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  5月24日(月) 雨           知人の訃報

昨日から降り続いています。昨夜東京から帰って池田が寒いのにびっくりしました。東京も昨日は雨でしたがそんなに寒いということはありませんでした。またまた暖房のお世話になっています。

留守をしている間に、プールに一緒に行っているHさんのご主人さんが亡くなったことを知りびっくりしました。
亡くなったHさんは私たちが前に住んでいた町内のすぐ近くに住んでいた方です。夫もガイドマスターの会でも一緒に活動をしていて公私共にお世話になったようです。
昨日葬儀だったようですが、夫も都合で参列できず、今日一緒にお参りに行って来ました。
奥さんから前に手術をしたことは聞いて知っていましたが、悪い状態だったとは知りませんでした。手術後元気になり、ガイドマスター会にも参加したそうですが、突然の病変悪化だったようです。67才、私と同年代まだまだこれから一花も咲かせたいお年なのにさぞかし無念だったでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

私の職場は20日締めなので21日から新しい勤務表になります。各部署で人員整理が行われており、辞めた人は補充がないそうです。私も7月退職をすることを報告したところ、時間数を減らして8月まで勤めてほしいと言われたので了解しました。
時間数は前の半分と言うことでしたが、半分以下になっていました。週に2日休みではなく2日勤務になりました。退職の準備段階です。しかし3日休んで一日仕事、楽ですが出勤日を忘れそうです。
3日間休んで久しぶりに出勤したところ、「民主党支持」の組合から選挙のことを書いたビラが届いていました。普段は組合らしいことは何もしていないのに選挙の時だけビラが来ます。今回は民主党ダメですよと言いたいですが、本人たちもわかっているから早めに来たのかもね。



  5月23日(日) 雨        姉妹で隅田川下り

昨夜は妹と一緒の部屋だったので積もる話も沢山できました。雨が降っているのでちょっと寒い。
朝食時みんなと会い一日の行動を聞きました。兄たちは結婚した娘の理恵と3人で日光見学です。雨が降っているので大変ですが。
理恵はホテルにとまり、彼は浜松町出身ですので実家に帰ったそうです。兄の子どもたちは長男が親子で横浜へ、長女はすぐ沖縄に帰ると言っていました。理恵からは「インドにいる間に一度は来て下さい」と誘われ、「行きたいね、その節はよろしく」と伝えてお別れしました。

私たちは当初「ハトバス」に乗る予定でしたが、ホテルから隅田川下りの無料券をもらったので予定変更しました。浜松町の日の出桟橋まで徒歩15分くらい、歩いていきました。
船の行程は隅田川を下り終点は浅草です。途中沢山の橋の下をくぐりながら高層ビルを見学、周囲に沢山いたホームレスも今はいなくなっていました。以前景観上良くないから撤去命令を出してあると聞いたけど何処へ行ったのでしょう。


浅草にきたので観音様参り、雨が降っているのに良くこんなに客がいるものです。自分たちもその一人ですが・・・。仲見世通りは傘、傘、傘で歩くのも大変でした。衣類などの荷物を送って良かった。
途中「浅草花月」という吉本の舞台が「今日は半額です」と宣伝していたので見ることにしました。これは予定外でした。
帰りには宝くじを買うために雨の中を売り場探しに大変でした。妹の夫が占いで「水瓶座は12時から15時までに買うと運が良い」と言うので、その時間帯に買わなければならないというわけ。結局。14時45分購入出来ました。当たったら私にも分け前があります。楽しみにしてますよ。
急に腹が減って遅い昼食を食べました。一緒に歩き回ったお礼と言ってお昼をご馳走になりました。
それから新宿へ移動。そこへK子たちがわざわざ土産を持って来てくれました。私は7時の列車に乗るのでお礼を言って別れました。妹は10時半の夜行バスですので娘たちと行動して渋谷まで送ってもらうと言っていました。
3日間、姉妹だけでの行動、何年ぶりでしょう。時には姉妹で旅をするのもいいですね。しかし彼女たちは母親がいます。時々認知症?かなという行動があるそうです。母親をおいて夫婦で出かけることが出来なくなったそうです。もうそう言う年齢ですね。誰もが通るみち、順番です。しっかり介護をするように話しました。



