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3月25日(日) 晴れ    新婦人総会
今日も好天に恵まれました。桜も今年は例年よりも早く開花宣言が行われて、各地の花見の様子が映し出されています。
長野はどうも例年並みのようです。家の周りにはフキノトウが沢山顔を出しているので、天ぷらをして食べています。本当に春はそこまで来ているように感じます。

今日は「新日本婦人の会池田支部」の総会でした。なんと3年振りとか。そう言えば私が加入してから総会は初めてのような気がします。会員の状況は近隣市町村に比べ一番少ない。今まで新聞などは読んでいても支部の活動が具体的にどのようになされているかはっきりした説明もなかったので知りませんでした。
何処か見学に出かけたり、食事会をしたりは何回もありましたが、班がいくつあり誰が班長さんで、産直担当者が決まっているなど知りませんでした。自分の班の名前が何というかも。新聞が配られるから責任者なのかと言うぐらいに何となく勝手に思いこんでいた状況でした。
今日の総会の議案書を見て初めて知った部分もありました。忙しいから総会が開催されなかったというのは理由にはならないと思うけど、会員数が少ない状況で半分が役を持っていると仕方がないかなと思わざるを得ません。積極的にやろうすればそれなりに責任がついてくるのである程度目をつむるのもいいかなと思いました。
月一回今までの「おしゃべり会」が名前を変えて続行されることになり、みんなの顔が見られる場所でもあるので、これは出来るだけ積極的に出ようかな。
母親大会は新婦人の主催ではないが一応共催と言うことで毎年行われているので、これにも出来るだけ出るようにしたい。
沖縄に行った際には新婦人と行動をするので、ある程度池田や周りの状況を知らなくては話にならないので、状況把握はしっかりしていたい。話をしていると映画が好きな人が何人かいたので「映画子組」が出来たらいいな〜。


3月24日(土)晴れ   「ビルマの竪琴」テレビ鑑賞
久々の快晴、山がとっても綺麗でした。松川で花の苗を安く販売するというので夫と出かけました。バラ園に植えるパンジーを購入するためです。
ちひろの公園の一角での販売です。ちひろ美術館にとっとちゃん広場が出来たことは聞いていましたが、本当に整備されて綺麗になっていました。私たちも早いほうでしたが、すでに沢山の人が並んでいました。松川村議のUさんが容器に印をつけに来ました。「何もついていないと百円取られるよ」と。なるほどね。
今日は松川花咲き祭りで、隣ではクラフト作品や食料品などの屋台が出ていて本当にお祭りムードで賑わっていました。
開会の挨拶の後お客が一斉に花の苗が並んでいた場所へ散らばりました。並んでいるとき後部の人が「自分たちの所まで来るにはなくなるのでは?」と心配していましたたが、一斉に放たれたのでした。みんな好きな色の花を思い思いに入れています。私たちはパンジーのみ。黄色や紫、白など。


午後からは夫は松本の「こども熟に」。卒業シーズン、今日は卒業祝いがあるとか。
私は天気がいいので車の掃除(カラスが糞を落としてあったので)、後ワックスがけをしました。黒だから汚れも目立つので時々清掃が必要になります。
長い間玄関の脇に入れてあった花木を外に出しました。もういいかな〜と。しかし予想もしていなかった東京の大雪。この頃の天気は解らなく冬用タイヤ交換は延期させてあったので、来週には交換してもいいでしょうかと聞きたくなります。しばしの間布団も干せました。

