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  3月30日(金)
連日快晴の日が続いて、少しずつ畑仕事がはかどり始めて、そのためにパソコンの方は滞りがち。大分慣れてはきましたが、それでも朝晩の気温差が大きいために腰を悪化させないように気を遣っていると結構疲れます。
作物はいったん植えてしまえば、あとは草取りや水遣りくらいですから、それほど時間は取られませんけれど、夏野菜の植え付けが終わる5月半ばまでは毎日のように作業が待っています。
先日、友達が「あれ〜〜、入院するって聞いたけどまだなの?」と軽トラで作業から帰ってきた私を見て驚いた様子。手術が必要な病人とは見えませんものね。普段、静かにしている分にはほとんど生活に支障はありません。ところが、500メートル歩いたり、同じ姿勢をしばらく続けていると、腰が痛くなると同時に左足の感覚がなくなるという症状、しばらく休んでいるとまた回復するという繰り返しです。
一昨年沖縄にいたときが最もひどいピークで、まっすぐに寝ていられないほどでしたから、それから見れば大分いい方。しかし、いったん痛くなると同じような状態になるので、改善しているとはとても言いがたいのです。
医者は「う〜〜ん、ひどいですね」と言うくらいですから、外科的な処置は時間の問題だったということでしょうか。とにかく、入院までできることはすべてして、あとは妻にバトンタッチというつもりで、やっているところです。

書いておきたいこともないわけではありませんが、月が変わってからまたぼちぼちパソコンに向かうことにしましょう。



  3月26日(月)
このところ暖かい日が続いて、まるで5月連休並みの陽気です。
昨日は昼から自治会の総会があり、終わるやいなや松本へ直行、午後9字まで生徒たちと数学のお勉強。
自治会総会は年度の終わりに年一回開かれるもので、狭い集落センターは超満員。今年度の事業報告と新年度の方針を決定することが主な目的ですが、同時に自主防災会の総会も。
自治会総会も自主防災会総会も、ほとんど意見らしい意見もなく「つつがなく」終わりましたが、実は自主防災会の総会では大変重要な方針が決まったのです。
過去に何度か書いたことがありましたが、大規模地震(震度6強以上)を想定して、避難する際に集落の住民を数名ずつの「防災班」に分けて、互いの安否確認と救助、避難をその班単位に行うという新体制にしたのです。
「防災班」組織の意義は、規模の小さい地震ではほとんど問題にもなりませんが、家屋が損壊・全壊、道路が寸断されるような大規模地震のときには近隣住民が助け合う体制をとっているかどうかで、地震直後の安否確認であれ、避難所での生活であれ、大変重要な役割を果たすことになる点にあります。
その機能がフルに発揮されたのが長野神城地震の際の白馬村の経験でした。生の体験から教訓をくみ取っているとはいえ、ようやくスタートしたばかりですから、防災会役員会議のイニシアチブと啓蒙活動が欠かせません。
私自身は防災会の実務担当のうちの「企画班」班長を任命されているので、当面はニュースの発行を通して啓蒙活動を活発に行おうと考えています。

今日は朝から午後3時まで妻と畑で夏野菜の植え付けの準備。先日種屋さんに行ったら、もうジャガイモの種芋が売り出され「もう植えている方がいますよ」というので慌ててキタアカリとメイクイーンをそれぞれ2キロずつ購入してきて、今日早速植え付けをしました。
家には昨年秋に収穫したシワシワ芋が芽を出しているので、残りの畑に植え付ける予定。
あとは、草取りと耕耘、肥料やり。これからもこの作業が1ヶ月ほど延々と続きます。
今日は、汗びっしょりというほどではありませんでしたが、暑い暑い。Tシャツ一枚で耕運機を走らせました。
同じ姿勢をちょっと長く続けると腰が痛むので、15分やっては一休み、その繰り返し。家の庭にも畑を何畝か作っているので、こちらはカラシナと小松菜の種をまきました。去年よりずいぶん早い作業日程になっています。





  3月24日(土)
朝、バラの会のメンバーの要請で、お隣の松川村で行われた花の即売会に出かけました。例年この時期に、パンジーやビオラを大量に売り出していたのですが、今年は花のお祭りのイベントも開催されて色とりどりの花と人とで会場は賑やか。定刻より早く着いたのにもう行列ができていました。
会場はちひろ美術館脇の公園(トットちゃん広場)で、そこには例のトットちゃんの電車が。 その広場で、広げられたたくさんのパンジーの中からお好みの株を買い求めるというわけです。
天気もよく、気持ちのいい一日で、家族連れが我先にかごに株を詰め込んでいました。私と妻は、ゆっくりあたりを散策する暇もなく、バラ園のために5箱(120株)も購入し、そのままバラ園に直送。まあ、雰囲気を楽しめただけよかったのかな。




午後は、松本へ。今日は「こどもじゅく」で「卒業を祝う会」が予定されているのです。前半は通常通りの「じゅく」があり、後半おいしいおやつを囲んで、みんなで小中学校の卒業生をお祝いするイベント。
今年は小学校を卒業した子が1人、中学を卒業した子が5人。卒業生のあいさつで「丁寧に教えてもらって本当によかった」と言ってもらえるとうれしいものですね。私も「今年も野菜をたくさん運びますから、好き嫌いなく食べてくださいね。先生たちも素敵だしどこにも負けないようなレベルのじゅくです。先生たちをおおいに利用してください」とあいさつしました。
中学を卒業すると学校も遠くなるので、高校生になってから来る子はほとんどいません。4月に入れば、子どもたちも入れ替わりがあって、新しいメンバーに対応しなければなりません。
松本市などからの紹介もあって、複雑な環境の子たちも増えてきているので、対応はそれなりに難しくなってきています。子どもたちに対応できるスタッフをどうそろえていくのかも大きな課題です。








  3月22日(木)
昨日からまる一日、ある数学の問題を考えていて24時間ぶりに解決し(夢の中でも考えていた)、ようやく解放されたという気持ちでパソコンに向かっています。ある数学Vの発展的な別の解法を見つけようとして陥ってしまって四苦八苦していたのでした。
結論から言うと「思い込み」なんですね。恥を忍んで告白すると・・・ちょっと数学V的になりますが、媒介変数表示で表された曲線で囲まれた面積を求める際に、極方程式に変換できるわけがないのに下の公式で「できるとばかり思い込ん」で、普通に出した答えとそれとが合わないことに苦しんでいたのでした。(左が面積、右が曲線の長さ)
媒介変数表示のパラメータが極方程式の偏角と異なることが普通なのに、この問題の場合に同じであると思い込んでしまった。長くこの分野と離れていると初歩的なことで間違いを犯してしまい冷や汗タラタラ(-_-;)。とはいえ、分かってしまえばあたりまえのことが、分かるまではそれはそれは大変なのであります。
こうした自分自身の誤りや思い違いは、当然生徒にも頻繁に起こりうるわけで、そうした体験を踏まえているかどうかは教える上で大変重要なことになると思うのです・・・と、やっぱりいかにも言い訳がましいですね。

さて、今朝は銀世界でしたが、昼頃には暖かくなりましたから、雪もすぐに融けてしまうでしょう。
朝、近くの知人から電話があって、パソコンの操作でどうしてもうまくいかないことがあるので見てほしいという。
問題が2つあって、1つはデスクトップ上のアイコンがいつの間にかでかくなってしまったのでなんとかしたい。もう1つは、いつの間にか入力がひらがな入力になったのだがローマ字入力に戻せない・・・ということでした。
彼は、昔はよく自分でやっていたんだが、といいつつ、申し訳なさそうにパソコンを開いたのでした。
知らないうちにどこかを操作したために日本語変換の仕方が変わることはよくあることです。キーボードをいっしょに操作しながら、何度かやってもらってちゃんと元に戻ることを確かめました。
こんなことでも、近所のお付き合いが続いているのはとてもいいことですよね。こどもじゅくの野菜も提供してもらっている人なので、これからも大事にしていかないと。



