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  10月29日(土) 晴れ       久々に畑仕事です

朝夕は寒くて暖房を入れてますが、日中は暖かい。暑いくらいです。
久しぶりに畑に行って見たら前から予定されていた道路の拡張工事の開始準備がなされていました。まもなく始まります。
畑の様子は大変な状況でした。忙しすぎて長いこと畑にご無沙汰で、大根の間引きも完全ではなかったのでひどい状況になっていました。
サツマイモもネズミに食べられていたり、腐っていたりもう早めに掘らなければいけません。今日は半分ほど掘ってきました。早速天ぷらや蒸して食べました。大豆もはじけて豆が飛び出しているものがありその部分は刈り取ってきました。夫がかぼちゃ収穫後の部分を整理して管理器で耕してくれました。そこに玉葱を植えてきました。まだまだいっぱい仕事があるので当分は畑仕事が続きそうです。
宮城県から帰り、Yさんは今頃疲れが出たと言っていましたが、私はそんな余裕はありませんでした。次の日からみっちり出ずっぱりでした。
25日(火)町内のマレットがあり、食改の理事会があり、夜はボーリングの月例会でした。
26日(水)午前中、大町で28日大会のマレットの練習、これはペア大会ですので相棒と一緒。
    午後大町デイサービスの役員会、夜はボーリングの試合
27日(木)富山へ、こばと会の食事会。暫く行ってないので全員出席だから是非参加の要請あり。(プールはキャンセル)。少々疲れたのかな頭痛がして早めに帰ってきました。
28日(金)大町運動公園でマレットの男女のペア大会。自信はありませんでしたが、参加することに意義があるなんて誘われてので参加しました。お互いが一個のボールで打つのです。私たちにとては悪い点数でもなかったのですが、コースが比較的簡単だからいい人は凄い点数ですのでかなり終わりの方、飛び賞が当たりました。夜は健康友の会の会議、またまた大町まで出かけました。
夫はパソコンの前での仕事で忙しいけど、私は外ばかり。日記を書く余裕はなくて後半もこんな結果になりました。



  10月23日(日)〜24日(月) 晴れ    女川町議選応援

23日午後、みんなと別れ選挙応援のため3人が残留しました。池田町の議員さんと一緒に選挙の応援のつもりで残ったのに実際には夕方までの半日だけでした。それでも役に立ったでしょうか。
野議員さん夫婦と一緒に町から少し離れた仮設住宅をまわりました。私たちは物資の配布出来なかった残りを持って、議員さん達はビラ配りをしながら行動しました。野議員は40年議員生活をしているそうで顔なじみが多くいました。
「今回の選挙は厳しいからよろしく」と訴えていました。ほとんどが仮設住宅に入っているのに、10組くらいの家族が住宅行きを拒否してまだ避難所にいました。元は小さな小学校だったところで、共同食堂は広く順番に食事を作っていると言うことでした。同じものを食べているので家族と同じだと言っていました。皆さん災害にも負けないで頑張っていました。
ふと自分だったらどうしただろう、家族を失ってもこの人達みたいに頑張れただろうかと考えてしまった。半分諦めの境地の人もいました。
予定の物資を全部配布し終えたのでこれで行動終了です。すっかり暗くなっていました。100個近くを配布したのですが、物資はまだ沢山残っています。後は皆さんにお願いして帰ることにしました。選挙があるので大変ですが快く引き受けて下さいました。
明日は帰るだけで、残念ながらお手伝いは出来ません。「頑張って下さい」とお別れをしてきました。

