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7月31日(月) 晴れのち雨        長野版新聞購読開始

早いもので7月最後の日曜日です。日曜日はいつものんびり過ごしてしまいます。昨夜遅かったので今日は散歩もお休みして遅くまで寝ていました。
雨になるとの予報でしたが午前中は何とか天気になったのでいつものように梅干の天日干しをしました。お隣さんから戴いた夕顔の実を細く切ってかんぴょう作りに挑戦しているのでそれも干しました。初日に干したものはもう完全にかんぴょうになっているので嬉しくなり、2つ目も同じようにして今日から干し始めました。
青じその葉も塩もみをして「ゆかり」つくりをしています。
縁側に干すと猫が来てトイレと間違われそうですので車の上に干しています。ジープの前の部分がちょうどいい干し場になっています。
午後からは予報通りあいにくの雨になってしまいました。梅干し天日干しの最後の日だったので残念でした。

今日から地元の新聞が入ってきたので久しぶりに隅から隅まで読んでいました。長野は広いので東信・中信・南信・北信というわけ方をしていることがわかりました。
私は特にクロスワードパズルが好きなので何にでも載っていたらすぐ挑戦してしまいます。日曜日は二つの新聞にパズルが載っているのでそれも解いていました。難しくて解けないものは夫の頭とパソコンが頼みの綱です。
いつも思うのですが、どうして同じ形をした頭なのに中身はこうも違うのかと情けなくなります。理論派と単純派、いつもいつも教えてもらうばかりで勝ち目はありません。ですから辞典を引くより聞いた方が早いです。その悪い頭、よく痛くなるだけであまり冴えません。今日も途中頭痛がして暫く休んでいました。たまには夫にその頭貸してといいたくなります。頭の悪いのを楽天的な性格でカバーしているつもりですが・・・。
夜夫は"九条の会"の会合で出かけました。今まではこのような会合にも出られなかったのですが、今はお互いに交代で出かけられるようになりました。憲法九条を守るために頑張ってね。




7月30日(日) 晴れ      1ヶ月が経ってしまいました

梅雨が明けたら案の定毎日が真夏の暑さです。いつも33度から35度といった数字が記録されています。
土用に入り、梅干の土用干しの最中ですがよく干せます。暑いのでいろんな乾燥野菜も作ったりしていますがうまくいくでしょうか。
池田は今日お祭りだそうです。母を連れて行くのも大変ですのでなかなか出かけられません。遠く長野あたりでは雷雨にでもなっているのか凄い稲光がして花火のように見えていました。こちらも少しは降ってほしいです。

さて私、池田に引っ越して来てから1ヶ月が経ちました。厳密にいうと1ヶ月と3日です。まだ慣れたとはいえませんが少しづつ顔馴染みも増えてきて、買物などに出かける道も大分分かるようになりました。
朝の散歩も夫の配慮でいろんな町の様子がわかるようにと出来るだけ違ったコースを歩いています。ゆっくりした生活だからでしょうか、ふと自分がなぜこんな所にいるのか、何をしているのか不思議に思うときがあります。「引っ越してきたのだ、池田が終の棲家になったんだ」と我に返ります。
富山でもそうでしたが、いつも雄大な山を見られるというのはなんと幸せなことか。悩み事があってもアルプスの山々を見ていると人間の小さい浅はかさがバカらしくなります。それでも仏の心境になるのは難しい事ですが、大きな波風を立てないようにしたいと思っています。大きな変化がないのは幸せな証拠かな、久しぶりの日記です。1ヶ月を振り返っての感想を書いてみました。

午後からは新居を建てるに当たって、私たちがお願いしている業者が建てた家の見学会があったので夫と二人で見に行ってきました。場所的には少々遠くにあったのですが、キッチンなんか参考になりました。うちも昨日設計士の方が打ち合わせに見えていよいよ本格的な設計に入る段階だとのこと、楽しみです。
会場に行く途中、地名がその通りに読めないような字があって驚きましたが、そんなことは近くにもあります。地域を知るにはやっぱり地元も新聞も見なければいけないことを痛感しました。
ちょうど2、3日前に地元の新聞(富山の北日本新聞かな)の購読を勧める方が来たばかりでしたのでタイミングがよかった。夫の勧めもあり暫く購読する事になりました。明日から少しは頭の体操ができるかな。




