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  12月30日(日)    
一日中雨が降り、さしもの雪もどんどん消えて昨日の朝の面影もありません。ただ明日には雨から雪に変わり、元日にはまた寒波がやってくるのでしょうか。ここしばらく暖かい状態が続き、過ごしやすかったのでよかった。

妻は買い物にでかけて新年のごちそうをまとめ買いしてきてくれました。スーパーは芋の子を洗うような混雑だったと話していました。
元日からは娘夫婦と孫が、2日からは息子夫婦と孫がそれぞれやってきます。こんどは我が家が芋の子洗い状態になるので、それなりに覚悟が要ります。孫たちも少しずつ大きくなっているので、多分数年前のような幼稚園みたいなことにはならないでしょうが、それでも10人近くがいっしょに生活すると、これはうれしい悲鳴。ハルちゃんも居場所がなくなって、天井裏に避難することになるでしょうか。
賑やかに新年を迎えられるのは幸せなことですね。その昔、わが子たちがまだ小さかった頃、父母の実家にみんな勢揃いして遊んだ記憶が甦ってきます。子どもたち(孫たち)にとっては、いとこの存在は意外と重要です。年が近いと言うこともあって、気が合えば長くつきあえる存在になりますから。
ただ、孫たちはこれまでのところ、我が家にやってきても一緒に遊ぶのではなく、それぞれ孤立してゲームをやっているのですからちょっと心配です。さて、今年はどんな正月になるのか。
私自身は、とにかく3日からの冬期講習の準備をしなければならないので、それどころではなさそう。そのまえに年賀状を片付けなければ・・・。



  12月29日(土)    
夕べから今朝にかけて約20センチの積雪。予想はしていたものの意外に重たい雪で、朝起きてからの除雪に妻と二人で1時間もかかってしまいました。まるで富山の雪のようです。


日中はよく晴れて暖かい1日となり、車を運転していると暑いほど。この数日であまりにも気温の変化が激しいので、のどや鼻がやられて睡眠に影響しています。

26日から我が家に逗留して塾での仕事をしていたMNEMOさんが東京に戻っていきました。塾まで送っていく際に、雲間から頭を出している鹿島槍ヶ岳や爺ヶ岳のたたずまいをみて、「すばらしい」と感動することしきり。「安曇野のフルコースを満喫しました」と感想をもらしていました。
日頃から見慣れている私とは違って、新鮮な印象を受けたのでしょうね。確かに私自身もこの安曇野に来た年には何もかもが美しく輝いてみえ、写真をとりまくっていましたから、10年近くの歳月は私の感覚もだいぶ摩滅させてしまったのでしょう。
写真の撮り方も彼の場合は全然違う。私はごく普通のありふれた撮り方、まあ模範的な撮り方ですが、彼の場合はアングルも対象のとらえ方もその感性を反映しています・・・。彼が撮った写真は、その場で渡すことができなかったので、下に通し番号でリンクしておきました。


               01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 

いよいよ年の瀬も押し迫ってきました。年賀状はここずっと新年になって書いていたのですが、さすがに今年はちょっと早めに(!)今日印刷。
本当はもっと早くにするはずだったのですが、二人ともプリンタが寿命になってしまい、昨日買い換える羽目になってしまったのでした。ドライバを入れたりセットしたりするためにそれなりに時間を使ってしまい、ようやくうまく言ったという次第。相変わらず1日にはとどきませんが、何とぞご容赦を。



  12月27日(木)    
コトバの軽さとはすなわち行為の軽薄さなのでしょうね。最近の政局であらわれる「コトバ」を聞きながらつくづくそのように思わされます。
そう思ってよく見ると、今日の新聞にはおもしろいコトバがあふれていましたよ。
「修復は難しい、成田離婚だ」・・日本未来の党の人事をめぐるいざこざで阿部知子さん。成田離婚なんてもう死語かと思っていたのに。年内にも「分党」というその一方のグループの目指したいのは、「国民の生活が第一」じゃなくて「小沢さんが第一」ってことでしょう。そういう党名にすればいいのに。

「私は『できる』と思って暴走を覚悟した。みんな暴走しよう」・・・と議員総会で石原慎太郎さん。維新の会は暴走族か?暴走老人クラブ?
このお方は、「憲法というやっかいなものを抱えているために、絶対平和という共同幻想におぼれてきて、この体たらくになった」という持論のあとに、「みんな暴走しよう」とのたまったらしい。いやはや。
「憲法は国民の半分が変えようと思えば変えていいんですよ。当たり前だ。憲法を国民の手に取り戻す」・・・今年3月六本木のクラブでのイベントで安部さん。若者を相手にはしゃいでいる様子を、信濃毎日が紹介しています。「憲法を国民の手から引き剥がす」というのが正しいと思うんだけど、彼の目には「改憲派」だけが国民なのです。その他は「非国民」ですぞ、ヒコクミン。

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1つの虚報が原因で銃殺刑に処せられた向井少尉たちと残された家族。そして無実の罪で処刑されながらも「中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」と遺書を残すことができた日本人とは・・・。
このような立派な遺書を残して散っていった日本人がいた。この遺書は日本刀で中国人を斬り殺す競争をした人間が書けるものではない。(26ページ)
多くの日本人がそうであるように、私も大東亜戦争は多くの日本人を犠牲にした誤った戦争であり、叔父を含めて特攻隊に志願して散華した若者たちはかわいそうな犠牲者だと思っていた。しかし、そうではないかもしれない。(32ページ)

稲田朋美著「百人斬り裁判から南京へ」の最初の方に書かれた彼女の感想です。この人は、自らの心証をもとに「資料」を集め、「百人斬り裁判」の被告弁護を行おうと決意するのです。この本はその経過をつづり、また南京虐殺も虚構であることを立証しようとするきわめて「意欲的」な本ですから、ついその気にさせされてしまいます。

「百人斬り」については、歴史学者の笠原十九司さんが「『百人斬り競争』と南京事件」を書いて、詳細に彼女の虚構を粉砕していますから、これはそちらを読んでいただく他はありません。私が注目するのは、そもそも彼女の出発点になっている「こんな礼儀正しく立派な人が、そのような恥知らずな暴挙をするはずがない」という思いこみの方です。

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ドイツの医学博士で平和活動家のティル・バスティアンが、ナチによる「ホロコースト」はなかったとする歴史修正主義に対して、「アウシュビッツと<アウシュビッツの嘘>」と題する小冊子を書いています。その本の冒頭には、「日本の読者へ」という短い挨拶文がのせられているのですが、その中に注目すべきことが書かれています。

こうした偽造行為(ホロコーストは無かったという主張)はどのような心理から生じるのだろうか。例えば当時の人々が、ホロコーストがおきていることをにわかには信じられずにいたのは、人間の本能からすればまったく自然なことであった。つまりホロコーストでは、おびただしい数の老若男女が、機械的に、また虫けらの如くに殺害され、この出来事は並の人間の想像力をはるかに超えていた。だからこそホロコーストを否定する人々は、現在に至るまで「そんなことは嘘だ」と言い張ることができたのである。
ナチ犯罪はあまりにも特異で、容易には理解しがたいものであるからこそ、これを否定しようとするよどんだうねりは絶えることがない。


様々な資料や証言でそのおぞましい蛮行が完全に明らかになっているナチ犯罪ですら、「なかった」か人数的には他国の犠牲者とさして変わらないとする「見解」が繰り返しあらわれるのですから、南京虐殺やそれに付随する「百人斬り」に至っては、ますますそうでしょう。
この「ホロコースト」を「百人斬り」と置き換えれば、笠原さんの労作が何を明らかにしたかがわかります。バスティアンのこの本を読むと、日本での「従軍慰安婦」問題、南京虐殺問題、沖縄での集団「自決」問題での歴史改ざん派の主張や行動とうり二つであることに驚きを禁じ得ません。
乏しい一次資料の中で事実を明らかにしようとする懸命な歴史研究者の努力をあざ笑うかのように、この国では日中戦争における日本軍の実相が作り替えられつつある。これからも執拗に繰り返し繰り返し現れてくるはずです。このことをどう考えるか。この逆流を跳ね返すにはどうするか。

本書が国境を越えてより多くの読者を得ることができれば、この濁った波を押し戻す新たな力が生まれることでしょう。(日本の読者へ)

歴史から学ぼうとしない者や、歴史を無害化したり、ましてや偽造しようとする者たちは、結局のところ、この愚かしい歴史をやみくもに繰り返すものとして必ずや断罪されることだろう。
                      ティル・バスティアン





  12月26日(水)    
寒波がまたまたおそってきています。昨夜はそれほどでもなかったのですが、明朝は零下8度くらいになるという予報。
寒い中、MNEMOさんが冬期講習のために東京から到着、さっそく我が愛車で出かけていきました。今回は29日までの「長期」逗留ですから、しばらく一緒の生活。まあ、気を遣わず我が家と思って気楽に過ごして欲しいものです。

安倍内閣の副総理が麻生太郎元首相をすえ、法務大臣に谷垣前総裁、経済再生相に盟友・甘利明を起用するなど、「挙党態勢での経済再生」を演出しています。また、「女性、女性」といいつつ、行革相に超タカ派の稲田朋美を据えるのはいかにも安部内閣らしい。
一言でいえば、財界の要求に全面的に答えた旧来の大型公共投資と金融自由化による国土「強靱化」計画の実行および参院選後の改憲推進の布陣ということになるでしょう。
当面、世論の動向をにらみつつ、徐々に「安部カラー」を押し出していくのではないでしょうか。大型補正の後、100兆円の「防災・減災ニューディール」計画という公明党の主張にも乗って大型公共投資に国家財政を注ぎこめば、しばらくは一定の景気回復局面が現れるかもしれません。しかし、国民の収入は増えず、さらに消費税増税に踏み切れば、とんでもない財政危機を迎えることは広く議論されている通りですから、遠からずこれまで以上のひどい矛盾に引き裂かれることになるはずです。
そのとき、彼らは意識的に「領土問題」をテコとしたナショナリズムをあおり立てるでしょう。すでに新内閣就任の記者会見でもで「美しい海・空」を守るという「いまそこにある危機」を克服しようと訴えているのですから。改憲への道が具体的な日程として姿を現すのはそう遠いことではないでしょう。

一昨日、昨日の「しんぶん赤旗」に不破社研所長への注目すべきインタビューが載りました。2月号の前衛誌上でスターリン問題についての研究成果が連載されるという内容です。
この問題は、戦後の千島を巡る領土問題でも、シベリア抑留問題でも、世界の戦後史を巡るさまざまな問題でも全面的な解明を求められる深刻な内容をはらんでいることから、ずっと関心を持っていたことです。
今から30年前には不破さんの「スターリンと大国主義」というスターリン批判の連載が行われ、新書としても読むことができます。私も、不破さんの連載に先立って、同書とともに、M・レヴィンの「レーニンの最後の闘争」(岩波書店)を昨日からずっと読んでいたのです。
昔も読んだことがあったのですが、いま改めて読み返してみると新しい視点からずいぶんたくさんのことを学ぶことができます。
スターリンの大国主義、覇権主義の害悪はいまさら述べるまでもないことですが、実は、この問題は決して過去のことではありません。中国が現在とっている態度も多かれ少なかれスターリン主義を引き継いでいるともいえからです。また、違った意味、つまりアメリカの対外政策、とくにイラクやアフガンなどに対する覇権主義・帝国主義の政策と、それに対する対応という意味でもきわめて今日的であると思われます。



