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  1月27日(水)
しばらく良いお天気が続いています。夜になると猛烈に冷え込むのですが、今日はちょっと別で、仕事からの帰り11時頃でも暖かく感じられました。マイナス10度くらいになれてしまって、零度くらいで暖かく感じられるのですから不思議なものですね。
空気が澄んでいるので、朝夕の北アルプスは素晴らしくきれいです。ディスプレーの壁紙にでもしたいくらい。


ちなみにいま私のパソコンの画面はHubbleのサイトからゲットしたギャラクシーM104の写真が飾られています。このソンブレロ・ギャラクシーは素晴らしい。形といい美しさといい、他に類をみないくらいです。遠く小さな銀河があちこちにちりばめられていますからね。下の小さい写真をクリックすると大きな画像がダウンロードできるようにしておきますね。興味のおありのかたは是非。横に細長いので、上下を真っ黒にするとなかなかよろしい。
もちろん他の銀河もたくさんダウンロードしたのですが、Hubbleのは壁紙としてはいまいち。
しかし、たとえばRobert Gendlerさんのサイトにある銀河や天体の写真はどれもすばらしく、毎日でも眺めていたいものばかり。なかでもアンドロメダは一押しです。


HUBBLESITE.org


Copyright : Robert Gendler





  1月25日(月)
沖縄名護市長選で稲嶺進氏が勝利。これは嬉しいニュースです。妻も名護市の友人に支持を訴えるなど力を入れていましたが、最後まで接戦という厳しい選挙戦だっただけに気が気ではなかったようです。今朝早くに勝利のニュースを知って妻と握手。よかったよかった。
自公が押す現職・島袋吉和氏は、もっぱら国からの補助による産業振興策にすがり地元の経済界に依存する姿勢に終始、基地については「代替案があれば歓迎する」として争点をあいまいにする戦術でしたが、結局名護市民はこれをキッパリとしりぞけたのです。この意味は大きい。

今日の信濃毎日新聞も指摘していましたが、「日米同盟」を重視しアメリカの「抑止力」を必要とする鳩山政権のこれまでの対米外交方針では、結局代替案を見つけることができず、とどのつまり「普天間基地の固定化やむなし」という結論になる危険が大きい。
この14日に国会内で共産党の志位委員長と会談した鳩山さんは「悩んでいる」と打ち明けたそうですが、どんなに悩んでもアメリカの懐に入って悩んだところで解決するはずもありませんからね。悩むのは結構ですが、「こんなに悩んだんだから」と言われても沖縄県民の総意に反する結論では一人相撲にすぎません。

朝日新聞はweb版で、平野博文官房長官が記者会見でのべた「(選挙結果は)民意のひとつであることは否定しないが、そのことで辺野古が削除だという判断には立たない。ゼロベースで最適地を探す」という発言について、「移設先について市長選の結果だけで判断すれば、国の安全保障政策を地元の判断に委ねるのかといった批判を招きかねず、国の責任で考えるとの姿勢を強調したと見られる」と解説していました。これなどは、そう言った批判がどこからどのように出てくるのかについては触れないメディアの無責任を自ら吐露しているようなものでしょう。
また、グアムへの基地移転を基本としつつ移転先に硫黄島を提案しすぐに引っ込めた社民党は、結局「代替基地」という土俵の上での対案しか出し得ないでいます。
一方、かなり前、自民党の落選組のひとり片山さつき前議員が「思いやり予算とか基地問題というのは外交上の公約に基づいて行っているものだから、予算仕分けの対象にはならない」というようなことを言っていましたし、ご自身のブログでも「普天間については、ブログで何度も書きましたが、海兵隊の基地である以上、そして半島や中台間の有事のために、海兵隊が沖縄に駐留する必要がある、という以上、一定以上離れた空港では訓練の意味がありません。海兵隊は有事の時に、敵地に上陸して、最初に殺される可能性のある軍隊です。日頃の訓練は、生死を分けるのです。日本の自衛隊も、日米共同訓練での、海兵隊の厳しいコースには、耐えられない、、。今から自前でやれますか?
日本に限らず、国として陣取っている場所には地政学的状況が必ず付いて回ります。我々は、米中の間から引っ越すわけにはいかないのですから」とおっしゃる。身ぐるみアメリカ色に染まっていることを白状しているようなものですね。
こうしたアメリカに「配慮した」さまざまな提案に対しては、「日本人に求められるのは国際社会での常識に還って『独立国に外国の軍隊が長期間にわたり駐留し続けることは不自然なことだ』という認識を取り戻すことである」「日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、それに変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない」「日米安保にまつわりつく人たちの腐臭はすさまじい」(脳力のレッスン特別編「常識に還る意思と構想=寺島実郎、世界2月号)というリベラル側からの意見・批判を対置すれば十分なのではないでしょうかね。