7月27日(水) 晴れ       台風一過暑い日になりました

今日は体が気だるくつい寝坊してしまいました。勿論朝の散歩もお休みです。とは言っても朝食はいつもと変わらない時間でした。母もデイサービスへ行く日ですので起こして食事。いつもながら送り出すまでが大変です。
日中は本当に暑くなりました。洗濯物はよく乾いて助かりますが真夏の暑さです。
庭のひまわりもやっと咲きました。富山滞在中に元の職場を訪ねる機会があり、お願いしていった「ひまわり畑」どうなったのかと覗いたら影も形もありませんでした。ちょっとがっかりしましたが、花はやっぱり好きでないと育てる事はできないことを痛感してきました。

午後から夫はお稽古、私は近くの町の散策です。まず豊科から松本。近道を探す目的もありましたがそれ以外にちょっと遠出もしました。
長野にはいくつもの村がありますが、その一つに山形村という所があります。最初は"山形"とだけ聞いていると山形県と勘違いしましたが村だとわかりました。
そこには大型のスーパーがあり中には映画館も完備されているというのです。富山にも同じような所がいくつもありますが、田舎になぜこんなところができたのか見に行ってきました。
池田から一時間近くかかりますが、とても静かな綺麗なところでした。
田舎の広い大きい場所にその建物が際だって見えました。山形村は山芋の名産地だそうであちこちに山芋畑が沢山ありました。道端には直売所も数多くあって村全体で山芋づくりに取り組んでいる様子が伺われました。
役場もちょっと変わった建物になっていて綺麗でした。今日は下見という目的でしたので映画好きな私としては我慢して帰ってきました。ついでに途中"松本空港"の案内があったので場所を確かめるつもりで走ったのですが、なかなか到着せず時間も迫っているし諦めて帰途につきました。沖縄へ里帰りする時この空港を利用するのでしょうか。ちょっと遠い感じを受けました。




7月26日(火) 雨       台風が心配でしたが

今朝はまだ富山です。昨日まで真夏のような暑さでしたが今日は朝から雨になりました。
台風の影響で今晩あたりがひどいと言う予報です。早く池田に帰らなければと思いながら十分な戸締りやら用事をしていたら、出発が11時になってしまいました。
帰るとき娘の家にまた寄る約束をしていたので出発前に行ってきました。孫は保育園に行ったばかりで会えませんでしたが、娘は元気そうで安心しました。今月一杯は安静にするように医者に言われているので、ご両親にもご心配かけて申し訳ないと伝えてきました。ご両親からは逆に長野は海がないからと海の幸のお土産を戴いてきました。
富山駅では夫の好きな"炭焼きコーヒー(ドトール)"とお菓子の"とこなつ"を購入して帰ってきました(お酒を飲まないので甘いものが好きです)。

池田もやっぱり雨でした。夫は今朝から腰の検査で病院に行っていたので気になっていましたが、そんなにひどくはないと言われたそうで安心しました。
午前中は二人とも留守にしていたので母はまたヘルパーさんの世話になっていました。私がつく頃にはお疲れモードでベッドに入ったところでした。
富山から帰った早々でしたが夜はボーリングの例会日でした。台風がひどくなるかと心配しましたが、ひどくなくてよかった。ボーリングも中止ではなかったので行きましたら参加者は少なくてがっかりしました。しかし農家の方が家でと取れたといってスイカやトマト、ナスなど沢山持ってきてくださったので大きなスイカを戴いてきました。旨いものは小勢ですね。

