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  2月16日(木) 晴     年金者組合の誕生会
年金者組合の誕生会の日です。そう大人の、それも”じじ、ばば”の誕生会。
びっくりの人もいると思います。会員から誕生会をやってほしいとの要望があり、今年度から初めて取り組んだ行事です。3ヶ月分まとめてやっているので、第一回は昨年の11月。
初回の時は今更という人と、この年になって祝ってもらえるなんて嬉しいという人がいたそうです。今日は2回目で池田が担当です。該当者は12月、1月、2月生まれの人で、担当の地域に大北の人が集まるという仕組み。やはり33名もいる該当者の中で参加者はたったの11名。声をかけながらやっと集まってもらったのです。
私たち池田の役員は3人いますが、いろいろ用事があって実質動いたのは2名。食べ物やお花の注文、当日のお茶の準備など大変でした。ぬかりなくやったつもりでも当日になっていろいろ抜けていることが多く、迷惑をかけてしまいました。
でも一番心配していた天気が晴天になり、アルプスも本当に綺麗。会場を美しい展望の場所でやった甲斐がありました。皆さんも喜んで下さり何よりのプレゼントになったのではないかと自画自賛しています。


今日の招待状には「軽食、喫茶しながらギターを伴奏にみんなで歌を歌って楽しい一時を過ごしましょう」「プレゼントもあります」と書いて有りましたが、プレゼントはお花が一輪。お金のない団体は切ないね。
ギター伴奏もプロではなく、誕生者の一人である夫、浩さま。手当が出るわけでもないのにすみません。「暫く弾いていないので指がつるんだよ」といいながら後半の余興の部分は一人で仕切ってくれました(ありがとう)。
創造館のロビーで山が一望できる場所で飲んで食べて歌っての一時でしたが、みんな楽しんでくれたかどうか気になります。しかし懐かしい歌、歌に一所懸命歌っていました。特に年金者組合のテーマソングと言ってもいい「年金時代」(青春時代の替え歌)は皆さんとても喜んでいました。
終わったとホッとしましたが、後は欠席者にプレゼントの用意。これは知り合いがお花屋さんに勤めているので、安くて綺麗なお花が準備できそう。夫婦で該当になっている人もいるので、こっちの方がよかったなんて言わないでね。
誕生日は生んでくれた人に感謝する日とも言われています。この年になったら親がいない人が大半です。誕生日には親の事を思い出す一日にしたいですね。




ちょっと余談ですが、会場の館長の方が「僕は今日が誕生日」、父親の金正日と同じ誕生日だから面白くないと言って嘆いていました。北朝鮮の金正男が暗殺されたニュースで騒がしいとき。戦国時代と同じだね〜という話をしていました。
意見の合わない人を切り捨てる、日本も殺しはしないかもしれないが、似たような時代になるのでしょうか。誕生会をしていたら「共謀罪」でとらえられるかも。こわ〜い、恐ろしい時代になりました。



  2月9日(木) 雪 
久々の雪です。朝の時点では舞っている感じでしたが、午後から本格的な降り方になりました。明日までには積もるのかな。
雪のため用事も明日に延期しました。東京でも4回目の雪だそうです。また大型寒波が来ているようで週末にかけてドカ雪が降るそうです。東北の方は今でもどんどん降り続いている映像が出ていました。

テレビを見ていると腹が立つことばかり。東京豊洲問題では石原元都知事が「隠し立てや逃げ回ることは大嫌い、いい機会だから全部話しますよ」といいながらも副知事のせいにしたり。全くいい加減です。
宇都宮さんが言ってましたけど、これには罰則規定がないから嘘を言う可能性もあるという。百条委員会を設置して追及する必要があるとも言ってました。またいつものように時間切れでうやむやになるかも。

沖縄も6日から辺野古の工事が再開されています。翁長知事はアメリカに行って訴えてきています。いろんな手法をつかって阻止すると言っていますが、そんなことどこ吹く風という政府の対応で工事は強行されています。悲しくなります。

