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8月31日(水) 雨のち晴れ        新聞を読んで 

いよいよ8月も終わり。朝は雨模様で肌寒い感じでしたが、昼からはさわやかなお天気になりました。
母は寒がりでもうすでに長袖になっていましたが、今朝はいつもより少し厚めの服を着ていきました。みんなより少し早めに衣替えをしました。朝晩は寒いくらいですが、日中はまだ暫く暑いのでしょうね。
母を送り出したあと新聞を見ていましたら、面白い記事を目にしました。ある人材会社が一般の人を対象に次のようなアンケートをしたそうです。
*小泉首相にさせたいアルバイトは・・・1位、郵便配達だったそうです。民営化を叫ぶ首相に郵便の現場体験をさせたいという思いでしょうね。ちなみに2位は土木工事、3位は清掃業務だったそうです。私もそう思います。性懲りもなくまだ郵政職員を目の敵にして郵政民営化にこだわっているようです。
そんな選挙戦も昨日公示され各党首が動き出しました。自民党も郵政民営化反対派の人には対立候補を出すようにという方針が決まりました。怖〜いですね。
引っ越してきて始めての選挙ですが、投票権はまだ富山ですので投票日にはまた富山へ行かなくてはならなくなりました。
富山の3選挙区に対して長野は5区、やっぱり広いですね。全部で17人が立候補しているのですが、ある選挙区では普通の若い主婦が立候補しています。今の政治は国民を大事にしていない、政治を変えたいと。一匹狼みたいな感じですが、訴えるだけでも勇気ある行動だと思いました。
富山では小学校勤務の時の同僚が立候補しているのでびっくりしています。彼女は私より年上です。私は「年だから」という言葉は嫌いだったはずなのに、家の中でももう3人年寄りって感じですのでいつの間に心の隅にその言葉が住み着いたようでつい今更と思ってしまいます。しかし、そんな皆さんの行動に勇気をもらいました。
今日明日からとは行かないが、今からでもいろいろ挑戦したいそんな気分になった一日でした。


8月29日(月) 晴れ      戦場に散った画家たち  

庭には赤とんぼが飛んでいます。朝夕は涼しさが感じられ秋の気配ですが、「残暑厳しい」とは今日のような日のことでしょう。
母を送り出した後ジャガイモ掘りに行くつもりがあまりの暑さに予定変更。夫といっしょに上田市の「無言館」に行くことにしました。
ここは美術学校を卒業、あるいは在学中といった画家やその卵たちが書き残した絵を全国から集めて展示してあるところです。画家になることを夢見ながらも戦争に狩り出され戦死。夢を絶たれた若者たちが戦地でも時間の許す限り描いたという絵を家族が必死の思いで守ってきたと言います。
そこには戦地から家族へ出した沢山の手紙や写真も展示されていました。どの人もハガキや手紙にはちょっとした絵が描かれていて本当に「絵が好きな人たち」という印象を受けました。また絵の横には家族からのコメントが貼ってあるのでそれを見ると無念さが伝わってきます。
今年は戦争終結60年の節目の年、昨日も平和講演会があり戦争の悲惨さを強く感じてきたばかりでしたので「戦争」を考えるのにタイミングがよかったです。
このような素晴らしい記念館が近くにあるとは知りませんでした。上田市でも田舎の方にあり、池田からも曲がりくねった山道を1時間半くらいかかりましたが行く価値のあるところです。
観光バスのコースにもなっているらしくちょうど沢山の客とぶつかってしまいました。平日にしては結構入っていました。田舎でも素晴らしい所があればお客さんは来るんだねと夫と会話。
ちょっとユニークだと思ったのは入場料金を出口で払うようになっていたことです。それも五百円から千円の間の額で任意の料金を見た感じで払うという仕組みになっているのです。
館長さんが水上勉さんの息子さんとのこと、本人はどんな方かは知りませんが水上勉さんとは演劇の関係で何回もお会いしているのでなんとなく成る程という思いをしました。
デッサン館が近くにありましたが時間の関係でそこは行けなかったのでもう一度ゆっくり来たい所です。