       *************************

*覚えに22日(金)から25日(月)までの富山の行動を記録しておきます。
家が完全に売買されるまでは管理が必要なため他の用事と抱き合わせて4〜5日の滞在となりました。
娘と孫を送り届け、その足で郵便局で入院見舞い金の手続きです。この頃は即その場で支払われるのでびっくり。
夜はボーリングの試合に参加。翌日は庭の草むしりです。自然に芽が出た庭のひまわりも随分大きくなっていました。
午後からは少しの時間を利用して富山で行われているボーリングの「北・信・越」ミニ国体の応援。それから友人と食事。実は送別会もまだ残っていたのです。
庭の草は1か月も経っていないのに伸び放題、暑いので汗を流しながらの作業に少々疲れ気味。次の日のゴミの日に向けて沢山のゴミの山ができてしまいました。合間にちょっと誘われてダブルス・ボーリングに参加。これで疲れも吹き飛びました。
最後の日はいよいよ演劇鑑。劇団1980の素劇「ああ、東京行進曲」を鑑賞しました。
創立した年がそのまま名前になっているというユニークな劇団です。芝居も変わっていて、劇団員の服装は全員「黒」。使うものは白い紐と黒い箱だけ。昭和の歌姫佐藤千夜子の生涯を描いた音楽劇ですが、劇団とかオーケストラを入れるのではなく全員が口立てで"チャカチャンチャン、ズンチャカ"と奏でるのです。人間が山になったり汽車になったり口では説明もできませんがとっても楽しい芝居でした。
素うどんの素、どんな料理にも変身できる、それぞれの想像力で楽しみ方もそれぞれというこれまでのものとはひと味違う芝居でした。


7月19日(火) 晴れ        知らぬが仏は強いです

朝散歩に行く時孫も一緒に連れて行こうと思ったらまだ寝ていました。二人とも遅くまでテレビを見ていたようで朝は寝坊です。ちょうど朝食の準備ができた頃起きたので食事は一緒にできました。
休みも開けたので向かいのエリちゃんは学校があるため遊ぶ相手はおじじです。早速「ながのじいちゃん」を相手にはしゃいでいました。

先日から広報池田の無線放送で「ゴーヤー料理」の講習会を案内していました。ちょっと興味があり参加する事にしていたので予定どおり会場まで出掛けました。池田に来て日も浅いので場所もはっきりわからず問い合わせをしてからの参加となりました。
この集いも当然初めてですので心細い気持ちはありましたが皆さんと一緒に会費も払って何とかとけ込むようにしていました。
まず最初は体操。1時間ほどの体操や踊りのあとやっと料理の講習会です。要領がわからずエプロンも持っていかなくて「しまった」と思いながらも一緒に行動していました。「ゴーヤーチャンプルー」を始め大豆ご飯・中華風スープなど何種類かつくりました。


ゴーヤーは沖縄独特の料理ですのでこちらの方がどのように作るのか興味がありました。これは直接こちらで指導するのではなく代表の方が講習会に行って来ての伝達講習でした。そのために料理の際注意する点など押さえの伝達がなかったので皆さんレシピを見ながら好きなように作っていました。心の中で「アー、違う」と思いながら黙っていました。案の定、チャンプルーと言うより「ゴーヤーの卵とじ」になっていました。これが本場のチャンプルーかと思われたらまずいなと思ったのですが、皆さん美味しく食べていましたのでまあいいかと黙っていました。
ところが・・・試食の途中のことです。突然横の方が「貴方はいつから会員ですか」と聞かれました。何の会員かと思い、よく聞くと本日の会合は「食生活改善グループ」の会員だけが対象だったのだそうです。思わず赤くなり謝りましたが、穴があったら入りたくなるほど恥ずかしい思いをしました。”どうも見かけない顔だ”と思ったのだそうです。それでも快く「いいですよ、どうぞ会員になってこれからも一緒にやって下さい」と言われたので会員の手続きをしてきました。
昨年までは講習を受けないと会員にはなれなかったようですが、今はその講習が廃止になりいつでも入れるようになったそうです。お揃いのエプロンや三角巾も注文しました。知らないというのは強いものだとつくづく自分で感心しました、そのお陰で地域に一つつながりが出来たのかも。
昼の失敗があったので夜の集まりは慎重になりました。これは趣味のボーリングのクラブのことですが、入れてもらってついでに一緒に活動してきました。
ボーリング場まで時間もかかるし、初めてですので詳しい時間的なことまでは分からず帰りが遅くなってしまいました。家族に連絡していなかったので心配かけてしまいましたが、またここでも繋がりができました。一つ一つ、少しづつ自分の世界が広がっていきます。次回の集まりが待ち遠しいです。