  12月22日(土)    
3時前にメンバーが無事池田町に帰着しました。詳細はネットワークの会議をへてお知らせすることになります。
池田町の被災地支援ネットのみなさんのために、女川町の高野さんから今送られてきた(私が高野さんに写真を撮って送ってくれるように頼んでいたのです)、活躍中の我がメンバーの写真をいくつか紹介します。これらは「特養おながわ」前での餅つきの様子です。
午前9時頃から準備を開始し、特養の職員のみなさんのご協力も得て7臼もの餅をつきあげ、お鏡をつくったり、入所中の高齢者のみなさんに召し上がっていただいたものです。
(プライバシー保護のため、入所者のみなさんの顔はかなりボカしてあります)
メンバーからは、午前中教育長をはじめとする教育委員会の方々と懇談を持ったことや、保育所にNさん手作りの帽子90個を届けたこと、午後には女川町商工会との懇談も予定通りすませたとの報告がありました。
















奇しくも、23日付け最新の「赤旗日曜版」で、女川町での高野さんや阿部さんの活躍と選挙での躍進のニュースが大きく載せられていました。写真には、被災地の住民とともに笑顔でうつっているお二人。
私はこの記事を読みながら昨年3月21日に日記で紹介した同じ赤旗の記事を思い出します。3月21日の記事ですから、その取材はもっと前、震災から数日のことだったのではないでしょうか。
それから1年9ヶ月たって、いま女川町は再生に向けた必死の努力を続けているのです。その先頭に高野さんたちがいる、そのことを実感させてくる記事です。

原発立地の女川町は、いわば東北電力の城下町。関連する仕事についている人たちがたくさんいます。電力会社のネットワークが網の目のように張り巡らされた地域で、原発の危険性を40年間一貫して訴え続けてきたのは、我が先輩の高野さんでした。どれほどの困難があったか想像することもできません。
そして昨年の3.11大震災。町のほとんどを失った地元で自らも家を失いながら、住民のために骨身を惜しまずに取り組み続けたその結果がはっきりと、町議選と衆議院選挙で示されたのでした。おそらくこれからも、共産党議員としての役割をいよいよ発揮してくれることでしょう。期待しています。





  12月21日(金)    
女川の代表団に夜連絡をとったところ、今日の任務は無事すべて終えて「厳しく反省会」をやっているという報告がありました。厳しく一杯やっているのではないかと想像しますが、ともかくお疲れ様でした。明日は天気が下り坂になるので、早めに出発するとも言っていました。帰路交通に気をつけて帰ってくれることを願っています!!

通常の塾の仕事はあと24日を残すだけ。いつもは土曜日ですが、今週だけは松本でセンタープレテストがあるので曜日が変わったのです。
センター試験まで1ヶ月を切り最後の追い込み。どの教科・科目をとってもまだまだ最後の仕上げまでにはそれぞれ距離がありますから、焦りも出てくるかもしれませんね。それでも、あと1ヶ月でやれることはたくさんある。問題は自分の弱点をよく分析し、何が必要なのかをはっきりさせることです。
毎年のことですが、どんなに力がある生徒でも、いざ本番となると別の要素が加わってきます。自分を落ち着かせ、普段通りの力が発揮できるように出来ることも力のうちの1つ。あとは、ひたむきに努力を傾けるのみ。やれるだけのことをやりきれば、あとに悔いは残りません。

仕事から帰るのはいつも10時半頃。今日はテレビでちょうどミッションインポシブル第一作をやっていました。
妻がつくってくれた夕食(夜食)をとりながら映画の終わりの部分を何気なく見ていたら、ヴィング・レイムス扮するルーサーが懐かしのPowerBook540をさわっていた。ついそんなところが気になるんですね。
このマシンは私のパソコン事始めを飾ってくれたものですから、なおさらです。PowerBook540Cは1994年の発売で映画が1996年、もう10数年前のことになるんですねえ。しかも映画で使っている外付け記憶メディアがMOときているので本当に歴史を感じさせます。USBなんてまだ無い時代。スカジー接続でしたね、多分。フロッピーでないだけましか。
このPowerBook540Cだけは今でもときどき引っ張り出しては起動していますが、ちゃんと動いてくれます。ブラウザはさすがに重くてほとんど実用にはなりませんけれどメールはちゃんとできます。
ジョブスが追い出されていたときのマシンではあれ、アップルのコンセプトは隅々まで貫かれていて、いま使ってみても古さを感じさせないところはさすがです。
ネットでこの機械を検索していたら「電源のスイッチがどこにあるのかわかりません」というもっともな疑問が書き込まれていました。キーボードの右上にある三角のキーが起動ボタンですから、譲り受けた人ならわからないはずですよね。
10数年前の悪戦苦闘を思い出しながら、映画のワンシーンを見ておりました。









  12月20日(木)    
今朝は今冬一番の冷え込みのようで、分厚い霜柱ができ、私の軽トラも妻のシエンタも完全に氷漬け。昨夜から泊まっているMNEMOさんはそれを見て「まるでフローズン・カーだ」と恐怖の面持ちでひとこと。
北海道陸別町ではマイナス26度、北海道池田町(同じ名前)でもマイナス23度という信じられない低温ですから、池田町はまだ暖かい??

毎回、MNEMOさんが仕事を終えて帰ってくるのは夜11時近くですから、それからの夕食。ほぼ一時間くらいですが、私も妻も交えていろいろ話しこんであっという間に時間がたってしまいます。いつも楽しい時間です。

今朝は妻はプール、私はバラの会とそれぞれ出かけるところがあったので、朝8時過ぎみんなでほぼ同時に家を出ることになりました。妻はMNEMOさんを明科駅まで送り、私は軽トラで大峰高原へ。
大峰に近づくと道路脇には次第に雪が多くなり、予定地では全体にうっすらと雪がまだ残っています。みんなが到着するまでに、どこで落ち葉を集めるのかを決めないといけないので、奥に行ってみるとさらに雪が多くなり不可。やむなく、できるだけ日なたで、集めやすい管理棟の付近で作業をすることにしました。
集まったメンバーは7名。軽トラも5台。約1時間半の作業でまずまず落ち葉を集めることができました。




終了後は、落ち葉を満載にした軽トラを連ねてバラ園へ。すでにバラ園では女性の会員数名が手入れの作業を行っており、そこへ合流、次の作業に移りました。すでに作ってあった木枠の中に落ち葉、牛糞、米ぬかを順に入れ込んで踏み固める仕事です。
発酵した牛糞からは湯気が立ち上り、木枠の中にいる二人は「足が温かい」と言っていました。10人を超えるメンバーで作業をしたために、割と早くに作業が終わって、そのあとはいつものように軽食をとりながら、歓談。
その後、到着したバラを植えたり、秋に刈り取った雑草を燃やしたりして整備作業を行いました。すべて終了したのは午後1時をまわっていたでしょうか。会員、サポーターのみなさん、お疲れ様でした!












  12月19日(水)    
朝からまた急に冷えてきました。前ほどではないけれど、次第に寒気が迫ってくるのが実感できます。日ざしを浴びていればそれなりに暖かいのですが、日陰や風の通り道では寒さが身にしみます。
夕方にはすでに零度を下回り、MNEMOさんの帰りを待っている午後10時過ぎにはマイナス3,4度くらいになっているでしょうか。冷蔵庫からビールを取り出して、そのまま外に置いています。冷蔵庫より冷えていますからね。私は飲まないからいいですけど、飲む人は冷たすぎるのかな??


明日からの被災地支援のために、我が家に届けられた支援物資(段ボール8個ほど)を参加メンバーの家に届け、手編み帽子を提供してくれた方のメッセージを完成し、ようやく準備が整いました。
明日はメンバーの一人がトラックを借りに行き、先日つみ取ったリンゴの保存分500個を積み込み、さらに荷物をつんで、先発として午前11時頃出発。そのあと午後1時頃に乗用車メンバー3人がトラックを追いかけるという予定。宮城県のどこかで落ち合って宿舎に行くことになります。
明後日21日は、早朝から女川町の高齢者施設に出向いてまず餅つきの準備。その後二人は女川町教育委員会と学校へあいさつに。あとのメンバーは施設の職員の協力を得てそのまま12時過ぎまで餅つきをします。
午後は、商工会を訪問したり被災地の現状を視察したりして過ごし、翌朝池田町に戻ってきます。とにかく道中気をつけて無事帰ってくれることを願うだけです。

私は仕事の関係でどうしても都合がつかず、残留組。ただ、明日は前々からの予定であるバラの会の落ち葉集めがあります。
これもまたあなどれない大仕事で、現在のところ軽トラ5台、8名くらいが参加して大峰高原で積もった枯れ葉をあつめて袋詰め。バラ園まで持ち帰ります。
そこでは数名の女性メンバーが届けられたバラを植えたり、食事の準備をしたりして落ち葉集めグループを待ちます。
先日牛糞が到着しているので、枯れ葉や米ぬかと一緒に混ぜて堆肥場に投入。明日は天気もよさそうなので、仕事もはかどるでしょう。



  12月18日(火)    
ただいまUbuntuにてファイル転送の練習中。FileZillaという転送ソフトを使っているのですが、勝手がわからないので、四苦八苦。
もちろん、ファイル転送だけではなく、写真の加工、その他もできないと実用的ではありません。よって、まだまだ試行錯誤状態です。
ファイル転送は文字通りファイルごとにアップロードしなければならず、ウィンドウズでの差分をソフトが見つけて必要なファイルをアップするというわけにはいかない。
解説が英文ときているから、ますます困難を極めています。甘くない。でも、ここでホームページを更新することができれば、もうウィンドウズに頼らずにこのマシンだけですべてを済ますことができるので、頑張ります。


今日は午後から、これまでのメンバー一人に加えて、新しいメンバーが加わってホームページの勉強会を再開しました。
新しい人は、HTMLの経験は初めてですが、意欲はまんまん。さっそく初歩の第1ページから”お勉強”を始めたという次第。第2回目は来年初旬として、それまで私が作成したホームページ講座のファイルを見ながら予復習をしてもらうことにしました。続けることが大事。
前から来ている方は「見捨てないで」「怒らないで」と懇願。こんなにやさしく教えているのに・・・・。ゆっくり、確実にやっていきましょうね。

さて、いままで届いた支援物資が我が家の玄関先に積んであります。明日これを梱包し直して、支援に行くメンバーの家に運び込むことにしています。


今朝は、保育所の子どもたちに贈る手作りの帽子を編んでいる女性メンバーが我が家にやってきてくれて、子どもたちへのメッセージ作りをしました。メッセージは別のメンバー。私は写真を撮ってそれを編集するだけ。これも明日完成の予定で、あれこれと忙しい。


