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  1月31日(土) 雨のち晴れ      洋裁の日でした

あっという間に1月も終わりました。このところ日中は少々暖かいので春が来たのかと思います。でも冬は今が本番、各地でインフルエンザが流行しています。暖かくなるまでもう少しの辛抱です。
土曜日の休みは久しぶりです。朝からお風呂にはいり、ゆったり気分です。その後は一日中どこも行かずに洋裁に熱中していました。自分のポンチョを作っています。
昨日夫は休みでした。インフルエンザで1週間休んでやっと復帰したところなのに生徒がスキー教室だったそうです。
夫は延期になっていた検査の予定が午前中になっていたので出かけて行きました。検査の結果は後日になっているので、後は旅行会社で海外旅行の手続きをして来てくれました。
旅行には二人で行くのですが、パスポートの住所変更なども併せて準備は夫任せです。初めて二人で行く海外旅行ですので嬉しいのですが、体の不調があると元気に行けるか不安になりつい暗くなってしまいます。前向き志向になると誓ったはずなのについついつもの自分に戻ってしまいます。
ニュージーランドに行くなんて考えてもいなかったことですが、ヨーロッパよりも先になってしまいました。最近は新婚旅行のメッカになっています。綺麗な島で人気が高いので楽しんで来ます。


  1月29日(木) 晴れ        夫の63回目の誕生日

うっかりしていて今日まで休みを入れるのを忘れていたので昼から仕事です。昨日は富山での用事が済んだ時間が遅くなったので、友人宅で泊めてもらって朝帰りをしました。
今日は夫の誕生日ですのでプレゼントを物色していましたが、結局いいものが見つからず食べ物になってしまいました。先日ギターを購入したのでそれがプレゼントだと笑っていましたが、そうなりました。
この年になったら誕生日は外食するくらいですが、昼から仕事ですのでそうもいかず簡単に終わってしましました。娘や妹たちからはプレゼントやメッセージがあったようです。

私が富山から帰宅すると、夫が猫を洗濯袋に入れて病院から帰って来たところでした。飼い猫のはるちゃんの目がおかしくなり、獣医さんに受診したのです。
診察の結果、片目だけが結膜炎で目薬をもらってきました。一日に2〜3回差すようにという指示で、これは人間と同じだね。外遊びが好きで野原もよく駆け回るのでついでにダニ退治の薬も皮膚につけてきました。
はるちゃんは車に乗っている間中鳴いて暴れるので、夫はよく一人で受診させに行ったものです。

富山から帰り、少々休憩をして仕事に出かけました。木曜日は週の真ん中、あまりお客が入りず暇な日が多いのです。今日も例に漏れずに暇だったのでよかった。
店の営業時間が午後10時までになってからは商品を作るのがいくらか減ったので、時間通りに帰れるようになりました。ノー残業デーという日もありますが、最近は毎日がノー残業になりました。


  1月28日(水) 晴れ        久々の富山へ

久しぶりに富山へ出かけました。高速に乗るときには出来るだけ割引時間帯を利用するので、いつのもように朝早く出ました。
心配していた白馬や小谷も道路に雪はなく、乾燥していたので走りやすく予定より早く着きました。出発する時は池田もいいお天気でしたが、富山はそれ以上に暑く春が来たかと錯覚を起こしました。
目的は「こばと会」結成20余年記念の会です。年号が昭和から平成に変わった頃に勤めていた職場の仲間6人が、退職や異動などでばらばらになっても毎月、毎月食事会をして顔を合わせてきました。年一回は旅行、海外旅行も行きました。
子育てが終わったと思ったら今度は親を介護する年代になり、あまり遠くへは行けなくなってちょっと残念ですが、今日はちょっと豪勢に大沢野に遠出しました。ゆったり入浴をし、静かな川を眺めながらのランチ、久々の楽しい一時でした。
考えるとあれから20年、いろいろあった当時ですが、友人のお陰で乗り越えられたと感謝しています。これからも元気な限り続けられることを祈っています。

