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8月21日(土) 晴れ    早朝の草むしり

お盆が過ぎると朝夕は涼しくなり、秋の気配が感じられます。しかし昼間は蒸し暑く、まだ冷房のお世話になっています。
今朝は入所者が朝早くから草むしりをするというので見回りに行きました。5時に起きたらもう皆さん大勢出ていました。すぐ前のグラウンドでは朝間野球(早朝の野球)チームが試合をしています。皆さん早いのに驚きです。いったい何時から来ているのか信じられません。草むしりは大勢ですると、1時間でも結構広範囲の除草ができるのです。大きな花壇が見違えるように綺麗になりました。もうすぐ敬老のお祝い会があり、市長さんが見えるので園の会長さんが配慮して全員に提案したのです。足や腰が痛いといいながらも出てきている人がいるかと思えば、元気な人でもお手伝いをしない人がいます。集団生活って扱いが難しいです。
朝仕事のあとは腹が減るので皆さん食欲があります。やっぱり食べる人は元気です。今日は比較的過ごしやすい日で、9月上旬並みの27.8度とのことでした。
テレビのニュースによれば、一部地方では早生品種の稲刈りが行われたようですね。例年より5日早いそうです。カメムシが発生したといいますが、日照不足の昨年よりは出来が良いと伝えていました。もうすぐ新米が食べられるかと思うと待ち遠しいです。
ニュースでは、またまた台風16号、17号の発生を伝えていました。秋雨前線にも注意とのことです。来週台風がきたらどうしよう・・・どうか来ないでくれと祈りながら、帰りに里帰りのお土産を買って沖縄に送りました。お菓子類もたくさん出回っており、目移りをしてしまいます。お菓子だけでなく富山にしかない「昆布かまぼこ」も人気があるので、これは手荷物で持っていくことにしました。兄弟が多いと、こんなときに大変です。それでも久しぶりですので再会が楽しみです。迎える方も土産が楽しみですよね。兄の好きなもの、妹たちの好きなものいろいろ考えながら買いました。楽しみに待っていて下さい。




8月20日(金) 晴れ    トウモロコシとても美味しかった

いつも週に何回かはボーリングのリーグ戦に行っているのですが、お盆は休みです。代わりにお盆シフト大会があるのですが、これは自由参加ですので行かなくてもいいのです。今年のお盆は家族が集まったのでそれどころではありませんでした。お盆が終わると、水・木とリーグ戦の再開です。両日とも行かなくてはならず、出かけました。
ところで、昨夕は夫から荷物が届く事になっていて待っていたのですが、結局出かけた後に配達があったようです。タッチの差で残念でした。夫が作ったトウモロコシを送ってもらっていたのです。今日はまた仕事で留守になるので、生ものだから朝のうちに郵便局まで取りに行ってきたのです。一本だけ茹でて食べたら甘くてとても美味しく、とうとう一本食べてしまいました。一人で食べるのももったいなくて娘に連絡して半分おすそ分けをしました。来週から暫く留守にするので冷蔵庫を整理しなくてはならないので、ついでに他のものも持って行ってもらいました。庭のゴーヤーや、カボチャも大きくなったので食べてもらいました。何でも喜んでくれるので嬉しいです。娘も仕事が忙しくなかなか簡単には来られないので、夜取りに来るように連絡をして出勤しました。

仕事の方は、長い間病気で休んでいた部屋の人が昨日から出てきたので、少しは楽になりました。今日の午前中は急ぎの用があったので休みを取ったのですが、いつもでしたら金曜日は忙しくて休みなんか取れません。幸いにも今日は何もなく穏やかな一日だったので、安心して昼間の勤務に続いて当直に入ることができました。
オリンピックの女子バレーボールの対韓国戦を見ていました。あと一歩のところで逆転されて3対0のストレート負け。この日のために練習をしてきたとのことでしたが、韓国や中国にはなかなか勝てないので残念でした。1勝3敗、がけっぷちです。ガンバレ日本。
柔道はさすがにお家芸、強いですね。水泳や体操も金メダルラッシュですね。特に柔道は五輪初出場の選手でも金メダルを獲得し、結局日本の金メダルは11個に達しました。20年ぶりに2けたになったそうです。これからも見たい試合がいっぱいあるのでまた寝るのが遅くなりそうです。