  5月22日(土) 晴れ       姪の結婚式

東京は暑い!池田町とはえらい違い。昨日からクーラーをかけていました。夜も軽い毛布を一枚で大丈夫でした。
いよいよ午後から結婚式。国分寺から浜松町までの所用時間を計算してそれまでの時間をみんなで買い物に出かけました。
K子の家には少しの庭があるので、トマトを2本植えてありました。妹がピーマン、キューリなどを追加するように提案し、植え方の注意なども説明していました。K子は忙しいけど子どもたちと一緒に育てていくと言っていました。


昼食を済ませK子夫婦が浜松町まで車で送ってくれました。ホテルでチェックインし、荷物を置いて集合場所へ出かけるときに、兄とばったり出会いました。兄は花嫁の父親なのにまだホテルでもたもた、急かせて一緒に集合時間ぎりぎりに式場に着きました。
集合場所は浜松町町駅前の世界貿易センター39階です。披露宴がこの場所で行われるので一旦ここで集まりました。私たちが到着するのを待って、式を行う近くの神社へ移動しました。

控え室で親族の紹介や新郎新婦の家族記念写真撮影、神様の前で式の仕方の説明などが長々とあり、そこからさらに神殿に移動。やっと式が行われました。
午後5時終了。あと神社の外で全体の集合写真を撮影。センタービルの38階にもどりまた正式の集合記念写真を撮りました。その後は披露宴開始まで休憩です。




6時過ぎから一般参加者がボチボチ集まり50名位で披露宴が行われました。38階ですから見下ろすと眼下に大パノラマ。飛行機が飛び、新幹線やJRがひっきりなしに行き来しています。飛行船も飛んでいました。そんな景色に兄貴の長男の子(初孫3才)が興奮するほど感動して「シンカンセン、シンカンセン」と舌足らずな言葉で大騒ぎです。こんなに感動するのはやっぱり沖縄の子ども、親は一回は乗せてあげたいと語っていました。
披露宴は新郎新婦の生い立ちの紹介があり、ケーキ入刀で始まりました。二人は現在仕事の関係上インドに住んでいるので、インドからの写真メッセージも沢山ありました。会社の上司のスピーチも彼をインド勤務にしたはなし、新郎新婦が出会ったエピソードなども紹介されました。新婦は沖縄から友人が来てくれたので高校や大学時代の話などもありました。兄の子でも、何処の高校、大学へ行ったか知らなかったので恥ずかしくなりました。兄弟が多い上、遠くに住んでいることもあり気配り目配りをする余裕がなかったのですね。
二人のお色直しはインドの衣装でした。インドの踊りも紹介され、参加者もアメリカ人あり、ロシアからの参加もあり国際色豊かな結婚式でした。
普段は酒を飲まない兄もワインやビールを飲んでいたので義姉は心配そう。一番可愛いい末っ子が嫁に行くので淋しい気持ちなのかな。