今日の宿泊先は野議員の知人の家で泊めてもらいました。隣街の石巻市です。こちらも海岸沿いは被害が大きかったのですが、こちらのお宅は市内にあったので大丈夫だったそうです。
母親と二人暮らしのようですが、体調が悪く入院中だそうです。「一人だから気兼ねは入らないよ」と言って下さり、男の人何なのに気配りが行き渡っていました。長野の中野早苗さんにも連絡をとり、私たちが来ていることを報告して話をさせてくれました。私たちの布団まで敷いてあり、寝巻きまでありました。感心してしまいました。
久しぶりにお風呂にも入れたし、何分にも今までと違い綺麗な新しい家で眠れたのでYさんは大感激でした。
観葉植物が家の中一杯あり、外もお花で埋まっていました。「共産党の上層部の役割を担っているのにどうしてこんな時間があるの?」とYさんはそれだけでも凄い、凄いと連発。土産話が出来たと喜んでいました。
私たちが帰るまでにいろいろ手配をして下さり、「物資を配る手配がつきました、明日配ります。辺鄙なところにある仮設住宅に配ります」と嬉しい事が聞けてよかった。選挙が終わるまで物資が悪くならないか少々心配もありましたがこれで安心して帰れます。

次の日は帰りに日和山公園に寄り石巻市内を見学しました。海岸沿いは本当にひどい状況でした。公園にはたまたま町の昔の写真があったので現在の様子が比較でき、被害状況がよくわかりました。Yさんが早く帰りたいと言うので午前10時帰路につきました。東北はやっぱり遠いね。栃木の息子のところからまだ3時間以上も行く。高速道路は帰りも渋滞するし大変でした。



  10月23日(日) 晴れ    米や野菜を配りました

皮肉なもので一日ずれていればよかったのですが。しかし今日も宅配行動があるので晴れてよかった。
初めは体育館の避難所に配布。お料理は出来ませんが、もうすぐ仮設住宅に入れるので日持ちが出来るの米と野菜類をだけを配布しました。近くに3階立ての住宅が工事中でしたのでそこが完成したら入居できるそうです。半分は完成してすでに入居しています。その仮設住宅にも配布しました。
「おひさま」のふるさと安曇野、池田町から来ました」と言うと「わ〜うれしい、美味しいリンゴが食べられます」と喜んでくれました。沢山の仮設住宅がありニュースなどで聞いてはいても驚きでした。
3カ所ほどの仮設住宅を配布終了していよいよKさんのお里の方へ進んでいきます。彼女の腕を発揮するときです。お里のあたりは内海の近くだったので津波の被害はあまりなかったようですが、台風の水被害が大きかったということでした。
部落の中は徒歩で配り、彼女のお姉さんにいろいろお手伝いをしてもらったお礼にみんなで自宅に寄りました。反対にまたまた沢山のサンマをお土産にいただき恐縮しました。彼女のお陰で無駄なく無理なく配布を完成できました。
彼女は現在お里を離れているので久しぶりに会うお里の方々と感動のご対面が沢山ありました。涙、涙の場面でしたね。私たちが宿泊させてもらったA議員さんの家もすぐ近くにあり知ってる中でした。本当に偶然でした。これも何かの縁ですね。
彼女は一旦仙台の自宅に帰り、それから池田町に帰るとのことでした。
最後にまたあのラーメン屋で昼食を済ませ、私を含めて3人の残留組を残してみんなは帰路につきました。お疲れ様でした。









この行動に来て感じたことは、「百聞は一見に如かず」でした。3月に地震、津波があり、それから原発騒動。毎日様子が報道された。夫はこれで4回目の訪問、5月にも支援物資活動があり誰よりも多く現地の様子を詳しく聞いているはずです。
あれから半年以上も経って道は多少綺麗になっていましたがガレキの山はそのままでした。港の近くもそのままの状態。
来てわかったことは距離感がわかったこと。200メートルなんて言われても実際にはどの辺なのかわかりにくかったけど。