8月17日(火) 晴れ    富山を離れることを友達に打ち明けました

今までは、あまりお盆休みを取った事がなかったので、今年は久々に長く休みました。家族のみんなを送り出したらなんだか気が抜けました。平静にと思ってもそれなりに肩に力が入っていたのでしょう。みんな喜んで帰って行ったのでほっとしました。
職場はまだお盆ムードです。職員もまだ何人か休んでいるし、入所者も家へ帰っている人がいます。盆や正月に家へ帰るといってもほんの一部分ですが、帰れる人は幸せな方です。大半の人は一年中外出もせず面会もありません。家に帰る人を羨ましがるので、たまには町にでも行ってくるように勧めますがそれも乗り気がしない風で、どうしたものやら困ってしまいます。そうはいいつつも、お盆に帰っていた人の土産話などをリハビリ室で聞きながら平和な一日が過ぎました。
さて、夜はお盆明け早々にいつもの仲良しグループの月例会です。今まで内緒にしていたのですが、来年引越しすることをみんなに話しました。「田中知事の県人になるの」とみんなびっくりしています。どうして今頃からよその県に行くのか信じられないといった様子でした。そのグループの中には、偶然にも夫の高校の同期生がいます。同じクラスにはならなかったようで、詳しくはないが知っているとのことでした。夫は今退職して母の介護をしていることを話したら、またこれも驚いていました。彼女たちは保守的なところがあって、典型的な富山県人の感じを受けます。ですから男の人が仕事を辞めてまで介護をするなんて信じられないと言っています。あなたは幸せですねと言われました。このグループは長く続いているので、いつまでもお付き合いをしていきたいとみんな思っているのです。だから毎月とは言わないが、せめて2か月に一度は来なさいと命令されました。校長になっている同期生、さすがに威厳があります。ハイと答えてしまいました。できたら参加したいです。


8月16日(月) 晴れ    束の間の里帰り

息子も帰ってしまい、なんだか急に寂しくなりました。息子は夜出発したのでくれぐれも居眠り運転をしないように、眠くなったら途中寝てから行くように言い聞かせたのですが、まだ着いたという連絡がありません。どこかで眠ってから出たのでしょう。道中の無事を祈るだけです。
夫も今日は池田に帰ります。久々の里帰りですのでご無沙汰していた友人にも会いに行っていました。来年には処分するこの家の事で、庭師さんを訪ねたりしましたがまだお盆休みで留守でした。
あとは、夫や息子の本の整理をしました。たくさんあるので、持っていく本、処分する本に分けて荷造りをしました。引越しまでに荷物を減らしていく計画ですので、今日も車に積めるだけ積んで持って行きました。あとはどんどん処分するだけです。思い出のいっぱい詰まったものもありますが、思い切って捨てなくてはいけません。勇気がいりますが、思い切ります。夫がこの次来るまでには少しすっきりさせておくからと約束をしました。
お昼になったので簡単な食事をすませ帰り支度にかかりました。たくさんのお土産や母の着替えなど来るときも大変だったと思いますが、帰りもそれなりに荷物が多くなりました。荷物を目一杯積んで、妹の家に母を迎えに行くとちょうどおやつを食べていました。食後は眠気がくるものです。眠たそうにしていたので、少しだけお昼寝をさせました。その後、お世話になった娘にお別れをして、二人は池田へと帰っていきました。お母さんのお世話よろしくお願いしますね。道中の無事を祈りながら送り出しました。




8月15日(日) 晴れ    還暦祝いをしてくれました

弟の法要で慌ただしかった一日も終わり、少し落ちつた気分で朝を迎えました。少し寝坊をしてしまいましたが、夫はいつもの習慣からかもう起きていました。息子も帰ってきており久々の親子の朝です。今日は終戦記念日でもあります。テレビでは閣僚の靖国神社参拝のニュースが報じられています。小泉首相は別の日に参拝するそうです。ずるいですね。
さて今日はいろいろ予定が詰まっているので、息子を起こし朝食にしました。昨日行けなかった墓参りを午前中に計画し、さっそく出かけました。
お墓の駐車場はたくさんのお参りする人で混雑していました。こんな風に墓参りができるなんて本当に夢のようです。いろんな思いを込めてお参りしてきました。帰りは弟の家に立ち寄り昨日の挨拶をしてきました。甥っ子は東京へ帰るのに満席で切符が取れず、立ち席で帰るんだといっていました。仕事が忙しくて帰りの切符まで用意する余裕がなかったとのことです。慌てて帰ってきた様子が伺えました。のんびりした田舎と違い東京の生活はやっぱり大変ですね。
息子も夜には帰るのですが、方向が違うので乗り合わせていくわけにもいきません。元気で頑張ろうと別れてきました。
お昼は夫が池田から持ってきてくれた蕎麦粉で「蕎麦がき」を作ってくれました。だし汁で食べたらとっても美味しく、いくらでも食べられそうでした。物ぐさな息子でも「美味しい」と言って残ったそば粉を持っていってしまいました。
夕方は恥ずかしながら私の還暦祝いです。夫よりも先にゴールしました。、子どもたちが二人で日時や場所などを調べて計画してくれました。初めてのことです。息子と夫の土産などを購入するために駅ビルに寄ったあと、3人で約束の会場に向かいました。そこで娘と合流するのです。
親子4人の水入らずの時間です。美味しいフランス料理を食べながらのひととき。二人とも親のことを考えられるようになったのかと思うと感激で胸が一杯になりました。家族がそろったところは昔にタイムスリップしたような感じですが、子どもたちはもう大人になっているのです。親子の会話も大人の会話です。今までそんな素振りも見せなかったのでこの計画は画期的なことではないでしょうか。


