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9月30日(木) 雨のち晴れ     富山県知事選挙告示日

宿直の朝、雨の音で目がさめました。外は土砂降りです。風はいまのところありませんが、気象庁の発表では本日の未明に台風が通過する予定です。9月も今日で終わりだと言うのに台風に振り回されています。
隣の養護施設ではいろんな行事の中止連絡が次々と入っています。いつも富山は何事もなく通過するのでみんな心の中では大丈夫と思っていても、いざ行事をするとなるとなかなか勇気がいります。
この台風21号はまともに列島を縦断し、特に三重県、愛媛県では豪雨による被害が大きかったようです。今年の台風は沖縄よりも四国、九州あたりが大きな被害を受けたのではないかと思います。例年にないことですし、備えがないところに直撃を受ければほんとに大変ですよね。死者・行方不明者が出ています。お見舞い申し上げます。

さて、今日は知事選の告示です。宿直明けで午後から帰ろうとしたところお年寄りに呼び止められました。門のほうに立候補者の写真を貼る看板が取り付けてあるので、何か選挙でもあるのかと聞くのです。任期満了に伴う県知事選挙があることを説明しました。またもうすぐこの施設でも不在者投票が行われることも含めて説明をしました。
立候補者は二人で、前消防庁長官の石井氏、もう一人は私もよく知っている人で黒田氏です。
いずれも無所属の新人ですが、自民・民主・公明・社民の4党の推薦を受けている石井氏が有利なことはわかりきっています。しかし、共産党の推薦を受ける黒田氏も県民のための政治を目指して堂々と立ち向かって第一声をあげました。
私の職場の組合は社民党指示で、いつも自民党の政治批判をするのに、どうして自・公・民と一緒に選挙を戦うのか不思議です。口で言っていることとなすことがいつも反対です。それでいつも政治不信になるのです。社民党よしっかりしろと言いたくなります。10月17日の投票日まで正々堂々と戦ってほしいと願っています。黒田さんにぜひ頑張ってほしいです。
夜には台風も過ぎ去っていつもの晴天になりました。明日からは安心して池田に出発できます。




9月28日(火) 雨のち晴れ     中秋の名月は雲の中

今日は中秋の名月。雨模様なのでこの調子だと今晩は月見はできないなと思いながら出勤しました。ところが職場に着いた途端に晴れました。やれやれこれで月見ができるとお年よりたちも喜んでいました。月見団子は食べられるのでしょうか。何の音沙汰もないので、やきもきしているようでした。連絡不十分だっただけでちゃんと午後には「月見会のミニ喫茶」が開かれました。お茶と美味しそうなお団子が2本。みんな満足そうでした。
午前中は大きな病院で眼科の手術をしなければいけない人の付き添いに行ってきました。その人は心配性で手術を受ける事が心配でなりません。
白内障は今の医療の中では手術の内に入らないくらいに簡単に行われている手術です。それだけ年をとると老化現象の証として多くの人が経験している訳です。体の中にメスを入れるので全く危険がないとは言えません。しかし心配しだすと切りがありませんので「お医者様に任せましょう」と話しながら出かけました。ある程度は納得したようでしたが、気持ちの上ではまだ不安が取り除かれた訳ではないのでしょう。同じことを何べんでもしつこいくらいに尋ねるのです。今年88歳の米寿を迎えた方ですが頭はしっかりしており、特に薬に関しては医者の指示をしっかりと守り自己管理をしています。ただ手術となるとパニックになっているのですね。
ほかにも同じ手術を受ける予定の人が何人かいますが精神不安定になっている人もいました。不安を取り除き安心させるには毎日毎日話し続けるしかありません。
病院で検査を受けている間中も繰り返し巻き返し不安を訴えるので、根競べになってしまいました。くたくたになって帰ってきました。午後から団子を食べたら元気になっていたのでほっとしました。中にはそんな事何処吹く風といった人もおり、実にいろんな人がいるものです。
ちなみに夜会議を終わってから、思い出して月を見ていたら雲に隠れてはっきりしない月でした。会議が始まる前に「ススキと団子」をお供えするかが話題になりました。富山はそんな習慣はないが長野県にはあるらしいよと誰かがと言っていました。池田にもあるのでしょうか。




9月25日(土)〜26日(日) 曇り一時雨     職場の親睦旅行

曇りで雨が少しぱらつく中、8時に富山を出発しました。山梨から富士五湖方面への旅行です。向こうの方は晴れていることを願って出かけました。
小淵沢で昼食を取るまではバスに乗りっぱなし。お昼は名物のほうとうを食べました。大型のうどんと言った感じでしたがなかなか美味しいと評判でした。
続いて清里を散策し清里高原ではまたまた美味しいソフトクリームを食べました。楽しみにしていた八ヶ岳は残念ながら曇って見えませんでした。
あとはサントリー登美の丘ワイナリーでワインの試飲を楽しみました。試飲会の後あたりを散策しているとなんとお花が満開。寄せ植えにしたり、壁掛けにしたりと綺麗にしてありました。富山で終わっている花もまだ咲いていました。やっぱり気候が違うのですね。
バスに乗っている時間が長いのですぐ一日も終わり、一路宿泊の河口湖へ向かいました。
ホテルは河口湖のほとりで夜景がとても綺麗でした。この夜景がお風呂から見えたらもっとリラックスできるのに何処も見えず残念でした。

2日目は富士五合目登山です。登山とは名ばかりでバス登山です。予定通りバスが進んでいると思ったら、途中で「今日は通行止めですよ」と言われてびっくり。正午まで「道路レース」があり通れないとのことでした。仕方がなく予定変更です。河口湖の猿回し劇場の見学となりました。
テレビで見る日光のサル軍団は集団で演技をしていましたが、こちらは猿と飼育係の単独演技です。2組の猿が見事な演技を披露してくれました。王さんや、イチロウ選手のバッテングフォーム、竹馬に乗って高い高い高飛びも軽々、猿技でした。
お昼を食べたりして時間をつぶし、やっと富士山へ。またまた霧が立ち込め視界不良。これまた残念でした。天気がよかったら別世界だったはずの富士山。重ね重ね残念としか言いようがありません。沢山の観光客がきていましたが皆同じ思いをしたでしょう。観光馬で6合目や7合目まで登る人もいました。全く土産を買いに来たようなもので、早々に引き上げました。
あとは帰るのみで、また中央道。上信越から北陸道を通って帰路に着きました。
上信越道に入る頃にはもうすっかり暗くなっていました。長野の夜景がとても綺麗でした。長野だけでなく、反対側の町も同じようにとても綺麗でした。
最後の旅行がドライブみたいになってしましましたが、幹事は気を使ってバスの中もゲームをしたりして退屈させないようにしていたのでまあまあよかったかな。
特に思いもかけなかったのは、写真コンテストの優秀賞に選ばれたことです。これはポラロイドカメラで各自一枚だけ撮るのです。取り直しはダメ、2日間のうち好きな場所で写すという条件でした。最後にバスの中で審査委員長が決めたのです。場所が良かったのでしょう。富士山に行く途中、時間つぶしのときに写した神社の大鳥居です。早速御利益がありました。


