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  5月31日(金) 
今日は早朝から15人ほどが集まって、明日からのバラ祭りの準備。テントを張って机椅子を並べる、案内掲示を張り出す、駐車場の準備をする、販売物などの準備をするなど大忙し。それでも12時きっかりにすべての作業を終えることができてホッと一安心でした。
ときどき小雨の混じるあいにくの天気でしたが、新聞記事を見て訪れる人が結構いて会員は丁寧に対応にあたっていました。


花の咲き方は遅いとはいえ、明日・明後日は天気も回復する予報なので、それなりに訪問客も多いことが予想され、忙しい1日となりそうです。
昨日は地元の大糸タイムスが祭りの告知記事を出してくれ、今日の午後からは市民タイムスの記者も来て明日の新聞に載せると約束してくれましたから、記事をみて訪れる人も多いのではないかと思います。
SBCラジオから月曜日朝早くに放送をしたいので対応してほしいと申し入れがあり、結局私が取材に応じることになりました。ま、顔は出ないのでよしとするか。


園内のバラは3分咲きというところか。それでも咲き始めのバラというのはいつ見てもみずみずしく、えもいわれぬ美しさがあります。葉のつややかさもこの時期ならではのもの。何なんでしょうね、人を惹きつけてやまない花の形、色合い、たたずまい・・・。今日はその中からいくつかを紹介しましょうね。ちょっとは雰囲気を味わえるかも。


カトリーヌ・ドヌーブ


パパメイアン


クイーン・エリザベス


マチルダ


うらら


ガルテン・ツァーバ'84


ボレロ


レッド・クイーン


ベル・ロマンチカ


マリア・カラス


新雪


恋心

それにしても、名前と携帯番号(年齢まで)出しまくり。個人情報に敏感な時代、それに抗う人間が一人ぐらいいてもいいか。




  5月30日(木) 
6月1日、2日がバラ祭り。今日は定例の作業日で、朝から会員がいつもの倍ほども集まって準備に汗を流しました。
みんなで作業をするとは言っても代表がやるべきことはおそらく他の会員の想像を超えているはず。私自身は代表者が仕事を背負い込むことには反対だしできる限り分担して仕事をしてきたつもりだけれど、それぞれが様々な事情を抱えている以上は代表としてやるべきことはどうしても出てくる。
今日のような日が毎週ならと思うけれど、絶対にそうはならない。そんなとき、私の胸の中では「否定的」な考えが頭をもたげてとても気分が重くなるのです。ここ2,3年、何度も何度も同じような思いを抱えながらバラ園の運営にあたって、正直なかなか苦しいものがあります。

ともあれ、今年のバラ祭りは何とか乗り切らないといけませんから、そうした気持ちを抑えて今日は朝から段取りを整えてバラ祭りに備えました。
チラシを県道沿いのコンビニや飲食店に持って行くと、もう何年も頼んで顔なじみになっているので快くチラシを店頭に置いてくれます。バラ園への訪問者が増えれば店にも潤いはあるはずですからお互い様ですからね。
今日は信濃毎日新聞がバラ祭りを報じてくれました。そのためもあってか、朝から何人もの訪問客があり、バラにカメラを向ける姿が見られました。不思議なことに私への問い合わせは全くなし。明日・明後日は多分結構な問い合わせがあるのではないかと予想しています。
このところの気温上昇と好天もあって、バラがようやく咲き始めバラ祭りには何とか見られるようになりそうでホッと一安心。こんな年は初めてです。
今日は全国的に晴れのエリアに入り、安曇野も乾燥した絶好の日和。北アルプスの雪も次第に少なくなり、どことなく夏山へと衣替えしそうな感じでした。明日から湿度も上がって、あまり天気はよくなさそうですが、雨が落ちてくれなければよしとしなければならないでしょう。精一杯おもてなしをすることにしましょう。




