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  5月31日 (月)
「センター試験、『数学力』の判定に疑問ーー東北大教授研究」という記事がasahi.comに載っていました。センター試験の数学(1)(主に数学1・A)で、東北大学の理学部受験生約600人の約30%が満点の100点だったけれども、2次試験(300点満点)になるとセンター満点組が260点前後から40点台まで分散し、4人に1人の割合で平均を下回った、というのです。日本数学会理事長の森田康夫・東北大教授はこのことをみて、入試センター試験の数学問題は計算力偏重の出題になっており「数学力」を十分に判定できないと結論づけているわけです。
もともと60分のテストで「数学力」を測ろうとすることに無理があると私は思っています。出題を「思考力」型の問題に変えるといっても受験者は理工学部の受験者ばかりではないわけですから、もし教授の主張するようにするには根本的な(2次試験を2回やるくらいの)改革が必要になるでしょう。それはいっそう受験生の負担を増やすだけです。教授はまたセンターと2次試験に相関がないことを問題にしていますが、そんなことは予想できることで、私にいわせれば理学部受験生であればセンター試験は満点であるのがあたりまえだとさえ思います。本当の「数学力」をみたいから2次試験を課すのではないのですか。このくらい易しいセンター試験で6,7割を切って2次試験で高得点ということはまず考えられませんからね。
私だったら60分を維持したいのなら少し問題量をへらし、高校できちんと学習をしたものに高得点が保障される素直な問題にしますね。どうしても数学力をみたいのなら、むしろ数学I・A、II・Bともに出題量はふやさずに時間を延長し(90分くらい)思考力を試すものを若干加味するというようにした方がいいんじゃないでしょうか。現在のような時間配分でこのような形式のテストが行われる限り、当日実力を発揮できなかったり要領よく計算できる受験生が得をすると見られたりするのは無理もありません。じっくり考えていいアイディアを出す人物を2次試験では拾うようにするといった独自試験のユニークな改革ももっと検討されるべきでしょう。

さて、H塾で大学受験に備えている受験生のみなさん、そうは言ってもセンター試験の数学で高得点をとることは実際そんなに容易なことではないのですよ。早め早めの系統的対策をしましょうね。ゆめ準備を怠るなかれ。
今日半年ぶりくらいに旺文社の入試問題正解をのぞいてみました。実はおそるおそる数学I・Aだけをやってみたんです!! まとまった時間がとれず断続的になりましたが、やってみての印象は今年は例年よりは多分易しくなっていますね。各問のレベルも大体平均しており、良く考えられた出題だと思われました。幾何の問題などはイントロから最後まで懇切ていねいに導いてくれているので拍子抜けするほど。1番の2次関数・方程式や2番の多項式の問題はセンターでも何度も出題されています。従来からよく見慣れたセンター試験っぽい問題ですからかえってやりやすかったかもしれません。しかしその中でも、期待値を求める問題や、Aが偶数になるための必要十分条件は何かというような問題は思考力を試される問題なので、受験生にとってはちょと苦しかったかもしれません。
問題は時間との勝負です。素早く的確に計算すること(係数だけで整式の割り算をするとか、確率でもu>1とu<1は同価だからu=1となる場合を除いて2で割るとかなど)がどうしても必要です。それじゃ手首の運動でもすればいいのかというと、そんなもんじゃないですよね。(そういえば私、手首の運動が大切だとよく言ってましたっけね)。日頃から断片的ではなく系統的に学習することはいうまでもありません。受験生ならば数学で要求される基本的な「ワザ」をきっちり身につけましょうね。(私は数学がこの「ワザ」を要求するのだと思っています・・・)。これが思いのほか大事です。そして、しっかり答案を書く練習をすることです。そうすればやっている問題の意味もわかり一歩前を見て(見通しをもって)問題を解くこともできるようになるはずです。たとえセンター試験だけが必要な人でも解答を要領よく記述する練習は大切。大学で要求されるプレゼンテーションの準備にもなりますし、文系の人でも論文を書く基礎力に結びつきます。
私、久しぶりに勝手にH塾に戻らせていただきました。またお目にかかりましょう。  


  5月30日 (日)
9.11と言えばアメリカのツイン・タワーに無差別テロの飛行機が激突、数千人が犠牲となった日として世界の人々に記憶されていますが、もう一つの9.11が南米チリでアジェンデ社会主義政権がピノチェト将軍率いる軍のクーデターで崩壊した日です。
今日のニュースの一つに、軍政下で数千人から万単位の人を殺害したとされるピノチェト元大統領の刑事免責特権を剥奪することを控訴裁判所が決定したとの報道がありました。まさか剥奪されるとは誰も思わなかったのに、それを覆したのは元気にテレビインタビューに答えるピノチェト自身でした。BBCニュースでは最高裁でひっくり返されるかもしれないと指摘していますが。
The Supreme Court might overturn the ruling, but one thing is for certain - the Pinochet file is open again.
BBCニュース--http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/3759127.stm

チリで人民連合が選挙で勝利し政権についたのは1969年、私がちょうど大学4年の年でした。おりしも社会主義がまだ現在のように地に落ちた状態ではなく、多くの学生の心をとらえており世界の希望としての体制だった時期のことです。私自身もアジェンデ大統領の真摯で率直な人柄に好感を寄せ、遠いチリでの人民連合の勝利と行く末に胸を躍らせていたことをいまもはっきりと覚えています。
しかし人民連合下のチリは、外国企業の接収、主要な企業・銀行などの国有化をあまりにも性急に行ったために国民の反発やアメリカの介入を招く要因をつくって次第に政情不安に陥り、ついにアメリカの後押しを受けた軍部がクーデターを起こし、アジェンデ大統領はサンチャゴ・モネダ宮での戦闘の中で自殺(その説が有力)し人民連合は瓦解します。
その後政権を取ったピノチェト将軍は自ら大統領に就任、クーデターの当初から人民連合派と見られる人々を次々と逮捕・投獄、拷問にかけたり殺害したりします。現在その犠牲になった人々について公式には「弾圧による死者2095人、行方不明者1102人、計3197人」とされています。しかし実際にはそれをはるかに上回るとの報道もあるほどです。
チリではピノチェト軍事独裁による強権弾圧政治に対して幾多の困難を伴いながらもねばり強い運動が続けられ、ついに1989年に平和裡に民政移管が果たされます。その後海外生活からチリに戻ったピノチェト自身はこれまで高齢と心神喪失状態を理由に訴追を逃れてきましたが、実は全く健康であることが判明して、最終的にこの28日免責特権が剥奪されるに至ったのです。
長い長いチリの人々の苦しみをこの決定がすべてぬぐい去るわけではありませんが、一つの歴史的な決定として私は記念すべきだろうと思っています。民主主義への一歩が確実にチリに刻まれた証しとして。


チリの映画監督ミゲル・リティンが自ら変装して戒厳令下のチリに潜入、階層、立場を越えたさまざなま人にインタビューを試みた「戒厳令下チリ潜入記」という映画があります。私の生き方に影響を与えた映画の一つでもあるこのドキュメンタリーは、アジェンデのモネダ宮からの最後の演説、爆撃のシーンで終わっています。急ぎすぎた社会改革ではあったけれど、その理想は今もチリの人々に受け継がれているのだと思わないわけにはいきません。見知らぬ遠くの国の人々の生の声がこの映画を通していまなお私の胸をゆさぶります。
太平洋をはさんだ対岸の日本で、私たちは一体どのような社会の創設をめざすのでしょう。それとどのように関わっていけばいいのでしょう。

いくつかデータは下記ホームページの記載によっています。
智里日報ーアジェンデとピノチェトーhttp://www.geocities.jp/flia_sh/pinochet_allende.htm  


  5月29日 (土)
天気予報がはずれたのか晴れの暑い一日でした。
昼過ぎ、「あ〜そ〜ぼ」という可愛い声が玄関から聞こえてきました。出てみると向かいの小学2年の女の子と近くの小学1年の男の子が・・。この家に小さい子がいたっけ?と考えて思わず我が後ろを振り向いたが誰もいるはずがない。まっすぐ私の顔を見つめて返事を待っています。
おいおいここいらの子はこんなおじさんとも遊ぶのかい。びっくり仰天しましたが、あとには引けない。「あ〜そ〜ぼ」と言われて「い〜や〜だ」なんてみっともないからね。「いいよ、とにかく入んなよ」と言って一緒にあそぶことにしました。
多分引っ越して間もないのでどんな住まいをしているのか、何が家においてあるのか、めっけものはないか偵察にきたのかな。いちおう「おじゃまします」といいつつ、しかし自分家のように入ってきてさっそくいろんな品定め。ところが私の家には子どもが遊ぶようなものはまるでないので、しかたなく母のぬいぐるみとか、ビデオとかパソコンのお絵かきソフトとかでしのぎました。しばらくは部屋の中が運動場のようになっておりました。その後は母の散歩にもずっと一緒についてきて、車いすを押してくれたり母を励ましたりしてくれました。幼稚園から小3くらいまでの男女数人の子がグループを作っていいつも遊んでおり、それより上の男の子も数名でグループを作っているという構図。そのうち親と一緒に出かける子がいると遊び相手がいなくなるので、私まで遊びのグループに入れてもらえるというわけです。やっぱり子どもにもヒマな遊び人と見られているんだなあ。明日また来るって言ってたしなあ。ふう〜〜。
夕方は「さつまいも」の苗(茎)を買ってきて植えちゃいました。食料難に備えます。放っとけば多分秋には芋がとれるでしょう。トウモロコシは大家さんから借りた畑に植えることにしました。苗を買おうとしたら、一株70円もするからやめなさい、種を買って1,2日水に浸して発芽したら植え替えるようにしたらいいよと言われて、その通りにすることにしました。結構商売上手で、ついいろんなものを買わされてしまいます。
そんなこんなであっというまに今日も一日が過ぎていってしまった。あしたが怖い。