9月24日(金) 晴れ後曇り     多忙ながら楽しかった

秋分の日の振り替え休日で今日は休み。この頃は毎度医者通いの予定でつまらない思いをしています。しかし何とか治したい一心で通っています。
初めて昼間に受診したので思いがけない人に会いびっくりしました。父方の叔母で前からこの病院に通院しているとのことでした。病院で会うのも嬉しいものではありませんが、いつもご無沙汰ですので少し話をして帰りました。「一度長野の家に連れて行ってね」と言われたのでぜひ案内しますと約束をしましたが、さていつにしましよう。
午後からは妹宅へ行って来ました。家族で外国に住む娘のところへ行ってきた際のお土産を受け取ることになっていたのですが、つい無沙汰をしていて今日になってしまいました。こちらも遅ればせながら沖縄の土産と池田の土産を一緒に届けました。
外国の土産話を聞いていると、姪が住んでいる国は日本と比べると比較にならないくらい貧しい国のようで、妹は「私たちには住めないだろうね。娘はよく頑張っている。わが子ながら感心する」と言って涙ぐんでいました。テレビに「ウルルン滞在記」と言う番組があり、それによく出てくる国に似ているそうです。
私も友達から聞いたことがありますが、外国にいって初めて日本のよさや、贅沢な暮らしぶりがわかると言うことですね。

夜はワールド・オン・アイスショウに行ってきました。娘に招待券が当たったので行かないかと誘われました。孫と3人で出かけました。
私は初めて見るので感動しました。今回は「ディズニー編」でプリンスとプリンセスが出てくる物語が中心でした。白雪姫やシンデレラ姫・人魚姫・美女と野獣など沢山の物語をリンクの上で演じるのです。席も2階の正面でよく見えるいい場所だったので、孫はよく知っているキャラクターが出てくると大喜びでした。アクロバットもあり見ごたえがありました。アイススケートはプロ並でした。と言ってもこちらもプロの集団ですから失礼ですね。
ディズニーグッズのなんと高いこと。またカキ氷やポップコーンなども同じく高価。しかし親ばかといいましょうかよく売れていました。


9月23日(木)秋分の日 晴れ     交通安全マスコット配布

秋晴れの気持ちのいい日です。こんな日に仕事なんてもったいないと思いながらの日直です。具合の悪い人もいなくて静かな朝です。外のグラウンドでは少年野球チームが早くから練習試合をしています。グラウンドの隣にはテニスコートがあり、そのテニスコートの券を預かって販売しいているので、何人かが券を求めにきました。スポーツの秋ですね。

秋の交通安全週間が始まりました。毎年この交通安全週間に向けて、お年寄りと子どもが一緒にマスコットを作ります。このマスコットはお寺に持って行って丁寧に安全祈願をしてきます。そして今日、秋分の日に「交通安全マスコット配布」です。施設の役員さんと、小学生が西の番の墓地にお墓参りに来た人に「安全運転をして下さい」と一つ一つ差し上げるのです。
西の番といえば富山市の火葬場があるところで、その近くにも昨日お墓参りに行った長岡に匹敵する位の大きな墓地があります。墓参りに来た人を狙っての行動です。施設から近いので毎年この場所が選ばれます。今日はお天気がいいので人出が多く、あっという間に品切れになりました。草むらで開会式をしたので蚊に刺されて痒いと言う人もいましたがそれ以外は何事もなく帰ってきました。
帰ると、富山市の交通安全課から、子どもたちには文具、お年寄りにはタオルの寄贈がありました。交通安全運動に協力したご褒美でしょうね。
午後からこの施設にも人の出入りがありました。どの訪問者もお墓参りのお迎えです。みなさんお墓参りに行くのですね。お彼岸にはあまり墓参りに行った事がないので反省させれました。


9月22日(水)曇りのり雨     食欲の秋

昨夜は当直だったので玄関を開けるとすがすがしくとても気持ちのいい朝です。周りではほとんどの田んぼが稲刈りを終えました。田舎の田園地帯ですので夜は虫の合唱が聞こえてきます。お年寄りの中には鈴虫を飼っている人もいます。ちょっと蒸し暑い感じもありましたが、窓を開けるとちょうどいい風が入りとてもいい季節です。
昨日の夕ご飯は大当たり、栗ご飯と塩さば・味噌汁・漬物それに巨峰までついていて大満足でした。嫌いな献立のときの当直はがっかりです。今日は大好きなものでよかった。
新米の栗ご飯が美味しいのでよく売れること。何処のテーブルのおひつも空でした。子どもと老人の複合施設で難しいのはなんと言っても食事です。毎日同じものを食べるという訳にはいきません。老人と子どもでは好みが違うので、たまには同じものを食べることがあってもほとんどが異なっています。しかも育ち盛りはいつも一品多くつけなくてはなりません。調理員さんは朝早くから出勤して高校生のお弁当も作らなければならないし大変です。
今朝も子どもたちはパンと牛乳。お年よりは毎日ご飯と味噌汁に煮物・漬物とお決まりの献立。私たちもたまにはパンが食べたいと言っても通用しません。ひと月に一回くらいは昼にパン食がありますが、やっぱりパンよりご飯党のほうが多いのです。病院ではないので特別食(糖尿病、心臓病など)がないので病気の人は自分で食事の管理をするしかありません。酒屋やお菓子の売店が美味しいものを沢山持って毎週来るのでよほど意思が強くなければ食事の管理はできません。食べながら薬を飲むという矛盾が多々あります。病気の心配よりもやっぱり食べさせてあげたいですね。


9月21日(火) 晴れのち雨      医者通いと墓参り

連休明け。受診者で玄関は久々に混雑しています。いつもそうですが私たちが休みを楽しんでいる時、お年より達は少ない当直の人で不安のようです。きっと心細いのでしょうね。やっと連休が明けたと喜んでします。
内科とか整形外科とか大勢が「ご一行」で行く所はバスが迎えに来てくれます。眼科・耳鼻科などの受信者が少ないところはどうしてもタクシー利用になります。今日はバスやタクシーが一緒になってしまったので大変でした。自分が何処へ行くのかわからない人もいるので交通整理をするのに時間がかかります。
やっとみんなが出かけたと思ったら、その後は厨房に昼食のいらない人の連絡をしなければなりません。「こんなに一杯の欠食、どこか出かけたの」と調理員さん。医者ですよと大笑いしました。お医者さんに行くのが楽しみの一つでもあります。バスの送り迎えがある人は昼食までには帰りますが、それ以外の人は午後にかかります。そのために昼食は外食になります。こんな時は美味しいものを食べてきてねと言っても"ラーメン"やウドンが美味しいものなんです。普段施設であまり食べられないものを食べるのでしょう。
あわただしい午前中が過ぎると、午後からはお彼岸のお墓参りです。お墓は長岡墓地の一角にありバスで出かけます。この墓地は富山市でも大きい方に入り、お盆やお彼岸のときは沢山の人で賑わいます。ちなみに我が家代々のお墓もこの一角にあります。
無数の新しい綺麗なお墓に混じって、ひときわ古い大きなお墓がこの施設の墓です。あまりにも古すぎて目立つので「富山市長さん、新しくして!」とお願いしたいところです。
この墓には身寄りのない人が入っているので、自分もこの墓に入るという人は毎年お参りに行きます。もっとも、お墓では「まだまだお迎えは早いですよ」とお願いするそうです(笑い)。お参りに行く人の中にお寺の元住職だった人がいるのでその人がお経をあげます。その方は痴呆になって久しいのにお経だけは忘れないので不思議です。正しいのか間違っているのかわかりませんが、一応お経になっています。昔はテープを持って行って流していたのですが、今はその方が満足そうにやっているので私たちも喜んでいます。お彼岸は仕事で自分の家の墓参りは出来ないので慈光園のお墓に参ってきました。