8月28日(日) 曇りのち晴れ       地域の防災訓練  

池田では「防災の日」にちなんで9月1日に近い日曜日に地域の防災訓練が行われます。小字(こあざ)の単位ごとに指定された避難所に避難し、そこでいくつかの防災訓練が行われるのです。富山では職場以外では経験のないことですのでここの防災会は熱心だと思われました。
全戸配布された予定表を見ているとほぼ午前中一杯です。必ず各戸一名以上の参加するようにとの厳しいお達しです。
当初は夫が参加予定でしたが、腰痛のため急遽私が出ることになりました。
訓練の手始めは無線による「大地震発生、すぐに避難してください」という全戸放送を聴いて避難場所に避難するというものです。徒歩で7~8分の所までぞろぞろと皆さん歩いています。
小字の林中という地域は結構広いようで「常会」ごとに点呼していました。子どもからお年寄りまで各家全員参加というところもありました。ちなみにうちは夫も腰痛、母も寝ておりこれは逃げ遅れて危ないですね・・・(笑い)。
後は消火訓練、天ぷら鍋に引火したという想定で家庭用の小さな消火器で消す訓練と消火栓を使っての放水訓練。救護の訓練は止血法・簡易担架の作り方・それで人を運ぶ方法などの研修報告がありました。
見学だけの訓練ですので本部会場は予定より早く終わりました。最後は各常会別に集合して町内の消火栓の位置や器具の確認、機能はどうか実際に放水して回りました。常会内の消火栓確認は実際に見て回れたので参加したよかったです。
防災のことでは家での非常持ち出し袋とか非常食などこの時期には思い出しますが、つい後回しになっているので準備しなくてはなりませんね。


午後からは平和講演会がありました。夫は実行委員会のメンバーになっているので早めに出かけていきました。イラクの現地で活動してきた方を講師に迎えての講演会ですので母をヘルパーさんにお願いして私も参加しました。
実際に現地での様子を聞くと、報道されていない部分までよくわかりやっぱり説得力がありました。子どもたちが白血病で苦しんでいるのに治療薬も不足し多くが死に至る話や写真を見ると辛くてとても見てはいられませんでした。詳しい事は夫がホームページなどで記載するのでそちらを見てもらえばよくわかりますが、絶対に二度と戦争はやってはいけないと強く感じてきました。


8月27日(土) 晴れ         かけがえのない友人たち  

昨日、今日とまた富山へ行ってきました。今月は弟の法事もあったのでこれで3回目です。夫は何でそんなに富山へ出かけていくのか不思議に思っているのでしょうが、嫌な顔をせずに送り出してくれるので甘えています。
退職して5ヶ月も経っているのに延び延びになっていた退職祝い兼送別会を友人たちが開いてくれたのです。他に一人今年退職した人がいるのでその人と一緒にして下さいました。
富山へ来て30年来の友人でとても長続きしているので腐れ縁だねと笑いました。一応の区切りとして送別会はしてくれたのですが、今後もお付き合いをすることを約束しました。
お祝いをしてくれた彼女はもうすぐ家をリフォームするのでこれで気兼ねなく人を泊められると言っていました。富山の現在の家がなくなったらいつでも泊りに来るようにいってくれたので嬉しくなりました。友達って有難いですね。
私は勤続30年のうち20年が教育関係職、後半の10年が福祉の現場というように勤務しました。教育関係も大規模校・小規模校・教育委員会(行政)と経験。後半は自分が行く道と言われる老人施設に勤務と実に他の人が経験できないような事が出来たので考えようによっては幸せ 者かもしれません。不思議なもので、その間の交友関係は学校現場のほうが続いています。
今長く続いている友人グループが3組あるのですが、いずれも学校現場の友達です。人間の良し悪しでその職場の雰囲気が決まるし、福祉の職場は自分には合わなかったようですので親しい友人も出来なかったのでしょう。沢山の友達がいたから後半の勤務も何とか乗り切ってこれたのです。これからも大事にお付き合いをして行きたいな。
初日・二日目とも予定が詰まって娘の家に立ち寄る時間もなく連絡もしませんでした。娘からは父から聞いたといって食事の誘いがありましたが折角ですが断って帰りました。
帰ってから明日の予定がぎっしり詰まっています。帰る途中にある沖縄料理店に立ち寄って沖縄土産を買い込んで帰路につきました。