7月18日(月) 晴れ       娘と孫がきました

今日は「海の日」。祭日です。と同時に今年は私の誕生日でもあります。会社ですと60歳定年の場合誕生日に退職ですから次の誕生日まで間がありますが、私の場合は3月まで勤めていましたのでもう誕生日が来たのかという感じです。これからの人生きっと今までよりも早いのでしょうね。一日一日悔いのないように過ごさなければと改めて思いました。夫からはプレゼントとして手作りのラベンダーの壁掛けをもらいました。
誕生日にはいろいろ予定していましたが、娘が急に休養のためこちらに来る事になったので夫が富山までいく事になりました。朝から夫が出かけたので午前中は母の面倒を一人で見なければなりません。昼ごろまだ眠たいと怒る母を起こして着替えをします。いつものことですが起きてすぐに食欲はないので、特別に予定外でお願いしてあったヘルパーさんに食べさせてもらいました。
ヘルパーさんが来ている間にちょっと私も出かけてきました。用事を済ませたあとボーリング場へ。無料券があるので練習をしてきました。こちらへ来てから全く行っていなかったので不安でしたが、腰もそれほど痛くなく投げられたので安心しました。10月に向けて少し練習をしなくては。
夫も意外と早く富山から帰ってきたので夕方は早めに夕食の準備をしました。この年で誕生祝をしてもらうのも恥ずかしいのですが、娘と孫にも一緒にお祝いをしてもらいました。
孫は向かいのエリちゃんと遊べると喜んでいます。相手は小学生なのによく一緒に遊べるいつも感心してしまいます。二人とも暫く滞在するので孫は保育園にも行けないし退屈するのではないか気にはなりますが賑やかになるので楽しいです。




7月17日(日) 晴れ        ゆっくり気分の一日でした

日本人の朝食と言えば通常はご飯に味噌汁と相場は決まっていますが、今日は朝から洋食のスープを作る気持ちになってしまいました。
夫は散歩から帰ってくると野菜の摘み取りが日課になっているのでトマトやキュウリを沢山摘んできました。ジャガイモや玉葱はすでに収穫したものがあり材料が揃ったので「よし」となったのです。
面倒な事が嫌いだった自分が何でもしようという気持ちになったのはやっぱり気持ちの余裕でしょうね。そんな気持ちで頑張って作ったトマトのスープ、ジャガイモや玉葱も入れてコンソメ味、夫よりも自分が美味しいといって食べてしまいました。
食後にはこれも自前のブルーベリー。都会ではとても考えられない事ですね。ちょっと贅沢な、田舎暮らしの良さを満喫した朝でした。
毎日が日曜日になっているのに今日は「日曜日」。ゆっくりしようと話し二人で笑ってしまいました。母も何処も出かけなくていいのでゆっくり寝ています。
午後からはとても暑くなったのですが、母を連れて散歩に出かけました。小学校の近くの木陰でリハビリの歩行訓練です。
自分で歩く事がほとんど出来なくなっているのでこれ以上進行しないためのリハビリですが、すぐ疲れてしまうようです。座っている時でも目を閉じている方が多いので、目を開けて周囲を眺めさせるのも至難の業です。


散歩の帰りの買物でアイスクリームを買ったら喜んで食べてくれました。誰でもそうですが、好きなものなら口も大きく開けて食べています。食事の時もこれくらい大きく開けてくれたらいいのにとつい口説きたくなりますが、仕方ありませんね。帰宅後は脱水予防の水分補給に牛乳は飲んでくれました。

気がついたらもう夕方です。座って新聞を読んでいたらウトウト眠気が来ました。暫く休んでいる間に夕食は夫が作ってくれました。やっぱり作ってもらったほうが美味しいです。好きになれなかった料理の勉強も今からが始まります。大久保さんからいただいた漬物桶も利用しなくては。
大久保さんが亡くなってもう10日が過ぎました。片付けもやっと終わったようで息子さんが挨拶に見えました。思ったよりもあと始末が長くなってしまったようですが、一段落して息子さんもホッとして帰られたことでしょう。


7月15日(金) 晴れのち雨        ちょっと忙しかった

蒸し暑い日が続いています。今朝も降りそうな天気でしたが夕方まではなんとか持ちました。
朝の散歩も今日で3日目、今のところ続いています。(三日坊主になりませんように)
今朝は少々遅れて出たので帰りも遅くなってしまいました。早起きするのは辛いのですが、散歩に出てしまえば気持ちがいいものです。
家々の草花を見たり畑の野菜や家のつくりを見たりと楽しみが一杯です。
場所を替えて歩いているので毎日目新しいものが一杯あります。初日はワラビが目に入り摘んできて味噌汁の具にしました。今日は高瀬川の所まで行ったので、河原に咲いている可愛い花と綺麗な赤い実をつけた枝を切ってきて飾りました(残念ながら名前がわかりません)。草花辞典を持っていかなくてはいけませんね。

