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  1月31日(木) 晴れ         三日坊主にならないように

今日は天気も良くアルプスも綺麗に見えます。日中はポカポカと暑い位で、配達の牛乳やさんも「今日は暑いですね」という挨拶でした。
午前中は食改の臨時料理があり、昨日に続いて半日つぶれてしまいました。
今日は食改の役をしているのがつくづく嫌になりました。今年は役員交代の年、なんとか抜けたいと思っていてもなかなかなり手がいないのが現状です。
松川もそうですが、大北に結集しないで村や町だけでの活動にしてはという意見も出ています。それくらい魅力のない食改になっているので困ってはいますが、後は知りませんと退散するしかありません。大北の4月の総会までは我慢です。

木曜日のプールはまた明日になってしまいました。帰宅すると体がだるいので少々休憩をしていると、「行くよ」と夫の声。歩き出して今日は3日目、頑張って歩こうと決めたのでこれで止めると本当の3日坊主です。どうしようかと迷っていたが少し良くなったので出かけました。
今日はまだ明るい時間だったのでそんなに寒くなく、気持ちよく歩けました。
大きい道路を歩いているといろんな人に遭遇します。2軒隣のご夫婦は昨年名古屋から越してきたばかりで夫婦で歩いて池田町の散策をしています。「この頃歩いているようですが、どうしたの?」なんて不思議がられました。
私たちも池田に来た頃は、いろんな所に良く行きました。この頃は慣れてきたせいもあり、忙しさも加わって何処にも行かなくなりました。年を取ったと言うこともありますが。夫もようやく自分の体の事が気になったようです。年をとったらやっぱり身軽でなくては。私も本格的に減量に挑戦します。



  1月30日(水) 晴れ       新年会の準備着々と

午後から予定があるので午前中はゆっくりしたかったのですが、食改(食生活改善推進協議会)の急な打ち合わせがあり、出かけました。
1時間程度ということでしたが、あと常磐まで買い物に行くことになり、結局午前中がつぶれました。この頃毎日保健センターへ行っているので、職員に「定期券を購入した方がいいね」と笑われる始末。

急いで昼食をとり今度は福祉会館へ。健康友の会の新年会余興の練習の2日目です。いろんな小道具を持ち寄って集まりました。大分形がついてきたのであと一回の練習でなんとかなりそうです。
私はナレーションですが、民話はどんな風に読んだらいいのか心配です。どうも練習の雰囲気を見ているとドタバタが多く、その声に飲み込まれそうです。
まあ好きな人たちばかりですので大道具、小道具、衣装には凝ります。それだけでも笑いを取れそう。

暫くいろんな活動から遠のいていた夫が、最近また町の問題で活動を再開しました。静かだった家にもちょこちょこ来客があります。閉じこもってばかりいないで時々は外に出た方がいいので、少し安心しました。

今月は中頃から右肩から腕の痛みがあって、ボウリングも不調でした。投げすぎではないのなんて言われたりしましたが、いつもと同じでそんなに極端に増えたわけではないのです。一応今週は昨日、今日と大会を中止しました。
夜出かけないのは時間がありますが、体の不調の時は最悪の事ばかり考え、落ち込みます。そのときはそのとき、いつも夫がいうように「なるようにしかならない」の考えで行きましょう。ちょっと寂しいけど。でも少し良くなりました。2月になったらまた投げられそうです。

シニア大学の同じ班の人から電話があり、「今、池田の病院に入院中」とのこと。元気だったのにびっくりです。卒業式までには何とか退院したいと言っていました。
富山を含め私の周りでは病気と闘っている人が何人もいます。人生は「生、老、病、死」との闘いと言います。避けては通れないものです。認めたくなくても確実に老いは来ているが、寝たきりだけはならないようにしたい。