夜食事の時、録画してあった映画「ビルマの竪琴」を見ました。はっきりした記憶がなく、見たような見なかったような。夫と違って私の記憶はそんな程度。
夫は記憶力がいいので一度見たものはちゃんと覚えていて、中味まで説明してくれるのです。頭がいいのか、育った環境が良かったのかといつも考えてしまうのです。
もし私が同じ環境で育っていたとしたら同じようになっていただろうかと。でもダメですね、頭の悪さはきっと遺伝もあるので羨ましい限りです。
天才も99%の努力をすると言いますが、何かをするときでも私が説明する場合なんて一つもありません。夫も努力が報われて今があると思うけど。私には下地が何もないので後悔する事ばかりです。このところ自分の脳の事ばかり考えているので、今更ながら浮かび上がってきたのです。
私のこの映画の記憶は、中井貴一が出ていた戦争映画と言うくらいの単純な記憶。多分夫と自分の記憶の違いはものを見るとき、その現象だけを見て背景と関連づけて見ていないからだと思う。何となく今日は「ものの見方考え方」について改めて考えさせられた時間でした。
この映画は、戦争映画にしては戦場場面が少なく、隊長が俗に「いい人」であったことに救われました。多くは菅原文太率いる隊の考えがまかり通り暴力につながるから。
同じものでも監督さんや描く人によっても大きく違いはあるが、人々の内面や命を中心に描かれているのでとても感動しました。戦争中でも人は優しくなれるんだという。特に水島上等兵の心情は図り知れません。
日本兵が戦死をして死体が野ざらしにされている状況、そしてイギリス兵が無名戦士の墓を作ってお祈りを捧げている場面を見て、主人公のような心境になれるだろうか。
戦場では天皇陛下の為に命を落として当たり前、こんな状況で「無駄死にはしないで」と説得出来なかった悔しさがビルマに残る決心の一つでもあろう。悪く言えば国の為に自分が出来ることの一つとも思えますが。ビルマ戦線では住民の犠牲に関しては描かれていなかったが、戦場になれば必ず女子どもは犠牲になりやすい。
現地の商売人に扮した北林谷栄さんの役も良かったし、これに対応している役者さんも若いな〜と感動しながらみました。人の人生を狂わす戦争は2度と起こしては行けないと改めて痛感しました。


3月23日(金)晴れ   予定は重なるのです
またまた忙しい日になってしまった。夫は「どうしてそうなるの」と言いますがたまたまそうなるのです。
午前中はボーリングリーグ戦の先投げに。何のことかと言えば、本来ならば毎週火曜日が定例会のリーグ戦。ポイント制のリーグ戦には前後6日間に先投げ・後投げという特例が設けられています。ただし最終日は当たり前ですが先投げのみ。3月27日の火曜日が1月から3月までの第一期の最終日、表彰式です。その日は用事で欠席になるので先投げと言うわけです。
先投げはちょっと良かったのですが、今回は残念ながら優勝は出来ません。4月からの第二期に期待して。ボーリングって本当に良かったり、悪かったりです。いかにレーンを読めるか。

帰ってきたら畑に行っている夫はまだ帰ってきていません。急いで昼食の準備。その間もまだ来ないので電話で連絡。私は午後から食改の総会があるので出かけるからと伝えて出かけました。
役員を下りて久しぶりの食改。総会には必ず町長の挨拶があるのですが、他の団体との掛け持ち挨拶ですのでその団体とは総会日が必ず同じ日になるのです。独自に来るほどの団体ではないからです。
「食改」と言う組織は全国的組織で、有無を言わさず上から下りてくるので町まで来るには時間がなくなり、期限がない状態のまま返信等をする状態でした。大北の理事をしていた時には全員が文句を言っていました。いかにいい加減な組織かと不審を抱いていたのです。
池田町も役員のなり手がないなどの理由で県の組織から抜けることになりました。4月から新たに「池田町独自の活動」が始まるのです。「食を楽しむ会」という名前にしたのはいいのですが、規約が食改の時と変わらずにに難しく自分で自分の首を絞めている感じがしました。
「楽しくしたい」と言っていたのは何なのか。これではまた参加したい気持ちはなくなりました。もっとゆったり出来ないものでしょうか。
会員が年々減る一方で私が役員をしていた頃よりも20人も減っています。年会費が千円、料理講習の時の実費のみ、なんで減るのかが不思議です。なんでも楽しくないと長続きしないのでしょうね。途中頭痛がひどくなり総会途中に中座してきました。

頭痛が治らず、帰宅してから薬を飲んでもなかなか改善されないので暫く横になっていました。
すこし良くなったので今度は夜から市民劇場の会議です。前回の会議も風邪気味で欠席したので今回はどうしても出なければ。来週ににはサークル会議があるので、何を話すかみんなで意思統一をするのです。
会員減少に歯止めがかからないのでどうするか、みんなで考えなくてはいけないのです。400人を割ったら会の存続が危ない状態になるのです。存続か、解散か。
高齢者の団体のようになっている市民劇場、いかに会員年齢を下げるかが問われています。こっちでも頭が痛い問題だらけで、幹事辞めた〜い。
折角良くなっていた頭痛がまたひどくなり、準備されていたお風呂もやめて休みました。この頭痛、頭に小さい血栓が出来ていての頭痛か。このまま認知症になるのではないか等など考えていたらなかなか寝付かれず、しかしいつの間にか眠っていました。今度の受診の際お医者に相談します。


