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  2月27日(水) 晴れ       沖縄の話

何処でどんな人に巡り会うかわかりませんね。出会いというのは本当に不思議なものです。発端はシニア大学、意見発表の時「戦後の沖縄」という題で自分の小さいときの話をしたことがあります。ほんの10分ですので十分な話は出来なかったけど、地上戦の生々しさだけは伝わったようでした。
そのことはすっかり忘れていたのですが、先日同じシニア大の方から電話があり「えっ」とびっくり。彼女は市民劇場でもよく知っていたので何を言うかと思ったら、地域活動をしている婦人団体(10人位)の例会で沖縄の話を聞こうという企画をしたというのです。それでこの前みたいな話をしてくれないかと。顔から火が出るほど恥ずかしかったのですが、10人くらいだったらと引き受けました。
大町の市役所別館は雪がどっさり。知っている人が何人かいました。沖縄の戦争の写真集や高校生向けの歴史などの資料を持って出かけました。
年齢層は私よりも年上の方も何人かいて、戦争を経験していました。沖縄旅行を経験した方は二人。大きな沖縄地図を用意すれば良かったのですが、頭になくて大失敗。資料の裏表紙にある地図を白板に示しそこから話をしました。時間が十分あったので、ゆっくり話すことが出来、大町の戦争の様子なども交えながら話すことが出来ました。
沖縄の情報としては知っている方が何人もいて質問が出たのもよかった。「大変だったんですね」「初めて聞く事ばかり」などの感想が出たのですが、貴重な時間をあんなことで良かったのかと自問自答。穴があったら入りたいくらいでした。
最後に現代の基地問題などにも触れて、基地問題は沖縄だけの問題ではないということ、沖縄旅行の際は観光地だけでなく、戦争跡地を是非回ってほしいと強調しました。少しは沖縄の現状がわかってもらえたでしょうか。



  2月20日(水) 晴れ      食改役員慰労会

インフルエンザに罹患して月曜日までの外出禁止を破って日曜日に東京へ行ったので、ちょっと後ろめたい気持ちはあったけど、月曜日は大北の食改の理事会があり、これも休むわけには行かなかったので行ってきました。
大町は雪だったので暖かくして出かけました。次期会長の選出問題があり、終了時間が予定より大幅に遅れてたので気が気でなりませんでした。病気のことを言うわけにもいかず困って少し早めに帰してもらいました。
次の日も大切な予定があったのですが、ひどくなると困るので全部キャンセルして一日安静にしていました。お陰で気分も良くなったので、今日の池田町の食改役員慰労会には最後だからと言うことで参加することにしました。
安曇野市の宿泊所での日帰り宴会でした。温泉ですので帰り際に暖まって帰りました。
ここでも池田の会長が決まらず、副会長をしている私が責められました。副会長で、大北の理事もしているし適任と言えば適任です。上に忠実な人なら誰でも会長は出来る。しかし私はそんなことはどうしても出来ないので、母の介護があるので田舎に帰らなければ行けないと理由を述べて断りました。
出来たら私を会長にはさせたくない人もいるので無理には押してこなかったので助かりました。自分がなって改善すれば問題はないのですが、大御所が控えているのでそう簡単にはいきません。池田町の食改は今後どうなるのでしょうと少々不安になったけど、暫くは現状維持でしょうね。



  2月18日(月)雪〜19日(火)晴れ       年金者組合北信越ブロック交流集会

年金者組合の北信越交流集会が松代であり参加しました。今年は長野が担当だから多く参加してほしいと大北から9人が参加しました。5人は宿泊、4人は日帰りです。それでも沢山参加したと喜んでいました。
私の参加動機は単純、松代で集会があると言うことは終了後に大本営の豪の見学があるに違いない、と読んだのです。年金者組合のことは今どんなことが問題になっているはあまりつかんでいなかったので、申し訳なく思っています。

初日の午後からの開会セレモニーは昼食後ということもあり少々眠気がさして立命館社会学部の講師の話もよく聞いていませんでした。
分散会に入ってから各県の交流が始まってから納得。いろんな問題点が浮上してきました。年金が10月から1%、3年間で2.5%削減される。運動の中心は年金の流れを止めようと言うことです。
私の分科会には大北の書記長をしているという方が一緒だったので大北でも自治体交渉をしているという。役員だけで下部まで運動が浸透していないことがよくわかりました。
年金者組合から来る新聞は支部のだけは良く読むのですが、県や中央の新聞はあまりしっかり読まないのでこれは反省します。新聞などを良く読み、自分から問題点を把握して提起するべきですね。
今、何処でも女性部を作るようにというのが中央からの指示のようです。各県女性部の活動が報告されるのを聞いていると少々疑問を感じました。女性部活動が盛んですねと言う支部の活動は女性だけがするべき問題ではないので男性の苦手な面を女性に押しつけているように感じました。
大北支部は3年前くらいから女性部を作ってはいるが独自の活動はしていません。常に男性と一緒にやっているのでその方がいいのではないかと思いました。「何のために女性部を作るか」そして「どんなことをするか」もっと真剣に考える必要があります。