母を送り出したあとですぐ畑に行こうと思ったのですが、夫は注文していたパソコン修理のパーツが来たので午前中かかりきりになっていました。
私もその間母の手のリハビリ用のお手玉つくりをしました。
午後から畑の草取りです。雑草は勢いがよく取っても取っても追いつきません。ねぎは草に負けてあまり大きくなっていません。オクラもトウモロコシもあるのでこれからは頻繁に行かなければいけませんね。
庭ではトマトがそろそろ色づきました。沢山取れるようになったのでさっそくトマト料理。手始めにスパゲッテーのミートソースを作ってみました。
初めてでしたが、何とか美味しく食べられました.。今後スープにも挑戦してみようかと思っています。
朝から晩まで予定が詰まっている日でした。夕食後はボーリング場のクラブの様子を見に行ってきました。これからクラブに所属しなくてはいけないので、どんなクラブに入ったらいいのかの偵察です。さすがにシニアのクラブで人数も多く、高齢者も楽しんでいました。自分も来週からボチボチ始めようかと思っているので、よーく見て、考えてから行動するつもりです。

< 写真は散歩の途中で見かけた「こんにゃく畑」 >




7月13日(水) 晴れのち曇り       北アルプス市民劇場を訪問

富山の仲間たちには、腰がよくなったら大町鑑賞会を訪問するねといっていたのですがなかなか実現できませんでした。痛みも大分緩和して来たので何もかも今日から活動開始といった感じです。
その手はじめに朝の散歩。久しぶりに夫と二人で近くの田んぼ道や山際の道を約一時間歩いてきました。なかなか早起きができずにゴミも夫が出していたのですが、少し心を入れ替えて早起きをするようにしました。やっぱり朝の散歩は気持ちがいいものです。続けたいと思っていますが、できるかな。

今日はちょっと賑やかな日になりました。母を宅老所に送り出す準備の途中にお客さん。家の設計のことで建築会社の方が見えました。
打ち合わせを終わったらもうお昼になってしまいました。夫も向かいの大久保さんの葬儀や片付けの関係で暫く休んでいた”フラワーアレンジ”の教室の再開です。



私はというと念願の演劇関係の事務所を訪問しました。その事務所は大町にあり、昨日訪問の連絡をしたところ通じないので、夫にも手伝ってもらって調べたところ毎日は事務所を開設していないことが分かりました。名前も「演劇鑑賞会」ではなく、長野県は「・・・市民劇場」と称していることが分かりました。大町も「北アルプス市民劇場」という名前でした。
というわけで、今日やっと事務局と連絡がついて訪問となったのです。
事務所は大町の繁華街にあり、週3回午後から開いているそうです。富山と比較すると事務所もこじんまりして専従もいないのでちょっと寂しい感じを受けました。話を聞いていると年4例会で1例会1回公演だといいます。会員は比較的長く見続けている人が多いとも言っていました。会館も800くらいの中ホールで見やすいことなどもわかりました。同じ長野県でも松本は6例会と規模に応じた活動をしているようです。なるほどと納得し仲間に入れてもらう事にしてきました。
どこの地区でも幹事不足があるようで、富山で幹事の経験があることを話しましたらすぐこちらでも一緒にやってくれるように頼まれてしまいました。少しでも経験が役に立つのであればと引き受ける事にしました。池田にもサークルがありましたがまだどのサークルに所属するかは分かっていないので少しづつ事務所に顔を出して慣れることから始める事にしました。