そして、私は今から土曜日の高校生のための授業の準備。ふ〜〜。



  12月17日(月)    
今日は被災地支援の結団式兼最終打ち合わせの会を持ちました。
20日から22日まで、被災地女川町の高齢者施設や保育所を訪問し、餅つきをしたり支援物資を届けたりという活動を予定しています。そのために、代表団を交え最終打ち合わせをしたのです。

会合そのものは参加メンバープラスアルファのささやかなものでしたが、ネットワークとして取り組むというところが意義深い。これにむけて衣類や食器を届けてくださる方がいたり、家で手編みの帽子をたくさん編んでくれている人がいたり、支援の輪は衰えてはいません。
女川町の教育委員会を通して先日たくさんのリンゴを送ったことに対して、ある中学の校長から生徒たちの活躍を撮った写真をそえて、丁寧な礼状がとどきました。

今回の支援で、先日給食でおいしく頂いたリンゴを家族とも共に味わうことができるということで大変うれしく思います。

長いメッセージを全文読み上げると、メンバーからは、「こんなふうに返事をもらうとなんだか良いことをしているって実感がわいてくるね」という声が。気持ちが通う合うというか、つながっているというか、人間的なぬくもりを感じる一こまでした。

今日は、タイムテーブルとそれぞれの仕事を確認し分担して20日の出発への準備を整えました。明日は、子ども用の手編み帽子を編んでくれている方が我が家に来てくれて、写真とメッセージを準備することにしています。
女川町議の高野さんにも今日連絡をとり、彼を通して持って行く支援物資をバザーに出品して必要な方々に手にとってもらえるよう依頼しました。

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昨夜は、12時頃まで開票速報をみていましたが、あまりにもゆれの大きい「民意」の姿にいささかうんざりして早々に寝てしまいました。
今朝新聞を見ながら、さてこの選挙結果をどう見るのかつらつら考えていましたが、現在のこの国の一断面をある意味で「正しく」反映している結果だろうというのがとりあえずの感想です。
日常的な不満・要求、たとえば消費税はいやだとか、原発は早くゼロにしてほしいとかという声と、実際に投票する政党とは必ずしも一致しない。一致しないというより分裂しているといった方が正しいのかもしれません。j民主党がだめなら自民党しかない。自民党がいいとは思わないが、この党なら景気をよくするために何かしてくれるのではないか・・・
確かに、小選挙区制度の弊害がまともに現れた結果だし、投票率の低さは政治不信の増大をはっきりと示していますから、上に書いたことだけがこの選挙の特徴であるとは思いませんが、国民の目が非常に近視眼的になってきていることだけはまず間違いがないのではないかと思われます。

以下は、今朝早くに書いたものです。寝ぼけ眼で書いていたものなので、重複もありますが、そのまま収録することにしました。

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比例での自民党の得票率は北陸信越で約30%、全国でもおそらくそれほどにはならないでしょう。しかし、小選挙区を含めて自民党がとった議席は約300、全体の6割にのぼります。
前々回の自民党、前回の民主党も同様でしたが、相対的に優位な正当が議席を独り占めするという小選挙区制度の弊害がもろに現れた選挙になったというのが最大の特徴でしょう。
投票率が大幅に下がるという政治不信が強まる中で、全体として敵失による漁夫の利という色彩が強い。同時に、過去にそれなりの「実績」を持つ自民党にもう一度チャンスを与えようという意識が全国的に働いたといえるでしょう。決して自民党を手放しで信任したわけではありません。

選択肢はかなりあったのに、自民党が何故にこれほどの支持を集めることになったのか。
第1は民主党に対する失望、第2は政治・経済的な安定を求める気持ち、第3は自民党に代わる政党が弱小であるか、頼りにならないと判断されたことなどがあげられます。
自民党の勝利には、財界、業界団体などの全面的なバックアップという強力な組織的背景がありますが、民主党の場合は単に雰囲気に乗って当選したという根無し草の弱さがつきまとっていました。前回民主党に投票した人で今回民主党に投票したのがわずか3割だったというデータがそれを示しています。
何よりも3年間の公約裏切りの連続に国民が愛想をつかしたことが大きい。しかし、それだけでは自民党への回帰の説明にはなりません。
このことを解くキーワードは、マスメディアでも指摘されていたように、「安定」「過去の実績」だと私は考えています。決して「改憲」「自衛軍」などではありません。
長期化するデフレ不況と地域産業の崩壊などに見られる深刻な経済状況に、根本的な解決というよりは目先の公共投資などの即効的な経済対策を求めたり、日銀へのテコ入れという安部発言に惹かれ、自民党なら安定した政権運営をしてくれるのではないか、そのような心理が大きく働いたことは間違いありません。
従って、消費税が実施され、景気が極端に冷え込み、仮に物価が上がってもお札がまったく庶民には回らないという事実がはっきりしてくれば、自民党への期待は一気にしぼんでしまうことにならざるを得ません。
安部総裁が「自民党の政策が支持されたというより、民主党がひどすぎたことによる」と、いつになく神妙な物言いだったことがそれを示しているでしょう。
しかし、どれだけ党首が神妙な言動をとろうが、200兆円の公共投資(「国土強靭化法案」)などという無謀な財政出動が、借金まみれの国の財政をさらに悪化させ、結局はそのつけが国民に回ってくるということはすでに証明済みです。それによって法外な利益をあげるのは一部の大企業だけだということもです。
その本質に目隠しをされたまま、何となく期待できるという雰囲気がばらまかれ、民主党の無様な政治運営に乗じて議席をかすめ取ったというのが自民党大勝の実相ではないのでしょうか。

あれこれの政党の中で、維新の会が50議席を獲得しました。その結果、全体として日本の政治状況は、ほとんどが右翼的、保守的な政党で占められるという異常なものになってしまいました。右傾化した自民党と、その先にウルトラ右翼の維新の会、自民党の補完舞台である「公明」「みんな」。
海外からは、「右傾化する日本」という目で極めて強い警戒感を持って見られていることはゆえなきことではありません。
日本の革新的な方向を示す政党がほとんど消えてしまった状況では、今後こうした政党配置は相当に長く続くのではないかと思われます。
「消費税の増税は困る」「原発はゼロにしてほしい」「憲法9条は守るべきだ」というような各論での多数意見は確かにその通りでしょう。そのように考えている人たちが自民党、公明党、維新の会、みんなの党に投じる。ここに今日の日本の政治的な不整合、不幸な意識の分裂状態があります。国民全体がそのことに気づくのはまだまだ先のことになるのかもしれません。
消費税が10%をこえ、TPPへの参加によって日本農業が壊滅、国民皆保険が失われて、「そんなはずではなかった」とつぶやき、原発が次々と再稼働され、そしてついには憲法改訂が日程にのぼるようになっても、国民はまだ自民党に何ごとかを期待し、維新の会に「希望」を見出すとすれば、あまりにも悲しい歴史の歩みといわなければなりません。

では、最左翼の共産党はどうか。よく持ちこたえたとも言えるかもしれませんが、実は次のようなことになかなか気がつかれていないのではないか。
確かに政策にも、政党としての活動にも整合性があり、スジが通り、献身的な日常活動を展開しています。それゆえ、私自身もどのようなためらいもなく支持し、支持を訴えているのですが、私たちの活動を理解し協力をしてくれてきたある女性が、「共産党と書いたけど、崖から飛び降りるような気持ちがした」といみじくも語ったことが雄弁に1つのことを物語っています。それは、民主党や社民党と「政党としての」共産党の支持とには大きな大きな谷間があるということです。「共産党と書くとき手が震えた」というのもかつてある方から聞かされたことでした。
投票用紙に「日本共産党」と書いた人々の志、期待、勇気はそれはそれは貴いものですが、それを書くことは言葉で言うほど簡単ではないのです。
言い方を変えれば、これはどの政党にでもいえることですが、本当に住民の立場にたち普段に要求をとりあげてともにたたかい、ともに成長する政党だけが、その政党名を書いて貰えるということです。民主党に入れた7割が今回は別の党というような票は、あまりにも軽い一時の浮動票です。そうした人々を軽視するわけではありませんが、共産党はそのような谷間をしっかりと埋めるにふさわしい人々との深い人間的結びつきを失いつつあるのではないのか。そのことを私は危惧します。
維新の会のように、個人や議員のパフォーマンスや見てくれだけで票をかすめ取るような政党は、やがて四分五裂し、見放されるか瓦解するしかありません。日本共産党が優れているのは、地域や職場で常に住民目線で人々と結びつき、ともに不屈にたたかう土台があるからです。一部の労働組合に支持を強要している社民党とは比較にもなりません。
これは公明党が宗教団体を土台にして狂信的運動を展開することとも根本的に異なります。地域では公明党として住民のために何事をも展開することはできません。
しかも信仰と政治的信条とは本来根本的に区別されるはずなのに、そのことへの配慮はみじんもなく、宗教団体=政党という近代社会ではほとんど例のない形をいまだに続けている。それが自民党といっしょになって悪政に荷担する。いまはうまくいっているように見えても、その矛盾はいずれ大きくならざるを得ません。

いずれにせよ、政治的な矛盾がいっそう深まり、日常の要求と政治的な感覚との乖離が縮まらざるをえない状況がやがて爆発的にあらわれることでしょう。そのときこそ、真の革新政党の真価が問われるときです。それに備え、ひたすら住民とともに悩み、相談に乗り、ともにたたかう粘り強い日常活動を続けること。そこにこそ、新しい時代への光明がある。私は歴史を前にすすめるその役割を日本共産党に期待します。これが今回の総選挙に対する私の感想です。



  12月16日(日)    
ここ1,2日は10月中旬くらいの異様に暖かい日が続いています。雪はすっかり解けてしまいました。一週間前のあの寒気がとても信じられないくらいです。ただ、火曜日からはまた寒気が降りてくるという予想ですし、これからが冬本番ですから油断は禁物ですね。

来年3月で、街中のほぼ中央部にあるスーパー、アップルランド池田店が閉鎖・撤退することになりそうです。どのような経過で、また町とどのような交渉があって撤退に至ったのかは私自身は詳しくは知りませんが、利用客の減少とそれにともなう収益の悪化が主たる要因であることは明らかです。
12月議会でもある議員がこの問題をとりあげることが議会(町のホームページ)の質問一覧に書いてありましたから、おそらく撤退に至る問題点と今後の町の対応が話題になるのでしょう。

アップルランドが閉鎖になるらしいことはかなり前から住民の間では知られており、その後の対応もいろいろ議論されてきたのではないかと思います。跡地を公民館にするとか、他のスーパーに出店をもちかけるとか、その他様々な意見も交わされていることも承知しています。
町の中央部からそれなりの規模をもつ商店が消えることは近隣地域に重大な影響を及ぼしますから、その対策は当然急がなければなりません。とりわけ、足のないお年寄りにとっては死活問題となります。
友人たちとこの問題が話題になったとき、私は町の公設市場にするか、または共同出資の店舗にしたらどうかという案を持ち出しました。それには次のような体験があったからです。