  3月21日(水)
朝方まではほとんど雪はなかったのに、9時頃からかなり降り始めてお昼頃には写真のようなモノトーンの世界に。真冬に逆戻りです。


現在の自民党の「出世」コースが、いかに安倍とよく似た(あるいはすり寄った)考えを持ち、よく似た行動を行うかだけであるために、彼らの頭脳が、世界の動きや政治・文化の多元的な深さをどれだけ理解しているかとか、歴史認識が世界史レベルであるか、または世の中の人々の苦悩や悲しみなどとはおよそ無縁であるということです。
現在の自民党は、かつての派閥連合であった頃から完全に変質した極右政党となってしまった。北林あずみさんの言葉を借りれば「カルト集団」と成り果ててしまったということです。
小選挙区制度と政党助成金制度がその基盤をつくり、さらに官邸による人事権(=内閣人事局)がそれに拍車をかけたと言われています。私自身は、それは一つの要因だろうとは思いますが、それより重要なのはそれを可能にした背景こそを問題にしなければならないと言い続けてきました。
戦前との地続きの問題です。明治150年というなら、まさにそのことこそ問題にしなければならない。戦前の思想体系と極めて親和力の強い財界、上級官僚、自衛隊幹部、地域に根を張る宗教界や遺族団体、有力者など、あげればきりがない。残念ながら、この国は形の上では「民主主義」を標榜しながらも、実質的には戦前の価値観を色濃く残してきたことに対する精算・総括を十分有効に行わなかった、あるいは行い得なかったこと、そしてあの戦争を体験した世代のかなり多くがこの世を去ったことが、それらを増幅させる結果となってしまっている。
そのことを可能にした枠組みとしては、冷戦下で日本を「反共の砦」としたアメリカの対日支配がある。歴代の自民党がそれに従属し、軍備を拡大する一方で新自由主義の考え方をはびこらせてきたことが「日本会議」や「フォーラム21」のような団体を根付かせ増殖させる栄養源となってきたのでしょう。また、若者たちからその未来を奪い労働の価値を奪い居場所を奪ってきたことも、その素地を広げる要因ともなってきたと考えられます。
しかし、同時に指摘しなければならないのは、この国の人々に受け継がれてきた民主主義への熱い願いとたたかいがあったからこそ、安倍が改憲を容易にできない状況をつくってきたという側面です。人権規定を豊かに盛り込んだ日本国憲法を私たちが持つことができたという点は、戦前とは根本的に異なる状況ですから。
安倍改憲阻止、原発ノー、安保法制・特定秘密保護法・共謀罪法の廃止、労働法制改悪阻止などの一つ一つの課題を重視しながらも、思想面で極右からの歴史改ざん、民主主義否定の動きに徹底したたたかいを続けていかなければならないと改めて思います。我々の側から、あの戦争を真に終わらせこの国を再生させる「愛国」の闘争宣言を発しなければならないのではないのか。その力は十分にあるのです。

水島先生に教えていただいた、「月刊大阪弁護士会2016年5月」に掲載された山口健一弁護士と憲法学者の樋口陽一氏との「対談」を深い感銘を持って読みました。
安倍改憲の提起にからんで、「自衛隊を憲法に書き込むだけならいいのではないか」「反対なら対案を出して議論すべきではないのか」「国論を2分する問題だから安易に一方の側に立つなどということはまずいのではないか」などという議論があります。
これに対して、樋口さんは次のように答える。

善意の改憲論を説く人たちに向かって私がいつも言っていることは、改憲論を議論するというのは、静かなサロンでそれぞれが自分の理想の憲法の姿を述べ合って討論するというやわな話ではないのだ、ということです。現実の政治過程で現実の今、どういう人たちが何をしたくてどこを変えようとしているのか。その人たちは例えば日本の過去の歴史についてどういう態度をとってきた人たちなのか。それからアジアの中で日本という位置についてどういう言説を吐いている人たちなのか。そういう人たちの顔を現実に思い浮かべながら議論することが必要なのです。

改憲問題とは「現実政治の問題なのだ」という指摘は極めて重要です。森友学園問題での不当な値引きをめぐる公文書改ざんや、自民党政治家と文科省による学校現場への政治的介入などの出来事は、「現実政治」の実相をわかりやすく示してくれています。
しかし、安倍が狙う改憲との関わり、改憲の中でも9条改憲と緊急事態条項との関わりなどは、直接これらからは見えてきませんから、先ほど書いたように、古色蒼然とした「日本会議」や、”よりスマート”に国家改造を狙う「フォーラム21」などに結集した分厚い改憲勢力とたたかう力を、「庶民レベル」で作り上げていかなければならない。相手はかつての保守党「自民党」ではもはやなく、安倍私党=極右政党なのです。土台からのたたかいに成功しない限り易々と彼らの思惑に飲み込まれてしまうことになるでしょう。



  3月20日(火)
下の写真は3月13日の「南ドイツ新聞」の政治面トップを飾ったという「Abe im Zwielicht(たそがれの安倍)」。今から50年前なら多分読めたかもしれないドイツ語も今ではチンプンカンプンですので、せめてGoogle翻訳と思ってみたけれど、たいしたことはなかった。雰囲気はつかめましたけど。
森友学園への国有地が格安で売却されたことをめぐって、安倍と安倍の妻や政治家の名前を含む14の文書が改ざんされたこと、籠池や安倍が戦前復帰をねらう極右の日本会議のメンバーであることなどが詳しく指摘されているようです。


安倍首相とその仲間たちの言動を見るにつけ、歴史観だけではなくその振る舞い方についても異様な情念が感じられ、その同類ぶりが日々露わになっていると感じます。
そもそもが籠池の幼稚園のあの特異な「教育」から始まっており、感激のあまり涙すらした安倍昭恵夫人、同感した安倍晋三、幼稚園を訪れた日本会議議連所属の議員たちによって、今日の事態が招来されたのです。佐川元理財局長の一存で国有地が適正に売却され、国会答弁と整合性があるように文書が書き換えられたなどということは、絶対にあり得ない。
今日の安倍政権の暴走がすべて「日本会議人脈」の中で起こっているという水島朝穂氏の指摘は重要です。絶対多数を握ったことから、改憲へのチャンスを絶対に逃せないと見定めた彼らの情念の激しさを見誤ってはならないと私も強く感じます。
多少のダメージを受けようが、森友問題とは話は別だとして改憲発議までなんとかこぎ着けたい、その執念はますます異常なものになってくるでしょう。それを許さないための覚悟を私たちも心に定める必要があるのではないでしょうか。

参考までに、前川氏の講演についての問い合わせをした議員が明らかにされました。
赤池誠章参院議員・・・自民党文科部会長 日本会議国会議員懇談会(事務局次長)、神道政治連盟国会議員懇談会、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会・・・etc. つまり極右ですね。
池田佳隆衆院議員・・・自民党文科部会長代理 日本会議国会議員懇談会、神道政治連盟国会議員懇談会、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会。同類です。



  3月19日(月)
午前中から畑に行こうと妻と話していたところが、ポツポツと雨が。肌寒い雨模様の一日になりそうだったので、結局午前中はテレビで国会中継を見、午後はひたすら数学の問題にとりくんで過ごしました。

午前中の国会中継は森友問題での集中審議、自民党の議員の質問だったのでやめようかとも思ったのですが、件の和田正宗議員の質問があったので様子見。バカ丸出しの愚問を発して太田理財局長から「いくら何でも・・」と抗議を受ける始末。自身のFBでは、「党にも官邸にも嘘をつき、答弁がふらふらする太田理財局長、理財局、財務省官僚には、何らかの意図があるのではとの疑問すら生じる状況」「あそこまで言わないと財務省の調査は真剣にならない」と開きなおり、弁明に努めておりました。
この和田議員、しばらく前まで「朝日新聞の誤報か財務省の書き換えかは5分5分」「朝日は証拠を出せ」と書き、朝日の誤報を「切望」する口ぶりでしたが、12日には「財務省の文書関連の一連の私の記事について、分析が甘かったことを皆様にお詫び申し上げます」と、みっともない弁明。その後は一転して安倍擁護に懸命となりました。
「今回の調書書き換えは、添付文書扱いでも、あってはならないことと私は認識している。だが、詳細に経緯が記されている書き換え前の調書が明らかになったことで、昭恵夫人の関与も全くないことが判明したと認識している。新聞は『昭恵夫人の名が削除された』と大騒ぎしているが、そのまま開示されても全く問題ないものである」などと、およそ庶民の感覚からずれたタイコ持ちらしい書きこみ。
今日の質問でも「財務省は自民党に対して官邸に対しても嘘をつきとおしたわけです。党や官邸が徹底調査を指示して隠蔽の扉をこじ開けなければ、財務省は内部で完全に書き換えの事実は隠されていたかもしれません」とギャグレベル(LITERA)の発言で野党席からの失笑を買いました。
自民党がこのような人物を質問に立てること自体、もはや自浄作用も一般常識も普通の倫理観も持たない自民党のレベルを象徴しています。

例の中学校での前川氏の講演について文科省が学校に調査のメールを送ったことについて、前川氏が今日弁護士を通してコメントを発表しました。

このような個別の学校の授業内容に対する国の直接的な介入は極めて異例であり、教育基本法が禁じている「不当な支配」に当たる可能性が高いと思います。
文部科学省がこのようなことを自ら行うとは考えられないため外部から何らかの強い政治的な働きかけがあったのだと思います。
本来、教育に対する政治の不当な介入を阻む役割を負う文部科学省が、逆にそうした政治の介入に屈してしまったことは残念に思います。