午前2時半。12時頃母と一緒に寝たのですが、それからほんのしばらくしてまた母の独り言がはじまって2時間ほどずっと同じことの繰り返し。大きな声で言うわけではないのだけれど、気になってこっちも眠れない。「教えてください」を数百回繰り返しているのです。いつ寝入ってくれるか待っていても埒があかないので、結局私もしびれをきらして起きだし、トイレに連れて行って、さらに冷たい物を飲んでもらい、ベッドにもどって理由を聞いてまた明かりを消しました。「貧乏に生まれて、どうしたらそれから抜け出せるか」それを「神様、教えてください」と言い続けていたことが分かりました。子どもの頃のことを思い出していたのでしょう。「今はちっとも貧乏でないから安心して寝なさい」と言って明かりを消しましたが、まだ余韻は残っているようです。すんなりとは寝てくれそうにありません。
室内にはまだ昼の暑さが残っています。窓をあけるとひんやりした空気が入ってきます。田舎の匂い。土と稲と肥料とハーブと・・・いろんなものがまじったほのかに甘く重い匂い。空には星が満ちています。  


  5月28日 (金)
農協の直売所に行くと、朝早くから沢山の人が野菜の苗を求めに来ています。農家の人たちも自分の家で食べるための野菜なのでしょう、箱にいっぱいの苗を運んでいく人もいます。
私もきのうようやくオクラの苗を買ってきて植えたのですが、直売所の顔なじみのおばさん、「こっちの苗の方が断然いいよ。土づくりからこだわっている人の苗だから」といって3本だけ残っていた苗を指さしました。そういえば、もう一つの方は田んぼの土そのものという感じだけど、これはちょっと違うみたい(私にはどう違うのか見当もつかなかったけれど)。その言葉を信じて買ってきました。一本150円。これで1000円くらいのオクラがとれたらいいんだけど。それはつくってのお楽しみ。霜が降りるまでなっていると言うから何本とれたかカウントしておくことにしましょう。
毎日のようにこうした光景を見ていると私たちの食と農ということについて考えざるをえません。今から200年前、地球上の人口は10億人以下。1900年15億人を突破し、その50年後の1950年には25億人。その後たった36年後の1986年には2倍の50億人に。1996年58億人。現在は軽く60億人を突破しているはずですね(国連資料)。21世紀の中頃には100億人を突破するだろうと見られています。グラフ用紙にプロットすると典型的な指数関数となっていることでしょう。だれかやってみてください。
経済学者の古沢広祐さんは、世界的に都市人口が膨張し農村人口は停滞もしくは減少していること、食料生産が90年代には下降しつつあると指摘、今世紀には日本が外国から輸入する食料がなくなることもあり得ると書いています。ヨーロッパ諸国は何処もいかに自国の食糧自給率を高めるかを真剣に考えていますね。先進国ではどんどん低下させているのは日本くらいのものでしょう。目をさまさないと手遅れになってしまいます。
あしたはサツマイモを買ってきて植えようかな。  


  5月27日 (木)
5月ももう終わりなのですね。田舎にいると毎日が淡々と過ぎていくようで、生活の濃度が大分薄まったように思えるときがあります。つまり、自分からいろんなところに出向いて新しい出会いや仕事を求めない限り、極めて変化に乏しいのです。都会のように夕方から夜にかけてどこかに出かけても刺激がたくさんあるという場所ではありません。このごろ大分田舎の生活スタイルになじんできたように思えていましたが、今日午後どうしても身体がだるく眠くなって、母が宅老所に出かけているのを幸いしばらく熟睡してしまいました。
仕事をしているうちはいやでもその時間に生活が区分されメリハリができます。変化が意識を覚醒し頭の動きを促進する働きを持っています。とくに仕事がない、母の介護も24時間というわけでもない現在のような私の状態は、よほど気をつけないとただ惰性でその日を送っていくことになりかねません。言ってみれば主夫をやっているわけですから家事で結構時間をとられるし、母につきあってまとまった時間がとれないという問題がじわじわと出てきてちょっと軽度の精神的スランプ状態です。
大きな目標を失ったとか、身動きがとれないとかということとは性格が全く異なり、もっぱら生活の仕方・過ごし方の問題なので、工夫次第でずいぶん改善されるはずです。昨日書いていたようないいことばかりではないわけで、いろいろな問題にぶつかってはそれを解決していくことが毎日の生活なのでしょう。6月からはこのホームページの更新も頻度を落としてもっと気楽にいこうと思っています。  


  5月26日 (水)
多分今朝は素晴らしい天気だろうと予想して朝5時半に起き、カメラを持って外に飛び出しました。予想通りの晴天。空はすっかり晴れ渡り、平野部にまもなく日がさそうとしている早朝、空気は澄んで気持ちのいいことこのうえなしです。
ただ車の窓は露が降りてところどころに氷の固まりが・・・。長野県下では氷点下のところも多かったのではないかと思わせる寒さです。朝氷点下、昼20度超という寒暖の差の激しい内陸型の気温の変化は慣れないと結構こたえます。
早朝の写真はまだカメラを使いこなせていない私にとってはとても難しい。手前と遠くの明度があまりに違うのでどのあたりの明度で撮るのが一番いいのか選択に迷うからです。あっちをとればこっちが立たずということになります。まあ、山を撮りたいんだからそれが一番きれいに写るようにとればいいのかぐらいの感覚で今日もシャッターを切っていました。
当然というか結果は惨憺たるもので、実際に見るのが一番。人間の目ほど素晴らしいものはないとつい思ってしまいます。少しずつ上達するように努力しましょう。
日が昇ると山科方面から朝靄が広がってきて遠くはほとんど見えなくなってきます。でも日が高くなればそれも消えてあたりはすっきりと初夏の装い。久しぶりに雲のないちょっと汗ばむような一日になりそうです。


案の定、日が高くなるに連れて真夏日のような暑さで、車で出かけようとすると猛烈な熱気で頭が痛くなってしまいました。朝昼20数度の落差はちょっとひどい。真冬と真夏の同居。家の中はそれほどでもないのですが、それでも西日が差し込むと結構暑くなるので、すだれでもかけて西日対策をしないといけません。窓を開けておけば風が通るので冷房は全く必要ありません。会う人はだれでも「冷房なんていらないよ」とこともなげです。そうでないと来た甲斐がありませんよね。
小さい菜園の野菜が次第に大きくなってきたものの、期待したほどではありません。よく前の道を通って畑に行く近所のおばさんも「今年は大きくならない年だねえ。寒くなったり暑くなったり変な天気だから・・」と言っていましたから、専門家でもそうなのかなとちょっと安心。
6本植えたレタスのうち一本が完全にしおれてパー。どうしたんだろうと思ってそのおばさんに聞くと「虫じゃないかねえ。掘ってみるだ。いるよ。」と的確な指摘をしてくれました。掘ってみると根っこの根本から全部きれいに食べられて、これじゃ枯れてしまうのも無理はない。白い虫と赤い虫がでてきました。さすが専門家。脱帽。しかたなく今度はサニーレタスを一本買ってきて後に植えておきました。今度は大きくなれ!!