夕方は、子ども塾。松本駅西口近くの大きな病院の施設を借りて実施している「無料こどもじゅく」には結構な数の小学生・中学生が通っていますが、ほとんどは家族の送迎付きなので、途中の事故の心配はしなくて済んでいます。
保護者による送迎が難しいためにじゅくに通えないという子もいるはずで、何とか改善の余地はないものかと思うのですが、一昨日のような問題が起これば保護者の意識も外へは向かず、塾に通うこと自体自粛してしまうことも当然考えられます。
松本こどもじゅくはすぐに影響が出ることは考えにくいものの、今後のPRでは何らかの対応が求められることになるでしょう。
道で地域の人に会ったら挨拶しましょう、とその昔は奨励していたものが、最近では道で知らない人に会って声をかけられたら逃げましょうということになるのか。
私が池田町に来た当初は、子ども達は誰彼となく大きな声でこんにちはと声をかけてくれたものです。しかし最近は無視する子が目立ってきた。農作業をしていると、向こうから元気に声をかけてくれる子もいるにはいるのですが・・・。
こんなことが常態となる時代があるとすれば、それは人間社会の終末を意味すると私には思える。人間の結びつきを回復するために我々がなすべきことを今しなければ、気がついてもそのときは手遅れなんだろうな。



  5月29日(水) 
あまりに衝撃的で許しがたい事件が起きてしまいました。尊い命を奪われた方々に対して心からご冥福をお祈りいたします。また、負傷された方々には1日も早く全快されることを願うばかりです。

川崎市多摩区の登戸駅前は、私が東京在住時代に職場があった場所で、様々な思い出が詰まったところ。当時カリタス学園に通う高校生を教えていたし、誘われて学園祭に行ったこともありました。
当時私は町田市能ヶ谷(鶴川)に住んでいて、駅と職場の往復、せいぜい向ケ丘遊園方面へ歩いた程度で南部線沿いはほとんど行ったことがありませんでした。登戸駅は小田急線と南部線の乗換駅で、どうと言うこともない田舎の駅だったし、駅前も見るべき場所などほとんどない風情でしたから、こんなところでこんな凄惨な事件が引き起こされるなど到底信じらないことです。

事件を引き起こした犯人が自傷によって死亡した現在では、なぜ何のためにこんな殺戮に及んだのか、どのような推測もほとんど無力であるようにすら思えてきます。とはいえ、あらゆる手段を講じて今回の事件の背後になにがあるのかは探り続けなければなりません。
警察では監視カメラに興奮状態識別能力を持たせて、検知即通報というシステムを導入する動きがあるのだとか。こうした事件が起こされるたびに住民監視体制が強化されていくことには十分警戒するとしても、事件の解明とともにこの種の暴力的殺傷行為を未然に防ぐ努力は惜しんではならないでしょう。

池田町には小学校が二つあって、近くの小学校ではいつの頃からか下校時に子どもたち地震による呼びかけが放送されるようになりました。
「僕たち私たちの帰る時間となりました。地域のみなさんにはいつも見守りをしていただいてありがとうございます。これからも見守りをよろしくお願いします」というようなもの。
今日も畑で作業をしていると、この放送の前後から子ども達が三々五々集団であるいは一人で農道を歩いて帰ってきます。道の近くにいるときは「こんにちは」と挨拶を交わすことも多いのですが、今日は心なしか子どもも数が少ない。ひょっとしたら親が来るまで迎えに行ったかもしれませんね。それはともかく、地域でつねに見守られていると実際に子ども達が感じられることほど大切なことはないでしょう。
この事件の犯人のように、他人と没交渉になり被害妄想もしくは社会への恨みを募らせる人間は、これからもいくらでも出てくる可能性がある。残念ながらそれを止めることはできません。しかし、他人に危害を加える危険があるときに、それを押さえることができるのは地域の力です。
都会ではマンションに典型的に見られるように隣に誰が住んでいるのかさえわからない。私の東京時代はまさしくそうでしたから、ある意味で常に危険と隣り合わせ。だから監視カメラの設置台数に比例して人間関係は希薄となり孤立化を深めていかざるを得ません。
池田町のような農村ではある意味濃密な人間関係が形成され、自治会や公民館の活動として集約されているところではこの種の暴力は起こりにくいはずですが、反面いたずら目的の誘拐などは当然起こりうるわけで、全国で安全地帯などありません。
現在では、都会であれ地方であれ人間への影響はグローバルで直接的なのですから、いつ誰がどこでどのような社会的影響を受けて心理や行動が形成されるかは全く予測できない。そうだとすれば、それぞれの地域に応じた方法で、社会的な力(警察力との適切な連携も含めて)をつける以外にないのでは。幼い子ども達については、大人の意識的・組織的見守りがこれまで以上に必要になっているといえます。