8月24日(水) 雨のち晴れ     夫婦でそれぞれの一日  

朝起きたらまだ雨模様。昨日に続いてまた今日も一日中雨かと思ったら昼近くから晴れてきてよかった。
水曜日は母がデイサービスに出かけた後、二人とも昼からお稽古の日です。夫はアレンジフラワーのお稽古、他の用事を済ませてから行くといっていつもより早めに出かけて行きました。
私は趣味のボーリングです。全国大会の練習を兼ねて昼の大会に出ています。富山のボーリング場でもそうでしたが、こちらも同じでシニアの多いこと。自分もシニアですが70歳から80歳くらいの人たちが多いのです。それも男の人たちが元気です。
こちらの大会はすべて6ゲームですが疲れた様子もなく投げています。今日もパーフエクトが出ました。この方たちは20年~30年といったベテラン揃い、女が女性ハンディをつけても勝ち目がありません。
いつも思うのですが、女の人はある程度の年齢になると辞めてしまうのでどうして長続きしないのだろう。80歳までも投げてほしいと思いますが体力がなくなるのでしょうか。夫婦で投げている人もいるので同じ趣味を持っている人が羨ましいですね。
趣味の時間のタイムリミットは母が帰ってくる5時半、それまでに帰らなくてはいけません。帰ってきたかと思ったら二人とも忙しい日で、夜も別々の会合がありました。私は隣町までいかなければならないので、夕食の準備もそこそこに出かけました。夫は町の会合のため会場が近いので少しゆっくりしていました。
帰りは夫の方が早く、すぐ食事ができるように準備してあったので、珍しく遅い遅い夕食になりました。


8月22日(月) 雨のち曇りのち雨       知事の新党党首にびっくり

お盆も過ぎたというのにいつまでも暑い日が続いています。しかし今日は朝から雨模様、気温も少し下がって過ごしやすくなりました。
昨日・一昨日と富山へ行っていたのと雨が降ったりしてここ暫く散歩はおあずけになっています。少しはゆっくり寝られてうれしい・・・それが本音かな・・・。
雨が降って夫の水かけも少しは楽になりました。草取りと格闘していた庭の畑のキュウリやトウモロコシも終わり寂しくなっています。トマトは沢山あるのでジュースにしたりしていますが、まだ暫く楽しめそうです。今度は早速葉野菜や大根、地這いキュウリに挑戦。先日から芽だししたキュウリの苗を畑に移し植えています。苗がたくさんあるので雨の合間をぬって大きい畑の方に追加してきました。
ちょっと油断しているすきにオクラも特大になっていました。あまりに大きいので固いかなと想像していましたが、茹でるとまだ柔らかくて美味しく食べられました。


ところで政治の動きは国会解散以来いろいろあって「新党結成」というのが目立ちます。
最初富山県の綿貫さんが代表で新党が作られ驚いていましたが、またまた昨夜テレビを見てびっくりです。今度は長野県知事が新党を結成しその代表になったというのです。
今朝の新聞のトップにはデカデカと「田中知事新党党首に。県知事と兼務」という見出しが出ていました。記事では知事を兼して頭首と両立することが可能かどうか疑っており、県民の声も載っていましたが、長野っていろんな課題が山済みになっている様子ですね。百条委員会というところで自分の疑惑が調べられているともいいます。
田中県知事が誕生したころ私は富山に住んでいました。革新的な知事さんと期待していましたが、途中いろんな出来事が報道されたりしてわからなくなりました。今はその長野の住人になったのですから人ごとではなくなりました。重要な役職にいながら二束のわらじを履くなんてとても信じられません。しっかりしなさいと言いたくなります。