楽しいことがあった後ですが、Mさんのお参りに行ってきました。富山の沖縄県人会で一緒に活動した友ですが、郷里が同じで特に仲良くしていました。
他の友人から彼女が入院していることの連絡を受けて、本日見舞いに行く約束をしていたのですが、間に合いませんでした。癌で発病から約半年だったそうです。まだ54才、もうすぐ生まれる孫の誕生を楽しみにしていたことを聞くと涙が止まりませんでした。ショックのあまり帰りに道に迷ったりもしましたが何とか宿泊予定の友人宅へ無事つきました。
今回は時間がなく、娘宅にも寄れませんでした。健康診断を毎年受けていても、運が悪いと異常が見つかったときは遅かったという事例をよく聞きます。彼女も毎年健康診断は受けていたようですので同じです。そうなったら運が悪かったと諦めるしかありませんね。


  1月23日(金) 曇りのち晴れ      新年会の余興練習

予定では今日は二人が歯医者、そして引き続き夫の心臓や胸の精密検査の日になっていました。水・木と夫はウンウンうなって寝ているので受診困難。そこで夫の受診は全部キャンセルし、私一人で行ってきました。
インフルエンザが流行しているので歯医者はガランとしています。そのかわり内科は大変でしょう。
夫もタミフルが効いたのかやっと熱も下がり、お風呂に入っていました。無理をしない方がいいと思ったけどさっぱりしたとのこと。よくなったと思ったら早速パソコンに向かっています。ぶり返さなければいいのですが。

昨日ボーリングの例会も風邪で欠席の人が多く、これまたガランとしていました。
昨日の例会、二人とも男性ですが、めったに見られない名勝負がありました。本当にあまりないことですが、二人ともパーフェクトゲームでテンフレ勝負。一人が300を出し、もう一人は最後で一本残り299。こんな点数で負けるなんてと悔しがっていました。二人とも300を出してほしかったね〜。

突然健康友の会の役員から電話が掛かってきて、2月にある新年会の余興の練習をするから夜集まってほしいとのことでした。いきさつを何も聞いていなかったので、よくわからないまま仕事が終わってから駆けつけました。
当日は各支部単位で一つ芸を出すことになっているのですが、池田町は決まっていませんでした。そこでゲームや民謡、踊りなどを専門にして老人ホームなどに慰問に行っているという人にきてもらって一芸を指導してもらうことになったのだそうです。なんと「とっくり踊り」、歌にあわせてお酒のとっくりを持って一定の動作を繰り返すのです。歌が長いのできつ〜い。
次回もう一回やるとのこと。はっぴを着て、豆絞りのタオルを頭に巻いて、予行練習です、全員集まらなければ意味がありませんよ。


  1月21日(水) 曇り      夫インフルエンザに罹患

昨日から夫が発熱して、病院への受診に付き合いました。診察の結果「A香港型インフルエンザ」と診断されました。
娘からも連絡がはいり、孫二人も昨日から発熱、上の子は同じA香港型インフルエンザと診断されたとのことです。娘夫婦は大丈夫のようですが、東京から帰ったら母親や妹さんがすでに熱を出して休んでいたそうです。どこで拾って来たのか?東京での人混みなのか?
長野でもいまインフルエンザが蔓延しています。今のところ私は感染していないようですので気をつけよう。
思えばこの二日間、夫は過密スケジュールでしたから無理がたたったのでしょうか。知人に頼まれてパソコンの指導に、夜は仕事。二日目も早朝から新聞の配達、午前中パスポートの手続きに行き、午後からは今度は別の人のパソコン指導に。
このところパソコン教室を開けばいいくらいに声が掛かります。修理も頼まれたり便利屋みたいなことも度々です。
午後から「咳がひどい、風邪を引いたみたい」といっていたのですが、無理をして夕方の会議に出かけました。とうとう発熱。
私もいつものように仕事が始まっているのですが、合間にプールや、ボーリングと忙しいことは同じですが、風邪にかからないのは適当に息抜きをしているからでしょうか。夫には神様が「少しは休みなさい」と休暇を与えたのだと思います。インフルエンザは型によって死に至る位に重症になるのもあります。マスコミでも商品名がはっきり出ているインフルエンザの治療薬「タミフル」はソ連型には抗体が出来て効果がないと言われていますが、幸い香港型にはまだ効果があるようで夫にも処方されました。
インフルエンザは普通の風邪と違って、高熱や節々の痛みが伴い大変ですが、風邪は寝るに限る、ゆっくり休むのがいちばんです。