  5月21日(金) 晴れ          東京へ

姪(沖縄の兄の娘)の結婚式のため東京へ。式は明日ですが一日早く出かけました。
山形県鶴岡市に住む妹も参列するので打ち合わせて行動することにしました。東京に住んでいる妹の娘のお宅で泊めてもらいました。
私たちは7人兄弟です。妹と二人沖縄を出てしまったので兄弟の結婚式には出たことがありません。みんな結婚して家庭を持ち、子育てがあり、遠くに住む兄弟姉妹の事など思いやる余裕もなく過ごして来ました。
いま子どもたちも独立して精神的、金銭的にも少しはゆとりが出てきて、せめて姪の結婚式は出ようと言うことにしました(場所が東京だったからですが)。
立川であずさ号を下車、快速に乗り換え「西国分寺」で下車。先に来ている妹が娘のK子と一緒に迎えに来てくれました。
国分寺は緑が多く、静かで東京という感じはありません。K子はもう二人の子持ち、専業主婦で子育てをしています。久々の再会でした。
夫は毎日2時間をかけて通勤とのこと。朝は早く、夜は遅いので大変らしい。彼女は毎日早起きし、弁当を作るそうで、頑張っていました。
妹とは連休に会ったばかりでしたのがK子とは何年ぶりでしょうか、積もる話に花が咲きました。k子の夫は2年半も海外に単身赴任していたので下の子は鶴岡の実家で生まれ育って2才、ばばっ子だったようです、東京に来てまだ2ヶ月だとか、今もばばにべったりで夜は一緒に寝ていました。
妹は、暫く一緒に生活したので情が沸き、内孫みたいだと話していました。

夕方散歩にでかけました。少しの土地やプランターを利用して花を沢山植えてあり、道行く人を楽しませてくれました。
特に目立ったのはバラの花、何処の庭にも必ず咲いていました。ちょうど満開で見頃です。ある一軒の家にとても大きいバラの木を見つけてびっくりしました。花も一杯咲いていて凄い!。あんなに高く伸びているのはつるバラの一種でしょうね。本当に見事でした。





  5月11日(火) 曇りのち雨           ウド汁始めて食べました

朝のうちは晴れていたので久しぶりにマレットゴルフに行って来ました。年配の人が多く入会してから2年も経っているのになかなか馴染めません。少しは上手になるかと思っていっているのですが、なかなかうまくなりません。今日は特にうまくいきませんでした。グループの人には小馬鹿にされるし辞めようかと落ちこんで帰ってきました。

仕事は休み、午後から本格的な雨になりそうですのでニンニクや玉葱に追肥をしました。夫は2〜3日前から街のウオーキングの地図つくりで根詰めていたので、自分のリハビリに行くのも忘れていたようです。病院から電話が掛かってびっくりです。明日の9時過ぎに予約をし直しました。
明日は寒くなるそうで霜も下りるから作物にはご注意下さいと放送がありました。霜に弱いキューリだけビニールで囲いをしました。

夜は寒くて暖房を入れています。冬からすぐ夏になるのでしょうか。山形の妹から「孟宗タケノコ」が送られてきました。沖縄で約束していたので早速送ってきてくれたのです。ありがとう。
娘からは母の日の花が届きました。母の日は過ぎたけど忙しくて間に合わなかったのでしょうね。どうもありがとう。花屋さんは次は父の日の準備をしていると言うことでした。

夕食には知人からウドを頂いたので、教えてもらった通り「ウド汁」を作ってみました。丁寧にレシピも入っていたのでその通りにしてみたら美味しかった。
ウドに鯖缶を入れて味つけしただけですが、結構美味しかったです。この地域は良く鯖缶を使います。タケノコも鯖缶で煮ると言うことでした。



  5月9日(日) 晴れ          夏野菜の植え付け

久々に布団を干しました。前の田んぼでは田植えをしていました。機械ははやい!大きい田んぼなのにあっという間に終わってしまっていました。
天気が良いので半袖になったらやっぱり寒い、半袖はまだ早いようです。

午前中は夫は野菜の苗植えです。トマトにピーマン、キューリと夏野菜の植え付けです。私は沖縄で買ってきたヘチマやゴーヤーの種蒔きと菊の植え替えです。ゴーヤーは種類が多いので今回は3種類を蒔きました。菊はミョーガと同居していたので、別の場所に植え付けるつもりで掘ってありました。時間がなく放置状態のまま里帰りしてしまったので枯れ枯れでした。連休中ここは真夏日だったようですね。テレビで見ていたら「松本30度」なんて出ていたのでびっくり、沖縄より暑いと話していました。その暑さにやられたのですが、生き返るのを願って植えてみました。

