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  12月30日(日)    
一日中雨が降り、さしもの雪もどんどん消えて昨日の朝の面影もありません。ただ明日には雨から雪に変わり、元日にはまた寒波がやってくるのでしょうか。ここしばらく暖かい状態が続き、過ごしやすかったのでよかった。

妻は買い物にでかけて新年のごちそうをまとめ買いしてきてくれました。スーパーは芋の子を洗うような混雑だったと話していました。
元日からは娘夫婦と孫が、2日からは息子夫婦と孫がそれぞれやってきます。こんどは我が家が芋の子洗い状態になるので、それなりに覚悟が要ります。孫たちも少しずつ大きくなっているので、多分数年前のような幼稚園みたいなことにはならないでしょうが、それでも10人近くがいっしょに生活すると、これはうれしい悲鳴。ハルちゃんも居場所がなくなって、天井裏に避難することになるでしょうか。
賑やかに新年を迎えられるのは幸せなことですね。その昔、わが子たちがまだ小さかった頃、父母の実家にみんな勢揃いして遊んだ記憶が甦ってきます。子どもたち(孫たち)にとっては、いとこの存在は意外と重要です。年が近いと言うこともあって、気が合えば長くつきあえる存在になりますから。
ただ、孫たちはこれまでのところ、我が家にやってきても一緒に遊ぶのではなく、それぞれ孤立してゲームをやっているのですからちょっと心配です。さて、今年はどんな正月になるのか。
私自身は、とにかく3日からの冬期講習の準備をしなければならないので、それどころではなさそう。そのまえに年賀状を片付けなければ・・・。



  12月29日(土)    
夕べから今朝にかけて約20センチの積雪。予想はしていたものの意外に重たい雪で、朝起きてからの除雪に妻と二人で1時間もかかってしまいました。まるで富山の雪のようです。


日中はよく晴れて暖かい1日となり、車を運転していると暑いほど。この数日であまりにも気温の変化が激しいので、のどや鼻がやられて睡眠に影響しています。

26日から我が家に逗留して塾での仕事をしていたMNEMOさんが東京に戻っていきました。塾まで送っていく際に、雲間から頭を出している鹿島槍ヶ岳や爺ヶ岳のたたずまいをみて、「すばらしい」と感動することしきり。「安曇野のフルコースを満喫しました」と感想をもらしていました。
日頃から見慣れている私とは違って、新鮮な印象を受けたのでしょうね。確かに私自身もこの安曇野に来た年には何もかもが美しく輝いてみえ、写真をとりまくっていましたから、10年近くの歳月は私の感覚もだいぶ摩滅させてしまったのでしょう。
写真の撮り方も彼の場合は全然違う。私はごく普通のありふれた撮り方、まあ模範的な撮り方ですが、彼の場合はアングルも対象のとらえ方もその感性を反映しています・・・。彼が撮った写真は、その場で渡すことができなかったので、下に通し番号でリンクしておきました。


               01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 

いよいよ年の瀬も押し迫ってきました。年賀状はここずっと新年になって書いていたのですが、さすがに今年はちょっと早めに(!)今日印刷。
本当はもっと早くにするはずだったのですが、二人ともプリンタが寿命になってしまい、昨日買い換える羽目になってしまったのでした。ドライバを入れたりセットしたりするためにそれなりに時間を使ってしまい、ようやくうまく言ったという次第。相変わらず1日にはとどきませんが、何とぞご容赦を。



  12月27日(木)    
コトバの軽さとはすなわち行為の軽薄さなのでしょうね。最近の政局であらわれる「コトバ」を聞きながらつくづくそのように思わされます。
そう思ってよく見ると、今日の新聞にはおもしろいコトバがあふれていましたよ。
「修復は難しい、成田離婚だ」・・日本未来の党の人事をめぐるいざこざで阿部知子さん。成田離婚なんてもう死語かと思っていたのに。年内にも「分党」というその一方のグループの目指したいのは、「国民の生活が第一」じゃなくて「小沢さんが第一」ってことでしょう。そういう党名にすればいいのに。