9月20日(月)敬老の日  晴れ一時雨      連休は家事でした

連休最終日。結局何処へも行かずに過ぎてしまいました。朝から庭の草むしりです。
暫くのぞいていなかったのでまた草は伸び放題です。庭にいろいろ植えた中でカボチャと冬瓜(トウガ、トウガン、富山ではカモリ)が生き残り、草と一緒に伸び放題伸びていました。
カボチャは大きいもの3個と小1個ができたので今年はまあまあでした(ちなみに昨年は1個だけ)。
冬瓜は昨年より2個上回り10個実をつけました。昨年は夾竹桃の木にまでぐんぐん伸びて中で実がぶら下がり、気がつかずお隣の奥さんが教えてくれてびっくりしました。よくも1本の苗からこんなに出来るものかと驚かされましたが、今年もまた茎の勢いがよく紫陽花の上でもなっています。先の方にはまだ小さい実がたくさん出来ているのでどこまで大きくなるのか楽しみです。
早速冬瓜と苦瓜(ゴーヤー)をお向かいのお宅に差し上げました。苦瓜はゴーヤーと言う名前で有名だから、名前は聞いているが食べた事は無いと言っていたので食べ方を教えてあげました。苦いので果たして食べられたでしょうか。
草むしりをしながら収穫も出来たのでそんなに疲れは感じませんでした。
苦瓜もそろそろ終わりです。長い事たくさん出来て有難うと感謝し来年のために種も取りました。
草むしりは時間がかかって午後にも持ち越しましたが、ちょうど終わりごろにタイミングよく雨が降ってきたので引き上げました。
暫くすると家を見にお客さんが見えました。来年手放す予定で不動産屋さんにお願いしてあるのですが、こんなに早く見に来るとは思ってもいなかったので驚きました。と同時に本当に手放すのだと言う実感が湧いてきました。寂しい気持ちになんか浸っていられない、引越しの準備を進めなくてはと改めて思い直しました。


9月19日(日) 雨のち晴れ     野球選手会スト突入

連休の中日。朝雨が降っていたので午前中寝ていました。気候も初秋、日中は残暑が厳しいけれど朝晩は過ごしやすくなりました。よく眠れること、夏の寝不足の解消をしました。
布団の中でテレビを見ているとまた熊のニュース。医王山のふもとにあるお寺で熊が見つかり射殺されたそうです。小熊が別のところで見つかったので親子だったのではないかと見られています。里に下りて来なければ殺されずに済んだのに可哀相です。寺の縁の下にいたと言うことですので射殺以外に方法はなかったものか。

今度はプロ野球スト突入のニュース。今日はスト2日目。全国各地でファンとの交流会やサイン会、即席の野球教室が行われたようで、その模様が報じられていました。
この頃は組合でも全くストはやらなくなったので、"野球の選手会は偉い、よく頑張った"と思わず叫んでしまいました。
交渉の結果どうなるかと気を揉みながら、ニュースに写る古田選手の顔を見るたびに"頑張れ"とエールを送っていました。
各地の交流会は盛況で「スト支持」などと書いたプラカードを手にした400人余のファンから「古田、古田」の大コールも起きていたようです。野球ファンの多さに今更ながらびっくりしました。ファンは「試合がなくても選手と触れ合えてよかった」と言えば、選手たちは「勇気をもらった」とお返し。ストがファンと選手の距離を逆にぐっと近づけたと報道していました。古田選手がストを避けられなかった事を詫びると「誤ることなんかない」と大声がとぶ。大勢のファンに支持されて選手たちも幸せですね。どうか要求が通るまで粘ってください。
ちなみに私は"アンチ巨人"ですが今回だけは全員応援しますよ。好きな球団は阪神、ヤクルトです。




9月18日(土) 晴れ      カメラを片手にドライブ

朝から暑い日になりました。いろいろ予定がありゆっくり寝てもいられず早起きをしました。
今日はまず、夫に荷物を送った後病院へ急ぎました。最近の病院は土曜日もやっているので助かります。痛いところの電気治療を毎日続ける必要があり、平日でも勤務が終わるとまず病院へ直行します。大腿部の筋肉強化の運動も続けるように指示されていますが、すぐ忘れてしまいます。思い出してはやる始末、これではなかなか強くなれません。
リハビリ終了後、暫くドライブを楽しみました。富山市の中心部に昔映画の舞台になったこともある「いたち川」という川があります。この川の縁に彼岸花がたくさん咲いているのです。先日テレビのローカルニュースで紹介していましたので、私も早速写真を撮りに行ってきました。
紹介されていたとおりに川の両側にはたくさんの彼岸花が草に混じって咲いていました。この花って面白いですね。地面から直接茎が出て花が咲いています。葉はあとから出ている感じでした。
今日は午後からと夜との2回にわたってボーリングの大会(サポーターをガンガンに巻いて痛みをカバーしてやります〜結果はどうなるか)があるのでその合間をぬってのドライブです。
富山市のはずれ、池多(長野は池田)地区の奥の方にある「古同の森」まで行きました。こちらも以前熊が出たことがあります。最近は開墾されお風呂や散歩コースができているので、熊のニュースは聞かれません。この近くに毎年白鳥が飛んでくる池があります。今度は白鳥の写真を取るのも楽しみになりました。ついでに暫しの時間お湯に浸かってきました。やっぱり大きいお風呂は気持ちがいいです。久々に昼過ぎまでゆっくりと過ごすことができました。


9月17日(金) 雨のち晴れ      熊騒動

昼近くからまた暑くなってきました。暑さなんかも吹き飛ぶ週末、ルンルン気分になります。しかも明日から3連休です。
最近熊がよく里にまで下りてくるようになって呉西の方では被害者が続出しています。連休はキノコ取りに誘われていましたが、みんな怖くなり結局中止になりました。
今年は熊の被害者がすでに10人も出ています。福光町では住宅地にまで出没し3人が襲われています。今回は人家の多い地域に出没しただけに住民の衝撃は大きいようです。
職場でもお年寄りたちが熊の話で持ちきりでした。山間部出身の方が山菜を取りに行ったとき熊に出くわした事があり、びっくりして腰を抜かして歩けなくなったと言っていました。みんな「それでどうしたの」と聞くと「死んだふりをしていた」といいます。そんなに大きな熊ではなかったので足で体を蹴られただけで行ってしまったので命拾いをしたそうです。なんだか山へ行くのが怖いですね。
富山市ファミリーパークの飼育課長さんの談話によると「今回の被害は里に来て道に迷い山に帰れなくなった熊がパニックになりどこかに隠れようとして人に出くわした結果起きたのではないか」と見ているのだそうです。
熊は冬眠前に主食のドングリを大量に食べるが、今年は平村などでは病害虫が発生し、山のブナやミズナラが凶作だったといいます。また食べ物が少ないだけでなく、山間地のキャンプ場での残飯や空き缶の放置が熊に里の味を覚えさせているのではないかと言う指摘もあります。人と熊の共生のためには、キャンプ場でのゴミは持ち帰るなどのマナーも守ってほしいと呼びかけています。熊の被害を防止するにはラジオなど音の出るものを持って歩くといいそうです。ちなみに死んだふりをしても効果がないそうですよ。
熊騒動で山を敬遠していましたが、立山はもう秋色です。紅葉は遠くからでも眺められるので熊の心配もありません。連休は出来たら紅葉狩りに行きたいな。足が痛いので願望だけになりそう。