今日は母の日、子どもからもお花が届いて嬉しかった。すっかり忘れていたので花が届いてびっくりです。
母の日って何処でも楽をするのでしょうかね、寿司の売れること、売れること。いつもより1時間早く出勤しているのに作るのが追いつかない状態でした。
4月から店の赤字脱却という事で「残業禁止」という方針です。時間までに終わらなければいけないので大変です。とにかく働け、働けと追われています。中間責任者は板挟みにあってくたくたのようです。退職予定者も出ているのでますます大変になりそうです。今が辞めるチャンスです。



  5月7日(金) 晴れ          自宅はいいね

疲れた感じはないのですが、気が抜けたのか眠くて眠くてまた寝坊してしまいました。
洗濯のあと外回り。暫く留守にすると草も伸び放題、アスパラも大分伸びていました。お隣さんにお裾分けをしたら喜んでいました。アスパラ大好きだとか。私たちも食べましたが細いけど初物、柔らかくて美味しい。
そうこうしているうちに土産が届きました。土産を区分けして午後から出勤、今日まで休みたいなと思いながらも、長いこと休ませてもらったので感謝しなくてはなりませんね。
留守にしている間に職場は大きく模様替えをしてありました。店長が自らやったとか。大きな台が入っていて、仕事をする分にはやりやすくなってはいるものの狭い部屋が余計に狭くなったようです。いつもくちゃくちゃで気になっていたシール置き場所が整理されていたのでこれは大変良かった。すっきりしました。
模様替えだけでなくメニューも大きく変わっていて、また一から覚えるのに大変。

夜はボーリングの月例会、疲れてはいるが欠席できない例会ですので出かけました。夫の夕食の用意をする時間がなかったので食べてくるようにメールをしました。最近あまり調子が良くなかったのけれど、久々によかった。



  5月6日(木) 晴れ           帰ってきました

滞在7日、いよいよ帰る日になりました。妹たちも一緒に帰るので母の「淋しくなる」という言葉が気になります。「また来るからそれまで元気でいてね」と別れてきました。
出る時間が早いので早起きをして準備をしました。みんなからもらった最後の土産を発送しました。


従兄弟が勤めているタクシーを8時半に呼んでいたので準備万端、外で待ちました。時間通りに来たので母と従兄弟に送られて出発しました。
高速道路が空港近くまで開通していますが、南風原インターから空港までは料金所がないので無料です。ですから普通の道と同じになっていて朝は混雑しますが、それでも30分で空港に着きました。前は40分から50分掛かっていました。
道中いろいろ話をしながらいったのですが、自衛隊のことから総理大臣の話になったのですが、運転手は「総理は馬鹿なのか、利口なのかわからない」といっていました。「今度は民主党はダメでしょう」とも。
那覇空港でも自衛隊が「タッチアンドゴウ」という訓練をしていると言っていましたが、空港で待っている間に自衛隊機が次々と何機もおりてきました。自衛隊機の着陸の隙間をぬって民間機が発着しているのです。本当に危険な状態です。




飛行機は14時50発が30分近く遅れて離陸しましたが、名古屋には時間通り13時05分に着きました。大きな飛行機だったので速かったのかな。
空港で昼食をとったあと名古屋駅へ。15時ちょうどの「しなの号」で帰ってきました。
帰りは松本で乗り換えですので30分くらいの待ち時間がありました。明科に車を預けていったのでそれで帰りました。

6時半近く池田町にさしかかったときにクラフトパークの近くの山で火が燃えているので野焼きかなと思いました。しかしどんどん消防車がくるので火事?車を止めて、見ていた人に聞いたら火事とのことです。風があったので燃え広がったということでした。驚きもし心配しましたが、9時過ぎには「鎮火した」という放送がありホッとしました。風が強いときは要注意ですね。