  1月29日(火) 晴れ        夫の誕生日

朝、夫が「また近づいたね」というので猫に話しているのかと思ったら私にだった。歳のことです。
今日は夫の誕生日です。二人の距離が1才になったり2才になったり、追いついたかと思うとすぐに離れる、仕方がないですね。おめでとうと言ってもこの年になったら有り難くもないという。
この頃はお互いにプレゼントもしない。子どもたちも今年は電話で祝福です。妹からの電話もありました。まあみんな気にかけてくれるだけでも幸せですね。
夫は「親父の死んだ歳になった」と言いました。そう言えばいろいろ思い出します。癌の手術で一旦は介抱に向かっていたのに、「手術ミス?」だったのか出血で再手術。あっという間に死んでしまいました。弟が努めていたので問題にすることも出来ませんでした。さぞかし無念だったでしょう。

実家の父も70才で死にました。親たちが死んだ歳になってしまったのですね。その分、母は長生きして現在93才。両方の父もせめて80才くらいまでは生きていてほしかった。
夫は父親よりは長く生きなければと思ったのでしょう。いつかテレビで一人暮らしの老人が施設をたらい回しにされているのを見て「明日は我が身」と思ったのか、「足腰を鍛えなければならないね、少しずつ歩こうよ」と言うことで今日から開始しました。
誰でもいつ何時どうなるかわからない、私も最近はさぼっていたのでちょうど良かった。はじめは無理しない程度にしようと小一時間くらいにしました。でもその方がちょどいいかも。今まではいくら誘っても「足が痛いからいやだ」と言っていたので自分から言い出したのでよかった。
一人より二人。時には別々になるかも知れませんが、長く続けられるようにしたい。

夕食は外食にしました。お互いの誕生日は外食で終わりです。今日は「焼き肉」です。家ではついつい菜食になり、肉はあまり食べないので外でしっかり食べてきます。体までニンニク臭くなりました。



  1月25日(金) 雪             遅ればせながら

今年は良く降ります。今日はそんなに積もるほどではありませんが、雪模様です。根雪になっていて町全体が真っ白になっています。
積もっている雪は堅くて子どもたちは喜んでその上を歩いていました。富山では「空に乗る」と言っていました。懐かしいです。


昨日は食改の大北理事会があり、また今日も朝から新年会があるのでプールはお休みです。2日間あっても行けない時が多々あり先生にも申し訳ない気持ちです。
今日の新年会は穂高にある保養施設です。名前だけは聞いていましたが初めて行くところです。新婦人に入会したので私の歓迎会も兼ねているとのことでした。招待されてしまって申し訳ない。
顔なじみばかりですが一人だけ初めての人もいました。「やっと入ってくれたね」と歓迎してくれましたが、池田に来て丸7年、やっと決心がついたと言うところでしょうか。後ろは見ないことにしました。
「大きいことは出来ないが、少しずつ前進出来ればいいなと願っている」と表明しました。
この施設の温泉は熱めです。一カ所は46度というのですから超熱い。そこには入れないのでもう一つの浴槽にしました。小さいながらもいいお風呂でした。お風呂に入り、美味しいものを食べ、飲んで気分良く帰ってきました。

夜は女団連の会合があるので帰宅して少々休憩。夫は雪の中仕事に出かけました。
女団連の会合の中心議題は「2月に行われる議員との懇談会」の中身の検討でした。
今町では「町中再生」といって莫大な予算で箱物を作る計画をしています。そのことに対する意見や、また町中にあるスーパーが2月一杯で閉店となるので、その後の高齢者の買い物の心配のことなどが中心になりました。
参加議員は即答は出来なくても、「どんどん意見をぶつけて女団連の底力(?)を見せよう」と言うことになりました。残念ながら私は他の予定と重なり出席出来ません。新婦人代表のOさんは力強く「町中再生」の次回の会合の参加案内を訴えていました。
食改は少しも関心がないのでなにを言っても人ごとです。女性の団体ですから何処でも同じかも知れませんが、役員だけ騒いでも仕方がないので、自分の団体に持ち帰り働きかける努力をしてほしいですね。



