタイミングがよく、さらに園内がきれいに整備されたために、小さいながら訪問客の反応は抜群。スタッフも園内のあちこちで話しが弾んでいるようでした。
今日は役場から町長、振興課長が来訪、さらに商工会から会長、役員も出掛けてきてくれ、加えて町の移住促進担当者が移住希望者を案内して来訪してくれて、これまでにない広がりがみられました。
もちろん近隣の施設からのお年寄りも多く、また多くの若い人たちがやってきてくれたことも特徴の1つでした。みなさま、本当にありがとうございました。
テントでは、今年初めて「アンネのバラ」の販売を行ったところ、3年苗の5鉢(私がずっと育てていた)は完売。今年冬に接ぎ木した新苗12本も残りわずかとなってしまいました。来年にむけて、また接ぎ木をしてもらわないといけなくなりそうです。Eさんよろしく!!














  6月2日(金)
朝早く起きてみるとまだ相当強く雨が降っている。天気予報では午前中雨が残るということだったので覚悟はしていましたが残念。
それでも集合時刻の8時半頃には、降ったり止んだりの空模様になりはじめました。
10時前にはまだ時折風混じりで雨が落ちる中、お二人の夫婦が。聞くと何と塩尻からはるばるとやってきたといいます。「向こうは全然降ってなかったよ。明科辺りから降ってきた」と言っていました。
バラ園内は昨夜からの雨ですっかりバラたちも生き生きとして、花も葉も輝いて見えました。午前中はまだ突風が吹き付けてテントの中をかき回していましたが、午後からはすっかり晴れてアルプスも見え始め、気持ちのいいお天気に。
午前中まだ雨が残るうちからどんどん訪問客が増えて、今日一日で多分500人くらいは来てくれたのではないでしょうか。それぞれローカル紙の報道を見たり池田の友人から聞いたと言って来てくれた人が多数。リピーターも相当数にのぼるようでした。
小さいながらも手入れがよく行き届き、沢山の花をつけている種類の多いバラを見ながら、帰りがけに「よかった」と言ってくれて、本当に嬉しく感じました。役場からも今年は副町長をはじめ、振興課長、公民館長をはじめ地域起こし協力隊員たちが数多く訪問してくれましたよ。
また地域の介護施設から、何人もの高齢者の方が施設の職員の方に伴われて鑑賞に訪れてくれました。さっそく車椅子を試してもらったのですが、改善点も見えてきました。沢山の方から注目し訪問してもらえることは、本当にありがたいことです。
東京のMNEMOさんも、ご自身のブログでさっそくバラ園を紹介するとともに、信州方面の方にバラ園への訪問を促してくださいました。こんなに嬉しいことはありません。そしてこんな俳句まで。

安曇野の薔薇や アルプス tete-a-tete

tete-a-teteってなんだろうと調べてみたら形容詞では「二人だけの」とか「差し向かいの」、名詞では「対談」とか「内緒話」という意味。
雨あがりの田や杜の緑とさわやかな大気の中、初々しく色鮮やかに咲き始めたバラたちと、まだ沢山の残雪を残した北アルプスの峰々とが向き合い、何事かを語り合っている・・・という情景でしょうか。安曇野だからこその景観が目に浮かんできますね。

長期間にわたる準備を経て、一日目がようやく無事終了。明日・あさってはきっと快晴にめぐまれて多くの人たちに楽しんでもらえそうです。
写真の後の記事は今日のタウン情報紙。
















  6月1日(木)
58歳の1月からこのブログ(実は手作りホームページ)を開始し現在71歳。妻がWeb日記をはじめたのは私より1年後でした。
延々ととりとめもないことを書き続けてきて、最近はいつ終わろうかと考えることも多くなっています。にもかかわらず、こうして書いているのは現在の政治状況が余りにひどいこと、人間らしい感情やふつうの感覚が失われ、ウソと欺瞞にみちた政治絵図をみせつけられていることに黙っているわけにはいかないという事情が大きいからです。
考えてみれば、戦後といってもまだ70数年にしかならない。明治から170年程度。マルクスの言葉を借りれば、まだ人類の前史も終着点までまだまだ遠く、本史の入口まで長い長い道のりを進まなければならないのでしょう。
しかし、マルクスも見通せなかった根本的な問題のために、ひょっとしたら本史にたどりつけないうちに歴史が終わるかもしれないのが現代の危機の様相です。それは核の問題と地球環境の問題。
もちろん政治経済の動向と深く結びついているとはいえ、人類の生存そのものを根本から脅かすものですから、これらを視野の外において一般的な政治闘争や経済論争をするわけにはいかない。

一方で、日本会議に乗っ取られた間のある安倍政治の延命を、多くの国民が暗黙の了解を与えているという奇怪な現象。だが、考えて見れば、今から80年前だって国民は大本営の発表をほとんど信じなくなっていたとはいえ、大元帥をいただく神国の不敗だけは信じていたわけで、今日の北朝鮮さながらの先軍思想で凝り固まっていたはずです。
これからも長い長い闘いの末に、日本国憲法が目指しているような民主主義の国を作りあげられるのかどうか、いままさに試されているのでしょう。それゆえ、たとえ一人になっても、言うべきことは言う。抗うべきことは断固として抗うという気概が求められるのだと私は思うのです。

ところで、最近何人かの方から、「ブログを見ていてMooさん丸くなったのか?」などとご指摘を受けました。読んでいて下さるという証しですから、本当に有り難いことです。
ただ、別にいつでもとんがっているわけではありませんし、政治ネタばかり書くわけにもいかないでしょうが、そう言われてみると沖縄のことはほとんど触れていないし、昨今の政治のひどさについても書いていませんからそう思われても不思議ではありません。
1つには、とても体力を使うことが多くなって頭が回らなくなっていること、2つにはたとえば「町民の会」などで直接活動に関わって問題意識を研ぎ澄ます機会が減っていることがあります。新聞やニュースに接して、感じることや思うことは沢山あってもそのまま表現できるわけでもなく、つい時間の過ぎるままにしていたということですから、一言で言えば怠慢の結果なんですね。
今日、バラ祭りの準備をほぼ予定通り終えて、あとは本番を待つのみ。幸い天気も回復してきたし、これからはこのブログに向かう姿勢も多少は変わっていくのではないかと自分でも思っているのです。

さて、今日は信濃毎日新聞がローカル面でバラ祭りを取り上げてくれて、これで3紙の事前記事が出そろいました。明日はタウン情報が載せてくれるはずですから、祭り本番はそれなりの人出が期待できるでしょう。


朝から私の携帯も鳴りっぱなしで、それぞれ「バラ園へはどう行ったらいいのでしょうか」という問い合わせ。バラもほとんど花をつけて、本当にぴったりのタイミングで祭りを迎えることができます。天気も期待できるしおそらく最高の祭りになるのではないでしょうか。
下の写真は、準備作業を終えてランチタイムの会員たち。その下は今日のバラ園。たくさんの方々が訪問して下さいました。









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