< 日記索引へ >  < ホームへ >     

3月31日(水)  晴れ      別れの日  
花冷えなのか、少々肌寒い朝を迎えました。平成15年度最後の日。年度末異動に伴う退職者、転職者の辞令交付の日です。
気持ちが高ぶって早々と目が覚めてしまいました。異動のなかった私には関係ないことなのですが、人ごととは思えずつい興奮してしまうのです。
今日は離任式もあり、朝から準備で忙しく動き回りました。毎年この日はお別れの儀式が行われるので、入所者の方々も当たり前として受け止めているようです。ケーキを食べながらの「お別れ会」だけが楽しみの人もいます。淡々として何も感じない人、涙で送ってくれる人、老人ホームの一日は騒然とします。
退職者の中に25年もこの職場に貢献された方がいます。この方は異動もなく勤め上げたこともあって「皆さんと一緒に過ごせて幸せでした」と涙涙の挨拶をしていました。別れは期間の長短に関係なく涙を誘うものです。とくに同じ職場で何年も過ごした方はやはり感無量といったところでしょう。
かつてこの職場は陸の孤島で異動のメスも入らず、昇格も対象外だったといいます。その時代の生き残りのお一人だったのですね。現在のような人事異動が施行されたのは10年前ほど前からで、ちょうど私がお世話になった時期と重なっています。それ以来新しい息吹が吹き込まれ、だんだん職員の意識も変わってきました。
3月は別れのとき。4月には出会いがあります。明日はまた新たな出会いの新任式。生き生きとした働きやすい職場を目指して、さあ新年度にバトンタッチ。頑張ろう。

3月30日(火) 曇りのち雨     市内にも桜前線  
富山地方気象台はきのう県内の桜の開花を発表しました。平年より10日、昨年より6日早いそうです。昨日は最高気温が25度にもなり真夏日かと思うくらいのお天気でした。
私は毎朝、富山市内の西の端から東の端まで40分かけて通勤しています。その間、いくつかの桜の名所を通ります。何年も通い慣れている道なのに、市内でも桜の開花の時期に違いがあることを今日初めて知りました。
まず小高い山の公園の桜はつぼみ、街の方へ下って松川べりの桜はなんと満開。「昨日はまだちらほら咲きでしたよ」と誰かが話していたのに、どうやら昨日の陽気が一気に開花を促したようでした。あまりの素晴らしさに、しばし車を止めて見とれてしまいました。初めて桜を見たときのような感動でした。
つづいて、すぐ近くの神通川沿いは3分咲き。職場の近くはちらほら咲きといった状態でした。開花の時期が違うということは長い期間花見が出来るということですね。このことに気がついて嬉しくなってしまいました。
さて、朝の強い風はおさまったものの夕方から雨模様です。久しぶりの雨で気温も下がり肌寒い。桜が満開になってからは雨や風は大敵です。なんとか開花中は降らないでほしいものです。
桜は花の命がとくに短い。だから一生懸命咲いているのでしょうか。見る側もその気持ちを精一杯受け止めてあげなくてはと思いました。桜の木の下を歩くだけでも精神安作用があると聞いたことがあります。心が和むのはそのせいでしょうか。
反面、今年の桜は辛い思い出にも繋がっています。昨年の今頃は不治の病に倒れた弟が闘病生活を送っていた時期です。見舞いに行っても桜が満開であることを私からは切り出せずにいました。その後一時的に軽快退院になったときがありましたが、そのとき弟が私に「家族で花見を楽しんだ」と話してくれてほっとしたことを覚えています。彼にとっては最後の花見になりました。もうすぐ一周忌。
懸命に生きて、最後まで泣き言一つ言わず、残された家族の事ばかり心配して、かっこよく逝ってしまったのです。55歳の若さでした。桜の花と同じように散り際も見事でした。お花の大好きだったAさん、あなたの分までお花見を楽しんでくるからね、と思わず手を合わせてしまいました。 この季節になると、毎年思い出されるのでしょうね。