野議員さんが事務所を構えている村の方には助かった建物が何軒か残っていましたが、悲惨そのもので使用している家はありませんでした。建物はすっかり流されて基礎部分が残されているところが大部分。基礎部分さえもないところがあり、知らない人が見たら広い空き地としか見えません。
避難所の中にも入れてもらってみんなの生活状況を直に見られもう驚き以外ありませんでした。ダンボールで囲った中に布団を敷いて、そこにカヤをつってあるのですが横を通ると寝ているのも丸見え、全くプライバシーなんてありません。しかし皆さんは明るく、「もう慣れました」なんて言っていましたが心中を察すると涙がでました。
また各自被害状況が違うので被害者同士のいがみ合いなどが見られることもあるそうです。人の施しは嫌だという人もいますが、そんなことを言っている場合ではないことが物資を受け取る人々を見て感じました。
あれ以来怪我の後遺症を抱えている人もいました。話を聞いていると寒いから電気毛布やコタツなどがほしいがまだ完全配布にはなっていないそうでした。部屋は狭いのでいろいろ置けないし大変ですと・・・・。
町の全体の様子を見ることができ、被害を受けた人々と直に話が出来たことが大きな収穫でした。夫が一生懸命説明していたことが納得。
どうか今の生活に簡単に慣れないでまともな生活が出来るまで野議員さんとともに頑張ってほしいと思いました。







  10月22日(土) 雨    みんなの願いも通じず、予報通り雨 

6時から行動開始。女川出身のKさんが自宅から駆けつけてくれました。彼女は現在池田町に住んでいますが、この行動に参加したくて早めに現地入りしていたのです。
朝食を済ませ、午前中の会場は徒歩でも行けるくらい近くの仮設住宅横。テントを張って野菜や日用品を配布する準備をしました。
私たちは集会所の中で毛布や衣類を並べました。部屋が狭いので全部並べる事が出来ずに困りました。衣類は天気がよければ外で衣紋掛けにかけて並べる計画だったので本当に天を恨みました。
皆さんの行列を見て目を見張りました。野菜や日用品は別として、衣類なんか「古着は入らない」なんて言われたらどうしようと心配していたが結構持って行ってくれました。狭い場所で入る人数が限られているので十分見ることが出来なくて申し訳ない思いでした。
入り口に置いてあった毛布は一番になくなりました。行列最後の方には品切れで申し訳ない思いでした。やはり皆さん「冬が心配だ」とおっしゃっていました。下着やセーターもよく出ました。もう少し広げていたかったが次の場所での予定があるためやむなく終了しました。




次の会場に移動する頃には雨はますます本降りになっていました。こちらは建物の中はまったく借りれず、すべて外での配布になりました。私たちが到着する頃には行列が出来ていました。急いでテントを張り品物を並べました。
この会場付近は被害は少なかったほうで自分の家に住んでいました。勿論ですが被害の大小で要求が違ってきます。陶器関係はこちらの方がよく出ました。しかし毛布やコタツなどは多くの人の要求でもありましたが、すべての方に行きわたる数がないので抽選やじゃんけんで決めました。外れた人のことを考えると胸が詰まる思いでした。
この会場での衣類は雨がひどいので中止にしようとも思っていましたが、結局テントの中で広げました。全く十分見ることも出来なくて前の会場の半分も出て行きませんでした。本日は超過密スケジュールで次の予定があるため予定時間で打ち切りました。

2会場の雨空市が終了して遅い昼食を食べました。近くに唯一のラーメンやだそうで予め予約をしてありました。安くて量も多く美味しい。客も結構入って繁盛しているようでした。
また午前中の場所に戻り、住民との交流です。血圧測定や骨密度測定等をおこないました。支援隊でこのような健康器具を使っての健康交流はあまり例のないことです。民医連の職員が一名参加しているのでいい機会、このような計画をしたのです。宣伝不足もあり参加者は15人くらいでしたが、参加して下さった方とはお話が出来てよかったと思います。






