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  2月28日(土) 晴れ       孫の誕生日

孫の白玖ちゃんの誕生日です。電話で3才と答えていました。おめでとう。
コトバの発達はお姉ちゃんがあまりにも早かったのでつい比較されて随分遅いように感じられましたが、今はおしゃべりが大変上手になりました。
白玖ちゃんは大人もびっくりするような感性の持ち主で何事にも集中するようです。特にボーリング好き(?)で、かっこいいフオームは知れ渡り保育園でも有名になりました。
私の子どもたちの子育ての時は二人ともおとなしい方で夜泣きの苦労もなかったのですが、孫たちを見ているともうみんな元気が良すぎます。特に白玖ちゃんは特別に元気者、お姉ちゃんよりもやることなすことが違い行動範囲も広いようです。男の子は女の子よりも子育てが大変というのをよく聞きますが二人を見ているとうなずけます。
赤旗日曜版で紹介されていた人気の絵本を、お祝いに送ったところ喜んでいるとの返事。聡明な白玖ちゃん、絵本もどんどん読んでもらって本好きの子になってね。そして創造力豊かな子に育ってほしいと願っています。
次の写真は白玖ちゃんの誕生の日。その下は昨年7月法事の際の投球ポーズ。




午前中は先日検査した結果を聞きに行ってきました。海外旅行に元気で行けるように、夫も私も今週は検査、検査です。二人とも今回の結果は異常がなくてホッとしました。
私は現在症状があるところの原因をつかむため、あと二つの検査が必要です。血液検査は本日終わりました。最後の検査を来週受け総合的に判定してもらいます。
とにかく元気で行ってこられるようにウオーキングも今日から再開しました。寒いので暫く引っ込んでいたので行動開始です。夜帰宅すると「赤旗日曜版」の封筒があったのでなんだろうと開封するとクイズ当選の案内でした。「やったー」。クイズ当選は初めてのことで嬉しくなりました。とにかくクイズが好きで毎回出しているのに毎回はずれ、それでも余白に書く一言が紙上で何回か紹介されました。そんなことが楽しくて、また頭の体操にもなるしと言うわけです。
クイズはもうとっくに諦めていたので、下手な鉄砲も・・・何とやらでしょうか。良かった。



  2月22日(日)〜23日(月) 曇り     元気でいればまた会える

昔の職場の仲間有志が30数年ぶりに再会する日です。当時責任者だったKさんが有料老人ホームに入所するので励ます会をしようと集まりました。場所は彼女が住んでいる近くの米原です。
明科から早い電車で出かけました。到着する駅に迎えに来てくれることになっていたのでが、果たして顔がわかるかどうか心配でした。不思議なものでお互い30幾つも年を取っているのにすぐわかりました。学校を卒業して初めて就職した職場でお世話になった方々です。
退職後も年賀状の交換、そして時々電話で話をしたりのお付き合いになり顔を合わせるのは本当に久しぶりでした。声は変わっていませんがお互い年は隠せない年齢。体型もそれなりに変化がありました。
私は就職してまもなく結婚・出産があり、住居も名古屋から富山に引っ越すなどの事情でその職場には短期間しか勤められませんでした。しかし会って話をしていると、何年もいたような感じになり思い出話に時間が足りないくらいでした。
当時Kさんは評判のおしどり夫婦で男の子が二人いました。その連れ合いを10年前にを亡くして、しばらくは元気をなくしていたようです。寂しさを忘れるために、ちぎり絵や老人関係のボランティアをするようになってから平静を取り戻したといいます。Kさんは一人の生活が年々不安になりながらも息子たちとの同居も嫌で、有料老人ホーム入所を選びました。
ホームは名古屋なので遠くへ行くわけではありませんが、引っ越す前に集まる会を持ちました。私だけが久しぶりに会うのですが皆さんとのおしゃべりはつきません。
夜彼女の家で一晩泊めてもらうことになり移動、家に着いてからも寝るまでず〜としゃべりまくっていました。引っ越しが近いので荷物はまとめてあり、不要のものはほしい方々にあげることになっているとのことで結構お客さんや電話がありました。
彼女はお里が長野県の木曽路です。安曇野にも同期会で来たことがあるとのことでした。今度は近くに来るのでまた安曇野にも来ることを約束してくれました。
一宿一飯の恩義を安曇野で返すことにして次の日早々にお別れをしてきました。太平洋側は暖かく、道ばたにはローズマリーの花が咲いていました。





