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  3月24日(水)
今日午前11時に病院へ。今日は多少の検査や明日の手術の準備などがあるだけ。明日は午後から手術です。
こうしたことは昨年いやというほど経験しているし、今回は内臓のトラブルではないので気持ちは大変楽です。ゆっくり静養し、リハビリに力を入れて、ついでに体力づくりもやってこようと思っているところ。
DVDや本などをやまほど積み込んだはいいけれど、そのまま持ち帰るのがオチでしょう。痛んだ足を治すのが目的ですから、担当医の言うことをよく聞いて治療に励みます。では、また退院してから。


  3月22日(月)
昨日の午前中は猛烈な黄砂。韓国でも外出を控えるように警報が出たほどだったとか。妻が久しぶりの休日で何も予定がなかったので、岡山で映画を見に行きました。あの「アバター」です。
長野では吹き替え版だけど3Dで見られるのは岡谷だけ。ここから高速を利用して1時間ほど、それほど遠いわけでもありません。私は一度新宿で見ているのですが、3Dの映像は妻にも見て欲しかったのでわざわざ岡谷までいそいそと出かけていったというわけです。
休みと言うこともあって朝早くから結構な人出。ほぼ満席に近く、到着したときには前と後ろのいくつかの席しかあいていませんでした。
2回目の「アバター」は日本語吹き替えだったのですが、さすがに声優さんたちも上手で、全く違和感なく見ることが出来ました。字幕だと、どうしてもそちらに気が取られてしまい、しかも3Dなので字幕も読みづらく、2回目は吹き替えで見ることを勧めますね。1回目は、日本のアニメの影響を強く感じましたが、今回はもっと深いところにアメリカ自身の犯してきたさまざまな犯罪行為を断罪する寓意を込めているのではないかと感じられました。近いところではイラクやアフガンやベトナムを連想しますが、私は今回むしろアメリカ先住民に対する略奪・皆殺しの歴史を重ねてしまいました。そこまでの意図はないと監督は言うかもしれませんが、いろんな意味をくみ取れるストーリーと映像になっていると思わされたことでした。3Dの技術もこれからはもっとすすんでいくのでしょうか。楽しみです。

ときどき、足の痛みを忘れて階段を上ろうとして、痛みに顔をしかめることがあります。今日は何となく足が重く鈍痛がして、右足を引きずって歩いておりました。右をカバーすると左に負担がかかり、左の足を痛めないかと心配になってしまいます。
明日は1日中仕事が入ってしまいましたが、あさっては朝入院。早く普段の生活に戻したいものです。心より身体が早く老いていくらしい。退院したら、今度こそ身体作りにしっかり励むことにしましょう。日記もしばらくお休みです。


  3月19日(金)
今日は公立高校入試の合格者発表の日。塾にでかけて生徒達の様子を聞こうと思っていた矢先、塾のオーナーからメールが入り「全員合格しました」とのこと。最後まで気をもませた生徒がいたので、よかったよかった。
その後、電話で様子を聞いたところそれぞれの点数も自己採点で判っており、かなりきわどかったけれど何とか滑り込んだという話でした。「過去10数年不合格者ゼロの実績があったので、更新できました」との話も。
前々から、明日は生徒たちを呼んで「お祝い会」をやることになっていたので、さぞ喜びにあふれた顔を見ることができるでしょう。

天気がいいと、つい「蔓取り」に出かけたくなってしまいます。いま小さいカゴをたくさん編んで、春先の観光客に売ろうと思って、精を出しているところなのです。
あんまり大きいのは手間がかかるし、材料もそれなりに使うので、コンパクトでかわいらしいものが最近の私の好み。ちょうどいい採取場をみつけたのですが、まもなくそこら一体は全部木が伐採されるというので、そのまえに蔓を採取してしまおうと、足に負担をかけないように少しずつ採取しています。できあがりは、下の写真のようになりました。