最後のデザートの美味しかった事。それも「看板つき」なんてびっくりです。恥ずかしかったけれど、長生きしていてよかったと思いました。これから先どれくらい生きられるかわかりませんが、今のこの気持ちをいつまでも忘れず、悔いの無いように精一杯生きていきたいと思いました。みんな本当にありがとう。


8月14日(土) 雨のち晴れ    弟の法事

「富山市はところによって雨」という予報がでても、呉羽では一度もあたった事がありません。晴天の日が何日続いたでしょうか。しかし、今日は久しぶりの雨の朝です。すぐに晴れましたが、野菜たちには恵みの雨。よかった。
法事は午後からですので、午前中は昨日見逃したオリンピックの開会式を見ていました。五輪の発祥の地、アテネ大会。久しぶりの里帰りですね。新聞の一面では“平和の祭典、アテネ五輪開幕”と大きく報じられていました。史上最多の202か国、生き生きとして表情豊かな選手たちが騎手を先頭に次から次へと入場行進。素晴らしい、感動。しかし長いので見ているだけで疲れてしまいました。高校野球の応援もあるし、時期がずれていたら良かったのにと勝手に悔しがりました。

いよいよ午後から法要です。本家に親戚一同が集まりお坊さんのお経が始まりました。それぞれが弟の事を思い浮かべながら、お経を聞いていた事でしょう。昨年の今頃はまだ元気に話をしていたのにと思うとつい涙になってしまいました。お経が終わって後は、昨年と同じレストラン(弟家族にとっては思い出の場所)に移動し思い出を語りながらの会食です。
会食の最後に、弟の嫁さんは「辛い一年でした、家に帰ると無気力になり何もできなかった」「これからは元気を出して何かを始めたい」と挨拶をしていました。あまり顔には出さなかったが、辛かったのがよくわかりました。時間が癒してくれます。子どもたちも一生懸命お母さんを支えていますので、頑張ってほしいと願っています。
83歳になる母は何で大勢集まっているのか分かってなくて、説明をすると息子の事を思い出し涙ぐみますが、すぐ忘れているようでした。母はその後妹の家にお世話になりました。夫は母の介護からしばしの解放です。車椅子や着替えなどたくさんの荷物を持っての里帰り、疲れたことでしょう。ゆっくり休んでほしいと思っていても、やっぱり気になっているようでした。


8月13日(金) 曇り    みんなの帰りを待っています  

朝夕は少し涼しくなりました。毛布が必要な時もあります。今日は曇りで過ごしやすい日になりました。
沖縄では台風13号が発生しているようで、様子をうかがうために電話をすると「今度の台風は強いので心配だ」と話していました。台風銀座の名の通りいつものことなので、言葉の割にはそんなに大変そうではありませんでした。私は今月の終わりに里帰りを予定していますので、そのときはどうか台風が来ないようにと願いました。
さて今日からお盆。交代勤務ですが、お盆は多く休めるようになっているのです。私は運良く今日は半ドン、月曜日が休みと大当たりです。夕方には息子も帰り、明日からは夫も帰ってくるのでちょうどよかった。急いで帰り、大掃除をしたり、明日の準備やらで時間の余裕がありません。
明日は弟の一周忌です。お盆と重なり久しぶりに賑わいます。あまり嬉しい集まりではありませんが、こんな時にしか会えない人もいます。元気で再会できた事だけでも喜びましょう。
里の母はちゃんと弟の一周忌を覚えていて、いつ法事をするか聞いてきました。さすがに年の功、冠婚葬祭の行事はちゃんと覚えているのかなと感心してしまいました。気持ちだけですが、お供え物を送ってくれました。弟は話し好きだったので、母ともよく話をしたことがあり、気に入っていました。亡くなったときはびっくりしてショックを受けていたので、その為によく覚えていたのでしょう。「ありがとう。代わりにお参りします」とお礼の電話をしました。息子は美容師の妹に散髪してもらうといって、帰宅早々に娘の家に直行しました。娘から、母さんも「顔そり」をするから来るように誘われましたが、時間がないために遠慮をしました。お洒落っ気があればいつでも行って綺麗にしてもらえるのに、無精者ですみません。「馬子にも衣装」という言葉があるので、お洒落をすれば少しは綺麗に見えるでしょうか。夜遅くからオリンピックの開会式があるので見たいと思いながら、寝てしまいました。