今から40年ほど前、私が名古屋に住んでいたとき、すぐ近くに公設市場がありました。近隣の商店のブースが設けられているという趣で、いろんな店が大きな建物(平屋)に入っていたのです。そこへ行けば野菜は八百屋で、薬・化粧品は薬局で、電機製品は電機屋でというように小さい個々の店が仕切られて集まっていました。そこには店番が一人ずつ、あるいは2つの店で一人というようにスタッフがいて、対面での買い物ができるのでした。
当時はまだ大きなスーパーが無かったために、こうした店はとても便利でそこへ行けば何でも買えたのです。
私が最も気に入ったのは、対面での買い物が出来る点。世間話をしながら値切ったり、つけ買いをしたり、とにかく人間の交流が常にあったことです。
人口が密集した住宅地でしたから成り立ったということがあるかもしれません。しかし、この形態は、効率はよくないかもしれないけれど、コミュニティにおける1つの店のあり方ではないのかとずっと思い続けていました。

最近入手した「琉球列島の環境問題」(高文研)という本に、それに関連した面白い記述を見つけました。それは共同商店ファンクラブの眞喜志敦さんによる「やんばる:共同売店に学ぶ」という一文です。
共同売店というのは、「集落単位の住民が出資して設立され運営されている協同組合的組織」のことです。想像するに、店構えはいくつかの店がブースを構えて寄せ集まっているというのではなく、共同経営のスーパーといった趣ではないのでしょうか。
多くが明治末期から大正時代に設立されたことに見られるように、100年を超える長い歴史をもっています。1950年代から60年代に設立されたものもあるようで、現在でもおよそ70店が運営を続けているということです。
その由来は、他府県から進出してきた民間の商業資本によって独占的な商売が行われることに危機感を抱いた地元の商店主が、自分の店をムラに譲り、集落の協同事業として運営を始めたのがきっかけと言われています。
ユニークなのは、単に共同での商品の購買だけではなく、集落の林産物の出荷・販売、福祉事業、インフラ整備なども行い、ムラを支える産業となっていることです。
もちろんそれまで営んできた個人商店は廃業に追い込まれるなどのマイナス側面もあって、手放しで評価はできませんが、外部資本によってその地域の購買・消費構造が偏ったり地域が次第に荒廃させられたりすることを防ぐという意味では大きな役割を果たしてきたのでした。
さらに、そこで得た利益はムラ集団に還元され、蓄積されるというように地域循環型産業の要としての意義をもっていたことは特筆すべきことです。
閉店を余儀なくされる共同商店があるとはいえ、今もなお70もの集落で続いていることについて筆者は次のように述べています。

なぜ共同売店はつぶれないのか。現在、共同売店の利用者の多くが後期高齢者であり、車を運転できない高齢者が地元で暮らすために欠かせない存在となっている。また、そこに人が集まることで地元の人同士のコミュニケーション、情報交換の場となると同時に、見守り、自立支援など福祉的な役割を果たしている。そのため、地域の人たちも閉めてしまうわけにはいかず、必死で支えているのだ。高齢化率58%の集落、実質的な人口がわずか30名の集落でも経営を続けている。利益どころか赤字を区の予算で補填している集落も多い。いったんは閉店したものの、数年後に復活する例も増えている。
また共同売店が、その共同体の象徴となっていることも重要だろう。店名には必ずその集落の地名が冠せられているように、「自分たちの店という意識を集落の人たちははっきりと持っている。・・・地域密着を貫き、共同体との強固な関係を保ち続けてきたからこそ、共同売店はなくならないといえる。


ここからくみ取るべき教訓は無数にあると私には思われます。池田町のように、中心商店街の衰退が嘆かれ、結局は大きなスーパー依存の買い物とならざるを得ない町は、高齢者には少しも便利ではなく、むしろきわめていびつな発展をせざるを得ません。
大型商店は、中心部から外れていますから、勢い中心部は空洞化していきます。人の流れが外へ外へとむかう町は中心から寂れていくのです。利益はほとんど町に還元しません。そして、コミュニティーの中心にもなりえないことは明らかです。
もし、中心部に、いまはばらばらになって孤立している町の商店が力を合わせて何らかの共同出資店舗を構えることができるならば、そして単にものを得るだけではなく、たとえば食事の配達や農産物・日用品の宅配なども手がければ、個々の商店を閉めることなく共存した関係のままで中心部の活性化を果たすことができるはずです。
問題は、商店の皆さんの意識と熱意をあつめることと、具体的なプログラム、青写真を形成することができるかどうかにかかっています。自治体主導で、そうしたことが可能だとは思いません。なによりも住民が主体、住民の声、商店主の声が重要なのです。

町中心部活性化の方向を模索するために、大いに議論を交わすことが必要だと考え、私見を述べてみました。



  12月15日(土)    
寒気がゆるみ夜半から雨になりました。先日の身を切るような寒さはもうありません。今朝は雨も上がり、少し青空が見えています。

明日は投票日。すでに期日前投票をすませている人もかなりいるようで、私が話しをした中でも「行ってきた」という人がいました。
テレビで各党の党首の発言、候補者の街頭演説の模様を見ていて、これほど「ことば」が軽く扱われている時代はないと思われます。石原慎太郎などは「9条があるから拉致被害者を取り返せない」「9条があるから北朝鮮がミサイルを飛ばす」「「近世になって有色人種の中で日本だけが近代国家をつくった」などと言いたい放題。放言、暴言、妄言、虚言・・・どう言ったらいいのでしょうかね。
あのH.Morisさんなら、「ドイツだったら即くさい飯をくわなければならない。かんかん踊りを踊ってもらいましょう」と言うところでしょうか。それにしても、このような言説が堂々と平気でまかり通ることを許している雰囲気は怖い。
この前、安倍総裁が松本で街頭演説をした際に、ある青年が「国防軍やってください」と叫び、安部総裁が「やりますよ」と答える一幕があったとか。たまたま、通りがかった友人が教えてくれました。

京都大学教授で歴史・政治学者の山室信一さんは「憲法9条の思想水脈」の中で、9条に具現された憲法の平和主義の基軸を次の5つにまとめています。

1.戦争放棄・軍備撤廃
2.国際平和主義
3.国民主権
4.平和的生存権
5.非戦

山室さんは、一つひとつを丁寧に説明しつつ、これらが有機的に組み合わされ、一体となったものが憲法9条なのだと強調しています。

マッカーサー草案の起草にあたったGHQ民政局のケーディスがいみじくも「第9条のオリジンにはいくつもの要素が考えられます。組み合わされたコンビネーションでもある」(大森実「戦後秘史」)と述べているように、起草者さえ明確に意識しなかったような理念や考え方を要素として成り立っているというのが真実であろう。
そしてまた、そのようにして成立した憲法9条を多くの日本人が歓迎し、遵守しようとした紛れもない事実を生んだのは、非戦や反戦の思想水脈が国境や世紀を超えて脈々と流れ込んできていたことと無縁ではありえなかったのである。


山室さんは、「おわりに」の中で、「この水脈をここで断ち切るのか、あるいはつないでいくのか」と問いかけています。この本は奥付にあるとおり国民投票法が成立した2007年の出版。それから5年を経てその問いかけが、いままさに現実味を帯びて私たちに発せられていると私には思えます。



  12月16日(日)    
ここ1,2日は10月中旬くらいの異様に暖かい日が続いています。雪はすっかり解けてしまいました。一週間前のあの寒気がとても信じられないくらいです。ただ、火曜日からはまた寒気が降りてくるという予想ですし、これからが冬本番ですから油断は禁物ですね。

来年3月で、街中のほぼ中央部にあるスーパー、アップルランド池田店が閉鎖・撤退することになりそうです。どのような経過で、また町とどのような交渉があって撤退に至ったのかは私自身は詳しくは知りませんが、利用客の減少とそれにともなう収益の悪化が主たる要因であることは明らかです。
12月議会でもある議員がこの問題をとりあげることが議会(町のホームページ)の質問一覧に書いてありましたから、おそらく撤退に至る問題点と今後の町の対応が話題になるのでしょう。

アップルランドが閉鎖になるらしいことはかなり前から住民の間では知られており、その後の対応もいろいろ議論されてきたのではないかと思います。跡地を公民館にするとか、他のスーパーに出店をもちかけるとか、その他様々な意見も交わされていることも承知しています。
町の中央部からそれなりの規模をもつ商店が消えることは近隣地域に重大な影響を及ぼしますから、その対策は当然急がなければなりません。とりわけ、足のないお年寄りにとっては死活問題となります。
友人たちとこの問題が話題になったとき、私は町の公設市場にするか、または共同出資の店舗にしたらどうかという案を持ち出しました。それには次のような体験があったからです。

今から40年ほど前、私が名古屋に住んでいたとき、すぐ近くに公設市場がありました。近隣の商店のブースが設けられているという趣で、いろんな店が大きな建物(平屋)に入っていたのです。そこへ行けば野菜は八百屋で、薬・化粧品は薬局で、電機製品は電機屋でというように小さい個々の店が仕切られて集まっていました。そこには店番が一人ずつ、あるいは2つの店で一人というようにスタッフがいて、対面での買い物ができるのでした。
当時はまだ大きなスーパーが無かったために、こうした店はとても便利でそこへ行けば何でも買えたのです。
私が最も気に入ったのは、対面での買い物が出来る点。世間話をしながら値切ったり、つけ買いをしたり、とにかく人間の交流が常にあったことです。
人口が密集した住宅地でしたから成り立ったということがあるかもしれません。しかし、この形態は、効率はよくないかもしれないけれど、コミュニティにおける1つの店のあり方ではないのかとずっと思い続けていました。

最近入手した「琉球列島の環境問題」(高文研)という本に、それに関連した面白い記述を見つけました。それは共同商店ファンクラブの眞喜志敦さんによる「やんばる:共同売店に学ぶ」という一文です。
共同売店というのは、「集落単位の住民が出資して設立され運営されている協同組合的組織」のことです。想像するに、店構えはいくつかの店がブースを構えて寄せ集まっているというのではなく、共同経営のスーパーといった趣ではないのでしょうか。
多くが明治末期から大正時代に設立されたことに見られるように、100年を超える長い歴史をもっています。1950年代から60年代に設立されたものもあるようで、現在でもおよそ70店が運営を続けているということです。
その由来は、他府県から進出してきた民間の商業資本によって独占的な商売が行われることに危機感を抱いた地元の商店主が、自分の店をムラに譲り、集落の協同事業として運営を始めたのがきっかけと言われています。
ユニークなのは、単に共同での商品の購買だけではなく、集落の林産物の出荷・販売、福祉事業、インフラ整備なども行い、ムラを支える産業となっていることです。
もちろんそれまで営んできた個人商店は廃業に追い込まれるなどのマイナス側面もあって、手放しで評価はできませんが、外部資本によってその地域の購買・消費構造が偏ったり地域が次第に荒廃させられたりすることを防ぐという意味では大きな役割を果たしてきたのでした。
さらに、そこで得た利益はムラ集団に還元され、蓄積されるというように地域循環型産業の要としての意義をもっていたことは特筆すべきことです。
閉店を余儀なくされる共同商店があるとはいえ、今もなお70もの集落で続いていることについて筆者は次のように述べています。

