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9月16日(土)曇りのち雨   沖縄企画
台風18号の影響で今日から雨という予報でしたが、雨が降り出したのは夕方から。それまでは畑に。
夏野菜の収穫がほぼ終わって、秋から冬にむけての白菜やキャベツ、レタスの植え付けも終わりました。
今度は来年に向けてイチゴやニンニクやらっきょうなどを植えるために耕している所は、相変わらず大小の石だらけ。前は田んぼだったというこの土地はどうしてこんなに石が出てくるのか不思議だらけ。まあコツコツやるしかありません。
畑には前からゴーヤーとヘチマ(ナーベーラー)が植えてあってゴーヤーより今はヘチマがどんどんなって自分たちだけで食べるには間に合いません。沢山取れました。夕方から松本で沖縄関係の集まりがあるのでいい機会。持って行くことにしました。


松本で「沖縄・学ぶ〜感じる〜つながる〜行動する」という集会が開かれました。平和のための戦争展中心地区実行委員会が企画した連続学習会です。今回はその第一弾。今回は沖縄特集にしたそうです。
中味は講演、三線と歌です。夜6時から9時までと言う集会ですが100名位で満員。さすが松本です。
遅い時間の集会でしたので、私はナーベーラーがなかったら行かなかったのかも知れません。でも初めて聞くこともあったので行って良かったのかな。ナーベーラーは沖縄の人でなくても食べる人がいるので完売しました。
講演は信州沖縄塾の伊波敏夫氏。沖縄を知るにはまず、沖縄の歴史を知らなくてはと言うことで「琉球から沖縄へ」と題して沖縄の歴史と文化を学ぶ会でした。
古くは縄文時代から琉球王国の成立、三山時代、大交易時代、琉球文化の開花期と盛りだくさんの話で皆さんの胸に落ちたか。自分の父親が古典音楽をやっていたと言うことで古典音楽の「散山節」のCDを聞かせてくれたけど難しくてよくわかりませんでした。


歴史を知ると沖縄って辛いね〜。いろいろ虐められた過去があるけどやっぱりいつも近くには音楽が有り、歌いながらやってきたので辛いことも乗り越えられて来たのでしょうか。
三線と歌のコーナーでは松本で活躍しているという「じんじん」というグループの紹介でした。3人グループで三線2人とキーボード。一人だけ沖縄出身で、他の人は長野出身だとか。
歌は沖縄民謡が主。シマンチュの宝、芭蕉風、島唄、サトウキビ畑など代表的な曲を演奏、最後はやっぱり「カチャーシ」、座ったまま手だけの踊りでしたが盛り上がりました。
素人のグループという感じでしたが一生懸命歌っていました。まだ結成して日が経っていないとか、だんだん上手になるのでしょうね。
リーダーの地域では、仕事が終わったらほとんどの家で必ず三線を奏でみんなで歌っていたそうです。音楽は地域に根付いていたのですね(うちの地域では残念ながらそんな経験はなかったな〜)。辺野古のたたかいでも三線があり、歌がありですよね、長く続ける秘訣でしょうか。


最後にチビチリガマの問題をどう考えるかと言う質問が出され、沖縄は広島と同じように平和教育が浸透しているはずなのに、子どもたちの心には落ちていなかったのではないかと。今中学生から平和教育の一環として信州と沖縄の中学生交流を進めたいと計画中とのことでした。
第2弾は10月29日、協立病院の具志堅先生の講演と映画が予定されています。その頃は沖縄に行っているので残念。


9月15日(金)晴れ  沖縄のお盆は旧歴です
あずかっていた「すずむし」がいなくなった。鳴き声が聞こえなくなったら寂しいね〜。世話は大変ですが、いろいろ観察が出来て勉強になりました。
旧盆を挟んで定期検診に沖縄に帰っていた友人(スズムシの飼い主)が帰ってきて報告がてら虫かごを取りに来たのでした。
沖縄では正月もお盆も旧式でする方が多いです。お盆はご先祖様が帰ってくると言うので正月よりも盛大にします。
何年か前に久しぶりに旧お盆に帰ったことがあったけど、本土とは全く違います。仏壇の両脇にサトウキビの長いのを飾ります。ご先祖様の杖にするためだそうです。今は印刷したお金も飾りますよ。三途の川を渡る料金かな。
今思うと可笑しいくらいですが、昔からこのような風習を大事にしてきたのですね。なかなか新生活と言っても移行するのは難しい。
沖縄の風習のことで不思議に思うことがあります。本土みたいにお寺があまりないので葬式は比較的簡単ですが、その後の新聞に「葬儀お礼」と言って新聞に大きく載せるのです。中味は喪主だけではなく、家族は勿論親戚関係まで詳しく書いてあるので初めはびっくりしました。いつ頃からこんな風になったのか不思議です。
葬儀案内は勿論当たり前ですが、お礼まで詳しく載せる必要があるのか。これこそ生活改善が必要かもと思いました。