  5月27日(月) 
トランプが訪日し、例に通りの「おもてなし」ですからほとんどニュースも見ない。もっぱらバラ園と畑仕事に集中しています。

今年のバラはまばらに咲いて去年の勢いはまるでなし。今年のバラ祭りはいったいどうなるのかと思うような状態です。日程は変えることはできませんから、このところの高温に期待するしかありません。
とはいえ、昨日・今日と全国を熱波が襲って異常な5月。安曇野は比較的落ち着いているとはいえ、今日は夕方室温が27度。散水をしたら28度になってしまった。
いくつかの植物は、おそらく気温の変化、とくに夜の気温の低さや、昼夜の温度差に敏感なのではないかと思われます。いつもなら半分ほどは芽を出しているゴーヤーが自家採種でも市販の種でも全滅。落花生も半分以上芽が出ないで植え替えたらそのうち2/3ほど何とか発芽した。
蔓を伸ばすゴーヤー、ヘチマ、インゲン、エンドウなどが全体として不調。それに対して冬を越すイチゴ、ニンニク、タマネギなどと、葉物野菜は比較的元気です。
全国的な気温の異常を見ていると、野菜農家には必ず影響があるはずで、「異常気象」で野菜高騰がニュースになった昨年の再現か、またはそれ以上の問題が起こりうるのではないかと心配です。

わが家では、レタス、キャベツが比較的順調に育っていて、昨日はレタス、今日は小さいキャベツとブロッコリーを1つずつ収穫して食卓にのせました。野菜に感謝。





  5月23日(木) 
日本人の氏名の英語表記について、柴山文部科学大臣が「名字を先にするよう関係機関などに要請する」との報道が数日前に流れました。それを聞いていて不思議だったのは、これを答申した国語審議会が「言語や文化の多様性を生かすため名字を先にするのが望ましい」としていたことが根拠になっていると報道されていること。一体「言語や文化の多様性」とは何ですかね。
ちなみに、国語審議会の答申を見てみると、そこには「『名−姓』の順とする慣習は、明治の欧化主義の時代に定着したものであり、欧米の人名の形式に合わせたものである」とその成り立ちをちゃんと書いていましたね。そして、今日では「人類の持つ言語や文化の多様性を人類全体が意識し、生かしていくべきである」という立場が表明され、それに続けて「各々の人名固有の形式が生きる形で紹介・記述されることが望ましい」と書かれていました。それなら納得できます。

1990年にワシントンポストの極東特派員として東京に来たトム・リード記者が「ニッポン見聞録」で面白いことを書いています。
90年代の日本の話ですが、ローマ字表記では「姓名」、「名姓」のどちらがいいかと日本人にアンケートを行ったところ、約6割が日本式の「姓名」の順だと答えたというのです。出身階層でみると、サラリーマン、教師、農民など一般市民はほとんどが日本式を選ぶと回答。しかし、政治家、学者、作家などエリート層はおおむね西洋式がよろしいと答えたと紹介していました。
トム・リードさんは日本に来る前後から、ワシントンポストで日本人名を書くときには日本式で書くべきだ、ワシントンポストが先鞭をつければ欧米のメディアも従うのではないかと主張し、上層部にも手紙を書いたそう。しかし、欧米で名前が出るエリート層が西欧式を望んでいることがわかって上司への説得が難しくなったとも書いていました。
その当時ワシントンポストのデスクはリードさんに次のように言ったそうな。「メディアの表記は当分変えない。日本人が日本式に名前を書いてほしいとはっきり言うまではな」

リードさんははじめ、西欧が表記を押しつけたんじゃないかと思っていたけれど、「歴史をひもとくと、日本の人名を西洋式書くという方式は、なんと日本に端を発しているのだということがわかった。西欧側が、文化的帝国主義を振りかざしたわけではなかった」ということを知って驚いたと語っているのです。「明治の改革者たちは、1870年ごろ、できる限り西洋人に近づきたい一心で、西洋式の名前の呼び方を採用していたのだ」とも。
だれがいつどのようにこうしたのかは私にはわかりませんが、ヘンだと思う人は多いはず。しかし、慣習だからというので、なし崩しにこれまでは従っていたのでしょう。
国語審議会ではずいぶん前に答申を出していますが、文科相の「要請」はあまりに遅く、また弱々しい。アジア諸国では日本だけがこのような呼び方になっている不自然さを直視して、なぜきっぱりと変更するようにできないのでしょうかね。
そういえば、長野でも「サイトウキネン・フェスティバル」が「セイジ・オザワ・フェスティバル」になったのは2015年ですもんね。西欧式は根強いのですよ、この国では。文化人達が西欧式に名前を書いても、別に媚びているとは思いません(潜在的には欧米並びという心理はあるのかも)けれど、どの国の人に対しても自分たちの名前はもっと大事にすべきだと私は思うのですが。