9月15日(水) 晴れ      長寿番付、最高齢は114歳

今日は元敬老の日ですね。年を取っても忘れないために「敬老の日」に結婚したのにそっちのほうが離れていってしまったとがっがりしている人がいました。その代わりに今日は老人福祉法改正で「老人の日」になったそうです。「敬老の日」は1963年まで「としよりの日」と言う名称で呼ばれていましたが、「年寄り」という言い方に異議が出て翌年から「老人の日」となり、66年から祝日の「敬老の日」と変わって現在に至っています。わずか2年で消えた「老人の日」が40年後に復活した形。今度は長寿を保ちそうだと言われています。もうすぐ「敬老の日」。
厚生労働省は14日、2004年の長寿者名簿を発表しました。これを見ると本当に長寿国日本という感じ。百歳を超える高齢者は2万人を超え、昨年を2000人上回り過去最多を更新したと言います。調査を始めた1963年の約150倍になっています。すごいですね。
県別では沖縄県が73年以来連続1位・・・・。う〜んやっぱり、食生活がいいのかな。最高齢は福岡県の114歳。こんな年まで元気でいられたらいいですね。寝たっきりでは長生きしたくありません。
長寿番付の38位までが全員女性で、男性は広島に住む109歳が最高。富山県内でも百歳以上が28人増えて258人で過去最高になったといいます。
私の勤める施設でも90歳以上の元気な方が沢山います。100人中男性が40人女性が60人。やっぱり女性が長生きです。10月に百歳を迎える方も女性。息子にハガキを書くなどの元気があります。こんな元気な方を見るたびに、自分はあの年まで生きられるのだろうかと羨ましくなります。
さて、午後から定期の病院受診の日です。益々不安になります。それでも無病息災よりも、この頃は一病息災といいます。これからずーとお付き合いをしながら生きていこうかと元気付けています。自分も長寿日本一の県の出身、気持ちの持ちようでは長生きできるかも。頑張ろう。


9月14日(火)晴れ      楽しいハワイアンを有難う

周囲の田んぼはもう稲刈りが始まりました。日中はまだまだ残暑が厳しい日が続いていますが朝夕は涼しくなり秋の気配です。それにしては池田町には沢山の赤とんぼが飛んでいたのに富山ではあまり見かけません。不思議ですね。
今日は9月生まれの誕生会です。今月の誕生者は少なく3人だけです。そのうち一人が入院しているので2人だけの寂しい誕生会になりました。
そのお二人のために"ハワイから慰問の方が見えました"と案内があったので、入所者はほんとにはハワイから来たと思っていたようです。実は趣味でフラダンスを習っているグループの方の慰問でした。
この方たちにとっては芸術の秋とでも申しましょうか。素敵な衣装を身に着けてハワイアンのリズムに乗って楽しい踊りが始まりました。多分テレビで見たことがあると思いますが、簡単そうに見えませんでしたか。実は私たちもそう思ったのです。そこで、簡単そうだから「よし、年末のお楽しみ会はこれだ」とひらめきました。踊りの終了後に了解を取り、基礎のステップを教えてもらいました。職員も一緒になって」舞台の上での特訓です。何でもやってみないと分からないものです。腰を振りながら、手と足を動かす事の難しさ。きちんと踊ろうとすると難しくてダメだということがわかり、適当に踊ることにしました。これまでいろんな慰問がありましたが、フラダンス慰問は初めてですのでみんな喜んでいました。

夜は池田の土産を持って娘の家に行きました。前に故障したパソコンを夫が修理してくれ、それを預かってきたので届けました。大変感謝していました。(修理に出すと金がかかるので無料で直してもらってよかったね。)
また夫に教えてもらった茄子の漬物も持って行ったら美味しいと食べてくれました。孫も大人の食べ物が好きで、茄子の漬物が大好きと言っていました。この頃なんでも簡単に漬けられるので、漬物づいてしまいました。


9月13日(月) 雨のち曇り    沖縄の米軍ヘリ墜落事故のこと

午前中は雨。池田から帰ってくるときは雨は落ちていなかったので夜中からでも降り出したのでしょう。お陰で昨日の暑さも何処へやら。風があり涼しく気持ちいい日です。
日中は蒸し暑いので職場ではまだ冷房を入れていました。入所者が100人もいると話をしない人もいます。一人のお年寄りが声をかけてきました。「この前、長く休んでいたようだが何処かへ行っていたの」と言うので里帰りをしていたことを話しました。「沖縄は大変だね、大学に飛行機が落ちたのでしょう。集会をやっていたよ」と、ニュースを見ていたらしくよく知っていました。これ幸いといろいろ基地の周辺の人の大変さなどを話しました。こんな施設の中で、例え一人でも話題にしてくれる人がいたとは嬉しいですね。人ごとみたいに無関心の多い中、ようこそ話してくださいました。
12日(日)に抗議集会があり池田でニュースを見ていたので話を合わせることはできました。ただ新聞は月曜日が休刊日だったため、集会の模様は夕刊に載っていました。"米軍ヘリ墜落、国際大で抗議集会約3万人が参加"と小さく載っていました。
以下は新聞記事からです。〜集会の参加者は一万人と見込んでいたが、当初の想定を大きく上回った。1995年の女子小学生暴行事件に8万5千人が集まった県民総決起集会以来の大きな集会になった。墜落機は隣接する普天間飛行場(軍用飛行場)を離陸したもので、参加者は飛行場の早期返還や県内移設を条件とした、同飛行場の返還計画の見直しなどを求める項目について拍手で採択。また、墜落時刻の午後2時10分にサイレンをならし米軍機事故の根絶を願って2百羽の鳩が放たれた
事故直後沖縄の稲嶺県知事が小泉首相と会見したとき、首相が「大変ですね」と言った言葉が印象に残ったと言います。人ごとだと思っているからこんな言葉がでる、これは沖縄だけの問題ではない国の問題だと怒っていました。全くその通り。
昔のあまり報道がない時代でも米軍による子ども暴行事件は沢山ありました。県民はずっと泣き寝入りをさせられてきました。もっともっと怒ってほしい。

9.12集会(沖縄タイムズより)