  1月23日(水) 晴れ              5回目のボーリング大会

今では恒例になった年金者組合のボーリング大会の日です。雪は降っていないものの積雪があり、車を運転するにも大変ですが、参加者は16人。予想通りでした。
今回は大町から沢山参加して下さいました。初対面の方も何人かいましたが、同じレーンに入っていると和気藹々、楽しく投げられました。
「20年ぶりだ」とか「職場でお年寄りの付き添いで来たが、久しぶり」とかいいながら一生懸命です。2二回ともガーターになり頭をかきながら帰って来る人、ストライクで「やったー」とガッツポーズでハイタッチの人、それぞれの顔を見ていると面白い。
皆さんにハンディが付いているのに私はゼロ。現役のアマチュアボウラーだから当たり前です。
2ゲームで表彰式、2位でした。ほんのピン差でしたが2位で良かった。昨年までは表彰式の対象にはしてもらえず、蚊帳の外でしたが、今年は一応対象になっていました。1位になると申し訳ないので、つくづく1位にならなくて良かった。
1回目が終わってから暫くして有志で毎月やろうと話し合い、その結果「月例会」をしているので、彼女たちは今年はある程度の期待で臨んだと思われます。しかしレーンが離れていて状況がわからなかったので「どうだった」と聞くと「ダメな所の原因はわかっていても修正が出来なかった」と反省をしていました。そんな彼女たちも今は勝つことよりも楽しさが優先しているようです。
「健康のために」これからも続けたいと来月の予定を決めました。そして参加者の中から新しい仲間も増えました。
帰り際に総責任者のYさんが「16ポンドのボールはさすがに重い、投げられなかった」と言っていた。16ポンドと言えば最高の重さ、その年で使える人はおそらくいないのではないか。年を取ればとるだけ重さは軽くするのが常識になっているんですよ。



  1月20日(日) 晴れ       出初め式に参加

11時から町内の常会と新年会が予定されていて、夫が出ることになっていて出かけました。
常会終了後は昼食を食べながら新年会ですが、これには毎年出席者が少ないのです。うちの班は10件中7人だからまあ多い方でしょうか。
毎年多くの人が参加したくなるような新年会にしなくてはと言いながらも一部の人たちの好きな新年会になっています。
夫は酒が飲めないので、私に「行ったら」と言っていましたが午後から予定があるので仕方なく出ていきました。楽しめたのでしょうかね。

私は午後から消防の「出初め式」があります。そのような関係のない行事に参加したことはありません。たまたま女性団体連絡協議会の理事をしているので参加の機会を得たのです。
女団連は出初め式の主催者になっているのです。そのほかは日赤奉仕団、自主防災会連絡協議会(町内会)も主催者のようです。自分が関与しないと詳しいことはわからないものですね。
今年は役員最後の年ですので初めて参加しました。どうしても何事でも今だに富山と比較する癖は抜けきれません。またついつい比較してしまってあまりの違いようにびっくりしました。
考えてみればこの地域にはこの方法があっているのかも。しかし消防と警察の関係がなにか大きな権力のような印象をうけました。
中学校の講堂での式典が終了後は行進がありました。3丁目の交差点から安曇病院前までのパレードです。池田の3保育園の年長さんが幼年消防隊に当てられているようです。鼓笛隊になって先頭を行き次に消防隊員、日赤奉仕団、自主防災会、女団連の順に行進ですが、その後に消防のオートバイと消防車が続きました
。短いパレードでしたが電気をつけて走ってくるオートバイや消防車は「かっこいい」と子どもたちは騒いでいましたが、あまりいい感じは受けませんでした。
女団連も6人は少ない。主催者ならもうすこし参加者を増やすようにしないとイメージダウンですね。



  1月19日(土) 晴れ        飲み放題、食べ放題

積雪はなかなか消えず道の横などはたっぷりあります。どこでも駐車場は狭くなっているのですが、福祉会館はなんとか開いていて助かりました。
共産党ファンクラブの総会と新年会があるので料理作りの手伝いを頼まれて早くに出かけました。
着いたら関係者が一生懸命頑張っていました。多くは一品持ち寄り、お赤飯や豚汁はここで作っていました。持ち寄り料理は数多くあり、この食材でこんな料理方法もあるのかと感心させられました。
総会の前に参議院候補者が挨拶に来ていました。42才の独身だそうです。「見栄えがいいからいいね」と皆さん褒めていました。候補者は顔が命だそうです。顔も候補者選びの条件の一つなのでしょうかね。とにかく頑張ってほしいです。
今年の総会から夫は役員を降りました。多くを語らずお礼だけ言っていましたがなんだかこれでいいのか気になりました。
前に貼られている総会の幕も小さく簡単なものだったので、それでいいのかも知れませんが、Uさんが「あれを見てMさんはどう思うだろうね」と思ったそうです。夫は完璧主義ですのでとてもあんな風にしないのは目に見えています。夫の性格を知っている人もいるのですね。
今年はカラオケもあり、みなさん楽しそうに歌っていました。雰囲気に乗れる人はいいですね。羨ましいです。