3月28日(日) 晴れ     「デジタル・・・」大流行  
「デジタル万引き」という言葉を聞いたことがありますか。私は始めてですが、すぐに納得できました。 以前、美術展の撮影禁止の場所で、携帯カメラで作品を撮影している人を見たからです。そのときはなるほど便利だなと感心したものでした。
手持ちのカメラつき携帯を使って書店で料理のレシピなどをパチリ。その他にもレストランの電話番号・地図・情報などを撮る人がいるそうです。このような行為を「デジタル万引き」と呼んでいるのです(女の人、特に奥さん方に多い)。撮影時に盗撮防止用のシャッター音やチャイムが鳴っても、ざわめいている店内ではほとんど聞こえないそうです。
文化庁著作権課によると、雑誌記事をカメラつき携帯で撮っても、画像を特定多数に送信しなければ直ちに著作権法違反にはならないということで、こうした行為が堂々と行われているようです。当の本人はインタビューにも悪びれる様子もなく堂々と答えていました。これからは携帯カメラなどデジタル製品を使う際のルールやマナーが問われてきますね。
今や携帯電話は一人に一台の時代。家族割引とかいろいろなサービスを宣伝しつつ各メーカーは競争にしのぎを削っています。売り出される製品は驚くほど多機能で年寄りにはとても使いこなせません。
さすがに若い世代の娘たちの場合は、メールは勿論、インターネットを通して乗り物の切符や入場割り引券の購入などに利用しており、さまざまな用途を楽しんでいるようです。携帯電話はゲームや計算機能などは当たり前で、いまやテレビさえ見られるようになっていますから、いったいどこまで便利になっていくのでしょう。
こんな事を考えていた矢先に、見ていたテレビの漫画の中で、凶漢に襲われたときに電波で撃退する装置つき、さらにキャンプ用のナイフや缶きりなどがついている携帯を子どもが自慢している場面がありました。そのうち本当にこんなものまで出来るのではないかと思わされました(まさか今あるのでは?)
「デジタル」何とかが今や流行らしく、別の番組で「デジタル絵手紙」というものも紹介されていました。シニアライフの講座にこれが取り入れられているようです。「写真をとり簡単なメールを添えて送る」。操作も簡単で手軽に出来るので、書く手間も省けて中高年に人気が高いということです。
以前、立山に登山して一帯を散策しているときに、雷鳥がみんなの前に突然現れたのです。その雷鳥に一斉に向けられた携帯カメラ。そのときの異様な光景が私の頭から離れません。
私の携帯は電話とメールだけしか出来ませんがそれでも十分間に合っています。便利さを求めたらきりがありません。流行には乗って行きたいという人もいますが、古いものにもいいものは沢山あります。便利さだけを追求せず古いものも大事にしたいと思うこのごろです。

3月26日(金) 晴れ     適正人事を願う  
ここ暫くは毎日さわやかな日が続いています。3月も20日を過ぎるとみんな落ち着かない気持ちになります。各市町村や警察など役職者の人事異動が新聞紙上を賑わしていますが、例にもれず私の職場においても年度末の異動があるからです。紙切れ一枚でどこでも行かなければならない宮使いの身、はらはら、どきどきの日々です。新しい職場でも慣れてしまえば変わりたくないのが常です。しかしその反面、人間関係が良くなく異動になって救われる場合もあります。職場の活性化を目指すためにも異動は必要だといわれます。理由はいろいろあるにしても、毎年今頃は落ち着かない日々を過ごして、泣いた年もありました。
本日の発表で、今年も同じ思いをする人がいます。しかし一期一会、別れがあれば出会いもあります。私の場合は考えてみれば幸せだったかもしれません。お陰で尊敬できる多くの人との出会いもありました。
こうした人事は多くは容赦なく行われます。中には、仕事に必要なため苦労して資格を取ったのに、それが生かされる事なく次年度には異動になる人を何人も見てきました。一部の駒を動かすために、適正人事がなされていない場合もあるように思われます。税金の無駄使いをしないでほしいと願わずにはいられません。