3月16日(金)雨   孫の卒業式
富山2日目。昨日の天気から一変して雨。軒から落ちる雨の音で目が覚めました。昨日から明日は雨の予報だと言っていましたが当たってしまいました。
聞くと孫の白玖斗は雨男だそうです。6年間学校行事はほとんど雨だったそうです。卒業式なのに残念ね。しかも娘は和服を着ていくので雨は最大の敵です。
娘の家でいつも感ずるのは大家族の上に猫が2匹、犬が一匹、学校に行く長女やら仕事にで出かける小姑さんやらてんやわんやの状態です。
両親と婿さんは自営業だから出勤の慌ただしさはないけど早くから店を開けるのでこれまた大変。皆さんが一段落したところで食事を食べさせてもらうのです。

今日の卒業式は下の孫です。あっという間の6年間でした。入学式にも参加したのでこの日をを迎えられたことに感無量です。
孫が一足先に出かけそれから娘夫婦と私の3人で出かけました。
雨が降っているので寒いこと。保護者の控え室になっているランチルームや体育館はストーブで暖房されていたけど廊下や外の寒い事ったらありません。長野より寒いわ〜。

卒業式の様子は、一人ひとりの名前が呼ばれ卒業証書が授与される、昔と変わっていません。それに呼びかけ、懐かしいね〜。
昔と変わっていることと言えば、学校の行事に両親が参加するということ。それにジジババ(これは少ないが)が加わり混雑状態です。
一斉に向けるビデオ、カメラなど我が子が一番と言った感じ。我が夫は「父親も参加するのか」とびっくりしていました。今はそんな時代だよと。
服装は昔は和服が多かったけど、今は洋服が圧倒的。和装は数えるくらいでした。
式が済んでもその後が大変。渡り廊下に出て個々の写真撮影があり、寒いのに混雑の中で待っているのも大変でした。先生と撮影、友達同士と・・・もうきりがありません。
待ちくたびれてやっと終わり。やれやれ。帰宅して一緒に食事に出かけました。お寿司が食べたいというので近くのくるくる寿司へ。卒業式だからみんな思いは同じ。またこちらも混雑して大変でした。

やっと解放されていつもの大型スーパーで魚を見繕って帰りました。刺身で食べようと思ってイカを買ったら二日間は冷凍してから食べて下さいと言われました。鯖も「しめ鯖」にしようと買ったらこれも同じ。
イカや鯖には特に「アニサキス」という寄生虫がいるとのこと。テレビでのニュースになったので店側の責任として必ず伝えているそうです。え〜そうなのとすぐには食べられずがっかりしました。時代も進むといろんなことが起きますね。








3月15日(木)晴れ    友人達と久しぶりの再会
富山に住む孫の小学校の卒業式があるので出かけました。卒業式は明日の16日ですが前泊して友人達に会うことにしました。
池田に来た当時は「こばと会」という名前をつけて毎月食事会を予定して富山まで出かけていました。
しかし年々歳を重ねるうちに一人が病に倒れ、リュウマチが悪化など変化が出てきました。会う機会もだんだん少なくなり、ここ5年間はご無沙汰状態になっていました。
その間に友人たちが癌になったり、パーキンソン病がひどくなったりとまた新たな変化が出てきたのです。
一人が危篤状態になったので、面会は出来ないかも知れないけれど、どうするか話し合うために会う機会を持ったのです。
結局集まったのは4人でしたが、本当に久しぶりで、再会を喜び合いました。
久しぶりの会話から分かったことは、みんな病を抱え通院しながら治療をしているということでした。この年になると全く何もないという方が不思議かも知れません。
一日のうちでも夕方になると歩行が困難になりトイレにも行けない状態になると言っていました。家族から車の運転も止められ、落ち込む毎日だとも。今日は私が家まで迎えに行って外出が出来たのでとっても気分が言いと嬉しそうでした。
危篤状態になっている友人は持ち直して小康状態になったとの知らせがあり喜び会いました。いつまた悪くなるか分からないとのことだそうでもう祈るしかありません。
みんないろんな悩みを抱えながら頑張っていることがよくわかりました。人と比較するわけではありませんが、今のところ富山までも行けるし、好きなことも出来ているので幸せを痛感しました。