  2月20日(金) 雪のち晴れ       久々の大雪

昨夜は、今日予定されていた年金者組合の「雪上ハイキング」の準備をしてから布団に入りました。登山とまでは行かなくても一応山歩き、寒いでしょうからどんな服装にしたらいいかあれこれ考え、お風呂の用意もしていました。
昨夜遅く松本からの帰り、「明日から全国的に荒れ模様」という予報を聞いていやな予感がしていました。予感は命中して朝の大雪で行事は中止になりました。たまたま仕事が休みで参加希望をして楽しみにしていたのです。残念でした。
2〜3日前までは暖かくて雪の降る気配は全くなく、行事の場所を雪のある場所に変更したのに急にドカンと降るなんてもう信じられない。


今日の雪、池田には「大雪」という表現が似合うでしょう。朝凄い雪だから除雪を手伝ってほしいという夫に起こされて外へ。夫は早くから目が覚めたようで除雪車が通ったのも見ていたようです。何も今日降らなくてはと思いながら除雪をしていました。
車の上には20センチくらいの積雪がありました。真っ白の綺麗な雪ですがちょっと重たい雪でした。その後雨が少し降ったので昼過ぎにはすっかり溶けていました。
予定のイベントが中止になったので久しぶりにゆっくりDVDを見て過ごしました。
本州の日本海側は雪マークが多く寒さがぶり返した感じですが、沖縄では桜がもう終わってしまいました。
沖縄の桜は「寒緋桜」でソメイヨシノとはちょっと違い、時期的に早く、咲き花もやや濃い色です。毎年一月末が見頃です。
兄貴から写真が届いていたのですが、メールを開くのが遅かったので今頃アップします。寒いから暖かい気持ちになるといいですね。


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先週は娘や息子からいろん連絡が入りました。娘からは家にファックスが入ったということで、2年生の孫から漫画入りのファックスが届きました。電話やメールでは連絡が出来ないこともファックスが有効な時が多いのです。
いろんな連絡手段が多く、手紙なんて書く機会がないこの頃、いろいろ書いて手紙代わりに利用すればいいですね。学校での様子など沢山送ってね。
息子からは嫁さんのお母さんが病気になり手術をしたという連絡がありました。今まで具合が悪いという話を聞いたことがなく突然のことでびっくりしました。私と同じ年、この年になると具合の悪い所は多少なりともあります。
今はまだ点滴だけのようですがお元気だとのこと、一安心です。一日も早く退院されることを祈っています。
遠く離れているとお互い心配は付きものです。「便りがないのは元気な証拠」とは言いますが、どんなに些細なことでも連絡を入れてほしいと思いますが、勤めているとなかなかそうもいきませんね。


  2月13日(金)〜15日(日)    博多へ

朝早くに明科から特急に乗り、名古屋を経由して博多まで行きました。久しぶりの新幹線でした。
名古屋までは2時間、新幹線に乗って3時間、腰が痛くなりました。九州はまだ入り口ですが遠いですね。
ボーリングの全国大会参加では岩手に次ぐ遠距離です。えらく遠くまで行くので夫も呆れています。
午後一時過ぎ博多に到着、天気は雨でした。傘を忘れて仲間の傘に入れてもらう始末。
ホテルとボーリング場が駅に近い場所にあり、歩いて行動出来たのは良かったのですが、それが良かったのか悪かったのか、3日間そこだけでした。折角遠くまで出かけたのに、残念ながら観光の一つも出来ませんでした。