3月25日(木) 晴れ    後世まで歌い継がれてほしい  
寺島尚彦さんが亡くなったという記事を目にした。「ざわわ、ざわわと言えばお分かりでしょう」とあったので読み進めると、あの「さとうきび畑」の歌を作曲した方でした。残念ながらこの方についての詳しい事はわかりませんが、この歌については沖縄の歌ですから昔から知っていました。
昭和42年に初演以来44年には森山良子さんがレコーデイングし、44年にはちあきなおみさんがNHKのみんなの歌で歌ってから、多くの歌手が取り上げ広まったようです。初めて聞いたときは「ざわわ」の歌かと思うくらいざわわが印象的でした。沖縄では、戦跡ガイドが修学旅行生に歌っている鎮魂歌です。
記事ではこの歌がどんな風に誕生したかということが紹介されていました。復帰前の沖縄でのこと、摩文仁の丘へ向かうさとうきび畑の道で寺島さんの耳に「あなたの歩いているこの土の下に、まだ沢山の戦没者が埋まっているのです」という声が天の声のように聞こえてきたといいます。沖縄の悲惨な地上戦の事実をなんとしても本土に伝えなければならない。しかし、風の音をどう表現したらいいのか。試行錯誤を繰り返した末に浮かんだのが「ざわわ」だったといいます。反戦を声高に叫ぶのではなく、戦争の悲惨を伝えようと66回「ざわわ」を繰り返すことになったそうです。
さとうきびは沖縄では唯一の収入源です。ちょうど今頃(1〜4月始めまで)が収穫期にあたります。親たちが忙しく働く中、毎日おやつ運びを手伝わされて遊ぶ暇もなかった子供時代を思い出しました。さとうきびは人の背丈よりも高くうっそうと茂っているので、風にゆれる音はなんだか「ざわわ」と聞こえてくるようでした。何もない時代、さとうきびがおやつ代わり、学校の行き帰り友達とよく食べ歩いたものです。
歌の最後は確か、「風に涙はかれても悲しみは消えない」となっていたかと思いますが、世界では戦争はなくならず、テロも繰り返されています。そして、悲しい思いは益々増えていくばかりでいつまでも消えません。歌というのは作者の気持ちが伝わってくると、なお一層重みが増します。こんな素晴らしい歌を造った寺島さんという方は、きっと人の痛みがよくわかる方ではなかったかと想像します。こんな方にはもっと活躍してほしかったと、残念に思います。いつまでもいつまでも後世に歌い継がれてほしい歌の一つです。

<琉球新報の記事へのリンク>


3月23日(火)) 晴れ     花見シーズン到来   
日本列島を北上する桜の開花予想日は平年と比べかなり早い所が多く、富山県も平年より1週間も早くなると報じられていました。その予報通り、今日の富山の「名所の花だより」はどこもつぼみマーク。
私が通勤時にいつも通っている呉羽山公園は桜の名所です。道にそって続く桜並木のつぼみも大分膨らんできました。私も含めてその道を通る人々は花が咲くのをいまや遅しと待っています。ちなみにこの公園は一年中季節の楽しみが出来るところで毎日通るのが楽しみの場所でもあります。
桜の名所といえば何と言っても松川べり。富山の街の中心地に松川という川があり、周りには老木を含む沢山の桜の木があるのです。ここは富山でも一番の名所といわれる場所で、花見シーズンには沢山の客で賑わいます。
とくに客の目を引くのは「遊覧船」。風流な屋形船やささ船で宴会をしながら花見が楽しめるのです。「花見シーズンを前に、遊覧船清掃」という記事の中で「桜の開花が待ち遠しい。運行が楽しみ」と船頭さんが話しているのを見るにつけ、いよいよ本格的な春の到来を感じます。遊覧船は開花中休みなく運航されているので一度は乗ってみたいと思ったりもします。しかし、川べりにいるお客さんからは丸見え。ちょっと恥ずかしいので毎年おあずけになっています。友達との花見はやっぱり花より団子かな。色気より食い気の歳になってしまいました。

3月21日(日) 晴れ     言葉の壁   
夫に外国人の友達がいることは前から聞いていた。ニュージーランド出身の青年。その彼がまもなく奥さんの故郷韓国に行ってしまうため、簡単な送別パーテーをしようと彼を家へ招待することになった。夫は彼がハンサムだから「惚れるなよ」と言う。そんなに素敵ならかえって会ってみたいと逆に想像力を働かせていた。私の頭の中には”外人さん=英語”というイメージが強くあり拒否反応もあったが、日本語も上手だから大丈夫と言われて一安心。
ご対面の日はドキドキ落ち着かない。しかし、実際にお会いしてみると想像していたイメージとは少し違っていたが評判どおりの好青年だった。夫とは親子ほどの歳の差があるというが、そんなことを全く感じさせず違和感がない。日本人のようにへたな遠慮がなくはっきりしていて頼もしい。まだ若いのに一人一人を主役にする話術も心得て、私の故郷の沖縄の話をしてくれたりしてびっくり。また私のことも「奥さん」ではなく名前で呼んでくれた。韓国のことや自分の奥さんのこと、そしてまもなく生まれるというお子さんのことなど楽しい話も沢山してくれた。今まで避けて通ってきた外人さんが目の前にいるので、夢みたいな時間をすごした。夫がお友達兼英語の先生としてほれ込んでいる理由がよくわかった。
夫とは反対に私は英語音痴。幼い頃(終戦直後の混乱期)沖縄ではMPと呼ばれた兵隊が幅を利かせていて、女・子供にいたずらをして殺すというのが日常茶飯事だった。ある日「ゆみこちゃん事件」といって、同じ年頃の女の子がレイプされ殺されるという事件が大きく報道された。そしてそれが沖縄では罪にならないということだった。私たちの住む田舎にもアメリカの兵隊たちがジープを走らせてよく通ったので、落ち着いて道も通れなかった事をよく覚えている。その事件のショックがトラウマになり”アメリカ嫌い=英語嫌い”になり、中学校に入っても英語の時間はサボってばかりいた。本土に来た当時「沖縄では英語を話していたのでしょう」とよく聞かれた。しかし、お金はドルを使った時代はあったものの、運良くというべきか言葉だけは支配されなかった。町には米兵は溢れていたが会話はなかった。
いまや国際化時代、英語が話せないと通用しない時代になった。先見の明がなかったことを後悔するときもあるが、いまさら英語を勉強する気にもならない。でも少しは話せた方がいいかな・・とも感じた時間だった。