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昨晩は韓国に行った友人のマイク君とチャットをしておりました。できればしたくなかったけど、むこうから仕掛けてきたので仕方なく対応したというわけ。向こうは機関銃みたいに英語で書いてくるから読んでそれから英文を書くのだから大変です。こちらではほとんど英語のことは忘れてしまっていたのでオロオロ。
秋口にちょっとだけ日本に寄ろうかなと言っておりました。どんな菜園をつくっているのか見るのが楽しみだというから、10月頃までなっているものをつくらないといけませんね。大根、オクラ、ネギ、里芋・・・???「おい、日記をかいていないけどどうした?」と追及されました。「土地探しなどで忙しくて・・」といいわけをしたら「その方がこっちも楽だけど」と本音をチラリ。勢いで「近くまた書くからね」と言ったけど、困った。また英語の勉強をしないといけなくなるかな。MNEMO先生にも会わせる顔がないからね。
向かいには年配のおじさんが一人で住んでいますが、昨日いろんな話をしていたら、長く海外にいて今も英会話のサロンに行っているんだという話をしておりました。これは願ったりかなったり。いろいろ教えてもらえそうです。パソコンを教えてほしいといっていたから、それと交換かな。とにかく近所の人が親切にいろいろと話しかけてくれます。
車検が近いので車を穂高町まで見にいく途中、例の「お焼き村」に行ったら、そこのおばさんももう顔を覚えていて「これ食べるか」と手作りのカボチャの甘煮をごちそうしてくれました。ほんとにいいところですね。みなさん、来るなら池田町です。  


  5月25日 (火)
午後から雲一つない晴天が広がりました。日が沈んだ後、並び立つ北アルプスは黒いシルエットとなって紫に染まる大空を引き立てています。
日ごとに姿を変えていく安曇野の自然。日ごとに無数の花たちが咲き揃い、見ていても飽きることがありません。秋から冬のあの枯れてうら寂しい安曇野からは想像もできないほどです。緑したたる田園風景がここかしこに広がって、さまざなま音と香りを乗せた風は心地よく早苗の上を吹き渡っていきます。日に照らされた新緑は目を射るほどに輝いているのに、目を遠くに走らせればそれは幾重にも折り重なる何万という緑の階調の一つに過ぎません。
山々を見ているとつい詩人になってしまいそうです。残念ながら詩心のない私には形容の仕方がわからないので、ここはつたない文と写真で紹介する他はありませんね。


しかし、なのです。田んぼのまわりを散歩していると、あちこちに休耕田や田の一部に水は張ってあるのに稲が植えていない変則的な田があることに気が付きます。大家さんの田も一部を仕切って畑にしてあり、自由に使っていいですよと言ってくれています。減反のためです。土地があり田にする意欲があってもできない理不尽。大規模農家に耕地を集中していく現行の農政、米をつくっても採算がとれない農政のために、日本の水田がやせ細っていくのは全く自分の首を絞めているようなものです。
作家の井上ひさしさんは「農業講座」(家の光協会)の中で「農用地および森林の隠れた利益を農水省が計算したところ年間39兆円・・・水田のダム効果や大気を浄化する機能を計算してみると、一年に4兆6000億円ほどの働きをしているといます。ですから、コメ一粒の値段を国際価格で比較するのは無意味です。・・・その仕事をすべて足し算すると、国際価格と比べても日本のコメはぐんと安い、値打ちがあるのだ、という考え方もなりたつ」と書いています。コメ作りにもっとお金をかけるべきだと彼は口を酸っぱくして訴えているのですが、身近にコメ作りを見ていると、いろいろなことを考えてしまいます。もっと勉強しなければ。  


  5月24日 (月)
ようやく雲が切れ太陽が輝く一日の始まり。すがすがしい朝を迎えました。まだ山には雲が残っていますが、散歩にでると気持ちの良い風が水田をわたってきます。あぜ道では長いヘビも良い天気につられたのか日光浴をしていました。近所のおじさんの話では、東側の山には熊、鹿、狸、きつね、猿、リスなどありとあらゆる動物が生息しているのだそうです。畑をしても夜になると荒らされるので用心がいるとも。
小泉首相の訪朝から2日経ってその後のニュースはちらほら見られますが、普通の番組にもどって落ち着いた感じです。私も昨晩は男子バレーボールを固唾をのんで見守っておりました。とにかくスピードとパワーの勝負。体力とワザの応酬。すごかったですね。日本は僅差で負けはしましたが、記録に残る名勝負でした。
その直前にはNHK教育で「トップランナー」をしばらく見ていました。指揮者の大植英次さんの活躍をたどった番組でした。会場の若い音楽家たちの「これからの音楽家としての夢は何ですか」という質問に答えて「とにかく平和な世の中であることですね。それしかないですね」と答えていたのがとても印象に残りました。



有事法案も年金法案も国会を通過する頃にようやく報道するというマスメディアの状態は依然変わっていません。
年金法案自体、国会審議の中で政府の説明が全くのまやかしで、たとえば厚生年金の給付率が「50%確保」どころか「40%台」まで下がり現行の3割以上の削減になることが明らかにされて坂口厚労省大臣はしどろもどろ。国民・厚生年金の保険料も上限固定どころか永久に上昇し続けることもわかってきました。もう自・公政権のやることは自分たちの利益になりさえすれば何でもありという状態です。民主党の小沢さんでさえ自党の執行部を「三党合意という意味不明の政府・与党のごまかし」で法案が通されてしまったと批判、廃案をめざす考えを表明する始末。日が経てば経つほどこの法案のひどさ・ごまかしが明らかになってくるわけで、政府・与党の思惑はできるだけ国民の目を他にそらしそのすきに数をたのんで法案を通そうということなのでしょう。大変なことになっています。
数日前銀行に行ったら、窓口のかわいい女性行員が一回しか来たことのない私の顔を覚えていて・・・「国債は考えていただけましたか」(私には「こうさい」と聞こえたのは気のせいか)と言いながらパンフレットを差し出しました。そこにはアメリカ・イギリス・イタリアその他主要国がずらっと並んでいて「平均格付けはAaa(ご参考:日本A2)」とありました。信用のない日本の国債ではなく外国の国債はどうですかというわけです。「膨大な国債発行残高を抱え企業ならとうの昔に倒産しているような国の国債なんて怖くて買えないですよね・・・考えてみます」とにっこり笑みを返して帰ってきました。
これだけ国際的にも信用をなくしている国家財政なのにまだ赤字国債をふやし、国民負担を増やし続ける保守・与党のやり方をいつまで許しておくのでしょう。自・公政権、それと気脈を通じるみなさんにどう厳しい審判を下すか。参議院選挙公示まであと一ヶ月です。  


  5月22日 (土)
5時半に起きて庭の草取りをして、それからカメラを持って付近の散歩にでかけました。
ちょっと見ない間に、いろんな花が咲いていました。まわりの農家のみなさんは庭先もきれいにしているんですね。こまめに手入れをしていらっしゃいます。朝早くから手入れ中の方にご挨拶。向こうからも声をかけてくれることもあります。稲の生えそろった田の上を例の鳶が2,3羽甲高い鳴き声を発しながらゆうゆうと回っていました。カメラを向けるとすぐにトビ去ってしまうのでしゃくです。
帰ってきてからはいつものようにホームページの更新。ゆうべ妻から届いた日記を組み込み、いま撮ってきた写真を加工して入れ、「たかちゃん家」のホームページもリンクを増やし・・・などとやっているとすぐに時間がたってしまいます。お母様がまだ熟睡のこの時間が私の自由時間です。

「山に熊が出たから山菜採りに行く人は注意してほしい」と町の無線放送。うん。行かない行かない。ヘビや毛虫もいやだけど、熊がでたらどうしたらいいかわからなくなります。死んだふりをしてもダメそうだし、走って逃げても向こうの方が早そうだし・・・。絶対に一人では山菜採りには行かない。決めた。

小泉首相の長い一日。どうも小泉首相、はじめから蓮池、地村さん、曽我さんの家族を連れ帰ることをだけ念頭において訪朝した節がみうけられます。日帰りのしかもあまりにも短い会談時間は交渉といえるしろものではないし、十分な実務者レベルの準備があったとも見受けられないからです。
確かに平壌共同宣言に基づいて国交正常化をめざすねばり強い交渉を行っていくことは当然のこと。しかし国交のない状態でも直接の実務者レベルでの接触、中国を通した働きかけやアメリカと訴追問題をクリアするための外交交渉などを積極的に行っておくべきだったのではないでしょうか。10人の拉致被害者について何らの進展なしに終わったことはあまりにも唐突・拙劣な訪問であったと私には思えます。不明者の家族の落胆と怒りは当然でしょう。
小泉政権の二枚舌的対応も当然批判されるべきです。一方では北朝鮮を敵視、アメリカの「悪の枢軸論」にまるまる乗って有事体制を着々とすすめ、その一方で国交正常化・人道支援という矛盾。北朝鮮の対応もその下心を見透かしているかのようです。アメリカ一辺倒の北朝鮮敵視政策をやめ、国家間のルールに従って太平洋戦争・第二次世界大戦以来の不幸な歴史に早く終止符を打つことが必要ですね。
それはともかく再会できた2家族は無条件によかったと思います。家族がそろっていられる喜びはどんな困難も乗り越える力を与えるでしょう。それだけに、まわりの暖かい配慮と支援が求められます。とくに、これまでの「実績」から見てマスメディアの自重が肝要です。  