午後は健康友の会の「大北連絡会会員増やし」スタートダッシュ集会。今までは中信全体で一カ所でこの集会をやっていたのですが、今年から連絡会毎に行うことになったのです。
理由はいろいろですが、兎に角役員だけでなく一人でも多くの会員に直接伝えようと言う大きなねらいがあります。
人数的には予想していた数より少し多かったのでまあこれは成功かな。問題は中味、会員の声を取り上げる時間がなかったこと。何のために分散したのか、今までと同じパターンではどうかと思った。
私も先日「いつでも元気」交流集会で東京に行ってきた報告をしたのですが、時間がないから簡単にと言うことでしたが、大事なことまで時間が制限される。「会員増やし」と「元気」も50部増誌という目標があるのに「会員増やし」だけでは不公平になる。民医連と言えどまだまだ管理意識が強く、ひらの意見はなかなか取り入れられません。
友の会の活動をやっていてもいろいろ問題はありますが、小さいことの多くは聞き流されます。積み重ねが大事な事もあります。めげずにどんどん意見を言わなければなりませんね。来年こそは?


9月12日(火)〜13日(水)雨   いつでも元気交流会
今日から東京へ。友の会の「いつでも元気」の交流集会に行ってきました。
出かけるときは池田は雨でしたが、東京は小雨。お茶の水までは電車で傘いらず。会場までの徒歩の時間も傘いらずでした。
田舎ものだから地図通りにちゃんと行けるか心配でしたが、迷わず少々早く着きました。
前の晩は松本でエースクラブのボーリングの月例会でした。終了時点で軽い腹痛があったけど道中ひどい腹痛と下痢に見舞われ、コンビニで休んでやっとの思いで家にたどり着きました。
古い話ですが、ボーリングの終了後に同じ症状があり、仲間が救急車を呼び入院した事がありました。その時は腹痛と下痢と出血もあったので「のろウイルス」と診断されました。今回も同じボーリングの後症状も同じで嫌な予感がしました。
家で暫く休んでいると痛みは楽になったけど腹痛がなかなか取れず、明日からの出張大丈夫かが心配になりました。朝になっても腹のグジグジ感は取れませんでしたが朝食を欠食して出かけました。
道中はなんとか下痢もなく、腹痛もいくらか楽になったのでほっとしました。昼食も蕎麦を軽く食べてみて様子を見ました。
会議の間は何事もなく終えました。夕食交流会もお酒などが出たけど珍しく控えめにしました。
ホテルが新宿だったので往復するのに少々時間がかかるので、近くで予約をすれば良かったと後悔したが大丈夫でした。おかげで二日間の交流集会も無事終えることが出来やれやれ。
肝心の交流集会は全国から担当者が集まっているので、活発に意見や問題点が出され驚くことも多々ありました。しかし自分が担当している「いつでも元気」(機関誌)がどのように出来上がるかについて詳しく知ることが出来、また編集者の方とも直接お話が出来たことで、今までよりも「元気」を近くに感じるようになりました。アクシデントはあったけど大事にならなくて本当によかった。

二日目終了後、新宿紀伊国屋のサザンシアター劇場で「円生と志ん生」を観劇に。
お茶の水から新宿までそんなに遠くはないけれど、開演時間を勘違いして大あわて。なんでもしっかり確認しなくてはいけないと改めて思い知らされました。
こまつ座の井上ひさしの作品です。やっぱり井上ひさしはいい。言葉遊びが面白い。井上作品に必ず織り込まれる独特のダンスならぬ体操も面白かった。
噺家の話だから落語も出るかと期待していたが、小話程度で終わりました。折角市民劇場に各劇団から招待状が来るので、東京に行く機会を利用して出来るだけ鑑賞したいと思っています。今回は知っている俳優さんはラサール石井さんだけでしたが、見たいと思っていた作品だったのでタイミングも良くよかった。



9月5日(火)晴れ   市民劇場は楽しい芝居がいっぱい
やっぱり残暑が来たか。暑〜い。2〜3カ所で稲刈りをしている光景を目にしました。5月に田植えをしたばかりでしたのに早〜いね。
昨日は二人で一日中畑で農作業。以前借りていた畑から移動して来てかれこれ2年。ようやく畑らしくなってきた。
ところが今年から夫が子どもの貧困ネット運動に関わって野菜を提供しようと畑を北側にまで拡大したのです。スイカやカボチャを作ってはいたが、その跡地に次の作物(イチゴ)を植える場所つくりをするためにスコップで耕していると、出るわ出るわ大きい石が。5キロもあるような石がごろごろ、はかどりません。
夫と作業を交代して大変さがわかりました。何日も前から作業をしていてちっとも進まないとこぼしていたけれど本当だ。大変だ、いつになったら完成するのかな。前の作物は耕耘機で耕して植えたので石の所までは届かなかったのでしょうか。浅い部分を耕していたのですね。
石捨て場所に運んだり、へこんでいる道普請をしたり、時の経つのも忘れて働きました。あまり汗をかかない私ですが、久しぶりに沢山汗をかき歩き、健康的な一日でした。朝から来て3時過ぎまで腰の痛い夫もよく頑張れました。