3月20日(土) 雨     3人で楽しんだ散歩  
今東京にきています。今日は残念ながら雨模様。
18日の富山は朝から雪が降り飛行機の発着が気になっていましたが、幸い午後から天気が回復したので予定どおり来ることができました。到着した日は東京も雨で少々肌寒さを感じましたが、翌日はからりと日本晴れです。桜の開花宣言もありました。
町田は緑が多く自然が豊かなところです。散歩の途中いろんな花がいっぱい咲いており、富山ではまだ早い多くの春を感じます。
引越の手伝いという名目で来たのに日常生活用品以外の荷造りはほとんど済んでおり、のんびりと過ごしています。母も今は調子が良さそうで、私の顔もすぐわかり「よう来た、よう来た」と歓迎してくれました。
夜は時々興奮して一晩中起きていることもあり、昼間寝るという昼夜逆転が続きます。そういう時はできるだけ心の安定を図りながら、あの手この手で正常な生活に戻す工夫をしています。また日本の歌が大好きなので一緒に歌ったりもします。
3人で散歩をすることも富山ではできない楽しみです。綺麗な花があちこちに咲いているし、ハトがいたり川の中には青い色の綺麗なカモが住んでいたりするので楽しみが倍になり、リラックスした時間をすごしています。

3月17日(水) 晴れ   「蜃気楼」ー私も見てみたい!  
めっきり春めいてきました。昨日の最高気温は20.6度で、ほとんど初夏といってもいいほどの陽気でした。
「お待たせ、蜃気楼」ーー今日の新聞には大きな写真入りで魚津の「蜃気楼」が紹介されていました。魚津市はそのキャッチフレーズの通り“蜃気楼の見える街”として有名です。その魚津市の海岸に16日「春型蜃気楼」が現れ今シーズン第一号として認定されたという記事が載っていたのです。現地では蜃気楼が出たときは鐘を鳴らして合図をするらしいのですが、連絡があって富山から車を走らせても着くまでにはたいてい消えてしまっているため、実際に見た人は少ないようです。
昨日蜃気楼の出方は「船が伸びたように見え始め、黒部市方向の景色に変わり、次に灯台付近の護岸堤から町並みにかけての一帯がバーコード状に伸びたり縮んだりし、さらに沖を行く船が棒のように見える」というようなもので「20分〜30分にわたって断続的に変化」していたといいます。写真で見ているだけでも、都会が海に浮かんでいるようで感動してしまいました。一度は見てみたいと思うけれど毎日通っても見られるものでもないし、なかなかそのタイミングが難しいらしい。3月下旬から6月上旬が蜃気楼のシーズンだといいます。本当に見てみたーい!