「私は『できる』と思って暴走を覚悟した。みんな暴走しよう」・・・と議員総会で石原慎太郎さん。維新の会は暴走族か?暴走老人クラブ?
このお方は、「憲法というやっかいなものを抱えているために、絶対平和という共同幻想におぼれてきて、この体たらくになった」という持論のあとに、「みんな暴走しよう」とのたまったらしい。いやはや。
「憲法は国民の半分が変えようと思えば変えていいんですよ。当たり前だ。憲法を国民の手に取り戻す」・・・今年3月六本木のクラブでのイベントで安部さん。若者を相手にはしゃいでいる様子を、信濃毎日が紹介しています。「憲法を国民の手から引き剥がす」というのが正しいと思うんだけど、彼の目には「改憲派」だけが国民なのです。その他は「非国民」ですぞ、ヒコクミン。

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1つの虚報が原因で銃殺刑に処せられた向井少尉たちと残された家族。そして無実の罪で処刑されながらも「中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」と遺書を残すことができた日本人とは・・・。
このような立派な遺書を残して散っていった日本人がいた。この遺書は日本刀で中国人を斬り殺す競争をした人間が書けるものではない。(26ページ)
多くの日本人がそうであるように、私も大東亜戦争は多くの日本人を犠牲にした誤った戦争であり、叔父を含めて特攻隊に志願して散華した若者たちはかわいそうな犠牲者だと思っていた。しかし、そうではないかもしれない。(32ページ)

稲田朋美著「百人斬り裁判から南京へ」の最初の方に書かれた彼女の感想です。この人は、自らの心証をもとに「資料」を集め、「百人斬り裁判」の被告弁護を行おうと決意するのです。この本はその経過をつづり、また南京虐殺も虚構であることを立証しようとするきわめて「意欲的」な本ですから、ついその気にさせされてしまいます。

「百人斬り」については、歴史学者の笠原十九司さんが「『百人斬り競争』と南京事件」を書いて、詳細に彼女の虚構を粉砕していますから、これはそちらを読んでいただく他はありません。私が注目するのは、そもそも彼女の出発点になっている「こんな礼儀正しく立派な人が、そのような恥知らずな暴挙をするはずがない」という思いこみの方です。

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ドイツの医学博士で平和活動家のティル・バスティアンが、ナチによる「ホロコースト」はなかったとする歴史修正主義に対して、「アウシュビッツと<アウシュビッツの嘘>」と題する小冊子を書いています。その本の冒頭には、「日本の読者へ」という短い挨拶文がのせられているのですが、その中に注目すべきことが書かれています。

こうした偽造行為(ホロコーストは無かったという主張)はどのような心理から生じるのだろうか。例えば当時の人々が、ホロコーストがおきていることをにわかには信じられずにいたのは、人間の本能からすればまったく自然なことであった。つまりホロコーストでは、おびただしい数の老若男女が、機械的に、また虫けらの如くに殺害され、この出来事は並の人間の想像力をはるかに超えていた。だからこそホロコーストを否定する人々は、現在に至るまで「そんなことは嘘だ」と言い張ることができたのである。
ナチ犯罪はあまりにも特異で、容易には理解しがたいものであるからこそ、これを否定しようとするよどんだうねりは絶えることがない。


様々な資料や証言でそのおぞましい蛮行が完全に明らかになっているナチ犯罪ですら、「なかった」か人数的には他国の犠牲者とさして変わらないとする「見解」が繰り返しあらわれるのですから、南京虐殺やそれに付随する「百人斬り」に至っては、ますますそうでしょう。
この「ホロコースト」を「百人斬り」と置き換えれば、笠原さんの労作が何を明らかにしたかがわかります。バスティアンのこの本を読むと、日本での「従軍慰安婦」問題、南京虐殺問題、沖縄での集団「自決」問題での歴史改ざん派の主張や行動とうり二つであることに驚きを禁じ得ません。
乏しい一次資料の中で事実を明らかにしようとする懸命な歴史研究者の努力をあざ笑うかのように、この国では日中戦争における日本軍の実相が作り替えられつつある。これからも執拗に繰り返し繰り返し現れてくるはずです。このことをどう考えるか。この逆流を跳ね返すにはどうするか。