長野県、特にこの大北地域は富山県の立山連峰を挟んであちらとこちらですが、北アルプスは大きくてあまり交流もないみたいですね。生活様式も勿論違ます。
最近また新たな発見をしました。学校の学期割が違うのです。寒い地方や暑い地方にはこのようなことはありましたが、長野でも違うなんて思っていませんでした。夏休みなんて8月いっぱいあることに慣れていたのでお隣の小学生が18日に「夏休みは今日で終わり」なんて言うのでびっくり。夏休みが短いかわりに冬休みが長いのでしょうか。
8月ももうすぐ終わり。田んぼの稲もだいぶ色づいてきました。我が家の庭にある小さな「バケツ田んぼ」でも稲も穂を出して稲らしくなってきました。トンボが来てとまっています。秋もそこまで来ているようですね。


8月17日(水) 晴れ       夫の顔は緩みっぱなし

今日は夫のかっての教え子が来る日です。彼女たち家族は東京に住んでいるのですが、実家の富山への帰省の際に中間地点である我が家へ毎年立ち寄ってくれているようです。
今年は私たちがお盆に富山に行っていたので東京への帰りにしばらく寄ることになったのです。
私は会うのは初めてです。夫もそわそわしていますが私もそわそわ、朝から二人で落ち着きません。
朝早く来訪予定ですので接待準備はもっぱら昨夜。おもてなしといっても我が家で取れた野菜を使っての料理や、地元の名産品を利用したおやつ等です。
夫はブルーベリーのジャム作りに熱中していました。フルーツヨーグルトのブルーベリー添えを作るためです。
それからまたまたもう一品、家で採れたトマトを利用してお手製のトマトジュースつくり。教え子が来るとなると力が入りますね。お土産を準備したり、ほんとに楽しそうです。ジャムとジュース二つとも専門店に負けないくらいのものができて満足そうでした。
私は話しには聞いていましたので、想像を膨らませながら料理をつくっていました。あまり時間がないので長時間の滞在ができないとのことで、料理とまではいかないがちょっとおやつ程度にスープを作りました。これも家で採れたトーモロコシのスープです。裏ごしをしたり大変な作業でしたが、まだザラザラ感がありなかなか完璧にはいきません。欲を言えば切りがありませんので2回目にしてはまあまあの出来かなとこれもまた自己満足です。

早い時間帯ですので、母の世話と重なりお客様にも申し訳なかったがなんとか快く過ごしていただくことができました。ご夫婦ともちょっと想像とは違っていましたが、とても感じがよく快活な方でした。一人っ子だというお子さんは高校の一年生、小柄でとても可愛いいお嬢さんでした。
5月の連休以来の再会のようで話が弾んでいました。夫が彼女を担任したのは30年前、15歳の時ですからちょうどこの娘さんの年齢だったのですね。よくも長い間忘れもせず訪ねてきて下さって教師冥利に尽きますね。
ご主人の方は障害者専門のお仕事をなさっているというので私もいろいろ教えていただきました。
とても気さくな方で、出されたものは"おいしい"と言って食べて下さったので嬉しくなりました。夫は話だけでは物足りず、家に帰ったらご両親につくってあげられるようにとお子さんにジャム作りなどの実技も行っていました。
母を送り出した後のしばしの時間、最初の緊張も取れて楽しく過ごす事ができました。


みなさんが帰られた後はちょっとお昼寝。これが自由の身の良さですね。昼寝の後はいつもの生活にもどりました。暑い中、畑の草むしりです。
夜は演劇関係の会議で出かけました。スイセイミュージカルという劇団が新しい作品を持って宣伝に来ていました。話を聞いたり、10分程度のビデオでさわりを見せていただきましたが、例会で取り上げても良さそうな作品でした。東京で初演があり見てきた方の話もありとても感動したといっていました。いよいよ大町での鑑賞会の活動が始まろうとしています。いろいろ問題はあるように見受けられますが、話し合いを重視しながらやっていこうと思っています。