まだ開店して間もないという和食レストランで食事をして会話を楽しみました。話は尽きなかったけど再会を約束してさよならをしました。
このグループの一番年配は私より一回り上の80歳すぎ。彼女は「この年になっても所帯を別にしている息子家族の食事を作っているんだよ」と嘆いていました。「その方が惚けないから」というそうだが、身体がついて行かないが息子たちにあまり言えないそうで、息子たちにも遠慮しないと行けないのかショックでした。
そのTさんを送り届け、私とIさんの二人は「パークゴルフ」に行きました。調子がいいときは気晴らしに行っているし今日は天気もいいので・・・と言うことで出かけました。
パークゴルフは本当に公園などの広さを利用してコースを設定しているのです。マレットゴルフは広い範囲で出来ているので少し違うけどルールなどはゴルフと同じです。
富山に行った時彼女とよく言っていた岩瀬のゴルフ場は有料ですので、冬の間閉鎖して4月から開始だそうです。
今日は磯部の神通川沿いにあるゴルフ場に行きました。この場所は無料でいつでも誰でも使っていいということで沢山の人が使っていました。
時間の関係で9ホールしか出来なかったけど「楽しかった」と満足そうにしている彼女の顔を見ていると付き合って良かった。近くにいればいつでも誘えるのに残念。
今年の冬は富山は大雪で、夫も骨折したとかで外に出られなかったので足もだんだん動きにくくなっていたところだったそうです。
電話をスマホにした理由は「ゲームが出来るから」だそうで気分転換をしているとか。その間は病気の事は忘れることが出来るとか。聞いていると涙が出ました。
これから暖かくなるからリハビリになるのでパークゴルフを頑張ってほしいと思いました。ご主人さんがいないと行けないので早く骨折が治るのを祈っています。

娘が仕事の終わり頃に行くと連絡をしてきたので、時間つぶしに呉羽の五百羅漢音に久しぶりに行ってみました。この時期何もないので閑散としていました。後は呉羽山に登り散策。立山連峰は曇って霞んでいました。時々温泉に入ったり泊まりにも行っていた観光ホテルがなくなっていました。
住んでいた近所もスーパーの跡地に銭湯が出来ていてすっかり様変わりしていました。ついでに銭湯に入っていきました。






3月14日(水)晴れ   インストラクターの初心に戻ります
午前中はYさん宅でバランスボール・インストラクターの打ち合わせ。最近バランスボール参加者が減る傾向にあり、マンネリ状態になっているのではないかという指摘があり、その対策会議です。
町が関わっている「ヒモ体操」は集落内の女性部の役員が担当して準備しているのでいつも賑やか状態だそうです。やり方は違っても身体運動には間違いないことだからこちらもうかうかはしていられません。
インストラクターが4人いるので、担当制にして当日までにしっかり自分の担当部分をしっかりマスターしてくることにしました。自分自身もいい加減になっていたことが反省させられました。
「しっかり責任を持つ」ということに重みを置きました。体操、ストレッチ、リンパマッサージ、ダンス部門と多様になっているのでこれからはきちんとやろうと、しっかり打ち合わせをしました。参加者も盛り返してくれるか心配もありますが、期待もしています。
夜の「友の会」の会議にも、そこで決まったことを報告して意思統一を行いました。嫌になることも時々はあるけど、まず自分が楽しみながらやればきっと伝われのではないでしょうか。

昨日13日は松川村の議会議員選挙の公示日でした。少し前から無投票になりそうだと言われていましたが、そこは当日にならないと分からないと関係者はピリピリになっていました。結局、無投票が決まり簡単な祝勝会が行われたそうです。

夜は市民劇場の例会でした。井上ひさし原作の「うかうか30、ちょろちょろ40」という作品で、今回は人形劇でした。
松川の会員たちが祝勝会のために不参加、全滅。池田の会員も風邪や例会日忘れなどいろいろあって例会参加率は大きく減少していました。ただでさえ会員が減少して市民劇場消滅の危機にあるので会場はスカスカ状態でした。


この井上作品は確かこまつ座だったと思うけど、以前東京で見ていました。井上ひさしの初めての戯曲だと言っていました。その時は面白みはまあまあでしたが、その後の井上作品は泣けて笑えてファンになりました。
今度は人形劇だからどうかなと思ったり、しかし有名な劇団「プーク」だから大丈夫でしょう等と半信半疑な気持ちで見ていました。
残念ながら人形の後ろで声を出すので台詞が聞き取りにくい状態でした。聞こえないと芝居の良さが半減します。少々残念でした。
終了後のロビー交流会も都合が悪くて参加出来なかったけど、どんな反応が出たのかちょっと気がかりでした。