夕方はマレット協会の新年会がありました。行きは花見の公民館の前に迎えに来るというのでそこまで歩いていきました。寒〜い。
なんと今日の参加者30名、近くの中華料理店で「飲み放題、食べ放題」だとか。
ところが予約をしてあるにもかかわらず、時間になってもなんにも出てこない。隣にも若い10人余のグループがおり、一般客など混雑しているのでとても手が回らないという感じでした。これでは放題にはならない、段取りが悪いとブツブツ。
終わり頃になって注文品が出てきて、その頃にはビール腹になっていて満腹状態。一段落した頃に料理が遅かったので「2時間延長します」と言われましたが人間のお腹は限界があります。そんなに延長しても食べられるはずがありません。まあなんとかそれなりに満腹になったので適当なところで切り上げになりました。
私は今日の飲み放題に中で、前から一度は「紹興酒」を飲んで見たかったので注文したところ瓶が出てきました。びっくり。
飲んでみるとそんなに美味しいものでもありません。隣の人にも勧めたがあまり飲みません。向こうのテーブルでは注文している人がいたけど一人で飲んでいました。
紹興酒はビールやお酒よりも強いのでしようね。ちょっと酔いました。飲み放題だからといってどんどん飲み、悪酔いしている人がいましたが、好きな人は限界がわからないのですね。私はそんなに沢山飲んだ訳ではないが、帰ったら頭が痛くなり寝てしまいました。



  1月18日(金) 晴れ        余興の脚本つくり

大北健康友の会の恒例の新年会が2月に行われます。毎年各地区毎に余興をすることになっていて、池田は初回の余興が好評だったために、毎年これ以上は落とせないという状況になってしまい困っています。
今年は「止めようよ」と言っても周りが許してくれません。また簡単に全員合掌というわけにもいかないのです。
会員たちも仕方がないという事で打ち合わせのために昨日集まりました。でも皆さんお好きのようで、昨年の参加者が全員生き生きと集合しました。
今年は民話調の寸劇に決まり、早速配役を決めました。民話の原作本を元に脚本を作る役は私とUさん。次回の練習日までに日もないので帰宅してから早速原案を書きました。添削のため午前中に仕上げUさん宅まで届けました。素晴らしいものが出来ることを期待します。

午後からはボーリングの練習です。来週年金者組合のボーリング大会があるのでそれに向けての練習です。
月1回の例会が連休の月曜日だったのですが、来客で半数が欠席でした。それで大会までにどうしても練習がしたいと再度集まることになりました。今年の練習にはいつも以上に力が入っているので大会が楽しみです。