今回の大会は年齢別選手権大会。10代〜50代の年齢別、60代は「60才以上」で70,80才もいます。他の年齢より60才以上は年齢の幅が広いのですが、戦いやすいですね。
私たちは若い人と戦っても勝ち目がないので、このような年齢別やシニアの大会は楽しいです。全国では年齢の高い人が頑張っているのでいつも元気をもらってきます。
富山にいるときはこのような大会に行く予選会が行われなくて好きな人だけが行っていました。勤めていたのでどうせ長く休暇も取れないので気にもしていなく、どんな大会があるのかも知りませんでした。
こちらに越してきていろんな大会の予選があるので「こんなにもいろんな大会があったのか」と驚いています。ボーリング人口の違いでしょうね。長野はシニアの女子が少ないので行ける率が高いから逆に言えば幸せです。
今回、大会の1週間くらい前から軽い腰痛があり心配していました。いつもですと痛くなってもすぐに治癒するのですが、今回はなかなか直らないので練習もせず様子を見ていました。
何とかひどくならずに参加出来たのですが、6ゲームが終了した時点から痛みがひどくなり残念でした。出だしが調子よかっただけに悔しくて仕方がありませんでした。一つ年をとる事に体にもガタがくるのでしょうか。少なくともあと4〜5年は投げたい、元気でないといけませんね。

「13日の金曜日」という映画がありましたね。3月も同じですが、母の月命日です。今回のお参りは夫に任せていましたので母との思い出に静かに浸れて良かったでしょうね。


  2月12日(木) 曇りのち晴れ       民医連は患者の味方

昨日は遅くから雪が降り出しました。夕べ夫が仕事から帰って「大町は大分積もっていた」と言うのでこちらも降っていることに気がつきました。
朝までには車に五センチ程積もっていました。フロントガラスの雪を払おう思ったら凍ってコチコチ、お湯をかけてから除雪しました。その割には外気は寒くありません。
車の上に雪を積んだまま松本の病院に出かけたところ、守衛さんに「雪を積んでいますが、何処からですか」と聞かれました。松本では全く降っていないので暫く雪の話になりました。もっと積もっていた車もあったので「大町から来たのでしょうか」と言っていました。
だんだん太陽も出て日中は随分暖かくなり、帰る頃にはすっかり雪も消えていました。
私の担当の医師は、外来診察日ではないのですが何人か特別に予約が入っていて空き室で診察をしていました。Sドクターは前に夫から診察態度などについてお説教(?)されたといって、そのことを随分気にしていました。たまたま私の主治医になった際、そのことを話して「S頑張ります」と恐縮していました(民医連だから聞く耳があるのであり、他の病院では医者は偉いから激怒するだけでしょうね)。
そんな経緯があったところですが、夫もまた今度もSドクターが主治医になってしまいました。トラウマからか夫の名前がインプットされていて、今日も私を呼ぶのに「M〜ひろしさん一番へどうぞ」という放送が聞こえて来ました。「あ、間違えているな」と思いながらも入っていくわけにもいかず暫く待っていると、今度は私の名前が呼ばれました。中へ入ると「ちょっと頭が変になった」と笑っていました。
私は自分の一つの症状が気になり今までとは違うので画像検査をしてもらいました。今はパソコンに結果が送られて来るので便利な世の中です。以前みたいにレントゲン室からフイルムをもらってくると言うこともなくなり、検査の質もよくなりました。
「肺ガンが潜んでいたらどうしよう」と脅かされましたが大丈夫でした。原因をはっきりさせるために、次回他の検査を予約しました。
私は癌を告知されたら正気ではいられないと思いました。しかし今の医療は告知しないと治療が困難になるとの事ではっきり告知する時代です。ですからそんなことの為にある程度の覚悟はしておかなくてはならないと痛感しました。
夫も今人間ドック後の精密検査がいろいろ行われているので病院通いです。とにかく手遅れにならないための検診ですのでしっかり見てもらわなくてはいけませんね。