8月11日(水) 晴れ    例会の成功に乾杯  

「昨日の納涼祭はみんなの行いがよかったので晴れました。無事終わる事ができお疲れ様でした」との施設長の挨拶で一日が始まりました。
昨日は納涼祭が遅くなったため、残していた後片付けをしました。仕事は大勢とはよくいったもので、お陰で短時間で終了しました。また今日は暑い日になったので、何で昨日だけ行いがほんとに良かったのかとお年よりも苦笑い。
盆踊りという大きな行事も終わりほっとしたのも束の間、月1回の水曜日の買物ツアーという、いつもの生活に戻りました。こんな日は好きな食べ物を買ってくる人が多く、園の食事が欠食にってしまいます。そのため食事が残ってしまいますが、買い物は月1回の楽しみですので大目に見ることにしています。その代わり食中毒予防で、残さず食べきったかどうかのチェックは欠かしません。その点、自分たちは粗食でも好きなものが食べられるのは幸せですね。でも今日の夜は粗食ではありませんでした。
仕事の後は、小料理屋さんで演劇鑑賞会の例会担当者の打ち上げです。頑張ったので美味しいものを食べながらの慰労会です。何よりも前例会より会員を増やして迎えられたことを喜びながら、こもごも感想を述べ合いました。
初日に比べるととてもよかったというのが全員一致した感想でした。楽しくワイワイとひと時を過ごしているうちに、話は「遅くまでご苦労さんでした」と昨日の搬出のことにまで発展しました。
ここで搬入搬出の事に触れておきたいと思います。演劇鑑賞会の特徴は、劇団の搬入搬出を会員みんなが手伝うということです。ですから初日の、舞台つくりを手伝う人、最終日の終演後の舞台の解体を手伝う人みんな担当サークルの人がするのです。担当者は時間の許す限りなんでもするのですが、私たちは仕事の関係上どうしても搬出になるのです。
昨日は職場の納涼祭が終わってからお手伝いに行きました。遅くなったのでもう終わったのではないかと思いながら飛んでいったら、まだまだでした。全部終了したのが11時すぎ。劇団公演の場合は俳優さんも一緒に搬出をするので比較的早く終了するのですが、「幹の会」のように俳優さんを寄せ集めの会は裏方さんだけが作業をするので、どうしても遅くなります。遅くなっても搬出を手伝うと舞台がより身近に感じられるので苦になりません。大道具や小道具が直に見られるし、また舞台から会場を見渡せて俳優になった気分になります。県民会館の後ろから舞台は遠く感じても、舞台から会場はすぐそこに見えるのです。あくびや居眠りの様子まで見えます。ですから俳優さんは会場の様子で演じ方も違うのだそうです。時には好きな俳優さんと一緒にものを運んだり、いろんなことを舞台の上で経験させてもらえるので楽しみです。
そんなことで昨日も遅くなったのです。裏方さんの仕事振りを見ていると、みんなの力で芝居が作られていることを強く感じます。このような人がいて初めて俳優さん方は演技ができて私たちを楽しませてくれるんだと改めて裏方さんに感謝しました。本当にお疲れ様でした。あとはまとめをして次の例会の担当者に引き継ぐだけです。


8月10日(火) 晴れ時々雨 充実した納涼祭  

夏本番。この時期はお祭りシーズンでもあります。至る所で花火や盆踊りが行われています。1日の富山の花火大会を皮切りに、大きな花火大会が高岡、新湊、砺波と行われました。花火好きの知人は全部見学に行ったようでその行動力には感心しました。
さて、当職場の納涼祭もいよいよ本番を迎えました。会場は外になるので、何よりもお天気が気になります。天気予報では雨マークがあったので、やきもきしながら様子を見ていたところ、予報通り昼近くから降りだしました。それでもお天気雨だからすぐ止むでしょうと楽観ムード。雨のときは中の食堂ホールが会場になりますが、そうなると狭いので暑くて大変です。準備の都合もあるのでどうか晴れてほしいと願うだけでした。皮肉なもので昨日まで農家が困るくらい連日晴れていたので、楽しみにしていた皆さんはがっかり。一旦は止んだ雨もまた午後から降りだしたので、いよいよ室内になるかと半ば諦めて、最終決定を3時にしました。