9月12日(日) 晴れ    残暑厳しい一日でした

今日はまた夏に逆戻りかと思うほど暑い日になりました。夫は神社の掃除でぎっくり腰になったようで、腰をかがめて歩いています。昨日も痛かったようですが今日の方が痛そうです。バンドを巻いたり湿布をしたりして、とりあえず応急処置。日頃の介護の疲れが引き金になったのでしょうか。今日は休んでねと言ってもやっぱり慣れている人を当てにしてしまいます。スミマセン。
これからは自分たちも体力は落ちてきます。二人でへばっていたら介護はできません。お隣のOさんに習って筋トレでもしなくてはと痛感しました。ちひろ美術館に行きたいなと思っていたが、腰が痛いのと暑いのとで出かける気にもなりません。
というわけで、今日は昨日のパソコンの続きの指導を受け、後はせいぜい近くの農協のスーパーに行って買物です。
新鮮なりんごが入っていたので、子どもや沖縄の実家にも送ってもらうことにしました。
池田にはめずらしい野菜や調味料があるので来るたびに新しいものを教えてもらいます。今回は茄子の美味しいつけ方を教えてもらいました。前に夫がホームページで紹介していた簡単な「なす漬の素」を使っての漬物です。茄子の漬物が食べられなかった私でも美味しく食べられました。早速土産に持っていくことにしました。大根や地這いキュウリの浅漬けも美味しいので野菜も土産にどっさり。果物など沢山の土産で車は一杯になりました。
帰る前に縁側で夕涼みをしていると、実にいろいろな発見がありました。
赤トンボが空一杯に飛んでおり(すごいたくさん)、軒下には蜘蛛が巣をはっています。払っても払っても蜘蛛たちとの根競べです。
隣の猫がよく遊びにくるそうで、今日も目の前をのんびり通ったかと思ったら畑で用をたしています。その様子がおかしくて笑ってしまいました。用をたす前に土を掘ってそこに用を足し、その後きちんと土をかけるではありませんか。感心してしまいました。夫は知らなかったのかと言っていましたが、猫は飼ったこともないし話には聞いたことがありましたが初めて見ました。
2日間ゆったりと時間が過ぎ、のんびりと息抜きをして帰ってきました。


9月11日(土) 晴れ 池田初日   予定どおり芋掘り

昨夜は予定が狂い池田町に着くのが遅くなり、待っていた夫に申し訳ないことをしてしまいました。8月には弟の法事があり、母や夫が富山に来てくれたので私の池田行きは久しぶりでなんだか懐かしくなりました。
池田の畑の様子は夫が時々ホームページで知らせてくれていたので分かっていましたが、実際に来てみてトマトやキュウリがないと寂しい気がしました。しかし畑は夜見るのと朝とでは感じが違います。朝起きてみるとサツマイモもは掘り頃、地這いキュウリや大根も沢山できていました。感激。早速取ってきて朝食のおかずにしました。池田に来ると菜食中心になってしまいます。ダイエット食にはちょうどいいですね。
母は久しぶりに私の顔を見るので、名前を言っても「誰かな」と言った表情をしていました。夜はよく寝ていてあまり独演会は聞かれなかったので落ち着いている感じを受けました。夫は神社の掃除で出かけていたので朝食は少し遅れたが、母はまだ睡眠中。2人だけで先に済ませてしまいました。
朝食後はさっそくパソコン教室の開始。私は画像の取り込み操作が不慣れなためにこれまで電話で聞いていてもさっぱり。そこで今回はパソコンを持ち込んでの実習となりました。
昼からはヘルパーさんが訪問、母は散歩に出かけました。私たちは家の建設予定地の宅地造成の工事現場を見に行ってきました。これも写真で見ていたので様子は分かっていましたが目で見て実感。今日は工事はお休み。ショベルカーなど工事用車両が置いてあり、工事の大変さが感じられ仕上がりが待ち遠しくなりました。
帰宅後に隣の子どもたちを呼んで芋掘りをしました。葉がすごい勢いで茂っていたので、芋は小さいのではと心配をしましたが、思ったよりも大きい芋が出てきたので子ども共々大喜び。早速チビ芋ちゃんを焼いてヘルパーさんと一緒に食べました。食べるものが一杯あり嬉しい悲鳴です。


9月9日(木) 晴れ    人間ドック入り II

朝8時、朝食も食べずにまた検査会場へと向かいました。寝付かれずにいたので朝方二度寝をしてしまいました。
寝坊してしまいびっくり。食事をしないので何とか出発の時間に間に合いました。
今日は血糖検査です。空腹にまず採決をしてそれからブドウ糖を飲みました。血糖負荷試験です。時間ごとに血を採ったり、尿を取ったりします。あと心電計をはずしたりするくらいで検査が少ないので退屈しましたが、本を読む気にもなれず、テレビを見ていました、
朝から続けてテレビを見たのは初めてです。午前中は園芸など結構楽しい番組をやっているのですね。やっとお昼近くにすべて終了しました。ようやく美味しい?お弁当を食べて帰りました。心配していた事が「異常なし」と判定されたのはうれしかったのですが、別の新たな項目の指摘をうけてしまいました。成人病になる一歩手前、真剣に体のことを考えるいい機会になりました。心配よりも終わったという開放感が先に立ちました。
午後からはいろいろ予定を立てていましたが、第一の計画の足の治療はつぶれました。木曜日の午後は病院が休みだということをうっかり忘れていたのです。その後は年金の相談に行ったり、沖縄に大きなニンニクを送ったり演劇の集金をしたりして、アッと言う間に時間は過ぎていきました。
明日からは久しぶりに池田へ行くので、買物をしたり準備をしたりしましたが、そのうち夜になりボーリングの試合にいく時間になりました。足の痛みも少し楽になったので、また投げられるようになりました。しっかり治るまでは治療に専念しようと思っても少し調子がいいと出かけてしまいます。誰かが言っていたけど、好きな所に行くのは縛って置くわけにも行かず本人の気持ちに任せるしかないとのことです。この好きと言う所はなんにでも当てはまりますね。足と相談しながら行動します。


9月8日(水) 曇り    人間ドック入り

台風一過とまでは行かないが静かで何事もなかったようなお天気です。夕べが風も一番ひどく、瞬間最大風速40メートルを記録したそうです。呉羽のりんごや梨の農家もかなり被害にあったようです。呉羽山も木の葉が落ちて道中葉っぱだらけで大変、民俗民芸村の職員が朝早くから大掃除をしていました。「ごくろうさん」とつぶやいて通り過ぎました。
今日はいよいよ最後の健康診断、一泊ドックの日です。
朝には腸を空にしなければならないので、昨夜は下剤を服用して寝ました。検査、検査ですので勿論朝食は食べません。
予約時間は9時だったのですが、落ち着かず早めに会場に着いてしまいました。一番かなと思ったらもう検査が始まっており、たくさんの人で混雑していました。
問診に始まり身長・体重・血圧・目・耳・胃・肺・心臓・内臓各部の超音波・骨密度・体脂肪・血液・診察と実にたくさんの検査をするので、あっちへいったりこっちへ来たり、引っ張り回されて、結局終わったのが午後3時過ぎ。疲れてしまいました。おまけに土産にホルダー心電図を担がされ、痒くてたまりません。心臓の一日の様子を見るので、時々機会が動いているかチェックをしなければなりません。
泊りは「お疲れさま」というのか豪華なホテル泊です。タクシーでホテルまで送ってもらいました。心電計を担いでいるので、風呂も入れません。唯一豪華な夕食だけが楽しみです。
しかしその楽しみも奪われました。昼の胃の検査のバリウムが出やすいように下剤を飲んでいたので、腹が痛く気持ち悪くてたまりません。明日もまた検査があるのでお酒も飲めません。もう退屈でしたが、我慢して過ごしました。なかなか寝付かれず、遅くまでテレビを見てしまいました。検査は受けるのはいいですが、結果を聞くのは怖いですね。心配してもキリがありません。"まな板の鯉"覚悟をきめました。