蜃気楼についての情報は魚津市のホームページにくわしく載っています。

3月15日(月) 晴れ   今日のトップニュース?  
午後3時過ぎ、突然同僚が「高橋さん落ちたんだぜー」(富山弁で落選のこと)と言う。えっと一瞬と戸惑ったものの、すぐ”あーやっぱり”とうなずいてしまいました。というのは、オリンピックのマラソンの代表を決める際に「選考レース重視か、実績重視か」興味があったからです。この結果はおそらく全国的なトップ・ニュースになっているだろうと思い、しばしテレビの前で足を止めていました。私の職場ではテレビは談話室に置いてあって一日中ついているので、通りすがりにいろんなニュースが目にとまるのです。
「オリンピックは参加することに意義がある」と言われてはいるものの、実際には入賞ましてや優勝なんていったらまさに英雄です。その英雄のQちゃんが落選したのですから多くのファンは大変なショックを受けていることでしょう。彼女は黒部の名水ロードを何度か走っているので富山にもゆかりのある人です。従ってファンも多く、皆さんショックを受けていました。
街で聞く意見は賛否両論でいろいろです。選考の結果は「苦渋の決断だった」というくらい審査が難航したようですが、条件の違うレースの比較だったわけですからきっと納得のいかない人も多かったのではないでしょうか。彼女の監督の「誤算だった」という言葉は、従来は実績優先で選考されてきたから今回も・・という甘い考えを指しているのでしょう。その意味では、今回新人が選ばれたことは私たちにオリンピックをより楽しませてくれることにもつながるわけです。代表の健闘が期待されます。
ところで当のQちゃんは「名古屋大会に出なかった事は最終的には自分で決めたこと、後悔はしていない」「アテネでも走りたかったが、今は決まった人たちが頑張ってほしい」と涙一つ見せずに答えていました。その姿を見ていて、私の方が涙をこぼしてしまいました。Qちゃん頑張れ。このことを通してまた一回り大きく成長してほしいと願うだけです。

3月14日(日) 晴れ   住めば都  
休日の勤務は電話の取次ぎや来客の応対が中心になるため、比較的ゆったりと時間が流れていきます。一月に一回くらいこんな勤務があります。
事務所のとなりには市営のグラウンドがあり、窓からは若者たちが朝早くから野球を楽しんでいるのが見えます。職場は田んぼの真中にあるので他には建物らしいものは何もありません。寂しいといえば寂しいのですが、環境は抜群で、蛙や虫の声も聞けるし2階の窓からは立山連峰が一望できます。また田植えの季節から実りの秋までを通してその景観を楽しめます。
しかし、職場はこのように静かで環境のよい田舎の地にあるのですが、実はこの場所には他には持っていけないものがあります。そう、火葬場が近くにあるのです。この施設が市街地から移設された当初は「年寄りをこんな所に追いやって」という怒りの声が強くあがったものでしたが、どんなところでも住めば都。今では火葬場の近くの墓地まで散歩に出ているほどです。


昨日は夕方から泊まりの勤務。一泊して今日は昼の勤務と二日連続した勤務でしたが、お年寄り相手の仕事だけに平穏無事に終わればやはりホッとします。
ちょうど9年前、長い間住み慣れた便利な街から辺鄙な田舎へ移転してきたときはみんな戸惑いを感じましたが、人間って不思議と適応能力大ですね。相変わらず店の一軒も出来ていませんが、最初の不満はどこへやら。結構今の場所での生活を楽しんでいます。本当に住めば都です。

3月13日(土) 晴れ   引越し荷造り頑張って  
夫の教え子が今日・明日と引越しの手伝いに来るという連絡が数日前に入っていたのをふと思い出した。遠距離恋愛ならぬ遠距離夫婦なので、ときどき東京まで出向くのを除いては電話やメールが連絡の手段になっている。
夫は年老いた母を介護するため先日退職し、環境の良い田舎に引越すため現在その準備の真最中である。貸間とはいえ長年住んだ場所を引き払うのはなかなか大変のようであり、アルバイトを頼んで一気に箱詰めなどの作業をすることになったのだ。遠くに住んで勤務のある私はただメールで応援するしかない。
今日、休日出勤に出かける前に、今頃は生徒さんと頑張っているのかなと思い浮かべながら「お疲れさん」とメッセージを送っておいた。メールではまだこまごました片づけが必要な様子。今度の上京の際は一緒にやりましょうね。