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さて今日は午後から、ファンクラブ会長といっしょに町役場をはじめ、商工会、農協などさまざまな団体をまわって、ファンクラブ100号記念講演会の案内状、招待状を渡してきました。
この講演会は来月21日に開くもので、木曽町の田中町長を招いて「木曽町の町づくり」について語ってもらうという趣旨で、広く町民によびかけようと企画したものです。
下のポスター・チラシは私の自作。結構力を入れてつくったんですよ。
というわけで、最初は町長室へ。勝山町長(総務課長同席)は「田中町長には『日本で最も美しい村連合』へ池田町が加盟するのに尽力してもらった」とのべ、講演会には是非出席したいと話し、各課の課長や職員にも案内状を配布することを快くひきうけてくれました。
農協でも、商工会でもあっけないほど気持ちよく職員のみなさんに紹介したりポスターを貼ったりするのを了解。いやはや田中町長の知名度はすごいですね。ファンクラブの知名度もこれで結構上昇したかも。
是非ともいい講演会になるように準備しないといけないとあらためて思わされたことでした。





  1月21日(木)
昨日は春のように暖かい風が吹いていましたが、現在はすでに車のフロントガラスも凍り付いて、また厳冬に逆戻りの気配。
今日、明日は仕事休みの日なので、何となくボーッとして過ごしています。ポカッと時間に空白ができると、何かしたいと思っていたこともなかなかやる気が出なかったり気分が乗らなかったりということありません?そんな感じ。それではいけないなと思いつつ、たまには何にも考えないこともいいかと思って、パソコンの画面に向かっているところ。

そういえば、さっき食事の後で見ていたNHKの「クローズアップ現代」、たいへん気になることを報道していました。30代に「自己責任」の呪縛から逃れられず「助けてといえない」人たちが増えているというのです。
これについては、番組でも紹介されていた「Imamura」さんが昨年10月に放映された番組の詳細な再現「書き起こし」をしています。今回のはそれをさらに深める内容でしたから、重なりはあってもすこし取り上げ方が違います。その後番組の反響がものすごく、再放送があり、さらに再取材のうえの今回の放送となったようです。

北九州で仕事もなく路上生活を余儀なくされている30代の男性は「何が悪いといって、自分が悪いとしか言いようがない」と語っていました。他にも「成果を上げられないのは自分ができないからだと、どんどん追い込まれていった」「助けてもらうという発想がなく、助けてと言ったところでどうにもならない」「一度でも助けを求めたらそれで終わり」・・・こうした声が無数にネットに書き込まれていると紹介していました。
番組では大学の卒業が就職氷河期にあたり、正規雇用されても成果主義に職場で追い込まれていき、職場を辞めざるをえない人の例や、自己責任論を埋め込まれてどんどん自分を追い詰めていき、やがては孤独死・餓死をするという極端な例まで生まれていることを伝えていました。これは一体どうしたことなのか。
かなり昔「東京サバク」(1976年内山田洋とクール・ファイブ)という歌の文句がはやったことがありました(若い人は知らないかも・・・年が分かります)が、砂漠にもオアシスってものがある。東京ではなく北九州での取材でこうした実態が報道されているのですから、日本全国もはやサバク以下の状況が広がっているということでしょうか。
まだ30代の若い働き盛りの層に何が起きているのか。いましばらく番組にも登場した今村さんのブログとそれへのコメントに耳を傾むけてみましょう。

自分は仕事をし、収入を得ることができていますがこの世の中、何一つ確実なものはありません。
明日は我が身かもしれないし、自分の場合も「助けて」とはいえないと思い思います。
今、仕事をし、家族と生活していても孤独を感じてしまします。

私も30代で、貧困にあえいでいます。
楽しいと思ったことなど大学卒業後は
ほとんどありません。
国が変わらないとどうしようもない。
どんなにがんばっても餓死だけはできないような
社会になってほしい。

30代後半の男性です。
5月から先月まで生活保護受けてました。
番組内容ですが、共感できる部分もありますが、
「浅いなぁ」「分かってないなぁ」と感じる部分も多いです。
まず借金してしまうと、生活保護を受けても生活できません。
生活保護は「貯金を使い切った状態」で、かつ「借金がない」という前提で
組まれているプログラムです。
しかし多くの受給者は「借金をして首が回らなくなってから」保護申請するのではないでしょうか?
使える金額が少ないため、人付き合いが極端に減っていきます。これは苦しい。
・・・・
負けを認めても生命の危機から脱出できるだけで、「希望」が見つかりません。
・・・
「世直し」「革命」「テロ」、「オウム的なカルト」の需要が高まっていると感じます。


このあとも、ものすごい書き込みです。たぶん、今回の放送の後も、書き込みは絶えないでしょう。
番組でも指摘していましたが、「30代に内面化された「自己責任論」」が一つの論点であることは間違いがありません。しかし、それは30代青年の固有の問題では決してなく、バブル崩壊から今日に至る社会状況の産物の一つといえます。とりわけ、弱肉強食の新自由主義、構造改革路線がもたらした格差と貧困の一つの表れであり、同時に教育を覆う新国家主義と競争至上主義の産物だと思わないわけにはいきません。
派遣切りにあった若者達の一部は、そうした社会の不合理にぶちあたり、自己責任論を克服して新しい連帯とたたかいの道を探り当ててはいますが、それからこぼれている圧倒的多数の若者が今もなお、この番組で紹介されたような実態のもとで苦しんでいる。
団塊の世代の大人達は、こんなことは信じられない、自分たちの世代では考えられないことだとひとくくりで片付けていいのか。そうした青年を生み出してきた責任の一端を担っているのではないのか。
他の先進国にはみられない大企業の労働者の働かせ方と労務管理の異常さ。そのもとでしわよせを非正規雇用の労働者に転嫁して恥じない多くの企業。「そうしなければうちの会社は生き残れない」・・・なるほど、結局はそういうことなのです。
だとすれば、まともでないこの世の中を本気で変えなければ、現状を打ち破ることもできなければ、若者の未来をともに語るなどということはとうていできないのではないでしょうか。
今日の富の独占状態を具体的につかみ、今日の苦難がどこから来ているのかを知り、かつその変革の道を実践的につかんだときに、思考回路は「自己責任論」を脱する道筋を得るのでしょう。それには、さまざまな苦労を重ねつつも、それだけにいっそう自己責任論の虜になっている若者たちに寄り添い、ともにあゆみ、苦しみ悲しみ、語り合う長い道のりが必要なのだろうと思います。そして、やがて声をあげ、変革をもとめ、いっしょにたたかうしかないのです。