ところがなんと!それからは晴れたのでみんなは大喜び。てんてこ舞いの忙しさで何とか早めの夕食に間に合ったのでほっとしました。
夕食はお弁当でしたが、祭りが始まると大好きなお菓子やアイスクリームなど美味しいものがたくさん出るので腹八分にしたよと言う人もいました。私たち民踊クラブはオープニングを任されいたので衣装の準備に追われまた大変です。この日のために練習してきたのに本番になって「やっぱり辞めた」と言う人があり困ってしまいました。しかし何とか無事最初の責任を果たし、やれやれ開幕です。あとで辞めた理由を聞いたら、孫が来るのでぶざまな格好を見せたくないというのです。孫には幾つになってもかっこいいじいちゃんを見せたいのですね。でも一生懸命夢中になっている姿がかっこいいですよ。
輪投げやくじ引き・菓子のつかみ取りなど楽しいゲームがたくさんあり、あっという間に時間は過ぎていきました。いよいよメインの踊りです。ゲームの担当をしていると他に目をやる余裕がなく、民踊クラブ集合の声にやっと気がつきました。例年ですと踊りを踊った事がなく過ぎてきましたが、今年は踊り収めなので張り切って参加しました。今年はおわら節も完璧に踊れるようになったし、テンポの早い「河内男節」もマスターしたので楽しく踊りまくりました。病みつきになるとはこのことで、先輩が各町内を回って盆踊り荒らしをしていた気持ちがやっとわかりました。
これで夏も終わりです。また一つ思い出が増えました。


8月9日(月) 晴れ  目標2名オーバーで例会当日を迎えました   

いよいよ演劇鑑賞会の「オイディプス王」8月例会の日です。前例会よりも2名増やしてこの日を迎える事ができました。富山の言葉で「ふやさんまいけ」を達成する事が出来たのです。3ヶ月間頑張ってきた甲斐がありました。担当者一同肩の荷が下りました。
今夜はゆっくり見学できました。前に東京で事前観劇をしてきたので、内容は知っています。約1ヶ月間どのように芝居が変化しているかに重点をおいて見ていました。土地柄や会場の大きさなど条件が違うだけでも演ずる側に微妙な違いがでてくるという話ですので、一概にどうのとは言えません。また反対に土地柄で反応の良い所は演じやすい面もあるということです。富山を褒めるわけではありませんが、劇団の方から「拍手の仕方や笑いなどの反応は北陸の中で富山の方がいいです」と言われたことがあります。「演ずる側と観客が一体になろう」という運動が少しは根付いた証拠でしょうか。少しずつでも成果が見えてくると嬉しいですね。
今日見ていた席は前の方でしたので、仕草の一つひとつまでがよくわかりました。同じものを何回見ても感じは違うものです。生きている人がすることだから違って当たり前ですが。中部北陸では最後の舞台と言う事もあり、劇団側も力が入っていて盛り上がっていました。化粧法も最初よりは違っていて、目を突いたときの流血の様子がよりリアルになっていました。休憩なしの2時間でしたが、長さを感じさせない舞台でした。
内容が劇中劇という平さんの演出ですので、歌などはマイクを使用しておりました。変だと思われる方もあると思いますが、「楽劇」の名の通りたくさんの歌が歌われました。ミュージカルとは違いますが、めずらしく平さんも歌われました。70歳の人が20歳を演ずるのですから、日頃からトレーニングジムに通って鍛えていると言う話を聞きました。やっぱり若々しいですね。
例会はいつも夜2回、昼1回と2日間にわたって行われます。初日はいつも終演後に俳優の方たちとの交流会がありますが、幹の会はしないのでみんなつまらないと言います。私たち担当者としては楽ですが、やっぱり寂しいですね。どんなに有名人でも、また疲れていても鑑賞会で芝居をやっている以上はファンサービスのつもりでやってほしいと思います。


8月8日(日) 晴れ   孫とサーカス見学   

暑くて朝寝もできません。起きだして外の掃除をしました。水浴びが気持ちいいので、車もついでに洗ってしまいました。
午後からはサーカス見学です。大分前から約束していたので楽しみにしていました。ロシアの「国立ボリショイサーカス」です。孫は3歳半ですが、前に一度キグレサーカスをみて虜になったようです。
犬や熊、ライオンの芸も喜んでいましたが、中でも空中ブランコは大好きのようでした。ちゃんと拍手もするし、全く大人のようです。会場は撮影禁止。その代わりに一枚千円で動物たちと記念撮影ができるのです。写真を撮ろうと思ったら「怖いからイヤだ」といい、相変わらず怖がりぶりを発揮しています。この頃はデイズニーランドでも怖がらずに動物たちと写真を撮るので、もういいかと思ったらライオンだから怖いのだそうです。


前半は指定席のとおり1階で見ていましたが、前の人の頭で見えにくいので休憩後は2階に移りました。2階は空いており気兼ねなしで見ることができて孫も楽しそうでした。私も久しぶりにサーカスを見たので、子どもの頃学校からサーカス見学で行った時のことを思い出しました。
あの頃は象も出ていたし檻の中でのオートバイ乗りもありましたが、今は大分様変わりしていました。手品や馬のりなどが新しかったです。走っている馬に横乗りになったり片手で乗ったりしてさすがサーカス人。ヒョウ踊りなどもすごかったし、すべてが鍛えぬいた身体の演技といえるものでした。