本書が国境を越えてより多くの読者を得ることができれば、この濁った波を押し戻す新たな力が生まれることでしょう。(日本の読者へ)

歴史から学ぼうとしない者や、歴史を無害化したり、ましてや偽造しようとする者たちは、結局のところ、この愚かしい歴史をやみくもに繰り返すものとして必ずや断罪されることだろう。
                      ティル・バスティアン





  12月26日(水)    
寒波がまたまたおそってきています。昨夜はそれほどでもなかったのですが、明朝は零下8度くらいになるという予報。
寒い中、MNEMOさんが冬期講習のために東京から到着、さっそく我が愛車で出かけていきました。今回は29日までの「長期」逗留ですから、しばらく一緒の生活。まあ、気を遣わず我が家と思って気楽に過ごして欲しいものです。

安倍内閣の副総理が麻生太郎元首相をすえ、法務大臣に谷垣前総裁、経済再生相に盟友・甘利明を起用するなど、「挙党態勢での経済再生」を演出しています。また、「女性、女性」といいつつ、行革相に超タカ派の稲田朋美を据えるのはいかにも安部内閣らしい。
一言でいえば、財界の要求に全面的に答えた旧来の大型公共投資と金融自由化による国土「強靱化」計画の実行および参院選後の改憲推進の布陣ということになるでしょう。
当面、世論の動向をにらみつつ、徐々に「安部カラー」を押し出していくのではないでしょうか。大型補正の後、100兆円の「防災・減災ニューディール」計画という公明党の主張にも乗って大型公共投資に国家財政を注ぎこめば、しばらくは一定の景気回復局面が現れるかもしれません。しかし、国民の収入は増えず、さらに消費税増税に踏み切れば、とんでもない財政危機を迎えることは広く議論されている通りですから、遠からずこれまで以上のひどい矛盾に引き裂かれることになるはずです。
そのとき、彼らは意識的に「領土問題」をテコとしたナショナリズムをあおり立てるでしょう。すでに新内閣就任の記者会見でもで「美しい海・空」を守るという「いまそこにある危機」を克服しようと訴えているのですから。改憲への道が具体的な日程として姿を現すのはそう遠いことではないでしょう。

一昨日、昨日の「しんぶん赤旗」に不破社研所長への注目すべきインタビューが載りました。2月号の前衛誌上でスターリン問題についての研究成果が連載されるという内容です。
この問題は、戦後の千島を巡る領土問題でも、シベリア抑留問題でも、世界の戦後史を巡るさまざまな問題でも全面的な解明を求められる深刻な内容をはらんでいることから、ずっと関心を持っていたことです。
今から30年前には不破さんの「スターリンと大国主義」というスターリン批判の連載が行われ、新書としても読むことができます。私も、不破さんの連載に先立って、同書とともに、M・レヴィンの「レーニンの最後の闘争」(岩波書店)を昨日からずっと読んでいたのです。
昔も読んだことがあったのですが、いま改めて読み返してみると新しい視点からずいぶんたくさんのことを学ぶことができます。
スターリンの大国主義、覇権主義の害悪はいまさら述べるまでもないことですが、実は、この問題は決して過去のことではありません。中国が現在とっている態度も多かれ少なかれスターリン主義を引き継いでいるともいえからです。また、違った意味、つまりアメリカの対外政策、とくにイラクやアフガンなどに対する覇権主義・帝国主義の政策と、それに対する対応という意味でもきわめて今日的であると思われます。



  12月22日(土)    
3時前にメンバーが無事池田町に帰着しました。詳細はネットワークの会議をへてお知らせすることになります。
池田町の被災地支援ネットのみなさんのために、女川町の高野さんから今送られてきた(私が高野さんに写真を撮って送ってくれるように頼んでいたのです)、活躍中の我がメンバーの写真をいくつか紹介します。これらは「特養おながわ」前での餅つきの様子です。
午前9時頃から準備を開始し、特養の職員のみなさんのご協力も得て7臼もの餅をつきあげ、お鏡をつくったり、入所中の高齢者のみなさんに召し上がっていただいたものです。
(プライバシー保護のため、入所者のみなさんの顔はかなりボカしてあります)
メンバーからは、午前中教育長をはじめとする教育委員会の方々と懇談を持ったことや、保育所にNさん手作りの帽子90個を届けたこと、午後には女川町商工会との懇談も予定通りすませたとの報告がありました。
