  5月21日 (金)
辺見庸さんの「動員と統制」(抵抗論所収)という一文は次のようにはじまっています。
「なんということだろう。戦争のための動員と統制の法案が通るというのに、反対の声はうらさびしい秋の地虫の鳴き声にもおよばないとは。衆院本会議で可決されたときには新聞の号外もなければ、テレビの実況中継もなかった。いつぞやは・・・(後略)」
昨日の有事関連7法案の報道でも全く同様ではなかったか。市民サイドの「国民保護法案ウォッチャーズ」は、「何故か『通過した』ことだけが、今日いきなり報道されています・・。法案はこの後、参議院に送られ、年金問題で世の中がバタバタしている裏で、国民統制法ともいえるこの法案が、来月初旬にもこっそり成立してしまいそうです!」と警戒警報。
このサイトでは「国民保護法案」(実は国民統制法。私に言わせると戦争協力強制法)に力点を置いてさまざまなアクションを提起し実行していますが、実際にはこれらの7法案は有機的に関連を持っています。イラク戦争のようなアメリカの海外での軍事行動に一体となって参戦していくことを可能にする「米軍行動円滑化法案」、そのために自治体、病院、航空・運輸、民間企業など国民全体を戦争に動員するための「交通・通信利用法案」、さらに住民の避難、土地・家屋の収用、交通規制など国民生活の統制を罰則付きで行うとする「国民保護法案」などがリンクしあい、平時からの戦争準備と戦時の国民総動員をねらう法体系となっているのです。
もともとこの「国民保護法案」は自民・公明だけでなく、むしろ民主党がこれを上回る「緊急事態基本法」を取引材料としていっしょに成立をめざしてきたものです。今日の各紙もこの修正について「修正されたのは国民保護法案で、大規模テロなどの『緊急対処事態』の際も政府が対処方針を定め、国会に事後承認を求めるとの規定を武力攻撃事態対処法に加えることなどを盛り込んだ。」(朝日)などと書いていますから、自・公・民は結局同じ穴のむじな。

首相官邸_有事関連法案
Asahi.com_有事法制

そうですね。自民党の元議員でさえ「翼賛国会だ」と表現したほどの状態。これこそ「緊急事態」ではないのでしょうか。首相の訪朝に対する熱狂ぶりに対して「日本有事」に対するこの冷ややかなマス・メディアの対応はどうでしょう。今日ではファシズムの足音は決して軍靴の音ではないのですね。
法案の全文を読んでさえいない議員がいるのだとか。明治公園での「有事法案廃案」をかかげた今日の1万人集会。貴重です。徹底して抗う必要ありです。


久しぶりに青空が広がりました。夕方日が沈む頃になってようやく北アルプスの山々から雲が消えてくっきり稜線が浮かびあがって見えてきました。日中は太陽に照らされているとその日ざしの強いこと。しかし、室内は涼しい風が通って日が沈むと急に気温が下がってきます。ここ数日まだストーブが必要です。東京では想像もできない気温の変化です。庭の草がこの数日の雨でまたのび放題でした。何という生命力。とってもとっても伸びてきます。また腰が痛くなってしまった。
今日はオクラを植えようと作っていた畝に2種類の「二十日大根」をまきました。もらったものがあんまりおいしかったので、これはつくらなくっちゃというわけです。オクラは「あんまりいそいで植えても結局夏にダメになるから6月でいいよ」という農協のおばさんの言いつけに従って、じっと我慢。あしたあたりもう一畝耕すことにしましょう。  


  5月20日 (木)
まだ雨が降り続いています。明日一日はまだ降りそうですね。憂鬱です。
今日は午前11時に母を宅老所に連れて行き、その足で大町のハローワークの求職と失業給付の説明会に出かけました。午後1時開会ですから相当間があります。そこで会場の大町文化会館の食堂で一休み。メニューはうどんが中心らしいので、釜揚げうどんを注文しました。来た来た。でっかいショウガが一個、おろし金付きで付いてきた。自分でおろして付け汁に適当に入れるということらしいのです。まさか一個食べる人もいないでショウガ。しかしこの大胆な出し方には正直参りました。
会場では7、80名が参加。熱心に説明を受けておりました。約2時間半もかかってようやく終了。何だか複雑そうです。とにかく私は今度の認定の日が6月3日。しばしば大町まで行かなくてはなりません。適当な仕事があればいいんですけど。
途中大町の本屋と文房具屋に寄って4時頃帰宅。それから、宅老所「たかちゃん家」のホームページを微調整し、施設のスタッフの了解を得てようやく私のコンテンツとしてアップしました。
しばらくは私の1ページですが、独立して閲覧できるようにもなっており、直接「たかちゃん家」にアクセスするには、URLをフルに打ち込めばいいのです。

宅老所たかちゃん家 http://www1.odn.ne.jp/moo_azumino/takachan/takachanchi_index.html

できるだけ沢山の方に見てもらって利用者が増えてくれたらうれしいですね。



 


  5月18日 (火)
今日は午前中から昼過ぎまでは何とか日も差していたので母を連れて夢農場までドライブをしました。安曇野の平野部とは異なって山の中なので緑があふれています。ところどころに桐の花やひなげし・野アザミが咲いて緑に彩りを添えています。
ラベンダー農場は池田町の中心部から車で15分ほど。結構な山道をくねくねと上り下りするので雪が降ったりするとヤワな車では危ないかもしれません。一山過ぎると急に視野が広がって遠くまで見晴らせるところにでます。そのあたりが農園の入り口。ところどころにカモミールの群落やアイリスの花が見え、程なく農場へ。
時期はずれの訪問なのでラベンダーは葉が出始めたところでしたが、それでもいい空気を一杯吸って緑のシャワーを浴びるのはいいものです。帰り際にはカモミールを摘んで、売店で買ってきたハーブ・ディーとブレンドして母と飲みました。
以前、近くのハーブ・センターでいろいろ買ってきて飲もうとしたハーブ・ティーはどれも独特の臭みがあって、ハーブっていうのはどうも私には合わないのだと思いこんでいましたが、このところカモミールといい、今日買ったレモン・マートルといい、香りも味も悪くなくこれなら気が向いたときに飲めるとちょっと見直しました。
これからいろんなハーブをいかに飲みやすく楽しめるかよく研究してみることにしましょう。やることがまた一つ増えました。
「安曇野の四季」のコーナーでラベンダー・ガーデン夢農場のあちこちを紹介しました。ご覧ください。

ラベンダー・ガーデン夢農場 http://www1.ocn.ne.jp/~yumefarm/index.html 


  5月17日 (月)
今日から安曇野生活2か月目に入ることになります。他から見ると、ほとんど外に出ない生活を1か月もよくやっていると見えるかもしれませんね。本人はこの生活が性に合っているらしい。曜日の感覚もちゃんとあるし、適当に外出しているのでそれほどストレスもないし、母もほんの少しずつですが慣れてきつつあるようなのでかなり世話も楽になっているし、今のところは何とかやれています。ただ、年寄りは明日はどうなるかは全く予断を許さないので、気を抜かないで次々と新しい手を考えてより快適な生活ができるようにしていかないといけません。
私の方は、昨日から二日がかりで押入の中のPC関係の部品やら周辺機器やらをとりだして分類し、もう一度箱に詰め直して押入に戻しました。沢山収納部分があるので大助かり。ものすごい量のパーツでビデオとどっこいどっこいです。そのほとんどが使い物にならない超古いものばかり。全く骨董の世界です。コンピュータ創世記の遺物です。しょっちゅうフリーズしたり問題を起こしたりするのを原因をつきとめて解決したり、パーツを増やして機能を拡張してよりよいものに仕上げていくといったことはよほどの物好きでないとできませんね。よくまあこんなことを飽きもせずやってきたものです。
マック愛好家でこうした古いパーツや周辺機器を必要とされる人にほとんどただで提供しようかと思っています。持っていても宝の持ち腐れでもタンスの肥やしでもなくただのゴミですから。もっとも、マックの場合は中古市場が割と盛況で、レアなものであればそれなりに値がつくので、ちょっとは期待も。
ようやく昼過ぎまでかかって何とかこれらを整理し、夜母を布団に入れたあとは宅老所「たかちゃんち」のホームページづくりの続きをやっていました。ヘルパーさんが来ている間に「たかちゃんち」まで写真を撮りにいき、それを組み込んで素案をほぼ完成しました。明日でも見てもらいに行って、当面私のホームページの特別編として収録し、「たかちゃんち」にインターネット環境が整い次第自立させようともくろんでいます。
下の写真は民家を改造した「たかちゃんち」の全景です。