  1月18日(日) 曇り       家族で東京見物

東京二日目は曇りです。雨の予報でしたが何とか夕方まで持ちました。
こっちまで疲れる理由はないのですが、ついつい寝坊をしてしまいました。時間を指定してあった朝食に遅れてしまったけど場所が散らばっていたので助かりました。
小さい子どもを連れていると時間が掛かるのでこっちの方が先に終了。暫く部屋で孫の守です。息子の子と娘の子は半年違いの2才ですが、子どもの半年は大きいですね。
娘の長男、白玖ちゃんは来月3才になるのでもうすっかりお兄ちゃんぶっています。私たちにもすっかり慣れていますが、息子の長女、優菜ちゃんは盆と正月の顔合わせですので少々人見知りがあり、一人では部屋に来られません。孫守は白玖ちゃんだけ、元気一杯で女の子とは遊び方が違います。そんなに長くはない時間でしたが預かっている間大変、疲れる〜。
一緒に宿泊していたお嫁さんを送り出し、弟家族ともさよならして私たちも観光に出かけました。
子どもたち家族全員と一緒の行動は多分これが初めてです。今までは誰か一人が欠けていたりしていたので、こんな事でもない限り実行できませんね。
行く先は娘任せにしていたので驚きの場所に連れて行ってもらいました。JRで二駅移動して「猫カフェ」という所。喫茶や食事の合間に猫と遊ぶ仕組みです。


餌をやったり抱っこしたり、いろんな種類の猫がいるので猫好きの人には癒しの時間です。空腹の猫が多いのか客の餌を見るとその人に集中して寄ってきます。飛びかかる猫もいるので「餌は手で蓋をしていて下さい」と注意がありました。たまには散歩もしているようですが、ほとんど外にも出ないで客の相手、考えれば可哀想な猫たちです。
うちのハルちやんは外でたっぷり遊び、食べたいときに食べて寝てとっても幸せものです。
この猫カフェは席料が30分単位で決まっていて、長くいればそれだけ高くなるのです。食事や喫茶の場所が狭く、長くいる所でもなかったので一時間ほど遊んで引き上げました。やれやれ、こんな商売もあるのですね、でもいい経験をさせてもらいました。

次は地下鉄で移動して東京タワーへ。東京のシンボルのタワー、誰もが一度は行きたい場所ですね。今回も2年生の孫の希望だったようです。「抱っこ、抱っこ」とせがむ子どもを連れて、荷物を持って若い人はパワーがあると感心。
暫く歩いてやっと到着。久しぶりのタワー、相変わらず大変な混雑です。今までは観光バスだから来られたのであって、公共交通機関で移動したのは初めてです。
人混みの中、高いところから東京を眺めていると、レインボーブリッジがすぐ近くに見えたので改めて東京タワーの場所の確認をした次第です。


遅い時間帯に昼の食事をして、ここで解散しました。娘たちは明日も休みですのでもう一泊して、今度はデイズニーシーへ行くのだそうです。も〜よく行くよ。
息子たちと一緒にJRの駅までタクシーで行き、私たちは新宿から「あずさ号」で、息子たちは新幹線でそれぞれ帰路につきました。さすがに疲れて松本に着くまで睡眠時間でした。
今度の結婚式で世代交代を痛感させられましたが、老夫婦もそれなりにしっかり生きなければならないと決意を新たにしました。