9月7日(火) 晴れのち風     強い台風18号上陸

夕方近くから風が強くなりました。予報では今夜から明日にかけて富山も暴風圏に入るそうで、台風らしくなってきました。瞬間最大風速が25〜27メートル以上になるということで、帰宅途中も次第に風は強くなり車も横揺れをして怖くなりました。
今回の18号は沖縄でも50メートル以上の強風をともなう強い台風で被害も大きかったようです。私の田舎の方は大したこともなかったそうで安心しました。
台風は夏から秋口に来るので、刈り入れ前の稲が倒れているのをよく見かけます。今回も倒れなければいいですがと案じています。しかし、富山はいつも他の県よりも被害が少ないので救われます。


今日はフェーン現象のために日中は蒸し暑い日でした。その影響で食中毒注意報が発令されたという連絡が入ったため、昼食時や放送を通じて入所者に再三注意を促しました。ニュースによれば、もう忘れかけていたO157の被害者が出たということです。お年寄りたちは他人事のように聞いていますが、十分注意が必要です。
ちょうど今日から日赤の看護学院の実習生が来たので、耳の聞こえない人も一人一人個別に話をして理解してもらいました。今は福祉施設の実習が教職実習の必須になっているので大学生や看護学院その他各方面からの実習生が来ます。1クラスが4日間にわけて実習に来るので、今日の看護学生さんたちについては一日だけの見学実習になります。ですから説明も一日の流れだけの大まかなものになってしまいます。
学校現場の専門の実習指導に比べると実習要綱もなく甘いものですが、この職場に応じた方法で統一しなくてはなりません。教育実習でないのだからそれでもいいのかなと、疑問に思いながらも要綱を作る話し合いを進めています。担当者が変わっても漏れのないように指導してもらわなくては学生さんたちに申し訳ないので、ぜひ今年度中に作り上げたいと思っています。
台風が来るので実習生さんたちも早々に引き上げて生きました。職員も時間になったらみんな早めに帰りました。
私も不動産屋さんと約束があったので急いで帰ってきました。道は相当に混雑していましたが、脇道を通ってなんとか約束の時間には着くことが出来ました。相手の不動産の方は待ち合わせ時間よりも随分遅れて見えました。別の日にすればよかったとお詫びをして早々に打ち合わせを済ませました。


9月6日(月) 晴れのち雨     映画鑑賞の付き添い

台風も沖縄を通り過ぎたようで、沖縄の母は昼近くからようやく家を開けられるようになったと言っていました。その台風の接近で明日の富山は荒れ模様との予報がでていました。
今日の午前中は何とか晴れ間がありましたが夕方からとうとう降りだしました。午前中は入所者の映画見学があったので降らずによかった。ある映画館から「釣りバカ日誌15」という新シリーズの映画の招待を受けました。今日と明日の2日間の指定ですので希望者を募って1班が今日の見学となりました。
付き添いを入れて20人近くが大きい車2台で出かけました。この頃は郊外の駐車場の広い映画館にお客を取られ、中央通りは閑古鳥が鳴くと噂されているようですが、まだ生き残って頑張っているので感心しました。映画館の中も平日ながら私たちの団体以外にも何人かのお客がいたので安心しました。私は当直明けでしたので眠くならないか心配していましたが、映画の面白さに笑ったりちょっぴり泣いたりして眠らずに済みました。今回の映画は秋田が舞台でしたので当然秋田弁が出てきます。そのせいかお年寄りの中には笑えずについ眠ってしまったという人もいました。また暗くなると眠くなるという人もいたので大笑いしました。
午後からは勤務明けでしたので、病院にいくことにしました。今までの病院は医師が次から次と変わるのでちゃんと見てもらえず不信感があったので、思い切って病院を変えてみることにしたのです。同僚の紹介があったので受診したところ親切で丁寧でした。暫く治療して治らなければもっと詳しい検査をしましょうと言って下さいました。なんだか気分だけで「この病院では治るのでは」という予感がしました。きっと治ってほしいと祈る気持ちです。体調が悪いと「もうだめだ」といつもの癖で悪い方へと考えてしまい落ち込んでいたので誰かさんにも八つ当たりをしていました。体の割にやわな神経で困ります。筋肉を鍛えると共に精神も鍛えなければならないと痛感しました。


9月5日(日) 雨    久々に孫とのお出かけ

8月末に帰省していたとき台風16号が発生していてようやく過ぎ去ったかと思ったら何日もたたないうちにまた18号の発生。今年は台風の当たり年です。あの頃から18号が接近しているというニュースもありましたがやっぱり来たかという感じです。母に電話をしたところ、今度は雨風がともなう強い台風になり大変とのことでした。北部の辺りでは多くの世帯が停電したとのことですが、南部の方は停電がなかっただけ良かったと言っていました。被害を受けた方には悪いけどあの時でなくてよかったと胸をなでおろしました。16号が今のような大型であったら多分予定通りには帰って来られなかったでしょう。早く過ぎて行く事を願うだけです。
昨夜は遅くまでパソコンに向かっていたので今日は少し寝坊しました。雨も降って涼しくなっているので気持ちよく、いつまでも寝ていたい気持ちでしたがそうも行きません。
昼からは孫をあずかる約束になっているので迎えに行きました。また例のワールドファミリーの例会に参加するためです。お陰で大きな病気もしないで3歳半になりました。ますますオシャマになり、出かける準備の様子を見ているともう好きな服や靴下を選んでいます。この先が思いやられます。この頃はあまり泣く事もなく「行ってきます」と言ってくれます。車の中でいろいろお話をしていると、前よりもしっかり受け答えをするようになりましたが、ときどきブスッとして表情が硬いのが気になりました。人見知りのせいであればいいのですが。
さて、ワールドファミリーも回を重ねて参加しているせいか会場に行っても泣かなくなり、先生の動作の真似もするようになりました。今回のテーマは「新しいお友達に名前を聞いてみよう」というもので、隣のお友達と名前を言い合うのです。「マイネムイズりの」としっかり言うのでびっくりしました。
英語の苦手な私は、この例会に行くと何を言っているのかわかりません。子どもたちの方が受け答えをしているのでもう驚きです。英才教育が盛んですね。いつ行っても沢山のお父さん、お母さん方がビデオやカメラを持ってきています。子どもの頃からあのような教育を受けていたら私も少しは英語が話せるようになっていたのではと時代の違いを羨ましくなりました。
最後は例によって先生方との記念写真の時間です。記念写真も泣かずにさっさとしてくれたので助かりました。終わった後はいつも食事をしたり遊んで帰るのですが、今日は夕方からまた仕事の予定があるのでゆっくりできずにおやつのアイスクリームだけ食べて帰りました。そして早く我が家へ一人で泊まりに来るようになるといいなと、大きくなっている姿を思い浮かべながら職場へ急ぎました。