3月12日(金) 晴れ   セラピー犬大活躍  
ペット犬を使ったアニマルセラピー(動物介在療法)は老人ホームなどではおなじみです。犬を抱き上げたり頭をなでたりして触れ合うだけで「笑顔が出て普段より表情が生き生きする」というような効果があるからです。近年では痴呆などの治療にセラピー犬を活用する病院もでているようです。
先日となりの町の精神病院で患者と犬の交流会が開かれたというニュースが流れていました。うつやその他の精神障害の患者さんが犬と触れ合うことで表情が出てきたという治療効果から、アニマルセラピーの精神病領域への応用にも期待が高まっているということでした。「他者との関係をうまく結べない患者には、愛情を受け止めて返してくれる犬との交流が治療のきっかけになる」という副院長の談話もありました。
健常者の場合でも精神的に癒される面があるからペットを飼っているのでしょうね。動物は人間と違い、愛情をかけた分だけ素直に返してくれるので気持ちが通ずるのでしょう。
最近私の勤務する施設に野良猫がよく来ます。衛生面から施設内では動物は飼えないので、誰かがこっそりとえさを与えているようです。動物が嫌いな人も勿論いますが、多くの人はやっぱり動物好きです。近年動物にまでインフルエンザが罹患し話題になっていますが、感染症の関係で野良猫さえ近づけない状況になるのではないかと案じています。施設によくきてくれるセラピー犬の場合は、心待ちにしてくれているお年寄りのために感染症予防を徹底しているということです。また来てくれる日が待たれます。

3月11日(木) 曇りで風が強い   受験シーズン  
3月といえば卒業シーズン。県立高校を皮切りに大学や専門学校の卒業式が各地で行われています。新たな世界に羽ばたく若者たちは期待に胸を膨らませていることでしょう。
卒業シーズンはまた受験・入学シーズンでもあります。富山でも9日・10日と県立高校の入試が行われ、2日間の日程を終えた受験生たちのリラックスした姿がテレビの画面一杯に映し出されていました。
富山は大学進学率の高い「教育県」として有名であり、御三家と呼ばれるエリート高校をトップに偏差値で受験校が決まっていきます。エリート校に入学できて喜ぶ生徒もいればそのために苦しむ生徒も多いのです。富山は圧倒的に県立志向型なので、私立高校を受験するのは試験慣れとか滑り止めとかのためです。受験生を持つ親たちはピリピリし通しです。自分の子どものときもそうでしたが、偏差値で切り捨てられた子どもたちの心情を考えると本当に胸が痛みます。
テレビの地方ニュースの中で「有名校ではないが、自分はこの学校に合格したい」「終わったー、友達と遊びたい」と答えていた子たち笑顔が印象的でした。
昔、私立高校の生徒が「県立高校の生徒の前を通るときは上を向けない」というのを聞いたことがあります。高校格差は何の役に立っているだろうかと、この時期になるといつも考えさせられます。現場で指導している先生方を評価する際にも「エリートコースを歩んできた人はつまずく子供の気持ちがわからない」という見方をする人もいます。
私だったら受験生に言います。「高校なんてどこも一緒だよ。だからひがむ事はない」と。

3月10日(水) 晴れ   雪囲いお役ご免  
雪国の人なら誰でも知っていることですが、樹木や花などを雪の重さから守るために冬の前に雪つりや雪囲いが行われます。これは雪国の冬の風物にもなっているし、とくに金沢の兼六園が有名です。
富山も今年は雪の当たり年なのか3月の初めまで雪が舞っていましたが、この頃ようやく暖かくなってきました。もうさすがに雪も降らないだろうということで雪囲いはお役ご免。現在はどこでも取り外し作業が行われています。
温暖化の影響のせいか最近は富山でもあまり雪は降らず、もはや雪国とは言えないような感じです。聞くところによれば昔は窓から出入りするほど降ったそうです。
私は南国育ちで雪を全く知らなかったので、そんな生活に憧れみたいなものがありました。しかし頭の中は別問題。私はずっと「雪は淡いもの・すぐ溶けるもの」と思っていました。そのためか富山へ来た当時、「雪囲い」や「ダンプカーに雪を積み河原に捨てに行く」という光景を見て不思議で仕方がありませんでした。子供の頃から雪の歌はいろいろ歌っていたけれど見たことがないので、雪が重たいという実感は全くなかったのです。今から考えるとまったく笑い話です。
雪国が第二の故郷になり雪の大変さも知り尽くしている現在ですが、雪にまつわる思い出となると不思議なことにやっぱり「雪は淡いもの」なんですね。今でも雪は大好きだからどんなに沢山の雪が降っても除雪は苦になりません。お陰さまでつつじや椿のような簡単なものは自分で雪囲いをするようになりました。