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さて、今日はバラ園整備の定例日。バラ祭りを1週間ちょっと後に控えて、準備に汗を流しました。
去年の今頃はバラの花もかなり咲いて彩り豊かだったのに、今年はまだつぼみが固く、咲き始めまでにあと数日はかかりそう。取材に訪れた新聞社の記者も「また写真取りに来ます」と言わざるを得ない状態でした。バラ祭りも咲き始めで迎えるという異例の事態になりそうで心配です。
それでも、みんなで力を合わせたかいもあって、草刈りやチップ敷きも進んで「サマ」になってきました。あとはバラが咲いてくれるのを待つだけ。
私は、代表の責任上、このところ毎日バラ園に通って草刈りをしています。今週の土日にはシルバー人材センターから何人かが来てくれて園内の除草をやってくれることになっているので、それが済めばほぼ準備は整います。




バラ園のあとは畑に。今日でスイカ、カボチャ、マクワウリ、冬瓜など横に広がる作物の植え付け準備(穴掘りと施肥)を終了。明日水を撒いて、植えられるものを植えてこようと考えています。
21日には本格的にしっかり雨が降ってくれて本当によかった。ただ、夜の気温がかなり低く、昨夜などは「霜注意報」が出るほどで、エンドウやゴーヤー、キュウリの伸びが悪い。イチゴも粒が異様に小さく甘みが乏しい。バラだけではなく野菜にとっても、今年の気温の変化は確かに異様です。とにかく、早く初夏の気温になってほしいなあ。



  5月20日(月) 
雨が降りそうで降らない。夜半からかなり激しい雨になるという予報なんですが・・・。
時間があれば、毎日畑に出てあれこれ農作業にいそしんでいます。一旦昼頃帰るとあとが大変。ちょっと横になると、眠くなってすぐに3時頃。それからまた畑に出て・・・そんなことを繰り返していると、頭の中も空っぽになってしまいます。

霜にやられた苗はすべて新しく植え替え。ようやくそれらの芽が出そろって、いま少しずつ畑に移しているところです。
明日の雨に期待して、今日の午前中はネギに肥料をやり、オクラの苗を植え付け、午後はカボチャやメロンを植えました。さすがの広い畑も隙間なくいろんなものが植え込まれて、隙間がほとんどありません。
そうそう、スイカも苗がちょっとだけ大きくなったので、2本植えましたよ。種から育てた苗はまだ沢山あるので、畑に10本も植えれば大玉20〜30個ほど採れるでしょう。今年は子ども塾に沢山届けられそうなので、楽しみです。
現在はイチゴが毎日それなりにとれるので、毎食後デザートはイチゴ。あと数日もするとピークになるのかな。今年は全体に実が小さくて、食べる前の処理が面倒。あまりに小さくて近所に配るのもはばかられます。イチゴは沢山の水が必要なので早く雨が降って大きな実をつけてくれないかな。

スナップエンドウが花を咲かせ始め、キャベツ、ブロッコリーが小さく巻き出し、タマネギ・ラッキョウがあと1ヶ月ほどで収穫を迎えます。たっぷり水を撒くと、ダイコン、ホウレンソウ、ニラなどの葉物が急に大きくなり、柔らかくておいしい。
トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、ズッキーニ、ゴーヤー、ヘチマなどの夏野菜はまだこれから。インゲンはツルが伸び始めれば意外と収穫は早いかも。
いかがですか、こんな調子で毎日野菜や雑草と格闘中で、思うようにならないことの方が多いけれど美味しいものができればそのうれしさも格別。どうですか、わが家で農業体験してみませんか、みなさん。現物支給ということで。

今後はというと、6月2日まではバラ祭りのために力を注がなければならないので、畑にはなかなか行けない。それでも、その合間にカボチャ、スイカ、ウリの穴掘りと植え付けは欠かせないし、チョロギの手入れ(スギナ退治)もやらないといけないので、結局バタンキューの毎日が続くことになりそうです。