  5月5日(水)こどもの日 晴れ      普天間、嘉手納基地見学

明日帰るので今日は行きたいところへ繰り出すことにしました。妹たちは近くを回りたいと言って母を道案内に出かけました。
私たちは南城市一帯は2年前に行ったので、今回は従兄弟に案内をしてもらって普天間と嘉手納の基地を見に行ってきました。一度は行ってはいるのですが再度細かい取材をするのが目的です。
普天間も正面入り口の方へ回ってもらってもらうと中には海兵隊が隊列を組んで歩いていました。Yナンバーの車が出入りしていました。あとは以前高校生が集会で訴えていた第2小学校や幼稚園を回ると本当に基地から100メートルも離れていません。基地は街の真ん中に横たわっています。一番いい場所をぶんどっているのです。従兄弟はタクシーの運転手ですので道はよく知っているので助かりました。


次は嘉手納に向かいました。嘉手納も前に来てはいますが、道の駅が出来たりと随分変わっていました。基地の周囲を囲ってある鉄条網の横から見ていると戦闘機が3機と2機に別れて下りてきました。暫くしてすぐに飛び立ちました。「タッチアンドゴー」という練習をしているらしいです。
道の駅は4階建てになっているのでそこから沢山の人が基地を見ていました。滑走路がよく見えます。
中は広く戦闘機を入れる倉庫のようなものが沢山ありました。戦闘機が飛び立つときの爆音の凄いこと。住民は毎日のことだから大変でしょう。
私の田舎にも軍の基地はありましたが、いわゆる家族部隊が住んでいたのです。ですから飛行機の音は聞かれませんでしたが中部は一番ひどいところです。
軍の一部が返還されたところは街になっていました。沖縄の一番良いところを占領して我が物顔でまかり通っている軍、一日も早く撤去されることを願っています。






従兄弟が夕方から仕事ですので早々に帰宅しました。最後の土産物をまとめて帰る準備をしました。妹たちは知念の「セーファウタキ」方面を周り佐敷へ出て、そこからついでにお風呂に入ってきたそうです。
私たちは二人でお風呂に行ってきました。帰りに村の同級生の家に行って来ました。3月に旦那さんが亡くなったので、お参りに行って来ました。同級生同士の結婚でしたから同い年、逝くにはまだ早すぎです。彼女はクリスチャンですので「もうすぐ会えるから」と意外に元気そうでした。死に対する考えは、キリスト教は私たちとはちょっと違いますね。



  5月4日(火)みどりの日       那覇まで買い物に

目的の法事も終わりほっと一息です。テレビでは鳩山首相が沖縄訪問のニュースを報道しています。自衛隊機で来たようです。プラカードを持った人は近づけないと言っていました。
今日の内に土産を買って送ってしまおうと妹たちと那覇まで出かけました。街では別行動をして好きな買い物をしました。
私たちは焼き物の街、壺屋へ行き「壺や焼き」を買ってきました。今はいろんな焼き物作家が多くなり、いろんな焼き物がありますが昔はここだけでした。老舗の焼き物です。値段もいいね。




あとは賑やかな平和通りで土産物を買って送りました。沢山店があるので店を選ぶのに大変です。
昼食は中華を食べました。沖縄へ来てから毎日沖縄ソバ責めだったので、他のものにしました。妹たちも同じだと笑っていました。

昼食後外へ出たら琉球新報の号外を配っていました。一面に大きく「首相『県内伝達』」という見出しで、「普天間移設全面県外を否定。知事は負担軽減を要請」とありました。琉球新報社の報道はいつも凄いね。大体の予想はついたがやっぱりという感じでした。頭に来ます。


那覇での買い物が済んでから糸満の琉球ガラス店に向かいました。妹たちが買いたい物があるというので立ち寄りました。
連休ですのでお客で混雑していました。体験工房のほうも行列がついていました。