なぜ共同売店はつぶれないのか。現在、共同売店の利用者の多くが後期高齢者であり、車を運転できない高齢者が地元で暮らすために欠かせない存在となっている。また、そこに人が集まることで地元の人同士のコミュニケーション、情報交換の場となると同時に、見守り、自立支援など福祉的な役割を果たしている。そのため、地域の人たちも閉めてしまうわけにはいかず、必死で支えているのだ。高齢化率58%の集落、実質的な人口がわずか30名の集落でも経営を続けている。利益どころか赤字を区の予算で補填している集落も多い。いったんは閉店したものの、数年後に復活する例も増えている。
また共同売店が、その共同体の象徴となっていることも重要だろう。店名には必ずその集落の地名が冠せられているように、「自分たちの店という意識を集落の人たちははっきりと持っている。・・・地域密着を貫き、共同体との強固な関係を保ち続けてきたからこそ、共同売店はなくならないといえる。


ここからくみ取るべき教訓は無数にあると私には思われます。池田町のように、中心商店街の衰退が嘆かれ、結局は大きなスーパー依存の買い物とならざるを得ない町は、高齢者には少しも便利ではなく、むしろきわめていびつな発展をせざるを得ません。
大型商店は、中心部から外れていますから、勢い中心部は空洞化していきます。人の流れが外へ外へとむかう町は中心から寂れていくのです。利益はほとんど町に還元しません。そして、コミュニティーの中心にもなりえないことは明らかです。
もし、中心部に、いまはばらばらになって孤立している町の商店が力を合わせて何らかの共同出資店舗を構えることができるならば、そして単にものを得るだけではなく、たとえば食事の配達や農産物・日用品の宅配なども手がければ、個々の商店を閉めることなく共存した関係のままで中心部の活性化を果たすことができるはずです。
問題は、商店の皆さんの意識と熱意をあつめることと、具体的なプログラム、青写真を形成することができるかどうかにかかっています。自治体主導で、そうしたことが可能だとは思いません。なによりも住民が主体、住民の声、商店主の声が重要なのです。

町中心部活性化の方向を模索するために、大いに議論を交わすことが必要だと考え、私見を述べてみました。



  12月15日(土)    
寒気がゆるみ夜半から雨になりました。先日の身を切るような寒さはもうありません。今朝は雨も上がり、少し青空が見えています。

明日は投票日。すでに期日前投票をすませている人もかなりいるようで、私が話しをした中でも「行ってきた」という人がいました。
テレビで各党の党首の発言、候補者の街頭演説の模様を見ていて、これほど「ことば」が軽く扱われている時代はないと思われます。石原慎太郎などは「9条があるから拉致被害者を取り返せない」「9条があるから北朝鮮がミサイルを飛ばす」「「近世になって有色人種の中で日本だけが近代国家をつくった」などと言いたい放題。放言、暴言、妄言、虚言・・・どう言ったらいいのでしょうかね。
あのH.Morisさんなら、「ドイツだったら即くさい飯をくわなければならない。かんかん踊りを踊ってもらいましょう」と言うところでしょうか。それにしても、このような言説が堂々と平気でまかり通ることを許している雰囲気は怖い。
この前、安倍総裁が松本で街頭演説をした際に、ある青年が「国防軍やってください」と叫び、安部総裁が「やりますよ」と答える一幕があったとか。たまたま、通りがかった友人が教えてくれました。

京都大学教授で歴史・政治学者の山室信一さんは「憲法9条の思想水脈」の中で、9条に具現された憲法の平和主義の基軸を次の5つにまとめています。

1.戦争放棄・軍備撤廃
2.国際平和主義
3.国民主権
4.平和的生存権
5.非戦

山室さんは、一つひとつを丁寧に説明しつつ、これらが有機的に組み合わされ、一体となったものが憲法9条なのだと強調しています。

マッカーサー草案の起草にあたったGHQ民政局のケーディスがいみじくも「第9条のオリジンにはいくつもの要素が考えられます。組み合わされたコンビネーションでもある」(大森実「戦後秘史」)と述べているように、起草者さえ明確に意識しなかったような理念や考え方を要素として成り立っているというのが真実であろう。
そしてまた、そのようにして成立した憲法9条を多くの日本人が歓迎し、遵守しようとした紛れもない事実を生んだのは、非戦や反戦の思想水脈が国境や世紀を超えて脈々と流れ込んできていたことと無縁ではありえなかったのである。


山室さんは、「おわりに」の中で、「この水脈をここで断ち切るのか、あるいはつないでいくのか」と問いかけています。この本は奥付にあるとおり国民投票法が成立した2007年の出版。それから5年を経てその問いかけが、いままさに現実味を帯びて私たちに発せられていると私には思えます。



  12月13日(木)    
「フクシマ」が特定の一地域のこととされ、「深刻に考えてもすぐに手を打てない、だから見ないことにしよう、というムードが政府にも蔓延している」(山田厚史の世界かわら版=diamond Online)という状況下での選挙。しかし、かなりの規模の地震が福島県直下あるいは近海で起こったとき、「4号炉の建屋上部にある使用済み燃料プールが崩れ落ちれば、東京を放射能が襲い首都機能が麻痺する恐れさえあるという」(同上)としたら、どうか。

広島型原爆の5000発分の放射性物質(セシウム137換算)を含む1535体の使用済み燃料がある。建屋が壊れ落ちて放射能が飛び散れば首都圏の人は避難しなければならない、と原子力安全委員会も指摘しています。(小出裕章京大助教)

永久にもとの地域に戻れないのではないかという不安にさいなまれながら、避難生活を続けている福島被災地のみなさんの心情に寄り添い、その雇用・生活を保障する道は誰がきりひらくのか。原発ゼロを口にしつつ、遠い先にのばして結局は原発共同体に利益を保障する政党ではあり得ないことは明らかです。

自党の候補者応援のために沖縄を訪れた橋本維新代表代行は11日の街頭演説で米軍普天間基地を「まずは辺野古に移設させてもらいたい」と話したといいます。維新の会の沖縄一区候補者が選挙チラシに「移設反対」を明記していることに、橋下代行は「反対を唱えるのであれば、維新から出て行ってもらわないといけない」と記者団にかたっと言うのです。自民や民主の県内候補者が「県外・国外」と打ち出してもおとがめなしということからすれば、「スジ」を通したともいえますが、およそ公党としての体をなしていません。
今日のしんぶん赤旗によれば、街頭演説の模様について、「拍手もパラパラ。『辺野古(移設)反対!』と声を上げる人や、『沖縄のことは何もわかっていない』と立ち去る人たちもいます」と書いていました。さもありなん。

軍事ジャーナリスト(そんな分類があるのかどうか知りませんが)の前田哲男さんは、高文研の「フクシマと沖縄」という書籍のなかで、一見全く別の事象に見える「フクシマ」と「普天間・高江」とが「国策による被害者」という共通項で結ばれていると書いています。さらに、次のように述べていることが注目されます。

「3.11震災」がもたらした「原発メルトダウン」と「未曾有の環境破壊」に遭遇してしまったいま、「フクシマ事態」と「普天間・高江問題」の区別はもはや失われた。ふたつの事象は、距離と様相を超えて私たちに問いかける。安全保障とは何か?日本国憲法が保障する『平和のうちに生存する権利』の実質はどこに見いだされるべきか?

前田さんは、「フクシマ」「オキナワ」の共通項が、「国策による犠牲者」という点だけではなく、国策によって翻弄された結果「カタカナ表記される地名になってしまった」と指摘しています。これはよく言われることですね。そして、さらには次のように述べています。

沖縄と福島が、ともに”まつろわぬ者たち”の末裔、また”寄る辺なき民”としてのルサンチマン(怨念)と哀切な記憶を共有している点であろう。・・・・語り継がれる飯森山での少年たちの集団自刃と摩文仁の丘での少女たちの集団自決はーー時空を超えてーー見捨てられた者、滅びゆく土地に捧げられた鎮魂歌のように感じられる。

「会津戦争」の後、生き残った侍たちが放逐されたのは下北半島・斗南藩。これまた今日の原発集積地帯であるのは偶然なのでしょうか。
沖縄での琉球処分、沖縄戦と米軍統治という歴史をひもとくまでもなく、今日の基地の現状をみれば差別・疎外の実情はあきらかです。そして、もう一つの共通項(これは私が思うのですが)、マスメディアからは疎外され、圧倒的な日本国民の意識にはほとんど上らなくさせられているという点。
この選挙である政党が第一党になるという予測報道こそ、その党が今日の「原発安全神話」と利権まみれの原発共同体を作り出してきた張本人であることを見事に覆い隠し免罪しています。
右翼的な主張(ほとんど職業として)が跋扈するネット上で、私たちはもっともっとネットを通したまっとうな主張をくりひろげ圧倒することがもとめられているのではないのでしょうか。

***************************

ネットラジオのジャンル別の放送局がこの数年で猛烈に増えていますね。びっくりしました。私がBGMがわりにいつも聞いているのはiTunesかSHOUTcastのClassicalばっかり。
私がそれを好んで聴くは、幼い頃からの体内の音を受容する感性・習慣がそうさせているだけで、ロックや演歌、ジャズなどが嫌いだとかというわけではないのです。
中にはクラシックがハイレベルだなどと信じている人がいるのかも知れないけれど、それは「悪しき教養主義」「思いこみ」にすぎず、そんな馬鹿なことはない。小澤征爾さんが言う(「小澤征爾・大江健三郎対談=同じ年に生まれて=」)ように、音は「自然に源をもつ振動であり、倍音の世界」で、たまたま各地の曲作りをする人たちがそれらの音を拾い上げ、アナライズしたものだからです。
妻は大の美空ひばりファンで全集CDをいつも車に入れて運転してしているほど。それも小さい頃からの音楽の受容体のなせるワザですから、私はそれは尊重します。好きか嫌いかではなく、これは理屈抜きの感性の問題です。