  5月15日(水) 
またまた一週間ぶりになってしまいました。ようやく霜が降りなくなり、昨日の雨で作物も少し元気になった感じ。あたりはすっかり緑色に覆われています。
昨日は定例の整形外科の診察日で、久しくやっていなかったMRIの画像診断も。背筋・腹筋の運動を結構真面目にやっていたので、少しは骨の曲がりも改善されているかと思いきや、全く変わりがなくガッカリ。
手術から一年たったものの、基本的には症状に改善がみられません。整形の主治医は、骨の曲がり方(背骨が通常とは反対に反っている)を直さない限りなかなか難しい、しかもそれには金属を入れるなどの大がかりな手術が必要となり、畑仕事などが困難になるというので、もう少し筋トレや骨盤の運動を続けて様子を見るということで妥協してきました。
手術前から見れば、普段の畑仕事などではほとんど支障がない状態まで来ているので、背筋を鍛え、背骨を矯正する運動を続ければ、それなりに成果があるのではないかと私自身も思っているのです。
現在、妻が膝の痛みで生活に支障が出るほどなので、二人とも痛い痛いと言いながらの生活。何とも年を感じる毎日です。

今日は妻が、免許証更新のための認知機能テストに出かけていきました。事前にほんの少しネットでテストのやり方などを調べておいたこともあって、時計の円がまあるく書けなかったことによる減点くらいで、何とかなったと、帰ってからホッとした表情。
「あなたより先に認知症になるかもしれない」と言うので、「そんなもの、なった者勝ちだよ。この前入院したとき、認知症を疑われて頭のCT画像を撮られた私よりマシだろ」と慰めておきました。
それより、高齢者のドライバーの事故のことが最近の話題になっている折り、あと10年もしないうちに車を手放さなければならない時期のことを考え、どう対策を高じるのかがもっぱらの関心事。
田舎では、そうした高齢者のための対策などはほとんど存在せず、個人任せになっているので、政策的な案を練り上げて運動にしていくことが必要なのかなと最近強く思っているところです。
現在、畑仕事と子ども塾、バラの会で手一杯ですが、このあとは自分たちがこの町で心配なく暮らしていくための共同の取り組み、政策化に力をいれなければならないのかなと最近思い始めているところ。
以前、有志と調整研究会をつくって財政問題にアプローチしたことがありましたが、もう少し広い視野で、現在の自治体の問題をしらべ政策提言できるようにしたいものだと、まあ、構想だけは立派ですかね。



  5月8日(水) 
夕方うたたねをすると、翌日の早朝4時前に目が覚めて寝られなくなるときがある。そんなときは、無理して眠ろうなどと思わず、起き出してパソコンで世の中のあれこれを眺めることにしています。これって、年中連休の特権ですね。
今朝は予報通り強烈な寒さ。放射冷却のために草原や車にはしっかり霜が降りて、遠く北アルプスがこれ以上ないほどくっきりと浮かび上がっている。何と言う壮麗さと感嘆する前に、畑のキュウリは大丈夫だろうか、イチゴはレタスは?などと考えてしまうのは、すっかり農夫になってしまった証拠でしょうか。


起きる直前に、ときどきあらぬ妄想に頭がグルグルすることがあります。今朝は、ルイ・アラゴンの「神を信じた者も信じなかったものも」というフレーズが駆け巡っていた。
私が現在のような神を必要としない人間になったのはなぜか、しかし一方で人間は互いに助け合い慈しみあって生きるしかないのだという固い信念のようなものはどのようにできあがったのか・・・。
そのルーツをたどれば、父と母の生い立ちにあるのではないかと、これまではただ漠然とまつわりついていた考えが、妄想の中で1つの確信に変わっていったのでした。
子どもの頃、わが家には仏壇は確かにあった。祖母は熱心な仏教徒(浄土真宗東本願寺派)だったからそれは当然として、何かの折に触れて坊さんがわが家に来ては読経していったのは鮮明な記憶にある。しかし、母は仕事に忙しく、仏壇の手入れをするのは祖母と私くらい。
1歳半くらいで養女に出された母は、他人の家で育てられたものの、その事実は若い頃から母にはきちんと伝えられ、実の父母や兄弟姉妹たちとは深い絆ができていた。幼い私を連れて実家には何度も通ったのです。
そうした2重のくらしが、育ての親との間に宗教的なつながりという面ではある意味で断絶をもたらしていたように思えてます。
一方の父も三男坊の悲運で養子となり「婿殿」のくらしに入る。宗教的なことには一切関心を示さず(表には表さず)、子どもたちにも何かを強制するということは全くなかった。家ではほとんど無口で通し、土曜日になると欠かさず実家の父母に会いに行っていた不思議な人だった。
私の方はといえば、大学やその後の生活において唯物論に触れたときには、むしろ当たり前の考え方だろうと思われ、なぜ人間はかくも多様な神を作り出しそれに縛られるようになったのかを考える方が多くなっていった。