さて、沖縄普天間基地の問題について、今日はいよいよ鳩山さん、沖縄県内にしか移設先がないようなニュアンスの発言です。成り行きからいえば当然そうなるし、オバマさんに言ったというTrust me.の中身なのでしょうから、特段驚くほどのことでもないのですが、「悩んだあげくの苦渋の選択」という腐臭漂う例の「ものいい」が予想されるだけに、この内閣の本質がいよいよ露呈してきた気がします。
昨日の報道ステーションではフィリピンの米軍基地撤去の経過と、撤去後につくられた経済特区の様子を報道していましたが、これは参考になりました。
フィリピンの経験が示していることは、政府がその気になれば外交手段を通して基地を撤去することは可能だということです。できないのは、余りにも深い対米従属にあります。米軍のためなら湯水のようにカネを注ぎ込むこの異常さを「異常」とは感じないことにそれは端的に示されています。
「主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくります」(民主党マニフェスト)という政策を、「従属的な外交を踏襲し、緊密で言いなりの日米軍事同盟をいっそう強化します」と書き換えた方がよほどわかりやすい。


  3月18日(木)
沖縄の普天間基地問題で、鳩山政権が今月中にとりまとめようとしている「移設」案は結局沖縄県内でのたらいまわし。アメリカとの協議を優先し国民に対しては「非公開」というのですから、あきれてものがいえません。
沖縄県内では、4月25日に県議会全会派が一致して10万人規模の「普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」を読谷村でひらくことを決定しました。当然です。
残念ながらこの日には間に合いませんけれど、連帯の抗議行動くらいはしなければならないでしょう。4月30日から5月6日まで沖縄に行かなければならない(父の法事)ので、怒りに沸き立つ沖縄からの報告もできるかもしれません。

普天間基地問題一事をとっても民主党鳩山政権はすでに打倒の対象になってしまったと私には思えます。民主党幹部、政府閣僚の面々にとっては、沖縄県民の気持ちよりアメリカとの関係の方が大切なのですから、沖縄に基地を押しつける以外に選択肢はありません。
「ヤマト」の人々は、地理的に遠く離れていることをもって基地問題は「ヤマト」の問題として感じられない。しかも、あまりにもアメリカ従属思考が蔓延させられているために、自立した思考に立ち得ない弱さを抱えていると私には思えます。
政府の懐柔策に安易に乗っかって「基地があるから雇用もあるし、政府の特別な優遇政策もある」「基地があるから沖縄はうるおっている」などとノーテンキなことを言う人もいまだにいますが、そんな人は沖縄に居を移して基地の近くに住んでみるか、その人の住んでいる地元に普天間基地を移設する運動をすればいいのです。自分のことになれば絶対に認めないでしょう。
沖縄の基地問題は、当然のことながら普天間基地だけのことでなく、嘉手納基地を始めとする膨大な基地群がそれぞれに県民生活を圧迫しています。基地がなければどれほどの経済効果、産業・地域振興策が生まれるか計り知れない・・・いまではこれは常識になっています。何よりも「いのち」の問題として基地問題ーー広くは日米安保条約体制の問題を自分のこととして考えなければならないでしょう。
本日から、沖縄問題に関するニュースなどをあつめておくことにしますかね。

沖縄基地問題



  3月15日(月)
昨日は良い天気で1日中北アルプスがきれいに見えていたと思ったら今日は昼頃から強風。またまた下り坂です。
太陽光の1日の発電量も日が長くなったことと、光の入射角が小さくなってきたことから今年になってはじめて20Kwhを超えました。夏のシーズンでどのくらいの発電量があるのか楽しみです。

膝の故障で入院することになったことから、何人かの方からお見舞いをいただいて恐縮しています。ありがとうございました。とはいえ、生活は上り下りの歩行を除けば、普段の生活と全く変わらないので、昨年とは大違いです。
そのようなわけで、11日から今日まで、それなりに忙しく過ごしておりました。
まず、11日はお隣さんがようやく引っ越してきて、あれこれ立ち話し。引っ越し早々だから、それ以来荷物との格闘で「疲れました」と毎日が大変そうでした。落ち着いたら、ゆっくり歓迎会でもすることにしましょう。