  1月17日(土) 晴れ        甥の結婚式

夫の弟(5年前に他界)の長男の結婚式があり、東京に出かけました。
東京の空は二人の門出を祝うかのように、とても暖かくていい天気でした。池田から着込んで行ったので汗ばむ位でした。
主役の一方の新婦は東京の地元出身、新郎側だけが富山・高岡・横浜・栃木・池田と遠方に散らばっているのです。前泊した者や当日来た者といろいろで、みんなはるばる東京までやってきました。
夫は3人兄弟で弟の二人の子どもたちだけが独身でした。その兄がやっとゴールイン。祝福のためにみんな喜んで集ったのです。

まず今日は、宿泊予定の恵比寿にあるホテルに集合しました。母親は一足早く式場に行ったので、妹が一生懸命遠方から来た親族のお世話をしていました。
このように我が親族は方々に散らばっているので、冠婚葬祭だけが全員集合する時になりつつあります。母の葬式や法事と続いていたので、久々の祝い事での集合で喜ばしいことです。
甥は今日までお嫁さんのお顔を見せてくれなかったので、式が待ち遠しくて仕方がありませんでした。
時間になりホテルの前からタクシーで代官山の教会に移動しました。
式の開始前に両家の紹介があり、集合写真を写す段階でやっと二人が現れました。「可愛いお嫁さん、Yちゃんよりちょっと姉さんぽい」、これが第一印象でした。もったいないから今日まで隠していたのでしょうね・・・?。
式場に移動していよいよ結婚式の始まり。バージンロードを父親と腕を組んだ新婦が入場してきました。



2年前に息子の結婚式が教会だったので様子はわかっていましたが、何度経験してもこの瞬間はいつも感動します。英語を交えた神父さんの言葉は英語アレルギーの私には少々理解困難な場面もありましたが、スムーズに式は進みました。
教会ですので賛美歌は付きもの、全員での合唱もしました。よく歌われる一曲はわかりましたが、あとの一曲は知らないのでソプラノ歌手のような教会の式助手さんの歌声に聞き入っていました。
指輪の交換・誓いの言葉があり終盤です。幸せそうな二人を見ていると亡き弟と母がいないのが残念で仕方がありませんでした。親ばかだった父親、一緒に生活をしてどの孫たちよりもお世話をしていた祖母、きっと二人揃って天国で見守ってくれていることでしょう。

披露宴は、新婦側の親族が少なかった分友人や職場の人たちが埋めてくれて会場一杯で行われました。これまでの親族中心の式ではなく職場中心でした。挨拶も親族側はなく、両方の職場の上司だけでした。お陰で二人の職場での様子がわかり、これまでとは違う一面も見たようでした。
親族側の出番はないのでその分夫もリラックスして撮影をしていました。

式が終わり遅くに二人がホテルの部屋に挨拶に来たので話をする機会を得ました。お腹の中にはもう赤ちゃんがいるので新婚旅行は中止、新婦は明日からすぐに仕事が入っているとのことでした。大変だね、共働きをしていると宿命ですね。体に気をつけてね。







  1月13日(火) 曇り時々雪       初めて聞いた北安曇群の歌

朝から時々雪がちらつき寒い日です。今日は母の月命日でもあるので二人で仏壇にお参りをしました。
10時半から食生活改善グループの新年会があり出かけました。今年は昨年と違って外注の弁当にしてあったせいか、静かな感じでした。浮いた時間を健康体操、食生活運動のビデオ鑑賞など有効に時間を使いました。。ユニークな活動をしている県もあり、全国の活動の様子がよくわかりました。
その後いつもより少々早い昼食になり、食後はお決まりの歌唱指導の時間となりました。今年の歌は「北安曇郡歌」という歌でした。
説明を聞いていると県歌「信濃の国」を作詞された浅井さんという方でこれも長い歌詞です。北安曇郡ですから昔の会染村から小谷村までが歌になっています。明治の頃に作られた歌で、8番までの歌詞を見ているとその歴史がうかがえます。その頃は市はなくて町村が17だけだったそうです。
ちなみに歌詞を一部抜粋します。一番は全体の特徴を歌っています。