  1月17日(日)
大学入試センター試験二日目の今日、朝から暖かい日差しに溢れた日になりました。しかし、昨夜は放射冷却で信じられないような寒さ。塾からの帰りに車のエンジンをかけてフロントガラスに温風をふきかけても、まるで氷が溶ける気配がない。しかも、普通ならまず水になって溶けていくのに、昨夜は氷からすぐに蒸発。tenki.jpによれば今朝の午前3時の気温がマイナス13度という記録がありましたから、納得。今期一番の冷え込みだったように感じました。ただ、これからは寒さもやわらぐようですが、それでも今晩はマイナス7度の予報。いやはやネコを抱いてうずくまっているに限ります。

妻は昨日の朝バスで東京へ。友人達が開く沖縄名護市長選挙勝利の決起集会に呼ばれて出かけたのです。帰ったのは今朝4時過ぎ。私は起きて待っていようと思っていたのですが、予定の時間になってもなかなか帰らず、とうとう布団の中に。目が覚めているうちに無事帰ったので安心しました。
聞くと道の駅に駐車していた車に分厚い氷が張っていて、自動販売機のお茶を買ってフロントにかけて氷を溶かしたのだとか。
今日告示の名護市長選。これは沖縄にとっては天王山のたたかいです。何としても沖縄県民の意思を選挙で示してほしいものです。

高3受験生の数学は今日でほぼ一区切り。これからは日曜日も休みになります。医学部を受ける一人はもう明日から受験のために上京、もう一人も下旬から私大の受験がはじまります。あとは体調に気をつけて、首尾良く力が出せるように願うのみ。
中3生は、これからが受験準備本番。学校ではインフルエンザも下火になってよかった。
休み時間の生徒達の話を聞いていると、女の子はもっぱら「イケメンの男の子とかっこいい先生」の話で盛り上がっている。「おい、きみたち、入試の勉強などどっかにいって、頭の中の半分は男の子か・・・なさけない」とからかうと、「半分?・・2/3くらいかな」という返事。ふ〜〜。うわさ話をしている彼女らは生き生きとしていますもんね。仕方がない、これから実物模試などをやって泣いてもらいましょう。

さて、ここ相次いで共産党と民主党の党大会が開催されました。共産党は4年ぶり。民主党は毎年開く定期大会。大会そのものの持ち方は異なっているものの、大会というのはその組織の最高決定機関のはず。この大会がどのように運営されているのかは、その党の本当の力量や考え方を見る大切な指標です。
民主党は、本来党務報告や方針を提案するはずだった小沢幹事長が「検察批判と自己弁護」に終始する挨拶をのべただけで、あとの報告は輿石幹事長職務代行がすべて行い、討論はなし。その議案(2009年度はわずかA4で3頁)も報告もウエブサイトにはみあたりません。しかたなく、サイトから輿石代行のビデオでそれがどんなものかを聞いています。
総体としていえば、この党の組織は旧態依然とした自民党などとも何ら変わらない「形式民主主義=実態はボス支配」の政党であるということです。
様々な意見をたたかわせ、議論をしてものごとを決め、決めた方針で行動するというのは近代政党であれば当然のこと。しかし民主党の大会は単なるセレモニーに過ぎません。しかも、今回の大会は小沢幹事長の政治資金をめぐる不透明な疑惑に政党として説明責任を果たすのではなく、むしろ小沢幹事長に「特別あいさつ」として弁明と開き直りの機会をあたえ、それに「万雷の拍手」でこたえるというおよそ常識では考えられない党運営が行われていること。
これについて今日の信濃毎日新聞は「小沢氏の進退が問われる」という見出しの社説をかかげ、そのなかで「こんな対応を続けていては、国民の理解を得るのは不可能だ」「鳩山首相の責任も問われている」と断じ、説明責任を果たすように求めています。
朝日新聞は「首相や党が挙げて応援するかのような一枚岩ぶりは何とも異様だ」と書き、毎日はさらに踏み込んで、「18日召集の通常国会では、むしろ進んで国会で証人喚問にのぞむべき・・・どれだけ自浄機能を発揮できるか、政権政党の体質が問われよう」と厳しく求めています。
読売も「このままでは、政治とカネの問題で自浄能力を示すことのできない政党とみなされるだろう。あすから始まる国会でも、予算審議促進を口実に、疑惑解明に後ろ向きな姿勢を取り続けることは許されない」と世論を気にした社説。