12日は、年金者組合、民主商工会、農民連の主催による「重税反対3.13統一行動」。集会が大町であり、決議をあげたあと、大町市街を税務署までデモ行進して、多くの参加者はそのまま税務署で確定申告するという日程です。
消費税の引き上げ論議がいっそう現実味を帯びているこのごろの政局をうけてか、昨年より参加者は多かったという報告でした。それでも30人程度の参加で、この種の集会としてはちょっとさみしかった。もっとも妻に「強く」誘われなければ私も行かなかったけど・・・。


そのあとは、今月号のファンクラブニュースと、田中町長の講演会の記録(記録、質問と回答、参加者感想)を仕上げてウエブ上にアップ。続いて13日からは、5月のウオーキングのホームページの作成にとりかかり現在地図の作成中です。
あんまり集中的にたくさん仕事をしたので、今日は集中力が切れて、昨日借りてきたビデオ=FRING=を見ていました。おぞましい猟奇殺人事件の連続とたたかう捜査官・科学者という設定はいかにもアメリカ的。現在のアメリカのドラマの問題意識がどのあたりにあるのか知りたかったというのもありました。「科学はすでに人間の統制の限界を超えてしまった」という程度のメッセージしか感じられないB〜C級のドラマですかね。今のところは。

さて、民主党が政権を取って以来、とりわけ、今年に入って強く感じていることは、民主党の先祖がえりは完全に完結したということ。政権をとるために中身は新自由主義・構造改革路線だが、装いだけは多少福祉国家的な粉飾を凝らしていたが、その上着すら脱ぎ捨ててしまったと私には見えます。後期高齢者医療制度や障害者自立支援法をめぐる問題、抜け穴だらけの労働者派遣法の改正問題、普天間基地問題など許せないことが日々たまってくる。
自民党は自民党で新党結成の動きが加速し、いよいよ自滅・崩壊過程に。面白いと言えば面白いのだが、国民の側からすれば見るに堪えない惨状です。おそらく、民主党をまきこんだ政界再編の動きは参議院選挙をめがけてこれから活発になってくるし、マスコミもここぞとばかり現象面だけをことさらに大きく取り上げ、本質論議を骨抜きにしてくるのでしょう。


  3月11日(木)
午後から整形外科へ。膝の痛みの原因を見つけるために先日MRIを受けたので、その結果を聞きに行ったのです。結果は、予想通り半月板の損傷という診断でした。右膝の内側半月板の一部に亀裂が生じたり断裂したりして痛みが生じているだろうというのです。
塾の仕事場は1階と2階に部屋があり、数ヶ月前に2階に上がろうとして急に激しい痛みに襲われ、それ以来階段もよく上がれないようになってしまったのでした。
よくよくいろんなことが起こってくるもので、これもカレイのせいかと半ばあきらめつつ、しかし歩行にかかわるだけに何とかよくしたいと思って、損傷部位を取り除く手術を受けることにしました。今月の24日に入院、25日に手術、ほぼ一週間で退院という予定です。
普通に歩く分にはほとんど問題はないのですが、いったん勾配のあるところではかなりの支障があるので、手術も早いほうがいいだろうという医者のすすめで、入院の準備検査もついでに受けてきました。幸い仕事も一つの区切りなので、ほとんど影響はありません。
一週間とはいえ、入院するとなるとその後のリハビリもありますから、それまでにやっておかなければならないことがたくさん。とりわけ、ガイドマスター関係のHP作成やマップの準備、それに前回の町づくり講演会の整理などが急を要する仕事。さっそく明日からとりかかるつもりです。
目標が定まれば、何事もかなりのスピードでやれるのですが、それまでいつもグズグズしていることが問題。今回も自分の身体の障害がはっきりしてようやく動き出さなければと思うのですから困ったものです。



  3月10日(水)
今日の朝刊をあけてびっくり。日米の「密約」についての有識者委員会の報告について「信濃毎日新聞」と「しんぶん赤旗」とで、正反対の見出しが躍っていたからです。これはまた一体??