極めてまっとうで、行政を預かるものなら当然の感覚でしょう。それが文科省内で損なわれているというのが現在の実情です。財務省の改ざんにしろ、文科省の問い合わせにしろ、役人が勝手にそうした行為をすることは考えられないというのは常識です。
直前に、複数の自民党国会議員から文科省に照会があったことが明らかになり、国会での文科省へのヒアリングでも取り上げられましたが、文科省はひたすら「誰がどのような問い合わせをしたかについては答えられない」と逃げの一手。
思い出すのは、一昨年暮れに、池田町公民館での集会に務台衆議院議員秘書が公民館に問い合わせの電話を入れ、さらに本人がFBで嫌がらせ的書き込みを行ったあの事件。当局は否定しますが、それをきっかけとして公民館使用許可取り消しという方向に一挙に動いたのでした。
池田町教育委員会と同じく、自民議員からの問い合わせに驚いて、その意向を「忖度」し、学校に質問メールを送ったということは十分考えられることです。「省内には『メールの質問事項は、官僚の文章には思えない』との声がある」(毎日新聞 3/18)というのも、それを裏付けるものでしょう。
この自民党議員が誰かというのはネット上でも話題になっており、すでにほとんど特定されているようですが、問題は誰かということより、教育基本法に違反しているという自覚がなくなっている政治家や役人の存在。これを「法令に基づいて調査した」と安倍首相も文相も強弁するのですから救いようがありません。

教育基本法 第3章 教育行政
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。




  3月18日(日)
昨日本棚を整理していたら、ホーキング博士の「ホーキング宇宙を語る」が出てきた。無いものとばかり思っていたので自分ながらびっくり。読もうと思って買っていたんですねえ。ということは読んでいないということで、情けない。きちんと読んでみようと思っています。

各社の世論調査が出始めており、予想通り内閣支持率は軒並みダウン。共同、時事、朝日、毎日の調査の平均値をとると、内閣支持率は前回より10%以上下落して35%くらい。
朝日がもっとも厳しく支持31%、不支持48%。安倍昭恵夫人の国会招致も6割以上が求めていますから、安倍、麻生の予想を遙かに超えて世論の厳しい目が向けられているということです。
だが、政党支持率となると必ずしも自民に対する支持は下がっているとは言いがたい。というより、野党への期待がまだ不安定だということでしょう。明日の集中審議を契機としてまだまだ国会の動きはあるでしょうから、安倍内閣を倒すまで追い詰めていかなければなりません。
写真は今日のスタンディング行動。






  3月17日(土)
午前中はバラの会の総会。日の設定が悪かったのか、いつもより会員の参加がちょっと少なめで残念でした。
忙しい人は常に忙しい。いろいろな団体と掛け持ちしたり、家庭の事情で都合が悪かったりという問題があって、全員が都合のよい日に合わせることはできませんから、今後はできる限り前もって連絡し、出られるように工夫しなければなりません。
今日の総会では、一つには会員をどう増やすかという問題でいろいろな意見が出ました。ここ、3,4年は残念ながら会員が増えていない。バラのオーナーは順調に増えているので、オーナーに働きかけたり、剪定などのイベントに誘ったり、バラ園の魅力(会員の交流、北アルプスの借景)をもっと知らせる努力を重ねようと話し合いました。
バラの会は今年で8年目、後半には9年目に入ります。土地の契約が10年ですから、そろそろその後のことを考える時期、行政とも協議をして、連携をとりながら今後のあり方を検討しようということになりました。
総会のあとは「豪華」な昼食会。気心の知れたメンバーですから短いながらも楽しいひとときを過ごしました。


さて、名古屋市のある公立中学校が前川喜平氏を講師に招いて生徒向けに講演会を開いたところ、文科省が2度にわたって詳細な問い合わせのメールを送り講演の映像まで提出するよう求めた事件が発覚しました。
中学の校長が記者会見しているところをテレビで見ましたが、校長は「直接会って聞いた話や前川さんの人となりから判断した」と答え前川氏を招いたことについて何ら問題になるようなことはないと文科省の対応に戸惑った様子で、質問に答えるこの校長の「まともさ」が際だっていました。
文科省の質問は、「道徳教育が行われる学校の場に、また教育課程に位置づけられた授業において、どのような判断で依頼されたのか」と前川氏の適格性が疑われることを匂わせて質問。「事前または事後に保護者や生徒から意見や反応等はなかったのか」などとも聞いています。
だいたい似たような道徳的問題でスネに傷を持つ人間ほど、それらの問題で他人を攻撃したくなるらしい。そして「質問したのは外部から問い合わせがあったから」などと自分の責任をすり替えてしまうことに相場が決まっています。ブーメランであることに気がついていない。

この問題は、内容照会などというレベルの話ではなく、政府による現場の教育内容に関する政治的介入であることは明白。憲法・教育基本法違反にあたる違法行為です。
「腰が抜けるくらいびっくりした」という教育評論家の尾木直樹さん、「教育課程の編成権は基本的に校長にあるのに、ここまで文科省が介入するなど前代未聞です。政治の教育への不介が大原則の教育基本法に明確に違反しています」「質問の中には前川氏への重大な人権侵害と名誉棄損も含まれており、見過ごせません」(3/17しんぶん赤旗)と明快。
また元文部官僚の寺脇研氏も「教育の国家統制になっていくわけじゃないですか。その反省を基に戦後の教育が成り立っているわけだから、いわゆる役所がこれはやっちゃいけないということが壊れてきてしまっている。とにかく異常」と手厳しく批判(3/15 TBS NEWS23)していました。
どうやら、ヒラメになってしまった財務省官僚や文科省官僚のモラル・ハザード(責任感・倫理観の欠如、社会的責任の放棄)ここに極まれりという感じですね。しかも、守るべき法律を破ることにも痛痒を感じなくなってしまっているらしい。
安倍政権になってから、「愛国心」教科書採択、道徳の教科化、教育勅語容認、日の丸・君が代強制問題などで教育支配の動きを加速させているのですから、これらに輪をかけた教育国家統制の妄動を許すわけにはいきません。

安倍が自ら撒いた種に足下をすくわれて窮地に陥っている。目下の最大・緊急の課題は民主主義擁護のために「安倍内閣打倒」を全面に押し出すことだろうと私は思います。問題の真相究明と同時に、安倍退陣を掲げた大運動が必要になっている。安倍改憲を阻止するためにも、目下の公文書改ざん問題で安倍を追い詰め、内閣を総辞職させることが必要です。
安曇野在住の北林あずみ氏の提案は全くその通り、賛成です。さまざまな市民運動を合流させ、全国規模の大集会やデモを提起する時期ではないでしょうか。とりわけ国会前での「空前」の規模の集会が求められる。
ただ、蛇足ですが、北林氏のブログ見出しは誤解を生む。「各種のデモ主催者は諸悪の根源、安倍晋三打倒で共闘しよう!」じゃなくて「各種のデモ主催者は、諸悪の根源安倍晋三打倒で共闘しよう!」ですよね。



  3月16日(金)
昨日から妻は富山へ。孫の小学校卒業式に参列するためです。
いまどきの小学校は夫婦で出るのはあたりまえ、ジジババもいっしょとなってはあまりに過保護じゃありませんかねえ。こんなことを私が言えばひんしゅくものらしい。それはともかく、無事小学校を卒業し、中学に進級というのはめでたいことです。


夜7時頃帰宅した妻が開口一番「お〜〜〜寒い、寒い」。それもそのはず、昼前まで10度以上あったのに、外はもう零度近くですから。白馬付近では雪もふっていたのだとか。全国的にまた冬に逆戻りのようで、体調を維持するのに大変ですね。
私はというと、昨日バラ園で接ぎ木をした苗(アンネのバラ)などを顧問のEさんの畑からバラ園に移動する作業。苗を植えるには大きな穴を掘らなければならないので、ちょっと無理したのが祟ったのか、今日は腰がしびれてずっと痛い思いをしていました。
昨日は幸い荒天に恵まれ、しかも気温は20度近くでしたので、みんな手際よく植え付けの作業にとりくみ無事終了。あとは明日のバラの会総会を迎えるだけです。一つ一つです。


今朝はちょっと時雨模様だったので、多分理容店はすいているだろうと予想して、散髪に。沖縄行きを挟んで結構な日数が経っているので気になっていました。
その帰り、女川から新わかめが届いたというので受け取りにいき、お茶をごちそうになりながらあれこれ話をしていたとき、散髪の帰りだと聞いて「え〜〜それで??」と驚いている。何をそんなに驚いているのか、どうやらあまり短くしていなかったので、ほとんど気がつかなかったということらしい。「髪がだんだん少なくなっていくので、せめて長さでカバーしないと」と訳を話しておきました。妻も気がつかなかったようだったし・・・。



  3月14日(水)その2
先日松本へ行ったとき、調子がいいので少し歩いてみようと元気に歩き出したのはよかったのですが、数百メートルほど進んだところで、以前と同じように左足が次第に言うことをきかなくなり、感覚がなくなってきてしまいました。少し座って休んでいるとまた感覚は戻るのですが、全く変わっていないのにがっかり。
昨日は、整形外科でMRIの画像を撮る日で、その後診察も受けることになっていました。覚悟はしていたのですが、診断の結果、相当ひどい状態になっているとわかりました。見たところ5カ所くらい脊柱管が狭くなっており、一番下が最も狭くなっている。担当医は、脊柱管もそうだが背骨もかなりゆがんでいるとあっさり言ってくれました。
そこで、担当医といろいろ話し合った末に、4月末に手術を受けることにしました。どんな方法をとるのかは今後の検査の結果によりますが、4月は3日に血液検査など、10日から3日ほど入院して脊髄に造影剤を注入しての検査、そして4月末に入院・手術ということになります。
身体にメスを入れるのは、過去に何度も経験していますから、私自身はよくなるのならどんなことでもするというつもりではいるのですが、妻は周りでいろいろ見聞きしたりした経験から手術にはあまりいい印象は持っていないようで渋い顔をしていました。
不安は分かるけれど、私の腰の痛みは相当に長いキャリアですから、ここいらでなんとか解決しておきたいと思ったのです。