沖縄問題はいろんな劇団が芝居にして東京で公演しています。各劇団は全国の演劇鑑賞会にも招待状を出して見に来てもらい、その地の鑑賞団体に取り上げてほしいと訴えています。
先日は「命どぅ宝」という芝居を見てきたことを書きましたが、昨年11月には劇団東演の「琉球の風」という芝居も見てきました。
これは高江の問題や辺野古の問題を取り上げ、沖縄の反対派、賛成派、機動隊員、本土の無関心の人などいろんな立場の人を配役。立場立場からものをいうと言った芝居でした。
いろんな立場を超えて沖縄を守るにはどうすればいいのかと。これは沖縄の状況をよく知っている活動家と言われている本土の人の感じ方と、私のように沖縄出身の人の感じ方は全く違うと思いました。
初めから終わりまで涙を流している人はどれくらいいただろうか。心情に訴える芝居でした。こんな芝居が全国に回って多くの人に見てもらい、少しでも今の沖縄の現状を知ってもらいたいと切に願いました。

今度は方言の事。先日も沖縄の方言をいくつか紹介しましたが、またもう少し紹介したいと思います。
ご存じの方も多いとは思いますが、知事や国会議員が大勢の人前であいさつをする時、「はいさい ぐすうよう ちゅううがなびら」と言いますね。「みなさん、こんにちは」と言う意味ですが、今なぜいろんなところで方言で喋るのか。
沖縄では方言が消滅の危機にあるというので毎年9月18日(9(く)月10(とぅ)8(ば))を語呂あわせで島言葉の日に制定したそうです。同時に島言葉普及推進専門部会を立ち上げたそうです。
若い教師は方言指導が出来ないので、私たちの年代の人が学校に出向いて方言指導をしているそうです。私の田舎の路線バスではまだ車内放送はなかったのですが、車内アナウンスが流れるバスも出ているそうです。
NHKの朝ドラ「ちゃらさん」でおばあ役をしていた平良トミさんの声で流れているそうですよ。「うまりじま(生まれ故郷)くとぅば(言葉)わしぃねー(忘れたら)くにんわしぃん(故郷も忘れてしまう)ちかてぃいちゃびら(使いましょう)しまくとば(故郷の言葉を)」と。
考えてみたら私たちが小学生の頃「方言札」というのがあり、方言をつかったら首にかけられるというものでした。かけたりかけられたり繰り返しの日常でした。
米軍の統治下に置かれた敗戦後の沖縄、戦前からの皇民化教育を受け継ぐ形で教職員たちは児童、生徒への標準語励行を強行した経緯があります。
もちろん、この方言札は他の生徒への見せしめでした。中学生になった頃に方言札はなくなっていましたが、方言の矯正教育は復帰の頃まで続いてようです。今となっては無謀としかいえません。
このツケが回ってきたのでしょう。あれほど罰を与えてまで禁止しておきながら今や県民挙げて「しまくとば」を積極的に使いましょうと呼びかけいる。正に180度の大転換です。教育とは実に恐ろしい。わじ、わじー(腹が立つ事)することばかり。



  2月5日(日) 曇り     「命どう宝」
久しぶりに東京へ行ってきました。東京は雨という予報でしたが、ほんの少し降っただけ。寒いけど長野よりは暖かかった。
劇団文化座の75周年の記念公演第一弾、沖縄伊江島の土地闘争を描いた「命どう宝」という芝居を見に行ってきたのです。招待券が鑑賞会事務所にくるのでそれを利用して。
昨年、市民劇場の県の総会時、懇親会で隣に座っていた文化座の長野県出身の女優さんと意気投合して、2月の芝居は必ず見に行くと約束していたのです。
「命どう宝」という意味は、「命ほど尊い宝はない」という沖縄の方言です。東京の友人が調べたものを引用すると、沖縄には「黄金言葉」(くがにくとうば)と言うものがあります。それは親が子どもを戒めるために使う言葉であったり、人と人との関係、琉球という地域社会で培われた人生訓のようなものです。
「命どう宝」「いちゃりばちょうでー(行き会う人は皆兄弟)」「てぃんさぐぬ花やちみさちにすみてぃ、うやぬゆしぐとぅやちむにすみり(・・・・親の言うことは肝に銘じなさい)」などまだまだ沢山あります。 その代表が「命どう宝」です。