帰りはひめゆりの塔や平和の礎などがある場所を遠くからみながらドライブです。何回も来ているので車からみるだけにしました。
村の近くに野菜果物などの直売所があるので立ち寄りました。沖縄には年々珍しい果物がでているので驚きです。同じものが家の庭にもあるので帰ってから味見をしました。「カニステル」というかぼちゃのような味で、果物というより野菜のようなものです。
パッションフルーツもパパイヤと掛け合わせたのかと思うほど形や味もパパイヤそのものです。でも名前はパッションフルーツです。
家の庭には名前も知らないフルーツがありますがやがてはそれも日の目を見るのでしょうか。






  5月3日(月)憲法記念日 晴れ          法事

父が逝って25回忌。父の意識がなくなり人口呼吸器で生かされていて、母から今回はダメかも知れないと言われ連休1週間ほど看病に来ていたことを思い出しました。裸にされた体中に医療機器が取り付けられているのをみたとき、ショックをうけました。父とは気持ちがちぐはぐして死ぬまで話らしい話もしたことがなかったので、このときだけは何とかしてほしいと真剣に願ったものでした。
3日に妹が来て交代に私は帰る予定だったのがその日になくなりました。なんだか妹が来るのを待っていたように。ふと昔の事を思い出しました。
今までは法事も都合で来られなかったので初めて法事に来ました。

まず、午前中にみんなで墓参りをしました。本土の墓とは違い、「門中墓〜むんちゅうばか」つまり一門の墓で、沖縄独特の大きな亀甲墓です。掃除するのも大変ですので掃き掃除だけです。


後は家の仏壇にお供え物をして一人ひとり線香を上げておわり。お坊さんも来ない簡単なものです。
女たちはお参りに来る人に出す御膳の用意です。今時供え物の重箱料理やお客さんにだす料理を家でつくり、びっくりしました。それでもお供え物の菓子や汁もの、和え物など一部は外注しているので昔に比べたら大分楽になっています。
来る人数がわからないというのも大変です。村以外の親戚は連絡してあるので大体は人数は把握出来るのですが、村の人がどれだけ来るか全く不明。時間も遅くまでも来るので、何時まで続くのかわからずとても考えられない事でした。
「親戚だけでするから」と村に宣言すればいいのにと私たちは思うのですが、古いしきたりのある田舎、そう簡単にはいきそうにありません。
男性たちは来客者のお酒の相手で一日中座ってなければいけないので、飲める人でなければ苦痛です。夫はゲコで口数も少ないので誠に苦痛だったと思います。妹の旦那は社交的で酒も強い、結構相手をしていたので大助かりでした。
引き出物もだいたい予想して準備してあったもので間に合ったのでやれやれです。足りなくなったらどうするのか冷や冷やものでした。
終了後料理が沢山残ったのでこれまた田舎の良いところ、隣近所に配りました。
夜の10時ごろやっと落ち着きました。昔から新生活運動というのがあったように思いましたが、こんなことはどう考えているのでしょうか。妹と二人で「今更村では生活できないね」と話しました。












  5月2日(日) 晴れ        大掃除

忙しくなりそうだから朝のうちに妹と二人で村の中を歩いて来ました。すっかり変わって昔の面影はありません。村を出て40数年も経ってしまったので当たり前ですが。

朝食後から明日の法事の用意。まず大掃除から開始。この家は築30年余、随分ガタが来ているので掃除も大変です。老人は古いのもをいつまでも使っているので私たちが思いきって捨てることにしました。百円ショップに直行、台所用品をいろいろ買ってきてお取り替えで〜す。
途中から弟の嫁さんも来てくれて茶碗類を洗ってくれました。法事の段取りはよくわからないのでこれはお任せすることにしました。