サーカスは空港横の県立総合体育館で開催されていました。早めに行っても駐車場は超満員。帰りは混雑を考えて室内でゆっくりしていたら、なんと外は雷雨です。びっくり仰天、傘も持ってないので困ってしまいました。小降りになったところで車まで走りました。暑いので家に着くまでには乾いてしまいました。
ところがこの雷雨、婦中町から西は降っていませんでした。洗濯物を干してあり気になっていたのでほっとしました。
孫を送り届けたついでに、娘に髪の手入れをしてもらいました。隣では孫が父親に一生懸命サーカスの話しをしています。私の所に来て「ばあちゃんは何がよかったか」と聞くので空中ブランコかなと言ったら、「璃乃が空中ブランコなんだから」と怒っています。父親は横で同じ事もあるんだと説明をしていました。ませているかと思えば、一方ではなかなか親離れをしない孫に呆れてしまいます。大門も納涼祭。今から踊りに出かける所だからいっしょにいかないかと誘われましたが早々においとまをしてきました。


8月7日(土) 晴れ(午後軽井沢雷雨)   雨になった買物ツアー    

朝7時に集合して軽井沢への買物ツアーに出かけました。目的地は2〜3年前にできたプリンスホテル系の“アウト・レット”という所で、若者たちが買物を楽しむ店のようです。どんなところか興味があったので、福利厚生が企画した買物ツアーに友達と参加することにしました。
日帰りですのであまりゆっくりもできません。高速を走っても4時間はかかります。ガイドさんの話では土曜日だから、混雑が予想されるので、予定時間には着かないこともあるということでしたが、予想に反して時間どうり11時過ぎには着きました。あんまり軽井沢という感じはありません。
一息ついて混雑しないうちに食事をしようとレストランへ入った途端、雨が降りだしました。レストランの窓の外はゴルフの練習場になっており、若い人から年配までのペアーが突然の雨に困った様子で雨宿りをしています。にわか雨かと気にもしなかったが、暫くすると“バリッ、バリッ”とけたたましい音がしたかと思うとものすごい雷雨になりました。雨のせいでだんだん寒くなったので長袖を着てきていてよかった。
当初の予定では、帰りの集合までに5時間もあるので、折角来たのだから旧軽井沢まで足を伸ばすつもりでいました。しかし降り込められて外の散歩すら出来ません。みんながっかりです。お陰で店を一軒、一軒丁寧に見て歩きました。実にいろんな店が並んでいます。
興味のあったのは、木工のインテリア製品で面白いのがたくさんありました。家を建てるときの参考にしようと思っただけで買物はしませんでした。写真もたくさん写そうとカメラを2つも持って出かけたのですが、結局一枚も写せませんでした。本当に残念でした。帰りごろにはようやく小降りになってきましたが止む事はありませんでした。
帰りはやはり渋滞しました。なんとか渋滞を抜け出し途中で弁当を積み込み佐久インターから高速に入りました。どこかはわかりませんでしたが、遠くで花火が上がっていました。長距離のドライブへ出かけただけの一日でしたが、目の保養をしただけでも良かったのでしょうか。さすがに疲れてバスに乗ったらお休みモードでした。富山は一滴も降らなかったようです。しばし忘れていた暑さがもどってきました。


8月5日(木) 曇り    演劇の例会間近   

台風11号の影響なのか朝方は風が出ていました。フェーン現象で生ぬるい感じでしたが風があるだけで涼しく感じられました。台風は途中から熱帯低気圧に変わったようで、昼近く少し雨がぱらついたものの本降りにはならずに終わりました。またいつもの暑さに舞い戻りです。
当直明けで午前中まで仕事をして昼過ぎには自宅に帰りました。家で少し仕事をして、夕方からまた会合です。
演劇鑑賞会の例会も近くなり会員拡大もあと一歩です。なんとか頑張って前回から減った会員数を取り返し、前回の水準と同じになりました。「前回よりも1名増やそう」が目標ですのであと1名。今度は電話作戦です。その合間に、増やした人に切符を届けたり集金をしたりします。
驚いたことに、こんなに宣伝しているのにまだこの会の存在を知らなかった人がいました。東京でしかこんな芝居は観られないと思い込んでいたらしい。オーバードホールでもいろんな商業演劇が観られるのに、いまどき珍しい人もいるものだと驚きました。ということはまだ広げる余地があるという証明でもありますね。
今回の芝居は「オイディプス王」。 平幹二朗さんと、鳳蘭さんの大型コンビです。会員になって下さった方の中には宝塚時代から鳳さんのファンだったという方もいました。お芝居は俳優だけでなく脚本・演出など人それそれに好きな分野があるので、その方面からもお誘いする場合もがあります。あと4日、何とかあと一名の目標をクリアしたいです。