分散会は二日目の午前中も行われましたが、富山は中央と歴史が同じとかで進んでいるようです
。この交流集会はあることさえ知らなかったので勿論初めての参加です。夜の食事も特徴がありびっくり。各県から美味しいお酒を2本ずつ持ち寄ることが恒例になっているそうです。ホテルからは食事とビールと焼酎くらい。お陰でいろんな県のお酒を味見させてもらいましたが、どれが美味しいかわかりませんでした。
隣の席の人は富山の立山が美味しいと何倍もお変わりをして飲んでいました。ちょっと変わっていて楽しいね。これは毎年参加してもいいですね。

集会終了後は大本営の壕の見学がありました。しかし参加者は少なく、大北の人と後は他県の人が4〜5人くらい。長野支部のガイドの方が一生懸命案内して下さいました。
びっくりしたのは8千メートルもある巨大壕ですが、完成しないうちに戦争はおわり、県はこのことを隠していて、長い間放置状態になっていたのだそうです。
大きく取り上げられるようになったのは、沖縄に修学旅行に行った高校生が自分の近くにも棒があると知り、それを詳しく調べたことからテレビでも大きく取り上げられたそうです。最近は高校生を中心に見学者が多くなっていて、私たちの他にも一般の見学者がありました。
沖縄の壕とは違い、広くて明るく乾燥しているので壕というイメージはありませんでした。また近くに天皇家族が避難してくる半地下壕があり、こちらは畳が敷いてあって綺麗になっていました。
戦争がひどくなると深く掘った壕に避難できるようになっているのでこれも驚きでした。本土決戦はなかったので天皇家がこちらに避難してくることはなかったと言うことです。お陰で象徴となり今はぬくぬくと生活していらっしゃる。









  2月17日(日) 晴れ        久々にサザンシアターに

13日にインフルエンザに罹患し家で安静にしていました。5日間の外出禁止でいろんな予定をキャンセルしました。しかし困ったのは今日の東京行きでした。東京行きがダメになると大変だからしっかり安静にしていました。
富山の友人と演劇を見に行くための準備がしてあって、切符が無駄になるのがもったいないから、どうしても今日までには治しておきたかったからです。
外出禁止だったが熱も下がったのできちんと薬を飲み出かけることにしました。厚いマスクをかけて。出来るだけぎりぎりに東京に着く列車に変更し、出来るだけ寝ていきました。
着いてから昼食を取る時間がないので、列車の中でおにぎりで済ませました。そんなにしてまで行かなくてもいいのにと思いながらも、ひどくならずに少々余裕をもって到着して良かったと思いました。

富山の友人とも会場で待ち合わせ。1時半会場でそれまでは静かだった会場もあっという間に満員になりびっくりしました。
今日の芝居は劇団民芸の「真夜中の太陽」です。主演は日色ともえさんと入団2〜3年の若い劇団員です。
太平洋戦争末期、ミッション系の女学生が音楽室で空襲に遭い、防空壕に避難しようとするのですが、「防空壕に入っちゃダメ」と叫ぶ女学生がいました。よく見るとおばあちゃんでした。彼女は楽譜を取りに音楽室に戻ったため一人助かったのです。防空壕の中で亡くなった友達を助けようと70年近い歳月を経てふたたびあの日に還ってきたのでした。
女学生としての楽しい学生生活からやがて、最後に老女と女学生の会話になります。「歳を取るってどんな気持ち」「旦那さんどんな人」「幸せだった?」などと質問攻めに会います。恨み辛みを言うのではなく「私たちの分まで生きてくれてありがとう」との会話に涙が止まりませんでした。
状況は違っても若くして散ったのはひめゆり部隊の女学生たちと同じ。どんなにか無念だったことかと。戦争と言うのを改めて考えさせられる芝居でした。
若い劇団員は、戦争の時代はどんな生活をしていたか、聞き取りをしながら疑似体験をしたという。暗い時代のことですが、そんなに悲壮感はなく明るく描かれていたので良かった。多くの人に見てもらいたい。