神を信じなければ人間から潤いや救いは失われるのか、他人を思いやる心は生まれないのか、そんなわけはありません。神を信じるあまり人間に関心を失うことだっていくらでもありうる。神がいるのかいないのかなどということは、現世のさまざまな事象にとってはどうでもいいことだ。私はそのように割り切っています。
神であろうが偶像であろうが、信じたい人は信じればよい。ことは現世にかかわることではないのだから、「こちら側」の問題では、ともに手を携えることが可能なのだ、アラゴンはレジスタンスの体験を通してその可能性と連帯する人間の美しさをうたっている。
人々を思いやるこころは、神から生まれるのではない、人間それ自身の生き方なのだ、だから、政治的な目的のために天皇を「現人神」に近づけようと企んだり、国家神道への道をつけようとしたりする企みには強烈な怒りを覚える。・・・とまあ、こんなことをグルグルと考えているうちにまた眠くなってきた。目が覚めたらまた別のことをグルグルと考えるのかな。
そういえば、囲碁八段の「銀星囲碁」や青い目の「Leela」に5子置かせていただいても歯が立たない、勝負にならない。仲邑菫ちゃんに教えてもらいたいなあ。

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空気が乾燥して見通しがいいので、北アルプスの白い頂が水田に映えて、見事な五月晴れ。昼前から畑にでかけて、妻は大量の石の始末。私は、カボチャなどを植える穴掘り。Tシャツ一枚で、5、6個の穴を掘り肥料を入れてかきまわし、さらに植えから土を入れて・・・。こんな仕事が延々と続きます。
カボチャのためにはあと5、6個。冬瓜、瓜、スイカのためにもまだ20個ほどの穴を掘り、さらに周りに稲わらを敷く必要がありますから、いつ終わるのか。もちろんその後は苗を植えなくっちゃね。これは霜が完全に去ってからの仕事です。
明日から6月初めにかけてバラ園の整備も本格化しますから、身体がいくつあっても足りない。





  5月7日(火) 
北風が冷たく寒い1日。午後からようやく日差しが戻ってきたものの、気温が一向に上がらない。おかげで家の周辺の草刈りをしていても汗ばむこともなく結構はかどりました。
毎日霜注意報が出ているので、多分これで霜もないだろうと植え始めたキュウリに覆いをかけたり、芽が出始めた苗を家の中に入れたりと大変です。とにかく夜も10度くらいで安定してほしいと願うばかり。
庭に毎年種がこぼれて、放っておくと大変なことになるカモミールが今年は異様に早く花が咲き始めた。大抵はラベンダーと同じくらいかその後に花が咲くはずなのに、どうしたことか。つい先日芽が出たとばかり思っていたスズランも花が咲き始め、なんだか花の咲く順序がおかしくなっているようです。


飼い猫のハルちゃんは、妻がダッコしようとしてもなかなか言うことをきかず、すぐに逃げ出すので、不満がたまっている様子。それでも、いつの間にかネコの写真などを貼ってあるので、以前ネコ嫌いだったことがウソのようです。いまでは犬よりもネコに愛着があるらしい。
私もそんな妻にサービスと思って昨年末に購入したネコのカレンダーが一室に貼ってあります。「ちょいワルネコ」を集めたというこのカレンダーには、いろいろとそれらしい「教訓」が書かれているのですが、それでも結構見ていると楽しい。


いかがですか。このボスネコに比べるとわが家のハルちゃんは「パシリ」だな、きっと。ボスネコの姿はなかなか堂々として様になっている。2枚の写真、実は別々に並べて貼っているのに、子猫たちが「ハイ」と答えて神妙に聞いているかのようでかわいい。