有識者委員会の報告全文や資料は下記の外務省のサイトから全文入手できます。

外務省のサイト
報告書全文

信濃毎日では、「4密約」について3つについては広義の密約があったと認定しているのに対して、共産党の方は4密約のうち、1960年の「核持ち込み」密約を最大の焦点として、「日米核密約を否定」と見出しをつけたのでした。

日米間の「密約」といわれるもののうちで最も重大なものは、日本への核持ち込みを政府は密約を結んでいたことを明確に認識していながら「密約はない」と言い続けてきたことにあったことは論を待ちません。
有識者委員会の報告全文を読むと、22頁には「討議の記録」という密約文書についての次のような記述があります。

だがいくつかの理由から、この記述をそれだけで、核搭載艦船の寄港を事前協議の対象外とする「密約」の証拠と見るのは難しいように思われる。まずそもそもこの2項Cは、安保改定交渉の開始とほぼ同じ時期に勃発した第二次台湾海峡危機を背景にして、米国側が米軍艦船や航空機の日本への通常の出入りが事前協議制度の導入によっても制限を受けないことを確認するために求めた 了解であった。この記述が核兵器の「持込み」に関する了解であるという認識は、日本側の交渉者にはなかった。

また36頁には次のような表現があります。

互いに「深追いせず」、問題を曖昧なままにしておく。その結果、核搭載艦船は事前協議なしに日本に寄港するかもしれず、また日本政府はそうなることを表向き否定するかもしれないが、互いに抗議はしない。そういう暗黙の合意が安保改定時にできあがりつつあったと見てよいだろう。

さて、信濃毎日は、この報告書の何をもって「密約が認定された」と判断したのか。あちこち新聞をひっくりかえしても、これが密約だという記述はみあたりません。それもそのはず、報告書は、「討論記録」を狭義の密約とは認定せず、あくまで「暗黙の了解」が引き継がれたことだけを指摘しているだけですから、それだけの記述をもって「委員会は『密約』があったと認定した」と報道しているのです。
そもそも「密約」というからには、双方の明確な合意が形成されていなければなりません。「食い違いがあることをお互いに知っていて、それをそのまま知らんふりを続けよう」ということを「密約」というんでしょうかね。

これに対して、共産党の志位委員長は9日に見解を発表して、委員会報告の論旨は「全くなりたたない議論」であるとのべています。詳細は直接見解を聞いてもらえればいいのですが、要するに、日米で密約であるという明確な合意があり、アメリカ側もそのように認識していた証拠がそろっているのに、この委員会報告はそれにはあえてふたをして、かえって大きな矛盾を抱えてしまっていることを指摘したものです。
その矛盾というのは、一方で「討論記録」が密約の証拠にはならず、日米間の間に明確な合意がなかったとのべて密約を否定しながら、他方で「日本政府は、・・・核搭載艦が事前協議なしに寄港することを事実上黙認した」「事実に反する明白なウソをつき続けた」と歴代政府のとってきた態度を批判していることの間の齟齬をいいます。
つまり「密約がないのに、米国が核搭載艦を事前協議なしに寄港させていたとすると、米国は条約上の権利をもたないまま、無法な核持ち込みを続けていたということになる。そして日本政府はそうした『無法』を黙認してきたことになる」というわけです。今後とも、「討論記録」は密約とはいえないのですから、これを廃棄する必要もなく、またアメリカは今後とも堂々と核兵器搭載艦船や航空機を日本に自由に立ち入らせることができるというわけです。
信濃毎日はこうしたことには触れないまま、「報告書は『広義の密約』があったと認定した」と報じてしまった。しかも信濃毎日は、報告の重要な部分である<1.「討議の記録」(Record of Discussion)の解釈>(20頁〜)を載せていません。
タブーとされてきた「密約」問題に一定の踏み込みを見せながら、結局はアメリカへの配慮を優先させたこの委員会報告。今後の核問題にも大きな火種を残した報告であることは信濃毎日も認めているのですから、マスメディアとしてももっと踏み込んで核「密約」問題を解明・追及していってほしいものです。