劇場の近くで沖縄の居酒屋を見つけたので二人で入りました。沖縄料理の一品が沢山あり、ついつい注文してしまいました。泡盛りもカクテルにすると美味しい。飲み過ぎない程度に飲み、食べて久々の楽しい時間でした。
今度の例会は5月かな、再開を誓って友人と別れました。今日の演劇は大町の市民劇場の会場の文化会館は少々大きいけど上演されればいいなと願っています。



  2月13(水)晴れ〜14日(木) 晴れ      折角の温泉も入られず

今日はシニア大学の卒業式。終了後大町温泉郷で一泊懇親会です。一年生も終了式で出校します。
積雪が凄いために駐車場の混雑が予想されるので夫に送ってもらって正解でした。うちの班で穂高の人が集合時間が過ぎてもなかなか来ないのでやきもきしていたら、やっぱり駐車場で遅れたとのこと。大事な時、特に雪の日は早めに来るに限ります。
その人はなんとかぎりぎりに間に合って、いよいよ卒業生の入場です。昨日から咳が出てひどくなり、式の間心配されたが5回位ですんで良かった。他にも風邪を引いている人がいたので一人だけ目立つのだけはさけられた。
式辞があり、来賓挨拶・答辞・送辞など一連の儀式が終わり、賞状授与があり班の代表がもらいました。
終了後各自に賞状が配布されました。2年間あんまり楽しくもない授業でしたが、無遅刻、無欠席で通学しました。病気で入院して卒業が出来なかった人もいたので、卒業出来ただけで感無量でした。
2年間スポーツやクラブ活動などは楽しく出来たので、特に班の絆は強く、お別れとなるとやっぱり寂しいの一言でした。
班の一人は卒業の1週間前に手術をして卒業式だけはなんとか参加できたが、懇親会は欠席でした。いろんな事が起きるのが「シニア大学」です。
無事に卒業をして温泉郷についた頃から体がだるくなり、フロントで体温計を借りて熱をはかったらなんと38度5分の発熱です。普段熱が出ない自分にしては高い熱。宴会も食欲がなく少しだけ食べて部屋に早めに帰り休みました。
布団を敷きに来た仲居さんが「フロントに水枕がありますよ」と教えてくれたのでお借りして朝まで上からはタオルで冷やしました。薬も持っていないので冷やすしかなかったのです。同僚の中に温泉郷の近くの人がいたので薬をお願いしようかと思ったのですが、皆さんに心配かけてはいけないと黙って寝ていました。
仲居さんが責任者に話をしたとかでみんな知っていました。朝になったら皆さん心配して下さいましたが少し下がっていたので朝食は食べられました。大事にならなくて本当に良かった。
みんなより少し早めにチェックアウトをしてそのままま病院へ直行。穂高の人に送ってもらいました。
検査の結果、なんと「A型のインフルエンザ」とのこと。びっくりです。インフルエンザ症状にしては、熱もそれ以上高くならないし、節々も痛くない。おかしいと思ったけどウイルスが出たというのでしたかがなく処方された薬を服用しました。
5日間は外出禁止で、タミフルはきちんと飲み切りる事という指示がでました。とんだ卒業式でした。
写真は仲間たちと。









  2月10(日) 晴れ      年々賑やかになります

こんな冬本番の季節になんと沖縄では「ひまわり祭り」。赤旗新聞で紹介されていました。今年で5回目らしいのですが、私が知ったのは3年前くらいです。
桜(種類は違うが)もそうですが、なんと1月が桜祭り、そして2月がひまわり祭り。今の季節は沖縄でも寒い時です。と言っても15度になったら北海道並みの寒さという表現、今は平均17度〜18度くらいかな。
2月でも20度を越すときがあります。こんな時期にひまわりが咲くのですね。是非一度この時期に帰りた〜いと思っています。

積雪が多い大町のゆ〜ぷるで大北友の会の新年会がありました。池田町も何回か余興練習をしたのでいよいよ本番です。
午前中は医療講演。今年は協立病院栄養科の栄養士さんの話がありました。
この新年会は人気があり、毎年120人くらいの参加者で賑わいます。今年も121人。施設側の準備の時間中に皆さん入浴を済ませ、いよいよ待っていた宴会です。出し物が沢山あるので、宴会と同時に余興も開始されました。
昨年までは池田の出し物がメインで後は歌程度のものでしたが、今年はなんとびっくりするほどの量でした。松川も、池田には負けられないと対抗心を燃やし、歌や踊り、そして寸劇の発表でした。(写真のフラダンスが松川)