今日はまた暑いくらいの上天気。午前、午後それぞれ2時間ぐらいずつ畑に出て、草取りと畝の整備に汗を流しました。もちろん、無理せずたびたび休憩しながらです。
昨年より半月ほど早く季節が進んでいるような気がします。入院前に、4月に植え付けができるように整備を終えて妻にバトンタッチのつもり。



  3月14日(水)
ホーキング博士が亡くなったというニュースに、あの身体でよくここまでという感慨と、にもかかわらず数々の業績をあげてきた科学への情熱に深い感動を覚えます。心からご冥福をお祈りします。

2011年に始まったStarmus国際フェスティバルというのがあります。天文学、宇宙探査、音楽、芸術、その他生物学や化学などを祝う国際的な集まりで、ホーキング博士は宇宙の起源についての講演をしたとありました。Wikiによると、彼は2014、2016、2017年も参加していて2017年には「人類の未来の探究を提案」したと紹介されていました。
とくに本を読んで傾倒しているというわけではありませんから、彼の主張についてよく知っているわけではありませんが、積極的にこうした集会などに参加して啓蒙活動を行ってきた博士の行動力には驚かされます。
Starmus国際フェスティバルの国内版のような催しがあるといいですね。天文学と音楽って、やはり響き合うものがあるのでしょう。今日初めて知ったのですが、ロックバンド・クイーンのギタリストであるブライアン・ハロルド・メイは天体物理学者でもあり、2014年の集会では、3Dメガネを使い天体の立体映像を駆使して演説をしたといいます。下のフェスティバルの様子を伝える映像には3Dめがねをかけたホーキング氏の顔も見えます。


次は、starmusによるホーキング博士への追悼映像。追悼文も心を打ちます。


追悼文の中で、ホーキング博士は奇しくもケープラーの300年後の誕生日に生まれ、アインシュタインの誕生日に亡くなり、アインシュタインのように76歳まで生きたとありました。さらに、スティーブンホーキング博士は、人間の計り知れない能力のシンボルであり、決して屈服しない精神のシンボルであり、科学自体のシンボルでもあったとも述べています。

Youtubeの画像に添えられた追悼文

Today, on the 14th of March, 2018, the human race has suffered an immeasurable loss.

The loss of a man who was not only one of the greatest scientists of all times and one of the most influential people on the planet, but also a model and inspiration for many of us.

Stephen Hawking was a man of exceptional power of spirit and a model of civic stance. He changed the way we perceive our Universe, our time and ourselves, and did it with his unique talent of communication and gentle, Hawking-style sense of humour.

Although he left a rich legacy of both academic and science popularisation texts, we will miss his hilarious personality and his outstanding ability to make this world a better place, whatever he did and wherever he happened to be.

Stephen Hawking was a point of reference for scientists and science lovers and member of Starmus Advisory Board. The Stephen Hawking Medal, awarded to the most successful science communicators, will keep his legacy and continue to inspire science lovers in the name of Stephen Hawking.

To many of us, Stephen Hawking was a symbol - a symbol of the immense capabilities of the human being, a symbol of never surrendering mind, and of science itself. It strikes us as quite symbolic that he was born on Kepler’s birthday, 300 years later, passed away on Einstein’s birthday, and, like Einstein, lived to the age of 76.

We will keep this symbol in our hearts and follow the path he craved for us.

Rest in peace, Professor Hawking!



  3月12日(月) その2
午後ちょっと遅く畑に行って様子を見ました。前に見たとおり、マルチが剥がれてひどい状態に。
今日は、とりあえずイチゴのマルチを修復し、その周りに生えていたナズナなどの雑草を取り除き、日光がよく当たるようにしたくらい。北風がモロに当たるので日があたっても寒い。結局1/10程度しか作業できず、早々に帰ってきました。
今週は比較的暖かい晴れの日が多いようなので、時間を見て少しずつ整備していくことにしましょう。マルチの修復や草取りをしたあとは、いよいよ体力勝負の耕耘。腰の調子も見ながら本格的な作業に備えていこうと考えています。
家に戻って日暮れ時、あかね色に染まった空に一筋の真っ白な糸を引いて旅客機が飛んでいきます。この時間はかなり空路が混んでいるのでしょうね。次々と白いスジが現れます。




さて、財務省が森友決裁文書の「書き換え」を認め、その内容も次第に明らかになってきています。ニューヨークタイムスもこの問題を大きく報道。
まずはっきりさせるべきは、今回の問題は「書き換え」などというきれい事では絶対に済まされない「有印公文書偽造罪」というれっきとした犯罪であり、かつ政府の中枢が関与する国家ぐるみの犯罪だと言うこと。
一部の報道では会計検査院が昨年3月から11月にかけての検査の過程で、異なる決裁文書があることを認識していたと記者会見の模様を伝えていました。こうなると、知っていたのに報告をしていなかったということになります。
麻生大臣の記者会見を聞いていると、まるで人ごと。財務省理財局の一部の職員が佐川理財局長の国会答弁に合わせて書き換えたという一部職員の「勇み足」として処理しようという魂胆なのかと思わせます。
問題の第1は、政治的力が働いて改ざんが行われたこと。
官僚が勝手に決裁文書を大量に書き換えるなどということは”絶対に”ありません。佐川理財局長の指示となれば別でしょうが、理財局長自身、彼の判断だけでそのような「犯罪」に手を染めることも無理があります。文書での指示ではないにしろ、それだけ大きな政治的力が働かなければ今回のような大がかりの改ざんは行い得ないことは明らかです。
第2に、改ざんされた文書を国会に提出して国会議員および国民をだまし続けたこと。
佐川理財局長が、平然とした顔で「国有地は時価で売るのが基本で、適正な価格で売っている」「売買契約の締結をもって事案が終了しており、面会の記録などは残っていない」「価格を提示したこともない、先方からいくらといった希望もない」などと述べていたのですから驚きです。
そして、政府はそのような佐川理財局長をかばい続け、あげくは国税庁長官にしたのですから、麻生大臣の所管省の長としての責任、安倍首相の任命責任および昭恵夫人の関与の責任など、国民に対するだましと詭弁、背信の重大責任があると言わなければなりません。昭恵さんも佐川さんも国会に出てちゃんと証人喚問に答えてもらいましょう。



  3月12日(月)
気温はまだ一桁だが、春めいた暖かい日差し。3月もまたたく間に日を重ねていきます。
そろそろ畑の準備を始めなければなりません。松本に出かけるときに畑をみたら、黒マルチがほとんど風で飛ばされてひどい状態。土も霜ででこぼこしてタマネギの苗などが浮き上がっています。
畑の修復、新しく植え付ける土地の耕作、肥料やりなどやることはたくさん。ちょっと日が高くなるのを待って、今日から作業開始です。もっとも、体がついていかないと困りますから、今日は試運転かな。

MNEMOさんが、私の婉曲な訳詞の要望にこたえて(他からもあったよう)昨日紹介した英語の歌詞にご自身の訳をつけてくださいました。うれしいです。MNEMOさんのサイトはこちらです。ただしバージョンの違いなのか、アップされているものと幾分歌詞が異なります。

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3月11日投開票の石垣市長選で、現職中山義隆氏(自公維新推薦)が3選されました。この選挙では名護市長選挙と同じように石垣島への陸自配備問題が一つの大きな焦点でした。琉球新報は「現職の2期8年の実績や国政とのパイプを生かした経済振興の訴えが評価された。陸上自衛隊配備計画では、計画に理解を示す中山氏の当選で、配備計画の加速化が予想される」と書いています。
石垣市長選での期日前投票は有権者数の36%、名護市長選挙では44.4%でしたから、これに次ぐ高さです。昨年の衆議院選挙での期日前投票は過去最高で全国平均が選挙人登録者数の14.71%。中でも沖縄県が前回総選挙より2倍の伸びで21.2%(前回11.2%)。
衆議院選挙での石垣市の期日前投票は16.5%でしたから、これからみても異様な高さということになります。ちなみに、名護での期日前は25.8%でした。
投票行動にどのような動きがあったのか、これまでのところはわかりません。しかし、名護市長選挙の状況から幾分は推測することができます。