小沢さんは検察と強気で対決することで事態を打開できると高をくくっているんじゃないですかね。党大会での小沢あいさつの最後には「日本に議会制民主主義が、政権交代可能な本当の民主主義が定着すること、それのみを願って今日まで頑張ってきた」と述べています。しかし、民主党のマニフェストにある議員定数の削減や官僚の答弁禁止などの方針は完全に議会制民主主義を踏みにじるもの。小沢流の「民主主義」には警戒と徹底した批判が必要です。民主党内ではそれが皆無。これは異常です。

さて、ひるがえって共産党の第25回大会。のべ4日間の日程で行われた大会はきわめて詳細にホームページで紹介され、さらに「しんぶん赤旗」で報道されています。しかも手続きは舌を巻くほど厳密できっちりとしており、これほどの大会を運営出来る政党は世界にも多分例がないんじゃないのでしょうか。だいたい4日間もかけて提案から討論、議案の修正・補足、採決などが行われる党は日本にはこの党をおいて他にない。他の政党は一日または半日のセレモニー、自民党なんて最低ですから。
論より証拠、大会の準備から終了までを追跡してごらんになるといい。私は、大会運営の手続きにこそその政党の成熟度、民主主義の実行度が表れていると思っていますが、日本共産党の場合はそれだけでなく、提案、討論内容の充実度・豊かさでも抜群でしょう。
また来賓として招かれた経済同友会終身幹事の品川正治さんや全国農協中央会の専務理事のあいさつ、熱海市長のあいさつも聞き逃せない(民主党来賓挨拶は政権連立する政党代表と連合会長と資生堂相談役)。民主党とはレベルの違う日本共産党の実力と品格を見せつけていますね〜。すごいことです。


  1月12日(火)
観光協会でホームページづくりの日。今日からcssの過程に入って、ようやくホームページらしく作れるようになってきます。といっても、私は、ホラをふくだけで作るのは観光協会のお二人。今日はぜんぜん別の話ばかり(大ホラ)していて申し訳なかったですね。

さて話は変わりますが、ずっとNHKの動向を注目しているのですが、ドラマとしてはなかなか面白いものを放映してはいますが、歴史認識としてはサッパリ。最近の注目はドラマ「とめはねっ!」と「龍馬伝」。
最近若い人に書道ブームがあるという話は、ちょっと眉唾ではありますが、日本の文字に注目してこうしたドラマをつくるのは悪くないことです。これまで体育系のドラマは結構多くありましたが、文化系の部活に着目しているのはおもしろい。
私も高校ではずっと書道部に所属していましたからなかなか興味がありました。もっとも私の時代の高校書道部はさえない教師のもとで、ただときどき顔を出して書いているだけ。このドラマのように華々しい展開とはまるで無縁でした。
私はもっぱら別の書道教室に通ってそこで作品を書いていたので、そこで知った様々な知識が今もドラマの中で展開されているのを見るのは楽しいことです。
第一回目のドラマの中で、欧陽詢の「九成宮醴泉銘」の全臨の話がでてきました。中国書道史に詳しい伏見冲敬さん(2002年没)は、ある本の中でこの「九成宮醴泉銘」について、「少し手習いの進んだ人にはつまらないものと考えられ勝ち・・・しかし、試みにどの時でもいいから一字取り出して、これを小一時間もためすがめつしてみるがいい。何とその構成のすみずみまで心の行き届いていることか、一点一画として、長短、軽重、高下、周到な用意の施されていないものはない。・・・欧陽詢という人はそれほど頭のいい人なのである」と書いています。私の高校時代の一つの模範はこれでしたものね。でも、まったくその足下にも届かなかった。
自分のくせ字をなおすどころか、最近はパソコンの影響で、ますます文字から離れてしまっているので、このドラマはとてもよい刺激になっています。妻とは、「仕事を全部やめたら二人でお習字でも習おうかね」とこのドラマを見ながら話し合ったほどです。原点にもどらなっくっちゃ。
下は、私の高校時代の作品で、現在唯一写真としてのこっているもの。45年も前のことになるんですねえ〜。ふ〜。
昔は結構力作だとおもったのですが、今見るとやはりまるで子どもの作品。ドラマの作品のゴーストライター、福岡県立青豊高等学校書道部(高校書道界で日本一)の面々の作品からみれば、かなりはずかしい。
詩は当時(高校3年)好きだった尾崎喜八の詩集からの一節。




  1月10日(日)
ここ最近、冬の講座、町政のデータ打ち込みなど根を詰めた細かい仕事をしていたせいか、ちょっと気持ちがプッツンして、頭の中に霧がかかったような状態です。昨日も高3の生徒と国立大学の数学の問題を解いていたのですが、公式を思い出そうとすると、頭の中に「?」が点灯してパッと出てこない。まるで起動ディスクがみつからないで「?」を点滅させている初期のMacのようです。その生徒に「どうしたんですか?」と言われてしまった。これはいよいよボケの始まりか??
昨日さがしものをしているついでに、昨年2月に出された「芸術文化による地域振興検討委員会の提言」に対する私の「意見」が出てきました。あらためて呼んでみると、我ながら大変スッキリとまとめていて、この時期は頭の中の霧が少しは晴れていたのだなと思ったことでした。
こうした症状は今に始まったことではないから、しばらくすると改善はされるでしょう。とにかく、よく寝てビタミンやカルシウムなどを多く含む食べ物を摂取して休養をとることですね。