  3月9日(火)
今日一日、ずっと雪。とくに夕方から夜にかけてかなり激しく降って、塾からの帰りには30センチくらいの積雪になってしまいました。除雪車が出動するくらいですから、池田町としてはこの冬一番の積雪です。おかげで、仕事から帰ってから今冬初めての雪かき。一汗かいてしまいました。

一昨日、昨日と、妻とともに木曽町へ。木曽町で開かれた「町づくりシンポジウム」に出席することがメインでした。
ところがあいにくの雪模様。今日ほどではありませんでしたが、あいにくの天気になってがっかりでした。シンポの後には開田高原でホテルを予約していたので、御嶽山や開田高原の風景が見られると思っていたからです。しかし、山は雲で厚く覆われ、辺り一面雪景色。真冬の景色を眺めにきたようなものでした。


木曽町では現在、市街地活性化の事業の一環として図書館を含む多目的施設を建設しようとしているのですが、それをどのような位置づけで建てたらいいのか、そもそもどのように街中を活性化していくのかを町民、有識者などの知恵を集めて議論しようというのがこの「シンポジウム」の目的でした。
基調講演は、サイエンス映像学会学会会長の養老孟司さん。それに続いて、街なか再生総合プロデュース事業を担う株式会社レオンからプロジェクトビジョンの発表。さらに、チラシにもあるとおり蒼々たるメンバーによるパネルディスカッションと盛りだくさん。結局時間が足りなくて、中途半端な感じで終わってしまいましたが、それなりに町づくりへの刺激も受けてきました。
この内容はいずれ時間を見てまとめることができたら、紹介することにしましょう。
今日・明日は、いろいろと仕事もあって、なかなかまとまった時間を取ることができず、書いていることもいささか言葉足らずになっています。。






  3月3日(水)
3月に入り、やるべきことがたくさん出てきました。その一つは今月のファンクラブのニュースづくり。これは今日一日かかって、だいたい仕上げてしまいました。
今月はこのほかに、塾の高校生のための教材づくりがあります。数学VCのテキストとTAUBの問題づくり。テキストは何とかなりますが、問題づくりの方は、いろんな問題集から適切なものを私の方針に従って集め、詳しい解答を作成するのでやたら時間がかかってしまいます。やる気十分の彼ら、彼女らのためにはひと肌脱がないといけないと心をきめて、最後のご奉公です。
さらに今月は、ウオーキングのホームページと地図づくり。5月のイベントのための公式ホームページを立ち上げることと、そのためのマップを作ることが決まっているので、3月一杯には何とかしないと。
さらに、この前の田中町長の講演会の記録整理と感想文などの整理とウエブ上への公開、町政研究会のための資料づくりも大きな仕事。そうそう、税務署に確定申告に行かなくちゃいけないんでした。
これまでややズボラな毎日を過ごしていたので、気合いを入れ直して一つずつ解決していくことにします。

今日は、午前中久しぶりに散髪へ。鏡で見る我と我が身の老いに驚き落胆しながら、約1時間じっとしておりましたよ。



  3月2日(火)
2月28日、3月1日と東京に出かけていました。いくつか目的があって出かけたのはいいのですが、膝の痛みを忘れていて、東京の地下鉄などの上り下りには閉口。それでも無事昨夜帰って参りました。