奇しくも、23日付け最新の「赤旗日曜版」で、女川町での高野さんや阿部さんの活躍と選挙での躍進のニュースが大きく載せられていました。写真には、被災地の住民とともに笑顔でうつっているお二人。
私はこの記事を読みながら昨年3月21日に日記で紹介した同じ赤旗の記事を思い出します。3月21日の記事ですから、その取材はもっと前、震災から数日のことだったのではないでしょうか。
それから1年9ヶ月たって、いま女川町は再生に向けた必死の努力を続けているのです。その先頭に高野さんたちがいる、そのことを実感させてくる記事です。

原発立地の女川町は、いわば東北電力の城下町。関連する仕事についている人たちがたくさんいます。電力会社のネットワークが網の目のように張り巡らされた地域で、原発の危険性を40年間一貫して訴え続けてきたのは、我が先輩の高野さんでした。どれほどの困難があったか想像することもできません。
そして昨年の3.11大震災。町のほとんどを失った地元で自らも家を失いながら、住民のために骨身を惜しまずに取り組み続けたその結果がはっきりと、町議選と衆議院選挙で示されたのでした。おそらくこれからも、共産党議員としての役割をいよいよ発揮してくれることでしょう。期待しています。





  12月21日(金)    
女川の代表団に夜連絡をとったところ、今日の任務は無事すべて終えて「厳しく反省会」をやっているという報告がありました。厳しく一杯やっているのではないかと想像しますが、ともかくお疲れ様でした。明日は天気が下り坂になるので、早めに出発するとも言っていました。帰路交通に気をつけて帰ってくれることを願っています!!

通常の塾の仕事はあと24日を残すだけ。いつもは土曜日ですが、今週だけは松本でセンタープレテストがあるので曜日が変わったのです。
センター試験まで1ヶ月を切り最後の追い込み。どの教科・科目をとってもまだまだ最後の仕上げまでにはそれぞれ距離がありますから、焦りも出てくるかもしれませんね。それでも、あと1ヶ月でやれることはたくさんある。問題は自分の弱点をよく分析し、何が必要なのかをはっきりさせることです。
毎年のことですが、どんなに力がある生徒でも、いざ本番となると別の要素が加わってきます。自分を落ち着かせ、普段通りの力が発揮できるように出来ることも力のうちの1つ。あとは、ひたむきに努力を傾けるのみ。やれるだけのことをやりきれば、あとに悔いは残りません。

仕事から帰るのはいつも10時半頃。今日はテレビでちょうどミッションインポシブル第一作をやっていました。
妻がつくってくれた夕食(夜食)をとりながら映画の終わりの部分を何気なく見ていたら、ヴィング・レイムス扮するルーサーが懐かしのPowerBook540をさわっていた。ついそんなところが気になるんですね。
このマシンは私のパソコン事始めを飾ってくれたものですから、なおさらです。PowerBook540Cは1994年の発売で映画が1996年、もう10数年前のことになるんですねえ。しかも映画で使っている外付け記憶メディアがMOときているので本当に歴史を感じさせます。USBなんてまだ無い時代。スカジー接続でしたね、多分。フロッピーでないだけましか。
このPowerBook540Cだけは今でもときどき引っ張り出しては起動していますが、ちゃんと動いてくれます。ブラウザはさすがに重くてほとんど実用にはなりませんけれどメールはちゃんとできます。
ジョブスが追い出されていたときのマシンではあれ、アップルのコンセプトは隅々まで貫かれていて、いま使ってみても古さを感じさせないところはさすがです。
ネットでこの機械を検索していたら「電源のスイッチがどこにあるのかわかりません」というもっともな疑問が書き込まれていました。キーボードの右上にある三角のキーが起動ボタンですから、譲り受けた人ならわからないはずですよね。
10数年前の悪戦苦闘を思い出しながら、映画のワンシーンを見ておりました。