男の人たちは力仕事を始め外の掃除。外は木が沢山あるので草むしりから掃き掃除、これも大変です。
料理の買い物は母がほとんど済ませてあったのですが、買い足すものがあり夕方から買い物に。それから銭湯に出かけました。妹たちは温泉地に住んでいるので毎日温泉に浸かっている生活です。家でのシャワーでは物足りない。近くのホテルに外来者用の休憩室なども備えた大きな銭湯があるのでみんなでワイワイ出かけました。
来た日からこのお風呂に行っており、帰宅するまで行く予定です。母はこの年になっても介護度申請はしていないので大きいお風呂は行ったことがなく喜んでいました。
周りに子供たちはいるのに忙しくで誰も風呂などに連れて行ってはくれません。情けないね。介護申請をすれば介護度1〜2位はつくのではないでしょうか。週に一回位デイサービスを利用することを勧めてきました。










  5月1日(土) 晴れ        辺野古キャンプシュワブへ

沖縄2日目。晴れで気持ちの良い朝です。
妹夫婦は早起きです。こちらはまだ眠いのに大きな話し声が気になり仕方がなく起きるという状況です。彼女たちはいつも二人で散歩をしているとのことで、村の散歩に出かけました。

今日の予定は名護市の辺野古行きです。明日は法事の準備で忙しいから先に行ってくることにしました。
妹夫婦は基地なんて見たことがないので一緒に行くことにし、弟の奥さんの車を借りて出かけました。
連休ですので高速はさすがに混んでいました。「わ」ナンバーが多く、彼らは本部(もとぶ)の水族館方面でしょうね。私たちは高速を下りてから東海岸の方に別れていきました。この辺は来る人は少なく空いていました。
辺野古のキャンプシュワブ付近は2年前とは今のところあまり変わってはなく綺麗でした。基地建設反対の座り込みは前と同じ場所(少し海よりに移っていましたが)で続いていました。
前と同じ専従の方が訪問者に説明をしていました。「このあたりに杭を打つ計画なんです」と地図を示しながら怒っていました。4日に鳩山首相が沖縄訪問予定ですがここにも来てくれたらいいのに、言いたいことがいっぱいある・・」とと言っていました。
ここ名護では1月24日に市長選があり基地反対派の市長が当選した訳ですが、民意を無視した計画が進んでいます。ずーと座り込みをして戦ったおじい、おばあの気持ちは届かないのでしょうか。


後は普天間に移動しました。途中2年前に食事をした場所に妹たちを案内しました。ここでは名物がありびっくりしたので、彼女たちも驚かせようと思ったから。
「あじまー」というのは交差点という意味で交差点の角にあります。田舎の食堂ですが、味も悪くない、安いので結構流行っているようです。一年前から息子さんも経営に加わっているそうです。(ちょっとしたリピーター)
ところでびっくりは草履大の「大きなかき揚げ」、このかき揚げがソバに乗っかってくるのです。単独にかき揚げだけでも注文出来るらしいのですが。
大きすぎるので私たちは今回は遠慮して、妹たちが注文して本当に驚いていました。


油っこいので口直しに「ぜんざい」を注文しました。沖縄ではぜんざいと言えばかき氷のような氷がかかってきます(かき氷は別にある)。
以前「並み」を注文したら「大盛り」が来たので、夫は今度からは「小」にすると言ってどこでも「小」を注文しています。ところ変われば・・・ですね。


普天間に移動して基地のフェンスをみた後、賀数高台(沖縄戦一番の激戦地)に行きました。高台に見晴台が立っているので夫も登るのに大変でした(さすがの私もオンブは出来なかった)。
こちらからは普天間基地滑走路がよく見えました。離発着はなかったのですが、停まっている飛行機はありました。街の中心、一番良い場所に長い滑走路が横たわっていました。
ここには韓国や日本の一部の県の碑も建っており、周りは公園になっていて多くの人が訪れているようでした。2年前に場所がわからず訪問を断念したので今回来ることが出来でよかった。このような運動に関心の薄い妹夫婦も戦争の悲惨さを少しはわかったようでした。
帰りは近くに住む兄の家に車を取りに寄りました。あいている軽自動車を滞在中借りることにし、2台で田舎へ帰りました。














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