昨日、塾に出かけるとき、いつもとは違う道を通って行ったら、ちょうど「三苦労」じゃなかった「三九郎」(どんと焼きともいう)の行事に出会いました。大きく組んだやぐらに火をつけて持ち寄った正月の飾りなどを焼き邪気を払うという行事です。子ども達もおおぜい来ていて、午後遅くの空に煙がたなびいている姿が何とも正月らしい光景でした。




  1月7日(木)
日米の「成熟した」関係とか「大人の関係」という言葉を、鳩山政権のブレーンと言われる寺島実郎さんが解説で使っていました。「日米同盟」という両国の関係が当たり前であるかのように語るマスメディアは、それ以外の国際関係があることを全く考えようともしていません。
日本の支配層は、米ソ対立の際にはソ連脅威論を、ソ連崩壊のあとは北朝鮮と中国の軍事力を脅威としながら日本の軍事化をすすめてきました。しかもアメリカの戦略に組み込まれ、べったりと寄り添いながら。そんな関係の中では、真に独立した思考、グローバルな思考が育つはずもありません。最初は勇ましいことを言っていた鳩山政権も、「軍事同盟」優先の政策のもとでは国民の批判にさらされつつ右往左往するだけです。それが最も明瞭な形で表れているのが沖縄普天間基地の移転問題です。
さて、この問題で「成熟した」思考、大人の判断とは一体どのようなものなのでしょう。たいていの論者は、遠く沖縄から離れて頭のなかで「理屈」をこねくりまわすのでしょう。
アメリカもしかり。沖縄はイラクやアフガンへの侵略基地としての捨て石にしか過ぎません。どれほど多くの事件がこのことを物語っているかは現地の人たちが日常的に身体でつかみとっています。
普天間の問題を考えるとき、自分のすぐ近くに基地が作られるかもしれないと考えてみるといいでしょう。頭上を戦闘機や戦闘ヘリが間断なく低空で飛んでいく様を想像してみるのです。しかもイラクやアフガンに向けて飛んでいく戦闘機群。民主党幹事長が「下地島はどうだ。あそこには使ってない滑走路がある」などと口走るとき、その視野に生活する人たちの姿はありません。あったとしても、将棋の駒ぐらいにしか思われていない。
「日本を守る抑止力が必要ではないか」「米軍がいるおかげで雇用もある程度保障されているし」「北朝鮮や中国が攻めてきたらどうするのか」・・・これらはいずれも俗論で、高校生以上の政治的な素養のある人なら簡単に論破できることです。
第1の論点では「抑止力どころか、日本が出撃基地になっているのですから、戦争に巻き込まれる危険が増えるだけ」。第2の論点では「米軍がいるおかげで、産業がいびつにされ、雇用も全国最下位の水準になっている。米軍がいなくなれば、広大な基地のあとに農業・商業や各種の産業を振興してたくさんの雇用を生み出すことができる」。第3の論点では「軍事力の増強がいかに自国の産業基盤を弱めるかは北朝鮮も中国もよくわかっている。日本にせめて来るなどという可能性は自衛隊の幹部ですら想定していない。日本の軍事化が両国の軍事力の増強のバネになっている」のです。
にもかかわらず、あいかわらずこうした俗論に頼らざるを得ないほど、支配者の側は掲げるべき大義も指針も持っていないということです。
普天間の問題は、政治や経済の問題である以上に、日々の生活の問題です。無条件撤去しか解決の道はないのに、どこか他に基地の候補がないかとさがす愚をいつまでつづけるのでしょうか。それとも「悩んでいるポーズ」を国民に見せることで、辺野古沖に移設しようとしているのでしょうか。現地ではまもなく住民の判断が下されます。これを現地だけの問題にせず、一人一人の生活や人権の問題としてとらえ、たたかいの輪を広げていくことが必要だと私は思います。



  1月6日(水)
ようやく冬の講座が終了。午前3時間、午後3時間の長丁場だし、受験生相手なので結構疲れます。センター試験まであと10日だし、私大入試はもう1月末から始まるので、高校生は1月末で終わり。あとは高校入試にむけてラストスパートの期間になります。
これからは普段の生活に戻るので、日中は例のファンクラブニュース新年号の作成やら、町の財政の調査やらでこれまた忙しい日々が待っています。落ち着いてじっくりものを考えることができていないので、どこかでのんびり過ごしながらあれこれ考える時間も必要かも。

さて、池田に住む友人(カナダ人)が年賀状の返事の中で、次のように書いてきてくれました。

I am still wondering if there is a chance of saving that road we were talking to Katsuyama-san about. It is such a great road and such a waste of money to pave it.
I still have lots of ideas to make that a great tourist spot for Ikeda. We had 2 big groups come to Ikeda for biking in November. They loved the trails, but the construction really ruined the atmosphere. It doesn't flow anymore... too bad.