3月12日(晴れ)  頭と身体の使い方が重要になります
あずみの里のでっち上げ「窒息死事件」で看護師が起訴されている裁判も大詰めに来ています。検察側はどうしても有罪にしようと手を変え品を変えつつ現在まで来ています。
専門家があれは窒息死ではないと主張しても取り上げられず。この裁判で被告が有罪になれば福祉施設に勤める人はなくなるでしょう。今後、引き続き署名の取り組みや支援集会などが予定されているので頑張らなければ。民医連つぶしという声も上がっているので何としても無罪を勝ち取らなくてはなりません。

夜は松本のボーリングのエースクラブの月例会。高齢者が多いこのクラブも病気などで人数が減り試合形式が変更になりました。
これまでは普通に対戦相手と戦って点数制で決まっていました。ですからいつも上手な人が優勝していたのです。
ところが今回変わったやり方は、自分との戦いでポイント制。例えばスコア190(ハンディ込み)までが1ポイント。191〜220までが1.5ポイントというような点数制。プロ並みの人は勿論ハンディは0だから230うっても2ポイント。下の人が優勝する可能性が高くなったわけです。頑張ればいいところまで行けそうです。
それからもう一つ変わったことは、先投げ後投げ制が導入されたこと。例会当日都合が悪いとき前後2週間以内に投げれば罰金も無し。毎年沖縄へ行ったので一回は欠席して罰金を払っていたのでそれもなくなりました。
なにせ自分との戦いというのがいいですね〜。自分に負けたら不甲斐ない思いをするだけですので頑張り甲斐があります。頑張ろう。


3月9日(金)雨のち曇り  2人+1匹の生活にもどりました
昨日は土砂降りの雨、今日は午前中まで降っていました。久しぶりの雨です。
この季節は雨よりも 雪の方が気になるので、雨はほっとします。どこにも出られず、一日中昨日の続きの洋裁作業をしていました。

夫が5日に帰ってきてから一人暮らしが終わりました。1ヶ月間食事の心配をしなくてよかっただけ楽でした。一人だとだらしない生活になっていましたね。
今もその続きでテレビ(BSでドラマや時代劇が多いので)を見ていると、夫から「一日中見ているね」と大言、小言。
私が沖縄に行っている間に夫がBSをつけてくれたお陰で、見る番組が多くなりました。ありがとう。いつものように「カツ」を入れられてピッシッとしなければ。日記もさぼりがちですので。
夫が帰って来たことを一番喜んだのは猫のハルちゃんでした。久しぶりの膝の上にのってリラックスしています。妻より、夫より「猫が中心」の生活で〜す。

友人のSさんが代表で開設している「実家の茶の間」という施設があり、初めて行ってみました。空き家を買って開設したとの事を聞いていたので。
週何日かは一人暮らしのお年寄りが集い、おしゃべりをし食事をして帰るという宅老所のようなものですが、それだけではないようです。
昨日は「着物リフォーム教室」の日でした。家のタンスに眠っている着物を好きなものに作り替えようという教室です。
やはり興味のある人は何人もいて、月1回ですが今日集まった人は6人でした。講師は私が知っている人でした。「やっぱり」。
彼女はいつも自分で作った服を着ているので羨ましいなと思っていたのです。いつかは講師として活躍されるのではないかと思っていました。
また日替わりで母子家庭の子どもに食事を提供したりと一週間の中味は多様のようです。
5月からは子どもの生活相談のようなことも取り入れる予定だとか。まだはっきりはしていませんが、打診があったのでこれには私も関わりそうです。
協立病院健康友の会が地域で「お年寄りの居場所つくり」を検討しているので、池田町はとりあえず「実家の茶の間」がその役割をはたしているのでしょうか。出来ればお年寄り専門の居場所つくりが出来たら素晴らしいと思うけど。


3月3日(土)快晴   バラ園の剪定作業
バラの会の選定作業の日です。代表がこんな時にいないなんて・・・。
前々から出てほしいと言われていたので少々早めにでかけました。もう来ている人もいるので”気合いが入っているな”と感じました。
10時になり副代表のMさんからご挨拶。「沖縄に行っている代表から何回も電話があり、心配していました」「おまえ等しっかりやれよ」と。ついつい笑ってしまいました。
今日は誠に素晴らしい天気に恵まれました。朝寒かったので「カイロ」を貼っていったので大変なことになりました。
こんな天気で剪定だけをするなんて幸せなのか、もったいないなのか。なんと15人も集まりました。12時までに終了しなければまた日をもうけますと言っていたが、仕事は大勢とはよく言ったもので終了しました。
講師のEさんからは「病気になっているものがある」とのこと。名前はど忘れしたが、根のガンだそうで「根っこのところに丸く固まっているものがそうですから、それは僕がします」と言うことでみんな手分けをして作業を開始しました。
「剪定の方法がよく分からないから枝集め役を受け持ちます」と言う人もあり分担しました。一人の会員さんが4年生のお子さんを連れてきたので、その子はせっせと枝運びを手伝ってくれました。