現地からのさまざまな報道、ブログなどの情報を見てみると、やはり名護市長選挙と同じく陸自ミサイル部隊の配備を争点から徹底的にはずす作戦。二階幹事長も石垣入りし中央とのパイプを強調する利益誘導型の強力なてこ入れ、さらに現地右翼新聞「八重山日報」が連日例の調子で危機をあおり立て、デマ・中傷を流す。たとえば、こんな記事も。ひどいもんです。
安曇野で「平穏無事」な生活を営んでいる人間にとっては別世界の話かと思われるような「激烈」なぶつかり合いがこんな小さな島でも日常的に起こっている。それが、単に島だけの問題ではなく、この国の形にかかわる政治、軍事、経済、文化などすべてにストレートに関連する問題として突きつけられているということです。
たとえば、次の八重山日報の写真に登場する千葉麗子。八重山日報で「パヨッてる場合じゃない!」という連載を載せていて、その中でとんでもないことをいろいろと書き連ねている(新聞記事は「チョコレート同盟」より)。普通の新聞がこんなプロフィールを載せますかね?私も沖縄滞在中、八重山日報を読んでいましたが一事が万事です。



千葉麗子プロフィール

理性・分別というレベルではもはやなく、感覚・情動に訴え「意識操作」する。サブリミナル的な刷り込みを行う、挙げ句の果てはカネです。「いま基地が問題なのではない、この島の経済、人口問題をどうするかなのだ。北朝鮮や中国の脅威から国を守るために政府が行おうとしていることは国の問題なのだ。国との連携なしでどのようにこの島を豊かにするのか・・・」などと言い立てて、市民を誘導する。政策での論争は徹底して避ける。
これはすでに一つ一つの自治体で起こっている端的な例、縮図、そして、次のあなたの町に起こることではないのか。



  3月11日(日) その2
今日夜松本からの仕事帰り、家に着いて空を見上げたら何という星の多さ、明るさ。沖縄で見た星の数の比ではありません。雨でホコリが流され、空気が乾燥しているからなのか、今日が特別なのか、最近にない美しさです。

沖縄から帰って徐々に忙しさが増しています。今朝は集落のいっせい川ざらえの日。秋から冬にかけて農業用水や側溝にたまった土砂やゴミを取り除き、春の農作業に備えるための作業日です。この日がくると、いよいよ春の仕事が始まるなという気にさせられます。
先日の大雨のせいか、ことのほか土砂がたまっていて、重機まで出動する大事に。それぞれ懸命に作業に励みました。


次の記事は、最近の備忘録がわり。
大糸タイムスが3月8日付けで、3月3日に行ったバラの会の選定作業の様子を紹介してくれました。






  3月11日(日)
3.11から7年が経ちました。福島では作業員の皆さんの決死の努力にもかかわらず、いまだにデブリ取り出しのメドもたたず、廃炉までの工程表も形だけのもの。
テレビでは、急いでデブリを取り出すことより、作業員の被爆の危険を考えれば、放射能の減衰を待つという100年単位の時間をかけることも方法の一つだと解説する人もいました。
原発周辺の自治体では、帰還困難区域が解除されても帰れるはずもない人が大勢。棄民政策としかいえない安倍政治の貧困に人々の苦難が一層深まっています。

MNEMOさんが「When there's no-one left to hear」という曲をYouTubeにアップしていらっしゃいました。ご本人のブログによれば、今から30年近くも前の演奏で、新たに友人の栗田さんの映像作品にのせて発表したものだということ。
言うまでもなく、福島原発事故に広島・長崎を重ね、核廃絶を願う心をこめた3.11への一つのメッセージとなっています。


ブログには、次のようにありました。

この演奏は1990年のもの、まさか今のこんな状況で発表されるとはと
本人も言っています。もう28年も前の演奏も、歌詞も、ひとつも古びていないと
私などは勝手に思っています。意味はむしろ倍加以上ではないのか、と。
どうぞよろしければ拡散のご協力を。


というわけですので、及ばずながらここで紹介させてもらった次第。
著作権がありますから、歌詞はここには載せられませんが、なかなかに難しい。私などは多分そうなんだろうなという程度にしか理解できないので困っています。
実は、昨日近くに住むカナダ人の友人(奥さんは日本人)と、この歌詞について話をする機会がありました。彼もまたこの国の政権の核への後ろ向きでアメリカべったりの政策には怒り心頭といった面持ちで、この歌詞の持つ深い意味を解説しながらしきりに感心していました。
私が「『balance of fear』ってのはいわゆる核兵器の恐怖の均衡のことかなあ」と言うと、「nuclear powerの意味もある。balanceには天秤で釣り合っているようなバランスだけではなくて、片方が強い力をもった状態での不均衡的バランスもある」と両手を広げて説明する。私が「それじゃアンバランスじゃないの」と言ったら、「政府が恐怖を与えるパワーをキープしたい」という意味も含まれると力説していました。
なんの前提もなく歌詞について話をしたわけですから、彼はMNEMOさんの思いや考えを十分理解しているわけじゃない。それはそれとして、奥さんも交えてずいぶん話が弾みました。



  3月9日(金)
昨日午前中は雪、その後はかなり激しい雨になり、今日の午前中まで続きましたが、昼頃ようやく雨も上がりました。沖縄の気候が懐かしい。

自民党参議院議員に和田正宗というお方がいらっしゃいます。もとNHKアナウンサーで、40歳近くで局をやめて「みんなの党」から参議院(宮城選挙区)に出馬し初当選、その後は次世代の党に移り、2017年自民党に入党しています。
次世代の党にいた2015年には「美しい日本の憲法をつくる宮城県民の会」の代表代行をつとめ憲法改正を目指す活動を行い、自民党内でも最右翼の政治家として「確かな国家観を持ち、日本を背負う政治家になる」と大変覚えめでたい(管義偉官房長官)政治家の一人です。
「天皇元首化」「集団的自衛権」「極東裁判史観打破」などを主張し、「日本会議国会議員懇談会」「みんなで靖国神社に参拝する国会 議員の会」に所属。もちろん改憲にも熱心で「自主憲法研究会」の事務局長をつとめるなどなかなかの右派代議士ぶりです。

最近この方のフェイスブックに、安倍晋三さんがある書き込みをしたことでにわかに注目が集まっている様子。
この方は連日のように朝日新聞批判を書いていらっしゃるのですが、ある日、「朝日新聞が籠池さんの証言のままに新設小学校の名称を(当初の設立趣意書に)『安倍晋三記念小学校』とする誤報を出したが、そのことをいまだに謝罪していない」との記事をアップしいました。この和田議員の記事に、こともあろうに安倍首相自身がコメントを寄せ「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」と書き込んだのです。和田議員はもちろん感激して「総理、有難うございます」
まあ、トランプさんの例もありますから、これだけを見れば目くじらを立てるほどのことでもないのでしょうが、実は首相自らが特定議員のFBに書き込むなどというのは異例中の異例のことなんですね。
しかも、この和田議員の書き込みのほとんどが超右翼的な内容ですから、同類の方々を集めて大変盛り上がっている。そこへ安倍首相の書き込みです。
もっとも最近では、同じ朝日新聞のスクープで決裁文書の書き換え疑惑がいよいよ深まっており、ひょっとしたらブーメランになるのかも・・・と考えたのか、かなり焦りの色も見え、次のような書き込みも見られました。しかも次第に、朝日のスクープは、朝日と反安倍の官僚・政治家の結託によるものではないのか、というトーンに変わってきていることが特徴です。彼らの主張の推移から目が離せませんね。

さて、今日、前財務省理財局長、現国税庁長官の佐川宣寿氏が辞任しました。確定申告の時期でもあり、疑惑もいよいよ深まり、国会でのシレーッとした虚偽答弁に改めて注目が集まり、このままではもう持たないと判断したのかどうか。
各紙は「事実上の更迭」「安倍晋三首相の政権運営への打撃となるのは必至」と書き、野党も「トカゲの尻尾切り。幕引きは許されない」(立憲民主)、「辞めて済む話ではない」「『佐川隠し』をやってきた安倍政権の責任は極めて重大」(共産)などと手厳しく批判。ただ、やめさせることで事実隠蔽を完全なものにしようという安倍政権の思惑も据えて見えます。
もともと総理の意向に沿って法外な値引きをしたことに端を発しているわけですから、いったん亀裂が生じた綻びはいよいよ広がるばかり。安倍お友達政治、忖度政治の闇を徹底的にあぶり出してほしいものです。



  3月8日(木)
朝のNHKドラマはいま1939(昭和14)年、戦地で漫才を「武器」に慰問する「わろてんか慰問団」の様子を描いています。
ドラマの部隊については、実際の戦場が描かれているわけではありませんから、従ってそこに出てくる兵士たちはみなりりしい若者であり、不安を抱えつつ漫才には大笑いして憂さを晴らす・・・そのように「おとなしく」描かれています。

ところで、石川達三の「生きている兵隊」は1937(昭和12)年の夏、上海から南京に向かう部隊に密着してそれが遭遇する戦争と兵士が描かれています。
海軍の謀略(大山事件)をテコに、上海で戦火をひらいた日本陸海軍は「暴支膺懲」の名の下に上海に大部隊を派遣。陸軍は上海派遣軍(松井石根司令官)を出動させ、中国との全面戦争に突入します。海軍もまた南京やその他の小都市への空爆を実施。
国際世論の批判が道義的責任の追及で終わった(ブリュッセル会議)ことを見て、武藤章を参謀副長とする現地中支那方面軍(上海派遣軍および第10軍から編成)は、参謀次長の統制にも従わずに、上海戦で疲弊した大軍を南京攻略に向かわせるのです。大本営はその独断専行を追認、南京攻略を命令します。
食料の補給、装備、運輸などは全く不十分であったために「現地挑発=略奪」に頼り、これが中国側の被害をいっそう大きくしたことはよく知られた史実です。