この芝居は戦争で土地を奪われた人たちの土地闘争の話です。伊江島とは本部町から船で30分位離れた離島ですが、戦後まもなく銃剣とブルトーザーで脅されて土地を奪われたそうです。
本島でもそんな場所は沢山あり、いたる所で土地闘争がありましたが、伊江島の運動が全島に火をつけたそうです。
時期は1950年〜1960年が中心。そこから1972年の祖国復帰運動へと繋がっていくのですが、運動が始まった頃、私は6歳くらい。少し大きくなる頃には運動が起きていることは知るようになるのですが、私が住む玉城村(現南城市)からは遠く離れているので人ごとみたいに関心もありませんでした。
しかし芝居の中では伊江島の「阿波根昌鴻」とか「P長亀次郎」とかが実名で出ており、本当に懐かしくなりました。
阿波根さんは当時はあまり知りませんでしたが、瀬長さんはうちの田舎でも有名でしたので知らない人はいませんでした。それから母校の高校の校長をしていた屋良朝苗先生も出てきたのでますますびっくり。
屋良先生は1968年沖縄発の公選主席に当選した方です。情報の少なかった田舎で生活している私には当時の運動の様子がよくわかりました。
復帰前だからあまり知られてない「由美子ちゃん事件」までも出てきて、子供だった自分の知らなかった事がこの芝居で知ったと言う部分も多々ありました。
沖縄では土地は先祖が守り育てた大事な贈り物として何よりも大事にされていました。その土地をアメリカに奪われた人たちの苦しみはわかるなんて簡単には言えません。

2年前に伊江島に行った折、阿波根さんが自分の土地を売った資金をもとに開いたヌチドゥタカラの家(反戦平和資料館)に行ってきました。当時の運動を思わせる沢山の資料が残っていました。今は一緒に運動を共に戦ってきた方が資料館の館長さんとして守っていました。
故人となった二人の反戦闘士、晩年は二人とも高齢と脳梗塞で闘病生活を余儀なくされて、同じ頃に旅だったと言うことです。
芝居の中で紹介されていた言葉をここでも紹介します。
「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ」(聖書)
「基地をもつ国は基地で亡び、核を持つ国は核で亡ぶ」(歴史)。
花は土を頼って咲くと言う意味をこめた歌も紹介します。これは、阿波根さんら農民が建てた団結小屋の外壁に書き記した阿波根さんの琉歌です。その意味は「基地に咲く花も、私たちの足元に咲く花も、土を頼って咲く。なんと美しいことか。たとえ貧しい家の庭であろうと、金持ちの家の庭であろうと、花は土を選ばない。その心根のなんと素晴らしいことか」というもの。

 アメリカぬ 花ん、真謝原ぬ 花ん
 土頼(たゆ)てぃ 咲(さ)ちゃる 花の清(ちゅ)らさ
 貧乏家(ひんすうや)ぬ 庭ん 金持(かにむち)ぬ 庭ん
 選(いら)ばずに 咲ちゅる 花ぬ 見事(みぐとぅ)


下は、伊江島団結道場と、命どぅ宝の家の内部(2015年7月)。










  2月4日(土) 晴れ      不安だらけの日々
今日はボーリングクラブの新年会が予定されていました、ここ2〜3年は他の行事と重なり参加してなかったので今年は例の行事がちょっとずれていたので参加できると楽しみにしていました。
ところが夫から「4日はバラの総会があるから」と言われ、え〜と。きっと何か一品作らなければいけないからだろうと。今日の土曜日は前から午後から介護保険の学習会の予定が入ってはいたが、ボーリングを優先させようと考えていたのです。迷ったけどボーリングの方を断念。金もかかることだしと。それとバラの方は夫が責任者になっているので少しは協力しないとね。

総会は他のいろんな総会よりも熱心な話し合いが行われました。景色のいい場所で綺麗な花を咲かせ、住民の憩いの場所にするために日頃からみんな頑張っているので、話にも当然熱が入っていました。
今年は人数が多かったので会場を福祉会館にしてあり、広い空間で伸び伸びと会議をすることができました。
総会の後は懇親会。注文した弁当とみんなが持ち寄った一品デザートでテーブルは賑わっていました。ちょうど沖縄の友達から今が旬の「タンカン」という種類のミカンが送られてきたのでちょっと味見をしてもらいました。みんなからの一品料理の紹介がなく、誰が作ったものかも知らないで食べていたので「おいしいね」という言葉もなくみんな黙々食べるだけ。ちょっと残念でした。作ってきた人は同じ事を思った人もいたかも知れません。
ものは言い様で夫がせっかく一生懸命作ったCD、「忙しいのによく作ったね」ではなく「暇だね〜」。これは冗談でもきついよね。暇な人が役員をやっているって言いたいことを言い合える会であるのはいいけど、陰口だけは言わないバラの会であってほしい。