  1月14日(月) 雪       渋滞にはまりました

今日は成人の日、大雪で着物を着た成人者は大変そうでした。会場まで着物に長靴という姿もありました。池田や松川は夏に行っているので雪の心配はないのでよかったね。
従来の成人の日15日が日曜との連休になり、月曜の休みが多くなりました。友人のお母さんは月曜日にデイサービスを利用しているので休みが多くて困っていると聞きました。
今日の大雪は南の方がよく降っていて松本も大雪でした。県内の高速道路も一部通行止めになっていました。全国的にも空や電車の交通麻痺で大混乱のようでした。
こんな雪の日に年金者組合の有志のボーリング練習会がありました。雪で中止になるだろうと期待していたのですが、3人でもやりたいのだという連絡。
運転が苦手という人が車でボーリング場へ来ているのでびっくりしました。これで冬も自信が付いたとのこと。こんな日でも結構客が入っていました。>午後から大町で「カラオケ選手権大会」が開催されるとのことで、無料入場券をいただいていたのですが雪がひどいので行くのを止めました。夕方からは松本でエースクラブの新年商品大会があるのでこれも困ってしまいました。
8時開始だから渋滞はしても2時間では行くだろうと6時過ぎに家を出ました。いつもの通り国道に入ったのが運の尽き。いっこうに進みません。いつだったかもそんな渋滞に巻き込まれたことを思い出し、しまったと思ってもどうすることも出来ませんでした。
そう言えば高速も通行止めになっているのでみんなが国道利用。はじめの頃はそんなにひどいとは思っていなかったのでなんとかぎりぎりくらいには着くだろうと高をくくっていました。
クラブの人には電話でその旨を連絡しました。しかしある所まで行くと全く動かなくなりました。
結局ボーリング場に着いたのが9時、3ゲームは終了して今から表彰式と総会が始まるところでした。「もう家に帰ったのかと思っていたよ」という人もいていかに遅かったかを証明してくれました。やれやれでも表彰式には間に合って良かった。
今日の大会表彰は該当しないが昨年大会の表彰もあったので、それと各自が持ち寄った賞品ももらえました。
最初からずっこけたけど、実際の大会は来月からです。昨年は入院があったりで皆勤賞はもらえなかったけど、今年こそ皆勤するぞ。本当に大変な一日で疲れました。



  1月12日(土) 晴れ         念願のオペラ鑑賞

オペラ「フイガロの結婚」を見てきました。訳もわからないのに一度生で見てきたいだけの理由でした。
夫は「事前に学習しておかないとすぐ見てもわからないよ」というのでうちにあるビデオをみました。夫が言うには10数年前にドイツで開かれたものの収録だそうです。日本語訳が付いていてとてもよくわかりました。

「フイガロの結婚」は有名だけど内容は詳しくは知りませんでした。フイガロ、スザンナ、ケルビーノ、この3人の名前はすぐに覚えられたものの後はなかなか名前が出てきません
。音楽はさすがに有名ですので聞いたことはありました。行進曲の部分は小学校でよく演奏されるので懐かしささえ覚えました。
ビデオで事前学習はしたけど、当日もまた舞台の両サイドに字幕が掛かっていたのでよくわかりました。

ビデオと違い、生の舞台は本当に素晴らしい。オペラ歌手って凄い。どこからあんな声が出るのか。舞台装置はプラハで直接上演されたものとは違って簡略化されていたので少々がっかり。
オーケストラも少人数だったし、地方公演は仕方がないことでしょうね。比較しては悪いが、ケルビーノの歌や配役などはビデオの方がよかった。
歌劇の内容は今も昔も変わりない男のエゴが中心。最後の場面は和解の大合唱。ハッピーエンドで良かった。
夫はこのフイガロは幾度となく見て、聞いているので手に取るようにわかっているので、見方も私とは雲泥の差があります。オペラだから高級というイメージがあるので、ズボンではなくスカートをはいていったのですが、田舎ですのでそんなに高級感はありませんでした。
プラハは「モーツアルトの町」と言われているそうです。モーツアルトの天才をいち早く見つけたのがプラハと言うことです。そのプラハ国立劇場のオペラが来日。なぜ伊那市だったのか?。私も天才モーツアルトが少し好きになりました。

このオペラが今日を迎えるまでには次のような「ああ勘違い」がありました。
勘違いと言うより思いこみは恐ろしいものです。オペラ「フイガロの結婚」が伊那市に来ると言うことが新聞に出てからすぐに申し込みました。
以前からオペラを劇場で生で見てみたいと思っていたので夫は快くOKしてくれました。夫はクラシック音楽が好きで中でもモーツアルトが好きで何でも良く知っています。
私がオペラなんて見たいというのがおかしいかも知れないが、有名な「フイガロ」ですので場所はちょっと遠いが申し込んだのです。
伊那市は遠いので2時に申し込んだように思いこんでいたのでした。よーく考えるとこんなオペラが2回公演になるわけはないしおかしいことですが、切符が送られてきても切符だけを確認して時間帯はチェックしませんでした。
公演日が近くなっても新聞紙上でまだ宣伝して切符を販売しているので、夫が「まだ販売しているよ」と「開演5時だよ」といいます。私も「うちは2時だよ」、「じゃ2回公演かね」など会話をしていました。
ところがて切符をみるとなんと開場4時半、5時開演とありました。本当にびっくりしました
。土曜日は夫は仕事、どうしよう。2時でも仕事が間に合う訳ではないのにね。夫は事前に講義を振り替えて当日は休みにしてあったのでほっとしました。
何事もしっかり確認することが必要だと今また思い知らされました。