今日は昼頃には出かけるので雑用使いをしました。夫はまた畑で昨日の続き。今は白菜の植え付けが終わり、レタスの植え付け場所つくりと仕事は山ほどあります。自分のことをしている場合ではないのですが、やっぱり出かけます。
午後のボーリングの試合の後は、友の会の配布物の作業。夜からは市民劇場の運営サークル会があります。
10月例会の「吾輩はウツである」の運営サークル会です。退会者が多く、その分入会を迎え前例会をクリアしないといけないのに全く進展していない状況。
この物語は夏目漱石の話で、「吾輩は猫である」を書き上げる前段階の話で面白い作品です。会員が増えないと会議に行くのも辛い。なんとか一人はお誘い出来たのですが、まだまだおよびません。「えらばない、あきらめない、おちこまない」の3ない運動で声を掛けていこうとみんなで意思統一をしたのですが、なかなか大変で〜す。サークルのみなさんご協力をお願いします。


9月3日(日)晴れ   民進党よしっかり
畑ではいま小豆を収穫しないと虫食いにはいっているものもあるので午前中少しだけ畑に行ってきました。だんだん暑くなってきました。
午後から安曇野市で「憲法を守る市民と政党の集い」があります。参議院議員の杉尾ひでやさんの国会報告会もあるので出かけることにしました。

憲法集会は一部が杉尾さんの国会報告会。相変わらずしっかり歯切れ良く話をして、時間もきちんとしているので素晴らしい。他の集会でだらだらと必ず時間が延びる人がいるのでいつもいらいらしていましたが、見習いなさいと言いたかった。
話は民進党の代表選挙が終わったところだったのでその経過話が中心になっていました。「なるほど」と思っけど、でも前原さんが代表になって果たして党の立て直しになるのでしょうか。
杉尾さんは自分が所属している党の代表だから、「皆さんが思っているような人間ではない」と強調していましたが、共産党との共闘はあるのでしょうかという司会者の質問にも答えなかったので先が見えてますね。






夫は午後から塾の勉強の日だったので終了時間よりも少々早く引き上げました。
私も一緒に出て映画に行くことにしました。見たいものと上映時間がうまく合わなかったけど、兎に角行くことにしました。「ワンダーウーマン」がちょうどあっていたので見ました。
「女主人公のアクションもの。スタイルもいい女が強くてさっそうと格好いい。女だけの島で育った主人公。男を知らない。見たこともない。
ある日一人の男性が近くの海で溺れそうになっているところを助けて、その人を通じて人間社会の事を知っていくという物語。一言で説明は出来ないが面白かった。「愛」がテーマ。
その男性との会話の中で「父親はいない」と女性が答える。「どうして生まれたのか」という男の問いに対して、母が粘土で人形を作り神(悪)が命を与えたのだと。人間社会では子どもを作る営みは少し違うと言う男性の説明も含めて二人の会話が面白かった。
男性はイギリス人でドイツに潜入していたスパイ。ドイツが毒ガスを作って戦争に使う作戦があることを知り、彼女は悪を倒したいと彼と一緒に反対を押し切って戦場に向かう。
洋画では当たり前のキスシーンとかベッドシーンとかがなかったので彼女が切なく悲しかった。男性は毒ガスを遙か遠くに運んで爆死。


9月2日(土)晴れ  すっかり秋です
9月、周りはすっかり秋の気配。稲穂も頭を垂れています。が、雨が多い天候でしたので出来具合はどうでしょうか。もうすぐ稲刈りがはじまります。
9月は残暑が厳しいと言っていたので覚悟はしていたものの、少々寒いくらいで毛布の出番が回ってきました。これからまた暑くなるのでしょうか。

昨日検診やボーリング練習で畑に行けなかったので、今日は朝から畑です。夫は午後から松本に行く日ですので少なくなった夏野菜を集めて持って行きます。だんだん秋野菜に移っていきますが、まだ収穫までには行きません。今はホウレンソウ、春菊など葉もの野菜が食べ頃ですが、種をまいた時に台風に会い発芽が悪くなり、家で食べる程度です。もう少しするといろいろ出回るので皆さんにお裾分け出来そうです。現在は小豆が収穫時期に入っているのでちょっと忙しいです。
隣のビニールハウスでキュウリの栽培をしている老夫婦は(80才すぎ?)もう収穫が始まり忙しそうです。秋キュウリです。
このご夫婦はキュウリが主な仕事の様子で年2回作っているのですが、他に野菜や黒豆、米も作っているのですって。本当によく働く夫婦で感心します。
あまりの多忙さになかなか話もしてもらえなかったのですが、見かねてハウスの中の作業のお手伝いをした事があります。ハウスって意外と管理が大変そう。そんな事があってか最近は向こうの方から声を掛けてくれるようになりました。無愛想の原因が耳が遠いと言うこともわかりました。話してみないとわかりませんね。
本当にあの年まで私たちも元気でいられるだろうかと気になります。誰のお手伝いもなく本当に二人だけ。働き者ご夫妻です。




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