8月4日(水) 晴れ     沖縄戦を知ってほしい   

夜久しぶりに早く帰ったので、テレビの芸術祭大賞受賞作品「さとうきび畑の唄」完全版を見ました。今年なくなった寺島尚彦さんが作詞・作曲した"ざわわざわわの唄"をテレビ映画化したものです。
戦争の悲しさ、平和の愛しさを強く訴えていてとてもいい作品でした。戦争を風化させてはいけないと深く強く思いました。明石家さんまさんがいつものイメージと違い、まじめで明るい役を見事に演じていました。「赤紙」が来て出征していく息子に「死んではならない、生きて帰って来い」と呼びかけて命の大切さを説くシーンなんか親の愛情がにじみ出ていました。子どもたちから非国民みたいなことを言わないでと非難されても、考えを曲げずに言い続ける筋金の入った役どころでした。その父親自身も、現地招集されたとき、上官に対して「自分はこんなことをする為に生まれて来たのではない」とはっきりモノを言ったために死んでいったのです。
この作品を見て、沖縄戦の細かい戦争の様子を知ることができました。昭和19年の10月に那覇空襲があり、20年の4月1日にアメリカ軍が上陸したことなども具体的にわかりました。
地上戦が一番ひどかったのは20年の2月ごろから6月までだったようです。8月15日が終戦(敗戦)記念日とされていて、一般的には沖縄戦も同じ日に終結したように思われていますが、沖縄の地上戦集結は6月23日になっています。でも公式な終結は9月7日になっています。沖縄では6月23日を「慰霊の日」として記念行事が行われます。
今日のNHKの「このとき歴史は動いた」という番組では、「新資料が明かす沖縄戦の悲劇、さとうきび畑の村の戦争」というタイトルのドキュメンタリーが放送されました。上記の映画とよく似た内容でしたが、資料をもとにしてより詳しく構成されていたので、戦争の悲惨さが強く伝わったと思います。アメリカで見つかった資料「日本軍の召集計画」「住民偽装作戦」は、なぜ沖縄の地上戦が一般住民まで巻き込んだのかを明らかにしています。
民間人を含む沖縄戦での犠牲者は25万と言われています。(ちなみに、私の実家の近くの西原村(現在は町)では住民の47%が犠牲になったそうです)。男たちが根こそぎ現地召集され、女・子どもだけが残っている村へアメリカ軍が攻撃を仕掛けたそうです。女に変装した日本軍を見分ける事が困難だったために一斉射撃をしたということも明らかにされていました。この放送を通して”日本の本土決戦に備えるための時間稼ぎが沖縄戦だった”と知り憤りを感じました。かつて私の母親が「弟は日本軍に殺された」と言っていた言葉が思い出され、アメリカ軍だけではなく日本軍に殺された人も多かったということが実感できました。時が経ってもこの事実を忘れないでいる人たちがいます。今でも遺骨収集が行われています。さとうきび畑の下にはまだたくさんの遺骨が眠っていると言います。人が人を殺す戦争。二度と戦争は起こしてはなりません。


8月3日(火) 晴れ  移動図書の日   

またいつものように細かい予定で動く忙しさで職場の一日が始まりました。今日は通院の日でもあるので、朝から医者へ行く人たちで玄関は混雑しています。
その人たちを送り出してから今度は踊りの練習です。納涼の行事に向けてしばらくは外の散歩がありません。歩行訓練を兼ねての練習ということになります。本番ももうすぐですので皆さん大分上手になりました。あとは衣装の準備だけです。踊り三分に衣装八分といいます。ドハデな衣装を着るのが出演者の楽しみの一つでもあります。
そのうちに「移動図書の車がきました」という案内の放送が入りました。毎月一回、車の図書館がたくさん本を積んでやってきます。自分が借りた本を返しながら、お年寄りがどんな本を読んでいるかしばし観察です。30%くらいの人が利用するのですが、借りる本は実に多様です。字の読めない人も絵本を借ります。また絵本を借りて絵を写す専門の人もいます。小説を借りる人は利用者の半数もいるかなという感じですが、それでも一生懸命この移動図書館を利用するので感心します。
とくに人気のある本は実用書です。手芸・折り紙・園芸などが中心ですが、皇室の写真集や皇后の子育ての本も出ているのでその本もよく読まれています。
車の中もそうですが、中央図書館に行ったとき、あまりの本の多さにびっくりしたことがあります。小さいときは貧乏で本には縁がなかったので読書の習慣がついておらず、読むペースが遅いため長いものはつい斜め読みになってしまう場合があります。読みたい本はたくさんありますが、時間がないのが悩みの種です。退職したら図書館通いをしたいと思ったときもありましたが、そのときは目がついていかないかもしれませんね。今日も好きな作家の一人、灰谷健次郎さんの本や渡辺淳一さんの本などを何冊か借りました。たまには園芸の本や旅行の本も借りて読みます。
時間の経つのは早く、もう夕方。また当直です。西の空の夕焼けがとてもきれいです。この夕焼けを見ていたら気持ちも楽になり頑張ろうという気になりました。