  5月6日(月) 
午後7時頃、またまた近くで大きな住宅火災。わが家から見ても赤い炎が夜空を焦がして見えるほどでしたから、多分大きな農家の一軒家が全焼したのではないかと思われました。
火災速報があってすぐに西側のベランダから様子を見た妻が言うには(私は南側の縁側にいた)もうすでに大きな火が見えたということで、アッという間に火が広がったのではないかと思われました。
連休最後の夜がこんなことになって、焼け出された方々はどんなにショックだったことでしょう。住人に犠牲が出ていなければいいのですが。
消防車が遠方からも続々集結していました。7時半頃には下火になっていたものの、消防団のみなさんの必死の消火がまだ続いているのでしょう。写真や動画はあるのですが、例によって近い家屋火災ですのでここには載せません。わが家でも火の元には本当に気をつけなければ。

世の中が天皇の代替わり、改元、大型連休などでかなり浮ついた気分に浸っている間にも、太平洋プレート、フィリピン海プレートは動き続け、巨大地震を誘発する危険性を日々高めているのです。と、危機をあおるようなことを書きかたで恐縮ですが、大体こうした巨大地震は人々が忘れた頃にやってくる。
気象庁の4月初めの「南海トラフ地震に関連する情報(定例)」では、「現在のところ、南海トラフ沿いの大規模地震の発生の可能性が平常時(注)と比べて相対的に高まったと考えられる特段の変化は観測されていません」と過去の記述と全く変わっていません。しかし、すぐ下の「注」では「南海トラフ沿いの大規模地震(M8からM9クラス)は、「平常時」においても今後30年以内に発生する確率が70から80%であり、昭和東南海地震・昭和南海地震の発生から既に70年以上が経過していることから切迫性の高い状態です」と書いて最大限の注意を呼びかけているのです。
一般に3.11以後、プレート型の地震についての関心は高まってきましたが、それが予知できない以上、いつ起こっても不思議ではないと思うほかありません。
東北大学の理学研究科、地震・噴火予知研究観測センターが、日本付近のプレートの沈み込みがどうなっているのかを、3D映像で誰にもわかるようにしてくれています(以前紹介したことありましたっけ)。下のYouTube動画で見るとおり、最新の研究成果を取り入れてよく出来た映像です。


日頃からこうしたメカニズムを知り、地震に関する情報に気をつけていると、どんな準備をしておかなければならないかにも目を向けざるを得なくなりますね。
私が住む地域では、地域防災組織が独自の活動を開始してはいますが、その準備はまだ著についたばかり。もし、東南海地震が襲ってきた場合には、遠い地に住んでいるから大丈夫だなどとは絶対に言っていられないことになる(日本経済が壊滅的な状態になる)でしょうから、自身の備えとともに地域を守る対策をどう講ずるのか、性根を据えて取り組まなければいけないと考えているところです。

参考までにわが家でしばらく前から始めたのが、レトルトや即席麺などの備蓄。ローリングストック法もどきで少しずつ蓄えを増やしています。「もどき」というのは、例えばインスタント麺では結構新しい製品が次々と発売されるので、食べる方が早い場合もあってストックが追いつかないうらみがあるということ。
避難袋に乾パンとか缶詰とかを入れて忘れてしまうことよりも、この方がよほど役に立つ。周りじゅう米農家ですから、いざとなれば米はなんとかなる。
水は常にタンクに40L入れてあるし、それ以外にもペットボトイルで10L程度はある。煮炊きするためのガスコンロとボンベも常備。生鮮食料では、野菜は厳冬でもなければ畑にいやほどある。というわけで、何とか生き延びることはできるはずです。
それはそれでいいとして、昨年末から対策をし始めたの緊急時用、アウトドア用の簡易トイレ。男はどうとでもなるでしょうが、女性はそうはいきません。
そこで、思い切って簡単な座椅子トイレと50回分の凝固剤、それにトイレはもちろん着替えなどもできるテントを購入しました。ところがテントをセットしてみたら馬鹿でかい。これなら外で二人で横になっても寝ることができそう。
畑で妻が使えるようにとテントを注文したのですが、あまりにでかいので周りの人がびっくりしそう。もっとよく研究して、使い勝手の一番よいものを選ぶべきでした。ちょっと反省。