あれは何歳くらいのときだったのでしょうか。多分中学1年か2年の頃だったと思います。父母が安物のレコードプレーヤーを購入し、はじめてレコードというものを買いに行ったことがありました。そのとき、私が父に何か買ってきて欲しいシングルがあるかどうか訪ねたのです。レコード屋を覗いたこともなかった頃です。
そのとき父が私にリクエストしたのはベートーベンのソナタ「スプリング」でした。さすがにベートーベンは知ってはいましたが、聞いたこともない名前の曲にびっくりしながらもレコード屋で訪ねて買い求めてきたことがありました。
母にあとから聞いた話では、父は若い頃一人で喫茶店に入り浸りクラシック音楽を聴きまくっていたらしいとのこと。どうもネクラの父ではあったようです。
母も、音楽専攻の小学校教師であったために、日曜日などの日直に私を学校に連れて宿直室に一人で閉じこめ、レコードを何枚も与えては聴いているように言いつけたことがありました。否応なく学校音楽のレコードを聴くしかない。プレーヤーの前で何時間も聴いていた一こまをいまも思い出すときがあります。
ジャズでもタンゴでもロックでもなく、はじめから西洋音楽の環境だったことが私の耳をそれになじませてしまったのでしょう。
「不登校」になった大学の3年時に、ひたすらFMのクラシック番組を聴きまくり曲目と作曲者のリストをつくっていたことも、その耳になにがしかの影響を与えているのは間違いありません。
だから音楽通のようにさほど作曲者や曲について詳しいなんてことはない。ぜんぶ中途半端。でもそれらの音の振動数や音質が鼓膜や頭の神経の受容部分とより強く共鳴することは事実なのです。
生演奏のすごさと感動を初めて知ったのは、高校3年生のときに聴いたベートーベンの熱情ソナタ。演奏家はゲルハルト・プッフェルト(ドイツ国立ベルリン芸術大学教授)でした。高3といえば、私の最も多感で苦しみのさなかにあった時代。恐ろしいほどの響きで私の心にせまってきたのを覚えています。アパッショナータについては、それ以後2度とそのような感動をもっては聴けなかった。
ピアノやオーケストラのすばらしさにはそれ以後も何度か接することはあったものの、私にとっての原体験は子どもの頃に繰り返し聴いた学校音楽であり、父のレコードだったと思います。それがなければ、ベートーベンもモーツアルトもベルリオーズもラフマニノフもただの音だったかもしれません。



  12月13日(木)    
早朝の北アルプスは久しぶりに見るモルゲンロート(実はたいてい寝坊して見られなかった・・・)。日が昇るにつれて真っ青に晴れ上がった空のもと、山肌が朝日に輝きまぶしい安曇野の朝です。


お日様にあたっていると、さしもの寒気もどこかにいってぽかぽかと暖かい。とはいえ、日陰はまだ零度前後の寒さですから、12月としてはいささか例年とは様相が異なる。
MNEMOさんを明科駅まで送っての帰り、池田とはまたひと味違う北アルプスの光景にしばし見とれておりました。明科、穂高、松本では何と言っても眼前に存在感をもって迫るのは常念岳。池田では大きな顔をしている有明山も山々に埋もれてさほどの大きさには見えません。
ものみな凍る厳冬の季節、山裾の安曇平はいつものようにこの冬を耐えに耐えて来春の芽吹きを待っているのでしょう。それにしても太陽が角度を変えただけでこの寒さ。お日様のエネルギーはかくも凄まじいと実感できる光景です。

5月ともなれば、残雪を背に緑萌え出す安曇平の光景ですが、この選挙結果如何によっては一変しそうな予感。TPPで日本の農業のあり方が根本から崩されてしまう可能性が強いからです。
まさかそんなことにはならないだろう、というのが大方の見方かもしれません。そうであってほしくはもちろんありません。しかし、多国籍企業や日本の財界の方々はそうは思っていない。日本の農業が資本の投資先、もうけ口になってくれればそれでいいわけですからね。

財界の皆さんはTPPでアジアの成長を取り込むのだといいます。それはアジアの人々を利益の対象、収奪の対象物としか見ていないことをはしなくも口走ったことと同じなんじゃありません?
国内での電機・電子産業の大規模な工場閉鎖や首切りの嵐をみればわかります。地域の雇用、地場産業の育成などという考えはまるでありません。それどころか利益が少なくなれば非正規雇用にする。それでもダメなら簡単に工場を閉鎖する。正規労働者の首を切る。そうしてため込んだ内部留保は260兆円(資本金10億円以上の大企業)といいます。
ちなみに、次のお方のようにネット上でも財界からも、「内部留保は現金ではないし、不正に貯めたお金ではない。土地や建物に変わっているのだから取り崩すことは職場をなくせということと同じ」などととくに共産党を名指しで批判する指摘がありますが、これは噴飯もの。共産党の記事をろくに読んでいないか、ためにする議論です。
問題は、労働者の賃金をどんどん下げてなおそれだけの利益がため込めるのか、また不況下で何故うなぎ登りに内部留保をため続けられるのかということだからです。
現金で持っていないのは当たり前だけれど、設備投資よりも金融資産への投資に使われることが多いため取り崩す方法はいくらでもあるのです。
第2に、日本の製造業、とりわけ電機産業の製品開発のシステムに大きな問題があるのに、それは不問に付されているということがあります。
韓国SAMSUNG、台湾ASUS、米国APPLEなどのように良質な品質・デザインの商品を迅速に開発・製造(ただし実際の製品では、それぞれに問題も多いのは体験済み)し、強力な世界戦略のもとで展開するなどということは、もはや日本の電気産業は不可能になっているのです。それもそうでしょう。優秀な技術者を解雇しても痛痒すら感じていないのですから。それを支える若者たちから、ものを生み出す情熱をことごとく奪い去っているのですから。むしろアジアから取り残され始めているのに、どうやってアジアの成長を取り込むというのでしょうか。

今朝の新聞に自民・民主の選挙チラシが折り込まれていました。全国でこれをやって一体いくらの金がかかっているのか。またテレビでは自民・民主の見苦しい「でかい顔」の宣伝が垂れ流されています。
すぐに推測されるのは、政党助成金(国民の税金)が使われているのではないかということ。支持しない人からも取り立てたお金ですよ、これは。しかも、自民党の宣伝物には、「県版」だからとはいえ、改憲の「か」の字もない。ただ「長野県に活力を」ではあまりにも無責任でしょう。
なぜなら、大企業には減税やら優遇税制やら規制緩和やらで儲けを最大限に保障しながら中小・下請けいじめは野放し。国民の購買力はどんどん萎縮させ、現在のデフレ不況のおおもとをつくり、教育をこわし、医療・福祉を切り下げてきたのは他ならぬ自民党だからです。反省の色もなく、またまた大型公共事業に莫大な血税を注ぎ込んで国の財政破綻を加速する政策をかかげるのでは、「財界に活力を」でしかありません。その上、彼らが最も熱心に主張してきた9条改憲や「国防軍」創設の方針をひた隠しにして、よくぬけぬけとこうした宣伝物をまいてくれるものだと思います。
そしてまたマスメディアの「自民党過半数をうががう勢い」という議席予測の記事。

自民党には、北朝鮮のミサイル打ち上げを奇貨とし、最大限に利用しつつ、過半数を獲得してもらいましょう。維新、みんなの党などとともに、憲法を思い通りに変え、海外の戦場に子どもたちを送り、アジアの皆さんから総スカンを食って、場合によっては日本本土を戦場にして、なおかつこの国の未来を語ってもらいましょう。語るべき未来がすでに無い中で。

ひょっとしてこの国は、荒れ果てた廃墟のなかで、今度は本気でアジアのみなさんに頭をさげ、懺悔しつつ本当の立ち位置を模索して苦い歴史を刻まなければならないのではないでしょうか。
たとえ、そうだとしても、そうはさせまいとして真に再生の道を指し示してたたかう人々が必ずおり、人々のこころに灯をともしやがて多数派を形成するのです。歴史とはそのようにして刻まれてきたし、これからもそうなのでしょう。



  12月11日(火)    
昨日3000個を超えるリンゴを女川に送付、今日午後現地に配送される予定です。クリスマスプレゼントとして一人あたり2個ずつのリンゴが女川の小中学生、保育園児たちに贈呈されることになっています。
このあと代表団が20日から現地を訪問し、学校を訪れたり高齢者施設で餅つきをしたり、商工会と交流したりと多彩な活動を展開する予定。それまでにこの雪も収まって、交通に支障のないようになっていてほしいものです。
私自身は個人的な事情から今回の女川行きには残念ながら参加できません。その代わり事務局としてやれることはとにかくやらなければと思っています。
今日は女川町教育委員会に送付状をしたため、さらに学校や保育園の職員宛にメッセージを書いて、メールで送信しました。明日は、銀行に行って口座から必要な活動費と義援金を下ろして、代表団に託す予定。年内はまだまだ忙しさから解放されませんね。

***********************

昨日NewsZeroで石原維新の会代表と志位共産党委員長へのインタビューがあり、そのあと若い世代の人たちの投票への関心を取材していました。
石原代表へのインタビューは長い時間聞きたいとは少しも思いませんけれど、有権者の立場から言えば党首へのこのような形でのインタビューはあまりに短い。たとえ10党以上あったとしてもせめて1つの党に1時間くらいかけてじっくりデータを交えた政策を聞いたりや政党活動そのものを取材すべきだと思われました。長ければ聞いて貰えないなどというのは有権者を見下ろした見方でしょう。

その後の若い世代へのインタビューでは、わずか100人くらいへのアンケートですけれど、「投票に行かない」と答えた人が半分を超えたことを紹介、「投票しても何も変わらない」との意見が多かったことを紹介していました。
このアンケートの仕方について、マスメディアの果たしている役割が投影されていると思ったのは私だけだったのでしょうか。
彼らが主張するのは「投票しなければなお変わらない」という程度であって、投票が主権者としての権利そのものだということを全く主張しません。だから、自民党や維新の会が現日本国憲法を「国家あっての個人」という立場での「国家が国民を縛り方向付ける」憲法を目指していることに何ら抵抗できないのです。
日本における改憲論者が天皇制を廃止するなどという改憲ではなく、全く逆に憲法第9条を変えて国防軍を持ったり、天皇元首化を求めるというように、右翼的な方向で一致しているのは理由のないことではありません。
ここにこそ、戦前から地続きになっている日本社会の非民主性、反国民性が現れていると私は思います。
「憲法は主権者=国民による権力制限規範である」という立憲主義の原則を崩し、国家が国民の義務を定めるというのが改憲論者のもっとも顕著な立場です。
現憲法の立憲主義の立場からすれば投票行為は国民による最も強い権力の制限規範行動であり、権力のあり方を監視する「権利行使」なのです。
若者がそれを行使しないというのは、自らの権利を狭め、国家権力の恣意的な国民支配を強めていくことにつながるのだということに警鐘を鳴らすべきです。それこそが権力の監視機関としてのマスメディアの役割ではないのでしょうか。

マスメディアを媒介として、政治であれ社会的な行為であれ、自分が何かをやるのではなく誰かがやってくれるという受け身の意識が作り出され、温存されています。自分の目、耳、頭、手足で事実を見て議論し合うのではなく、仮想・虚構の空間で作り上げられた意識を自然に身につけてしまうようにし向けられています。敵を身近につくり、それから距離をおくことで保身にむかうように仕組まれています。
自らの投票行為によって選んだ人たちが意図的に作り出した格差社会のなかで、そうした真の原因を見抜けないようにいっそう追い込まれていきます。
この選挙がこうした問題を若い世代の人たちにも真剣に投げかけ、議論を起こしていかなければならないときに、マスメディアは、その逆をひた走る。そうだとすれば、それに気がついた者たちが、このことを訴え、広げていくしかないのでしょう。
あの天皇制と特高警察の戦前でも、戦争反対と国民主権を訴え命をかけて戦った人たちが存在したことを、今一度想起すべきときです。



