ひろこさま
お手紙拝読いたしました。いつもながら心こもる文面にあなたの優しい人柄を感じてうれしくなりました。
さて、今日は母の祥月命日でした。簡単にお参りをする程度にしかなりませんでしたが、最後に残った叔母の葬儀を経て、改めて藤村の血をわけた女性たちの生き方を考えています。全くあなたのお手紙にしたためられた通りですね。
母は私が中学・高校生のころによく言っていたものです。いつ戦争が終わるとも知れず、夫が生きて帰れられるかどうかもわからない疎開生活の中で、お腹を痛めた我が子だけは守らなければならない、私が味わった辛い思いをさせたくない・・・・。
1歳ちょっとで里子に出され血のつながりのない祖父母(私からみての祖父母)のもとで養育され、さらには尋常小学校しか出ていない見ず知らずの父を養子にして結婚を決められたのですから、どれほど苦労の多い生活を強いられたか想像もできません。何しろ、祖父母は全く私たち兄弟の面倒はみない主義でしたから、物心ついた頃には他人の家に預けられていたことしか覚えていないのですよ。
それでも父母は愚痴1つこぼさず、子ども達に当たったりすることもなく、惜しみない愛情を注いでくれたのでした。いまにして思えば本当に不思議な父であり、母だったと思います。
「藤村家の姉妹は表にあらわれる景色は少し違ってはいたけれども、姉妹みな共に艱難辛苦に負けてはいない。しなやかな強さでそれぞれが自分らしく生き抜きました。そしてその誠実さと底抜けの優しさを私たちに与え続けてくれたのだと感じています。確かな藤村家の血でしょう」・・・あなたはそう書いていましたね。私も全く同感です。
ただ、私の母の場合は、小学校の教師という立場からさまざまな人々の中で泳ぐすべとしての「処世術」を気にし、体面を殊の外重んじるところがあって、ときどきは私と衝突もしたことがありました。ただ、それも「自分のようにはなってほしくない」という思いの裏返しだったのだろうと今は思っています。劣等感を持ち前の勝ち気で補い、子どもに期待するという気持ちが人一倍強かったからなのでしょうね。
そんな面はあったのにしても、私はやはり母と母方の一族の影響を最も強く受けていると思っています。弟は全く逆で完全に父方の方とばかりつきあいがあったのですから、これまた不思議なことです。
さて、久しぶりのあなたからのお便りを読みながら、つい高校生から大学生のころに毎月のように交わしていた手紙のことを思い出します。わが奥さんに「文通してたんだよ」と言ったら「ええっ、いとこなのに」とびっくりした様子。ま、あなたの旦那様も知らない頃の話ですからね。とにかく長い長い手紙をよくもまあ飽きずに書いておりました。お互い。
その結果、私がヒロシであなたの旦那もヒロシで、あなたがヒロコという何とも言えない巡り合わせ。神様の思し召しってやつですかね。
仙台から富山に帰る途中何度も南区のお住まいに寄せてもらいほとんど夜通し語り合ったこともなつかしい思い出。何を話したかはさっぱり思い出せませんが、きっとあなたが大学で貧民街のボランティアサークルに関わることになったことや、世の中の矛盾についてあれこれ議論していたのでしょうね。
たくさんのいとこたちと知り合いにもなれました。その結果、いとこ会をやろうという話になって、30人もあつまってしまいました。すごいことです。
私にとって、高校生の頃からどんなことでも包み隠さず話すことができる、その意味では友達以上の友達でしたから、それが現在までこのように続いていることが本当に嬉しいのです。あなたは、社交的な性格だけれど堅実で人一倍気配りが出来る人、千鶴伯母さんだったからこそこれほど健やかに心豊かに成長したんだろうな、と心底思いますよ。
ま、私の奥さんがみたら、初めは何を書いているんだと目玉が飛び出るほどびっくりするかもしれませんね。いいじゃありませんか、奥さんは奥さんで私の最も大事な人なのですから。おおらかに聞いていてくれるでしょう。
話は少し変わりますが、苦労という点では、私の奥さんの家族と奥さんの方が幾倍も苦労をしているのは間違いない。それだから、ともいえますが、私は沖縄の母が大好きです。藤村家の女性たちと同様に、戦中から戦後の時代を「自分が抱えた辛さも哀しみもすべてを受け止めながら」生き抜いた一人の女性なのですから。
一人一人の生き方から、学ぶことは本当にたくさんあります。私たちが、子どもたちから逆にそのように受け止めてもらえるのだろうかと心配になりますね。あまりにもわがままに生きてきてしまいましたから。あなたも同じことを言っていましたっけ。
お便りを読みながら、あらためて私たちがさらに次の世代に何を託すのか、死ぬまでに何ができるのか、考えたいと思わされています。
長くなってしまいました。
またお便りしますね。おやすみなさい。
追伸:4年前に施設に入った叔母様のもとを訪問したときにカメラの録画機能を使ってうつした動画を紹介しますね。先に亡くなられた夫君と結婚したのは夫の社会奉仕だったと冗談めかして話し、そのあと私が学生時代に松任の叔母の家を訪れた際に私を押し売りと間違ったときのことを思い出して話しているシーンです。
施設で話す生前の叔母(mp4)