「生きている兵隊」の部隊はまさにその中の1部隊が中心になっています。著者は、現地に遅れて入ったために同行取材したわけではなく、直接南京虐殺の現場を目撃してもいません。しかし、「なお血なまぐさい、なまなましい事件後の状況を見聞きすることは可能であり、そこで日本軍の実態に接してふかい衝撃をうけた」(「あとがき」半藤一利)のでした。
戦争のリアルさを伝えたいという著者の「若気の至り」であったにせよ、現地民間人の殺害、略奪、捕虜の虐殺、強姦などの様子を生々しく描いたことは当時とすれば驚異的なことでした。
著者とすれば「これが戦争なのだ」という意識で書いたのでしょうが、軍の上層部はこれを出版した「中央公論」に対して「反軍的内容をもった時局柄不穏当な作品」として発売禁止を通告。石川には「新聞紙法違反」で禁固4ヶ月、執行猶予3年の判決が下されます。判決理由は「皇軍兵士の非戦闘員殺戮、掠奪、軍紀弛緩の状況を記述したる安寧秩序を紊乱する事項の執筆」でした。発禁処分のみならず刑事処分まで科せられたのです。

なぜ、このようなことを書き始めたのかといえば、過去に何度も書いたように日本に都合の悪いことを言ったり書いたりすることは「他国を利することですなわち反日だ」という論調がますます強まっており、それは戦前の言論統制の「現代版」に他ならないと思うからです。

NHKが今年の1月、未解決事件ファイルとして赤報隊事件についての番組を放送しました。
水島朝穂さんは2月19日のブログにおいて、「安倍政権と日本社会の『赤報隊』化」という一文を書いています。

何よりも、かつて「反日」という言葉を使うのは右翼に限られていた。しかし、いまは「反日」という言葉を使う本や雑誌は書店にあふれ、街頭デモのスローガンやネット上で普通に使われるようになった。これは巨大な変化である。昔は「非国民」、いま「反日」。私に対しても、ネットでは「反日教授」というレッテルがはられている。
「赤報隊」が主張した「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」という問題意識は、いま一国の総理大臣の頭をしっかり支配している。「反日」をたたくのに散弾銃は使わず、ツイートや言葉の散弾で相手を萎縮させている。


「赤報隊」による朝日新聞襲撃事件を素材にしたドラマを見て(NHKオンデマンド)いると、水島さんの言う「日本社会の『赤報隊』化」という意味がいよいよ現実のものとして実感させられるのです。
NHKドラマの最後で示唆されていたごとく、言葉だけではなく、暴力による言論へのテロが心配される素地ができあがっている。「赤報隊」が登場する舞台が準備されている。



  3月7日(水)
夕方、地域の自主防災会の役員会がありました。月末の総会で新しい方針を決定し、具体的に防災体制の完備に向けた取り組みを始めることになります。
それに参加したある方が「沖縄から帰ってきたと思ったら、また米軍機が何かを落としたよな」とあきれ顔で私に耳打ちしました。嘉手納基地に所属するF15戦闘機が飛行中に重さ1.4キロのアンテナのような部品を2月末に落下させたというニュースのことなのでしょう。
また6日午後には航空自衛隊のヘリが外れたドアを落下させたというニュースも。なぜこうも連続して同種の事件が起こるのか。整備体制に大きな問題があるのではないか、いずれとんでもない重大事故を起こすのではないかという恐ろしい予感すらさせる言語道断の事件です。
「はらわたが煮えくり返るような気持ちだ。(事故が頻発し、改善を求めてきた)今までの経緯がなかったかのごときもので、たがが緩んでいると言わざるを得ない」という翁長知事の怒りは沖縄県民の気持ちをそのまま伝えています。

辺野古での新基地建設をめぐって、重大な問題が明らかになりました。
大浦湾の工事現場には活断層があるのではないかという指摘が以前からありました。政府はそれを否定しつつも、2014年から工事のためのボーリング調査を行いデータを蓄積してきていました。
このほど、市民・専門家側からのデータ公開の要求に対して政府がようやく地質調査資料の提出に応じ、その中で重大な事実が明らかになったというのです。
土木専門家の北上田さんのブログによれば、大浦湾のケーソン護岸の辺りは深い谷になっていて、そこには「非常に緩い、柔らかい谷埋堆積物(砂質土・粘性土)が層厚40mも堆積している」(報告書7-18)「当該地においては、構造物の安定、地盤の圧密沈下、地盤の液状化の詳細検討を行うことが必須と考える」(報告書7-19)というのです。防衛局も「『活断層の疑いがある線構造に分類されている』と明記し、活断層の可能性を指摘」しているとも報道されています。
辺野古沖でのボーリング調査、工事については2,3年前から別の専門家からも注目すべき指摘もありました。
軟弱地盤をそのままにすることはできず、工法変更、手続き変更が避けられないわけで、「防衛局はきわめて深刻な事態に直面している」(北上田さん)のです。(下の図は北上田さんのブログより)


次はその事実を報じる今日の琉球新報切り抜き(北上田さんのブログより)。


沖縄タイムスもこの地質調査資料について報道しています。にもかかわらず、今日も建設現場では採石の搬入が続き、K4、K2の両護岸造成工事が続けられているのですから、防衛局はもうほとんど八方破れの構え。あらゆる権限を知事から奪わなければ、完成にはこぎ着けられないし、しかも今回明らかになった矛盾を解決するためには、さらに膨大な予算と時間を使わざるをえません。つまり、このままでは工事は永久に完成しません。
このまま見境なく工事を続けさせてはなりません。大義名分を得たのですから、知事はその権限を発動し「埋め立て承認『撤回』」に踏み切るときではないでしょうか。



  3月6日(火) その2
国会が異様な状態になっていますね。森友学園への土地売却をめぐる近畿財務局の決算文書に改ざんの疑いがあることを3月2日に朝日新聞が報じたことが発端でした。
どこがどのように改ざんされているのかは、民進党の小西洋之議員が具体的に資料を示して追及したと田中龍作が伝えていました。通常なら決裁文書はチェックのための黒丸が文末につけられる)のに、国会に提出された100ページの決済文書のうち12ページ(主に「調書」の部分)に黒丸がない(朝日の報道とも一致する)というわけです。
麻生財務大臣をはじめ、政府はとにかく逃げの一手。その一方で情報提供者を血眼で捜しているという話も伝わってきます。

私が注目するのは、根っこから腐り果てた安倍政権の政治にもかかわらず、その延命のためにネットや週刊誌・月刊誌などで「情報」をまき散らす動きが加速していること。私の見る限り、政治腐敗の速度を上回ってデマ・中傷の類いが拡大しているということです。
いわゆる「ネトウヨ」現象などはその一端にすぎません。もっと奥深く、幅広く、思いがけないところにまでその勢いは広がりを見せているのではないかというのが私の見立てです。
それに対する反撃は相当程度進んではいますが、全く十分ではない。以前から繰り返し主張していることですが、「あんなやつら」で片付けるわけには絶対にいかないのです。
沖縄では「OspreyFuanClubうようよ対策課」「Voices from Okinawa」などが精力的に「ネット対応」でたたかっています。ネット右翼のでたらめさ加減が相当なものだから、沖縄ではある意味分かりやすい。
日本全体でも「LITERA」のサイトでネトウヨ批判が展開されています。それでもこの程度じゃまだまだちから及ばずです。
沖縄の基地問題などでの言説でみたように、デマ・フェイクの出所は決まっている。それを膨らませるか、アレンジするかなので、拡散するのは至って簡単。私たちのように、一つ一つ調べて分析し批判するなんて手間は全く必要ないのですから、それは楽でしょう。
たとえば極右の側からの「朝日つぶし」は目を覆いたくなるほどの規模と悪質さで、執拗にくりかえされている。その「一角」を担う百田尚樹に至っては「朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ」(1/13ツイッター)と読者に対してまで「殲滅宣言」する始末。
今度の朝日のスクープは当然ながら慎重にも慎重を重ねて、彼らに対する真っ向からのカウンターとして放ったものだともいえます。それゆえ、朝日新聞をめぐる右からの攻撃はいっそう熾烈さを増すことになるし、実際そうなっています。
これを人ごととみてよいのか。他の言論機関への攻撃、日本の民主主義の死活問題と見なくてよいのか、鋭く問われていると私は考えています。
政権批判、旧日本軍の侵略行為批判をすればすべて「反日」とひとくくりで片付けるやり方。戦前の「非国民」と全く同じトーンでいま言論の封殺が始まっているのではないのか。支配者は「草の根」からそれを広げようとしている。問題はその「草の根」が一部の財界人、業界人、高級官僚出身者、政治家などによって手厚く「保護」されているということです。こうした肥大化した極右言論は、まじめな議論に水をさし、分断し、議論そのものを成立させないように作用する。フェイクであることがバレても、すでにそのニュースは拡散した後だから、目的は達せられたことになる。
自分の頭で考え、調べ、批判する。ネットでの情報に接するには、それだけの覚悟が必要になってきています。一昔前の素朴なネットの世界とは様相がまるで変わってきていますね。
別にムキになって、批判しようとする必要はない。歴史なら歴史で、今日までの歴史学の到達点にたって史実をたどり、いっそう豊かに歴史をひもとくことがあればよいだけです。それがそのまま批判に結びつくのですから。
沖縄なら本当に現場にでかけて、何日もいっしょにいて(同じ行動をする必要はない)見聞きして自分の頭で考えればよいだけです。