  2月8日(日) 晴れ     民医連友の会活動

協立病院健康友の会の大北連絡会の新年会、延び延びになっていてやっと今日を迎えました。支部合同の新年会はまだ3回目、私が役員になってから行われているのでこれで2回目の参加になります。昨年は都合で欠席しましたが、今回は事前に休暇を入れて予定していました。
今年の新年会は特別です。大町に病院の診療所が出来、4月が開設予定になっています。そのために大勢で開設を喜ぼうと100名規模参加計画に取り組みました。役員さんの奮闘のお陰で計画通りの人数が集まりました。会館収容人数ぎりぎりだそうで本当にみんなよく頑張りました。
余興も各支部から出すことになったので、池田も真剣になり初めて練習会を開き万全の準備で臨みました。
開式はまず「笑って死ねる病院」というタイトルで金沢の病院の取り組みから始まりました。これに引き続いて、診療所の所長になるドクターの医療講演会がありました。専門の心臓の話からご自分の出身地・学歴・職歴等を紹介され、大変わかりやすく面白かったと好評でした。
皆さんの楽しみはなんと言っても後半の懇親会。飲みながら、食べながら準備してあった余興が次々と披露されました。
池田は出席者全員が参加したので素晴らしいと褒められました。褒められるとお世辞でも嬉しいもので、早くも来年は何をしようかなどと話していました。
後はカラオケタイム、皆さんお好きな方が多いですね。ピンからキリまでとはよく言ったものでいろいろでしたが楽しいひと時でした。お風呂もいい湯でした。
池田に来て4年目に入り友の会の活動にもある程度慣れて来ました。役員さんの顔と名前も一致するようになり、また地域にも少しは慣れてきました。仲間の輪が広がると楽しさも倍増します。診療所の建設委員にもなって建設運動にもある程度関わってくると全く他人事とは思えなくなります。4月開設後も何らかの形で関わっていくのだと思うので、出来るだけのことは頑張りたいです。


  2月5日(木) 晴れ      初めてのパッチワーク小物

ここ2〜3日暖かい日が続いています。プールから帰って来てあまりの天気の良さに布団を干したり、洗濯をしたり本当に気持ちがいい日でした。
夫は町の会合があり、昼食後出かけました。その後私が台所で豆腐つくりをしているとき、猫のハルちゃんが何かくわえていそいそと入ってきました。よく見ると「ネズミ」でした。いつものように生きている間はもてあそび、静かになった頃に食べ始めるのです。中で食べられると困るので外へ出すのですが、また入ってきます。何回か同じ事を繰り返すので、中に入れないようにすると仕方がなく外で食べていました。
今日はネズミの日なのか夕方にもまた捕まえてきて、肝だけ残してぺろり。食べ終わったらさっさと2階へあがって入眠。猫って本当にマイペースです。

同僚の都合で休みが変更になったので午後から手芸教室に行ってきました。元来細かい手芸はあまり好きではないのですが、パッチワークもやっているとのことだったので様子を見に行きました。
洋裁の端切れがあるのでパッチワークは前からやってみたいという希望があったのですが、なかなかきっかけがつかめずにいました。
教室といっても同好会的なもので月、木の午後好きな時にいくというものです。指導している方は、昨年大阪から松川村に越して来たYさん、趣味で小物をいろいろ作っていたのが、いつのまにか「教えてくれ」ということに発展したそうです。まさかこんな事になるとは思ってもいませんでしたと話していました。
料金は材料費と後はお茶代を気持ちだけ払うだけですからボランティアでやっているようなものでした。
何も持たずに様子を見るだけの気持ちで行ったのですが、初心者向きに糸ケースの材料が用意されてあったので、糸と針は貸してもらって作ってきました。久しぶりに運針をしたので針目が揃わず困りましたが、適当でいいよと言われてホッとして大笑い。いい経験をしました。
他の方はパッチワークをした物でカバンやバックなどの袋ものに挑戦していました。現在私が習っている洋裁も後々池田で同好会的な教室が開けたらいいなというのが夢です。