  5月16日 (日)
今日はまた朝から梅雨のようなジトジトした雨模様。何処にも出られない日は憂鬱です。
昨日ビデオテープを整理したことが引き金になって、いままで気になっていたPC関係の持ち物を押入から出して整理にとりかかりました。これは思ったより大ごとで、どうも2,3日はかかりそう。押入にはOld Macやその関係のパーツやソフトなどが山のように入っていて、全く脈絡なく入っているのでいったん取り出してもう一度整理し直して収納するということをやっていると、腰は痛くなるし時間はかかるし・・・。まあ、10年間にわたってためこんだものを整理するわけだからやむを得ないといえばそうなんですけど。
ただ出すだけならそれほどでもないのですが、かなり動かしていないOld Macの場合は周辺機器をそろえてつい動かしたくなるし、脇道にそれるとそれに夢中になってしまうというMac Crazyの本領発揮。SE/30が起動直後にシステムエラーの頻発を起こして、ヒステリー症状です。多分これまでの経験からこれはどうやら内蔵電池の寿命のせいらしい。何度か電源を落としたり入れたりしているうちにちょっとずつ回復し、夕方にはほぼ正常な動作にもどりました。長い間Old Macにつきあっていると、癖もわかってきますからね。これで何をするわけでもないのですが、何しろグレー・スケール・アダプターとDiimoカードつきでさらにClinton製ディスプレーというマニア垂涎の一台ですから、ちゃんと動いてもらわないと困ります。
パワー・ブックも何台もあるので、それらをいちいち起動チェックしているとまたまたこれらにのめり込んでいった時期の再現ということになりかねません。ここいらで気分転換。バレーボール対ロシア戦の応援といきましょう。





  5月15日 (土)
ようやく晴れ間が見えた今日。山々もくっきりきれいに見えていました。頂上付近の雪も大分少なくなってきました。近くをドライブしているとあちこちで絵描きさんがキャンパスを広げて田園風景を描いています。のどかな田園の一日です。定点のポイントに写真を撮りに行ったら、近くの農家のおばさんたちが道路脇の草をとってポピーの手入れをしていました。肥料が効いているので大きく育って今から花が咲くのだそうです。もう片方の道路脇には赤いポピーが咲きそろって素晴らしく美しい。



午後から、昨日届いたビデオ・ラック2台を組み立てるのにすっかり時間をとられ半日がかりの仕事になってしまいました。ドライバーを回しすぎて手が痛くなり、おまけにビデオを整理するのにも時間をとられて結局それ以外に何もできませんでした。いずれしなければならないことでしたから思い切ってやってよかったのですが、壁一面のビデオテープというすごいことになってしまいました。あとはこれを見るだけです。疲れた〜。

掲示板でMNEMOさんが伝えてくれた情報ではNさん、いよいよ手術になるとのこと。胆石はそれぞれに症状は違うものの一般には痛みがひどいといいます。母の場合は痛みはそれほどではなかったけれど、急に気持ちが悪くなり吐き気や微熱の症状が出て、結局胆嚢を除去し胆管のバイパスをつくる手術をしました。結果は良好で現在は何ともなく過ごしています。Nさんの症状はどうなのかわかりませんが、手術で完治する病気ですから早くよくなり現場に復帰されるように心から願っています。その間、教室のみなさんも分担して授業をしなければなりませんから大変でしょうが、何とか乗り切ってくださいますように、遠くからですが応援しております。近ければお手伝いに行けたのですけれど・・・。


  5月14日 (金)
小泉さんも6年何ヶ月か国民年金の未納期間があったんですね。ついこの前は「もう60過ぎていますから年金を払うべき期間は過ぎている。払うべき期間はすべて払っていた」と明言していたわけだから、さあ、この責任はどうするんでしょうね。まさに「自己責任」ですよ。これは。

昨日宅老所に行った母は帰ってからどことなく興奮がおさまらず、話すこともうわずっていて手こずってしまいました。何とか寝てくれたのはよかったのですが、今日はいつまで経っても起きないで泥のように眠っていました。12時過ぎてようやく目をさまし、ヘルパーさんと散歩に出かけたりしていましたが、ヘルパーさんが帰るとまた眠くなってぐっすり。しばらく大勢のところに行ったことがなかったので、よほど気疲れしたのでしょうね。少しずつ慣らしていかなければいけないと思いました。
おかげで私はどこにも出かけられず、家で今日届いた机やラックの組み立てと、「たかちゃん家」のホームページづくりをやっておりました。



午前中は曇り空が広がっていましたが、夕方が近づくに連れて晴れ上がり日が沈む時間には山にかかった雲も消えて、安曇野からの北アルプスのすばらしいパノラマがひろがりました。
上の写真は夕日が沈んだ後の安曇野。永住候補地の前から見た景色です。

ところで、今日の女子バレーボール対韓国戦は見応えがありました。今までの試合ではフェイントに弱かったり球を拾えなかったりして点を落としていましたが、今日はまるで見違えるようによく動いて球を拾っていたし、第一セットで流れを変えた佐々木選手のパックアタックは最後までその威力を爆発させていたし、それぞれの選手が持ち味を生かして多彩な攻撃を見せてくれて文句なしの勝利でした。全日本チームの可能性は試合ごとに花開いていくように思えます。オリンピックまでにさらに練習をつんで素晴らしいプレーを見せてほしいものですね。


  5月13日 (木)
ホームページで知り合った町会議員山本久子さんの紹介で、つい先日オープンしたばかりの宅老所「たかちゃん家(ち)」に母をつれて見学に行きました。
玄関を入ったときから見学というより、ずっと前からの親しい顔見知りのように扱ってくださり、最初警戒していた母も所員のみなさんのもてなしに気分をよくしたのか次第に打ち解けてノリノリの気分になっていったようです。
初めてなのにもかかわらず、いっしょにおいしい食事をごちそうになり、しかもお風呂にまで入れていただいて、帰ってきたときにはすっきりした顔をしておりました。紹介してくださった山本さん、初めてなのに気持ちよく長時間対応してくださったみなさんに心からお礼申し上げます。
宅老所としては池田町では初めての開所のようで地方新聞でも大きく取り上げられていました。それによると先日の開所式には町長はじめ町役場の方々や、開設に奔走された関係者の方々がおおぜい出席されたということです。
普通の民家を改築したこの施設はNPO法人「染めもの屋」が運営しており、収容定員10名、所員と利用者のお年寄りが家族のようにリラックスして過ごせる施設をというコンセプトで開所されたものだということです。
私も一緒に昼食をごちそうになったり、お年寄りと話したりして楽しい時間をすごしました。この施設の一日の生活では何か特定のスケジュールが決められているわけではありません。一人一人の生活と気持ちを優先し、利用者に十分目と心が行き届くように配慮して運営されているとのことでした。しばらくおじゃまして様子を見聞きしていてもそのことがよくわかりました。どうやらこれから週に1,2度利用させて頂くことになりそうです。母もいろんな人たちから刺激を受けて楽しい生活を遅れるのではないかと思います。これからが楽しみです。
家は大町との境の環境の良いところにあり、すぐ目の前は広々としたレンゲ畑が広がってすぐそこには山々が見えます。きれいでした。天気の良い日には散歩には絶好の場所です。これからもしばしば母と一緒に来てお手伝いをしたり、いろいろ取材をさせて頂こうと思っています。このホームページ上でもコンテンツの一つとして「たかちゃん家」を作って池田町のみなさんに紹介したいという気にさせられてしまいました。
これはおまけですが、私が母を預けて家に帰ろうと施設をでたら、玄関先に例のあのニョロニョロした1メートルほどの細長いヤツが挨拶に来ており、私を見てレンゲ畑に逃げていきました。


  5月12日 (水)
朝日新聞web版で、フォトジャーナリスト森住卓さんの「私たちはいま、イラクにいます」(講談社)が産経児童出版文化賞(産経新聞社主催)の1つに選ばれたが森住さんが受賞を辞退したと報じられているのが目にとまりました。 記事では、「森住さんは劣化ウラン弾の影響とみられる障害のあるイラクの子どもたちを撮り続けている。『この戦争を産経新聞社はどのように伝えたのでしょうか。日本政府が加担する姿勢を批判したのでしょうか。賞を受けたらイラクの子どもたちに顔向けできなくなってしまいます』とのメールを10日、産経新聞社に送り、辞退を伝えた」と書かれています。
彼のまともな感覚に敬意を表したいと思います。ちょっとでも産経新聞の社説を見てみるといいでしょう。たとえば手軽な社説検証「イラク人質事件」とか、「首相の靖国参拝」など。自衛隊のイラク派遣を誰よりも歓迎し煽り、人質事件では「自己責任論」の先兵の役割を果たす。靖国問題では「もっと堂々とやれ」と檄をとばす。知る人ぞ知る立場です。,
私が産経や読売などの記事を批判する際の基準はたった一つです。日本国憲法の条項に適合しているかどうか。もやはぼろ切れのようにされている憲法だけれど、それ故に自己修復し光をとりもどしていかなければならないでしょう。
森住さんの選択は、個人的な意図はどうあれ客観的には憲法の精神を確認する一つの行動であると私は思うのです。