  1月6日(日) 晴れ     静かになりました。

気温は低いが綺麗に晴れています。夜母親が来て孫はやっと一安心。親の方が寂しかったと子離れ出来ないてないようでした。情けないね。
娘は疲れたらしく、今朝は遅くまで二人で寝ていました。朝食しながら親が留守の間の出来事を一生懸命話していました。もう気持ちは富山に行っているようで帰りたそうに しています。まあ道中雪でも降っている心配もあるから早めに帰るように進めました。
昼食は外で食べて来て3時過ぎに帰って行きました。猫のハルちゃんは布団の上で寝ていたのでバイバイと言ってなでていても知らん顔で逃げもしません。慣れた頃にはいつも帰って行くから。
ハルちゃんは今日は天気が良かったので鳥を捕ってきて食べていました。娘たちは初めて子の様子を見たのでびっくりしていました。
帰りは案の定小谷の方は雪がひどかったらしく大変だったようですが、家に着いた途端、いつもの白玖斗になったと言っていました。我が儘は言っていても彼は彼なりに気を遣っていたのかな。
こちらもやれやれ。毎度の事ながら孫は来ても良し、帰ってまた良しです。



  1月5日(土) 晴れ       孫にお付き合い

息子たちは昼過ぎに帰って行き、白玖斗も栃木に行きたそうにしていましたが、遠くて簡単には迎えに行けないことを説明するとやっとおとなしくなりました。バイバイして見送りました。
白玖斗は夜には母親が迎えに来ることになっているのでもう泣くことはなくなりました。二日目の夜も泣かずに頑張れました。
息子たちが帰った後は書き初めの練習をしました。一年生は硬筆ですのでクレヨンで練習しました。じいちゃんがお手本を書いて練習。上手にかけるようになりました。
あとDVDを見たり夕方が待ち遠しいようです。少し行った所に犬がいて、いつも家の周りを散歩するので前来た時に白玖斗と仲良しになりました。犬に会いに行きたいと言うので散歩がてら行ってきました。早かったら散歩に行きたかったのですが、夕方だったので遊ぶだけにしました。それでも満足したようでした。
娘は仕事が終わってから来るので9時過ぎになると連絡が入ったので、それまで大好きなお寿司を食べに行って時間を待ちました。お寿司が好きだと言って沢山食べるのでびっくりしました。富山ほどは美味しくないにしても、このお寿司屋さんもまあまあ新鮮なネタを使っているのでそれなりに美味しいお寿司でした。
白玖斗は富山でもよく連れて行ってもらうらしくコンピューター注文の仕方もよく知っていて、自分でさび抜きなどと指定して注文していました。最後にデザートはあるかなと言って調べて「高いからいいわ」と言うので笑ってしまいました。食べてもいいよと言ったら「もうおなかいっぱい」といって辞めました。大人と同じくらい食べたのではないか。
夕方息子から「混雑がなかったので早く着いたよ」という連絡が入りほっとしました。娘も気がはやるあまり事故にでも遭わないか着くまでは心配になります。



  1月4日(金) 雪のち晴れ      みんなでボーリング

昨夜初めて親元を離れた白玖斗、寝るまでは元気よくゲームをして遊んでいたのですが、やっぱり親を思い出したらしく泣き始めました。慰めても聞きません。強がっていてもやっぱりアマちゃん、一緒に寝ていたゆなが「どうして泣いてるの?」と不思議そうでした。なんとかあやして寝かせました。その後は朝まで寝たようです。土曜日には迎えに来ると言って納得させてからは元気になりました。
朝になったらまたケロリ。今日はみんなでまた穂高の温泉に。いつも同じ所に行くので「どうして同じ所だけに行くの?」「違うところにしようよ」とうるさい。口だけは本当に達者です。他の温泉はまた今度にしようと言って説得しました。
温泉の後はみんなの大好きなお蕎麦を食べに行きました。隣村の道の駅は村おこしのためにいろんなものを村で作って食堂で提供しているのです。お蕎麦は美味しいと有名ですので、前はすぐに売り切れになってたが、最近はすこし多く打っているようで午後行ってもあります。
いつも客は多いけど今日は正月だから特別に混雑していました。