3月8日(月) 晴れ   国際婦人デーに思う  
北日本新聞に「今日はこんな日」という欄があります。その欄で今日3月8日は「女性解放と平和目指す国際婦人デー」と紹介されていました。ニユーヨークの女性労働者が1904年にパンと参政権を求めて決起した行動に学び、この日を「婦人デー」として国際的催しにすることが1910年に決まったということです。
この日、富山でも「2004国際婦人デー富山県集会」がひらかれました。病気のため平和運動から遠ざかっていた時期があり苦しい思いもしましたが、今年参加できるまでになったことを喜んでいます。こうした集会に出席するのは何年ぶりでしょう。イラク開戦からもうすぐ1周年になると言いますが、戦争は嫌だと思っても声に出す機会がこれまでありませんでした。
集会では高教組の先生方の活躍に触れたり「人道主義と戦争」という講演などを聞いて目が覚める思いがしました。今平和を求める一番の要求は「自衛隊のイラク派兵の中止」のようです。宮崎の勇気ある女子高校生の行動にも感動し、自分も少しでも全国の平和を求める女性たちの仲間入りができるようになりたいという気持ちを新たにした一日でした。

3月7日(日) 雨  芝居の良さは俳優だけで決まるの?  
朝から寒い日。また雪になりそうです。演劇鑑賞会で年間6本の芝居を観てもあきたらず、友人に誘われて「GOOD」という芝居を観に行ってきました。
出演者が西村雅彦・益岡徹・宇梶剛史という有名人のせいか前評判がよく、オーバードホールという大きな会場がほぼ満員でした。西村さんが富山出身(ちなみに夫の中学校の後輩)ということもあって宣伝が行きわたっていることを感じさせられました。
出し物は、歌あり芝居ありの音楽劇。役者は熱演しているのですがなんだか眠くなって集中できませんでした。演出がよくなかったように思いました。座席は比較的前の方だったのでミーハーぶりを発揮し有名人をすぐ目の前で見られたことだけは良かったかな。
戦前のドイツが舞台。善良な市民の大学教授が、ユダヤ人の医師とナチス将校らとの交流の中で運命に翻弄されていく姿を描いていました。劇中「ハイル・ヒットラー」という言葉が多く聞かれました。私にはヒットラー=ユダヤ人迫害というイメージが強くあるせいか、あまりいい気持ちはしませんでした。申し訳ないけれど芝居よりも客層が気になって周りを見まわしていたら、若い人や男性も結構多い(これが商業演劇かな)。これと比べて私が関わっている演劇鑑賞会では残念ながら若い人や男性は少なく、これが悩みのたねです。芝居つくりのことも含めて今後の課題の一つを確認させられた日でした。

3月6日(土) 雨時々雪   孫の自慢  
今日は外孫の「璃乃」をあずかる日で朝からわくわく。美容師をしている娘が講習会なので、その間預かることになったのだ。そんなことでもないとなかなか来てくれない。娘の嫁ぎ先の美容院の休みと私の休みが合わない事もなかなか会えない理由になっている。
さてこの孫のこと。娘は店の仕事をしながら自分で子育てをしているのでもう親べったりだ。ご両親と同居し多くの大人の中で初孫として育てられているので、我儘な面もあるけれど抑えるべきところはきちんと理解しており、伸び伸びといい子に育っている。会うたびに、スゴイと思うほどの成長が見える。ついこの間生まれたと思ったのにもう3歳だ。「4月からは保育園に行くよ」と達者な口で教えてくれる。歩くよりもおしゃべりの方が早く、その流暢な口ぶりが周りのみんなをびっくりさせたものだ。この口を生かして弁護士にでもなればいいのにと考える(こうなるとババー・バカ丸出しですね)。さすがに普段はもう泣くこともなくお姉ちゃんぶりを発揮している。
私自身の子育てのことを振り返ってみると、共働きだったために親の都合で勝手に子どもを連れまわしてゆとりのない生活を子どもたちに強いてしまった。二人にとってはいい迷惑だったと思うがそれでも人並みに立派に育ってくれた。よかったとつくづく思う。
可愛いこの孫も、これからいろんな場面に出会うと思うが、明るく優しい子に育ってほしいと願わずにはいられない。