  5月11日 (火)
自民党の福田官房長官辞任、民主党管代表辞任というニュースで報道番組は連日にぎわっています。福田長官の「潔さ」に比べて民主党のごたごたはどうだというレベルの報道が主流をしめていますから見ていても実に情けない。
福田長官の辞任は心理戦だとか、いやあれは本心だとか、小沢代行は代表になる意志がないとか、福田長官の辞任で民主党は追い込まれているとかということは、なるほど表面的にはそうかもしれないし部分的にはニュースになりうることもあるでしょう。しかし、最も大事なことはなぜ福田も管もやめなければならなかったかという問題です。国民年金の未納というあるまじきことがあったからですよね。そこには年金問題をめぐっての国民の不満や激しい怒りが込められていたはずです。
しかもいま国会で審議されている年金法案とは、厚生・国民年金ともに保険料を10数年にわたって連続的に大幅に引き上げ、一方の給付は2023年度まで連続的・自動的に切り下げ一律15%カットするというしくみを導入しようというもの。国会審議抜きでこれが自動的に行われ、しかも財源確保のために消費税の増税を盛り込んでいるというしろものですから、国民生活にとってはまさに死活問題です。従ってテレビ・新聞などはマス・メディアの使命としてその本質的な問題点を解説・報道する責務があります。ところが、その議論は結局棚上げされて3党合意が通る・通らないという程度の報道で終始しているのですから、私からみれば表面的なことに国民の目をむけさせ本質的な問題を一切隠してしまおうという意図しか感じられません。将来の消費税の引き上げが連動するなどということもどこかに置き去りにされています。
年金制度は国民の生活を生涯にわたって保障する、いわば生存権の根幹をなす社会的制度です。それをろくに議論もせず、裏取引に近い「合意」などで幕引きをしようというそもそもが間違っていませんか。むしろ各党の年金についての政策を国民の前に明らかにし、徹底的に討論し、国民に信を問うべき重みをもった問題ではないのでしょうか。


  5月10日 (月)
今朝もまだ冷たい雨が降り続いています。6時半起床。母もぐっすり眠ってくれたようで一安心でした。
朝窓をあけて縁側に足をのばして一服というのが私の日課になっていますが、今日も雨にかすむ山々を見ておりました。すると懐かしい鳴き声が。「ピーヒョロロロロ」という鳶(とび)のあの甲高い鳴き声です。大きな鳶が直ぐ前の電柱の先端にとまって辺りの様子をうかがっています。「睥睨(へいげい)する」という形容がぴったりの威厳ある姿。遠くでも同じように呼び交う声がします。久しく聞いたことがなかった鳴き声。雨のせいなのか突然の訪問です。田のカエルでも探しにきたのでしょうか。
ところで、鳶の姿を見ながら、ついこの前まで小5のみなさんと鳶に関することわざを勉強していたのを思い出しましたよ。え〜「鳶が鷹を生む」「鳶に油揚げをさらわれる 」「鳶も居ずまいから鷹に見える」・・・。みなさん、覚えていますか?
この約3週間くらいの間に、他にもいろんな小動物を見かけました。まず驚いたのが夕方の蝙蝠(こうもり)。子どもの頃には頻繁に見かけたものでしたが、東京では全く見かけなかったので、もはや”絶滅”したのかとさえ思っていましたよ。しかしちゃんと生息していたのですね。感動ものでした。これまた、え〜「鳥なき里のこうもり」「こうもりも鳥のうち」。なんだかコウモリがかわいそうですね。蝙蝠って鳥でしたっけ?「鳥のように自由に飛べる唯一の哺乳類」なんですね。しかも超音波を発信しながら飛ぶんですから人間のあこがれのはずですね。すごいですね。・・・あれ、だんだん口調が淀川さんになってしまった。
遠く煙る山からは「ケンケーン」という雉の声が。「雉も鳴かずば撃たれまい」。田んぼにはいくつかの鷺(さぎ)の姿も見えました。「鷺を烏(からす)」。鳥にはみんなことわざがくっついている。こうしてみると、ことわざって農村でまずつくられたんでしょうかね。これからもっといろんな小動物(+ことわざ)に出会うことでしょう。楽しみです。

転居の案内も一段落ついて今週から私の仕事さがし。今日はヘルパーさんに来て頂いて大町のハローワークにでかけます。どう考えても一日中家に閉じこもっているというのは不健康ですからね。介護の専門家の知恵も借りながら、何か仕事をしつつ介護もするという見通しを立てられないか模索してみることにします。まあ、この歳で新しい仕事といってもなかなかむずかしいかもしれませんが、やってみるだけ。



昨夜は野添さんの「村の風景」を読み進んでおりました。かなり古い本ですが、はじめの章では戦後の農村の移り変わりを概説していて大変参考になりました。私の住まいのすぐ近くの田もきれいに区画整理され、すべて機械で耕したり稲を植えたりしていますから、農作業の人影を見ることは普段はほとんどないのです。どこでもそうなっているはずですね。しかし、昔からそうであったわけではない。60年代の農業構造改善事業以降の大変化です。私には農村の風景を見る場合、ただ景色が美しいとか、のんびりしているとか、すがすがしいというような皮相な見方でよいのかという根本的な疑問があります。もっと土に聞くというか、風の声に耳をすますというような多少文学的な表現に近い衝動を感じており、さらにはこの土地で長く仕事をしていらっしゃる方からもいろんな話を聞いてこの土地の過去・現在・未来を考えてみたいと思っています。


  5月9日 (日)
今日はまた朝からしとしと雨が降って次第に気温が下がってきました。母の日です。いつ誰がどのようにしてこの日を決めたのでしょうね。心憎い日ではあります。家族からお花やメッセージがとどきました。ありがとうね。それにくらべて父の日は何となく付け足しみたいですね。昔から母は強しでしたから世のお父さんは別に不満もないでしょうけれど。
夕べはいろいろな方から連絡をいただいてその返事を書いていたり、家族にメールをしていたりしてつい夜更かしになってしまいました。その分今日の朝にしわ寄せ。久しぶりに寝坊しました。昨日から今朝にかけて、私自身にとっても大変懐かしい方からメールをいただき、しかも素晴らしい本格的な写真付きでしたからしばしぼう然と見とれていました。カメラも違えば腕も違うんだと言い聞かせつつ、今朝は小雨の中向かいの方に庭先のボタンやクレマチスの写真を撮らせて頂きました。
送られてきた写真をみながら思うんですが、Sさんだけでなく沢山の愛好者が写真にとりつかれる気持ちわかります。私も予算さえ許せば一眼レフ、望遠レンズなど機材一式をそろえて安曇野周辺の自然や植物・動物を写したいと思いますもんね。しかし、私は如何せんPC機材の方に予算がまわってしまい、カメラは普通のデジカメで我慢。使いこなしによってはかなりのところまでいけるのではないかと自分を慰めています。私は私なりに写して私の見た安曇野をこれからも紹介していくつもりです。
変な書き方をしてしまいましたね。Sさん、お便りは本当に懐かしくうれしかったのですから気を悪くしないでくださいね。写真それほど素晴らしかったということです。またたくさん素敵な写真を送ってください。場合によったら安曇野の四季ー特別号ーでたくさん紹介したいほどなんですよ!!

昨日は割と良い天気だったのでお隣さんの庭先では子どもたちが集って水遊びをしたり木ぎれを持って剣道のまねごとをしていました。そういえば昔雑木林の木ぎれをひろって「チャンバラ」をしていたことがありましたねえ。つい子どもの頃を思い出してしまいました。


  5月8日 (土)
昨晩夢見が悪かったのか深夜にまた母の一人舞台が上演されてしまいました。何かのはずみに昔の自分に戻っていくのです。目の前には小学校で教えた子どもたちや空想の世界の子どもたちがたくさん並んでいて、その子どもたちに向かっていろんなことを話しかけるというただそれだけのことなのですが、私の一番眠い深夜に延々それが続くので睡眠不足になってしまいます。私が近くに行っても平気で話していますし、普通の顔つきでさも教師然として大きな声で話しかけているので、おそらく誰か他の人が見たら何事かと驚くことでしょうね。それほどに教師時代の思い出が強烈だったということなのか、身も心も教職に捧げてきたということなのか、私の想像を超えた世界に母は住んでおります。人間の頭の働きの不思議さ、奇妙さ、複雑さ、哀れさなどいろんなことを感じます。一度覚醒させて、部屋を暖かくしもう一度寝てもらったら、それからはぐっすり睡眠モードに入りました。しかし今度は逆にそれからさめなくなってしまい、今日は昼もずっと寝っぱなし。ようや夕方になってケロッとして起きたので、夕べはこうだったと説明すると申し訳なさそうな顔をしていました。全く覚えていません。しっかり睡眠をとったあとなので、またまた今晩が怖い。

一昨日から昨日にかけて転居の案内状を出しました。ようやく印刷ができあがり、名簿を整理して出したのですが、早速今日いくつかの連絡をいただいて対応に追われておりました。ご連絡頂けるのはありがたいことです。