雨で残念な一日でしたが、何とか物資はお届け出来、喜んでいるお顔を見ただけでもよかったです。今日の行動が終わり4トン車と2トン車は都合で早めに帰宅しました。
夜は先輩の野議員さん夫妻をお呼びして夕食交流をしました。もうすぐ市議会議員選挙があるそうです。野さんの支持者はほとんど津波の犠牲になったそうです。本人自身も家がなくなり現在避難所生活を強いられているのです。
女川は原発の収入で町は潤っているそうですので、脱原発を掲げるとたたかいにくいかも知れませんね。どうしても負けられない選挙頑張ってほしいです。



  10月21日(金) 曇り         宮城県女川へ 

今日から出発です。朝6時半に集合して7時には出発です。早い時間帯なのにお見送りの方々も来て下さり、差し入れも沢山いただきました。沢山の協力して下さった方々の気持ちを乗せて行ってきます。
大型トラックは昨夜のうちに出発したので今朝は乗用車3台です。気になる天気は、今日は晴れですが明日から崩れるという予報です。
途中高速で渋滞と言う思わぬアクシデントがあり、予定より2時間も遅れて到着しました。高速に慣れていない人もいるので運転は代わり番こにしました。連休でもないのに高速で渋滞とは予想もしていなかったので驚きました。大したことでもない理由で長い距離を片側通行にするのは利用者の事は考えないのか少々怒りを覚えました。
到着した頃にはあたりは暗くなっていました。3月11日から7ヶ月も立っているのにまだ体育館の避難所にいる家族もいました。60世帯くらいと聞きました。窓からカヤをつってある光景が目にとまり、これは考えてもいなかったので大きな驚きでした。私たちが遅れたので先発隊が布団などを体育館に下ろしてあったので助かりました。
一同は宿泊先の事務所へ。あたりが暗くなっていたので、景色は見えないので朝になってビックリでした。夫の大学の先輩が女川町の議員をしているので、その事務所をお借りすることになりました。用意してきた簡単な夕食を済ませ、明日からの細かい打ち合わせをして今日の行動は終わりました。
支援隊全員は16人、4トン車を運転して荷物を運んで女性の方は荷物を下ろしてすぐお帰りになりました。親戚に行った人、車の中で寝る人、私たち女性3人は女川の別の議員さんのお宅でお世話になることになり、後の皆さんは狭いプレハブ事務所の中で雑魚寝。夫は事務局という大役、神経もピリピリ痩せる思いでしょう。



  10月20日(木) 晴れ         荷物の最終点検、積み込み 

いよいよ今まで集めた支援物資を積んで明日から宮城県の女川に出かけます。今日はその大量の荷物を積み込む日です。
さすがにプールへ行く気にはなれずお休みしました。トラックと乗用車も3台出るので、うちのシエンタ号にも当然同乗する方がいます。随分洗っていないので久々に洗車しました。
それから物資が集まっている会場へ、もう沢山の人が手伝いに来ていました。少し手伝い後、支援隊の女性3人は生活班でもあるので、献立を考え途中食材の買い出しに行って来ました。
漏れがないかひやひやですが足りない者は向こうで買うことにしました。しかし女川にはスーパーはなくコンビニが離れたところにあるだけ、スーパーには30分くらいかかるというのですが、なんだか見当がつかない話でした。午後から積み込み作業です。4トン車が2台、2トン車が1台。話には聞いていても実際に見るとすご〜い。

大量の布団、衣類、雑貨、野菜など会場一杯にあった荷物が次々に積み込まれていく様子を目の当たりにして驚きでした。大勢のお手伝いが来てくれたお陰で5時頃には一段落しました。それから支援隊の打ち合わせ。明日からの具体的な行動の細かい打ち合わせを行い6時頃には帰宅出来ました。
またこれから鍋やガスコンロなど各自が担当になった荷物の準備をしなければ行けないので、さすがの私も落ちつきません。ボーリングの月例会が終わると遅くなるので、これも欠席しました。この支援隊に加わることで私自身の詰まっていた予定をすべてキャンセルしたのでちょっと皮肉も言われましたが、東北に物資を届けに行くのが理由だから仕方がないだろうと諦めてくれました。
明日は食改に大北の行事が池田町が会場であるので、理事である私は責任がありましたが、これも会長にすべてお願いして引き受けてもらいました。皆さんに感謝、感謝の気持ちで明日から東北行きです。緊張して目覚ましも2つ用意して眠りにつきました。