白玖斗は以前からよくここでも書いているように、ボーリング大好き人間です。早速ボーリングに行きたいというので一旦帰宅してから行ってきました。混雑しているのではないかと心配して行ったのですが、比較的空いていてすぐに出来ました。
息子は一球投げたら肩を押さえて「痛い、痛い」と言うので脱臼でもしたのかとびっくりしました。どうも前から痛かったらしく「四十肩?」か。それで中止しました。ゆなは経験がないのでやりません。
白玖斗は私の分、自分の分、息子の分を全部一人で投げていました。まだ片手でボールを持てないので両手投げです。ガターレスを上げてもらって投げたのですが、半分はガターにならずに行ってスペアを取ったり、ストライクになったり前よりは確かに上達しているようでした。
少しアドバイスをしようと言葉をかけると「あそこに投げないとだめなが」と言って頑固に言うことを聞かない。まあいいか、今は楽しんで投げていればいい。3年生くらいになってボールが片手で持てるようになってからしっかり教えればいいかも。
松本城山のボーリング場では毎週孫を連れてプロのレッスンに来ている友人たちがいます。うちも近くに居ればと羨ましくなります。
ボーリングのジュニアの人口は少ないので、興味関心のある子ならしっかり練習すれば国体選手になれるのです。大きくなるに連れて興味は変わるかもしれませんが、池田に来たときだけ出来るだけ連れて行きたいなと思っています。婆馬鹿だね。







  1月3日(木) 晴れ       孫のランドセル購入

娘は忙しくて正月にはこちらに来られないときもたまにはありますが、来たときは必ず3日には急いで帰ります。夕方から職場の打ち合わせがあるとのことです。
朝食後に帰り支度をしていると、「白玖斗はこちらに残ると言っている。本気のようだ」と父親がいうので、孫に聞いてみると「ハイ」という。どうもゆながいるので帰りたくないという感じでした。
結局、お父さんやお母さん、姉ちゃんを人ごとみたいにバイバイして見送りました。さよならしてからまた何もなかったように遊んでいました。大丈夫かなと心配になったけど、息子たちもいることだから様子を見ることにしました。
夫は今日から仕事です。受験生には正月もありませんね。

今日は午後からは始まると言うので、夫を送り出してから私たちも出かけました。ゆなが一年生になるのでランドセルを買いに行きました。白玖斗は先輩だから自分のランドセルのメーカーの名前を言って宣伝しています。
店には大きく分けて2種類のメーカーの品物が沢山並んでいます。やっぱりランドセルを買いに来た人も大勢いて賑わっています。私は早いほうかなと思っていたのですが、12月頃から買っていた人が多数あったと言います。
多くの場合、ランドセルは祖父母が買い与えるのが当たり前みたいになっているようで、年寄りは気が早いのですね。ゆなのお友達も多くが買っていたとのこと。なんとも早いですね。
昨年は白玖斗のランドセルはあちらのじいちゃん、ばあちゃんが買っていたので、私はその辺の状況がよくわかっていませんでした。今年は息子の嫁さんの親御さんは亡くなったので私たちがプレゼントしなくてはならないのではと思い、その気になって初めてテレビの宣伝を関心を持ってみるようになりました。
実際に店では多くが売り切れていて「現品限り」という札が貼っているのが目立ちました。遅かった事を実感しました。それでも今買い物に来ている人も多いけど、品切れで取り寄せになる場合があるようです。
私たちはゆなが気に入った色があったので購入してきました。結構な値段ですね。まあ6年間も使うのでしっかりしたものを買った方がいいですね。
最近はA4サイズが入るようになっているので今までのランドセルよりも1センチ以上も大きくなっているのです。昨年白玖斗のランドセルは購入出来なかったのでせめてランドセルカバーを縫って上げようと思って、その前の年に入学した友人の孫のサイズに合わせて縫ったところサイズが合いませんでした。姉ちゃんのものにはぴったりでしたが、本当に残念な思いをしました。今年はサービスにカバーが付いていたので縫わなくてもいいようです。