8月2日(月) 晴れ   久しぶりにゆっくり掃除   

今日は代休です。やり残して途中になっている仕事がたくさんあるので一つずつ片づけました。日が高くならないうちに外仕事を済ませようと朝早くから外に出ました。朝方はそれほど感じなかった暑さも昼近くから急上昇しました。発表では最高気温は37.4度。連続11日の真夏日にビアガーデンも超満員だったそうです。
外も暑くなってきたので、伸びた木の枝切りなどの作業をまだ残したまま家の中に避難しました。この暑さでは私でも熱中症になりそうだったのです。とはいっても中も同じくらい暑いのですが、外よりはいくらかマシですね。中の仕事も大変です。先日の突然の豪雨の際に、開いていたドアに気づかずに障子や畳はびしょ濡れになり張り替えました。
休憩しながら気分転換にテレビを見ていましたら、悲惨なニュースばかりでショックを受けました。一番大きなニュースは兵庫の7人刺殺事件。驚きです。以前から相談を受けていた警察も動くことなく事件が起きてしまったので住民のあいだに警察不信も高まっているようです。
先日富山でも、夏祭りの路上で女子高校生が見物の男性を刺す事件があったばかりです。「面白くないから誰でもよかった」・・・こんな理由が多いです。子育てって難しいですね。
新聞のトップには「鎮魂と感動、心に深く」のタイトルで昨日の「北日本新聞納涼花火大会」の綺麗な花火が写っていました。私もこの花火大会は呉羽山の上から見ていました。なくなった祖母が富山空襲のことについて「花火のようだった」とよく話をしてくれたので、それを思い出しながら見ていました。昨年よりたくさんの人で混雑しており、山の上は車の渋滞で大変でした。
戦争を知る世代は富山空襲の惨状を思い出しながら、また若者たちは夏の思い出にと、花火大会の見方はそれぞれ違ったようですが、戦争で亡くなった人たちの魂を慰め永遠の平和への祈りを込めて始まったことを忘れないでほしいと思いました。
夕方には、娘と孫が池田へ行くというので見送りをしました。いつもなら日曜と今日みたいな平日と組み合わせて夫のところへ行くのですが、今日は行けなくて残念でした。池田では桃が旬のようです。桃狩りをするんだと孫は喜んでいました。くれぐれも居眠り運転をしないように言い含めて二人を送り出しました。


8月1日(日) 晴れ   町内の運動会に汗   

はや8月。日はどんどん過ぎていきますね。
昨日から引き続き勤務。病人もなくゆったりとした日曜日の朝のひとときです。
9時からは向かいにあるグラウンドで町内の運動会です。施設単独の行動が多いため町内との交流は唯一この日だけです。全員とはいきませんが元気なお年寄りがたくさん参加しました。飲み物やおやつをたくさん運び、ゲームや簡単なレースに参加します。日曜日は手薄ですから付き添いは出来ないので事務所から観察しています。少し距離があるので細かい点までは見えませんが、何をやっているかは大体わかります。あ、長縄飛びにでている、大丈夫かな・・・などとハラハラさせられました。
終了後に報告を聞いていると自分を誇張する人が多くて笑ってしまいます。3人のリレーのゲームに参加して、自分は一位になったが後の人がもたもたしてビリになってしまったなどと残念そうに話していました。チーム戦でよくあること。「あいつのせいで」という言葉をよく聞きます。しかしその言葉を言ってしまうとチーム戦は成り立ちません。絶対に言ってはならない禁句ですね。とにかくこの暑い中、無事に終わってくれたのでほっとしました。
昼食は牛丼です。吉野家の牛丼とおいしさ比べなどと冗談を言う人もいますが、比べものになりません。こちらは高級な肉を使っているので美味しさが違います。お陰でよく食べてくれました。

休む暇もなく今度は夜開催される「北日本新聞納涼花火大会」の見学の準備です。お元気な方は園のお手伝いをしてもらうことが多いので忙しそうですが、今回も愚痴も言わず手伝って下さったので助かりました。花火大会の場所までは遠くて行けないので2階で見学をします。そこに椅子を置いたりして会場の準備をして下さったのです。
花火で思い出すのですが、今日8月1日は富山に空襲があった日だそうです。「今日のように暑い日だった」と振り返る人もいます。「花火のようだった」とも。58回目になるこの花火大会、今年は終戦59年になりますから戦争を忘れてはならないと始まったのでしょうか。







"Please Dont Go" by Blue Pino Man

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