  12月10日(月)    
深夜からずっと降り続いて、池田町にしては大変な大雪になっています。午前6時現在で約10センチの積雪。気温はそれほど低くないので、ちょっと重たい雪です。
急な雪だったためか、除雪車の出動も準備不足で、幹線道路を除いてはほとんどはかどっていません。まだタイヤを交換していない人もあるいはいるのかもしれませんから、今朝は交通が相当に混乱するのではないでしょうか。
写真上2枚は午前7時のもの。下の1枚は午前11時のものです。






午前6時から12時までさらに5センチほど積もって、約15センチの積雪。やむなく除雪を行いました。もちろん北陸の除雪のようにスコップでブロックをつくって放り投げるなどというのではなく、除雪車の前についているような除雪機の形のスコップで、押していくだけ。それでもちょっと汗をかいてしまいました。
今回の寒波はちょっとこれまでとは違います。強い冬型になってしまえば池田町はきれいに晴れて冷え込むからです。ここ数年、何度か20センチほどの積雪があったことがありました。それは決まって太平洋側を低気圧が通過し冬型の気圧配置に移行していくときで、東京、愛知などでも雪が積もることがありました。
天気図や衛星写真(yahoo!weather)を見てみましたら、まさに的中。大陸からのこの寒気の吹き出しは尋常ではありませんね。小谷では70センチも積もっているといいます。各地でかなりの積雪になっているし、まだ明日まで降り続くようなので、警戒が必要です。




さて、またまたパソコンネタで申し訳ありません。昨日ネットオークションで見つけた中古のGateway ML6022jというエントリーモデルを安くゲットしました。
そんなに手に入れて何するのと言われるかも知れませんね。そういわれても仕方がない散財ですから、甘んじて受けましょう。

このモデルは珍しくLinuxのUbuntu10.10を入れたマシンだったのです。ノートでLinuxが動くのが欲しいと以前書いていた通り、あれからずっと探していたのです。たまたまネットで見つけオークションに入札。結局私しか入札者がいなくてあっけなく最安値で落札できたのでした。
2008年のモデルですからそれなりに使用感があることはやむをえませんが、筐体自体は問題ありませんでした。そこで、すぐに手持ちの1GB+0.5GBのメモリーに付け替え、さらにHDDのかわりに先日とりはずした128GBのSSDをつけ、最新のOS=Ubuntu12.10日本語Lemix(Ubuntuマガジン付録)を再インストールしました。完璧です!!

Gatewayのマシンは、日本のメーカーのものとは異なって実にシンプル。OS以外のソフトも最低限のものしか入れませんから、Linux用のマシンとしては最適なのです。私こういうのが大好きです。
だいたい日本のメーカーのパソコンと称するものは、あまりにも多機能だから余計にわかりづらく、しかも無駄なソフトを詰め込んでユーザーを混乱させている。ソフトなんてのはユーザーが選べばよろしい。
これで、ようやく念願だったノートでマイクロソフトにもアップルにも頼らないパソコン生活の第一歩を踏み出せそうです。
私の姪っ子の連れ合い(アメリカ人)も多分この機種と似たものを使いOSもUbuntuでしたね。まきちゃん、よろしく伝えてください!

来年度からは年金だけでの生活になることが濃厚なので、ソフトにお金をかけないですむのは何より。開発者の皆様、本当にありがとうございます。

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午後から次第に空が明るくなり4時頃にはすっかり晴天がひろがりました。いつものあの冬型の空です。大町は大雪。






  12月9日(日)    
昨夜大町から帰るときは、道は2〜3センチほどの積雪で真っ白。池田に入ると例のごとく雪は全くありませんでした。ところが今日は夕方まで雪がちらつき、夜にはいると大町と同じような状態になり、明朝まで数センチの積雪になりそうな気配です。昨年よりはずいぶん早い本格的な冬の到来です。

今日、初めて選挙についての世論調査の電話がかかってきました。コンピューターによる無作為抽出の結果私が「当選」したのでした。宝くじだったらよかったのに。
小選挙区や比例でどこに投票しますか、いつもどこを支持していますか・・・という音声での質問で、当然のことながら私の支持する政党を答えておきました。

ところで、12月6日にはこの総選挙の予測として、大手マスメディアが一斉に「自民・公明を合わせて過半数の勢い」という記事をかかげて、良識ある人々のひんしゅくを買いました。
小選挙区制度の弊害や消費税など重要な争点隠しには何ら触れないまま、自民復活か、民主か第3極かなどと政党の組み合わせだけに焦点をあわせたメディアのあり方。郵政選挙や政権交代選挙といわれた過去の選挙から彼らは結局何も学んでいないのでしょう。国民もまた、日々の生活にかまけてメディアの垂れ流す情報に左右されるようでは、こちらもまた何も学んでいないことになります。
独立系メディアE-wave Tokyoの青山さんが「旧態依然大メディアの定番 情報操作で世論誘導」というテーマでデータをあげて指摘している論考は傾聴に値します。
今回の選挙では、改憲派は千載一遇のチャンスとして攻勢を強めていますが、そうは簡単にはいかない。「国防軍」など戦争につながる政策にはきな臭さが強く漂ってきますから、心ある人々が声を上げれば同感の輪は瞬く間に広がる。
昨日の信濃毎日新聞には、憲法9条を守る過半数署名の会がよびかけた新聞全面広告が載りました。誘われて私も妻も名前を載せました。こうした取り組みを地道にすすめることがいま大事なのだと考え、あえて名前を出したのでした。



本日は雅子さん・・・じゃなかった、我が息子の誕生日。いい年になったんだねえ。



  12月7日(金)    
被災地女川町の小中学生、保育所園児、高齢者施設の方々にリンゴを届けるため、ネットワーク有志で摘み取りを行いました。リンゴを提供してくれたのは池田町で農園を経営するIさん。
上天気に恵まれた今日の午前中、総勢40人あまりが集合して一大摘み取りのイベントとなりました。連絡しておいたローカル紙の記者のみなさんも来てくれ、明日には新聞紙上で紹介してくれるでしょう。
大勢で取り組んだために作業はどんどんはかどり、とったリンゴは3千個を超えました。その場で仕分けしコンテナーに詰めて発送出来る状態まで作業はすすみ、来週あけには発送できるはずです。
ちょうど池田町の保育園児たちの摘み取り日と重なったために、農園は子どもたちの歓声にもあふれて賑やかでした。参加された皆さん、大変お疲れ様でした。

私は写真をとったり、接待の仕事をしていたのですが、お茶のペットボトルを運んでいて石を踏み外して側溝に転落しそうになり、見事に一回転して左足大腿部を打ち身。幸い大した怪我はなかったものの、見ていた人に心配をおかけしました。歳はとりたくないものです。













  12月6日(木)    
中央道のトンネル崩落事故のためにMNEMOさんは今回から電車でやってきました。私は明科まで送迎をするだけ。
食事時の彼との話題はもっぱら事故のことや選挙のこと。朝早く起きてウエブ上の情報をチェックするのはいつもの通りで、彼の情報収集能力と判断にはとにかく敬服してしまいます。
私の軽トラで大町の塾までいく姿もまた非日常的でよろしい。

さて、私はといえば、昨夜からメインマシンのOSの入れ替え。最近シャットダウン時にフリーズしたり、ブルースクリーンが多発してどうしようもなくなったからです。
Vista、7での終了時のトラブルはネット上でもいろいろ報告されており、解決策もあるようですが、事情はそれぞれ。私の場合は何がその原因になっているのか長らくつかめず、うまくいったと思ったらまた同じことの繰り返しという状態でした。
メインの記録ドライブはこれまで128GBのSSDと容量がいまいちだったので、このさい思い切って国産も国産、地元シナノケンシ株式会社のPLEXTORのSSD M5PRO 256GBにとりかえることにしました。そのうえで、順次再起動を確認しつつインストールし直し。
これまで目星をつけていたソフトはすべて問題なく、実はATOK2012に問題があるらしいことを突き止めました。これがインストールできないことは致命的なので、解決策をあれこれ考えていたら、来年2013年2月7日のATOK2013発売日まで無料で使えるプレビュー版が出ているのを見つけた。これ幸いと直ちにインストール。その後順調に各種のソフトを入れて昼過ぎ復活完了しました。
自作のパソコンはこうした原因不明のトラブルに見舞われることが多いので、やたら時間を使います。これを通して何か学べるかというと全くそうではないのです。
今のところは、シャットダウンで問題は起こっておらず、前回までとは様相が変わって、数秒から10秒くらいでシャットダウンできる。起動も終了もWindows8並にものすごく速い。何なんですか、この違い。このまま続いてくれたらメインマシン復活なんですけどね。



  12月4日(火)    
今日朝からやっていたことは、7日の午前中に行うリンゴ取りのスタッフを集めるために電話がけしていたことと、落花生の皮むき。

リンゴの摘み取りについては、頼んだ方は快く協力を約束してくれ、またわざわざこのブログをみて連絡してくださる方もいて、かなりの人数になりそうです。ありがたいことです。
当日は9時半に福祉会館前に集合して近くのリンゴ農園に移動し作業を行います。何しろ千数百個も収穫しなければならないので、人数が勝負です。
ローカル紙の記者の皆さんにも連絡し、取材にきていただけることになりました。
女川町の教育委員会からはメールが届き、今日給食用のリンゴが届いたことへのお礼とともに、7日の給食時に提供することが書き添えられていました。

1ヶ月ほど前に収穫して乾燥させておいた落花生、今日ようやく皮むき作業を終えました。あまり実が大きくはなっていませんでしたが、皮をむいてみるとそれなりに実が入っていて、何とか食用になりそう。
量がハンパではなく、いつ果てるとも知れぬ根気根気の作業で、まる1日皮をむき通し。昼食、夕食を挟んで午後10時過ぎにようやく終了!!
先日皮むきをした落花生はすでに油で揚げて塩を振りかけ立派なおつまみになって瓶に収まっています。今日の分を合わせると、ものすごい量になり、当分楽しめます。
畑から収穫して1〜2週間の乾燥では、さっぱり美味くなかったのに、1ヶ月も乾燥すると実が引き締まって油で揚げると大変美味しい。食べ過ぎに注意しなければなりませんが、つい手がでてしまいます。お正月には白和えの材料になります。
大抵は鍋で煎ったり、塩ゆでにするらしいのですが、我が家のやり方は170度の油でやく2分半揚げて塩を振るだけ。しばらく油取り紙の上でさますと、カラッとなって市販のバタービーナッツと変わらない味になります。お試しあれ。





  12月3日(月)    
中央道笹子トンネルの崩落事故では、9人が亡くなるという痛ましい事態になってしまいました。亡くなった方々の無念を思うといたたまれなくなります。
天井のボルトの老朽化が原因といいます。素人考えでも、あり得ない事故です。セーフ・ガードの装置もなく、落ちればそれで終わりという構造自体が問題だし、保守点検もおざなりだったことが明らかになっており、これは人災としか言いようのない事故でしょう。
昨年3月の大震災の影響も当然考えられるし、トンネルの圧力の変化もあり得ます。詳細な検証をすべきですが、最初伝えられた国土交通省と道路会社との共同調査という、これまた考えられない検証の仕方が、すべてを物語っているような気さえします。原発に対する政府の対応も全く同じです。