8月12日(金) 雨のち晴れ       親子でのんびり

息子も帰ってきて賑やかな朝食になりました。昨夕から今朝にかけて夫が腕を振るいました。やっぱりつくってもらうのは美味しいですね。
私たちは明日から弟の法事に出かけるので、母は今日からショートステイ。10時に迎えが来たので準備をして送り出しました。その後なんとなくリラックスしている自分。夫が聞いたら怒りますね(すみません)。
午後、まだ雨は止みそうにありませんが、息子と3人で外出しました。松本まで足を伸ばし、まず「松本城」を見学しました。私は3〜4回は来ていますが、夫と息子は初めてだといいます。狭い階段を交互に上り下りしながら天守閣まで上がってきました。今日ゆっくり見学していると始めてみるようなものもあり、何回も来ているのに今までは深く見ていなかったのがよくわかりました。まさかこの長野の地で自分が永住するなんて考えても見なかったことです。
次は映画を見ることにしてお城の周辺を散策していましたら、盆踊りがあるのですね。あちこちでヤグラが組んでありました。始めは気がつきませんでしたが、家々には赤や青の浴衣を来た人形がぶら下がっていました。そういえば娘の嫁ぎ先でも祭りにはなにかかかっていましたね。
映画は「宇宙戦争」を見ました。夫は昔同じようなアメリカ映画を見たことがあるので、その映画のリメイクではないかと言っていました。
突然生きるか死ぬかの状態に立たされたら一体どうするのか。人間極限状態になったとき、どんな態度をとるのか。いろいろ考えさせられた映画でした。
夕食は久しぶりに外食。豊科町に沢山のおかずの中から好きなものを選んで食べられる食堂があるのでその店に行きました。安くて美味しいので初めて夫に連れて行ってもらったときから気に入りました。家庭料理風の店ですのでまあまあ流行っています。近くには食べ物やさんが多いのでいろいろ食べ歩きがしてみたいと思っています。




8月11日(木) 晴れのち雨        やっと住人になりました

昨日夕方富山から帰って来ました。富山の天気は、朝は雷が鳴って午前中雨で少し涼しくなりましたが、午後からはまた暑さが戻ってきました。暑いのは何処も一緒ですね。
帰りは車の中も暑くて大変でしたがクーラーを最高にかけてお土産にお寿司を買ってきました。今までは寿司屋さんに断られていましたが、昨日のお寿司屋さんは「着いたらすぐ食べてください」と氷を入れて下さいました。お母さんも久々に寿司を食べて満足そうでした。
今日は午前中は庭の草むしり。日中の暑い時間帯はできるだけやめて朝夕に涼しいうちに毎日少しずつやっているのですが、なかなか追いつきません。
夕方には息子がお盆休暇で帰ってきます。土産を買ったり他の用事もるのでヘルパーさんの時間を利用して午後から夫と出かけました。畑のオクラも気になったので、出かける前に覗いてみると庭の鉢植えの倍も太さや勢いがありました。もう毎日採りに行かないと大変なことになりそうでした。
それから次は役場。いよいよ「転入届け」の手続きです。「まだしていなかったの」と知人の議員さんに笑われてしまいました。臨時議会があるとのことで役場でばったり会ったのです。病み上がりでまだ大変そうでしたので頑張ってほしいと願いました。
引っ越してきて1か月以上も経っているのに転入の手続きが今頃になってしまいました。これで晴れて池田の人間になりました、みなさま今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