  5月7日 (金)
日ざしは強いもののからっとした良いお天気でした。車の中は炎熱地獄ですが、日陰では結構すずしく夏はしのぎやすいのかなと期待を抱かせます。なにしろ夜にはいるとストーブがいるほどに冷えるので今なお寒暖の差はものすごい。東京とはまるで勝手が違うので面食らってしまいます。
今日はヘルパーさんに来てもらう日でしたので、転居の案内を出したり、まだ残っていたいくつかの手続きをしたり、家を建てる土地の調査をしたりで忙しく動き回っておりました。
役場のすぐ横には町立の図書館があります。役場に寄ったついでに図書館の様子を見てきました。新刊のコーナーといってもそれほど沢山本が並んでいるわけでありませんが、足繁く通って調べてみればいろんな本を発見できそうです。農業や環境といった本のコーナーが割と充実しているのはさすが池田町だからでしょう。これからこの図書館を大いに利用してしっかりと勉強しなければいけないなと本を眺めながら強く思いました。またまた挨拶代わりに「村の風景」という野添憲治さんの本を一冊だけ借りてきました。



ところで念願の家庭菜園には、現在のところトマト8本。キュウリ4本。ナス2本。ピーマン2本。カボチャ2本。レタス6本。あとジャガイモ少々。今日南側に一畝を耕してオクラを植えようと思っています。あしたは「べんり菜」の種をまくぞ。だんだん晴耕雨パソに近づいてきました。よしよし。


  5月6日 (木)
夕べはあれほど曇って肌寒い天気だったのに今日は一転快晴の上天気。母を連れてクラフト・パークまで行き景色を楽しんできました。
公園のあちこちにはスケッチブックを広げて絵を描いているグループやカメラを構えている人もがいました。ここから町の向こうに北アルプスを見る景観は何度来ても絶景です。県道からパークまでの片側はラベンダーの列。新芽も出そろってまもなく花をつけるのでしょう。これも楽しみです。家の直ぐ近くにはラベンダー農場もあって、その時期には見に行こうと思っています。よくよく観察すると家々の周りには沢山のラベンダーが植えてあり、花をつける時期が本当に待ち遠しい。
太陽の下にいるとものすごく暑いのですが、日陰はとてもすずしくなんともいえないよい気持ちです。そうなんですね。田植えもほぼ終わった5月上旬のこの時期が安曇野の最も輝く時期なのかもしれません。
もっとも今日はパークからの帰りには銀行や郵便局によっていろんな手続きをしたり振り込みをしたりして忙しく母もちょっと疲れ気味。母が昼寝をしている間に、私はさらに役場や郵便局に出かけてさらに手続きやら移転の案内の準備やらをしなければなりません。



町田では駅前に行けば喫茶店はあるし、パン屋はあるし、本屋もあるし、もちろんスーパーやその他ありとあらゆるものがそろっています。長野池田町でも近くにはメガ・マート、マックス・バリューという超大型の何でも屋とかアップルランド(マック専門店ならよかったのに!)という食料品店があってある意味では都会と全く同じかそれ以上の便利さがあります。しかし、大きな本屋がない。散髪したいのに理容店がない。おいしいコーヒー屋さんがないのです。レンタル・ビデオ屋さんがないとかお茶の専門店がないとかマック専門店がないなどと言うつもりはさらさらないんですけど・・・。贅沢な悩みなのかな。みなさんどうしているのでしょうね。
先日町の小さい本屋さんを見つけてマックの雑誌がないか聞いてみたのです。そしたら、予約をしている分しか入らないので店内にはないということでした。がっかり。仕方がないので「マック・ピープル」を注文。もう一つ「日経リナックス」も頼んだのですが、これはどうやら私が初めてらしい。そんな場所ですよ・・・みなさん。
その日は店内をゆっくり見回して、挨拶代わりにレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」と松本猛さんの「ちひろ美術館の絵本画家たち」という2冊を買って帰ってきました。もちろんこれからは新刊はあまり買えないので、近くにある町の図書館をできるだけ利用するつもりです。
そうそう、今日は我が「菜園」に「レタス」を植えました。それから「坊っちゃんカボチャ」というのが面白いよと言うお店のおばさんの言葉につられて買って植えてしまいました。小さい玉が沢山なるらしい。妻の植えてくれた一本と合わせて2本のかぼちゃが東西両横綱のように庭に控えています。やがて蔓をどんどん伸ばしていくのでしょう。
というわけで我が家の庭も少しずつ家庭菜園らしくなってきました。まだ写真でお見せ出来るほどでないのでご容赦を。そばを通る近所の人は「よくやるねえ」「たくさん植えたねえ」と必ず声をかけてくれます。外に出ているといろんな人と顔見知りになれるのでうれしいですね。


  5月5日 (水)
昨日からの雨がようやく上がったので、今朝早く二人で近くを散歩してきました。兼業農家の方はこの連休が仕事のかき入れ時ですから耕耘や田植えに忙しそうでした。道々挨拶をするとみんなにこにこと返事を返してくれて気持ちがいい。あいにく雨雲が低くたれ込めて遠くの山々は雲で覆われ山水画のような雰囲気です。今日で大型連休も終わってあしたからまた仕事という人が多いはず。私も引っ越し週間が終わっていよいよいろんな意味で行動開始の時期です。
今日はこどもの日。自分の子どもに対して親らしいことも出来なかった私ですから子どものことを書くのはおこがましいのですが、それだけに自分自身の問題としても子どもや老人のことに関心を寄せざるを得ません。この日本で子どもやお年寄りが住みにくくなっているのは大都会だけではなさそうですね。一見のどかで人間関係にも問題がなさそうな田舎町でも子どもに関する限り地域の差はないからです。引きこもりや不登校、暴力といった問題はどんな地域にも蔓延し子どもたちをむしばんでいるような気がします。子どもの問題は大人社会の反映でもあるし、子ども同士の人間関係のありかたの問題でもあるのでしょうね。
かつて私の二人の子から、問題を抱えた両親(もっぱら私の方)のもとで自分たちが「グレなかったのは小さいときにスキーとか旅行とか、いろんなところに一緒に行って遊んだ楽しい思い出がいっぱいあったから」だと告げられたことがあります。こどもの日、私自身も二人がくれた楽しい過去を思い出しながら、世界中の子どもたちが子どもらしく生きられるように願うことにします。





  5月4日 (火)
手元にOffice:Macのバージョン・アップの案内が届きました。もちろんあのマイクロソフト社からです。
Office2004 for Mac Standard Editionでアップグレード版は2万6千円くらい。まともに通常版を買うと4万6千円です。
2年に一回くらいのアップですから頻繁に事務用に使っている人からするとこんなもんかという気にもなるのでしょうが、せいぜい使うのはワードくらいという私のような非事務系の道楽人間にとっては、これは痛い出費です。何となく持っているとよさそうかなという気持ちでずっとアップグレードに応じてきましたが、さて今回はどうしよう。
OSXを使っているとワープロソフトは別にワードでなくてもいいし、エクセルほどの多機能を日常で使うわけでもないし、古いソフトでも全く問題はないわけで・・・。Open Officeも相当に充実してきているのでいっそLinuxオンリーにしようかとさえ何度も思いましたが、Linuxはデスクトップ環境としてはまだあまりに非力ですからそうもいかず、結局いつもビル・ゲイツさんの作戦にまんまと乗ってバージョン・アップするはめに。
学生にアカデミック版というのがあるのだから、私のように退職して収入のない人に対しても簡単にアップ・グレードできる「シニア版」みたいなバージョンをつくってくれ。ビル・ゲイツさん。


  5月3日 (月)
この大型連休は農家のみなさんにとっては田植えの時期と重なって連休どころではない忙しさでしょう。
近くの田んぼでも朝から家族で田植えに忙しそうでした。もちろんそうはいっても機械化されていますから、苗を植苗機につんで走らせれば本当に見る間にきれいに苗が田に並びます。よくよく見るとすごい技術ですね。これから追肥とか除草とかいろんな作業があって初秋には稲刈りということになるのでしょうか。散歩がてら見物している私など作業をしている方からみれば全くのお気楽トンボです。
今朝は日は差しているのですが、西の空が雲で覆われ、時折突風が吹いて天候も下り坂という感じです。タンポポの白い綿毛が風に飛ばされて舞い踊っています。



お世話になったN先生がご病気とMNEMOさんが掲示板で知らせてくれました。場合によっては直ぐに手術をしなければならないこともあるのでしょうから、ご家族のみなさん、職場のみなさんもさぞご心配のことと思います。
一日も早く全快され、またいつものように快活にご活躍されるように願っています。


  5月2日 (日)
昨日夕方から妻が池田町の我が家に来てくれ、連休中はつかのまの夫婦・母の生活ということになりました。料理をつくってきてくれたりやこまごました雑貨などを沢山買いこんできてくれました。普段母と二人だけで生活をしていると気がつかないところもあっていろいろと助かっています。今朝は二人で移住する新しい土地の候補地を見てきました。結構あちこちに宅地造成地があるので、住みやすく景観の良い場所をこれからも精力的に探そうと思っています。