9月4日(土) 曇りのち晴れ     敬老の日お祝い会

敬老の日は9月20日ですが、当施設では毎年早めてお祝い会をするのです。100人の入所者は男性40人・女性60人とやはり女性が多いです。90歳以上は男性1名、女性4人です。10月に100歳を迎える方が1名おりますが、そのお祝いは満100歳になってからということになっています。
例年ですとお祝い会は平日に行われるのですが、今年は市長の都合で土曜日になってしまいました。他の職員は9時出勤ですが、宿直者(私と相棒)の二人は昨日からの勤務で引き続きですので朝から働いています。細々とまだ準備が残っていました。他の職員が出勤してからは主に会食の準備です。
今日は美味しいお祝い膳にお酒もつきます。お祝い饅頭やビール・ジュースなどが各テーブルに配られます。
市長を始め、役所の偉い方、町内の役員の方々が参列し式典が行われました。アトラクションは食事をしながらになります。民踊の先生の踊りに始まり、校下の保育所の園児のお遊戯がつづきます。今年は民謡の慰問もありました。予定より少々オーバーして終わりました。
日直者は事務所で電話や外来者の対応をするのが仕事ですので、私はお祝い会場の様子を始終見ることはできませんでしたが、音楽が聞こえてきたり、少し覗いたりしていたら盛況のようでした。後かたづけが終わり、みんなで食事をして解散です。うーん自分たちも帰りた〜い。勤務は5時まで、頑張ろう。
やっと放免になったかと思ったら今度は趣味の会の飲み会です。これはお楽しみ会ですのでリラックスできました。二次会はカラオケにいって十分ストレスを発散してきました。こんなときは体の事も忘れているので楽ですね。夕方から雨が降りだしました。みんなは代行を呼ぶやら混雑していますが、私は飲んでいないので車でお先にと帰ってきました。


9月3日(金) 曇りのち晴れ     敬老会の準備

すっかり秋の気配です。夜は毛布だけでは寒いくらいになりました。今朝から明日の夕方まで職場に詰める事になるので、準備をして出勤しました。
昨日の大掃除に続き、今日は諸準備です。一番の大きい仕事は紅白の幕張です。食堂の周り中に張り巡らすので時間がかかります。その他の会場設営やアトラクションの準備で、担当者は抜けていないかチェックに余念がありません。玄関ホールでは入所者の各クラブの作品の展示です。生け花・書道・手芸・七宝焼き・陶芸などなど沢山の作品が並びました。
準備が一段落すると今度は入所者の式典のリハーサルです。今年から喜寿の祝い金が廃止になり、米寿だけになりました。男性1名・女性3名計4名の米寿を迎えられる方がいるので挨拶や祝い金の受け取り方の練習です。肝心な本番に忘れないかと心配しながら練習している姿を見ると涙が出てしまいました。「大丈夫、職員がそばについているから」と励ましながら明日の本番を迎える事になりました。
老人施設の秋は食欲の秋です。これから美味しいものの寄贈が増えてきます。今日は善意銀行から梨の寄贈がありました。幸せですね。職員まで少し回ってきたので味見ができました。私の地元で取れる「くれは梨・幸水」は今が旬ですのでみずみずしくて美味しく、皆さん喜んでいました。
新聞では富山県産の米で早生の「てんたかく」が満点でデビューし、県内や県外にも出荷されたとありました。この「てんたかく」は「ハナエチゼン」と「ひとめぼれ」を掛け合わせた品種で、JAでは県産ブランドとして消費者に歓迎されるようにPRしていきたいとのことです。もうすぐこの施設にも新米が入ります。多くはコシヒカリですので、この米も食べてみたい気になりました。お年寄りだけでなくやっぱり私も食欲の秋かな、痩せるどころか太りそうです。


9月2日(木) 晴れ   「おわら風の盆」テレビで楽しむ

今週末に控えている「敬老の集い」に備えて掃除の業者が入り、朝からてんやわんやの大忙し。各月に行われるこの掃除は普段は静かに行われるのですが、今日は富山市長が参加する大きな行事のための掃除ですので念入りに絨毯やガラスまで磨くのです。
いつも思うのですが、特別に金をかけずに普段のままを見てもらえば自然体で済むのに見栄の張り合いです。これはトップの考え方次第ですし、綺麗になるのですから良しとしなければなりません。掃除の時間帯はビルの清掃と違い、当施設では昼間堂々と行われるので、入所者は部屋へは帰れず集会室でビデオを見ることになるのです。嫌がる人もいますが仕方がありません。
いつもでしたら映画や有名人の歌謡ショウなどを見るのですが、今日は越中八尾の「風の盆」の模様を見ていました。昨日から「おわら風の盆」が始まっているので、現地までいけない人にとっては幸いでした。
私たちも部屋の掃除が終わるまで見ることが出来ました。三日日三晩踊り明かす八尾の町流しが有名ですが、昼間は野外ステージで踊っている様子をケーブルテレビが一日中取材放映しているのです。
おわら節は、三味線・胡弓の音色が哀調を帯びてとってもいいですね。今年やっとおわら節の踊りをマスターしてよかったと思っていたらなんと最近の踊りは新しい型の踊りが大半です。
踊りは町内またはグループ毎に披露しており、小学生グループもありました。やっぱり本場、踊り手の特に指の動きがとても魅力的で色気を感じるのです。30年も富山に住んでおりながら「風の盆」を見に行ったことがないのです。
昨年の事、八尾の病院に勤める弟が病気療養中に見舞いに行った折に「風の盆に来くる時はこの病院に車を止めるといいよ」といってくれたので、そのつもりでいたのですが実現できずに逝ってしまいました。それっきりになって残念でなりませんでした。今年の「風の盆」は初日に少々雨がぱらつき心配しましたが、何とか天気で終わりそうです。
夜は久々のボーリングのリーグ戦です。足の痛みがなかなかとれず鎮痛剤を服用して出かけたのですが今日は効果がなく踏み込みができませんでした。これで趣味までも取り上げられるのかと思うと落ち込んでしまいました。がまた思い直し、もう少し頑張って治療してみる事にしました。
(写真は八尾町ホームページより)


9月1日(水) 晴れ     ひまわりが迎えてくれました

学校も今日から2学期、子どもたちが賑やかに登校しています。私も久しぶりに出勤し、なんだか懐かしい感じでした。みんなは台風の事があるので「無事帰れてよかったね」と気にしていてくれていました。同僚って嬉しいですね。
入所者はやはり2〜3入の入院退院の動きがありました。目の前に諸行事が並ぶと現実に引き戻されました。
建物の外には、出かける前には咲いていなかった遅植えのひまわりが一斉に咲いていました。丁寧に育てると花も応えるもので、期待していなかった花が見事に咲いているのには感動しました。
通勤の道々では、稲も黄色い色をしてもうすぐ刈りいれ。秋を感じました。沖縄では2毛作ですので、田植えが済んで根がついた状態でした。田舎の家の周りでは米を作っている農家がないので田んぼがなく、甥は田んぼを見たことがないといっていました。
さて、今日も早速慰問がありました。学習院大学の落語研究会の学生さんが来て落語を披露するというのです。男性1名、女性2名の方が来てくださいました。落語は好きですので聞きに行きました。プロとは違う初々しさがあり、まあまあの出来でした。女性の方が迫力があり上手でした。皇族方が行く学校にも落研があるんだとみんなびっくりしていました。最後は職員も交えて大喜利、ゲームなどをやり楽しいひと時でした。
初日から入所面接があったりして忙しく、私は田舎ボケをしているので大変でした。
夜富山駅前を通ると舞台が出来ていて「おわら」を踊っていました。もう9月、八尾の「おわら風の盆」が始まりました。  




8月28日(土)〜31日(火)沖縄 晴れ   帰省(その2)   お盆の行事

今日からお盆の入り。沖縄のお墓は「ムンチュウ墓〜一族が共同で作っている墓」といって大きな墓ですので、本土の個人のお墓とは違うので特にお墓参りはしません。その代わり仏壇がすべての代わりをするのです。仏壇もこちらのキンピカとは違い作り付けの段になっている大きな仏壇です。位牌があってもお坊さんがお参りに来るのではなく、家のものが念仏を唱えながらお参りをするのです。