7月11日(月) 曇りのち雨       ジャガイモが掘りました

朝、猫が顔を洗っていたので”今日は雨が降るのかな”なんて思っていたら夕方から雨になりました。迷信を信じて夫に笑われました。
ここ2〜3日我が家の片付けやら大久保さん家のお手伝いやらでバタバタしていて落ち着きませんでした。自分の引越しの片付けもまだ完成してはないので合間を縫ってやっています。
畑の事も気になっていたので今日は母を送り出した後で久々に行ってみました。予想通り草ぼうぼう、どこから手をつけていいのかわからない状態でした。
まず、トウモロコシを植えるための場所を綺麗にして苗の植え付けをしました。夫はイチゴのランナーを植えるための場所を確保して、少々早いのですが来年のための植え付けをしました。
先日植えたオクラの苗は根付いていました。カボチャも1〜2個実をつけていましたが、大きくなるでしょうか。草の中ではありますが、少しづつ成長していました。
草取りは沢山あるのであと一日かかりそうです。もう嫌になり、ジャガイモを掘って見ました。そんなに大きくはないけれど一本から3〜4個が取れました。天気の関係で発芽も悪く、間引きしたものを植えたのでこれだけなっていれば満足だと言って帰ってきました。

昨日は家の庭に植えてあるヘチマを収穫し沖縄風に料理して食べました(びっくりして人もあるのでは)。今朝はゴーヤーをとり、チャンプルーにして食べました。毎日キュウリばかり食べているのでたまには違うものもいいですね。
しかし不思議なものでキュウリは毎日食べても飽きないですね。ジャガイモは明日どんな風にして食べようか楽しみです。新ジャガはやっぱり塩ゆでかな。
冷蔵庫の品物も品切れになってきたので夕方は買物に行ってきました。野菜類ばっかりだと蛋白質不足になるので時々は肉や魚も食べなくてはいけませんね。
挨拶回りもやっと済ませいよいよ本格的に池田の住人になった感じです。


7月8日(金) 晴れ      大久保さん家の片付け

なんだか暑くなりそうな天気です。母はデイサービスに行く日。
送り出す時間と同じくしてお向かいの大久保さんのご家族の方がご挨拶に見えました。これから家の片付けに入るとのことでした。葬儀の際に、荷物を全部処分するにあたってパソコン関係の荷物だけは夫に選り分けてもらいたいという依頼があったのです。「パソコンはすべて不要なのでよければ使ってほしい」という話も出たので、夫は「Macは英会話の先生である牧師さんに形見分けするのが一番いいのではないか」とご家族に伝えてあったこともありました。
大久保さんは昨年からパソコンも始められ、牧師さんと夫のすすめで"マック"の機種にしたのです。
大久保さんは夫とは話が合い、行き来するほどの関係になっていたので、パソコンも夫の手ほどきで始めたのでした。デジカメも購入しこれからいろんなものを写したいと意気込んでいらっしゃいましたから、こころざし半ばで逝ってしまうことになりさぞ心残りだったことでしょう。

夫から大久保さん家は荷物が多すぎて足の置き場もないと聞いていたので今日の荷物の整理は大変だろうと予想していました。母がデイサービスに行っているのを幸いに二人で手伝いに行く事にしました。
話を聞いているのと実際に見るのとでは大違い、本当に中も外も大変な量の荷物だったのでびっくりしました。息子さんは「10年分のゴミですよ、父は頭の回線が一本足りなかったのでしょう」と笑っていました。それくらい大量の荷物をためこんでいたのです。
親戚の方もお手伝いに見えて、大勢で片付けをしてもなかなかはかどりません。まず外から片付けて行きましたが、暑い日になって大変でした。
10年前にこの地に引っ越して来られたようで、まだそのときのままになっている荷物もありました。畑を借りて野菜を作っていた時期もあったそうで、農機具や肥料・鉢物も沢山ありました。まだ使えそうなものを形見分けとして頂いてきました。みんなで一日中ハッスルしましたが、まだまだ2〜3日かかりそうです。私もついこの前富山で荷物を沢山処分してきましたが、大久保さんには負けました。教訓=いらない荷物はできるだけ早く処分した方がいいかもね。夫も私も腰が痛くなりました。もう年でしょうか。無理はできませんね。


7月7日(土) 晴れ      大久保さんの葬儀

今日は大久保さんの葬儀の日です。夫はお手伝いをするために早くから出かけました。私は短いお付き合いでしたが池田に来るたびにいろいろお話をしたりしていたので、午後からの葬儀に参列しました。夫婦で参列するので母はヘルパーさんに時間の都合をつけてもらいました。大久保さんとそう年齢が違わない母は、亡くなった話を聞いてもあまりピンと来ませんでした。
葬儀会場は隣町のセレモニーホールで行われました。ところ変われば何とやらで、午前中に火葬を済ませてあってもうお骨になっていて葬儀というより告別式でした。会場の入り口にも写真と焼香場所が作られていました。
写真を見ていると昨年秋紅葉を見に行ったときのことが思い出され、人の命なんてあっけないものだと思いました。
いつも前向きで勉強熱心、自分もああいう風に年を重ねたいと常々憧れていました。やりたいことをやり、長患いもせず、大久保さんにとって悔いのない人生だったのではないでしょうか。どうかこれからはゆっくり休んで下さいと祈りました。