池田は練習より少々ゆっくりしようと言うことで、ナレーションもゆっくりと読みました。今年は民話劇だったので、そんなに笑いは取れませんでしたが、観音様が出てきたときはすご〜い拍手でした。
後は診療所までが劇を披露、中身はあの有名な「愛染かつら」。


後はカラオケ、好きな人にはこれがないと寂しいのでしょうね。お陰でバランスボールのインストラクターでやる予定になっていたダンスは時間がなく中止になりました。
楽しさが増せば増すほどお酒の量も増えて、どんどん追加注文をしているので、会計を担当している私にとっては気が気でなりませんでした。少々赤字になりましたが、年に一度の楽しみにしている人もいるのでまあいいかなと。しかし赤字も補填は診療所がしてくれるのでしょうか。









  2月8日(金) 曇り        フラフープ購入

昨日は「健康友の会」の余興の最終練習がありました。準備万端、それぞれ小道具や衣装など用意して本番の並の練習をしました。
犬役のOさんはすっぽり犬の面で犬になりきっていました。ナレーションをする自分も皆さんと同じ下女の格好をすることにして衣装を借りてきました。後は当日を待つだけです。

このごろ夫と一緒に雨の日以外は散歩を続けています。家ではテレビの合間にバランスボールも欠かさずやって筋力をつけるように頑張っています。いつまで続くかわかりませんが。右手の痛みはツボ押しの店に行って指圧をしてもらっていくらか良くなりました。
暫くボーリングを休んでいましたが、明日はクラブの新年会を兼ねた大会です。回復具合が試されるときですが、頑張ってみたいです。

穂高へ用事に行った帰りにスポーツ店に立ち寄り「フラフープ」を買ってきました。テレビの運動番組でやっているのを見て懐かしくなり購入してきました。腰回りが少しは細くなることを願って。
今のフラフープは丸いままの販売はしてなくて、店を回っても見つからずに店員さんに聞いたら、何処へでも持ち運びが出来るようにとのことでバラバラ状態になって箱に入っていました。はめ込んで輪にして使うのです。へ〜時代と友の何でも変わるものだな。
プラスチックではなくゴムになっているので少々重たい。昔のものと全く違うので使いづらいです。やってみると全くダメ。これから練習しますがつかえるようになるのでしょうか。



  2月6日(水) 雪         寂しいねと口々に

また雪になりました。最近の雪は南型のようで大町よりも南の方がよく降っているようです。
東京でも大雪の予想があり車もチェーンを巻いて準備をしていたようですが、大したことなく外している様子が移っていました。それもJAFの人が来ていました。都会ではそうなのでしょうね。

今日はいよいよシニア大学の講義最終日です。駐車場の積雪はまだ多く、完全には開けていないので超満員。なんとか滑り込んで止められました。
最終日の今日は意見発表です。一年生の時にもこの時間があったので、すでに半数はすんでいます。残りの半数の人たちが本日の発表になったので、終わったものたちは聞くだけで気楽でした。
発表する人たちは「緊張で心臓がどきどき、食事も喉を通らなかった」と緊張気味でした。
発表内容を聞いていると昨年の方が良かったように感じました。普通は後でやる方がいいに決まっているのですが、今年は紙に書いてそれを読むだけという人がほとんどでした。
主に自分の生きてきた道、家族のこと、シニア大学に入学して等々の内容でした。年齢がほとんど同じ世代、戦後を生きた人たちですから物不足は何処でも同じでした。
予定時間よりも早めに終わることができたので卒業式に歌う「信濃の国」と「蛍の光」の練習をしました。来週は卒業式です。式ですから普段着よりはいい服にしてほしいと事務局から一言がありました。いい服なんてない、何を着て行こうかな。
卒業文集も出来上がり、みんなの手に渡りました。昨年の文集が分厚く、金額も高くなったので1年生(私たち)まで半強制で購入させられました。
それで今年は自分たちの手作りで作ろうと言うことになり半年前くらいから準備が始まりました。編集委員が集まり、ケンケンガクガク、何回か討論しました。「本当に出来るのか」「一部の人に負担が掛かるのでは」などなどありましたがやることに決定しました。
業者は大阪、責任者が大阪出身だから「ネットで調べました」と。何回か編集委員も集まりましたが、私たちは思ったより大変ではなく終わりました。
原稿も期限通り集まりみんなの協力のお陰でもありました。表紙の題字もMさんの字にきまり、文字通りの手作りになりました。1冊の値段も昨年の約半額くらいに収まりました。まさに「案ずるよりも産むが易し」でした。