暑い夏はやっぱりスイカですね。夫がよく買うというスイカの名産地"波田"のスイカを買いに行ってきました。ご主人が畑からとってくる専門、奥さんが店番とお二人で商売をやっていらっしゃるようです。スイカがゴロゴロ、一個買うとおまけに小さいのがあと一個サービス。まあおまけのすいかは気持ちですが、それでもジュースなどにしたりしています。今まではあまり見向きもしなかった私が今年は沢山食べています。


8月8日(月) 晴れ      地域の事を教えてもらいました

相変わらず暑いので朝から沢山の洗濯。それに母は宅老所にいくので、その間を利用して布団を干したりシーツなどを剥がしたりしました。よく干せるので気持ちがいいですね。
午後からは夫と一緒に池田で議員をしていらっしゃる方を尋ねていろいろな地域の話を聞かせていただきました。議員さんだけに何でもよく知っていらっしゃいます。これからも教えていただき、この地で何か役に立つ事をしていきたいと思いました。

夕方は家の前の菜園の草むしりと、大根(ねずみ大根という種類)と地這いキュウリの種をまきました。私は明日から2日間富山に行くので少しでも早いほうがいいと思ったのです。
夫は娘の土産にするトウモロコシを沢山とってくれました。キュウリとトマトは明朝とることにしました。そのほかにお店で土産を買ったりちょっとした準備をしました。
夜実家の母から宅急便が届きました。故郷の味パイナップルです。お盆に間に合うようにと送ったようですが早めに着いてしまいました。
先日は友達からマンゴーが届きましたが沖縄ではこういった果物が旬です。送ってくれる友人や親に感謝、感謝です。これからまたちょっと変わったフルーツが一杯でるので送ってくれるのを楽しみにしています。
何でも送ってもらえるのは母が元気なうち、遠い地で「元気で長生きしてね」と祈っているのです。




8月7日(日) 晴れ        戦争体験を聞く  

大町というお隣の町で「大北九条の会」主催の「戦争体験を聞くつどい」がありました。夫は事務局の一人ですので少し早めに出かけました。私はヘルパーさんと引継ぎをしたあとに行きました。地図で場所を確認したにも関わらず迷ってしまい少々遅刻をしてしまいました。
参加者はお年寄りが多く、皆さん兵役経験者ばかりでした。私たちは喜んでいいのか、若い方でした。残念。
お二人の男の方が中国に行った話しをなさいましたが、当人にとっては大変な戦争体験でしたでしょうが私にはいま一つピンときませんでした。むしろ女の方が文書で満州からの引き上げの体験を発表してくださいましたが、その方のほうがわかりやすかったと思いました。
兵隊には男が行くのですが、「銃後」を守る女たちの体験の方が生々しくて二度と戦争は嫌だという気持ちにさせられました。
先日テレビで子どもたちに「原爆を知っていますか」という質問をしていました。「知らない」と答えた子どもの方が多かったといいます。
唯一の被爆国、広島、広島とこれだけテレビで流されたり、原爆の日には毎年「二度と戦争は嫌だ」と放映されているのに子どもたちにとっては素通りする単なるお話なのでしょうね。子どもたちにとっては「昔戦争があった」なのです。ですから子どもたちや若い人たちに戦争のことや平和の大切さを知ってもらわなくてはいけません。
若い世代に戦争体験を語り継ぐ機会があるといいんですが。学校教育の中で教師がせめて年一回(原爆に日など)でも話をすることが一番ですよね。そういう教師も中にはいるのですが、やっぱり睨まれるのは嫌だという教師が多いのでしょうか。




8月6日(土) 晴れ      オクラが次々採れます   

朝いつものように散歩から帰って連続ドラマを見るためテレビをつけると広島の原爆の記念式典が行われていました。そうか今日は原爆の日、うっかり忘れていましたのでそのまま式典をみていました。
広島市長、児童の平和宣言の後に総理大臣の挨拶がありました。一回も顔を上げず、紙面を見てメリハリもなくただ原稿を読んでいるだけという感じをうけました。本当に平和を望んでいるのだろうか、全く気持ちがこもっていませんでした。小学生の子どもたちの方が上手でした。男の子と女の子が大きい声で遠くまで訴えるように宣言をしていました。知人のホームページに書いてあるのを見ていましたら文面は昨年とほぼ同じだったとのことです。言っていることとやっていることが違いすぎると。
今年は終戦60年同時に被爆60周年の節目の年です。テレビでも戦争と平和を考えるドラマなどが沢山放映されています。今一度平和について考えるいい機会だと思いました。