山嶽めぐる北安曇
高嶺の雪は夏寒し
溶けて落ちくる谷水の
末は姫川高瀬川
その中央の佐野坂は
北の南の分水地


2番からは町村の特徴が歌詞になっています。
池田、大町は「郡内百貨の輻輳地、五穀蚕業麻たばこ 造林開墾年々に 輸出の額もいと多し」と歌われ、養蚕業が盛んだった様子がよくわかります。
小谷の湯は山深いが避暑によいとか、有明山は信濃富士と言われ「ことに高きは槍が岳、乗鞍、白馬数え来たれば山の名は四五六岳にとどまらず」等々となっています。
あとは聞いたことがない寺や、滝なども入っています。登波離橋は知っています。
今やこの歌を歌える人が少なくなっているので、後世に残すべく復活させたいということでした。
この歌を聞いていると、信州の雪深い地で慎ましく暮らしていた当時がうかがえるようです。

午後からは東京に行く切符の手配や、お祝いなどの準備です。昨日は娘と孫、二人の誕生日でしたが何かと慌ただしくメールだけ終わってしまいました。


  1月9日(金) 雪       なにより健康第一

起きたら真っ白、雪の予報を聞いていなかったのでびっくり。その訳は私の車がまだスノータイヤに交換していなかったからです。
この冬になってから何回か雪が降ったのですが、午後には溶けていたのでそのまま延び延びになっていたのです。今まで雪の時の遠出は夫の車を借りて行っていたのですが、いつまでもそうはいかなくなり午後からタイや交換に行ってきました。あまりにも交換が遅いので事情を知らない人はびっくりしていました。

今日の予定として、9時には私が歯医者、夫は昼近くに人間ドックの結果説明が入っていました。予想もしていなかった雪になったので夫もついでに歯の検診をするため、車で一緒に出かけました。
ドライブなら楽しいが病院に行くなんて嬉しくもない話です。夫の内科受診までには時間があったので、夫を残して松本のデパートまで買い物に行ってきました。
買い物から帰って病院の外来に入ると相変わらず患者で一杯でした。歯科と違って緊急を要する患者がいるので、待っている間も次から次から容体が悪そうな患者さんが来院されました。
夫はドックの結果、いくつか精密検査の必要があるということになりその予約、次回の診察日などを決めてやっと放免になりました。
夫の結果を見せてもらうと、総合コメントがいろいろとかいてありました。要治療の項目もあり夫も信じられないという気持ちで少々がっかりしているようでした。
今までは私だけが病院通いをしていることに気落ちして、夫の健康が羨ましい限りでした。しかし還暦を過ぎるとやっぱり何か異常が見つかるのですね。なんとも言えない気持ちになり言葉が出ませんでした。
これからますます都合の悪いところが出てくると思うので、夫婦でそれらと向き合って行こうと思いました。なにより健康第一、運動等も含め総合的に考える必要がありますね。


  1月7日(水) 晴れ       珍しいわらの神面道祖神

今日は「七草がゆ」を食べる日、テレビでは全国の様子が紹介されていました。
都会では七草がゆセットを売っていますが、田舎にはありません。七草を採っている地域もありましたがここ池田ではまだ出てきません。それでも裏の畑にまだ残っていたセリを少々採ってきてお粥を作りました。あと白菜と小松菜を入れましたが、七草の一つが入っているので無病息災の願いが少しは叶えられるといいですが。

午前中夫は病院受診、私は豊科町の電気屋さんに行ってきました。お隣が本屋とビデオ屋ですので、ついでにビデオを2本借りてきました。お目当てのビデオは貸し出し中の為、なかったので「母べえ」「明日への遺言」にしました。二つとも戦争に関連した作品ですので興味があり、どのように描かれているかが楽しみです。

午後からは年金者組合の行事、「大岡村の道祖神祭り」に行ってきました。なぜ正月早々に催されるのか不思議でしたが、この祭りは毎年7日と決まっているそうです。
事前に本で見ると縄で出来た風変わりな道祖神で、以前は各家々で正月に使用した注連縄などを持ち寄って作っていたようです。今の神面型になってからは部分部分を事前に各自で作って、祭りの日の今日新旧交換作業をするのだそうです。