  3月6日(火)
昨夜、無事池田町に着きました。まあ、昨日はとにかくいろいろあって、予定通りことがすすまず、結局一日中座りっぱなしで腰が相当に痛くなってしまいました。
知人に送ってもらって那覇空港に着いたのが10時ちょっと過ぎ。飛行機の予定は12時10分だったので、レストランでゆっくり過ごして、持ち物の検査をうけたあとチェックイン。
さあ、もう少しだと思ったら、西日本での悪天候のせいなのか空路が相当に混んでいて管制塔から待機指示が出て、1時間半ほど遅れるというアナウンス。これまでは遅れても2,30分だったので、それまで空港で待ったと同じくらいの時間待たなければならなくなってしまいました。
幸い、待っている途中で待機指示が解除になったとかで30分早まるというアナウンスが。しかし、前の放送を聞いた人が時間までに搭乗口にやってこない。結局1時間10分ほど待ってようやく離陸しました。
飛行は順調で、中部国際空港についたのは3時20分くらい。名古屋駅発の列車は午後4時だったので、結局間に合わず、またまた名古屋駅で1時間半ほど待機。午後8時近くにようやく松本駅についたという次第。
妻が松本駅まで迎えに来てくれて、9時少し前にやっとなつかしの我が家に。

1ヶ月のブランクでも飼い猫のハルちゃん、「どこに行っていた」とばかり大きな声で鳴きながら、私の膝の上にやってきて安心した様子。それ以来自分が眠たいときに「一緒に寝よう」と鳴いてみたり、前よりいっそう甘えん坊になっている様子でした。

昨日は名古屋はひどい雨で、列車で走っている間中雨模様。名古屋はそれほど寒い感じはなかったのに、松本に着いたとたん冷たい強風にあおられて、一気に雪国に来たという感じに襲われました。
家についても寒い寒い。新緑、花にあふれたヤンバルと大違いの、まだ寒々とした池田町の田畑・山林のたたずまい。寒さに慣れるまでにしばらくかかりそうです。
そんなわけで、トップの画像もしばらくそのままにして、池田でよい写真が撮れたら更新することとしますね、あしからず。



  3月4日(日)
今日はまた日差しが強く、昼過ぎにはもう夏日。Tシャツ一枚でも汗をかくほどです。


午前中は、義弟のお参りにでかけ、家族(奥さんと息子さん)と小一時間話をしてきました。昨日はグソー正月で親戚関係がたくさん集まり疲れたと言っていました。
その後、最後のドライブとして、知念半島を一回り。百名から斎場御嶽(せーふぁうたき)をまわり、佐敷に出て、母のカジマヤーを行ったユインチホテルの横を通ってまた元に戻るというコース。
知念岬と斎場御嶽は観光客で一杯でしたが、あとは閑散としたもの。昼過ぎにガソリンを満タンにして返すだけにしました。家に帰って一休み。庭では義兄が木々の手入れをしているようです。


夕方、レンタルの車を無事返し、知人(明日空港まで送ってくれる)と夜食事に行く約束をしているため、その間本を読みながらパソコンに向かっています。
先日来ネット検索や動画の再生(「自由なラジオ」の放送を聞いていた)の頻度が高かったためか、ネット速度が極端に遅くなって、自分のサイトにホームページをアップするのにも支障を来している状態。よって、この後の記事は帰ってからまた書くことにして沖縄からはここまでとします。



  3月3日(土)
今日池田町では「バラの会」の剪定作業の日。みなさん、寒い中ですが、一年の最初の作業です。よろしくお願いいたします。
長野方面は晴れの予報なのでうまくいくのではないかと期待しています。

名護市羽地のこの部屋で、こうしてパソコンに向かっていると、一昨年暮れの「公民館使用許可取り消し問題」で池田町の仲間のみなさんとやり取りをしたことが昨日のように思い出されます。
あのときは11月〜12月で、月は違いましたが、日の取り方は今回とよく似ていました。今回は何事もなく無事沖縄滞在を終えられそうで何より。
帰ったら、またいろいろと仕事が待っていますので、出来ることなら帰りたくない!!とにかく暖かいのが一番。

さて、これから南部南城市に向かおうと最後の仕上げをしていたら、突然の大雨。寝具などを車に積むこともできず、しばらく様子見です。
「かたぶい」であってくれたらいいのですが、前線による本格的な雨ならちょっとやみそうにないかも。空をにらみながら、どうしようかと思案しているところです。

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雨が止みそうにないので、ほんのちょっと小降りになったのを見計らって布団など荷物をすべて積んで、とにかく出発。
猛烈な雨になったので、高速を使わず石川インターまで一般道を走りました。すれ違う車はすべてライトをつけてワイパーをフル往復。高速に入ってから、中城PAで昼を食べたりコーヒーを飲んだりして相当に時間をつぶし、南城市に着いたのは結局12時少し前でした。
母のいる施設についたときはすでに昼食中。昼食が終わって引き上げてきた母の顔は、風呂上がりもあってサッパリとして大変元気に見えました。


私の顔を見るといつも口癖のように言うのは「ちゃんとご飯食べてるの?」・・・母親だねえ。どこの親もいっしょか。
「帰ったらさみしくなるねえ」「またすぐに来ることができるから。今度はのりこと一緒にくるから」「そうだね」「長生きして、100才のお祝いをしましょう」「自分でいろんなことができるうちだね」「まだまだ自分でいろんなことやっているでしょ。しぶとく100まで生きるって言ってたから」・・・などという話をして、お別れをしてきました。
例によって、また2階の窓から私の姿が見えなくなるまで手を振ってくれました。

その後は部屋を借りたお礼に大家さんのお宅にお邪魔しました。ご夫婦とも多趣味の方で活動的なので、釣りの話をはじめ趣味の話などで盛り上がりました。

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夕方まで少し時間があったのと、少し雨が弱くなったので、そのまま摩文仁の丘に向かいました。ここはいつ来ても身が引き締まります。とくに断崖絶壁の下に広がるリーフと砕ける潮を見ると、ここまで追い詰められ逃げ場を失った人たちの姿を少しでも想像してみなければという気持ちにさせられます。


平和祈念資料館の裏手に車をとめて、海に向かっていくと沖縄工業健児の塔が立っていました。普通こんな裏手には来ることはありませんから、私もここにこのような碑があるなんて知りませんでした。沖縄戦で亡くなったたくさんの生徒たちの名前が碑に刻まれていました。


海に沿って祈念館をまわると見慣れた広場に出ます。時間が遅いのと天候が悪いのとでほとんど人気なし。一回りして、車まで戻りました。




帰り道、ガンガラーの谷に寄ってコーヒーを飲んでいるうちに日差しが見えてきました。明日は天気も回復してくれるのでしょうか。




妻に電話で今日のバラ剪定作業の様子を聞いていたら、天気もよく15人ほど集まったということ。うまくいったようでした。
「代表が帰ってから仕事がないと困るから、剪定の木を残しておいた」と言う。誰の発案かだいたい想像できます。

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名護から南城市に向かう道すがら、キャンプシュワブの前を通りがかりました。今日は第1土曜日で、全県から辺野古基地前集会にみなさんが集まる日。ところがこの豪雨。さすがに朝10時前は60〜70人くらいだったようですが、昼の集会には250〜300人が集まったのだといいます。この雨の中、よく集まったものです。
何人かのブログによれば、沖縄各地だけではなく、全国各地から来た人もいて、報告あり替え歌ありで、大変楽しい集会だったといいます。富山の人もいて志賀原発敷地内の活断層の話もあったのだとか。
沖縄では今日は「グソー(あの世)の正月」で、そういえば昨年亡くなった義弟の家でも法要が営まれたと聞きました。各家庭で行事が組まれている人もいて、第1土曜日にしてはいつもより少なめということのようでしたが、これだけの人数が集まれば砕石の搬入はなし。そのためかゲート前には警備員の姿がほとんど見えませんでした。