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  2月4日(月) 雨            バック完成

今日は立春、暦の上では春です。しかし寒さはまだまだ続くようです。道ばたの雪が大分溶けてなくなったのでなんだか春になったように見えます。
昨日は夫が今までは雪に中に埋まっていたほうれん草を取って料理を作ってくれました。知人からは大根を掘ってきたといっていただきました。富山でしたら雪の中の野菜は甘くて美味しいのですが、このあたりは凍みるので少々味が違います。でも美味しかった。

土日と池田の飴市が開催されていたようですが、夫に言われるまで気がつかず,行けなくて残念でした。最近は客足も少なくなって、2年ほど前に行ったときは閑散としていました。今年はサツマイモも売っていたらしく、知人が買ってきてくれました。美味しい芋でした。
散髪にでかけたついでに飴市に寄った夫が椎茸を買ってきてくれて、これも肉厚で焼いて食べたら美味しかった。このようなものまで販売するようになったのですね。だるまや飴だけでなく、いろんなものを販売してお客で賑わうといいですね。

2月になって袋もの作りをしていました。シニア大学もあと2回行くだけで終わりです。2年間もあっという間でした。
班の皆さんにはいろいろお世話になったので、せめてものお礼にとバック作りをしていました。今日は最終仕上げアイロンをかけておしまい。
バックなんてみんな沢山持っているので喜ばれるかどうかわかりませんが6日には持って行きます。


私は何でも「ながら族」です。ドラマを録画して見る時間がないので仕事をしながら見るのです。ですからミシンを使っていても見ながら、聞きながらしました。洋画の字幕だけはそうは行きませんが。
夫はドラマを見るのはあまり好きではないので、ちくりと嫌みを言われますが、好きなものは好きと勝手にしています。本当は夫のように本を読めばいいのですが、活字を見ると睡眠薬になってしまいます。困ったものだ。
毎週月曜日放送の「ビブリア古書堂の事件手帳」と言う番組があるのですが、本大好きな若い女性が古本屋をやっていて、何でもよく知っている。その本の内容からいろんな推理をして問題を解決していくという内容。主人公が本好きで,その豊富な知識が夫も気に入ったようで一緒に見ています。
夫がテレビを見るのは週に一つか二つくらいです。夫もそうですが、本を早く読む人は尊敬してしまう。私は一冊を読むのに何日も掛かってしまうが、その代わり読み終わったときには感動です。たまには斜め読みをする場合もありますが、うっかりするとわからなくなり、また逆戻りして読む場合もあります。
ちなみに今は新聞の小説4つは欠かさず読んでいます。時代劇なんか面白くてテレビで放送してほしいなと言うものもあります。



  2月3日(日) 曇り          もう2月

毎年毎年、2月は逃げると言ってあっという間に終わってしまう月だからと意識しますが、今年はなんだか2月に入ってもぼっとしても節分、立春といった一連の行事をすっかり忘れていました。
テレビで豆まきを見て、節分だったと思い出しました。それで家にある豆を煎って食べました。ちなみに豆まきはしませんでした。
2〜3週間前くらいから右手のだる病みがあり、ボーリングの際うまく投げられずに落ち込んでいたのが原因だったような気がします。一日の月例会も悪かったのでもうダメ押しをされたようでした。
くよくよしても仕方がないのにまた悪い癖がでました。富山の友人は今4カ所の手術を余儀なくされてそれでも頑張っているのにこんな小さい事で悩んでいるのもおかしいね。

午後からは近くの病院に入院中の友人二人のお見舞いに行ってきました。一人は当初日赤に入院していたのでしたが、主治医が安曇病院ですから転院してきたそうです。同じ病院でよかった
。入院するからにはそれなりの理由があります。一人は腸の手術をして寝たきりでした。
もう一人は一人暮らし。体調が悪くなり2〜3日動けなかったとか。3日目に近所の方が訪ねてきて救急車で運ばれたのだそうです。もう少し遅かったら死んでいたとか。命拾いをしたと言ってました。退院したら緊急時対応の装置をつけるそうです。
うちも今は二人でいますがどちらかが一人になったら考えなくてはいけないなと考えさせれました。二人とも外出していたため、散歩が遅くなりました。夫の誕生日以来続いています。夜は少々寒いけど先日のような寒さではなくてよかった。星座を教えてもらいながら結構楽しいです。
東京のNさんからお礼にとガーデン棚が送られてきました。ありがとうございます。暖かくなったら早速組み立てなくては。
明日は立春、暦だけでなく早く春にならないかな。







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