昨年3月に二人で町長に面会に行き、池田町の観光や花とハーブの構想について意見を述べたことがありました。その際、彼は東山中腹に計画中の道路建設と舗装化をやめて、ハイキングやサイクリングに適した道を残すよう町長に強く要望しました。"still"というのはそのことをさしています。
国の「中山間地域等直接支払制度」を活用して、東山一帯を開発する計画が進行中で、その一環として道路の拡幅と舗装化が進行中。同時に桑の藪だった畑地を抜根して開発する作業も進行中。その後の展望もなく、ただ補助金がでるという理由だけで「開発」をするなどはムダの最たるものだと私は思うのですが、一度動き始めた事業を止めることは容易ではありません。何よりも、どうして車も通らない山道を舗装しなければならないのか、十分な説明も何もありません。
自然の中でマウンテンバイクを楽しむ彼やその仲間たちにとって、池田の自然はかけがえのない環境なのです。たぶん、町政の中では、どのように里山を保全していくかについて、全く検討もされていないのではないかと思われます。部分的にはそれなりの目標(藪をそのままにしておけないという程度)はあるのでしょうが、それ以上でも以下でもありません。
行政の無策あるいは失策によって、大事な環境が失われていくのは恥ずかしいことです。しかも「日本で最も美しい村」の中で。



  1月4日(月)
昨年来の町政の一つの焦点は、町(振興公社)の施設であったハーブセンターが指定管理者制度に移行することになって、管理者がきまった(内定した)ことでした。
しかし、昨年末までにはっきりしてきたことは、その団体からの要請である1130万円の管理料(補助金含む)に対して、町ははっきりした態度を依然として示していないことがわかってきました。
当該団体の役員に聞いたところによれば、数回の町長への直接の要請にもかかわらず、基本的に数百万円(鑑賞園と隣接するトイレなどの管理料)を出すとした以前の回答以上の返事はしていない模様です。確かにそれなりに町長としての「一貫性」を示しているのでしょうが。
そもそも「募集要項」によればそれ以外の補助などはしないとしているにもかかわらず、「町が何らかの対応をしてくれるのではないか」という観測のもとに町長への打診を続けている当該団体にも判断の甘さがあることは否めません。

とにかく、これまでにはっきりしてきたことの本質は、12月議会での町長あいさつで尽きていると私は断言します。

「町内のやる気のある業者に決まって良かったと思っている。赤字が出た場合町がずるずると補てんしていてはいけないので指定管理に踏み切った。指定管理の原点は赤字になったときに責任を負ってもらうことにある。3000万円くらいは資金をあつめてもらわなくてはならない。町は必要なことには手をさしのべたい」(「久子通信」12/7)

つまり、何度も書きますが、ここに見られるのは、すべてを町の管轄から業者に移行したいという「やっかい払い」「丸投げ」の姿勢だけです。そこには町の観光や産業振興に対する確たる理念も方針も見あたらないのですから。結局は金の問題だけ。

私は、ここまで来た以上は、町はこれまでの姿勢を根本的にあらためて、少なくとも3年間「ハーブセンターの町直営」に踏み切ることを提案します。まじめに今日の問題を打開したいというなら、それしかないでしょう。
もし、指定管理者に内定した団体に対して不明朗な補助をしたり、逆に無理矢理引き受けさせて大きな損失を出して団体の役員が窮地に陥ることがあれば、それこそその熱意を裏切ることにもなるし、今後の町政に大きな傷をつけることになります。
昨年末には、ちょっと揶揄する言辞をはきましたけれど、今回はきわめてまじめにこれまでの総括をし、さらに提言をしたいと思っています。

その前に、現在何が問題になっているのでしょうか。ちょっと整理してみます。
議会を傍聴しただけの町民なら、「Kさん、Oさんの団体が引き受けてくれることになったのか。ご苦労なことだ」程度の認識しか持ち得ないはずです。それくらい情報は町民に知らされていない。
しかし、実態はまるで違います。そのKさん、Oさんの団体は、もともと指定管理料(補助金との区別なし)を1130万円として募集に応じ、審査会では何の質疑もなくその団体が指定管理者として採用されたのです。
そこには何重もの問題点が横たわっていました。

@指定管理者を募る「募集要項」について、問題点を指摘する意見があったにもかかわらず、町の提案通り議会で承認され、それに基づいて募集が行われてしまったこと。
その背景には町長の指定管理者制度についての態度がよこたわっています。結局はそれに基づいて、指定管理料については基本的に鑑賞園のみとされたのであり、これが後に尾をひくことになりました。
これについては、私も臨時議会前に重要な修正提案(別記)を何人かの議員に示し、議会での修正を働きかけましたが、結局修正されたのは「目的」に関するところだけでした。

A指定管理者のプレゼンテーションが行われた際に、管理料については何らの説明も、質疑もなく採点・答申が行われてしまったこと。審査員への事前の十分な打ち合わせも町からの方針提起もなかったことがその大きな要因です。

B指定業者になった団体もまた、町からの一定の補助があるものとばかり思い込んでいた節があり、募集要項についての十分な検討があったとは思われないこと。その甘さが後々重大な問題をはらんでくることになります。