  5月3日(金) 
1日に記事を書きながらFTPソフトでアップするのを忘れてしまいました。だんだんこんなことが増えてくるんですかね。
息子は体調不良で、こちらに無理してこないでゆっくり休むように伝え、それを守って家族とのんびり過ごしている様子。
娘は長女が連休中も通常とほとんど変わらず予備校通いなのでこちらには来られず。というわけで、今年のゴールデンウイークは二人でほとんど畑仕事ばかりです。
もっとも、我々は年中連休ですから、10日間の異例の連休というのもほとんど実感なし。むしろ、天気に恵まれれば恵まれるほど体力勝負の毎日ということになります。

今日も妻と二人で午前午後と畑に行って、私は耕運機で耕地を広げ、妻は石運びやニンニクやラッキョウの手入れ。周りを見渡せば、あちこちでトラクターの音が響き、田おこしをしている人もいれば、もう田植えを家族総出でやっている組もいて、活気に満ちています。明日あさっては田んぼの仕事のピークということになるのでしょう。
水の入った田んぼには白い鷺が何羽か優雅な姿を見せて飛び交い、トンビが上空から獲物を狙っています。夜ともなると、キツネやタヌキと遭遇することも多くなりました。
ただ、昨日も今日も早朝の霜注意報が発令されて、せっかく植えた苗を前のように枯らしては困るので玄関に入れたり覆いをしたりと忙しい。まあ、10日頃まではまだこんな状態が続くのかな。苗を畑に定植するにはまだちょっと間があります。



  5月1日(水) 
世の中の改元祝福ムードはまるで大晦日の年越しフィーバーのよう。別に冷や水を浴びせるつもりも、皮肉を言うつもりもありませんけれど、もう少し冷静にみることが必要なのではと思いますね。
全く新しい時代が始まるという大きな節目ででもあるかのようにマスメディアは描いていますけれど、ただ元号が変わったというにすぎません。妻との話の中で「強固な国民的な支持の土台のうえに野党共闘が勝利して安倍政治が終わったというのなら、これは間違いなく時代の1つの節目になるだろうけれが、政治も時代も何もかわっちゃいないね。これからむしろ悪くなる一方だろう」というのが私の主張。
TBS系「報道1930」ではゲストの保阪正康さんが、新天皇の「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い」の部分は、前天皇即位時の「皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い」lと微妙に違っていることを指摘していました。日本国憲法と特定していないことにとくに注目しているという趣旨です。
安倍首相の「国民代表の辞」では、「『日本国憲法にのっとり・・』というおことばを賜りました」と述べていましたから、まあ大した違いはないのでは?それより安倍首相が言うと「日本国憲法を乗っ取り」に聞こえて仕方がない。このように見ている私は偏屈かつへそ曲がりなんですかねえ。
私には明仁上皇の天皇即位時の「日本国憲法を守り」には格別の意味が込められていたと思います。「平和」を中心に本当に真剣に日本国憲法の精神を守ろうとされていた。そしてまた、悩みながらも象徴としてのあり方を必死に追求し実践された姿を私たちはよく知っていますから。そして、復古主義、天皇元首かを目指して天皇の思いの真逆を行く安倍政権との軋轢についても。
何としても憲法改正を自分の首相就任時に実現したい安倍政権と国民との矛盾、男系男子に拘泥する安倍応援団・超保守主義者の突き上げによって皇室との矛盾はいよいよ深まる時代に入ったと私は見ています。

今日も1日雨模様。畑に行って作業をしようとすると雨が降り出して、すごすごと帰って「雨上がる」を観て憂さを晴らしておりました。
都会の喧噪とは全く縁のないここ池田町では、雨の中ウグイスやキジの鳴き声をかき消すように、田おこしのトラクターのエンジン音が遠くきこえ、その後はまた静寂が戻ってきています。
しっかり雨が降ってくれたおかげで作物だけではなく雑草も元気元気。明日からはまた草刈りやマルチがけなどの仕事に精を出さなければなりません。
昨日、友人宅を訪問した際、庭先にきれいな花をつけた大きな木があるのが目にとまり名前を聞いたら「菊桃」だという。花桃の一種で、花がまるで赤い菊の花のよう。子どもが一杯庭先に出るので全部引っこ抜いているというので、まだ生きている木を一本頂いて庭に植えました。まだまだ知らない木々がたくさんあるんですねえ。








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