食べた後は大急ぎで午後の予定の場所へ。松川村で「介護保険」の学習会。安曇野市でケアマネをしている人が講師に来るので近隣友の会の会員に呼びかけていたのです。
介護保険制度から要支援でこれまで利用していたサービスがはずされ、生活できない人が増えている現状があります。現状を知らなければ今後のことも考えられません。
市町村の福祉担当者は「自助努力」で健康を守ろうと一生懸命地域で健康指導をしています。今後介護度1,2も保険から外され、特養施設にも介護度3以上しか入所できないことになるそうです。
民医連では介護保険から外された人たちの地域での居場所つくりなどに取り組んでいるところもありますが、本当に大きな問題です。遠くない時期には自分たちも該当者になります。体調が悪いときはついつい否定的な考えしか出来なくなります。



  2月1日(水) 晴れ   はるはもう目のまえ
正月が明けたと思っていたらあっという間に2月。すぐ節分、立春です。
立春を過ぎると暦の上では春。立春というのは長い間冬の陰気に閉ざされた万物に春の陽気が立ち始めると言うことで春が立つだそうです。2月は2〜3日少ないだけですが本当に短く感じますね。
プロ野球のキャンプ入りしたニュースや選抜高校野球の話題やらで、春がいよいよ動き出したという感じです。
夫がテレビを見るのは食事をしているときくらい。ニュース以外はあまり好きではないみたい。そんなわけで夕食時のテレビのコマーシャルに人気急上昇のある男性俳優が出ていたとき、私が「初めて見たときは格好良く素敵だと思っていたが、この頃はもう飽きた」と言ったら、夫が何をカン違いしたのか「オレの事?」と聞いたので「まさか」と大笑い。
諺に「美人は3日であきる、ブスは3日で慣れる」とあるので、お互い慣れたのでやってこられてね〜と慰め合いました。まあとにかくこの年になったら顔のことは言いっこなしですよ。

池田では雪も遠のき、毎日山も綺麗で気持ちがいいです。また明日から天気が崩れるとの予報ですが、立春とはいえまだまだ寒い日は続きますから雪は降りますね。
でももうあまり降ってほしくありません。(雪は大好きですが、年を取ると除雪が大変)。
2日前、富山に魚の買い出しに行ってきました。最近はもっぱら黒部市の生地港です。寒ブリは脂がのっていて美味しいですが、その分値段もはるので高いものは手が出ません。まあ脂ののりは悪いけどと言うことで手頃(自分たちにとっては高価ですが)のものを思い切って買ってきました。
鯖も地元産ではないのですが購入。店の人はしきりに県外産ですよと言って地元の魚の美味しさをアピールしていました。
この時期魚の種類は多くはないが、夫の大好きな「なまこ」があったのでこれも購入。腹の色が赤と黒があるというのを初めて知りました。赤は柔らかいと言う理由で少々高い。ぶりを買ったので満足して帰ってきました。
生地に行ったときはいつも昼食は寿司やさん。この辺の寿司屋とは違うのでいつも美味しい寿司を食べてきます。
ある日、いつも安いものばかり食べるからたまには高いものをと「うに」を取りました。食べたら納豆の味。ウニではなく納豆でした。全くだまされるくらいそっくりでしたのでショックでした。寿司を食べるときはいつも思い出し二人で大笑いです。
夕食も魚三昧。ぶりは刺身に、魚の残は味噌汁、なまこの酢の物等々。一度には食べられないのでぶりの塩焼きやぶり大根、ぶりの照り焼きなど2〜3日楽しめそうです。
鯖はしめ鯖にしてまた楽しみ。うちの猫のはるちゃんは高級志向、ブリの刺身は大好き。一人前に食べてしまいます。魚料理は3人分準備で〜す。







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