C議会でも、町の重要案件であるにもかかわらず、この問題についてしっかりしたチェックが行われていないこと。12月議会でこれについて質問したのは山本久子議員一人だけであったのはいかにも淋しく、他の議員の責任を問われてもおかしくない問題です。

では現在までの経過に係わる現在の問題とは何か。
まず、その団体が指定管理者として内定してから、町と数回にわたる折衝を行っているという事実があげられます。団体にすれば、運営の不安をぬぐえないわけですから、確たる保証をとりつけたいと思うのは自然ななりゆきです。しかし、町当局が数回にわたっても何も回答していないということは、結局その団体に早く従来の方針で引き受けさせたいということを示すだけで、これ以上の「折衝」などは全く意味のないことだといえます。団体の熱意は疑う余地はありませんが、そうであればあるほど、町との乖離が大きくなっているわけで、その団体の責任もまた大きくなってきているのです。
そうであれば、その団体は「もはや責任を取れない」ということを明言する以外にとるべき道はありません。これ以上の引き延ばしは準備に費やす時間を限りなくなくしてしまうことでもありますし。

実は、さらに大きな問題があります。それは、この団体の提案する1130万円を管理料として受け取っても果たして収益を上げることが出来るかという問題です。
団体の理事を始めとする役員を見ても、専門に運営にかかわり営業や営農を担当する人物がいるとは思われないし、専門家を招請しようとする方針も聞かない。現在公社を運営している人がそのまま横滑りで運営に携わるのですから、どれほどの改革が行われるかも疑問です。
つまり現在の延長線上で運営をしようとしているのであれば、おそらく現在の町からの管理費、補助費合わせて2500万円が必要になるでしょう。営業努力と人員削減などで多少の穴埋めが出来たとしても年数百万から1000万円の赤字を覚悟しなければなりません。その「営業努力」が逆に体質を弱め、赤字を広げる危険性すらあるのです。

以上のことから引き出される結論は何か。これは先ほど私が述べた以外の選択肢はないということです。
町も団体も早く決断することです。それは、単に当該団体に被害を与えないだけでなく、今後の町の発展にとってきわめて重要な選択になるからです。町長にとっても汚点を残さない選択肢となるはずです。
もし、そうでないなら、これらがもたらす結論は明白だといえるのではないでしょうか。

では、今後このハーブセンターをどのように運営すればいいのか。これに触れなければ単に批判するだけになってしまいますね。
私は、町が直接出資して管理する会社に移行するべきだと述べましたが、これからのすべての経過を通して、町民にしっかり情報を公開し、意見を出してもらい、知恵を集めて今後の方針を決めることが大前提となるべきだと思います。
そのうえで、今後の柱になるべき方針は、次のようなことだと考えます。
@ハーブセンターを単に一施設ととらえるのではなく、観光、農産物、特産物などを紹介・販売する拠点施設として重視すること。それには、専門的な知見と能力をもった経営者と専属スタッフを配置することが必要不可欠であること。
A当面、町の直営(100%出資)会社として、責任をもったスタッフを配置して運営をつづけながら、一方町としては町民代表も含む幅広い「運営協議会」(仮称)を設置して、今後の進め方について2,3年の検討を続けること。
B町は、観光と物産振興に関する総合戦略を示すこと。
たとえばハーブセンター一帯をどのようなゾーンにするのか、また、どのように特産品の開発や農産物の振興を図るのか、またどのように商店街の活性化をすすめるのかなど総合的な戦略を示す必要があること。そして、「花とハーブの町づくり」「有機農産物の振興」などの指針を示し、町民参加による運動を大きくすすめ、その先頭に立つこと。
Cこうした大きな戦略のもとで、ハーブセンターへの補助などについては、3〜5か年計画で削減し、ハーブセンターの運営を軌道に乗せること。そのうえで、あらためて指定管理者を募集し、町民合意と納得にもとづく運営に踏み出すこと。

長々と書いてきましたが、町政の根本にかかわる問題だけに最後まで見届けたいという気持ちからまとめてみました。
あと、10月臨時議会前に提出した修正提案を以下に収録しました。

(別記)

○○議員様

連日お疲れ様です。
1.9日の臨時議会での「ハーブセンター」関連議題について十分対策を立てるべきだと思われます。
条例改正案などをこのまま通すことができないのは明白であり、最も現実的な方向として、過半数の議員の賛成を得て修正案を通すことが重要になっていると思われます。ご検討・ご奮闘をおねがいします。

2.以下、条例改正案、その他について私見を述べますので、ご検討ください。
1.条例改正案について
(1)「第1条(目的)」を以下のように修正する。
案:1行目から2行目「〜を図るため」までを削除し、次のように差し替える
「池田町の花とハーブの里づくり、農業・商業など町の産業の発展、観光の振興を図り、あわせて町民の健康の増進と交流の促進を図るため、」

理由 ハーブセンターはこれまで町民の共有財産として、町の物産の販売や花とハーブの普及、観光の一翼を担ってきた。こうした積極的側面をさらに発展させ、町長が議会で明言していたとおり、「花とハーブの里づくり、農業・商業の振興、観光の拠点」としての位置を明確にすることが必要である。

2.条例施行規則(案)について
(1)「第5条 町長は、〜」の文中、3行目「目的外の用途にすることを許可する〜」の「目的外」を「指定管理者の管理業務以外」とする。