仏壇には果物籠が両脇に供えてあって、サトウキビも二本供えてあります。仏様の杖になるとのことですが、省略してある家もあります。沖縄でもところによってお供えのもが違う所もあります。最長老の母にもその訳は分からないようです。私自身19歳まで沖縄にいた割りにはお盆の行事の仕方をすっかり忘れていて、今更ながら本土と違う丁寧さにびっくりしました。母に言わせるとこれでも昔に比べると大分簡素化されているとのことでした。
お迎えの日に供える食事は決まっており、その日はどこの家でも「ジュウシイ〜沖縄料理<こちらの混ぜご飯>」です。お盆の間中はお茶は勿論、おやつも供え食事も供えるのです。
お盆の間はお客さんも多いです。兄弟・親戚の家に行ったり、また来てもらったりで、面倒な事をよくやっていると感心してしまいました。
お供え物の名称は「お中元」です。こちらのお中元の意味とは少しニュアンスが違うのですが、お中元を持ってきてもらった所をまたお返しに回るのです。盆と正月は必ず行くので、何年もご無沙汰というのがありません。同じ墓に入るという一族の結束の表れでしょうか。
送り盆でまた驚いたのは、重箱2つにご馳走(これも何を入れるか決まっている)をつめてお供えをして、最後に兄弟が全員集まってみんなでお送りをするのです。
始めに仏壇にお参りをします。長男の家では長男が代表になり「今年もよく来て下さいました、また来年も待っています」と唱えます。お参りした後は、位牌とお供えもの一式を玄関に出してまた同じような事を唱えながら送るのです。お盆の行事が終了後みんなで食事を済ませ、今度は次男、次に三男の家を回りお送りを済ませるのです。それが全部終了すると今度は妻の方の実家へ行く人もいます。「えー前からこんな事をしていたの」といいたくなりました。


お盆の中日は村の盆踊りです。この日の為に毎日練習をして来たのです。勿論エイサーもあります。昔にはなかった出来事が次から次からあり、その度にびっくりするので「浦島太郎」だねと笑われてしまいました。
沖縄はお盆休みといった職場は特になく、平常の中でお盆が行われるといった感じです。ですからお盆の間もゴミ収集もあります。田舎は各家の前に集めに来るのでまたびっくりしました。
お盆も終わりみんなが帰ったあとはさすがに静かになりました。あっという間に数日がすぎ、私はもう帰り支度をしなければなりません。母はいつもあれもこれも持っていけと出すのですが、限度があり宅急便にしました。今回は本当にゆっくり出来たのでテレビの沖縄芝居も楽しむことができました。「あんたが帰るとまた寂しくなる」と帰るときはいつものセリフ。「定年になったらいつでも来れるから元気でいてね」と返します。
沖縄は米軍ヘリ墜落事故の処理問題で稲嶺知事が総理大臣と会談したというニュースが流れたり新聞報道されたりしていましたが、私のほうの田舎ではそれは基地の近くの問題だとして関心が薄いのも事実です。田舎では田舎の生活があり、必ず町のほうがいいとはいえません。みんなその場で一生懸命生きており、そして幸せを感じているのを肌で感じました。自分もまた帰る田舎があることの喜びを実感してきました。見送りはいいといっても通用しないので大勢で空港へ。
飛行機に乗ってしまえば近い日本列島。所要時間2時間半で富山空港に到着しました。富山も残暑が厳しい午後でした。


8月24日(火)〜27日(金)沖縄 晴れ   帰省(その1) 雑感

7泊8日、少々長めの里帰りをして来ました。コンピユーターとは縁のない田舎ですので久しぶりにパソコンに触ります。今日は沖縄滞在中のことを少し紹介します。
2年前の沖縄復帰30年記念の年から盆と正月の限定期間ですが、富山〜沖縄間の直行便が就航するようになりました。富山空港のいいところは何日でも無料で駐車できることです。駐車場は広いしどこに行くのも便利になりました。
出発の日は台風16号接近のニュースで飛行機が飛ぶか気になっていました。午前中の仕事が終わり、問い合わせをしたところ欠航の連絡はないとの返事でしたので、急いで準備をして出かけました。幸いにも飛行中も何事もなく無事目的地に着く事ができました。
それから毎日台風のニュースばかりで今日は来るか、明日来るか、このままだと帰りに影響が出ないかと、気にしながら台風情報に目が離せない毎日でした。台風銀座といわれて必ずといっていい程毎回台風の影響を受ける沖縄ですが、大型台風との報道でしたが風が少し強い程度で影響はありませんでした。農家の人が望んでいる雨の一滴も降らずいいのか悪いのかそのまま過ぎ去っていきました。九州の方は影響が大きく、被害が大きかったようで大変でした。お陰で沖縄は晴れの毎日、暑くてたまりません。富山ではお盆の後は少し涼しくなっていたので同じような感覚で出かけていきました。
機内の案内では沖縄は32度。降り立った途端やっぱり南国だと思い知らされました。暑さで汗をかきすぎ、皮膚はかぶれ痒くなって大変でした。母はクーラーが嫌いで扇風機だけの生活ですので雨が降ってほしいと願うだけでした。そんなこんなで初日から大変な思いをするはめに。しかし、もうすぐ85歳になる母は一人暮らしなので遠慮をする人がいなくて楽に過ごすことが出来ました。
今回の里帰りは自分の慰労のつもりでした。職場では、相棒が長い間病休だったにもかかわらず代替の補充がなされず欠員のまま働いていたので、彼女が復帰したのを機に自分が夏休みを取ることにしたのです。

沖縄のお盆は旧暦でするので8月の28日から30日までになるのです。いつもの里帰りですと中学校やら高校の同期会で出歩くのですが、今回は何処へも行かずもっぱら母の手伝いをして過ごしました。
まずお盆の準備です。お掃除をしたり、買物をしたり結構忙しいのです。明日からお盆の入り。
27日は台風が気になりながらも、弟夫婦が沖縄本島北部にある「美ら海(ちゅらうみ〜綺麗な海のこと)水族館」に案内してくれました。海洋博覧会が行われた場所に20何年か前に出来ており、今度リニュアルオープンして東洋一になったということです。
新しくなってからは行ってないからとまだ小さい甥を連れて母と5人で出かけました。確かに前よりは建物もデザインがかっこよく、直接海から繋がっているという水槽も大きくなっており、随分整備はされていました。肝心の魚の数は多くなっている感じは受けませんでした。何が東洋一かはわかりませんでしたが、さすがに沖縄、熱帯魚や深海魚も多く綺麗でした。5歳の甥は大きい魚に歓声を上げながら絵本の付録についているカメラ(一応本物)で撮影をしていました。レストランの食事などは小さい時から食べなれていた懐かしいものが多く、何を食べるか迷う位でした。
買物などで外食時は毎回大好きな「沖縄ソバ」を食べていたので笑われました。家ではお袋の味が懐かしく、母にあれも食べたい、これも食べたいと注文をつけて久しぶりにいろいろ食べさせてもらいました。さあ明日からお盆、みんなが集まるので忙しくなりそうです。







"Gratitude" by Blue Pino Man

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