  10月19日(水) 晴れ      久々パソコンに向かう

シニア大学も後半になりました。午前中は講義、午後はクラブの最終日です。11月3日からの作品展に向けて追い上げです。
私たち陶芸クラブは前回で出品作品は仕上がったので今日はゆっくりと茶話会です。一年生の旅行の土産や各自が持ち寄った漬け物やお菓子、果物などで交流をしました。

このごろなかなか気持ち的にも日記を書く気分になれませんでした。風邪が続いて外から帰ったら疲れてパソコンにはなかなか向かっていられなかったのです。

この半月の備忘録

1日(土)晴れ
「変わりゆく介護保険とみんなの願い」〜格差のない介護の制度をめざす県民大集会煮参加。 松本文化会館
講師は勝田登志子さん「認知症の人と家族の会」。昔富山で一緒に活動した人。現在は厚生労働省、社会保険審議会の委員。大活躍の様子。
2日(日)晴れ
池田と塩尻のマレット交流会。毎年行われていて、今年は塩尻が会場。初めての参加、山を切り崩した場所にあり坂が多かった。参加費よりも葡萄などの土産が多かった。
3日(日)晴れ
大町運動公園でスポーツ店主催のマレット大会。参加賞にボールをもらっただけでも価値あり。表彰式にも参加せず、食改の理事会に飛んでいく。21日の大北交流会の準備。当日参加できないので池田の会長に一任するため一緒に理事会に来てもらう。
4日(火)晴れ
池田友の会役員会
5日(水)晴れ
シニア大学  陶芸クラブ〜文化展に向けての作品つくり
7日(金)晴れ
1日女川行きの支援物資集め、皆さんは8日も行っている
私は明日からの大会に向けて前泊。夕方から富山へ出発、松本の人に乗せてもらう。
8日(土)〜9日(日)晴れ
北信越シニアボーリング大会。富山ゴールデンボール。9日の夜8時に帰宅。公民館の会議が予定されていたが間に合わず欠席。
10日(月)晴れ、体育の日
娘が孫と店の後輩2人も連れて安曇野巡りに来る。ワサビ園や足湯に行くという。その日も物資を扱っていたのでその会場に寄ってもらう。帰りに家に立ちよったが時間がなく早々に帰路につく。
11日(火)晴れ
食改の大北交流会に展示するパネルつくり。町内のマレットの練習会も重なったので終了後パネルつくり会場へ。
12日(水)晴れ〜13日(木)晴れ
ジニア大学一学年修学旅行。箱根〜鎌倉方面。二日間とも天気に恵まれよかった。






14日(金)晴れ
パン教室へ
15日(土)晴れ
年金者組合女性部の県交流会。中央から年金に詳しい講師を呼んで学習会。初めての参加でしたが、参加者が少ないのには驚きだった。


16日(日)晴れ
赤旗信州秋まつり。松本ドーム。今年は大北の参加者が多く、大型でも一台には乗れないので池田、松川は別に出発。抽選賞は味噌とリンゴが珍しく大当たり。物産展は昨年よりも多く出展されていた。東北からも生のサンマやサンマの加工品の出展が目だった。


17日(月)晴れ
内科の定期受診。心配の種の検査の再検査。次回の結果が恐ろしい。
18日(火)晴れ
ボーリング戦。迷惑が掛かるので欠席できない大会。そのため市民劇場の例会担当者会議は欠席。運営幹事さんから詳しい資料が届く。







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