着いた日には、終日津波の情報が日本中を駆け回っており、交通にも支障があるかと心配していましたが、都心は何事もなく大丈夫。それにしても、50年前の悪夢を思い起こした人たちは生きた心地がしなかったでしょうね。それほどの高さにならなかったのが救いでした。

目的のひとつはかつての教え子の卒業記念作品発表会の鑑賞でした。6,7年前にもなりますが、神奈川の塾で教えていた生徒から卒業作品の発表会が国立新美術館であるからと案内があったので、出かけていったのです。
毎年ちゃんと年賀状をくれたり時節の変わり目で挨拶状をくれていたのに、私自身返事をだしたりださなかったりいい加減だったので、お詫びかたがた久しぶりに東京に出かけてみようという気になったのでした。
ちょうどその日、展示場の係になっていOさんと久しぶりにご対面。変わっていてわからないのではないかと思ったら、意外にもすぐにわかってしまった。懐かしい話もいろいろしながら、30分過ごして会場をあとにしました。




六本木に新しくつくられたこの新美術館では、ちょうど「ルノアール展」をやっていたので、Oさんに会う前の待ち時間を利用して2時間ほどかけてじっくり鑑賞することができました。
折しも2月21日、NHKの「日曜美術館」でルノアールについてとりあげ、くわしく解説していたのでこれを見るのにはずいぶん参考になりました。
私は全くの素人で、どこをどう見たらいいかわからないので、ただ印象派の作家の雰囲気を感じ取ってきただけ。
パリのルーブル美術館や国立現代美術館で見た、きら星のような作家たちの作品を見たときは、すべて新鮮で感動したものでしたが、これとは違って一人だけの作品の集合体なので、一つひとつ丁寧にみるとずいぶん疲れます。フランスでは、柵などなくてさわろうと思えばさわれるような扱い。こちらではうんと近づいてみることができないのはいかにも残念です。こまかいタッチや色の使い方は目の悪い私には全然わかりませんでした。

始めにも書いたように、久しぶりの東京で、しかも地下鉄を利用したものだから階段の上り下りが大変。4時頃には早々と新宿のホテルに駆け込んで一休みしました。

月が変わって3月1日には10時にチェックアウト、すぐに代々木の本屋さんに向かいました。社会科学系の本がおいてある書店で、普段買うことが出来ない本をあれこれ選んで宅配便にし、続いて新宿へ。目的はいま評判の「アバター3D」を見ることです。40分ほど前に着いたのですが、月に一度のサービスデーだからなのか、都心の良い場所にあるからなのか、すでに券売の窓口は人で一杯。何とか良い場所を確保することができました。
メガネの上からメガネをかけるので、ときどきずり落ちてくるのはしかたがないとして、はじめて見る3D映像はなかなかの迫力でした。何と言っても映像が美しい。ふわふわと空中に漂う綿毛風「クラゲもどき」風の生き物(?)が何とも心和みます。これらのストーリー、作画はキャメロン監督の新境地かと思っていたら、映画が進行するうちに、デジャブ・・・。日本の宮崎アニメ『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』などの影響を色濃く受けているのではないかと思われる節が見えたし、かつての作品の焼き直しのような部分も結構多かった。ただ、3Dの効果に力点がおかれて、あらすじはかなり凡庸。ナウシカのような哲学はありません。それでも、ストーリー展開の背景には自然保護への強いメッセージとアメリカのベトナム侵略やイラク・アフガンに対する戦争政策への一定の批判が見て取れましたから見応えは十分ありました。

というわけで、所期の目的を達成して、定刻通り16時発のスーパーあずさに乗って帰途につきました。帰りは途中で強風のため橋が渡れず待ちぼうけを食いましたが、30分ほど遅れで松本に到着、乗り継ぎの待ち合わせ時間もほとんどなくほどなく明科に着きました。
今度東京に行くときは、膝をしっかり治し、足腰を鍛えて行くことにしましょう。




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