高度成長期に公共投資としてどんどん作られた高速道路や橋脚、トンネル、上下水道などのインフラの老朽化への対応が指摘されて久しい。おそらく、橋が落ちたり、道路が崩れたり、上下水道が破裂したりという事故がこれから起こる可能性があるのではないでしょうか。
また、格安航空会社がどんどん参入する航空機業界にも問題がある。
JALのように、ベテランパイロットの首を切り、人員が不足したからと安上がりのスタッフでやりくりしようとする儲け本意の体質は決してなくなっていないし、しわ寄せが点検・整備の部門にいくことは容易に推測できます。重大事故が起きてからでは遅い。
私たちのように、年に1回か2回かは航空機を利用しなければならない人間にとって、安いにこしたことはないのですが、安全と引き替えにすることはできません。航空会社は、おそらく安全のための整備は万全だというでしょう。しかし、どう考えてもそんな値段でどうやって運行するのかと思われる場合もないわけではない。
これまでは安全だったから、明日も安全だという論理は通用しません。人のいのちを預かるさまざまな業界、分野で、徹底した点検、検証が必要になっていると痛感します。

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先日の被災地支援池田町民ネットのミーティングで、今後の活動をきめました。
12月6日到着で女川町の小中学生の給食用にリンゴを200個発送を手配。続いて、7日午前中に近くの農家の畑でリンゴをつみ取って、約1500個を送ります。題してクリスマスプレゼント・プロジェクト。対象は、被災地の小中学生、保育園児、高齢者施設の方々です。
同時に、20日から22日まで現地に行き、リンゴを贈呈したり、高齢者施設で餅つきをすることに決定しました。
そのために、まず7日(金)に、リンゴのつみ取りをするスタッフを募集中。何しろ1500個も送るので、つみ取るのが大変です。幸い農家の方の協力で畑は確保してありますので、当日参加出来る方は是非ご協力をお願いします。
また、年末押し迫ってからになりますが、現地訪問に行ける方も募集。今回は高齢者施設(隣の保育所との共同)餅つきもあるので、数名のスタッフが必要になります。

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さて、いよいよ明日は総選挙告示日。マスメディアは、どの政党がどのくらいの支持率なのか、だれが総理大臣にふさわしいかを報じています。私にすれば、そんなことはさして意味がありません。なぜなら、政策も、過去の検証も十分おこなわず、ただ「世論調査」と称して発表することにほとんど意味がないからです。それより、原発、消費税、TPP、基地問題、外交などについて、どの政党がどのような政策を持ち、どのように行動しているのかを詳しく分析報道すべきです。
かつて小泉が圧勝したり、民主党が政権交代を果たす上で、マスコミがどのような役割を果たしたかを忘れたわけではないでしょう。とくに前回、2大政党制をあおり、民主党圧勝に手を貸した責任はマスコミにもある。今回もまた、ウルトラナショナリズムの立場で改憲を唱える自民、維新などを持ち上げたり、極右レイシストの党首をかつぐ維新の会を第3極などと位置づけアピールすることに余念のないマスコミが、またまた「世論」をつくるのでしょうか。こんなことは西欧諸国では考えられないことです。
原発即時廃止を求める人はどこを支持すべきなのか。消費税増税に反対する人はどの政党を選ぶべきなのか、TPPではどうか、オスプレイではどうか、財源政策はどうか。そしてまた、政党にふさわしい清潔な運営(綱領、規約、大会、機関運営や、政党助成金など)が行われているのかどうか。個別にしっかり自分の目、耳で確認し政党を見極める。投票行動に責任を負うとはそのようなことです。
今回の選挙では、投票した後「そんなはずではなかった」「そんなつもりではなかった」などという言い訳は一切通用しない。今日の情勢は「投票者の責任」を有権者一人一人につきつけているのだと私は思います。



  12月2日(日)    
山梨県の中央道笹子トンネルの崩落事故が伝えられ、コンクリートが折り重なった現場がテレビに映し出されています。私もかつてよく通ったところだし、今はMNEMOさんが往き帰りで毎週のように利用するトンネルだけに、人ごとならず思えます。何人かの犠牲者が出ているほか、不明の方々もいるようで、一刻も早く救出されることを願うだけです。

昨日は日中もチラチラと雪が舞う酷寒の1日。沖縄から帰ってくるんじゃなかったとつい思ってしまいます。のどが痛く咳がでて、調子はいまいち。
昨夜は高校生の授業があり、今日も午前中試験対策。一転して今日は晴れ渡り、真っ白になった北アルプスがくっきりと見えます。朝早くには雲もなかったのに、9時頃にはもうガスが覆って山のお天気の変わりやすさを見せつけています。


先月末に日本維新の会が政権公約「骨太 2013-2016 『日本を賢く強くする』〜したたかな日本〜」を発表しました。にわか作りなのか、竹中平蔵の思い入れが強いためかわかりませんが、「聞きしに勝る」ひどさとはこのことですかね。

その中の1つ「雇用の流動化」という政策実例の中に、「最賃制の廃止」とあって、これが話題になっています。30日には朝日デジタルが「最低賃金廃止、橋下氏「雇用狙い」 維新公約に波紋」という記事をのせ、12月1日にはしんぶん赤旗が「維新・石原代表“原発ゼロ”公約知らず 最賃廃止知らない 記者失笑」との記事を掲載しています。
お粗末を通り越して、あきれるばかりのこのグループの実態です。単に低レベルというだけではなく、有権者を愚弄するにもほどがある。

今日のしんぶん赤旗でも、「最賃制廃止 維新の暴論 これでは奴隷制だ 世界では水準引き上げへ」と題して厳しく批判しています。当然です。

傑作なのは、12月1日の赤旗報道で書かれている石原代表の応対。
自由報道協会主催の記者会見で公約に書かれた政策について問われた石原代表が「知らない、なんて書いてあるの?」と言ったとか。信じられますか?党首がですよ。
さらにこの政策について、「貧困が底なしになる」と記者から指摘されると「それはまずいわね」「俺は竹中(平蔵慶応大学教授)って好きじゃないんだよ。あれが、こういうものを全部書いている」と言ったとか。もうマンガの世界です。

最低賃金制度とは、労働者の賃金の最低限度を法律(最低賃金法)定めた制度です。先進国ならほとんど全国一律の制度として実施しているものなのですが、問題は制度のあり方と金額です。
日本の制度は地域別の最低賃金であり、地域(県)ごとに異なる金額になっています。中央最低賃金審議会(厚生労働省)が厚生労働大臣へ引き上げ(引き下げ)の答申を行い、その答申を元に、各都道府県の審議会がそれぞれの最低賃金を定めることになっているのです。
最近でも1円、2円の引き上げをめぐって労使双方がせめぎ合うという情けない状況が報じられていました。とはいえ、この最低賃金制度こそ、日本の低賃金構造、男女差別賃金などを打開し、賃金の底上げをはかっていくもっとも根幹となる制度です。だから、日本の労働者は戦後一貫して全国一律最低賃金制度の実現をめざし、その額も時給1000円以上を要求してたたかってきたのでした。
こうした闘いは日本だけではなく全世界の労働者によって粘り強くつづけられ、いまや時給1000円以上は普通なのです。

この点について、内田樹さんが面白い論考をブログ上で発表しています。次はその最後の部分です。

その(最賃制度が撤廃された)結果、国内の市場は冷え込み、内需は崩壊し、地域経済も衰退し、社会保障支出が増え、社会不安が亢進し、遠からず国民国家はその体をなさなくなるだろうけれど、そんなことはビジネスマンには「知ったことじゃない」のである。
彼らにとっては次の四半期の収支と株価だけが問題なんだから。
そういう目的に邁進するべく制度改革をしたいという政治家がわらわらと輩出し、それに拍手喝采する人々がいる。
いったい何を考えているのだろう。
たぶん日本の国民経済が崩壊しても、「時給267円で働く労働者を搾取できたおかげで、国際競争に勝ってフェラーリに乗ってドンペリを飲んでいる超富裕層」の一員になっている自分の姿を想像しているのだろう。
たしかに、そういう「いい思い」をする人が何万人か何十万人かは、これから出てくるだろう。
でも、それは「あなた」ではない。
これは私が保証してあげる。


そうそう、拍手喝采する人っているんですよ。案外たくさん。たとえばロンドン暮らしのこんな人も。このお方の労働実態と生活からいえば、不安定雇用労働者の実態やその心情は世界の外の問題であり、決して理解できないのでしょうね。



  12月1日(土)    
寒い。午前9時頃から池田町は雪。時間がたつにつれて激しくなってきました。車の上はすでに白くなっています。極楽から地獄に来た感じ・・・。やっぱり冬は沖縄かなあ。




妻はまだ風邪が回復せず、寝ています。午前中は沖縄からの荷物が着くので家を空けられない。
10時近くになって、昨日発送した宅配便が到着。これは素早い。一番後に送った荷物が一番速いんですから。そのあと続々と到着しました。

この秋に沖縄に出かけたのは、妻にとっては同級会があったということもありますが、結婚41周年の記念という意味もありました。いまさらという気もないではありませんが、復帰40年とほぼ重なる私たちの年月を現地で考えてみたいということも大きな理由でした。
あちこち回ってみると、当時の沖縄の素朴な姿はほとんどなくなり、町並みも海もすっかり変わってしまいました。変わらないのは田舎の風情と基地の様子だけなのか。
とくに那覇周辺は大都会となり、かつて住んでいた東京郊外よりもにぎやかで、雑然としています。田舎にもイオン系列の店が出店。スーパー、電機関係の店、コンビニなどが次々と進出するのを見ると、「便利さ」という装いをこらしながら、結局は利益をすべて本土資本が吸い上げていくという構図がすけて見えてきます。もっと地元の商工業、農業などを根付かせるやりかたでなければ、雇用問題も貧困問題も解決しないのにと歯がゆく思われます。
こうした産業構造の一番のネックはやはり基地の存在でしょう。基地がなければ、交通網をはじめとするインフラの整備もしっかりとでき、まとまった地域的な発展を促すことができるのです。沖縄の人たちはこのことは肌身を通して理解しています。一頃「本土」でまことしやかに言われたような基地依存の経済はほとんどなくなり、むしろ経済的発展の阻害要因になっているというのが今日の沖縄の実態なのです。
「沖縄の負担軽減」などという政治家の言いぐさを聞いていると、いい気なもんだと思います。負担を軽減するなら、基地をなくし、釣り合いのとれた経済発展を促すべきなのです。それいがいに負担を軽減する方法はありません。

また日常にもどって、塾の仕事、被災地支援、バラ園の手入れなどが追っかけてきます。今月はそれに加えて選挙と、自治会の規約改正の協議。あまりの気温の変化で、身体の動きがまだいまいちですが、一つ一つ処理していかなければ。




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