葬儀の感想ですが、1時間半いろいろ説明しながらお経を上げているのでとても長く感じました。私は富山での浄土真宗の葬儀に慣れていますので、曹洞宗のお坊さんのお経などすべてに違和感を感じてしまいました。まずお坊さんが数珠をもっていないことが何だか変でした。
富山に住んで、父の葬儀で沖縄に帰った時にもやはりその土地の風習やしきたりがあり変われば変わるものだと思いましたが、やっぱりここでも大きな違いがありました。太鼓にシンバルはどこか日蓮宗に似ていますね。お経の内容はまったくわかりませんでした。7日の法要のお経もあり、その際は親族だけが焼香をするという仕組みでした。これも富山とは違うところでした。
いい所は焼香順がないこと。これはよかったです。受付をしていた夫に聞いた話ですが、香典の金額によって返しが違うというややこしい事になっているそうです。町内の香典は一定額の申し合わせになっているのでこれは返礼がないそうですのでいいですが、受付も大変な作業ですね。
引っ越してまだ何日もたっていないのに葬儀参列なんて、早々と土地の文化・習わしの違いの一面をみました。


7月6日(水) 曇り  出張していました

あっという間に7月になっていました。
6月30日の夜から4泊5日で富山に出かけていました。富山の家には泊まれる位の寝具と少しの家具があるくらいで新聞もテレビもなし。ラジオは置いてありますが日にちの感覚がなくなっていました。
引越しの際放置してきた山ほどのゴミを出したらすっきりしました。7月に入っても毎日雨ばかり降っていましたが、最後のゴミを出す日にちょうど晴れてくれたので助かりました。
富山は梅雨入りしたのが6月の後半でしたので、それからは毎日のように降っていたようです。滞在中の4日間は予定が詰まっていたので結構忙しくしていました。引っ越して間もないので、人と出会っても今まで通りまだ富山に住んでいるような感覚でした。
そんな中、娘が体の調子が悪くなって入院したり自分がぎっくり腰になったりと予定外の事も起こったりしてびっくりしました。3日のボーリング大会の終わった後でよかった。運転して帰れるか心配でしたが、接骨医で治療してもらい帰るまでには少しよくなったので助かりました。
娘の見舞いにも行く事ができてよかった。娘はよくなって退屈するくらいでしたので安心して帰ってきました。

嬉しいニュースは、新車を購入したことです。現在の軽自動車は長く乗っているので退職を機に少し大きめの普通車を購入したのです。
車を受け取るため、行きはJRにしました。車は自動車会社の方が自宅まで持ってきてくれました。「確かに嫁入りさせました。可愛がってください」とは納車担当の社員の弁。さすがに愛情を注いでいる様子でした。
新車はやっぱりいいですね。荷物もたっぷりのるので、まだ残っていた荷物を積んできました。帰りは久々に高速を走ってみましたが、安定して走り心地もよく、軽とは比較になりません。パンフレットで夫に選んでもらった色。現物を見るとさわやかでいい色です。もう一生もの、この家の宝です。


今日は朝からあわただしい一日でした。起きたら外が騒々しいのでもしかしてと不安がよぎりました。昨夜遅く帰ってお隣の大久保さんが入院したのを聞いたばかりでしたので明日にでもお見舞いに行こうと思っていたのです。
風邪がこじれて肺炎になりかなり入院されており、ようやく退院されたと思ったら退院後も「喉が痛い」と不調を訴えられ、大好きなコーヒーも飲みに来ていませんでした。元気もなく心配していたのですが、こんなに早く亡くなるなんて信じられません。私が出かける前まではお散歩にでたりして元気な姿をみせていましたので本当に驚きました。お土産は柔らかいお菓子を買ってきたのですが、行き場を失っています。父親的存在だったので寂しくなりました。







"Old Days" by Blue Pino Man

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