ところで今夏野菜が旬、毎日トマトやキュウリ・なす・ピーマンと毎日飽きるほど食べています。ゴーヤーもあります。トウモロコシも少し前から採れだしスープにしたりしています。
今日からまた新しい野菜が加わりました。庭の鉢植えで採れたオクラが朝食に初めて登場しました。
普通の青いオクラはそんなにめずらしくもありませんが、レッドオクラなのです。初めて見るし、勿論食べるのも初めてです。夫が言うには茹でると青くなるとのこと。そのまま生でも食べられるというので細く切って鰹節と醤油をかけて食べました。ねばりっけは茹でたより少ない感じはありましたが結構美味しく食べられるものです。
長野には別にレッドアスパラというのもあってこれもやっぱり茹でると青くなるという話を聞いたことがあります。
こちらは冬瓜があまり見当たらなくて、その代わりに夕顔の実が沢山出回っています。まだ食べていませんが、今から挑戦するところです。ところ変わればで、いろんな新しいものに出会えるのも楽しみです。
今は買物に行っても買うものは肉・魚ばかりです、毎日のメニューが野菜ばかりですので、「たまには刺身も食べたいね」と母を車椅子に乗せ散歩がてら久しぶりに買物に行ってきました。


8月4日(木) 晴れ     美味しい果物が豊富です   

今日もまた暑い日になりました。夕方からは風が出てきて気温も少しは下がって過ごしやすくはなりましたがそれでもやっぱり蒸し暑いです。
今朝はいつもより早起きしました。夫が猫に起こされたといって早起きしたのでつられてつい。
今日の散歩はちょっと遠出、途中まで車で行き歩きました。今朝は夫の趣味のドライフラワーの材料の採取になってしまいましたが、毎朝いろんな変化があるのでいつも楽しみです。
田んぼの稲もそろそろ穂が出始めました。カラスよけの金銀のテープが目立ちます。
朝食後はいつものように洗濯などです。暑いので洗濯物はよく乾くので助かりますが、動くと汗ばむので参ってしまいます。
お昼近くになっても母はまだゆっくり寝ているのでこちらもほっと一息。さて新聞でも読もうかとソファにかけた途端なんだか睡魔に襲われてしまいました。暑いからかそれとも早起きしたせいか少々こっくりこっくり。仕事で時間に追われている人は羨ましく思うことでしょうね。


ところでブルーベリーといえばやっぱり長野の名産でしょうか。他の県ではめずらしがられるので親戚や友人に送って喜ばれています。私も沢山食べさせてもらいました。庭のプランターにも実ったので2〜3パックは取れたでしょうか。でももう終わりのようです。
沖縄の友人に送ろうと思って注文したのですが、池田ではすでに時期を過ぎてしまっており注文も断られてしまいました。
白馬ではこちらより少し遅くまであるというので午後からわざわざ買いに行ってきました。数は少ししかなかったのですが必要な分はあったので助かりました。粒が小さいので摘み取りが大変のようでなかなか注文に追いつかないようです。池田に比べると白馬は全体に果物の値段が高値でした。
ブルーベリーはそのままでも美味しいしまたジャムにしてもいいので、この前こちらに来た孫も大人みたいに「目にいいからね」なんていいながら食べていました。
果物といえば現在は桃が旬。とても美味しい水密桃が出回りもう暫く続きます。それももぎたてが食べられるので幸せです。
桃はいつものサクランボ農家で直接摘み取りをさせてもらっています。この農家は夫が大きな桃やニンニクを買ったのがきっかけで知り合いになったようで、白馬の帰り今度はおいしい桃狩りをしてきました。これを聞いたら子どもたちはきっと羨ましくなり来たくなるでしょうね。
これから秋に向かっていろんな果物がでます。富山では食べられないものもあるのでますます楽しみです。