3月5日(金) 晴れ  身よりのないお年寄りのこと
私が現在勤めているところは、養護老人ホームという施設です。入所条件が「ADL(activities of daily living 日常生活動作)については『自立』であること」となっているので皆さん比較的お元気です。しかし誰でも年月と共に老化は進んできます。
最近のことですが、一人のお年寄りの行動がおかしくなり、徘徊もひどく外にまで行動範囲が移ってきたので精神科を受診させたのです。ところが担当医は本人の診察はそっちのけで付き添いの私たちへの問診に熱中しはじめました。金はあるか、身元保証は、死んだらどうするかなどなど。この人は遠くにいる家族から見放された人でこれらの条件に合うはずがありません。私が生活保護法の話をして死んだ後は役所が面倒を見ることができると言っても、病院側は「イザとなったら役所も『お役所仕事』で信用できない」とけんもほろろ。さらに「本人に家族がいる場合は、普段音信不通でも死んだときは必ず面倒になるから天涯孤独の方がいいんだ」と言うのです。お金も持っていないのだから、とにかく面倒はごめんだ、トラブルには巻き込まれたくないという様子がありありでした。そして、死んだときも病院に手間がかからない「献体」の方がいいというのです(大学病院に連絡すると遺体を直ちに引き取りにくるので)。確かに本人と家族の同意の上で登録すれば「献体」という方法はとれるし医学の進歩にも貢献できるのかもしれません。しかし誰も看取られずただ一人で死んでいくお年寄りはいったいどうすればいいのか。こうした人が施設にはまだまだ沢山いるのです。
患者の症状をよくする、その身にそって治療するというのは別の世界の話のようです。患者の身より自分のことや経営のことを第一に考えるというのは医療機関だけの問題ではないかもしれませんが、本当に腹が立ってしまいました。
「お金になるかどうか」「面倒かどうか」だけで人間の生死が扱われていいものでしょうか。

3月4日(木) 雪  介護は女がするもの?
ここ2〜3日は冬に舞い戻ったかと思うくらいに寒く、毎日雪が降り続いています。
夫の日記に介護している母親との会話(同じことの繰り返し)が記されてありましたが、介護の大変さ(特に痴呆が入っている場合)は実際に経験した人でないとわからないと思います。私の場合は仕事の都合で離れて生活しているので夫にまかせきりになっているのを申し訳なく思っています。介護といえば「女」が当たり前と思っている人がまだまだ多い中、夫が仕事を辞めて介護に専念してくれているので感謝しています。
誰でも年は取りたくないしボケたくないと願っても脳の老化だけは思うようにはいかないものです。誰もが通る道なんですね。だから順番なんだけれど、親としては息子に世話してもらうのと嫁とではどちらがいいのでしょうね。やっぱり血のつながりのあるほうがいいのかな。ちょっと複雑な気持ちです。 でも来年からは一緒に暮らせるので一緒にお世話しましょうね。特に新天地(私も長野へ移ります)での介護は一人では限界があります。家族の協力はもちろんのこと、専門家や地域の方々の力も必要だし、これからは当然病院の協力もなくてはなりません。
退職後には、「介護は女(嫁)がするものだ」という考えを持つ多くの男性に「夫の介護の経験」を知らせる活動が出来たらいいなと夢みたいなことを考えています。


散歩の途中、近所の子に話しかける母

3月2日(火) 雨のち雪  春の雪はロマンチック
昼はみぞれ交じりの雨時々雪という天気。春の雪だから積もらないと思っていたら、夕方から本格的に降りだしてどんどん積もってきた。ここ数年あまり降らなかったけれど今年は当たり年なのかいつまでも降っている。
こんな春の雪を見ていると、30数年前に生まれ故郷の沖縄から本州に移住して初めて雪を見たときのことを思い出す。寒いけれど、春先の雪はふわふわとしていてとても気持ちがいい。沖縄では感じられないことだ。雪国だからこそ春が来るのが待ち遠しいのではないのだろうか。

3月1日(月) 雪  ホームページを通して情報交換が出来ればいいな
今日から3月だというのに朝から雪の舞う寒い日になってしまいました。夫からの便り(メール)では東京も雨。関東の一部では雪も降って寒い日になったとのこと。全国的に寒い日だったのでしょうか。
富山の新聞・テレビでは、県立短大の合格発表やら、県内トップをきって十二校の卒業式が行われた事やら、春を告げるニユースを続々。本格的な春が来るのはいつになるのでしょうか。
話は変わって私事になりますが、夫のホームページの隅を借り、私のページとして「菜園日記」と「Nori's Diary」を開設することになりました。全部夫がお膳立てしてくれました。今日ホームページ開設の連絡が入りました。もしかしたら全国の皆さんと意見交流や情報交換が出来るのではないかという期待も持てて嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。


"I Dont Wanna Lose You" by Mr. Blue Piano Man