終了後お茶の時間に、夫が送ってくれた沖縄のミカン「タンカン」と名前は分からないが薄皮も一緒に食べるというミカンの2種類を差し入れました。
だいたいの人数は聞いていたので適当に持って行ったら間に合って良かった。美味しいと言って食べてくれました。
「今回枝が小さくない?」とか「でも前もそんな感じだったから大丈夫」とかこれまでのバラ祭りの話やら話がはずみ、和気藹々のうちに終わりました。
作業中に役場の人が「移住予定者です」と町を案内している途中にバラ園にも立ち寄られました。「綺麗ですからまたこちらにも来て下さい、景色も素晴らしいでしょう?」と一生懸命説明していました。6月のバラ祭りが楽しみです。


3月1日(木)雪のち雨、みぞれ状態     春3月といいますが
こんなに長たらしい天気を書いたのは久しぶりです。3月まではまだまだ油断は出来ない雪ですが、気の早い人が昨日冬用タイヤを外したとラジオで言っていました。この辺の人ではないのでしょうね。
今朝起きたら積雪5センチくらいあったでしょうか。昨夜は雷も凄かった。
猫のハルちゃんは、以前ならば雷がなると凄い勢いで外から飛んできて書類戸棚を明けてこもっていました。ところがあるときから雷がなっても縁側にいて動じないので歳で耳が遠くなったのかと思っていました。ところが昨夜は2階に寝ていたのですが、雷で私の布団の中に飛んできました。「なんだ聞こえていたのか」とホッとしつつ、騙されたようでもあり・・・猫の気持ちは全く分からない。今はなついている夫がいないので精神不安定ということもあるかも知れないが・・・

そんな夫も沖縄の生活を満喫している様子。半袖でもいられるくらいの気候、懐かしいね〜。冬はやっぱり沖縄で過ごしたいね〜。ちょっと考えようっと。
母は夫のファンですから帰ってきたらきっと寂しがることでしょう。今回は寒いから自宅に帰って夫の手料理を食べることが出来なかったのでそのことも残念がってることでしょう。
まあ百歳まであと少し、頑張ってね。盛大にお祝いします。

昨日は久しぶりにクラフトパーク周辺を散策しました。近くまで来たので春を見つけに行ったのです。
池田で一番景色がいい場所ですが、今日は曇っていて山がはっきりしませんでした。残念。
日中は少し暖かくなったので、ファンクラブのニュースを配っているときでも「少しゆるんできましたね〜」と声をかけて下さる方も見えました。
底冷えするような寒さはなくなったのでこのまま暖かくなるのかと錯覚しました。しかし夜は雪になってしまい、春はまだまだです。でもレストランの近くに福寿草を見つけました。春一番の花です。


富山では今頃の雷は「ブリ起こし」と喜ばれていますが、この辺では「春起こし」でしょうか。「春来たりなば、冬遠からじ」、待ち遠しいね〜。

この1週間は友の会の研修会並びに懇親会があり、さらに抽選に当たって喜んだ松本市民芸術館でのお芝居見学、また合間にボーリング大会などなど毎日家を留守にしていました。
いつも留守を守っている夫がいないので、新聞代集金の人もタイミングが悪いのかまだ来ていませ〜んよ。
写真はボーリングの会場に来ていたPリーガーの櫻井眞利子プロ。「いっしょに写真どうですか」と誘われたが、あまりに「落差」が大きいので後ずさりして遠慮しました。


昨日28日は孫のはっくんの誕生日でした。12歳になりました。娘も子ども達もみんな冬の生まれ。娘と長女は1月の同じ日。長男は2月28日、父親は3月3日のおひな様。それぞれが近いので一緒に祝っているようです。
ややこしいからうるう年でなくてよかったね〜といつも言っています。ちっちゃくて可愛いけど今年は中学生。だんだん大人になっていくんだね。その時だけ自分の歳を感じます。いつまで成長を見守ることが出来るのか。
3月は卒業の季節、社会人など巣立ちの季節です。寂しいけどまた出会いもあります。卒業式には参加する予定です。




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