8月2日(火) 晴れのち曇り     English Coffee House 冷や汗記   

夫から「English Coffee House」という集いに誘われました。先日亡くなられた大久保さんが通っていた教会の夏休み限定のイベントでコーヒータイムと英会話や楽器の演奏という催しでした。夫が大久保さんの友人から紹介されたらしく、いっしょに行こうかという話になったのです。
私の一番苦手の英語。英語と聞いただけでどうしようと一瞬うなってしまいましたが、通訳付だから心配ないかと思って出かけました。
場所は穂高のもう少し先にある柏矢町という町の教会で、池田からは少々遠く感じます。その教会は始めに書いたとおり大久保さんがいつも英会話教室に通っていた場所でしたし、そこの外国人牧師さんが一度家に来たこともあって興味もわいたのでいっしょに出かける決心をしたのです。

着いてみると建物の外に沢山の外人さんが来ていてびっくり(外人アレルギー!)しましたが、日本人の顔も見えたのでホッとしました。その方はこの教会の牧師さんでした。沢山のアメリカ人(大学生・一般の人)はインディアナ州から教会を増築する工事のために来日したボランテァの方々で、みんなで教会の隣に子ども用の礼拝堂(納骨室が付属)を建てていました。大屋根の立派な教会の建物もこのような方々が同じように建てたというのです。これにもまたびっくりしました。アメリカのクリスチャンの方々の連帯というか信仰を支えとした奉仕活動のエネルギーというか、とにかくそのパワーの大きさにただただ圧倒される思いでした。
さて、教会の中にも何人かの外人さんがいてやっぱり英語で話しかけてきました。英語は話せませんといったら日本語で話してきましたが、中にはきたばかりで日本語が話せない方もいてその相手は夫にしてもらいました。やっぱり場違いなところに来てしまったと後悔しましたが、日本の牧師さんと話した時はいろんな話を聞かせてもらいました。
その牧師さんの教会では日曜日に"日曜学校"のような催しをやっていることを聞き、久しぶりに子どものころ教会に行っていたことを思い出しました。
沖縄では沢山の教会があり近所にも教会があったので遊び半分よく通っていました。ですからある程度は賛美歌なるものを歌えます。教会では英会話教室も開いているので夫に参加するようにしきりに誘っていましたが"会話は疲れるから"と冗談半分に断っていました。でも大久保さんの代わりに行くとも言っていたのでが多分9月から行くのでしょうね。


むかし、沖縄と言えば英語というイメージがあったらしく、よく英語はぺらぺらでしょうと言われたことがあります。それがとんでもないことで、中学校の英語の時間はいつもサボっていたので完璧な英語オンチ。いまでも外人さんを見ると逃げるくらいで全く対面する勇気がありません。例え沖縄で悪の限りを尽くしたかつての「敵国」であっても勉強はしておくべきだったと今は後悔しています。
ある時期一度気を取り直して英会話教室に通った事もありましたがこれも挫折しました。この教会に来ている人をみていると皆さんやっぱり英語の好きな方のようで楽しそうにおしゃべりをしていました。英語ができる人はほんとに尊敬してしまいます。こうなったら夫に「頑張って」とエールを送るとともに旅行のとき通訳をよろしくとお願いするだけです。
どうなることかと一時は冷や冷やしましたが、みなさん気さくに対応してくれてよかったし、バイリンガルの牧師さんが日本語で対応してくれたのでよかったし、コーヒーやお菓子も美味しく頂いたことやピアノやクラリネット演奏は大変よかったこともあって楽しい時間を過ごすことができました。







"Flowers" by Blue Pino Man

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