  12月20日(木)    
今朝は今冬一番の冷え込みのようで、分厚い霜柱ができ、私の軽トラも妻のシエンタも完全に氷漬け。昨夜から泊まっているMNEMOさんはそれを見て「まるでフローズン・カーだ」と恐怖の面持ちでひとこと。
北海道陸別町ではマイナス26度、北海道池田町(同じ名前)でもマイナス23度という信じられない低温ですから、池田町はまだ暖かい??

毎回、MNEMOさんが仕事を終えて帰ってくるのは夜11時近くですから、それからの夕食。ほぼ一時間くらいですが、私も妻も交えていろいろ話しこんであっという間に時間がたってしまいます。いつも楽しい時間です。

今朝は妻はプール、私はバラの会とそれぞれ出かけるところがあったので、朝8時過ぎみんなでほぼ同時に家を出ることになりました。妻はMNEMOさんを明科駅まで送り、私は軽トラで大峰高原へ。
大峰に近づくと道路脇には次第に雪が多くなり、予定地では全体にうっすらと雪がまだ残っています。みんなが到着するまでに、どこで落ち葉を集めるのかを決めないといけないので、奥に行ってみるとさらに雪が多くなり不可。やむなく、できるだけ日なたで、集めやすい管理棟の付近で作業をすることにしました。
集まったメンバーは7名。軽トラも5台。約1時間半の作業でまずまず落ち葉を集めることができました。




終了後は、落ち葉を満載にした軽トラを連ねてバラ園へ。すでにバラ園では女性の会員数名が手入れの作業を行っており、そこへ合流、次の作業に移りました。すでに作ってあった木枠の中に落ち葉、牛糞、米ぬかを順に入れ込んで踏み固める仕事です。
発酵した牛糞からは湯気が立ち上り、木枠の中にいる二人は「足が温かい」と言っていました。10人を超えるメンバーで作業をしたために、割と早くに作業が終わって、そのあとはいつものように軽食をとりながら、歓談。
その後、到着したバラを植えたり、秋に刈り取った雑草を燃やしたりして整備作業を行いました。すべて終了したのは午後1時をまわっていたでしょうか。会員、サポーターのみなさん、お疲れ様でした!












  12月19日(水)    
朝からまた急に冷えてきました。前ほどではないけれど、次第に寒気が迫ってくるのが実感できます。日ざしを浴びていればそれなりに暖かいのですが、日陰や風の通り道では寒さが身にしみます。
夕方にはすでに零度を下回り、MNEMOさんの帰りを待っている午後10時過ぎにはマイナス3,4度くらいになっているでしょうか。冷蔵庫からビールを取り出して、そのまま外に置いています。冷蔵庫より冷えていますからね。私は飲まないからいいですけど、飲む人は冷たすぎるのかな??


明日からの被災地支援のために、我が家に届けられた支援物資(段ボール8個ほど)を参加メンバーの家に届け、手編み帽子を提供してくれた方のメッセージを完成し、ようやく準備が整いました。
明日はメンバーの一人がトラックを借りに行き、先日つみ取ったリンゴの保存分500個を積み込み、さらに荷物をつんで、先発として午前11時頃出発。そのあと午後1時頃に乗用車メンバー3人がトラックを追いかけるという予定。宮城県のどこかで落ち合って宿舎に行くことになります。
明後日21日は、早朝から女川町の高齢者施設に出向いてまず餅つきの準備。その後二人は女川町教育委員会と学校へあいさつに。あとのメンバーは施設の職員の協力を得てそのまま12時過ぎまで餅つきをします。
午後は、商工会を訪問したり被災地の現状を視察したりして過ごし、翌朝池田町に戻ってきます。とにかく道中気をつけて無事帰ってくれることを願うだけです。

私は仕事の関係でどうしても都合がつかず、残留組。ただ