私たちが着いた頃には新しい神面道祖神の作成が始まっていました。昨年もマスコミで大きく紹介されたようで見物客が大勢来ていました。今年も各テレビ局や新聞社が来てそれぞれに取材をしていました。年金者組合も一昨年、昨年も参加しているそうです。
大岡村の道祖神は北アルプスが一望できる場所にあり、天気がいいので常念岳から鹿島槍、五竜まで大パノラマで見られました。


会場では村の婦人たちが作った野菜たっぷりの暖かい豚汁が見学者に配られ、美味しくいただきました。体が温まった頃に神面道祖神が出来上がりました。それを見て口々に「今年はりりしい」などと感想が出ましたが、手つくりですから毎年顔が違うのだそうです。


道祖神が出来上がってからは魂吹き込みの神事が行なわれ、直来(なおらい)会では御神酒とおつまみが全員に振る舞われました。私たちはそれをご馳走にになり引き上げましたが、夜には再度村の人たちが集まり取り外された昨年の神面が燃やされる左義長が行われるとのことでした。


帰りは八坂村の国道沿いにある温泉施設でお風呂に入って来ました。道祖神に興味がある夫にも見せたかったのですが、夕方から仕事で参加出来ませんでした。


  1月4日(日) 晴れ      年賀状に思う

昨日、今日と連休。年賀状のお返事書きや友人との電話、メールでの年賀で半日が過ぎてしまいました。
沖縄の友人から年賀状がくるのはいつも決まっています。大半は返事がなく、たまに電話がかかってくるという状態です。年賀状を購入しない人もいるので私には考えられないことですが、その方がいいのかも知れませんね(出さなくても来るのが当たり前・・・と言うように)。
沖縄の友人に関してはそうは思っていなくてただ無精だけです。本当に筆無精で、決して悪気がないのがよくわかるので一方的でも関係が続いているのです。家族や親の死に関しても、喪中のハガキを出す人はやっぱり少ないのです。沖縄の「テーゲー主義」(物事を深く考えない)がなせる技ですよ。
今までの年賀状発送の形を見ていると、「今年来た人に来年送る」「名簿を作ってこなくても送る」という二通りの形があるようですね。わたしは後半の方かな。しかし最近はある年齢に達して発送できなくなった時を考えて、少しずつ減らしています。たまに顔も忘れているのに賀状だけがくるという例もあるので。
またこの頃思うのですが、元旦に着くようにするのではなく、賀状の顔を見てから返事をかく「年明け年賀」の方がより意味があるのではないかと。一年に一回元気な様子を知らせるという意味で、年を重ねて年々皺が多くなる現実の姿を写真にしているのです。恥ずかしいのですが相手にも安心感を与えるのではないでしょうか?

とても天気がいいので家の中にこもっているのももったいない位です。午後から夫の誘いでつるを採りに出かけました。夫は最近つる細工をやっていないので、久々の採取でした。ハーブセンターに置いてあるランプシェードが時々売れているので補充するつもりでしょう。
温泉の近くで採取し後温泉に入ろうと言うことで穂高の方に行きました。以前よく採取していた場所ですが、今回は枯れていたり細かったりとなかなかいいのがありませんでした。
天気が良く比較的暖かい日ですが、長い時間外にいるとやっぱり体は冷えます。ある程度のところで中断して温泉に直行しました。冷えたあとの温泉、とっても気持ちがいい〜。正月ですので宿泊客や外来客で賑わっていました。


  1月3日(土) 晴れ      中国のSさん帰国が決定

正月も三日目、明日が日曜日ですので勤め人は明日まで休みだと思います。Uターンラッシュも今日、明日がピークかな。
息子たちは混雑しないうちにと言うことで昨日戻って行きました。


私はやっと休みが取れました。昨日まで仕事でしたので、息子たちをゆっくり送り出すことは出来ませんでしたが、やっと正月気分を味わっています。
賑やかしい孫たちが帰ってまた夫婦だけの静かな生活にもどり、ちょっと寂しい気持ちです。
夫は今日から仕事で、朝からでかけました。受験生たちは盆も正月もなくて大変ですね。