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午後8時。すっかり暗くなった空には無数の星が。ど真ん中にオリオンが見えます。MNEMOさん見たいだろうなあ、こんな星空。
月の出るのが遅いので、まだ星がたくさん輝いています。雨で空気がきれいになったからでしょうか。
ただ、昔見た沖縄の空とは違います。星は見えるものの、あの降るような星ではありません。地球の大気全体が相当に汚れているからなのかもしれません。
もっとも老眼の進んだ目には、さすがにくっきりはっきりというわけにはいかないのが悲しい。
静かな闇を切り裂いて、ひっきりなしに航空機の音が聞こえます。この音はジェット旅客機。名護で聞くあの戦闘機の轟音とは全く違います。南城市の東側が那覇空港から飛び立った航空機の飛行経路になっているからなのでしょう。
明後日、私も南城市の上空を飛んで(?)中部国際空港に向かいます。



  3月2日(金) その2
午前中のウェブ・ニュースで、防衛局がオキナワハマサンゴの移植期間延長を求めていた変更申請を県が不許可とする方針を固めたとありました。
当初は許可を与えていて、かなり強い批判があったのですが、その後サンゴに食害の跡がみつかったこともあって、不許可とし、今日付けで採捕許可が無効になったと報道されていました。
このニュース、すでに辺野古のキャンプ・シュワブ前には朝早くに伝わっていたようで、このニュースが座り込みのみなさんに伝えられると「オー」という声があがったと沖縄タイムスの記者が伝えていました。
名護市長選をはじめ、各地の自治体で「オール沖縄」勢力の負けが込んできて、11月の知事選挙に向けていろいろな憶測が流れてきている昨今、翁長知事の「埋め立て承認撤回」があるのかないのか、いつなのかという点にも注目が集まっています。
県議会では、自民党の議員から「やるやるというがいつ撤回するのか、やるやる詐欺ではないのか」という質問まで出るし待つ。これに対して翁長知事は「自民党から撤回しろという声がでて、いよいよオール沖縄に近づいている」とかわし、「法的な措置を含めて検討をしている」と従来の考えをのべるだけ。
これには与野党双方からの批判も強まっており、島ぐるみ会議の顔でもあった呉屋共同代表が辞任を表明するなど一定の矛盾も強まっています。翁長知事の揺れに対しては原則的な批判は批判としてしつつも、安倍政権と結託した自公の攻撃には毅然として対決し、辺野古基地を許さない世論を広く深く作り上げていかなければならないでしょう。

早朝には、西表島で震度5弱の地震があったとのニュースもありました。琉球弧に沿ったプレートの沈み込みにともなう地震は、西表だけではなく本島でも十分にありえます。もし津波が押し寄せれば海岸沿いの町はひとたまりもありませんから、こちらの方では、対策をどのようにしているのでしょうか。
幸い人的な被害はなかったとのことですから、ひとまず安心ですが、さらに大きな地震の予兆でなければと大変気になります。

さて、午後4時、荷物を発送し、部屋の片付け・掃除を終えてお風呂に入り、すべて完了。あとは明日の朝、玉城に向けて出発するだけになりました。
妻に電話していたときに、野菜を送りたいのだけれどというと、「いいよ、いいよ、いらない」と言われてしまいました。が、・・・荷物の発送がてら大宜味の道の駅に行ってみたら、でっかい大宜味大根やら、うまそうなトマトやら、いろいろ野菜が並んでいる。いま畑から到着したというキャベツ満載の軽トラもいて、思わず一箱分買っちゃいました。野菜たち、長野に行きたそうな顔をしていましたから。送料をいれれば勿論それなりの値段にはなりますが、新鮮さと大きさの魅力には勝てませんでした。
大きい大根はさすがに送るわけには行かず、大家さんに届けるつもりで買いました。小さいのを選んだつもりですが重い。人の太ももほどもあります。






  3月2日(金)
よく晴れた朝の室内はひんやり。しかし、外は穏やかで暖かく、ちょっとすり切れた羽の蝶が飛び回っていました。シークヮーサーの花も咲き始めていましたよ。



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そもそも働き方「改革」どころか働き方「改悪」、いや労基法の根幹をつきくずし、一点突破で無制限の長時間労働、サービス残業を強要する究極の労働法制破壊である「裁量労働制」の導入(正確には対象拡大)。
これをめぐってかの「優秀」である(はずの)厚労省職員のみなさんが、よってたかって杜撰な「調査」による労働時間の不正データを裁量労働制拡大の根拠にしようとしていたんですねえ。
要するに、何とかして一般労働者の労働時間より裁量労働の働き方の方が労働時間も短いのだ、だから導入しても何ら問題がないのだということを示したい、そこに向かって都合の良いデータを集めただけ、都合の悪いものは無視したり捨てたりしただけです。
ダイヤモンド・オンラインは、森友・加計疑惑と同じように官僚による政権への忖度の疑惑が濃厚で、「官僚の忖度が、あり得ない不適切なデータを生み出してしまいかねないという安倍政権の危うい姿」だと書いています。
素人が見ても容易にわかる初歩的で幼稚なデータ異常値(たとえば1日の残業がゼロ分なのに、1週間、1ヶ月の残業時間が)がだいたい、1日の残業時間が計上されていたり、逆に1日の残業時間が5時間なのに、1週間、1ヶ月となると短くなるなど)が大量に見つかったり、「なくなったはず」の原票が倉庫から大量に出てきたというのですから、訳が分かりません。
働き方改革を本気でやろうとするなら、非正規雇用の拡大をとめ、基本を正規労働においた法整備をしっかり整えて長時間労働を是正させることでしょう。さらに、全国一律最賃制度を確立し賃金引き上げに真剣に取り組むこと、これしかありません。財界の使い捨て政策に沿って労働者をいいように使い回す今日の政策のもとでは、結婚すらできない、自分の家も一生持てない若い世代をさらに作りだし、結局再生産の基盤をどんどん掘り崩すという結果にしかならないでしょう。少子化に歯止めがかからないのにも理由があるのです。

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今朝午前1時過ぎに西表島で震度5弱M5.6の地震があったようです。宮古・八重山地方ではかなりの揺れを感じたようですが、本島は全く影響なし。
しかし、同じ海溝沿いの琉球弧ですから、いつ本島でも大規模な地震が発生してもおかしくありません。沿岸部に住宅地の多い島ですから、一旦津波が押し寄せれば大きな被害が発生します。沖縄でどのように対策が講じられているのかあまりそんな聞かないので、心配になってしまいます。

ただいま午前10時。いまから部屋の撤収と大掃除にとりかかります。



  3月1日(木)
40代以下の人に「3.1ビキニデーって何のこと?」と聞いても、おそらくほとんどが分からないでしょうね。それほど昔のことになってしまった第5福竜丸被曝の日。
1954年3月1日、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験によって、当時アメリカが設定した危険水域外で創業していたマグロ漁船第5福竜丸の乗組員23名が被曝、無線長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなったのでした。当時被曝した漁船は第5福竜丸だけではなく数百隻にのぼるとみられています。(他の漁船の被曝の事実についてはこちら
この事件をきっかけに日本国内では核兵器全面禁止・廃絶をもとめる反核運動が高まり今日まで受け継がれていきます。この日もまた3.1ビキニ・デーとなり、さまざまなイベントが取り組まれてきました。
一方、マーシャル諸島の住民もまた水爆実験の被害にさらされていたのですが、当時は日本国内でさえほとんど注目されていませんでした。
アメリカが信託統治したこの島々の人々にどのようなことをしたのかは、沖縄の人々に対する行為に輪をかけてひどい非人間的なものでした。これについてはその後被曝の実相とアメリカの対応、政策などもその後克明に調査されてきました。(それらについてはこちらのレポート「復刻版・第五福竜丸のむこう側 マーシャル諸島の被爆者」が一番わかりやすいかも)。上の写真はその中に収録されている「降り積もった死の灰の中で遊ぶロンゲラップの子どもたち」。

今年の3.1ビキニデー集会は静岡県焼津市を中心に2月27日から今日までの日程で開かれています。これらについて、メディアはもっともっと関心を持って知らせるべきではないのでしょうか。ほとんど沈黙状態ですからね。
この日、せめて映像などからこの日の意味を考えてみてもいいのではないでしょうか。

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午前中、嘉手納基地を見に行って「道の駅」の展望台にしばらくいたのですが、全く動きがなく、そのまますごすごと帰ってきてしまいました。
午後ウトウトとしていたら3時頃、米軍戦闘機のもの凄い轟音で目が覚めた。この時間までいたら離発着の様子が観察できたかもしれなかったですね。
カメラのホワイト・バランスが間違った設定になっていて写真がひどい状態に。ショック。ま、何もなかったからよかったけれど。
行きがけに、辺野古のゲート前を通りかかったら、今日はもう9時前から規制して昨日から待機していたらしい大型ダンプなどをどんどん出していた。昨日は100人以上が抗議行動をしていましたから、防衛局も相当頭にきていたかも。

さて、長いように思えた沖縄生活もあとわずか。明日は部屋の片付け・掃除、帰り支度。3日午前中には南部に戻ります。
全国的に気温が高くなっているとニュースで話していましたね。沖縄も今日日中は気温が上がって、室内でもついにTシャツで過ごしています。

日が暮れて7時半頃、すてきな満月がすっきりと浮かんでいます。例によってわがバカチョンでは写しきれないのが残念。ITシナノのTさんなら素晴らしいショットをものにするのに・・・。




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