理由 ハーブセンターの目的について、観光の推進、農業・商業の振興などをあげる以上、列記された観光案内、農産物の販売などを「目的外」とすることは不適当である。

3.指定管理者募集要項(案)について

(1)3ページ「2 施設の設置目的及び管理運営方針」の1行目から2行目を「条例改正案」の「目的」に合わせる。

(2)10ページ「(3)指定管理者は〜」のうち施設使用料について以下のようにする。
第1案:初年度は月額10万円を町に納付する。翌年度以降については月額20万円を目途に、初年度の経理状況を勘案して指定管理者と町との協議の上決定する。
第2案:池田町内の企業・団体については初年度は使用料を免除、翌年度以降については月額10万円を目途に初年度の経理状況を勘案して、指定管理者と町との協議の上決定する。
池田町外の企業・団体については、原文の通り。

理由:ハーブセンターがこれまで町民の共有財産であった点を無視できない。町の産業や観光振興に資する施設として発展させることを目的にする以上、指定管理者は町内の企業・団体であることが望まし。町の財政状況を最優先させたに等しい「月額30万円」はたとえ2年間の減免措置があったとしてもハードルが高すぎる。

(3)新しい項目を起こし、引き渡し前の改修・修繕について次のように記載する。
町は指定管理者に施設等を管理委託をするにあたって、引き渡し時の「原状」となる施設の補修、修理、点検などを行うものとする。

理由:施設の引き渡し時に老朽化した箇所や補修の必要な箇所を修理することは、社会通念上、現行管理者の最低限の義務といえる。指定管理者が変更になる場合でも、復帰する「現状」を明確にする上でも必要な措置である。

(4)9ページ「管理経費」の前文について
管理販売施設については防災、保守点検等、施設の管理に関わる部分については指定管理料を支払うべきである。
展示育苗施設については、公益性を考え冬期間の暖房費、ガラス修理など一定の指定管理料を支払うべきである。
また、「指定管理料は、年度ごとに予算の範囲内で支払います」という記述はあいまいで、「初年度については従前の運営費を考慮して支払い、翌年度からは年間の経理状況を勘案して、指定管理者と町との協議の上で決定する」と改める。

以上




  1月1日(金)
明けましておめでとうございます。
我が家の元日は雪の中で静かに明け静かに暮れていきました。妻は元日から仕事で昼からずっと出ていましたが、さすがに今日は暇だったと言って早めに帰ってきました。夜は思い思いにテレビをみたりゲームをしたり。
私は年賀状を出したあと、3日からの講座に備えて、大学入試問題とずっとにらめっこ。とりあえず6日までの分を予習することが中心で、さらにそれ以後の私大を中心とした問題を解きまくってこれからに備えなければなりません。思ったより重労働で、目が疲れます。
そんな頭でテレビを見ると、お笑い番組やチャレンジ番組などで、何とも騒々しいこと。とりわけ民放の「芸人」や「タレント」が出てくる番組は音が耳障りで、とても見ていられません。これって年なんですかねえ。私の場合は、ゆっくりテレビを見ている余裕もないので、それはどうでもいいことですが、世の中何か音がないと精神的に安定していられないのでしょうか。ちょっと気がかりです。

元日の信濃毎日をみていましたら、沖縄の普天間基地問題をめぐって外相がアメリカ政府に対して「代案がない場合には、連立を解消しても辺野古沖に決める」ことを表明したと一面トップで報じていました。移設先に代案があるとは思えず、これは結局「辺野古」に決めようという民主党の腹を示したものでしょう。
だいたい「アメリカの反発」などというのは虫のいい話で、対等平等の関係ならば絶対にあり得ない態度です。どこまでも日本政府のアメリカべったりの姿勢を見越しての対応ですから、民主党とすれば「政権が変わり、政策も変わった」と通告すればすむだけの話。結局ずるずるとアメリカの戦略の中で決めかねているのはアメリカの「抑止力」だのみの姿勢から脱却できない弱さの表れ。
民主党のアキレス腱は3つ。一つは党首、幹事長の底なしの政治献金疑惑。二つはアメリカにものがいえずずるずるべったりのアメリカ追随外交。沖縄県民から完全に見放されるということになるのは必至です。三つは、「派遣村」などにみられる雇用政策や果てしない先送りの高齢者医療の分野での無策。財界への配慮が見え見えです。
今年は、おそらくこれらをきっかけに民主党の支持が急速に下がって、かなり流動化した政治情勢になるのではないでしょうか。国民の間では、どこが頼りになる政党なのか、どのような政策を求めるのかを巡ってさらに模索が続くということになるでしょう。
こわいのは「どこも頼りにならない」という気分が、たとえば田母神のような右翼的な連中に引き込まれていく危険。国民一人一人の政治的責任も、マスメディアの責任も従って猛烈に大きい年になるに違いありません。
結局のところ、日本の進路は日本共産党をはじめとする平和と民主主義を求める流れをどれだけ地域のすみずみで強く大きく広げられるかにかかっている。だからこそ、共産党にはもっともっと力をつけて頑張ってもらいたいもの。外野で応援する方としては、これはいささか無責任な言い方ですが、私としても精一杯応援団の役割を果たすように努力はつづけるつもりです。




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