さて、明日は憲法記念日。4月30日や5月1日の各紙の報道によると自民党の安倍晋三幹事長はアメリカ保守系のシンクタンクの牙城といわれるアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)で講演されたようですね。以下は産経新聞半沢特派員による記事です。

安倍氏は、このなかで日米の同盟関係について「連帯と信頼のない同盟は単なる『紙』にすぎない」として、イラクへの自衛隊派遣は「日米安全保障条約に裏打ちされた強いきずなで結ばれたものであることを実証した」と評価した。 そのうえで「権利は有しているが、行使はできない」としている集団的自衛権に関する政府解釈について「限界にきている」と語り、日米の同盟関係の双務性を高めるためにも解釈を改めるべきだとの考えを強調した。 また、「一貫して改憲論者だった」と自身の立場を披瀝(ひれき)し、改憲が必要な理由として(1)現行憲法の制定過程に問題がある(2)(武力行使を禁じた)九条などの条文が時代にそぐわない(3)日本人の手で新しい憲法をつくるという精神が国民に芽生え始めた−ことを指摘した。憲法改正がタブーとされてきたことを、「こうした風潮は打破しなければならない」と訴えた。

さらに、共同通信の配信によると、安倍氏は・・・小泉純一郎首相がイラク戦争を支持した際に日米関係の重要性に触れたことを「同盟の神髄だ」と位置付け、「この発言は多くの国民の支持を持って迎えられた」と説明。自衛隊のイラク派遣は「歴史的な決断だった。国家百年の計を思惟(しい)した深甚なものだった」と評価したと紹介されています。
また他紙では、戦後の憲法論議に対して「敗戦の呪縛からか、憲法を不磨の大典のごとく扱い指一本触れてはいけないとの風潮が支配的だった。マインド・コントロールのようなものだ」と述べたとも報道されています。

さて、こんなことを長々と引用するのはばかばかしいほどですが、保守勢力の改憲論議を非常に明確に述べているわけですから彼らの考えを知る上では「貴重」です。
それにしてもこれほどの露骨な改憲論議を公然とアメリカで披露して恥ずかしくないんですかねえ。
戦後日本を占領したGHQから自前の憲法草案の起草を求められ日本側の提示した試案は戦前の「大日本帝国憲法」から一歩も外に出ていない情けないしろもの。結局自前で新しい憲法を作る能力がないとしてアメリカ主導で提示されたのが現行憲法だったわけですが、よもやそれを知らないはずはありませんからね。その彼らがいまアメリカで「押しつけ憲法論」「9条の改訂」を恥ずかしげもなく主張しているのですからその感覚たるや・・言葉がありません。彼らの改憲をねらう最大の動機が「日米の同盟関係の双務性」なのだと、これも率直に述べてくれていますね。憲法を安保レベルの軍事体制に即応したものに改変したいという「切なる願い」がにじみ出ています。結局日本の支配層のねらいは「国家」の安全を前面に押し立て、アジアの盟主として軍事行動も自由にできる安保即応型の社会を完成させることなんでしょう。
瀕死の日本国憲法をよみがえらせるのか、それともさらに切り刻んで闇に葬ってしまうのか、今年の憲法記念日はこれまでにもまして対立軸が明確になっているような気がします。


  5月1日 (土)
青葉の季節、風薫る5月。中学や高校に入学したみなさんならば、もう5月かと思うでしょうね。私も気がついたらいつの間にかこの季節。いろんなことをやってきたようで、そうでもないようで、ちょっと複雑な気持ちで5月1日を迎えました。
さて、今日はメーデー。114年前にアメリカの労働者が8時間労働制を要求して立ち上がった日。今年のメーデーでは当然年金問題がスローガンの前面に掲げられるべきでしょうね。
この年金。ここしばらくのテレビを見ていて国民年金の未納議員がどんどん増えてきていることに唖然としております。
「議員年金に国民年金が含まれていると思っていた」とか「厚生年金を脱退したときに自動的に国民年金に加入しているものと思っていた」などと平気で言っています。およそ庶民とは感覚のかけ離れたこんな議員たちが年金の制度をいじっているんだからどうしようもないですね。国民年金だけで老後の生活をするというのはどのようなことか、おそらく全く想像することもできないのでしょう。彼らの不始末を本気で反省するなら現在の年金法案を白紙に戻すべきです。
ところが、彼らは例外なくこうした自らの不見識・不手際を棚に上げて「制度が複雑すぎるからだ」と制度問題に転嫁していますから呆れてものがいえません。複雑すぎるのではなく不勉強なだけです。もし複雑だというのならそんな制度をつくったのは彼ら自身じゃありませんか?? 年金についての基本的な認識が欠如しているのですから、この点からも年金問題を審議する資格はないというものですよ。全く。いまいましい。
このままいけば日本の年金制度は間違いなく恐るべき空洞化に見舞われて完全に破綻するでしょう。加入しない、保険料を払えないのだから原資がない。原資がないから定年後年金を受け取れない。いっそうの低位一元化がすすみ、ますます空洞化する。果てしなきこの悪循環です。
このことを考えるうえで、日本の大企業と政府の共同責任に目を向けておかないといけません。まず企業は歴代の保守政権による立法措置(労基法「改正」など)に援護されて、雇用形態を正社員中心から臨時・派遣・パート中心にどんどん切り変え、不安定雇用労働者を歯止めなく増やしてきました。その結果が一方の極での「過労死」につながる過密・長時間の労働ともう一方の極でのフリーター、パートなど低賃金・不安定雇用労働者の増大です。これらは決して年金問題と無関係ではありません。なぜなら年金制度を支えるには安定した雇用状態のもとで原資を担う勤労者の数を増やすことが大前提だからです。自民・民主の年金「改革案」はその点に目もくれず消費税に財源を求めるのですから本末転倒です。雇用と労働時間に関してせめてヨーロッパに並に大企業と政府の手を縛らない限りやっぱり年金制度の破綻は必至です。


ところで話はまるで変わりますが、昨夜はNHKの「素顔のペ・ヨンジュン」を見ていました。うわさ通りの知的で笑顔のステキな青年でしたね。「冬のソナタ」の雰囲気を失わないように演出したというスタジオで、ドラマで使われた音楽をバックに彼からいろいろ話を聞くという趣向。この番組を見れば女性でなくとも彼の魅力には依存はないところでしょう。
物静かでどこにでもいるようなこの青年がなぜこれほどに日本の女性をひきつけるのでしょうか。面白いことです。そうですね・・・この雰囲気の俳優は日本にはいませんね。まっすぐ前をむき、ひたむきで情熱を内に秘め、物静かで知性的な雰囲気をもった俳優であるように彼は見える。やさしい笑顔ですべて受け入れてくれそうですね。押しつけがましいところは全くない。さりとて卑屈でもなく自分の意見をしっかり持っている。なかなか。相手役のチェ・ジウも似たような雰囲気を持っているように思えます。まるで女性向けのコミックスから抜け出してきた主人公みたい、といった人がいたっけ。
一人の役者といえどその国の人間たちのありようが作り出すのだろうと私は思います。彼のような役者を何故日本がうみだせないのか。いやいや、この国にも可能性をもった青年はたくさんいるはずですよね。役者としても人間としてももっともっと大きな可能性を持った青年が・・・
彼はインタビューの中で次のように答えています。「最近の文化は刹那的で刺激的ですぐに忘れられてしまう。それに対してひたむきさとか一途で純粋な愛とかという長く忘れられないものを冬のソナタを通して表現したかった」・・このもの言いは無難でちょっと平凡すぎますが、私なりに言い換えれば、ひたむきさとか一途さなどというヤワなのは日本では問題にならなかった、もっと言うと「カネ」にならなかったということです。カネになる役者ならどんな幼稚な者でもどんどん使い捨てにしていく日本の映画や音楽の世界の現状を彼の言葉は見事に指摘してくれているのではないのでしょうか。ストーリーに格別の目新しさや社会性があるわけではない。韓国メディアの中で意識的に作り出されてきた面ももちろんある。それでも「冬ソナ」現象と言われるペ・ヨンジュン・フィーバーに隠されたものが何かをよくよく考えてみる必要があると私には思えました。
さまざまな質問にも言葉を選びながら的確に淡々と答えていく彼の表現能力は大したものです。私は若い人が単に彼の笑顔に夢中になるだけでなく、そうした人間としての力量にカルチャー・ショックを受けてほしいなとつくづく思いましたよ。どんな女性に魅力を感じるかという陳腐な質問にも「ハートがあって純粋で自己啓発を怠らない女性、表情が美しい女性」(一部記憶があいまいです)と答える彼。さすがです。




"Goodbye My Friends" by Mr.Blue Piano Man


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