  2月3日(火) 晴れ      気になる浅間山の噴火

天気はいいのですがアルプスの山ははっきりしません。昨日はとっても綺麗でしたが、今日は午前中と午後とはすっかり変わってしまっているというように、山の姿は日々変化します。
昨日長野県と群馬県にまたがっている浅間山が噴火をしたというニュースがあり、その様子が写し出されました。小噴火ということで現在は小康状態らしいのですがびっくりです。随分遠くまで火山灰が飛んでいるらしいですね。富山の友人から火山見舞いの電話が掛かってきましたがこのあたりの地方には関係がなくてホッとしています。
佐久市に行った時見た浅間山は、裾野が広くなだらかで綺麗な山だったのであの山が噴火したなんて信じられません。大きな噴火にならなければいいですが。

今日は節分、案の定職場では狭い場所に大勢の人がひしめいて太巻きつくりです。他の部署の人まで動員しての作業です。
今日は「巻き寿司」が主役ですので、握り寿司はほんの一部だけ。いつもは握り寿司を並べる場所まで占領して山ほど作って並べてありましたが、売れゆきがよく補充するのにみんな必死でした。注文も昨年よりも多いのでてんてこ舞いでした。
皆さん各自家で食べる分は事前に注文してあって、必要分を持ち帰りました。私はどうせ売れ残るからとタカをくくっていましたが、なんとなんと帰る頃には完売し、遅番の人がさらに追加して作っていました。そんなわけで今年は恵方巻きを食べ損ねました。
忙しさのあまり仕事の終わりがいつもよりかなり遅くなり、夜の会合のことをすっかり忘れて帰宅。帰ると夫が「会議へ行くの?」というので一瞬エッと思いましたが、すでに会議ははじまったあと。民医連友の会の会議があったのです。
会議の場所はたまたま近くの福祉会館だったので遅くなったけれど行ってきました。2月8日にある大北新年会の議題が主でした。


  2月1日(日) 晴れ         もうすぐ節分、立春

カレンダーを一枚めくりました。逃げる月と言われる2月に突入しました。
沖縄では「タンカン」というミカンの最盛期です。友人からそのミカンが送られてきました。3Lサイズのミカンはさすがに大きく、今までは小粒ばかりを食べていたので驚きました。甘くて美味しくいただきました。

2月に入ると節分があり、立春と続きます。暦の上だけでも春ですからいいですよね。
「節分に方角に向かって太巻きを食べるといいことがある」と言われて「恵方巻き」が全国的に有名になっています。コンビニでも宣伝紙が貼られています。
当店でも前からお客さんや従業員に「1日〜3日」までと限定して注文をとっていたのです。昨年よりも注文が多いそうです。
いよいよ今日から注文の寿司つくりが開始されました。今日、明日はまあまあでしたが、3日がピーク。脇目も降らずに巻き寿司つくりがくるかと思うとゾーッとします。暖かくなると店先でも寿司の売れ行きはよくなり相当多忙が予想されます。

広島から荷物が届きました。誰から何だろう?と不思議に思い差し出し人を見ましたらなんと驚きです。
独身時代ですからもう随分昔のこと、名古屋に住んでいた頃に広島のIさんと一緒に働いてあり、ときどき郷里の広島に遊びに行ったりしていました。その際彼女の友人Hさんを紹介され、その人ともお付き合いをするようになりました。荷物の送り主はHさんでした。
今は行くこともなく、ほとんど年賀状の付き合いになっていましたが、それでも時々メールや電話が来たりはしていました。
中身は「お酒と酒粕」でした。本家が酒屋さんでお手伝いに行っているそうです。その酒店さんのお酒が昨年金賞をもらって大変人気ですぐ品切れになる位の売れ行きだったそうです。それで私にも飲んで下さいと送って下さったのです。有り難いですね。夫はゲコですから一人でゆっくりいただきます。






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