先日、ここで何回か紹介した中国のSさんから帰国が予定より早くなったという連絡があり、今日午後から会う約束をしてありました。お友達も一緒に来るように言ってありましたが、「日本語がうまく話せないから嫌がっている」という理由で一人できました。
彼女は中国で2年間日本語を勉強していたそうで流暢とまではいきませんがそれでも普通に会話ができるほどお話が上手です。そういうことで時々遊びに来ていたので帰国となるとやっぱり寂し玖なります。
いろいろ話を聞いていると、当初3月帰国予定だたそうですが、日本の不況で仕事がなく帰国が早まったようです。詳しい説明はなく突然社長から「旧正月に間に合わせたよ」と告げられたそうです。「有り難い」配慮と言うことでしょうか。
中国もあまり仕事がないとのことで、勉強をしてゆっくり充電してから考えると言っていました。
その彼女が昨日、帰国してから使うパソコンを買ってきたけれど不良品のようだから取り替えに行きたいとのことでしたので一緒に店まで付き合いました。店に在庫がないので日を改めて連絡がくることになったので連絡先はうちにしました。彼女本人はそう思っていないかも知れませんが、夫は日本での身元引受人のつもりで今までも一生懸命お世話をしてきたので帰国に当たってもまた一生懸命です。自他とも認める国際派ですのできっと私よりも寂しいでしょう。急ですので送別会などの時間がとれず、簡単な食事をして帰りました。
電気店に行く道すがら、「富山空港に社長さんが迎えに来てくれて、ここまで3時間もかかった。こんなに小さい会社と思った」など3年前の様子を懐かしく語っていた姿がなんとも寂しそうでした。お金がなく観光もあまり出来なっかたようですが、安曇野はよかったと言っていました。
「中国へ是非来てほしい、その際はずっと付きっきりで案内する。自分もあちこち言ってみたいから」と中国での再会を約束しました。お元気で頑張ることを祈るだけです。




  1月1日(木) 晴れ       正月らしくない正月

元旦、2009年の始まり。カレンダーをとり替えるところから一日が始まりました。風は冷たいものの池田町は爽やかな正月になりました。
昨年暮れには労働者の大量首切りで職を失った人たちを支援するため、東京の日比谷公園に労働団体や市民団体が「年越し派遣村」を開設したことが報じられました。家を失った人たちの救援活動が続いている状況の中での正月、大量の買い物をする大勢の客を見ていると池田には不況の波は関係ないかと思うほどです。

今朝は年末から来ている息子たち一家とともに朝食のお雑煮を食べ、ささやかではありますが新年をを無事に迎えられたことに感謝しました。年末に初めて家で餅をついたのですが、水分の関係か早くも硬くなってしまいした。それでも煮てなんとか美味しく食べられました。こんな単純なことですが、年越し村に集まった人たちに比べたら本当に幸せです。
テレビ番組は不況もどこ吹く風、相変わらずお笑い番組が中心でした。「笑う門には副来る」、笑うことは縁起がいいからでしょうね。また大食い競争をして笑っている番組を見るとこれは頭に来ますね。
新聞では私の好きなクロスワードパズルが多く、これは頭の体操で喜んで解いています。
正月早々仕事、いつもより一時間早い出勤です。ゆっくりしている時間がないので途中で後回しです。年賀状を送っていない人に返事を書いたりしているうちにちょうど時間となりました。
子どもたちは食事の後、近くの神社に初詣に出かけました。この辺はここという神社がないので町の中心にある八幡神社への参拝です。

職場では昨日よりは少し売れ行きが落ちていたので気分的にもちょっとだけゆっくり出来ました。それでも普段よりはよく売れました。
昨日は3〜4人用のお寿司が人気でしたが、今日は小さい個人用の寿司も良く出ました。巻き寿司に関しては外部からも入ってきているので売り場は混雑状態で大変です。元旦でも結構人手があるものだと感心しました。
昔と違って元旦から店は開いているので三が日分の買い物をしなくてもいいから楽ですね。元旦だし夕方は早く客が引けるから沢山作らないようにという指示が出たのでなんとか時間通りに帰られました。






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