  1月2日(水) 曇り        久しぶりに再会

天気は曇りですが、雪が降っていないのでまあいい正月です。今年は日は多少ずれるものの全員集まるので楽しみです。
娘たちは昨日の夕方から来ていて、もうすでに賑やかになっています。下の孫、白玖斗がよく喋るにも喋るにも・・・絶え間なく喋っています。息子たちは今日来るのでいったいどうなるのか。二人だけの静かな生活が一転します。

夕方みんなが集まるまで娘たちと穂高の温泉に行ってきました。お昼近くでしたがまだ誰もいなくて大きな浴槽が貸し切り状態、白玖斗は泳いだりして大満足でした。
「おじいちゃん〜」と呼んだら「男湯も一人だよ」と言ってました。私たちが出る頃からお客さんが入ってきました。貸し切りでよかったね〜。
そうこうしているうちに夕方息子たちが来ました。白玖斗とゆなは従兄弟同士で同じ年生まれですが、白玖斗は早生まれですので今一年生、ゆなは今年から一年生になります。久しぶりに会うのでゲーム機を持って二人とも大はしゃぎです。
夕食は外食。若い人はおせち料理をあまり食べないので外食を喜びます。
今年は中華料理。近くに店が出来たのでそこにしました。満員混雑を警戒して一応予約をしてから行ったので待たずに食べられました。大勢だと注文も山のようです。でもみんなぺろりとたいらげ、店の人も喜んだでしょう。
孫たちははしゃぎまわり(正月気分とはこのことか)遅くまでなかなか寝ようとしません。正月だから仕方がないね。



  1月1日(火) 晴れのち曇り          池田で8回目の正月

2013年の幕開け、元旦です。道ばたには雪がまだ残っていますが、晴れて穏やかな正月です。
「一年の計は元旦にあり」なんていいますが、みんな何を計画するのでしょうね。ちなみに自分もそれなりに決心したことがあります。まあゆっくり記します。

今年は巳年、富山の孫の璃乃ちゃんが6年生、初の年女です。早生まれですので今年中学生になります。
子供たちは着くのが夕方。朝は夫婦だけの静かな正月になりました。お雑煮と煮物は夫が作るのが恒例になっています。朝はお雑煮と簡単なおせちだけの食事になりました。
今までは忙しさに紛れて元旦に年賀状を書いていましたが、今年は少し早く昨年内には書くことが出来ました。
毎年新年手始めにやることは「クロスワードパズル」に挑戦です。各新聞、いろんなところから来る雑誌などには必ずクイズがあります。
今までは赤旗投稿をさぼっていましたが、今年から気を取りなおして新年から投稿開始、早速出しました。あまり当たりませんが、クイズの余白に書いた文章が「聞いて聞いて」欄に載ることがあるのでそれが楽しみの一つです。

新年のテレビは相変わらずバラエティ番組が多いのですが、笑いも健康の要素の一つ、まあいいでしょう。
番組の中で長寿者への取材がありました。元気で長生きしている兄弟姉妹がいましたが、楽しみですね。
長寿と言えば先日来から話題になって言る京都の115才の男性。ギネスの最高齢になったとか。惚けてもいないし、健康そのもの。ああいう人は研究の対象になるのですね。「しんぶん赤旗」を毎日隅々まで読んでいると紹介されていましたが、それで惚けないのか?見習らわなくてはいけませんね。私も今年の目標に一つに挙げます。
でも「今年こそは」と言ってもかなった試しはないのですが、多機能の体重計を購入したので健康管理、特に「体重管理」を重視したいと思っています・・・。

夕方から娘一家が来て賑やかな夕食になりました。下の白玖ちゃんは一年生の二学期が終わり、学校生活にも慣れたのはいいとして、忘れ物が多く先生によく怒られているとか。落ち着きがないのか、おちょこちょいなのか。園児に毛が生えたような感じですので仕方がありませんよね。









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